2006年10月06日(金)  マタニティオレンジ15 がんばれ母乳部

先輩ママたちは「出産なんて一瞬のこと。大変なのは産んでから」と口を揃えて言う。出産するまでは「安産」で頭の中がいっぱいだったのが、産んだ途端、育児モードに早変わりし、新たな試練と闘うことになる。

新米ママたちをいちばん手こずらせるのが「母乳」。それまで「安産祈願」「出産報告」メールを送りあっていたマタニティ仲間とのやりとりも、「母乳激励」メールに切り替わる。「思ったように出ない」、そして「痛い」、だけど「飲ませないと飢える」。わたしの場合は、出産前に母乳が開通し、これは楽勝と思っていたら、量が全然足りなかった。出産後すぐは誰でも出が悪いので、赤ちゃんも体重が減るものらしいけど、せっかく3238グラムと大きく産んだのに3日で2850グラムまで減ってしまった。母乳に湯冷ましを足して飲ませ(まさに水増し!)、体重はV字回復したものの、退院してからも出は良くならない。「出すぎて困るほど出るから」とご近所の先輩ママにすすめられてレンタルした搾乳機(ひと月7150円、実売価格33万6千円)も出番なし。試しに使ってみたところ、一時間で10ccしか搾れず、「これでは、たまが飢え死にする!」と愕然。玄米と大福(とにかく餅と小豆が食べたくなる)をたらふく食べ、しっかり昼寝をすると、少しずつ母乳工場が稼動し始めた。

おっぱいとお月さま』という映画の中で印象的だったのが、主人公の少年が憧れる女性のおっぱいがピューッと飛ぶシーン。ファンタジーっぽい作品なので、少年の妄想なのだろうと思っていたけれど、本当に水鉄砲のように飛ぶのにはびっくり。ゴクンと飲み下す音がするまでに約ひと月。ようやく「右10分左10分」ペースに落ち着いたけど、それまでは回数で稼ぐしかなく、「右1分左1分」×10が1セットだった。反復横飛びかよ!

以前、探偵ナイトスクープで「母乳でプリンを作る」というのをやったことがあった。番組を見たときは「けったいなものを」と思ったけれど、マタニティビクス仲間のレイコさんによると、母乳はとってもおいしいらしい。母乳プリン、けっこういける味かもしれない。プリンを作れるほどの量はさすがにまかなえないけれど。

2005年10月06日(木)  行動する芸術家・林世宝さん
2004年10月06日(水)  ローマの一番よい三流のホテル
2002年10月06日(日)  餃子スタジアム


2006年10月05日(木)  『シュガー&スパイス』のグランマ

年を取ることは若さをはじめいろんなものを喪っていくことだと思っていた二十歳のわたしに、「喪うものは若さぐらい」だと教えてくれたのは、旅先のニュージーランドで出会った九十歳の女性だった。わたしの四倍以上の時間を生きてなお人生を楽しむ好奇心と意気込みでキラキラしていた彼女は、「あなたの人生はまだ始まってもいない」と言った。時間に吸い取られて枯れ木になるのではなく、時間を豊かさに変えて年輪を刻むように年を重ねていけたら……。以来、年を取ることは恐怖から楽しみになり、脚本を書くようになってからは、いつかチャーミングなおばあちゃんを描きたいと思っていた。

ところが、である。今日観た『シュガー&スパイス 〜風味絶佳〜』に「やられた!」となった。夏木マリさん演じるアメリカかぶれのグランマが年齢をガソリンにして加速しながら突っ走っているようなパワフルな七十代なのだが、かっこよくてかわいくて、これ以上ないほどチャーミング。山田詠美さんの原作(短編集『風味絶佳』の中の表題作)からそうなのか、水橋文美江さんの脚本の力なのか、女優がはまりすぎたのか、その合わせ業なのか、こんなインパクトの強いグランマをやられては、ちょっとやそっとじゃ太刀打ちできない。だけど、一観客としてはうれしくて、このグランマ観たさにもう一度この映画を観たい、と思うのだった(作品自体も思いのほか面白かった)。

パワフルなばあちゃんが活躍する映画といえば、ロングランを続けている『佐賀のがばいばあちゃん』も気になる。

2000年10月05日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/08)


2006年10月03日(火)  マタニティオレンジ14 ヘンなのは自分だけじゃない

はじめての妊娠〜出産〜育児は、未知との遭遇の連続。とくに妊娠中の体の変化はびっくりすることばかり。「世の中には男と女と妊婦がいる」と語った友人がいたけれど、おなかが大きくなるにつれて、自分の体が別物のようになっていくのがなんとも不思議だった。でも、面白がってばかりもいられず、ときどき「これって異常?」と不安になることも。

マタニティビクス&ヨガに通って良かったのは、「そっちはどう?」と気軽に聞きあえる仲間ができたこと。レッスン前後に着替えながら、「ねえねえ、おなかのまわりに毛が生えてきちゃったんだけどー」と一人が切り出すと、「わたしも、わたしも」となり、「大切なところを守るために毛が生えるんだよ」「なるほど」と納得しあった後で、「でも、すごいんだけど。カールおじさん級」「え? 見せて見せて」と臍まわりのギャランドゥ品評会。「それほどでもないじゃない」「同じぐらいだね」「みんな生えてるんだー」と安心しあう。ついでに「20週にしては大きすぎない?」「わたしもそんなもんだったよ」とおなかの大きさ比べをし、「おなかの下に妊娠線できてショックー」「膨らんでるから塗り忘れちゃうんだよね」「妊娠線予防、何使ってる?」と情報交換が始まる。「ヘンなのは自分だけじゃない」とわかるだけで心配ご無用となるし、お役立ち情報も仕入れられるのだった。

「おなかにヘンな縦線が出てきたんだけどー」「わたしも、わたしも」もよくある会話。臍の上下に茶色い線が浮かび上がるのだが、正中線といって受精卵のくっついた跡なのだそう。生物の教科書に載ってた受精卵の真ん中のくっきりした線を思い出し、驚くと同時に「生命の神秘だー」と感激。自分は卵から出発し、その名残を今も体にとどめているのだ。出産すると正中線は自然に消えるのだが、「みんなもあるんだー」と安心して、なぜ妊娠期にだけ姿を現すのか理由を調べなかった。もしかしたら、卵だった時代=初心を思い出させるため、だろうか。

2005年10月03日(月)  Paulina Plizgaの着るアート
2000年10月03日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2006年10月02日(月)  マタニティオレンジ13 おかげの花


子どもができたおかげで得るものがある反面、子どもができたせいで失うものもあるという。けれど、いま諦めなくてはならないものは一時的なもの。「せいで」より、「おかげ」を数えられるほうが幸せだと思う。実際、今は祝福される一方で、「おかげ」と思えることばかり。そのひとつが、花。

いちばん気の早い花は予定日より二週間以上早く、8月2日に届けられた。「20日(はつか)」と伝えたのが「2日(ふつか)」と記憶されたのか。「出産祝い」の伝票がついたバラを届けた花屋のお兄さんは、わたしの大きなおなかを見て「?」となった。カードには「日本一可愛い子どもに育ててください」とあり、こりゃあしっかり産まなきゃ、という気持ちに。いい景気づけになった。

友人夫妻から贈られた花は「ピンクがお母さん、オレンジがお父さん、真ん中の白い花が赤ちゃん」というアレンジメント。無垢な小さい蕾を守るように二色のガーベラが花びらを開いた姿はとてもあったかくて微笑ましくて、こんな家族になれたらいいなと思った。

二人合わせて155歳のヨゴ先生とタカダさんはピンクの薔薇と一緒にベビーシューズを贈ってくれた。「皇后陛下が親王様のお誕生祝いに靴をお花に添えて贈られているのを見て、急いで買いに行ったんです」とタカダさん。たまが歩けるようになったら、ふわふわの靴を履かせて、花を探しに行こう。
。「たいていのものは贈られていると思いまして」と立派な蘭の鉢植えを贈ってくださったのは、脚本家で監督の森岡利行さん。おもちゃ箱みたいなガチャガチャしたわが家で異彩を放っている。

花といえば、日本人の母とイラン人の父を持つ友人セピー君のお母様、ハギギ志雅子さんの著書『そこは、イラン―私が愛してやまない国』の中に「すぐに引っ越すことが決まっていても、家には必ず花を植えた」ということが書かれてあり、セパンタの優しさのルーツを見た思いがした。花という命は、注がれた愛情を人に分けてくれるのかもしれない。

2004年10月02日(土)  「平均年齢66-1才」若返りの会
2000年10月02日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2006年10月01日(日)  マタニティオレンジ12 お宮参りイベント

赤ちゃんが生まれると、これまで縁のなかったイベントがちょこちょこ楽しめる。出産七日目の命名式は退院した日(出産五日目)に家族で食事したときに簡単に済ませたが、次なるイベントはお宮参り。

お参り先はダンナ兄妹もお参りした明治神宮。大安の日曜日とあって新生児を抱いた家族グループや花嫁が目立ち、外国からの観光客も押し寄せ、朝からけっこうなにぎわい。初穂料一万円を納め、受付を済ませ、三十分ごとに数十組が名前を呼ばれ、本殿(と呼ぶのだろうか)に上がって祈祷を受ける。朝礼のクラス順のように家族ごとに縦一列に並ぶのだが、最前列は赤ちゃんを抱いたばあば(父方の祖母がだっこするものらしい)たちの「泣かせてはならじ」合戦。膝クッションで赤ちゃんを微妙に揺らし、子守り歌のリズムで背中をポンポンとたたく。懸命の努力にも関わらず、どこかでギャーと声が上がると、それに応えて赤ちゃんコーラスがはじまり、和やかな笑いを誘う。鈴あり、太鼓あり、雅楽の演奏や美しい装束をまとった巫女(だろうか)さんの舞も披露され、ちょっとした伝統芸能の舞台を見ているよう。外国人観光客がこれを見たらさぞ喜ぶのではと思ったりする。守護札、お神酒と神饌(神様のおさがりのお菓子)、お食い初めの器セットまでいただけて、なんだかとても得した気分。

お参り後の家族の会食は「家で適当に」のつもりだったのだが、「お祝いの席だし、お店で会席料理もよいかも」と思い立つ。赤ちゃん連れでも気兼ねないよう個室のある店を求めてあちこち電話し、「いっぱいです」と断られ続けるうちにフォーシーズンズの日本料理店から電話を回されたのが、椿山荘の料亭『錦水』。十ある個室の最後のひとつ、残月という離れの別邸が空いていた。予算を聞いてひるみかけたが、予約の確認の際に「大人六名様と今お母様の腕に抱かれていらっしゃるお子様」と言われ(電話をかけるわたしの腕の中で、たまがぐずっていた)、「ここなら間違いない」と確信。実際、大きな窓から日本庭園をのぞむ部屋にはベビー用スイングと布団、毛布が用意され、仲居さんは料理を運ぶたびに違う言葉でたまを褒めてくれ、これなら個室料とサービス料も惜しくない、と思えるもてなし。もちろん、料理は格別。細く切った昆布で編んだ網など、見た目まで味わい深い。出産後はじめて、四十日ぶりの外食ということもあって、全身が味覚細胞になって踊るよう。食べきれない家族の分まで引き受けて平らげる。そして、ひさしぶりに飲んだ日本酒のおいしいこと!今日十月一日は「日本酒の日」でもあるらしい。これでは、まるでわたしの慰労会。

2004年10月01日(金)  「Licensing Asia2004」にCook81(クック81)登場
2002年10月01日(火)  Mr.少林サッカーからのプレゼント
2000年10月01日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2006年09月30日(土)  本と遊ぶ「おそろい展 ミヤケマイ」

個展のたびにパワーアップしている友人ミヤケマイの「おそろい展」へ。会場の二期ギャラリーを探してお堀端を歩いていて、「あら素敵なマンション。一階はブックカフェかなあ」と目をやったら、中からミヤケマイが手を振っていた。「知的に騒がしい」と自称するギャラリー。重厚な書棚の間に見え隠れするように作品が展示され、大邸宅の書斎にお邪魔したよう。

知的な遊び心に満ちていて、とんち絵のような面白さがあるミヤケマイ作品。毎回違うツボをくすぐってくれるが、ぼんやり眺めていると、せっかく仕掛けた遊びを見過ごしてしまう。「このサイコロも展示しているのかなあ」と首をかしげているダンナよ、今回のテーマは「おそろい」、キミがうかつに手にしているサイコロはその上の壁に飾ってある絵のモチーフと「おそろい」なのだよ。絵の中のサイコロの目がそろってないかも見てみよう。おそろいのラケットで遊ぶテニスの絵、バトミントンの絵の下の棚にはそれぞれボールと羽根が転がっている。そして作品名『チョコレートとパイナップル』の下の棚に並んだ本のタイトルは、『チョコレート革命』『パイナップリン』……。よく見ると、他の作品と書棚の本もおそろい。「ギャラリーの書庫から合う本を探してきたの」とマイさん。「おめでタイ」という鯛が連なってレイになるカード、ラムネの香りのする文香など、グッズも洒落がきいている。

ミヤケマイ作品を飾れる壁のある家に住むのは、わたしのささやかな夢。いつものように「飾るならこの絵」と品定めしながら見て回ったのだが、今日は「たまならどの絵が好きかな」と想像していることに気づいた。卵をモチーフにしたら、ミヤケマイはどう調理するのだろう。卵のマトリョーシカでタマトリョーシカなんてどう?次回個展は年末年始にかけて渋谷bunkamuraギャラリーにて。

2003年09月30日(火)  BG SHOPでお買い物


2006年09月29日(金)  金太本、ついに出版。

日本イラン合作映画『風の絨毯』で三國連太郎さんが演じた中田金太氏は実在する人物。飛騨の匠たちの技術を後世に伝えるため、一台3億円かかる飛騨高山の祭屋台を8台造らせた「平成の若旦那」。今でこそ大成功者だが、少年時代は大変な貧乏で苦労を重ねてこられた。あちこちに丁稚奉公に出されて「五人の父」に育てられたエピソードは、プロデューサー・益田祐美子さんの『風の絨毯』舞台裏本『私、映画のために1億5千万円集めました。』(角川書店)でも触れられているが、「金太さんの話だけで一冊の本になる!」と思い立った益田さん、金太本の企画を立ち上げ、出版社を探し、周囲を巻き込み、わたしも執筆をお手伝いすることに。映画にしろ本にしろ、「作りたい!」と思ったら即行動し、実現させてしまうのが魔女田パワー。でも金太本の出版までは少々手こずり、当初の予定から一年あまりずれ込んで、ようやく毎日新聞社より『わしゃ、世界の金太! 平成の大成功者と五人の父』(高山秀美著 1400円+税)のタイトルで出版される運びとなった。「出会いは宝、財産」と語り、人との縁を幸せにつなげて、名前のごとく現在の成功をつかんだ金太さん。「男おしん」のような波乱万丈の半生は、映画やドラマで観てみたい気もする。本がベストセラーになれば、現実になるかもしれない。そして脚本はわたし!?

金太氏と秀子夫人を迎えて今夜東京・如月会館で開かれた出版記念パーティは、ベビーシッターのあてがなく出席を断念。帯と序文を書かれた三國連太郎さんがすばらしく胸を打つスピーチをされたそうで、電話で報告してくれた益田さんいわく「今までに聞いた三國さんの言葉でいちばん良かった。あれは魂がこもっていたわね」。それが聞けなかったのは残念。この春出版された自叙伝のタイトルにあるように『生きざま、死にざま』にこだわる三國さんが惚れ込んだ金太さんの生き様、ぜひ手にとって読んでください。

2005年09月29日(木)  レストランJ→カフェ・プラハ→レストラン・キノシタ
2002年09月29日(日)  『パニックルーム』→餃子スタジアム→出社の長い日曜日


2006年09月26日(火)  マタニティオレンジ11 ひるまないプロデューサーズ

出産前最後の打ち合わせは7月31日の夕方、共同テレビで『快感職人』9話10話(2話完結)の本打ちだった。今日は出産後最初の打ち合わせ。プロデューサーに近所の喫茶店まで足を運んでもらい、ダンナの母に家で子守りをお願いする。この作品(映画)と『快感職人』の脚本のオファーが来たのは妊娠26週(7か月)に入った5月下旬。「実は8月に出産を控えていまして」と告げると、相手は一瞬驚くものの「出産までは書けるんですよね?」と切り返す。映画のプロデューサーは「出産までに初稿を上げてもらい、あとは考えましょう」と気長に構え、『子ぎつねヘレン』の縁で『快感職人』に声をかけてくれた共同テレビのプロデューサーは「大丈夫。それまでに最終話の決定稿できてないと撮影が間に合わないから」と力強く言った。ドタキャンやら突然の変更やた不測の事態には慣れっこのプロデューサー、出産ごときではひるまない。

ちょうどその頃、すでに仕事が動き出しているプロデューサーたちにいつ妊娠を告げようか迷っていた。向こうから「もしかして?」と聞いてくれれば「実は」と打ち明けられるのだが、何も聞かれないのに言い出すタイミングが難しい。今日こそバレるだろうと打ち合わせに臨んでは、また今日もバレなかった、と首を傾げて帰る日々。こんなにおなかが目立ってきたのにまだ気づかないのか、怪しんでいるものの決め手に欠けるのか……。撮影に向けての段取りもあるし、言うなら早いほうがいい。でも、こんなに時間が経ってからじゃ、なんだか隠していたみたいだし、「なぜもっと早く言わなかった」と叱られそう……。

仕事相手の一人、女性プロデューサーに「実は、お伝えしたいことが……何だと思います」と相談すると、「会社員に戻るんですか?」「どこかの映画会社に入社?」などとなかなか正解にたどりつかない。「出産」を告げると、驚かれたが、「そりゃあ言ったほうがいいです」と背中を押され、数日後、他のプロデューサーたちにも発表。「そんな気がしてたんだよ」「そりゃあおめでとう」と反応はまちまちだったが、「そりゃあ困る」という人はいなかった。

会社員の友人たちからは、上司に「欲張るね」「ゼイタクだね」などとイヤミを言われたり、「(仕事と子育てと)どっち取るの?」と選択を迫られたりした話を聞いていた(少子化の原因のひとつは、こういう発言にあると思う)ので、きつい言葉も覚悟していたのだが、拍子抜けするほどおおらかに受け入れられた。脚本家も相手のある仕事ではあるけれど、会社勤めよりはずっと融通が利く。1か〇かではなく、1をいったん0.3に落として徐々に上げていくことができる。大きな組織でもこのようなペース配分が可能になれば、産むことへの抵抗はやわらぐかもしれない。産前産後の体調を気遣いつつも下手な遠慮はせず、仕事や相談を持ちかけてくれるプロデューサーたち。その距離感が心地よく、ありがたい。

2005年09月26日(月)  『東京タワー』(リリー・フランキー)でオカンを想う
2004年09月26日(日)  新木場車両基地 メトロ大集合!撮影会
2003年09月26日(金)  映画の秋
2002年09月26日(木)  ジャンバラヤ
2001年09月26日(水)  パコダテ人ロケ4 キーワード:涙


2006年09月23日(土)  マタニティオレンジ10 誕生日コレクション

記念日好きでイベント好きなわたしは、誕生日を祝われるのも祝うのも好き。赤ちゃんの一か月は大きくなってからの一年よりも劇的な変化に満ちているので、毎月誕生日を祝うことにした。一日遅れの1/12才誕生会のゲストは、会社員時代の同僚のE君T嬢夫妻と二人の披露宴で意気投合した大阪のフクちゃん。上京したフクちゃんを囲む会にくっつけて、一緒に祝ってもらった。「子育てで料理どころじゃないでしょ」と気遣って、デパ地下で買い込んだ食料をどっさり持って現れた三人。わが家が用意したのはバースデーケーキだけ。以前のように外で人と会うことがままならなくなったので、訪ねてくれる友がいるのはありがたい。

来月は2/12才の誕生会。1才の誕生日には、12個目のバースデーケーキを分け合うことになる。多分たまは覚えていないだろうけれど、大きくなったとき、12個のケーキの写真を見せながら、成長を喜び、祝ってくれた人たちのことを話そうと思う。

2005年09月23日(金)  今日は秋分の日
2001年09月23日(日)  『パコダテ人』ロケ1 キーワード:事件


2006年09月22日(金)  マタニティオレンジ9 赤ちゃんとお母さんは同い年

生後ちょうど一か月の今日、出産した助産院で一か月検診を受けてきた。母子ともに経過は順調。助産院の食事がおいしすぎて入院中に2キロ太ってしまったわたしの体重は、退院時から8キロ減り、一気に妊娠前の体重に。ひたすらおなかがすくので、ごはんも甘いものも手当たり次第食べているのに、こんなにあっさり減量に成功してしまうとは。母乳育児は太らないとはいえ、寝不足のせいもあるのかも。「まだまだ食べてよし!」と助産師さんに太鼓判を押される。食欲の秋、歯止めなく食べて母乳に変換しよう。

広告会社に勤めていた頃、雑誌広告の審査を務める機会があった。長机に広げられた広告を見て回っていたら、「赤ちゃんの一才の誕生日は、お母さんの一才の誕生日でもあります」という内容のコピー(正確な言い回しはうろ覚え)を見つけて思わず涙ぐみ、一票投じてしまった。子どもを産んだだけで母になるのではない、子どもの成長と一緒に母として成長するのだ。当時「なるほど!」と膝を打った言葉の意味を、この一か月、身をもって実感した。驚いたり戸惑ったりしながら、赤ちゃんに教えられる毎日。同じコピーにいま出会っていたら、あの頃の何倍もの涙を飛ばしただろう。

こんなに家にこもった一か月は今までなかった(外出したのは数えるほど)けれど、こんなに感動に満ちた一か月もなかった。まつ毛が少しずつ伸びていくのを確かめ、切ったばかりの爪がもう伸びて腕に食い込むのに驚き、抱きとめる重みが日に日に増していくのを感じ、ただひたすら生きることが仕事の一日を見守りながら、生命の神秘に感心したり、まだ憎しみも怒りも知らない平和な心を羨ましく思ったり。今日9月22日で、たまも一か月、たまの母も一か月。

2005年09月22日(木)  innerchild vol.10『遙<ニライ>』
2003年09月22日(月)  花巻く宮澤賢治の故郷 その3

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