2006年10月02日(月)  マタニティオレンジ13 おかげの花


子どもができたおかげで得るものがある反面、子どもができたせいで失うものもあるという。けれど、いま諦めなくてはならないものは一時的なもの。「せいで」より、「おかげ」を数えられるほうが幸せだと思う。実際、今は祝福される一方で、「おかげ」と思えることばかり。そのひとつが、花。

いちばん気の早い花は予定日より二週間以上早く、8月2日に届けられた。「20日(はつか)」と伝えたのが「2日(ふつか)」と記憶されたのか。「出産祝い」の伝票がついたバラを届けた花屋のお兄さんは、わたしの大きなおなかを見て「?」となった。カードには「日本一可愛い子どもに育ててください」とあり、こりゃあしっかり産まなきゃ、という気持ちに。いい景気づけになった。

友人夫妻から贈られた花は「ピンクがお母さん、オレンジがお父さん、真ん中の白い花が赤ちゃん」というアレンジメント。無垢な小さい蕾を守るように二色のガーベラが花びらを開いた姿はとてもあったかくて微笑ましくて、こんな家族になれたらいいなと思った。

二人合わせて155歳のヨゴ先生とタカダさんはピンクの薔薇と一緒にベビーシューズを贈ってくれた。「皇后陛下が親王様のお誕生祝いに靴をお花に添えて贈られているのを見て、急いで買いに行ったんです」とタカダさん。たまが歩けるようになったら、ふわふわの靴を履かせて、花を探しに行こう。
。「たいていのものは贈られていると思いまして」と立派な蘭の鉢植えを贈ってくださったのは、脚本家で監督の森岡利行さん。おもちゃ箱みたいなガチャガチャしたわが家で異彩を放っている。

花といえば、日本人の母とイラン人の父を持つ友人セピー君のお母様、ハギギ志雅子さんの著書『そこは、イラン―私が愛してやまない国』の中に「すぐに引っ越すことが決まっていても、家には必ず花を植えた」ということが書かれてあり、セパンタの優しさのルーツを見た思いがした。花という命は、注がれた愛情を人に分けてくれるのかもしれない。

2004年10月02日(土)  「平均年齢66-1才」若返りの会
2000年10月02日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2006年10月01日(日)  マタニティオレンジ12 お宮参りイベント

赤ちゃんが生まれると、これまで縁のなかったイベントがちょこちょこ楽しめる。出産七日目の命名式は退院した日(出産五日目)に家族で食事したときに簡単に済ませたが、次なるイベントはお宮参り。

お参り先はダンナ兄妹もお参りした明治神宮。大安の日曜日とあって新生児を抱いた家族グループや花嫁が目立ち、外国からの観光客も押し寄せ、朝からけっこうなにぎわい。初穂料一万円を納め、受付を済ませ、三十分ごとに数十組が名前を呼ばれ、本殿(と呼ぶのだろうか)に上がって祈祷を受ける。朝礼のクラス順のように家族ごとに縦一列に並ぶのだが、最前列は赤ちゃんを抱いたばあば(父方の祖母がだっこするものらしい)たちの「泣かせてはならじ」合戦。膝クッションで赤ちゃんを微妙に揺らし、子守り歌のリズムで背中をポンポンとたたく。懸命の努力にも関わらず、どこかでギャーと声が上がると、それに応えて赤ちゃんコーラスがはじまり、和やかな笑いを誘う。鈴あり、太鼓あり、雅楽の演奏や美しい装束をまとった巫女(だろうか)さんの舞も披露され、ちょっとした伝統芸能の舞台を見ているよう。外国人観光客がこれを見たらさぞ喜ぶのではと思ったりする。守護札、お神酒と神饌(神様のおさがりのお菓子)、お食い初めの器セットまでいただけて、なんだかとても得した気分。

お参り後の家族の会食は「家で適当に」のつもりだったのだが、「お祝いの席だし、お店で会席料理もよいかも」と思い立つ。赤ちゃん連れでも気兼ねないよう個室のある店を求めてあちこち電話し、「いっぱいです」と断られ続けるうちにフォーシーズンズの日本料理店から電話を回されたのが、椿山荘の料亭『錦水』。十ある個室の最後のひとつ、残月という離れの別邸が空いていた。予算を聞いてひるみかけたが、予約の確認の際に「大人六名様と今お母様の腕に抱かれていらっしゃるお子様」と言われ(電話をかけるわたしの腕の中で、たまがぐずっていた)、「ここなら間違いない」と確信。実際、大きな窓から日本庭園をのぞむ部屋にはベビー用スイングと布団、毛布が用意され、仲居さんは料理を運ぶたびに違う言葉でたまを褒めてくれ、これなら個室料とサービス料も惜しくない、と思えるもてなし。もちろん、料理は格別。細く切った昆布で編んだ網など、見た目まで味わい深い。出産後はじめて、四十日ぶりの外食ということもあって、全身が味覚細胞になって踊るよう。食べきれない家族の分まで引き受けて平らげる。そして、ひさしぶりに飲んだ日本酒のおいしいこと!今日十月一日は「日本酒の日」でもあるらしい。これでは、まるでわたしの慰労会。

2004年10月01日(金)  「Licensing Asia2004」にCook81(クック81)登場
2002年10月01日(火)  Mr.少林サッカーからのプレゼント
2000年10月01日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2006年09月30日(土)  本と遊ぶ「おそろい展 ミヤケマイ」

個展のたびにパワーアップしている友人ミヤケマイの「おそろい展」へ。会場の二期ギャラリーを探してお堀端を歩いていて、「あら素敵なマンション。一階はブックカフェかなあ」と目をやったら、中からミヤケマイが手を振っていた。「知的に騒がしい」と自称するギャラリー。重厚な書棚の間に見え隠れするように作品が展示され、大邸宅の書斎にお邪魔したよう。

知的な遊び心に満ちていて、とんち絵のような面白さがあるミヤケマイ作品。毎回違うツボをくすぐってくれるが、ぼんやり眺めていると、せっかく仕掛けた遊びを見過ごしてしまう。「このサイコロも展示しているのかなあ」と首をかしげているダンナよ、今回のテーマは「おそろい」、キミがうかつに手にしているサイコロはその上の壁に飾ってある絵のモチーフと「おそろい」なのだよ。絵の中のサイコロの目がそろってないかも見てみよう。おそろいのラケットで遊ぶテニスの絵、バトミントンの絵の下の棚にはそれぞれボールと羽根が転がっている。そして作品名『チョコレートとパイナップル』の下の棚に並んだ本のタイトルは、『チョコレート革命』『パイナップリン』……。よく見ると、他の作品と書棚の本もおそろい。「ギャラリーの書庫から合う本を探してきたの」とマイさん。「おめでタイ」という鯛が連なってレイになるカード、ラムネの香りのする文香など、グッズも洒落がきいている。

ミヤケマイ作品を飾れる壁のある家に住むのは、わたしのささやかな夢。いつものように「飾るならこの絵」と品定めしながら見て回ったのだが、今日は「たまならどの絵が好きかな」と想像していることに気づいた。卵をモチーフにしたら、ミヤケマイはどう調理するのだろう。卵のマトリョーシカでタマトリョーシカなんてどう?次回個展は年末年始にかけて渋谷bunkamuraギャラリーにて。

2003年09月30日(火)  BG SHOPでお買い物


2006年09月29日(金)  金太本、ついに出版。

日本イラン合作映画『風の絨毯』で三國連太郎さんが演じた中田金太氏は実在する人物。飛騨の匠たちの技術を後世に伝えるため、一台3億円かかる飛騨高山の祭屋台を8台造らせた「平成の若旦那」。今でこそ大成功者だが、少年時代は大変な貧乏で苦労を重ねてこられた。あちこちに丁稚奉公に出されて「五人の父」に育てられたエピソードは、プロデューサー・益田祐美子さんの『風の絨毯』舞台裏本『私、映画のために1億5千万円集めました。』(角川書店)でも触れられているが、「金太さんの話だけで一冊の本になる!」と思い立った益田さん、金太本の企画を立ち上げ、出版社を探し、周囲を巻き込み、わたしも執筆をお手伝いすることに。映画にしろ本にしろ、「作りたい!」と思ったら即行動し、実現させてしまうのが魔女田パワー。でも金太本の出版までは少々手こずり、当初の予定から一年あまりずれ込んで、ようやく毎日新聞社より『わしゃ、世界の金太! 平成の大成功者と五人の父』(高山秀美著 1400円+税)のタイトルで出版される運びとなった。「出会いは宝、財産」と語り、人との縁を幸せにつなげて、名前のごとく現在の成功をつかんだ金太さん。「男おしん」のような波乱万丈の半生は、映画やドラマで観てみたい気もする。本がベストセラーになれば、現実になるかもしれない。そして脚本はわたし!?

金太氏と秀子夫人を迎えて今夜東京・如月会館で開かれた出版記念パーティは、ベビーシッターのあてがなく出席を断念。帯と序文を書かれた三國連太郎さんがすばらしく胸を打つスピーチをされたそうで、電話で報告してくれた益田さんいわく「今までに聞いた三國さんの言葉でいちばん良かった。あれは魂がこもっていたわね」。それが聞けなかったのは残念。この春出版された自叙伝のタイトルにあるように『生きざま、死にざま』にこだわる三國さんが惚れ込んだ金太さんの生き様、ぜひ手にとって読んでください。

2005年09月29日(木)  レストランJ→カフェ・プラハ→レストラン・キノシタ
2002年09月29日(日)  『パニックルーム』→餃子スタジアム→出社の長い日曜日


2006年09月26日(火)  マタニティオレンジ11 ひるまないプロデューサーズ

出産前最後の打ち合わせは7月31日の夕方、共同テレビで『快感職人』9話10話(2話完結)の本打ちだった。今日は出産後最初の打ち合わせ。プロデューサーに近所の喫茶店まで足を運んでもらい、ダンナの母に家で子守りをお願いする。この作品(映画)と『快感職人』の脚本のオファーが来たのは妊娠26週(7か月)に入った5月下旬。「実は8月に出産を控えていまして」と告げると、相手は一瞬驚くものの「出産までは書けるんですよね?」と切り返す。映画のプロデューサーは「出産までに初稿を上げてもらい、あとは考えましょう」と気長に構え、『子ぎつねヘレン』の縁で『快感職人』に声をかけてくれた共同テレビのプロデューサーは「大丈夫。それまでに最終話の決定稿できてないと撮影が間に合わないから」と力強く言った。ドタキャンやら突然の変更やた不測の事態には慣れっこのプロデューサー、出産ごときではひるまない。

ちょうどその頃、すでに仕事が動き出しているプロデューサーたちにいつ妊娠を告げようか迷っていた。向こうから「もしかして?」と聞いてくれれば「実は」と打ち明けられるのだが、何も聞かれないのに言い出すタイミングが難しい。今日こそバレるだろうと打ち合わせに臨んでは、また今日もバレなかった、と首を傾げて帰る日々。こんなにおなかが目立ってきたのにまだ気づかないのか、怪しんでいるものの決め手に欠けるのか……。撮影に向けての段取りもあるし、言うなら早いほうがいい。でも、こんなに時間が経ってからじゃ、なんだか隠していたみたいだし、「なぜもっと早く言わなかった」と叱られそう……。

仕事相手の一人、女性プロデューサーに「実は、お伝えしたいことが……何だと思います」と相談すると、「会社員に戻るんですか?」「どこかの映画会社に入社?」などとなかなか正解にたどりつかない。「出産」を告げると、驚かれたが、「そりゃあ言ったほうがいいです」と背中を押され、数日後、他のプロデューサーたちにも発表。「そんな気がしてたんだよ」「そりゃあおめでとう」と反応はまちまちだったが、「そりゃあ困る」という人はいなかった。

会社員の友人たちからは、上司に「欲張るね」「ゼイタクだね」などとイヤミを言われたり、「(仕事と子育てと)どっち取るの?」と選択を迫られたりした話を聞いていた(少子化の原因のひとつは、こういう発言にあると思う)ので、きつい言葉も覚悟していたのだが、拍子抜けするほどおおらかに受け入れられた。脚本家も相手のある仕事ではあるけれど、会社勤めよりはずっと融通が利く。1か〇かではなく、1をいったん0.3に落として徐々に上げていくことができる。大きな組織でもこのようなペース配分が可能になれば、産むことへの抵抗はやわらぐかもしれない。産前産後の体調を気遣いつつも下手な遠慮はせず、仕事や相談を持ちかけてくれるプロデューサーたち。その距離感が心地よく、ありがたい。

2005年09月26日(月)  『東京タワー』(リリー・フランキー)でオカンを想う
2004年09月26日(日)  新木場車両基地 メトロ大集合!撮影会
2003年09月26日(金)  映画の秋
2002年09月26日(木)  ジャンバラヤ
2001年09月26日(水)  パコダテ人ロケ4 キーワード:涙


2006年09月23日(土)  マタニティオレンジ10 誕生日コレクション

記念日好きでイベント好きなわたしは、誕生日を祝われるのも祝うのも好き。赤ちゃんの一か月は大きくなってからの一年よりも劇的な変化に満ちているので、毎月誕生日を祝うことにした。一日遅れの1/12才誕生会のゲストは、会社員時代の同僚のE君T嬢夫妻と二人の披露宴で意気投合した大阪のフクちゃん。上京したフクちゃんを囲む会にくっつけて、一緒に祝ってもらった。「子育てで料理どころじゃないでしょ」と気遣って、デパ地下で買い込んだ食料をどっさり持って現れた三人。わが家が用意したのはバースデーケーキだけ。以前のように外で人と会うことがままならなくなったので、訪ねてくれる友がいるのはありがたい。

来月は2/12才の誕生会。1才の誕生日には、12個目のバースデーケーキを分け合うことになる。多分たまは覚えていないだろうけれど、大きくなったとき、12個のケーキの写真を見せながら、成長を喜び、祝ってくれた人たちのことを話そうと思う。

2005年09月23日(金)  今日は秋分の日
2001年09月23日(日)  『パコダテ人』ロケ1 キーワード:事件


2006年09月22日(金)  マタニティオレンジ9 赤ちゃんとお母さんは同い年

生後ちょうど一か月の今日、出産した助産院で一か月検診を受けてきた。母子ともに経過は順調。助産院の食事がおいしすぎて入院中に2キロ太ってしまったわたしの体重は、退院時から8キロ減り、一気に妊娠前の体重に。ひたすらおなかがすくので、ごはんも甘いものも手当たり次第食べているのに、こんなにあっさり減量に成功してしまうとは。母乳育児は太らないとはいえ、寝不足のせいもあるのかも。「まだまだ食べてよし!」と助産師さんに太鼓判を押される。食欲の秋、歯止めなく食べて母乳に変換しよう。

広告会社に勤めていた頃、雑誌広告の審査を務める機会があった。長机に広げられた広告を見て回っていたら、「赤ちゃんの一才の誕生日は、お母さんの一才の誕生日でもあります」という内容のコピー(正確な言い回しはうろ覚え)を見つけて思わず涙ぐみ、一票投じてしまった。子どもを産んだだけで母になるのではない、子どもの成長と一緒に母として成長するのだ。当時「なるほど!」と膝を打った言葉の意味を、この一か月、身をもって実感した。驚いたり戸惑ったりしながら、赤ちゃんに教えられる毎日。同じコピーにいま出会っていたら、あの頃の何倍もの涙を飛ばしただろう。

こんなに家にこもった一か月は今までなかった(外出したのは数えるほど)けれど、こんなに感動に満ちた一か月もなかった。まつ毛が少しずつ伸びていくのを確かめ、切ったばかりの爪がもう伸びて腕に食い込むのに驚き、抱きとめる重みが日に日に増していくのを感じ、ただひたすら生きることが仕事の一日を見守りながら、生命の神秘に感心したり、まだ憎しみも怒りも知らない平和な心を羨ましく思ったり。今日9月22日で、たまも一か月、たまの母も一か月。

2005年09月22日(木)  innerchild vol.10『遙<ニライ>』
2003年09月22日(月)  花巻く宮澤賢治の故郷 その3


2006年09月21日(木)  マタニティオレンジ8 赤ちゃん連れて映画に行こう

ママズクラブシアターなるものを知ったのは、『子ぎつねヘレン』公開中のこと。TOHOシネマズが赤ちゃんと一緒に観られる上映回を実施。赤ちゃんが泣いてもお互い様、気がねすることなく映画を楽しめると知り、「出産しても映画を観られる!」とうれしくなった。

出産後の8月26日に封切られた『UDON』は「観たいけれどDVDを待つしかないか」と諦めかけていた作品。本広克行監督と出演のムロツヨシ君から函館映画祭で会ったときに「次はうどん映画なんですよ〜」と聞いて以来楽しみにしていたし、主演は『天使の卵』ヒロインの小西真奈美さん。気になる、気になる〜。で、調べたところ、錦糸町のTOHOシネマズがママズクラブシアターで上映することがわかり、一か月検診一日前だけど思いきって出かけることに。

思ったよりたくさんの子連れママの姿に安心。予告上映時から早速ぐずり出す赤ちゃんたちに、「これならうちの子が泣いても目立たない」とまた安心。と、「これ映画じゃないよ〜テレビだよ〜」と左隣から男の子の声。二歳児ぐらいだろうか。「映画よ。ほらテレビより大きいでしょう」とお母さんが声を落としてなだめるが、騙されたとばかりに男の子はぐずる。「ほら、クマさん」とスクリーンの熊を指差すお母さん。一瞬、男の子の気を引くことに成功。だが、熊が消えると、「つまんな〜い」とまたぐずる。「ほら、おサルさん」とお母さんが指差す先は、主演のユースケ・サンタマリア。それは無理があるのでは……。

赤ちゃんの泣きには一定のリズムがあり、客席のどこかで「ギャー」とソロ泣きがはじまると、唱和するようにあちこちから泣き声が上がり、コーラスになる。低音部ではお母さんたちの必死のなだめ合戦。おもちゃであやしたり、だっこして場内を歩いたり、ミルクをあげたり。うどんなだけにお母さんたちが伸びてしまうのでは……と人の心配をしていたら、うちのたまも「ギャー!」と飛び入り参加。でも、四分の三辺りまでは膝の上ですやすや眠ってくれた。うどんといえばたま(玉)、親しみを感じたのか。

産んでからは赤ちゃんの泣き声が気に障らなくなったが、知って覚悟の上か知らずに紛れ込んだのか、若いカップルや一人で来ている男性はどうだっただろう。中年男性の携帯が鳴ったが、その音も赤ちゃんコーラスの大音量にかき消されるほど。いつもは上映中の電話に目くじら立てるわたしだが、今日は「おあいこ」な気持ちに。

作品はドタバタコメディで押し通すのかと思いきや、浮かれたうどんブームが終わった後を描いた後半は、地に足のついた人情ドラマに。ラストもあったかくてキュート。つるつるっと麺を食べた後に、だしのきいたつゆのうまみがじわじわと来て、つゆを飲み干したら丼の底に心憎いオマケを見つけてにっこり、うどんに例えるとそんな感じ。ムロツヨシをはじめ楠見薫、升毅といった舞台を観てファンになった人たちが多数出演しているのもうれしかった。

実は退院した直後に大阪から来ていた母に子守りを託して映画を観に行ったのだが、途中から「泣いてないだろうか」と気になり、最後には泣き声の幻聴がするようになり、落ち着かなかった。幻聴に惑わされるより目の前で大泣きされるほうが作品に集中できることを発見。映画の後は同じ建物内にあるベビーザらスで買い物。授乳室では粉ミルクの調乳もでき、赤ちゃん用体重計まであって至れり尽くせり。

2003年09月21日(日)  花巻く宮澤賢治の故郷 その2
2002年09月21日(土)  アタックナンバーハーフ


2006年09月12日(火)  マタニティオレンジ7 おなかの赤ちゃんは聞いている

「おなかの赤ちゃんは、もう外の音が聞こえていますよ。だから、いい音を聞かせてあげてくださいね」と母親学級でもマタニティビクス&ヨガのクラスでも言われた。早速、胎教にいいと言われるモーツァルトのCDをどっさり借りてきてiTuneにどんどん取り込んだ。結果的にはモーツァルトはあまり聴かず、「お母さんが好きなものは赤ちゃんも好き」「お母さんが気持ちいいと赤ちゃんも気持ちいい」の法則にのっとり、なじみのある手持ちのCDをよく聴いた。

ヘビールーティーンベスト3は、八ヶ岳山麓に湧き出す水のせせらぎや水滴の音だけで作曲した『水の音楽� 森のプレリュード』(神山純一)。2位は『子ぎつねヘレン』のロケで会った西村由紀江さんにいただいた『しあわせのかたち』。1位はベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団首席オーボエ奏者・渡辺克也さんのアルバム『ニュイ・アムール〜恋の夜』。飲み屋で偶然居合わせた縁(>>>2005年7月7日の日記)で手にしたCDだが、オーボエのやわらかな音色には包み込むような安らぎがあり、なんとも優しい気持ちになれた。この三枚は出産のときのBGMにもなったが、産まれる直前にかけていたのも『ニュイ・アムール』。年季の入った助産院の和室にオーボエの音色が満ちると、生命誕生の瞬間を迎えるにふさわしい神々しい雰囲気になった。先日、たまを抱いているときにかけてみたところ、偶然なのか気のせいなのか、音の鳴るほうに首を伸ばした。その仕草は「あれ、この曲知ってる」とでも言いたげで、やっぱり本当に聴こえていたのかもしれない。

おなかに話しかけるのも胎教にいいと言う。パパやママが話しかける送話部とおなかにあてる受話部が膨らんだ赤ちゃん直通電話みたいなグッズも売られているが、一年前に女の子が生まれたご近所のK夫妻は手作りしてしまった。東急ハンズで買ってきた漏斗とゴムホースを組み合わせ、材料費は約200円。K家ではあまり使う機会がなかったそうだが、おさがりでいただいたわが家では「おはなしギア」と名づけて重宝した。カラオケでマイクを握るとサマになるように、おはなしギアを持つとパパママモードのスイッチが入って、「ママでちゅよ〜。安心して出てきなちゃいね〜」などと照れくさい台詞がすらすら出てくるのだった。

このおはなしギア、出産前にわが家を訪ねた友人が見つけて、「もう使ってるの?」と驚かれた。左右一対の漏斗……搾乳ギアと勘違いしたらしい。

2004年09月12日(日)  黒川芽以ちゃんのTシャツ物語
2003年09月12日(金)  ビーシャビーシャ@赤坂ACTシアター
2002年09月12日(木)  広告マンになるには


2006年09月11日(月)  マタニティオレンジ6 予定日過ぎても踊れます 

女の子だったらと用意していた名前のひとつが「舞子」だった。見つけた人が舞い上がって喜ぶ舞茸のように、あなたが来てくれてすごくうれしいよ、の気持ちを込めて。そして、出産直前まで続けたマタニティビクスでわたしと一緒に踊っていたことにちなんで。

幼い頃にかじった日本舞踊にはじまり、中学時代はジャズダンス、高校時代は器械体操、大学時代はチアリーディング、就職してからはエアロビクス……と何かと踊ってきたのだけど、社会人二年目に仕事が忙しくなってフィットネスクラブを辞めてからは、踊ることからも体を動かすことからも遠ざかっていた。フリーになって時間を融通しやすくなったので、そろそろ何かスポーツをと思っていた矢先での妊娠。「これを機に、マタニティビクス!」と思いついたのは自然な流れだった。

週2回のマタニティビクスと週1回のマタニティヨガをやっているスクールをネットで見つけ、妊娠16週になった3月の中旬から通い始めた。おかげで運動不足は解消できたし、安産のための体づくりと心構えもできたし、励ましあう仲間もできた。出産という決戦に向けてトレーニングに励む同志というノリで、互いの安産を祈りあい、喜びあい、産んだ後は「そっちはどう?」と情報交換しあっている。

収穫だったのは、毎回のレッスンの前に行われる問診。「○○さん。○週目ですね。変わったところはありませんか」とインストラクターが問いかけ、生徒が「ソケイ部(=足の付け根)が痛いです」「寝不足です」「便秘です」などと訴えると、インストラクターが自らの経験を踏まえてアドバイスする。「20週になると、こんなトラブルがあるのか」と数週間先、数か月先の自分のシミュレーションすることができたし、「足が攣ったら、つま先を体側に倒せばいいのか」「背筋痛には猫のポーズが効くのか」とフムフム聞いていたことが、後で同じトラブルに見舞われたときに役立った。

マタニティビクス初日に驚いたのは、妊娠32週は「いちばん体を動かせる時期」であり、臨月(36週以降)になってもレッスンを受けられること。「ズンズンと振動を与えると陣痛が来やすい」とかで、予定日を過ぎた人も来ていた。おなかが大きくなると安静にしていなくてはいけないものだと思っていたわたしは、「産むぎりぎりまで動き回れるんだ!」と目の前が明るくなった。週数が経つにつれ体は重くなったけど、レッスンのたびに動きも気持ちも軽くなっていった。そして、予定日の翌日、61回目のレッスンを受けた8時間後に陣痛を迎えた。

統計的に20回以上レッスンを受けた人には安産傾向が顕著に見られるらしく、わたしもお産はラク(もちろん産んでる最中は必死だけど)だった。でも、ビクス&ヨガが威力を発揮するのは、出産よりも産後。体調の戻りは驚くほど早いし、体力勝負の育児にもへこたれない。年齢的には「高齢出産」だったけど、この半年間で体力年齢は若返った気がする。

2005年09月11日(日)  ZAKUROの2階のZAM ZAM
2004年09月11日(土)  感動の涙が止まらない映画『虹をつかむステージ』
2003年09月11日(木)  9.11に『戦場のピアニスト』を観る

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