NM Syndrome DiaryINDEX|past|will
5年。 もう5年、まだ5年。 でもこれを私達が区切りと言ってはいけない気がする。 それを言っていいのは被災した人たちだけだ。 区切りとして前に進むために。 私達は5年だろうが20年だろうが、被災地が新しい生活を歩みだせるまでただただ忘れないでいよう。 あの日のことは案外覚えていないことも多いが些細なことは鮮明に覚えていたりする。 もうすぐ3時だからコーヒーが飲めるなと思ったこととか、足の踏み場もないくらいものが散乱し天井が落ちてる職場で余震が凄くてコートを取りにすら戻れなかったとか。 小さなワンセグに映る津波の様子をみんなで覗きながら、これは何の映像だろうと思ったこととか。 知らない人同士で声を掛け合い情報を持ち寄ったり、スーパーに並んだり。 そうしたらようやく配達された新聞で福島原発のことを知ってなんだこれは、と思ったこととか。 どこか非現実的で出来の悪いSF映画みたいだった。 何日か後にはこの辺りはもうだめだという噂が立ち挙句は東北はもう終わりだという人もいたっけ。 考え始めると次から次へと記憶が戻ってくる。 でもそれはどこか遠い世界の感覚で、無理に言葉にするならば白昼夢に近いかもしれない。 直接被害のなかったこのあたりでもこんな感覚なのだから被災地の記憶はどれほどのものか。 知らなければ始まらない。 知って何ができるかではなく、知ることから始めなければ、なのだと思う。 その後は一人一人が考えること。 今夜の金スマもまた知ることの大切さを教えてくれた。 翔子ちゃんの書はいつも力をくれるね。 まっすぐで力強い。 「久遠」 台湾だけでなく世界中がそうなればいいのだけれども、まずは一つづつ。 一日中震災関連の番組をしていたけれども来年はどうなのかな、と意地悪なことを考えるのは今日はやめておこう。 今日は祈りと自分ができることを改めて考える日。
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