hikachi's Diary
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2006年05月22日(月) 寂しいな、とつぶやいてみた

2泊したのち、夫はまた旅立っていきました。
次に帰るのは2週間以上後だそうです。

例によって、あちこち散らかしたまま出かけていったので
わけのわからん夫の書類その他は
まとめて袋に詰めて押し入れに放り込みました。
ふう、これですっきり♪


さて、ひか太は金・土と修学旅行に出かけます。
・・ということは、金曜の夜はひとりぼっちです。。。くすん。

帰宅途中、ひか太にそう言ってみました。そしたら
「もー、そういうこと言うと、行きたくなくなっちゃうよ〜」

あらららら? それはもしかして、
おかーさんが寂しそうでかわいそうだから?
やさしいのねえ。

そのやさしさを、ちょっとばかり
おとーさんにも分けてやってくださいな(笑)

ひか太が気にするといけないので、
金曜の夜はあこがれの「岩盤浴」にでもいこうかな♪
職場の近くに、女性専用の施設ができたんですよ。

でも金欠なのよね。。。


『ハレルヤ。主はまことにいつくしみ深い。
 主の御名にほめ歌を歌え。』
(詩篇135篇3節)


同日の過去の日記

2004年05月22日(土) 元気な週末
2003年05月22日(木) うっかり母 その2
2002年05月22日(水) 魚の骨事件
2001年05月22日(火) 会社生活いろいろ。


2006年05月21日(日) 団欒

珍しく旦那が一日自宅にいました。
(しかし、パソコンで楽譜の打ち込みしたり、
 演奏会の準備で忙しそうです)

私とひか太はいつも通り教会に行きました。
天気がいいので、出かける前に洗濯機を2回まわして
干しまくって出かけました。久々にカラっと乾きました。

午後はトモちゃんのピアノ・レッスンがあったので
早めに帰って、家を片付けました。
何しろ、今週は目一杯寝込んでいたせいで
家が大変なことになってましたからね。

レッスン後、ひか太の修学旅行用の
下着などを買いに行きました。
今度の金・土が修学旅行です。(栃木県日光方面)
いいなあ、楽しそう。


夜は珍しく親子三人での食卓となりました。
何ヶ月ぶりでしょうか。

母が東武デパートのマグロ解体セールでトロを
入手したというので、おこぼれにあずかり、鉄火丼にしました。
そのトロをいただきに実家に寄ったら、
大根とじゃこの炒め煮を作っていたので
それもいただいてきました・・・親ってありがたすぎる。

夫がノートパソコンに鍵盤を接続して打ち込み作業をしており
ダイニングの食卓を占拠していたので、
和室にお膳を出して食事をとりました。

和室のほうはテレビもないので、
食事をしながら親子の会話もできました。
そして、夏休みの最後の週に、夫がひか太を
山登りに連れていってくれることになりました。

よかったです。

明日からまた仕事、がんばり過ぎない程度にがんばります。
(加減が難しい・・・)


『わたしは、モーセとともにいたように、
 あなたとともにいよう。』
(ヨシュア記1章5節より)

いつも共にいてくださる神様に感謝します。


同日の過去の日記

2005年05月21日(土) お疲れさま会
2003年05月21日(水) 健康診断結果
2002年05月21日(火) 本日、有休
2001年05月21日(月) 交通安全教室。


2006年05月20日(土) ベートーベン ピアノ ソナタ

まだ少しお腹の調子が悪いので、
本日はバレエのレッスンはお休みしました。

午前中に奏楽の準備をしたのですが
ちょっと浮気して、ベートーベンソナタを弾いてみました。

・・というのも、先日NHKの朝ドラのワンシーンで、
主人公の桜子が入試でソナタの5番を弾いていたのです。
思わず「うわ。なつかしー・・」と思って、弾いてみたくなりました。

この曲は高校2年のとき発表会で弾いた記憶があります。
あの頃はド下手だったんですけどね、、、

当時のド下手さを証明しているのは譜面です。
今なら譜面を見ただけで絶対自然にそう弾くだろう・・
と思われる、超・当たり前のフレージングに、濃い赤印がついています。
先生の怒りが伝わってきそうな筆跡です(爆)

その書き込みの多い譜面を開いて、
改めて弾いてみると、ベートベンはなかなか新鮮でした。

この曲はハ短調ですが、この調は短調の中でも一番重々しい暗い調です。
主和音(ド♭ミソ)を鳴らしただけで
 「あ〜めがふ〜ります あ〜めがふる〜
  あ〜そびにゆきた〜し か〜さは な〜し〜」
・・・と歌いたくなるほどゆううつな気分になれる調です。
(そんな人は私だけかも知れないが)

一楽章は典型的なソナタ形式です。

第一主題は主調に沿って、思いっきり重くて暗く始まります。

ところが第二主題の動機は長調に転調して、妙に明るくなります。
しかも急に長い音符でスローに。
まるで地獄の中で光を見い出したような雰囲気です。

しかしその和音進行は、のらりくらりとした動きを見せて
なやましく動き、なかなかTonic(主和音)に着地しません。
光が見えた気がしたんだけど、今にも消えてしまいそう・・
といった感じでしょうか。

そしてそのまま不安げな美しいメロディーを経て
突然明確な平行変ホ長調の主要三和音へ移行。

次に新たに激しい思いが募ってきて、本来のハ短調に戻り、
第一主題の変型が登場、コーダを経て提示部が終わります。

ハイドン・ヘンデル・モーツァルトなどが活躍していた時代に
このような「ぶこつ」でしかも「女々しい」音楽を作っいてたなんて
ベートーベンさんって、すごいです。(5番は若かりし日の作)

すみません、思わずマニアな世界に突入してしまいました(^^;
楽曲を文字で表現する技量に限界を感じて、このへんにしておきます。


学生時代は曲の形式など、一般知識として学んだものの
「ふ〜ん、そうなんだ・・」と右から左に抜けており
ひたすら指ばかりを動かす練習をしておりましたが、
今になって改めて曲を見直してみると、いろんな発見があります。

こういうことは、恐らく演奏を聴くだけの人には
わからない世界じゃないかと、改めて思いました。

だって、聴くマニアは完成されたプロの演奏しか聴きませんよね。
「この和音おもしろいな。」と部分的に取り出して弾き直してみたり、
いろんな響かせ方をして遊んだりすることは、
弾く人だけが堪能できる世界です。

現在のなまりまくった私の指では、こういう本格的な
クラッシックの演奏をよそさまにお聞かせすることはできないけど、
一人でこうやって、偉大な作曲家の足跡を楽しむことができます。

ピアノを演奏する意義とは、
このようなところにもあるのではないでしょうか。
(これが本日の結論・・・一応日記だから結論はいらないかな?)

しかしこういうことを言うと、うちの夫には
「練習してなくて弾けないからって、
くどい言い訳してんじゃねーよ。」とか言われそう(ーー;


夕方からは母親と一緒に、K−バレエカンパニーの
「ジゼル」を観にいってきました。
日記が長くなってしまうので、こちらのほうは
あらためてパレエのコンテンツのほうに書き込みすることにします。



『もし、私が罪ある者とされるのなら、
 ああ、悲しいことです。
 私は、正しくても、
 私の頭をもたげることはできません。
 自分の恥に飽き飽きし、
 私の悩みを見ていますから。』

(ヨブ記10章15節)


同日の過去の日記

2004年05月20日(木) 人間らしく働く
2003年05月20日(火) うっかり母 その1
2001年05月20日(日) 日曜礼拝


2006年05月19日(金) 3日半ぶりの出勤

体調もなんとか持ち直し、ようやく出勤できました。

これだけ休むと、浦島太郎状態で、
メールを整理するのも大変だし、
現状を把握するのもとっても大変でした。

本日の業務中、留守を守ってくれていた相棒さんが、
「○○の作業するので、チェックしてもらえますか」
と依頼してきたので、
「これ、私休んでたときどうしてたの・・・?」
と聞いてみました。すると
「いえ、運良くこの作業は必要なかったんです」とのこと。

おー。素晴らしい。
3日半も休んでしまって、相棒の彼女は
本当に大変だったと思うのですが、
本格的に困ることは発生していなかったんですねえ。

そしてもうひとつ、今日は業務上の危ういミスを
私が発見して、修正してことなきを得たのですが、
これは熟練していなければ気付かないミスだったので
もし今日私が出社していなければ、誰も気付かずに
大変なことになるところでした。。。

どうやら、休んだタイミングと、
復帰したタイミングが絶妙だったようです。

神様はやはり、耐えられない試練は与えられないのです。
ものすごく迷惑をかけましたが、なんとか乗り越えられました。

今後は健康管理に留意します。。。
神様、この者が調子に乗って無理しないよう、
どうぞお守り下さい。


『彼は、おのおのその能力に応じて、
 ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、
 もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。』

(マタイの福音書25章15節)

与えられたタラントを活かして、
主に仕えることができますように。


同日の過去の日記

2004年05月19日(水) 健診
2003年05月19日(月) 朝の祈り
2002年05月19日(日) 法事
2001年05月19日(土) 保育園の父母会活動


2006年05月18日(木) 自宅で静養 その2

(この日記は 05/15 から内容が続いています)
今朝は、少しすっきりと目が醒めました。

あ、やっと少し回復したかな、と思いました。

昨日作った味噌汁を暖めて、冷やご飯を暖めて、
ひか太の朝食、残りのごはんで自分のおかゆを作りました。
前日よりは楽に動けます。

しかし昨夜あれだけ痛みがあったことを考えると
まだ出勤はしないほうがよさそうです。
(無理してまた救急車呼ばれたらたまりません(^^;)

ひか太を送りだした後、職場に電話して
もう一日休むことを告げました。
一緒に仕事をしている同僚が心配なのですが・・・
ごめんなさ〜い。。。

洗濯物が山盛りになってしまい、
ひか太の着る物も底をついてきたので
とりあえず洗濯機を回しました。

洗濯以外は午前中は布団の中で雑誌や漫画を読んでいたのですが
(古き良きゴマちゃんの漫画・・・笑)
はっと気付けば、頭痛もおさまっているではありませんか。

よしよし・・・回復してきたな。

お昼はまたうどんを作って食べました。
吐き気止めはもう必要ないと思い、今回からやめました。

午後もだらだらと布団に潜っていました。
軽い腹部の重さはありますが、吐き気はありません。

夕飯はまた実家でいただきましたが、
おかゆの他に、豆腐のステーキと白身の刺身を食べてみました。

特に問題なければ、明日は出勤するつもりです。。。
このまま治ってくれるとよいのですが。

(一旦病気になると、治るまで人様の3倍かかる私です)


同日の過去の日記

2005年05月18日(水) 衣装返却
2004年05月18日(火) いろいろあるね。。。
2003年05月18日(日) 教会の一日。
2002年05月18日(土) 転職志願
2001年05月18日(金) 子供の成長。


2006年05月17日(水) 自宅で静養 その1

・・・というわけで(おととい+昨日の日記参照)
何とか自宅に帰ってきましたが、
まったくもって病状はかんばしくありません。

朝起きた時、時間的に薬が切れていたのでしょうが、
かなり胸焼けがして吐きそうでした。

一番に吐き気止め(食前の処方)を飲んで、
それから米を炊いて、ひか太のために朝食の仕度。
(味噌汁の臭いで吐きそうでしたが、母は強し。。。)

朝食後、腹痛があり、便はかなりの下痢でした。
つまり、全然治ってないのです。頭痛もあるし。。。

昼食はうどんを食べました。
食べられないことはないのですが、
かなりムカムカして、無理して食べている感じです。

夕方、近所の診療所に行きました。

この診療所は木曜日が休診なので、
明日薬が切れる前に行ったほうがいいと判断したからです。

診療所で月曜にもらった薬を見てもらいましたが、
薬は吐き気止めと抗生剤と整腸剤だったので、
抗生剤はやめて、胃腸薬を追加したほうがいいと言われました。

帰りにスーパーでトイレットペーパーとうどんを買って、
そのまま実家に行きました。

私はおかゆしか食べられないのですが、
ひか太には母が夕飯を食べさせてくれました。

夜になって、また腹部(たぶん腸)が痛みだしました。
激痛ではないのですが、睡眠が足りているせいもあり、
痛みでなかなか寝つけません。

このテの痛みは何度か経験があります。

一度は中学生のとき、大腸カタルをやったとき。
そして、産後の後陣痛(笑)
 ※私は胎内に胎盤が残ってしまったので、
  初産のくせにやたら後陣痛が強かった。

それと、ひか太の年中の保育園の運動会前夜、
同じような胃腸炎で救急病院に行ったとき・・・。

しかし、この夜中に父親を起こして病院に連れていかせるのも何だし、
一応簡単な検査で、大きな病気はなさそう、と診断されているし、
痛み自体はそれほどひどくないし・・判断に迷いました。

そこで頭痛薬として痛み止めを処方されていたことを思い出し、
飲んで寝ることにしました。

正解でした。(翌日の日記に続く)


同日の過去の日記

2005年05月17日(火) 後遺症
2004年05月17日(月) 体調不調
2002年05月17日(金) 通勤途中に感じたこと。
2001年05月17日(木) キリスト教書店


2006年05月16日(火) 実家で静養

実家に宿泊してしまったので、
かわいそうなひか太くんは、実家からの登校となりました。

幸い、位置的には実家と学校の中間に我が家があります(^^;

朝、早めに実家を出て、一度自宅に寄り、
ランドセルの中身を時間割りに合わせて詰め替えて
登校していただきました。ゴメンナサイ。

低学年だったら、いくら体調が悪くても
こんなかわいそうなことはできなかったけど
今は大きくなったのでとても楽です。(ありがたい)

私は眠っていたわけではないけど
とりあえず一日中布団に潜っていました。

仕事のほうも多少心配はあったのですが、
何とか最低限の引き継ぎが終わっていて、
数日なら休める体制になっていたので、
タイミングとしてはよかったです。

あと2週間前だったら、休んだら大変なことになっていたでしょう。。。
病気の中にも神様の采配を感じました。

しかし、病状はかんばしくありません。

とにかく頭痛がおさまりません。
吐き気と下痢は薬で抑えているかんじでしょうか。
しんどくて、動けません。

朝はおかゆ、昼はうどん、
夜はおかゆと湯豆腐で、小さな一切れだけ鱈を食べました。

2日も実家に泊まっては、ひか太がかわいそうなので
とりあえず夜は自宅に帰宅しました。

電車に乗って職場に出る元気は、まだないようです。
(途中で倒れそう・・・)


同日の過去の日記

2004年05月16日(日) 信仰の基
2003年05月16日(金) 特別招待バーゲン
2002年05月16日(木) くまさん
2001年05月16日(水) プリンターの設定


2006年05月15日(月) 急性胃腸炎

土曜の午後くらいからずっと軽い頭痛があったのですが
季節の変わり目など、割によくあることなので
特に気にしていませんでした。頭痛は肩凝りからもきますしね。

朝から引き続き軽い頭痛はしていたのですが、
通勤途中から悪化、午前の仕事中、かなりガンガンしてきました。

また、朝食は通常通り、ワカメと玉葱の味噌汁と
こんぶのつくだ煮のおにぎり(その日の朝炊いたご飯)でしたが、
なぜか10時半くらいから妙に空腹感があり、
おかしいと思ってはいたのです。
(後から思えば、これは前兆の胃痛だった)

とにかく頭痛はしんどいので、昼食後に鎮痛剤を飲もうと思い、
職場の置き薬をいただいて、コンビニのとろろ蕎麦を食べていました。

その、食べている最中から急に胸焼けがしはじめました。

トイレに駆け込み、嘔吐。
同時に激しい下痢の症状にも見舞われました。

これがかなり激しくて、ちょっとやそっとじゃおさまりません。

昼休みが終わってもおさまらず、
一番トイレに近い会議室を拝借して椅子に横になっていましたが、
何度もトイレに駆け込みました。

1時間半以上経って、胃の中が空になっても
全く治まる見込みがありません。

このままでは帰るに帰れないし、困ったな、と思っていると
課長(女性)がやってきて
「病院にいったほうがいいよ、ついて行くから・・」
と言ってくれました。
幸い、健康保険証も手元にあったので、
甘えることにして、タクシーを呼ふことになったのですが
そこでまた吐き気がしてトイレに。
「そんな調子だとタクシーきついよね。救急車呼んじゃおうか」
と課長が総務課にいって、さっさと手配してきてくれたので、
大したことないのに大袈裟なことになってしまった・・とは思いつつ
ご厚意に甘えることにしてしまいました。

歩けないことはなかったのですが、
実際自力で電車で帰宅するのは困難な状態でしたし、
いつまでも職場の会議室に陣取っているわけにもいきません。
普段から乗り物酔いする私は、荒っぽい運転のタクシーはかなり苦手です。
やむを得ないかな・・と観念しました。

普段使用しているエレベーターでは
救急用のストレッチャーが入らないので、
同フロアの隣の会社を通行して
荷物用業務エレベーターで運ばれました。。。

つきそいの課長、直属の部長ばかりか
社長にまで心配そうに見送っていただきました(^^;
かなり恥ずかしい。。。
(しかし、いい会社ですよね。ありがたい・・)

その後、中規模の民間病院に搬送されました。
レントゲンと血液検査をしてもらいましたが、
特に大きな病気と思われる異常はありませんでした。
「今日点滴をして、薬を飲んで自宅で様子を見ますか?
 それとも2〜3日入院しますか?」と聞かれたのですが
もちろん「今日点滴してもらって帰ります・・」と答えました。

実際、救急車は大袈裟だと思っていたので、
「まったく、こんな軽症でいちいち救急で来るなよな・・」
という冷たい対応をされるかと思っていたのですが、
今回の病院はとても親切で良心的な対応をしてくれました。

(過去に2〜3度、冷たい対応をされた経験があります。
 1度は個人診療所から救急で病院に搬送されたとき、
 1度は夜間に父の車で病院に行ったとき、
 更に1度は、流感で3週間熱が下がらなかったので
 血液検査等をしてもらって、後日結果を聞きに行ったとき
 医者に鼻で笑われました。。。全くひどい対応でした。
 大きな病院ほど重症の患者が多いのでそういう対応になります)

忙しい中、点滴が終わるまで付き添ってくれた課長は
タクシーで病院からの最寄り駅まで送ってくれた上、
「ちょうど終業時刻だから、○○さんに送ってもらうことにしたから」
と、私の近所に住む同僚に連絡をしてくれて、
そこから自宅近くまでは、その同僚が送ってくれたのでした。

ありがたくて涙が出ます(;_;)

そのままその日は、母子ともども実家に泊めてもらうことにしました。
点滴のお蔭か、吐き気と下痢はおさまっていましたが、
頭痛はおさまりません。

鎮痛剤もいただいたのですが、眠れないほどではなかったので
飲まずにひたすら眠ることにしました。

夕飯はおかゆを少しいただきました。

結局のところ、原因は不明なのですが、
4月の仕事があまりにもハードで
早出+残業続きだったので、疲れが出たのではないかと思います。

最近元気だったので油断していましたが、
もともと体力がなく病弱だった私。。。

やはり、キャリアウーマンにはなれそうもありません(^^;


同日の過去の日記

2005年05月15日(日) 待望の発表会♪
2004年05月15日(土) お疲れ土曜日
2001年05月15日(火) 今日はすごく平凡でした。


2006年05月14日(日) ほやほや

生後1ヶ月の赤ちゃんが教会に来ました。女の子です。

ほやほや・・・という感じでした。
かわいいので長い間抱っこさせてもらいました。

寝顔を見ているだけで癒される・・・。

というか、男の子しか育ててない私からすると
女の子ってこんなに頼りなくて
ふわふわしてるんだな・・という感じでした。

オトコは生後間もない赤ん坊でも、
けっこう骨格がしっかりしています。
ひか太なんか2550グラムで生まれたおチビだったけど
(彼は生まれたときから小さいのだ・・・)
うつ伏せに寝せると反り返って泣いてたもんなー。


教会では「父母の日」で、
子供たちにメッセージカードを書いてもらいました。

高学年男子はクソ生意気で
「えー、なんでそんなことしなきゃなんないのー」とか
ぶつくさぶつくさぶつくさぶつくさ・・・ホント可愛くないっ!

礼拝前の机・椅子並べのお手伝いも嫌がるし
なんだかだんだん、言うことを聞かなくなります。
大人からの問いかけにもいちいち突っかかるし。

今からこんなんじゃ、これから思春期に
突入するってのに思いやられる・・・

なんて少々うんざりしながら帰って来たのですが
家では毎日お風呂掃除を文句一つ言わずにしてくれているし
私が横になって雑誌を読んでいたらなにげなくすり寄ってきます。
2人でいると、不思議なほど穏やかでまったりした時間が流れるのです。

子どもなりに外の顔と内の顔は違うということに気付きました。

そういえば、この子は幼児期は全く逆に
私と2人きりの時だけ別人のようにぐずる子だったっけ。

「素直に従う」ことに抵抗のある年頃の彼ら。
友だち同士の中で見せる顔と、家庭で見せる顔が
違っているのも当然ですよね。。。

一見反抗的なようでも、彼は本質的には
真面目で思いやりのある子だと信じて、
あまり物事を強制せず、おおらかに見守る
賢い母親でありたいと思います。

夫といい、息子といい、身勝手でプライドの高い男どもと
付き合っていくのは、本当、大変です。

これは背後で死ぬほど祈らないと不可能とみた。。。


同日の過去の日記

2004年05月14日(金) こんな日もあります。
2003年05月14日(水) ノー残業DAY
2002年05月14日(火) 新聞を読んで
2001年05月14日(月) またまた仕事のお話。


2006年05月13日(土) スリランカに

夫がスリランカに行ってきたらしい。(本日帰宅した)

何でも、「余っている楽器を送ってください」という
新聞記事が出て、その関係でボランティアで出かけたようです。

こちらが黙っていると何も話さない旦那さんなので
「スリランカどうだったの」と聞いてみました。

そしたら彼にしては珍しく饒舌に
「あまり喜ばれなかった」ことを語ってくれました。

夫は弦楽器制作の職人さんに同行したのですが、
現地に送られた楽器を見せてもらったところ
バイオリンは弦がなかったり、軸が折れていたり、
どうやっても使用に耐えない「ゴミ楽器」ばかりだったそうです。
それで、現地の学校の職員なども憤慨しており
夫たちの一行が着いた時も「また来やがった」という感じで
心象がよくなかったそうです。

「それは残念だったね」と言うと、
それでも現地でたまたま楽器を持った小学生の集団に出会って
コンクールのようなものがあるので練習している、とのことで
その子供たちの前で夫たちが演奏してやったりして
よい交流のときを持つことができたとのことでした。

話はそんな感じで終わったのですが、
その後、洗濯物を片付けにひか太の部屋に行くと
布団に潜ってゲームボーイで遊んでいたひか太は
「・・今の話聞いていたよ。あまり喜ばれなかったんだってねー」
なんて言っていました。

父親がいると敬遠して自分の部屋にこもるひか太くん、
それでもしっかり大人の話は聞いているんですよねえ。

夫がオランダに行っていた4年間、及びそれ以降ずっと、
我が家の父子の溝は埋まっていないように思います。
これから思春期に入るので気を揉んでいる私ですが、
やはり掛け橋になるのは私しかいないんですよね、、、

私は個人的には夫の世界にあまり介入したくないんですが(笑)

これからも、夫の話は積極的に引き出さないといけないと思いました。
(引き出さないと絶対自分からは話さないもんなー)

それがたとえ自分に興味がない話しであっても、、、
聞くより話すほうが好きな私には苦痛ですが
苦痛以上の祝福があることを信じて努めなければ。

聖霊なる神様の助けがたくさん必要です。


同日の過去の日記

2004年05月13日(木) 少しだけ落ち着きました
2002年05月13日(月) ひか太の信仰
2001年05月13日(日) 母の日チャリティーコンサート


2006年05月06日(土) 結婚式に行ってきました

教会の結婚式に行ってきました。
3月まで私たちの教会で牧師の任をとられていた方の結婚式です。

私たちの教会は小さな伝道所なので、
式は大きな会堂のある親教会です。
片道1時間半以上かけてひか太と2人で出かけました。

何度かいったことがあるのですが、道順が不安だったので
事前にパソコンで調べて地図をプリントアウト。
しかし、地図を家に置き忘れたおばかな私(^^;

案の定、道に迷ってしまいました。
たくさん歩いてしまいました。
次回はちゃんと行ける・・・はずです。

何はともあれ、教会の結婚式はいいです。恵まれます。
(私は結婚当初はノンクリスチャン)

40代後半のカップルですが、
初々しくてお幸せそうでした。

私は1曲だけ、歌の伴奏でピアノを弾きました。
まあ、今回の曲は伴奏が易しかったので、楽しく演奏できました。
後でひか太に「どうだった?」と聞いたら
「歌の人はすごく緊張してたよ」と言っていました。

音大では落ちこぼれだった私ですが
夫が音楽家のせいと、教会で用いられることが多いせいで
普通の人より場数だけは踏んでいると思います。
ピアノで神様に用いられることは本当に嬉しいことです。

よい経験でしたが、かなり疲れました。

そして夜8時頃に、翌日の奏楽のことを思い出し
慌ててふたたびピアノに向かう私なのでした。


同日の過去の日記

2004年05月06日(木) 連休明け
2003年05月06日(火) 人事異動
2001年05月06日(日) 日曜礼拝(西船)


2006年05月05日(金) 家でのんびり

家でのんびりしていました。

ちょっとカーテン洗ったり、冷蔵庫掃除したりしましたが
基本的には「まったり」していました。
久々にひか太とピクミン2の2Pバトルをしたりしました。

午後はトモちゃんのピアノレッスンもありました。

夜ご飯は、蟹(缶詰使用)の炊き込みご飯と
ゆで玉子と豚の角煮、大根の梅肉あえ、味噌汁。
2人で食べるには多すぎる量だったのですが、
旦那が帰宅したので消化できました。

・・っていうか、旦那が帰って来る日だったことを
すっかり忘れていた私(^^;いけませんねえ。
食事を多めに作っておいてよかった。


同日の過去の日記

2004年05月05日(水) 体験レッスン
2003年05月05日(月) ハイキング
2001年05月05日(土) 帰宅。


2006年05月04日(木) 天気もいいので

天気もいいので、市川動植物公園に行ってきました。

6年生にもなって動物園かい・・と思うけど
ひか太は「ふれあい広場」で
ひよこをてのひらに乗せて和むのが好きなのです。

電車で3駅+バス少々なので、まあ近場ですし
私は運転できない母なので、公共交通機関で
無理なくお出かけできるスポットとしては手ごろです。

1時間くらいひよこと遊んで
鳥類のゲージに入ってフラミンゴと鴨を観察し
食堂で昼食を食べて、更に1時間くらい
ひよこと遊んで、帰途につきました。
まあ、適度な混み具合でのんびり過ごせたのでよかったです。

夜ご飯は餃子を作りました。


同日の過去の日記

2004年05月04日(火) 掃除しまくりの一日
2003年05月04日(日) 体調不良
2001年05月04日(金) 国営越後丘陵公園


2006年05月03日(水) 出かけようかと思ったけど

5連休初日、出かけようかと思ったけど
ひか太が「お腹が痛い」と言うのでやめました。
大したことはないけど、下痢ぎみのもよう。

夫もいないし、母子でべったり、休日を満喫しました。

午後は二人で美容院に行きました。

夕飯は、鰆のみりん焼きとお味噌汁とごはんと
冷ややっことほうれん草のおひたしでした。


同日の過去の日記

2004年05月03日(月) 房総ハイキング
2001年05月03日(木) 山登り


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