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2013年10月17日(木)
『唐版 滝の白糸』

『唐版 滝の白糸』@シアターコクーン

はあ〜、こういう一瞬が観たくて芝居通いをしてるんだなあと言う光景。入場とともに朝倉摂さんの美術にシビれ、客席から現れた迷子のこどものようなアリダの佇まいにシビれ、血のりに滑るアリダにシビれ、血まみれで叫ぶアリダにシビれ。銀メガネの声のトーンにシビれ、お甲の登場シーンにシビれ。今では「不謹慎」とか「意味がわからない」なんて言葉で隠蔽されてしまうような、甘美な毒を孕んだ優しい登場人物たち。それが今、渋谷の真ん中に存在している愛おしさ。

冒頭40分はアリダと銀メガネの淡々とした会話が続くので、蜷川さんお得意の「ツカミ」を使えない戯曲です。その緊張の持続にまたゾクゾクする。詩的で、会話の内容もあちらからこちらへと頻繁に位相が飛ぶので、そのパズルのような言葉たちを頭で組み立て乍ら観ていく。観客の緊張感もビシビシ感じる、気持ちのよい静かな劇場。羊水屋の挙動、それを受けて笑顔を見せるアリダのやりとりはアドリブもあるのだろうか。そう思わせられる程に、窪田くんの笑顔は屈託がない。アリダとその弟(ゴロウ)、ふたりを表裏一体で演じる彼と大空さん演じるお甲、そして銀メガネの平さんはフラットに時間を行き来する。同じトーンの言葉のまま銀メガネはちいさなアリダを誘拐し金をタカリ、その表情と地続きでお甲はアリダの兄と抱き合う。アリダと言う、姓か名か曖昧なこの呼び名は兄弟の区別をも曖昧にする。窪田くんはアリダの兄と弟の記憶―お甲への恋情、銀メガネの性愛―を全身で受け止める。

「虹の彼方に(Somewhere Over The Rainbow)」のメロディ、虹色に塗ろうとしても一色足りない六本指の爪。店を出すんだ!と言う台詞の切実さ、白雪姫と言う連想、売血に出掛けようとする小人たち、彼らの伸びる影法師。この美しさとせつなさに整合性などいるものか。唐さんが紡ぐ情景の欠片を蜷川さんが視覚化する、それを拾い集める至福と言ったら!視覚化と言えば観客の視線を誘導する手腕も毎度乍らお見事で、お甲の登場シーンなんかまんまと上手のカラスに注意を惹かれ、気付いたらお甲がバーン!と下手のタンスの上に立ってましたからね…またヤラれた!と思いましたよ。毎回素直に誘導される自分がもはやかわいいそう。ついこないだも同じような手法を『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』でやられたばっかりだったのにー!好き!

そして「ワルキューレの騎行」の鉄板っぷり…この曲かかるだけでもう持ってかれますよ。クレーン使いはこれでも『王女メディア』でも何度も観ているものだけど、えっクレーン!?て言うポカーンっぷりも含めたあのカオスが大好き!条件反射で泣く。直に身体に訴えられるこの感じがたまらないのです。愛してるわ!

ところで小人プロレス、ウチの地元には昔よく来ていた。70〜80年代。確かに女子プロレスとセットだった。現在この辺りの状況ってどんな感じなのだろう。時代か、東京と言う場所に住んでいるからか、今は巡業と言うものに実感が湧かない。『不道徳教室』では街にいる傷病兵のことを思い出したが、今のこどもたちは見たこともないだろう。このある種のノスタルジーが、実感としてある世代はどこ迄なのだろう。

カーテンコールに現れた大空さんは小柄で、かわいらしく見えた。役者が役を離れた瞬間を見たようで、ハッとした。