初日 最新 目次 MAIL HOME


I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
kai
MAIL
HOME

2014年06月28日(土)
『グランド・ブダペスト・ホテル』

『グランド・ブダペスト・ホテル』@角川シネマ新宿 シネマ1

で、翌日観に行ったこの作品も、戦争や政情に文化が巻き込まれ、押しつぶされると言う話であった。せつない。『爆烈野球団!』では野球団の練習グラウンドが日本軍駐屯地になっていたが、東欧の架空の国ズブロフカ共和国で栄華を誇ったグランド・ブダペスト・ホテルは、ファシストの兵舎として利用されることになってしまう。

幾層にもなった物語です。語り手は神経衰弱に陥った作家。静養にとグランド・ブダペスト・ホテルを訪れた彼は、かつてそのホテルでロビーボーイを務めていた富豪の回想を聞く。彼の師匠であり父親代わりでもあった伝説のコンシェルジュ、彼らが巻き込まれた事件、恋の顛末。奇想天外、そして続く孤独な人生。回想される時代は30年代、それを作家が聴いたのは60年代。国民的作家となった彼の墓地を訪ねた若い女性が、胸に抱えた彼の著作から彼の地へと思いを馳せるのは現代。

デザインがとにかく素晴らしい! これでもかと言うシンメトリーな撮影も含め、やはりキューブリックが連想されたのですが(『シャイニング』と併映で観てみたいわー)、衣裳がキューブリックの『シャイニング』『時計じかけのオレンジ』を担当した方だったとのこと(ミレーナ・カノネロ)。プロダクションデザイナーを務めたアダム・ストックハウゼンの名前は頭に刻むことにした。最後の最後、エンドロールの最後迄徹底的にデザインされた世界。そこに配置された俳優たちが、活き活きと己の役柄を全うしています。

彼を目当てに上客が後を絶たないと言われた程のコンシェルジュですが、彼の魅力はホテルの客の知らないところにもある。それを観客は目にすることが出来る。冒頭ロビーボーイに「あなたもロビーボーイから始めたのですか?」と問われ「どうかな?」と応えた彼は、物語の終盤「その通りだよ」と明かす。おつかいに渡した金の「余りは足の悪い靴磨きに」。刑務所での面会には痣だらけの顔で現れ、イカツイ囚人たちは彼になつく。ロビーボーイへの失言にシュンとし、その恋人に甘い言葉を囁いて「口説かないで」とたしなめられる。

食事当番でおかゆを配るコンシェルジュと囚人たちのやりとり、よかったなあ。少年時代ホテルでコンシェルジュと接した警察官が、彼を助けてくれたりね。刑務所へ差し入れされた、かわいらしくデコレーションされたお菓子にナイフを突き刺さない検査官とかね。職務的には甘いのだろうけど、そういう心は誰にでもあるのだと示してくれる優しさ。しかし。

日頃の行いは誰かが見ている。それは巡り巡って自分に返ってくる。でも、それは時折エラーを起こす。そんな欠陥を世界は抱えている。警察に毅然とした態度をとったコンシェルジュは、同じようにファシストにも立ち向かう。銃撃戦で傷ひとつ負わなかった顔に痣のあるパティシエールは、はやり病にかかる。そして、ロビーボーイはひとりきりになる。

上品な物腰で、どんなトラブルにも毅然と対応するコンシェルジュは、時折ロビーボーイの前で悪態をつく。汚い言葉を口走る。何故香水を忘れたんだ? 自分が臭いのが耐えられない! なんて言う。彼がどういう環境で育ったかが垣間見える。しかし彼は完璧なコンシェルジュとして名を馳せたのだ。生まれ乍らの卑しさなんてものはない。もしそれがあったとしても、ひとは自分を律することが出来る。自らの力で品格を身につけることが出来る。

そんなコンシェルジュを演じたのはレイフ・ファインズ。何が嬉しいって、久し振りに人間の役のファインズさんを観られたことですよ…人外メイクじゃない! あの碧眼、あのほんのり紅いほっぺ、あのおでこのしわ! 顔にラバーとか張ってなーい!(歓喜)しかもちょーエレガン、ちょーチャーミング、ちょープロフェッショナル! うえーん観たいファインズさんが観られたヨー。当て書きかと思うくらいだったんですが、パンフによると実際のモデルは今作の監督ウェス・アンダーソンと原案ヒューゴ・ギネスの共通の友人だそう(今作のインスパイア元である作家、シュテファン・ツヴァイクの要素もあるそうです)。あの美声と切れのよい台詞まわしを活かした澱みのない話術を堪能しました。目も耳もしあわせ。

はあはあ、レイフのことばっか書いてますが、エイドリアン・ブロディもエドワード・ノートンもジュード・ロウも素晴らしかったよー! 不気味な殺し屋を演じたウィレム・デフォー、86歳のおばーしゃんを演じたティルダ・スウィントンも最高。そしてトニー・レヴォロリとシアーシャ・ローナンのカップル! ちょうキュート。

古き良きヨーロッパは戦争と時代の移ろいによって消えてしまった。幻となったその世界を、コンシェルジュは自らの美意識をもって守り通した。美は元ロビーボーイの思い出のなかで生き続け、その思い出を聴いた作家により語り継がれる。そして読者に届く。長い長い時間をかけて、いつの時代にも、それは続く。



2014年06月27日(金)
『爆烈野球団!』

『爆烈野球団!』(DVD)

ファン・ジョンミン出演作。原題は『YMCA야구단(YMCA野球団)』、英題は『YMCA Baseball Team』。2002年作品。日本では未公開ですが、2010年4月に上映イヴェントがあったそうです(『韓国併合100年 日本未公開作品「爆烈野球団!」上映』)。

うええ〜すごくいい話だった…しかしヘコむ話でもあった……。ソン・ガンホ主演、伊武雅刀と鈴木一真も出ているのに日本未公開って事実にもモヤモヤしたよね……。1905年、朝鮮初の野球チーム『皇城(ファンソン)YMCA野球団』のお話。

皇城(漢城、現在のソウル)の郊外でサッカーをする(ちなみにサッカーは朝鮮時代(1393〜1897年)末期に伝来したそうです)主人公ホチャンと、その傍に寝そべって英字新聞を読んでいる(と言いつつアルファベットの数を数えているだけ)親友グァンテのシーンで幕が開きます。転がっていったサッカーボールを取りに、大きなお屋敷の庭へと忍び込むホチャン。ボールは見当たらず、拾ったのはサッカーボールよりもちいさな球。現れた白人の青年たちが、これは野球と言うスポーツに使う球なんだと話しかけてきます。彼らはYMCAの宣教師。続いて出てきた外交官の娘ジョンニムに誘われ、ホチャンは朝鮮で初めて結成される野球団に入団を決意します。

階級制度や科挙(今で言う国家公務員試験)が廃止され、近代化への道を進む朝鮮半島。暗行御史(皇帝の隠密)になる夢を失ったホチャンは勉学にも身が入らない。彼は野球に夢中になります。監督を務めるジョンニムはアメリカやフランスに滞在した経験を持つモダンな女性。ピッチャーのデヒョンは日本で野球に親しんでいた留学経験者で、抗日運動家と言う裏の顔を持つ。親日派の父を持つボンボンのグァンテ、元両班(貴族)とその召使い、貧しい双子の少年たち等、野球団のメンバーの出自はさまざま。しかし野球を愛するようになった彼らはみるみる成長していき、連戦連勝のチームになっていきます。

……やたらと注釈が多いのにお気付きでしょうか。はい、これ鑑賞後に調べました。れ、歴史の勉強になる……。しかしこれらを全く知らずともその時代の雰囲気は感じ取れるようなつくりになっています。しのびよる軍靴の音、日々不穏になっていく日韓両国の関係。スポーツが政治に利用されたり、政情に巻き込まれて行く様子はとてもつらい。そして、それでもスポーツマンシップを貫く選手たちの姿はとても美しい。

最近知ったFCディナモ・キエフのことを思い出しました。1942年ドイツ空軍クラブとの試合で、勝ったら殺すと警告されていたにも関わらず勝利し、多くの選手たちが処刑されたフットボールチーム。幕切れに映る「YMCA野球団はあまりにも強過ぎたので、負け試合しか新聞に載りませんでした」と言うテロップには、いろいろなことを考えさせられました。この試合はきっと記事にならなかった。それでも、あの日あの場所にいた皇城市民は、彼らの勝利を見たのです。

敵方にあたる日本選手にもフェアな精神が宿っています。将校も試合を途中で止めることはしません。こういう時代があった、そんななか市井のひとびとはどう生きたか。厳格な父親に野球をしているのがバレて慌てるホチャン、父親について日本将校と面会したグァンテの呑気な言動、元召使いを蔑んでいた元貴族の改心。優しさと希望に満ちたコメディタッチのドラマは、どんな時代にも笑顔の瞬間があったことを教えてくれます。ホチャンを演じたソン・ガンホをはじめ、役者たちの愛嬌ある演技も光ります。ジョンニムの父の葬儀で、ホチャンがジョンニムに書いたラブレターが辞世の言葉として読み上げられてしまうシーンには和んだわ……。

幕切れの、ホチャンの表情が心に残る。野球団のメンバーは、このとき二十代〜四十代だろうか。この後四十年、彼らはどんな運命を辿ったのだろう。

ジョンミン兄さんはグァンテ役。メチャいい役でしたがな!終始ノホホンとした気のいい男なんですが、いざと言うときはやる男。一度は解散した野球団の再結成に動き、自分の父を襲ったデヒョンを逃がすために奇襲をかける。ホント裏表のないいい子だっただけに、その後どうなったのかなと悲しくもなりましたがね…親日派と言ってもそれはお父さんがそうだってので、本人がどう考えていたかは描かれないし。日本将校との面会時に出された静岡茶をズズーと啜ったり、室内の地球儀で遊んでたり、無邪気な子だっただけにね……。このシーン、カメラが切り替わる寸前に地球儀をくるっと回して元の位置に戻した仕草、ウマい!と思った。

それにしても髪型のせいか、途中からだんだんオカザえもんに見えてきて困りました(笑)。バイオグラフィーを見たら、『ロードムービー』の一本前に出演した映画なんですね。髪を伸ばしている途中だったのね、ストパかけてるよね…貴重なものを見た。

-----

メモ。

・Heavy Sweet Heaven『爆烈野球団!』
チームメンバーのポジション、出自等が画像付きで掲載されていてとても参考になりました

・ディナモキエフの悲劇と誇り | FCトータルフットボール | スポーツナビ+
・『奇跡的なカタルシス ―フィジカル・インテンシティ II』村上龍
・『ディナモ ―ナチスに消されたフットボーラー』アンディ・ドゥーガン
・『HHhH(プラハ、1942年)』ローラン・ビネ
FCディナモ・キエフについて。書籍はこれから読んでいく予定

・伊武さんと鈴木さん以外の日本兵は韓国の役者さんが演じているので、日本語のアクセントがなんかかわいらしくも聴こえてそこはちょっと和んだ
・伊武さん、軍人役ホント多いですねえ(笑)
・鈴木さんちょー爽やかで素敵であった
・いくらでも日本軍人を悪く描けるだろうにそうしなかった製作陣と、出演したふたりに敬意を。映画っていいな、と思い続けていたいです



2014年06月26日(木)
『ムシノホシ』

大駱駝艦 天賦典式『ムシノホシ』@世田谷パブリックシアター

初日でしたーいやっ今回すごかった! いやいや毎回面白いけど今回のは迷っているひとは行って絶対! て叫ぶくらいですよ! 創立四十周年を越えている集団に対しての言葉にしては変だけど、ここは敢えて今ノリにノッてると言いたい。何度目かの充実期を迎えているのではないでしょうか。しかもその充実はさまざまな革新があってのこと。決して停滞することのない「なんでもあり」「来る者拒まず去る者追わず」のこの集団の面目躍如たる由縁でもあるのでしょう。

オープニングから結構衝撃、円を描いて歩いている艦員たちが着ているのはほぼ普段着。パーカー、ワンピース、ワイシャツ。そのまま街に出て行ける。しかし顔や身体はいつも通りの白塗りで、この違和感にまずアガる。歩き乍らのステップもバレエのよう。このバレエ的な動きは随所に見られた。バレエに代表される上へ向かう(跳躍)西洋のダンスに対し、下へ向かう(摺り足)のが東洋の舞、そこからの暗黒舞踏、と言うイメージを軽やかに乗り越える。もともと大駱駝艦はそういうところから自由なのだが、近作では特にこの変化を感じることが多い。

以降のシーンではいつも通りの様子になるのだが、今回ポップさがより前面に出ていた。男性ダンサーたちが被っているのは逆さにしたやかん。注ぎ口が象の鼻のようになっている。続いて出てきたのはゴーグル替わりのおたまを装着した男性ダンサーたち。登場時には笑いが出たがこれが格好いい! やかんなんてダフトパンクのヘルメットみたいよ! 水黽にも蜘蛛にも見える動きでフロアをカサカサと這いまわる。身体的には過酷なポーズと動き、次第にダンサーたちの息があがり、身体は汗で艶を増す。はあ、はあと言う息づかいがやかんのなかから聴こえてくる。酸欠になるのではないかと心配になるが、その息づかいに色気が宿る。ちなみにこのやかんにもおたまにも目のところには多数のちいさな穴が空いている。昆虫の複眼のように見える。

今回は松尾芭蕉のイメージか? 俳人も現われ、虫に関する句を詠む。俳人は大きな声、はっきりした発音で笑う。狂言の笑いの型だ。大駱駝艦のメンバー数人が、春に野村萬斎の舞台に出演していたが、そこからのフィードバックを感じる。こういった要素をガツガツと取り入れて行く貪欲さと柔軟さが、大駱駝艦の魅力でもある。

装置は天井から吊るされた多数のパイプで、虫籠にもなり牢獄にもなる。ダンサーたちと衝突する度カランカランと音を立てる。その響きが心地よい。雄の虫たちは雌を探し交尾をする。寿命が短いからか交尾も速い。やがて虫取り網を手にしたおかっぱ頭の少女たちがやってきて、虫たちを捕まえ始める。反転し、虫たちが少女を檻に閉じ込める。途中おずおずと出てきた、真っ赤なバレエシューズを履いたおかっぱの少女がかわいらしい。我妻さんかなと思ってよく見たら麿さんだった(笑)。腕をくねらせ、少しずつ歩み踊る麿さんのソロ。恥じらい、恐怖、戸惑い。掌に載せて連れて帰りたくなるくらいかわいい! 少女に虫たちが群がってくる。捕食されてしまったようにも見える。舞台上に空けられた穴に落ちていった少女は、赤いバレエシューズを履いた脚を伸ばしては曲げる。苦しんでいるようにも、踊っているようにも見える。少女はさなぎのような黒い衣裳をまとった異形として再登場し、蝶のような女性ダンサーと交わる。

この女性ダンサーは我妻恵美子さん。近作『灰の人』『ウイルス』でも重要なパートでソロを踊っています。くるくると変わる表情、蛍光ピンクの紙。キューピーのようなかわいらしさ。囚われ、捕食され、交尾し、飛び立っていく。

金粉ならぬ銀粉をまとったダンサーが総登場、その輝きはまさしく虫のよう。ウルトラマンの皮膚にも見える。その妖しさはまさにスペースインセクト! やがて彼らは舞台の地平線へと消えて行く。地球をあとにし、違う星へと彼らは旅立ってしまったのだろうか…地上に留まる人間は、それをただただ見送るばかり。そして「大団円」のカーテンコール、拍手とともにあちこちから歓声が飛ぶ。音楽は三曲をジェフ・ミルズ、七曲を土井啓輔が担当。大スペクタクルなエンタテイメント、これにて幕。



2014年06月21日(土)
『十九歳のジェイコブ』

『十九歳のジェイコブ』@新国立劇場 小劇場

オープニングの情景にはっとする。ジェイコブってまんまヤコブのことだったんだ……だからあの光だったんだ!宣美と瞬時に繋がる、舞台上のヴィジュアルにまず唸る。

実際目の前にあるのはヤコブの梯子ではなく、贄のように柱に絡みつき、天に掲げられた家族の肖像。ギリシャ悲劇としての父殺しは本編にも引用されるが、幕開けのこの光景は、アベルが神に捧げた羊のようにも見える。何故中上健次と松井周?当初の違和感がこれで払拭された。神話だ。

しかし電話をかけ続ける弟は、兄の死に直面して暴走を始めたとも受け取れる。この逆転。

原作は未読だったのだが『十九歳の地図』は読んでいたので、合わせて結ぶ像はあった。イタ電とか(笑)。自身が演出しない松井周脚本作品を観たのは二本目、維新派以外の松本雄吉演出を観るのも二本目(追記:おっと勘違い、『レミング』を観ているので三本目だ)。松本さんが所謂現代の台詞劇を演出するのを観たのは『石のような水』が初めてだったのだが、メロドラマとも映る男女の情交を真正面から描いていて新鮮でもあった。今作もそれは反映され、セックスが荒々しく、ときにはそれこそ宗教画のように美しく描かれる。聖衣のような長いシーツが風になびく、その下で絡み合う男女の不毛な繁殖。

当たり前だが劇場には天井がある。空は見えない。前後左右へと伸びる線はジャズ喫茶の椅子になり、移動の手段としての道路になり、若者たちが身体を伸ばす寝台になる。照明の暗さと相俟って、どこに移動しても閉塞感がある。ちらりと、そろそろ野外の維新派を見たいなと思う。

自分の出自を辿る焦燥、家族への情動を社会と結びつけようとするジェイコブとユキは対照的な道を選ぶ。原作が発表されたのは1970〜80年代。ジャズ喫茶にフーテンがたまり、ラリハイに耽る若者の光景はもはや遠い昔のことだ。だいたいハイミノールで連想されることと言えば、シティボーイズの『ウルトラシオシオハイミナール』なのだ(笑・それも14年前の話ですがな)。レトロな空気を眺める気持ちは常に頭の隅にあり、それを今どう観るかを考える。隣席の年配の男性はこの情景を懐かしく観ているのだろうかと思う。しかし、ジェイコブやユキ、キャス、ケイコのヒリヒリとしたやりとりから目を離すことは出来なかった。先に立つのは彼らを案ずる気持ちだ。この子たちの将来はどうなるのだろう、この子たちはこれからどうやって生きていくのだろう……それは、自分がもはや若者ではないと言うことを再確認する場でもあった。

彷徨する彼らの背中を見る。ただただ、穏やかな未来があればいいと願う。そう思うことが老いだと言うなら、それは確かにそうなのだ。そして、願うばかりで彼らに手を差し伸べることは出来ない。

若者四人がよかった。石田卓也さんの印象、グミチョコパインで止まってたもんで(浦島)精悍な青年になっててビックリした!屈強な身体にマグマのような熱情が閉じ込められているかのよう。対して清廉すら感じる美しい青年、松下洸平さん演じるユキの捻れ。心が寄る。横田美紀さんは当時のフーテンと現代の女の子の顔が代わる代わる顔を出す混乱が見事。奥村佳恵さんもそれは同様で、昭和の薄幸美人のような空気をまとっているのに現代っ子らしい身体を持っている。対する大人たち、有薗芳記さんが印象的。彼岸にいるようなジャズ喫茶のマスター。性別も善悪もフラットに見渡し、犯罪にはするりと身を躱す。実はいちばんヤバい大人。

そうそう、今回『ゼロ・アワー』で観て気になっていた松角洋平さんを観るのも楽しみだったのだが、ケガで降板して残念。早い段階でのことだったのでチョウ・ヨンホさんに代役の影響等は感じず。代わりに?松角さん、声で出演されていた。

音楽は原作指定とのことだが、その指定されている曲のどこを使うか、どう使うかと言うのは音楽監修の菊地成孔、音響の渡邉邦男の腕に由る。爆音のフリージャズ、最高。マイルスは使わず、コルトレーンやアイラーらサックスの音に絞っていた。パンフに掲載されていた菊地さんと中上さんのエピソード、いい話だった。

帰宅後佐々木敦さんのツイートを見てえっと思う。多分同じような箇所を松井カラーだと思っている気がする。パンフの松井×松本対談で指摘されていた「引いた?」は間違いなく松井さんの書いたものだろうと思ったが……原作を読んでみようと思う。



2014年06月15日(日)
『∧ ∧ ∧ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと―――――』

マームとジプシー『∧ ∧ ∧ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと―――――』@東京芸術劇場 シアターイースト

お初です。飴屋さんとのコラボは即完で行けなかったんですよね…秋にはプレイハウスで『小指の思い出』を演出することも話題、若手注目株の藤田貴大のユニット。2012年に岸田戯曲賞を受賞した『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』 のリニューアル再演。『かえりの合図〜』 後発表した作品もリミクスされているとのことですが、もともとは『帰りの合図、』『待ってた食卓、』『塩ふる世界。』とそれぞれ独立した作品だったようです。

繰り返される言葉と運動。それらが少しずつ変容し、登場人物と彼らをとりまく環境が次第に像を結んでくる。ひとつの家族の集う場所、巣立ち、帰省、死によって家族は少しずつ姿を変える。家が取り壊される迄の思い出と家が取り壊されたあとにかえる場所、まってたひと。

∧ ∧ ∧は食卓の、合図の屋根部分。屋根は家の屋根。音数、映像使い、段取り。その情報量の多さと、過剰な程続く身体的なリフレイン。そのスタイル(百聞は一見に如かず。どんなに劇評を読んでも実感がわかなかった)と、あれだけ動いて息ひとつ切らさず、台詞も明瞭な演者たちに驚かされる。意外にも連想したのは新感線でした。しかしこの作品の演者たちは、台詞を記号のように話す。繰り返される言葉はループし、新たな情報を加えられてまたループする。何故彼女は怒っているのか、何故彼は言い出せないのか。あの合図は何なのか、食卓で起こったことはどんなことか。そして語られない母親の不在。感情とは程遠いとすら思われたその台詞たちが、次第に熱と湿度を帯び、ある瞬間に色鮮やかに輝き出す。

その独特なスタイルもかなり好きだったんですが、そこにあるストーリーにかなりやられた次第です。地方出身者にはクるよ!そしてまあ個人的なことになるが、あの夏休みの風景はウチにもあったものだ。いとこたちと食べるおそうめん、けんか、なかなおり。雑魚寝。櫛の歯が欠けるように、失われていった光景。もう二度とない時間。当日パンフレットに付いていた、縁日で売られているようなべっこう飴をなめなめ記憶の風景を反芻する。記憶はだんだん薄れていく。

気が遠くなるような時間が過ぎ、やがて誰もいなくなる。でも、彼らが存在した痕跡はそこに確かに残っている――蜷川さんが彼の作品に惹かれたのも判るような気がします。『小指の思い出』が決まったとき「あー蜷川さん『野田に先を越された!』って悔しがってるだろうなー、『藤田俺には新作を書き下ろしてくれ』って言ってそうだなー(笑)」と思いましたが、蜷川さんが演出する藤田さんのテキスト、実際すごく観たいのです。

-----

アフタートークも面白かった。セットの床に胡座をかいて、話していることとは関係ないリズムでぐにゃぐにゃと動く足。ねこのしっぽみたいでした。岸田戯曲賞を受賞したことは結構なプレッシャーだったようで、それを「傷」と独特な言いまわしで表現していました。でも地元の名誉市民になったりして、実家に帰りやすくなったんですって(笑)。

今回でも結構音大きいなと思っていたけれど、もともと爆音が基本だったそうです。役者の喉のコンディションに合わせ、本番中でも毎回調整しているとのこと。zAkさんの「役者の声を聴かせる面白みもあるんやで」と言う言葉が音響を見なおすきっかけになったそうです。こういうとこ、ああ若い!ってなんだか感動しちゃった。

いつも同じだとdisられてると言いつつ、個人的なことを書いてそこから拡がっていったり、何か変化があったりすることが面白いとのこと。今作のモチーフは群馬にあったおばあさまの家だそうで、家がなくなったことは悲しいけどおばあちゃんがひとりでいないでよくなった面もある。でも……これはおばあちゃんに観てもらいたくて。沢山のひとに観てもらえることは嬉しいしすごいことだと思うけど、ひとりに向けて作っているってところはあるとのこと。今作はその地元でも上演が決まっているそうで、思い入れがあるようでした。今は入院中だと言うそのおばあさまが、公演を観られますようにと祈りつつ劇場を出ました。



2014年06月14日(土)
『不機嫌な男たち 不倫と純愛』

『不機嫌な男たち 不倫と純愛』(DVD)

ファン・ジョンミン出演作漁りをひとやすみして、チョン・チャン出演作。原題は『가능한 변화들(可能な変化たち)』、2004年作品で、日本では2004年(第17回)東京国際映画祭で上映(最優秀アジア映画賞受賞)後、2007年に劇場公開された様子。

まず有権者に訴えたいのは(@怒り新党)、本国リリース版との扱いの違いであります! まずはパッケージ画像載せときますね。

・本国版


・日本版


どういうことなのこれ…日本版はベタなサブタイトルが付き、パッケージの紹介文も「韓国を代表するセクシー女優たちが全裸で熱演!」てのがメインでございました。男優さんたちも全裸で熱演でしたが…いや待てよ。この画像からして本国ではむしろ「話題の男優たちが全裸で熱演!」てのを売りにしていたのか? 先入観によってイメージ変わるわー、広告制作ってだいじ。本国版の画像とストーリー紹介を先に見ていたので、青春時代を懐かしむ男たちのちょっとせつない爽やか映画だと思っていたのだが……。

で、実際観てみれば、いやもうなんとも。ちょっとせつない爽やか映画でもなく、だからって全裸が熱演ってのが前面に出る訳でもなく、ひたすら男ってしょうもない…人生ってしょうもない……ただ自然だけが美しいってな話でしたがな。どっちの男もクズとしかいいようが……いや役が! 役がですよ! 日本版の副題にもなっている出来事は確かに組み込まれているのですが、これを不倫と言うにはあまりにも安易で、純愛と言うにはあまりにもエグい。そしてどちらの男も救いようもないくらいそれに無自覚です。

小説家志望で会社を辞めたムノが経済的に安定している(どころかジョンギュに中絶費用を援助するくらいには余裕もある)のは奥さんがしっかりしているからなのでしょうが、それがいつ迄続くのか。そしてジョンギュはもはや病気で、そして病気だからと許されるものではない域に足を踏み込んでいる。ふたりとも破滅の予感しかありません。片や避妊はしないし片や中絶させるし、片やつれていく店も宿(ホテルとも言えん)もあんなだし片や相手に連れてってもらったホテルで会員カード使えとか言うし。女性がぽつりと「男は根無し草ばかり」と言うシーンがありますが、これにはいろ〜んな意味が含まれている。直訳したらもっと違う意味合いなのかも知れないですね。面白いのはどちらの男も教会に行くんです。クリスチャンの多さに反して堕胎率もとても高いと言う国の不思議を目の当たりにした感じ。救済なんてどこにもない。

プロローグとエピローグが、本編のその後(あるいはその前)になっている構成。ムノがジョンギュの背中を押したのは幻か、それとも? 幼馴染みふたりの行き着く先は、ムノの妻が現像した写真のなかにしかないのか。終始ダルトーンの本編中、唯一ヴィヴィッドな色使いになったのがこの写真のシーンでした。この光景のなかではジョンギュは足を引きずらず、ムノも屈託なく笑っているのかも知れない。山に囲まれた湖や、抜けるような青空と眩しいくらい白い雲。そこに棲むことは、多分生きている限り不可能だ。そういう視点から観ると確かに切ない青春映画でありました。

またもやR18だったんですが、またもやR18ってこんなんだっけ? てな内容でもあった。『浮気な家族』でもそうだったけど、濡れ場の殆どが男の背中側からのショットなんですよ、と言うか背中とお尻と後頭部しか映ってない(笑)女優さんの身体どころか表情すら見えない。なんだろうこれ…韓国濡れ場のセオリーなの? それともこう撮るのが2000年代前半のトレンドだったの? 不思議だ…もうこれが気になって気になってエロい気分どころじゃなかったね!

チョンチャンさんはドラマ出演が主で、映画出演作がそんなにないんですね。モデルから芸能界に入り、ドラマでも貴公子やお坊ちゃま的な役が殆ど。そのイメージを破りたい、映画に出たいと言う思いから強烈な役柄を欲していたそうなんですが…映画だと脱ぎ仕事が多くなると言う……。インタヴューで「ラブシーン何度やってもうまく出来ない自信ない」とか言っててかわいいやらなんとやらですわ。ちなみに初濡れ場は『ロードムービー』だったそうで(つまり初のお相手がファン・ジョンミン……)「純潔を奪われたように放心状態になった」そうで、かわいいやら(以下略)。

そしてこの映画、例の大麻で捕まったあとの作品なんですが、序盤ハッパか何か吸うシーンがあって何この自虐ギャグと困惑しましたよね。芸能って因果な仕事ですね……。いろいろと複雑な気持ちになりましたが、チョンチャンさんいい仕事してはりました。そしてやっぱり声がよい。



2014年06月08日(日)
『20のアイデンティティ』

『20のアイデンティティ』(DVD)

ファン・ジョンミン出演作。原題は『이공(異共)』、英題は『Twentidentity』。2004年の作品で、日本では2004年(第17回)東京国際映画祭で上映。5〜10分の短編20本で構成されたオムニバス作品です。まとまった時間がとれず寝る前に数本ずつ観ていたので、後味悪い作品で停めたときは寝付きが悪かった(笑)。

コメディ、アート、サスペンスとジャンルもさまざま。監督のカラーもいろいろ。構成脚本で鮮やかに見せるドラマ、映像エフェクトに凝ったもの、役者の演技で引っ張るもの。ええと、玉石混淆でもありました。

個人的には、飲食店で脱ぎ散らかされた靴の行方とそれにまつわる騒動をコメディタッチで見せたユ・ヨンシク監督「Fucked Up Shoes!」、一緒に暮らした部屋を別々に訪れた男女を描くホ・ジノ監督「アローン・トゥゲザー」、許嫁の母親に誘惑される男の子(リュ・スンボムのアホの子っぷりがかわいかったよー)の胸の内は?どんでん返しにニヤリとさせられたミン・ギュドン監督「秘密と嘘」、唯一のアニメーション作品イ・ヨンベ監督「Looking for Sex」、深夜のコンビニの時間をゆるりと描くキム・テギュン監督「2時」が楽しめました。短い時間のなかに流れるゆったりとした世界をぽんと差し出しているようなものが好み。

ペコちゃんやドラえもん、ファミリーマートとときどき日本由来のものが出てくるのも楽しかったな。しかし韓国って深夜のコンビニレジに女の子ひとりで大丈夫なの?奥にもうひとりいたのかな。

トリを飾ったポン・ジュノ監督「Sink & Rise」がやっぱ一歩抜きん出てる印象。カメラワークが全然違う感じがした…高価な機材使ってるとかそういうんじゃなくて、切り取り方とか移動とか、すごく安定してる。芝居のテンポもよくて。売店のおっちゃんがいきなり「オマエホントニバカダナー」と日本語で言い出したのでえっとなった(笑)。大きな卵はグエムルのかな?と考えるのもまた楽しい(『グエムル 漢江の怪物』の公開は2006年)。

ジョンミン兄さんの出演作は「大きな木の下で〜異共」。10作品×2セクションで構成される本編のセクション1、一本目。トップバッターです。監督はパク・キョンヒ、共演はチュ・サンミ、イム・スルレ。三人しか出てきません、あといぬ。初デートらしき男女、待ち合わせの時間迄公園のトイレでいそいそ身づくろい。鏡を見つめて笑顔の練習。ベンチに座ってぎこちない会話。オニオンスープとフォンドボーについて熱く語り出し、あっあんまり興味ないかも?とおろっとし、お互いが興味ありそうなフランスと言うキーワードに辿り着いて一喜一憂。頭のなかではふたりの仲が進展したときのことが渦巻いて。時間はほのぼの過ぎて行く。かわいらしー。「顔色が明るく見えるような服を着るといいわ」と言われてガーンとなってる兄さんにウケた。なんだこれ当て書きか(笑)。



2014年06月07日(土)
『海辺のカフカ』

『海辺のカフカ』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

初演の評判がよかったので今回行ってみることに。あああ、初演を逃したのが悔やまれる。

原作は未読なのですが、過去村上春樹作品を舞台化したサイモン・マクバーニー演出『エレファント・バニッシュ』(初演再演)との共通点と相違点を見出して興味深く観ました。蛍光灯使いの照明、水槽(ガラスケース)と言ったモチーフは近年の蜷川演出作品にはよく出てくるものですが、『エレファント〜』にも出てきていた。人間の営みをピンで留め、標本のように提出する。「外国から見た日本」として受け取っていたが、今回は「村上春樹が描く日本」として受け取ることが出来る。

舞台転換はガラスケースの移動で行われる。機動力のある転換は機能的でもある。東京から高松へ、バスやトラック、都会の家の一室と森の中。この転換のめまぐるしさも『エレファント〜』と共通していた。蛍光灯の青白い光は、登場人物たちの表情にさまざまな憶測を呼ぶ陰影を浮かび上がらせる。美しさと不気味さ、どちらにも陰がある。殺人事件を追うサスペンス、過去の出来事で受けた傷を巡るクロニクル、“入り口”を探すファンタジー。めくるめくイメージが次々と差し出され、物語の大海原に溺れる三時間四十五分。心地よい。

興味深かったのはテキストの扱い方で、蜷川さんが一月に演出した『冬眠する熊に添い寝してごらん』では多用していた字幕は一切なし。ト書きを説明することもない。この辺り、小説を戯曲化したものと、小説家(と言っても古川日出男さんは演劇に造詣の深い方ですが)の書いた戯曲との相違を考えたりもしました。流れで言えば『〜カフカ』初演、『冬眠〜』、『〜カフカ』再演で、今回は海外公演が前提としてあるので改訂された箇所も多いようですが、蜷川演出のアーカイヴと言った視点からするとこの変化はとても気になります。あー初演逃したのが(繰り返す)。

ちなみに『エレファント〜』はテキストを映像で見せていました。マクバーニーはその後演出した『春琴』でもテキスト中の漢字の部首に迄拘っていたそうですし、ヴィジュアルとしての効果にも着眼していたのだと思います。『エレファント〜』も『春琴』もワークショップの積み重ねでテキストを舞台に立ち上げて行くものだったし、村上春樹と谷崎潤一郎は日本文学と言うくくりにするには時代もフィールドも違うので(あ、でも谷崎潤一郎賞受賞されてるのですねと今調べて知る)、これらを括ってしまうのは些か乱暴だとは思いますが、いろいろと考えさせられました。

舞台に登場する図書館のように、蜷川さん演出のライブラリを観るような感覚を噛み締める。歓楽街のネオン、怪しい公衆便所。そこに暮らす人々。風に揺れる紗幕と雨。森のシルエットを舞台背景に浮かび上がらせる照明。それは過去観たものであり、現在初めて観るものでもある。朝倉摂→中越司、吉井澄雄/沢田祐二→原田保→服部基の“継承”について感じるところも多かったです。

初舞台の古畑くんは台詞が届きにくい等の難はあれど、その初々しさをタフになろうと旅に出る少年の姿に重ねて観ることが出来ました。そして木場勝己さんがよかったなー。ナカタの波瀾万丈に満ちた旅にこちらもお供した気分。彼の人生が安らぎで終わったことに感謝を覚える。ネクストの面々の仕事人っぷりも見事。『火刑』のときも感心したけど、周本さんは実年齢より上の人物を演じるのホント巧いな!ネクストを退団した土井睦月子さんが初演から続けて出演されていたのもなんとなく嬉しかったです。円満退社?だったんだな、と思って。

よだん:原作未読故ねこの受難にはホントびっくりした……うえええん。冷蔵庫が出てきたときまさかまさかいやいやいやいやってなって下手なホラーよりひいいいってなったよね!これから行かれる方ご注意を。って、行くならもうどうにもならんか……。しかし新川さん演じるジョニー・ウォーカーは格好よかったな!



2014年06月06日(金)
『新しき世界』四回目

『新しき世界』@下高井戸シネマ

一回目大雪、二回目大雨、三回目雨上がり、今回大雨。いやっもう楽しい!雨もだいじなポイントになってますからねこの作品。いや実のところ、最初の大雪の日も敢えて狙ったみたいなところはあった。もう四ヶ月近く経つのね…遠い昔のことのようですよ……。

実際この四ヶ月で得た、この作品と韓国映画、文化、歴史の知識は結構なものになっています。学校の授業とかで習ってもきっと覚えなかったであろう…あんなにちんぷんかんぷんだったハングルもちょっと読めるようになってきたし、やっぱり自発的に興味を持ったものに対しての知識欲と言うのは大きいですね。そしてヤクザ映画なもんで、本国で口にしたら撃ち殺されるんじゃないかって言うような悪い言葉をヒアリング出来るようになってきている。役に立つのか立たないのか判らない(笑)。

そしてこれはホントtwitterのおかげ、ネットワークの拡がりの早さといい掘り起こされるネタといい、その道?のエキスパートたちのレクチャーが素晴らしい!監督や出演者、プロデューサーのインタヴューや関連記事に加え、初校台本の訳文や、細かいニュアンスや方言を汲んだ台詞について本国の方から聴けたりするんだもの。twitterを通じてひとつの作品をここ迄研究出来たのは、個人的には初めての経験でした。それが進行形ってところも楽しい。

シーンとシーンの間に何が起こったか、登場人物の背景には何があるか、あの台詞のやりとりの前にスクリーンに映らない何があったか。教えてもらった知識を抱えて再び映画館へ足を運ぶと、前回気付いていなかったことが見えてくる。そしてまた新しい魅力に気付く。穴にも気付きますが(笑)もうそれも愛しいわ。教えてもらってハッとしたけど、チョンの右掌包丁握ってスッパリ切れてる筈なのに、病室では包帯もしてないわ。あとやっぱあの結婚指輪はミスっぽい。ついでにチョンチョンはもう終わりだって課長に話されてるとこのジャソン、後ろの柱に手を置こうとして置けなくてあれあれってなってるのおかしい(笑)倉庫のどこの汗ダラダラといい、ジャソンはすぐ狼狽が顔や行動に出るね!そんな子が会長就任シーンではあの女帝っぷりですよ。はああ、続編どうなるんだよ……。

今回は、直近で知った「最後ジュングは自ら飛び降りた」「上海で食事中のチョンがハッカーからの報告について訊くシーンはエア食事」ってところに特に注目しました(笑)。回数重ねるとジュングの魅力がだんだん判ってくるわ。で、「上海から帰ってくる飛行機内でチョンはジャソンの正体を知った」と言うことを踏まえて、その後のチョンとジュングの面会シーンを観るともう…ジュングに「おまえんとこのジャソンじゃないのか」って言われたときのチョンの表情……!これはつらい。そして確かに、ソンムのブラザーが最後の方でいなくなってる。どこに行ってしまったの……。そして延辺の物乞いたちのリーダーの頬についてた三本の引っ掻き傷、あれ、シヌが引っ掻いたんだろうなあと気付くとすごくせつないね。

あとゴールドムーンリゾートのポスターもちゃんと確認出来て嬉しかったです(笑)。そうそうそして個人的に気になってるのは、シヌもジャソンの奥さんもピアスホールがあるのにピアスしてないとこ。どちらもメイクはきちんとしてるし、アクセサリーも身につけてるのに。シンプルなちいさいものならアクションにも支障ないと思うんだけどなんでだろう(このふたりはアクションも殆どないし)。

そしてまあ、あたりまえのことなんですが、何度観ても兄貴はいってしまうのね…うえーん。悲しい。

今迄でいちばん大きく明るいスクリーンでした。序盤からもう、あの逆光のシーンでジャソンの表情がクリアに見えた。もともと暗い画質なのだろうと思っていたけど、実はちゃんと撮られていたのかとかなり衝撃。あとジャソンの奥さんの最後の表情がすごく胸に迫った。このシーンで涙出たの初めてだったわ…。下高井戸シネマいいとこ!



2014年06月01日(日)
『関数ドミノ』

イキウメ『関数ドミノ』@シアタートラム

『THE BIG FELLAH ビッグ・フェラー』を観た帰り、トラムって今何やってるのかしらーとのぞきに行く迄イキウメは円形でやってるって思ってましたよね…危ないところだった……。意図せず二日連続で三軒茶屋。

観てる間、菊地成孔の発言を思い出していました。膨大なテキストから掘り起こせないのでニュアンスを思い出して書くと、「どんなに調子よさそうでブイブイ言わせてるやつも、あなたの知らないところでイヤな思いや悲しい思いをしてる。あいつだけがどうして、なんて妬むなんて無駄なことだ」。言うに及ばず、これは自分も常日頃思っていることでもある。それでもどうしても、ネガティヴな気持ちが他者に向くってことはある。それとどうやって折り合いをつけるか。

こういうひとの妬み嫉みを超常現象として捉えるとどうよ?と言う枠組みなんですが、確かに思い当たるフシはある。あまりにも考えすぎると、常識では考えられない発想で答えを見出だそうとするんですよね。事態が落ち着いてから思い返すと何考えてたんだある訳ないやんと我に返ったりするんですが。しかしこの作品が面白いのは、そういう思い込みは実際アリなんだ、と言い切れる強さがあるところです。

証明出来るかと言えば難しいけれど、現実的には有り得ないことが起こるってことは多々ある。皆それをどこかで知っている。個人的なことで言えば言霊を信じているし、縁起は担ぐ。でも宗教やスピには厳しい。帳尻が合う人生なんかある訳がないと思っているし、こんだけお参りしたんだからこんだけお布施したんだから見返りくれよ、いい目に遭わせてくれよと思うこと自体がもう信用出来ないわ。はっ、だんだん芝居の話から外れてきている。閑話休題。イキウメは、そういった不思議な現象を理詰めで伝えようとする。そして、理詰めでは証明出来ないことがあると言うことをきちんと見せてくれる。信じると決めるのは自分だと言うことも。

観劇後早速検索してみた。ドミノ理論と言うのは確かにある。ドミノ幻想やドミノ一個に関しては、イキウメ関連のテキストでしか見付けることが出来なかった。これはヤラれた、と言う感じ。清々しい気分になった。

伊勢さんが演じた看護師のことが好きなのね。騙されてもいいんだ、それを信じると決めたのは自分だから。信じた結果願いが叶えば、それはとても素敵なことだ。

登場人物の心象を具現化する演出が舞台ならではで面白い。パスタのシーンが弟の脳内風景なのは言わずもがなだが、実際に目の前でセクシュアルな行為が展開されると距離感がとれなくなり、弟の狼狽に心が寄ってしまう。と言いつつ実はあのパスタを両端から…のとこ、『わんわん物語』を思い出してニヤニヤしてました(笑)。現実と妄想が地続きで、前後する時間が並列する空間の使い方も特色があり、ドミノを証明しようとやっきになる男が孤立していく図式が視覚化される。これも舞台ならでは。

近作での浜田さんは身体表現も含め突き抜けた役が多い。明瞭な言葉遣い、終始張った発声、そして不自然な動き。これは疲れるだろうなと思う。そう、疲れるのだ。疲れるけどこういう人物っているのだ。前向きで、実直で、素直で。つらいことは心に閉まって。いそうでいない人物を「いそう」に寄せるその献身に唸る。と思いつつあてがきだったらどうしようと思う(笑)。でも、その資質はあるんだろうな。安田さんの役は『地下室の手記』からの発展形にも感じた。常にひとを妬み、ひとを見下し、自分をも卑下する。ずっと演じるのしんどそう。ラストシーンのモノローグは圧巻。岩本さんの役は個人的に理想です、「原因と結果を調査するのが仕事」。盛さんの役もそうで、悩み乍らも冷静にものごとを捉えられるようになりたいなあ。

そして『片鱗』観たって友人と話したとき意見がバックリ分かれて気付いたんだけど、私、森下さんに騙されがちと言うか騙されてもいいやーと思ってしまうのだった。なんだろね、あの声のトーンが催眠術っぽいのかな。ここらへんもあてがきかしら…なんて思ってしまいます。

-----

おまけ。

前述したラストシーンの安田さん観ててこれ思い出したのねー。

・スペースサイト!『ロシア宇宙開発史 消された男たち』

で、文中にある「彼女が発信する(中略)音声記録」と言うのがこれ。恐ろしいのがこれが書き込まれた当時、引用元検索したらちゃんとあったんですよ。それが今どーやっても見付からないの!ま、ガセネタだと証明されて削除しちゃったのかも知れないですけどね。

あとトーキングヘッズ『Remain In Light』の裏ジャケにもなってるこれとか。

・世界の怪事件・怪人物『No.139 バミューダトライアングル』

イキウメぽいでしょ(笑)。いやあのひとりごとホントゾワーとした、安田さんすごい!