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漫画関連ファイル


2001年05月26日(土)
『残酷な神が支配する』が終わった。

これは1回だけ読んだ最初の感想です。

読んで思ったのは、もうすでにこの物語の山場は終わっていたんだということでした。
誰もが納得するような最終回は最初から描かれる気はなかったんだ。
しかし、音楽が余韻を残して終わっていくように、
静かに物語が終わったんだなあと今感じています。
読者としてしあわせなひと時ですね。

私は、この物語の中で、ふたりが遭難するところがすごく好きでした。
あの場所へ毎年帰っていく。繰り返し。それは、ひとつの理想かもしれません。
しかしそれは、うちの掲示板でKさんがかつて言われたように
結局古典的な物語の形に着地してしまったのかしら?とも思います。
その辺は、再読してまた考えてみますが。

チャイルドアビューズについては、
萩尾さんに快刀乱麻の解決を求めるのは間違っていると思いつつ、
ジェルミの個人的なケースとして考えると、
本質的な解決のないままに終わってしまった感じがします。
そのかわりに、割合とわかりやすいイアンによる推測という形で終わっている。
(このへんは、私個人としては、受け入れがたい)
ジェルミは理不尽に受けた傷を抱えたまま生きていくのか?
グレックは死んでしまったことで免責されていいものか?
ジェルミは、サンドラを再び受け入れられたのか?

くしくも、『ジェラールとジャック』に構造がとても似ています。
比較検討してみるのもおもしろいかもしれないと思いました。

《2回目の感想》

親と子は支配と被支配の側面はたしかにあるけれど、
その面だけを取り出して見るのはちょっとつらい。
それ以外のいろいろなものがまだあるんじゃないだろうか。
もちろん、いろいろな要素のなかから、テーマにそって、
切り取るという作業をするものなんだろうけど。

萩尾さんの中のご両親との葛藤は、完全には解決することはないのかな。
どうしても平行線をたどっていくのかしら。
作品と作者は別だということはわかっている。
でもつながっているような気がする。
作品を読んでいると、萩尾さんがご両親を欠点を含めて丸ごと受け入れ、
自分自身も愛して受け入れているというふうには思えないんだな。
他者との関わりには常に見えない壁がある。
誰かを心から受け入れて愛し愛されることのやわらかさがあったら
どんなに心地よいだろう、、、、と思ったりする。
それがなくても作品としては、すばらしいけれど。

萩尾作品の中の「愛」はいったい何だろう。
ジェルミとイアンの間にあるものは何だろう?

《三回目感想》

イアンは当事者じゃない。
彼がジェルミを受け入れ、彼がグレッグを許しても
問題は解決していない。

子供は生贄でも供物でもない。
犠牲になる必要はない。
ジェルミを虐待した罪はグレッグが贖うべきで
ジェルミが苦しむ必要はない。

ジェルミが犯した殺人の罪はそれとは別に
ジェルミが償うべき問題でそれをうやむやにするのも
また間違い。情状酌量の余地はあるかもしれないけれど。

問題は何も解決していない。
微妙にずれた論点が宙ぶらりんのまま、
物語は終わってしまった
それが、物語の幅を生み出すというのなら、
ただの絵空事だと思うなあ。

『銀の三角』が結局、結び目が解けてほどけて
何もかもなくなってしまったように、
またしても、ただの夢だったのかしら。
それって、なんだか空しくなってしまうのは
私だけだろうか?




関連ファイル


2000年01月24日(月) 「残神」と「トーマ」
2000年02月03日(月) 初めて読んだ萩尾望都
2000年02月04日(月) ポーの一族 by 萩尾望都
2000年02月05日(土) 「小鳥の巣」
2000年02月06日(日) 「トーマの心臓」by萩尾望都
2000年02月08日(火) 萩尾望都 「救えない」ということ
2000年02月09日(水) 1972年〜1974年
2000年02月10日(木) 萩尾望都 初期作品
2000年02月11日(金) 萩尾望都 絵柄の変化
2000年02月12日(土) 第2期 ポーシリーズ
2000年02月13日(日) 萩尾望都 ちょっとお休み
2000年02月17日(木) 「銀の三角」 by 萩尾望都
2000年03月22日(水) 少女まんがの世界展
2000年06月27日(火) 『まぼろしの白馬』 by エリザベス・グージ
2000年11月22日(水) 『残酷な神が支配する』スクリーンセーバー
2001年03月28日(水) 『残酷な神が支配する』
2001年04月16日(月) 『塔に降る雪』文庫版解説by萩尾さん