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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2003年02月27日(木) --

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『C・S・ルイスの秘密の国』

☆ナルニア国への切符。

ルイスのキリスト教に関する著作を読む日本人は 研究者以外にはまずいないだろう。 「ナルニア国物語」のシリーズによって、 世界中の人々を魅了する児童文学作家、C・S・ルイス。 この本は、彼の生涯を、とりわけ子ども時代から少年期の体験や 心理描写にスポットを当てて描いた伝記。 中高生以上を対象にしているが、それでもやはり大人向けといった ほうが良い内容だと思う。

アイルランドのベルファストに生まれ、 10歳で母を亡くした少年は、父によって寄宿学校へ 送られる。つまずきつつも学問と教養による生き方を身に付け、 第一次大戦での過酷な従軍も体験しながら成人したルイス。 なぜか普通に結婚することなく、数十年にわたり、 戦死した友人の母親と妹の面倒を見続ける。 こうした事実は、これまでルイスの伝記を読んだことの ない私には、驚きと同時に励ましともなった。

やがてその関係が終わり、数年後、ケンブリッジへ移る。 そして、人生の最終章で、 アメリカからやってきた「ジョイ」─ルイスが少年時代から 呼びならわした、根源的な喜びを表す言葉、「ジョイ」─が、 現し身の女性となって、宙から降り立つかのように 彼の前にあらわれる。 映画にもなったラブストーリーが、そこで、 人生の最後の角で、ずっとルイスを待ちかまえていたのである。

その出会い以前に、少年時代から貫いてきた無神論を捨て、 キリスト教と和解し、神学に関する著作や講演によって不動の地位を 築いていたルイスだが、ジョイの登場によって、 神なる存在への思いはいっそう純化されていったのだろう。

ページを追って、孤高で深遠なルイスの魂をかいま見ながら、 どんな冒険に満ちた生涯よりも、根気よく潔い闘いのあとを 私たちはたどることができる。 人生のはじめに受けた傷や毒をわがものとし、 その後の人生すべてをかけて、 ほんとうの自分を取り戻してゆく姿を。

ルイスは18歳のとき、オクスフォードへ入学試験に訪れる。 そのときのエピソードが印象的だった。 駅を出て迷ってしまい、上品とはいえない通りをさまよった ルイスは、これが長年あこがれたオクスフォードなのか?と落胆する。 しかし、どうもおかしいと感じて振り返ったとき、

『遠くに息をのむほど美しい塔や尖塔の一群が見えた』
(引用)

というものである。
この出来事は、この本全体をあらわし、同時に ルイスの生涯をも象徴しているように思えてならない。

『指輪物語』のJ・R・R・トールキンとは、 同じオクスフォードのフェローとして知り合い、 「インクリングス」という文芸クラブの主要メンバーとして 長期間活動をともにした。 指輪物語は、そのクラブで少しずつ朗読されたという。 幼くして母を亡くした(トールキンは父も失っているが、 ルイスも父との関係に悩み続けた)ふたりの境遇が、 よりいっそう結びつきを強めたともいえるのではないだろうか。
(マーズ)


『C・S・ルイスの秘密の国』 著者:アン・アーノット / 訳:中村妙子 / 出版社:すぐ書房

2002年02月27日(水) 『こころの処方箋』
2001年02月27日(火) 『アマリリス』

お天気猫や

-- 2003年02月26日(水) --

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『京都猫町さがし』

猫好きの友人が送ってくれた本。

モノクロの画面からこちらを見ている、 多くは野良らしき猫たち。

京都の街をうろうろしていた学生の頃は、 この写真集のように猫がたくさんいる街という 印象はもっていなかった。

著者が開いた有名な喫茶「ほんやら洞」のことすらも、 近辺をうろついていながら、知らなかったのだが。

街のいたるところに猫のすがたをとらえた この写真集をながめながめしていると、 京都の街の数十年の記憶が 見る者を猫の手で手招きしているようだ。

まだあれからそんなに時間はたっていないような 気がしていながら、その実は。 いったい何世代の猫たちが街にあらわれ、 消えていったのだろう。

哲学の道に、たむろする猫たち。 あのころ、何度か歩いた道。 京都は猫町だったのか、 といまさらながらに京都のことにうとい 自分を発見させられる。

猫の写真集を見ながら、年をとったなぁ、と 明るい日向でつぶやく早春の午後。 (マーズ)


『京都猫町さがし』 著者:甲斐扶佐義 / 出版社:中公文庫

2002年02月26日(火) 『幽霊たち』
2001年02月26日(月) 『地球の長い午後』

お天気猫や

-- 2003年02月25日(火) --

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『末枯れの花守り』

☆“あやし”の花物語。

「朝顔」「曼珠沙華」「寒牡丹」「山百合」「老松」 の五つの花をめぐる、怪しの物語。

人の心の弱みや脆さにつけこみ、 言葉巧みに異界へと誘う、永世(ながよ)と常世(つねよ)。 二人の闇の姫君は人間から「花心」を抜き取り、 異界の花と化し、永遠の命を与えるという。 闇の誘惑から人間を守る「花守り」、それが、青葉時実である。

歌舞伎や能のテイストで、絢爛豪華、 鮮やかな「和」物のファンタジー。 どの話も、花に託される人の弱さを狙い、 忽然と闇の姫君が現れる。

「異界の花と化し、永遠の命を与えよう」   (引用)

人が花によせるさまざまな想い。 それを花に封じ込め、魂を永遠に弄ぼうという二人の姫。 異界の姫君、永世姫と常世姫の艶やかさ。 闇の手から、花心なる人の魂を守ろうとする青葉時実たち。 青葉時実と闇の姫君たちの間に、かつてあったらしい因縁。

しかし、闇の姫君や青葉時実がどういう存在なのか、 彼らが住まう異世界について何も語られない。 美しい言葉と雰囲気で築かれた、現世と異世界が混ざり合う、 曖昧でとらえどころのないような、不思議な物語だが、 艶っぽいところが魅力だ。

以前ここでも紹介した、波津彬子さんのコミックス 『異国の花守』がとても素敵な物語だったので、 その解説を書いていた菅浩江さんの 『末枯れの花守り』もぜひ、読んでみたいと思った。 しかし、読み終わってみると、非常に曖昧模糊としていて、 ビミョーな読後感である。

その中で、「曼珠沙華」の子狐の物語は、 せつなくて、今も心に残っている。
(シィアル)


『末枯れの花守り』 著者:菅 浩江 / 出版社:角川文庫

2002年02月25日(月) 『スター☆ガール』

お天気猫や

-- 2003年02月24日(月) --

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『めざめれば魔女』

☆大人になるのは、ちょっとこわい。

原題は『チェンジオーバー』。 舞台はニュージーランド。 離婚した母と幼い弟の三人で暮らしているローラ・チャーントは、 なぜだか、同じ学校の少年ソリーことソレンセン・カーライルが 「魔女」であることを見抜いている。

そんなある日、弟のジャッコが、不気味な呪いを 浴びせられてしまい、病気になる。 ローラはソリーとともに、呪いをかけた相手との 孤独な闘いを始めるのだった。

二つの通過儀礼が描かれる。 思春期の少年少女の大人への道と、変身というダブルス。 懲悪のファンタジーであると同時に、 内側を見つめ、未知の自分をつくりあげる成長の物語。

一見うまくゆかないような胸をふさぐ状況が、 じつは終わってみれば必要な体験だったりするというのを 大人たちは経験から知っている。 でも、ローラたちには、これからなのだ。 嵐のただなかにいる船。

そしてソリー! 会話ごとに魅力を増してゆくソリー。 ローラと対をなすかのような少年、ソリー。 ソリーもまた、おおいなる問題を抱え込んでいた。 彼の属する一族、風変わりで不思議な家族のもとに 生まれなくても、問題の種はあるのだから。

ソリーがローラを「チャーント」と姓で呼ぶのが なんともいえず快かった。 ローラに、あんたは自分の部屋の内と外ではちがう、 といわれて、そわそわするソリー。 とつぜん矢のようにソリーの内側へ到達したローラを、 私たちはソリーの目をもって眺めるのだ。
(マーズ)


『めざめれば魔女』 著者:マーガレット・マーヒー / 訳:清水真砂子 / 出版社:岩波書店

お天気猫や

-- 2003年02月21日(金) --

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☆活字が先? 映像が先?

私は楽を求めるタイプなので、まず、映像を見てから 本に入ることには、抵抗がありません。 映像のイメージにとらわれるのを嫌う人も多いようですが、 活字の創造力は、軽く映像を越えるので、 「映画(テレビ)よりずっと、凄かった」と、 後で本を読んでも、単純に感動するタイプです。

今、小説世界に没頭するために、まず見ようと思っているDVDが、 『高慢と偏見』(原作:ジェイン・オースティン)と 『ゴーメンガースト』(原作:マーヴィン・ピーク)です。

映画『ユー・ガット・メール』では、 ヒロインのキャスリーン(メグ・ライアン)が、 「私、『高慢と偏見』を200回は読んでるの」というシーンがあるのですが、 200回どころか、私の周りでは、たった1回が読み終わらない知人が複数います。

私も、『高慢と偏見』には、コムツカシイ本で面白いはずがないという 偏見があり、長いこと敬遠していました。 初めて本を開いてみると、すぐに面白い本であることはわかったのですが、 訳が無味乾燥で、このDVDを貸してくれた同僚のように、 なかなか、読み進みません。 『高慢と偏見』は、映画『ブリジット・ジョーンズの日記』とも関わりが深く、 BBCドラマ『高慢と偏見』で“Mr.ダーシー”役のコリン・ファースが、 『ブリジット・ジョーンズの日記』の“マーク・ダーシー”を演じています。 ここはひとつ、コリン・ファースの力を借りて、 ドラマ視聴後に、一気に読み上げたいともくろんでいます。 これが、キャスリーンのように、200回の1回目になるかもしれないし(笑)。

一方の『ゴーメンガースト』も、とても面白い大河ファンタジー ということだけれど、残念ながら、最初はちょっと読みにくいとのこと。 三部作とその外伝的な物語(「闇の中の少年」)を含む 短編集『死の舞踏』を積み上げ、読みあぐねていました。 原作に魅了されたスティング、リドリー・スコットやテリー・ギリアムが 映画化に挑んだようですが、壮大な原作に、映画化を断念したそうです。 それをBBCが5年かけて完成させたのが、この手元にある二枚組DVD。 『ロード・オブ・ザ・リング』と双璧を為すエピックファンタジー という惹句にわくわくしています。

しかし。 困ったことに、どちらも長編ドラマで、なかなかDVDを見る時間がない のが現状で、本への道のりは、さらに遠いのですが。
(シィアル)


小説
『高慢と偏見』(ジェイン・オースティン / 岩波文庫)
『ゴーメンガースト』(マーヴィン・ピーク / 創元文庫)  ・(三部作)『タイタス・グローン』『ゴーメンガースト』『タイタス・アローン』  ・(短編集)『死の舞踏』  
DVD
『高慢と偏見』(1995年 / 311分)DVD2枚組
監督:サイモン・ラングトン
出演:コリン・ファース / ジェニファー・エイル
『ゴーメンガースト』(2000年 / 235分)DVD2枚組
監督:アンディ・ウィルソン
出演:ジョナサン・リース・マイヤーズ / クリストファー・リー
『ブリジット・ジョーンズの日記』
監督:シャロン・マグワイア(2001年 / 97分)
出演:レニー・ゼルウェガー / ヒュー・グラント / コリン・ファース
『ユー・ガット・メール』( 1998年/ 119分)
監督:ノーラ・エフロン
出演:トム・ハンクス/メグ・ライアン

2002年02月21日(木) ☆おまけにつられる。
2001年02月21日(水) 『六番目の小夜子』 (1)

お天気猫や

-- 2003年02月20日(木) --

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『レベル21』

「アンジュさんの不思議(マジカル)ショップ」と サブタイトルがついている。 小学校6年生の瑠璃子が出会った、不思議なお店、レベル21。 人形やアクセサリー、小物にまじって、 誰かのための銀のスプーンなんかも置いてある、女性向きのお店。 経営しているのは、長い髪の占い師、アンジュさん。 彼女がナビゲーターとなって 瑠璃子の平凡な日常が、変化してゆく。

ときおり超自然な行動をしてみせるアンジュさんが 本当はいったい何者なのか、瑠璃子にもよくわからない。 でも、気が向くままにレベル21を訪れてしまう。 このお店が、実在するのかどうか疑う瞬間もある。 ただ、いまの彼女にとって、どうしても必要だった からこそ、レベル21は彼女に発見され、導き入れたのだ、 ということを、どこかでは理解しているけれど。

次々とアンジュさんがくりひろげる ニューエイジなエピソードの数々にいろどられ、 子ども時代の最後のカーヴを過ぎゆく瑠璃子の、 不思議な時間感覚。

その時期特有の、生まれ変わるような感覚。 家族でも友人でもない、大人の女性と過ごした かけがえのない時間。 いつか自分もあんな風になれるのだろうか? そんなことを思いながら、 幼い感情をもてあました日々も、 瑠璃子のなかに、ずっと残ってゆくのだろうか。 そう、きっと。 終わりも始まりもないような、 インナー・スペースの引き出しのなかに、 感情も体験も、居場所を見つけるのだ。
ほほえんでいるアンジュさんの姿とともに。

巻末に説明されている用語は、
ハーブ
ポプリ
水晶占い
ヘンリー八世
メアリー・テューダー
波動
サイコメトリー
デジャ・ビュウ
輪廻転生

…これだけでも、レベル21の世界が あなたを電気的に招くのではないだろうか。 (マーズ)


『レベル21』 著者:さとうまきこ / 絵:小澤摩純 / 出版社:理論社

2002年02月20日(水) 『赤毛のアンのレシピ・ノート』
2001年02月20日(火) ☆佐々木倫子

お天気猫や

-- 2003年02月19日(水) --

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『えんの松原』

☆陰と陽のおりなす人の世。

猫やのお客さまからの推薦本。 このタイトルを知ってから、ずっと「えん」の意味をはかっていた。 本を読み始めてもすぐには明かされない。 ずっとひらがなで、なかばをすぎてやっと示される。 陰と陽のおりなす、人の世界のことわりとともに。

京の都、御所のなかにあるという「えんの松原」。 人の恨みが怨霊と化し、そこに巣くうという。 菅原道真はすでに怨霊の代表格として知れ渡り、 その後も怨霊のしわざは絶えない。

主人公の少年、音羽は両親を亡くし、縁者を頼り、 少女に変装して宮中の男子禁制エリアに住んでいる。 孤独な音羽がふとした機会に知り合った少年は、 お忍びの冒険に出た憲平親王だった。

その血筋を恨む怨霊にたたられ、 成人することはあるまいと世間に思われている憲平。 藤原氏の天下となった時代、零落した一族の末裔として 生きることを余儀なくされている音羽。 音羽と憲平は、身分を越えた信頼を結び、 えんの松原の怪と戦いはじめる。

こうしてあらすじだけを書くと単純なのだが、 ぶあつい塊を読み終えると、一筋縄ではいかない。 物語る言葉はシンプルでいて、上手い。 人物たちの魅力と歴史的背景のリアルさ、 小道具の巧みな配置。 魔と闘うことは重要なテーマだが、 血のかよった人物達のそれぞれが抱えている ふるえるような悩みを、押し付けず伝える。

人が人として生きられるのはなぜか。 他者の弱さを受けとめる力を、 身をもって教えてくれるのは誰か。 「えん」はなぜ、消されずそこにあるのか。 そうしたことを考えなくても、大人にはなれる。 しかし、 一生そうしたことから逃げるわけに いかないのも人生なのだから。 (マーズ)


『えんの松原』 著者:伊藤遊 / 絵:太田大八 / 出版社:福音館書店

2002年02月19日(火) 『ひと月の夏』
2001年02月19日(月) ☆植物たちの夢

お天気猫や

-- 2003年02月18日(火) --

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『幸せなフランス雑貨』

☆雑貨は暮らしを楽しくする。

「今は昔」の話になりますが、かつて、NHK出版から しゃれた生活雑貨の雑誌が出ていました。
『H2O』といいます。
年間購読していた時期もあったのですが、ふっと気づいたときには、 廃刊になっていて、とても残念に思ったことです。

雑貨好きなので、雑貨の特集をしている雑誌は、 捨てずにとっているので、その「H2O」も所々を欠けながら、 3年分くらいは残っているのですが、今でもときおり、 季節にあった特集をめくっています。

その『H2O』に、何気なくもかわいらしいフランスの生活雑貨を 紹介するページがありました。今でこそ、割と簡単に、 フランスに限らず、しゃれた外国雑貨を手に入れることが できるのですが、あの頃は、まだ物珍しくて(特に地方では)、 ロマンティックにさえ見えた、フランス雑貨に憧れたものでした。 当時、『H2O』で「パリからの贈り物」として 連載されていたものをまとめたのがこの本です。

著者の稲葉さんがフランスで見つける数々の生活雑貨は、 しゃれているけれど、それぞれに温もりがあり、 長い時間人々に受け継がれてきた物ばかり。

いなかの小さなお店や市場、のみの市、美術館のショップ、 専門店、あらゆるところで素敵な物、 自分にとってのただ一つのものを見つけていきます。

ただ、ぬくもりのある手作りの物や、 職人技の雑貨やおもちゃが着々と消えていっているのは、 洋の東西を問わず同じで、もったいないことです。

物へのこだわりは、暮らしへのこだわり、 人生へのこだわりの第一歩だと思います。 「こだわり」ばかりでは、毎日が面倒くさいけれど、 自分の日常に「お気に入り」が増えていくことは、 とても楽しいことです。誰でも、自分の好きな物、好きなこと、 好きな人だけに囲まれて暮らせたら、どんなにか幸せか…。
現実は、ままならないことばかりなのですが。

とりあえず、私にとって、自分の好きな物に囲まれての暮らしは、 手の届く範囲のちょっとした贅沢です。 時間をかけて、ゆっくりと、気に入る物を探す楽しみ。 思いがけず、大好きな物に出会う喜び。

仕事やらそれに付随する人間関係で、ストレスを貯めるばかりの 日々の中、ちょっとした「巣」づくり (いえ、「シェルター」づくり)の感もありますが。

とはいっても、雑貨探しは楽しみだけれど、意外な敵は、 ものが手に入りやすいこと。簡単に何でも、手に入ってしまうから、 考える前についつい買ってしまいたくなること。

結果、雑貨好きの部屋には、どうして買ってしまったのかわからない、 単品なら素敵なはずのあれこれが、ごちゃごちゃと、勝手に自己主張し、 あげく、ごちゃごちゃの群れの中にいつのまにか埋没している有様です。

それでも、懲りることなく、本のページをめくりながら、 写真やイラストを眺めていると、あれも欲しいこれも欲しいと、 「いつかフランスに旅行したならば」と、 買い物リストがどんどん伸びていきます。 ショップの住所や地図も併記されているので、 眺める喜びだけでなく、結構、実用的な一冊でもあります。 (シィアル)


『幸せなフランス雑貨』 著者:稲葉由紀子 / 出版社:NHK出版

2002年02月18日(月) 『ふしぎをのせたアリエル号』

お天気猫や

-- 2003年02月17日(月) --

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『ふくろう模様の皿』

☆英国版皿屋敷の怪。

ウェールズの田舎にある古い屋敷と自然を舞台に、 アリソン、グウィン、ロジャの三人が体験する ホラーと伝説に彩られた、大人への通過儀礼の季節。

ある夏、三人が屋根裏で発見した皿には、 不思議な模様が描かれていた。 そこから、たてつづけに不可解なできごとが起こる。 ストーリーの背景には、ウェールズの伝説「マビノーギオン」が 敷かれていて、これは私たちにはなじみのない伝説だが、 とつぜん三人の置かれた現実をおびやかす不吉さを つきつけ、人知を越えた因果現象を呼ぶ根源として 効果的に使われている。

アリソンとロジャは義理の兄妹。 そして、二人とは階級の異なる貧しい家政婦の息子、グウィン。 三人それぞれの抱える若さと未来に控える時間への畏怖、 親の世代との葛藤。

冒頭から怪奇な現象で読者をひきつけながらも、 単なる怪奇譚ではすまさない。 怪奇だけでも作家の秘めた相当な力を感じるが、 特に後半は、普遍的なテーマが傍流となって、 この作品を独特のムードに仕立てている。 ホラーを好きな人、ホラーを書いている人には ぜひ、読んでほしい作品ともいえるだろう。

普遍のテーマとは、少年でも少女でもない年代にさしかかった三人の、 ひとりひとり異なる苦悩の色。 ことに、グウィンへの母ナンシイの無理解は、 グウィンの今後の運命にも大きく関わってくるだけに、 かなり深刻なのだが、グウィンは母に理解されることは すでにあきらめてしまっている。

再婚した家族4人の方はといえば、屋敷内に暮らしていることが 話題にはのぼるものの、姿をあらわすことのなかった アリソンの実母(ロジャの継母)もまた、 なんら子どもたちを理解することはない。

アリソンの義理の父、クライブや グウィンの父は、子どもたちを理解しようと 努力しているようにも見えるのだが。

この対照的な母と父のありかたに、 作家の隠れた意図を知りたいと思いつつ、 ふくろうの飛び交う夜の森が、 今は私のまわりを取り巻いている。(マーズ)


『ふくろう模様の皿』 著者:アラン・ガーナー / 訳:神宮輝夫 / 出版社:評論社

お天気猫や

-- 2003年02月14日(金) --

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『コーちゃんのポケット』

☆くまのコールテンくんのその後。

デパートからリサの家にやってきた、 みどりのコールテン(コーデュロイ)ズボンをはいた ぬいぐるみのくま、コールテンくん。

あのときははらはらさせられたけど、 その後の話もやっぱり気になる。 この絵本は、コインランドリーへと歩くリサと お母さん、そして「コーちゃん」と呼ばれる コールテンくんの姿から始まる。

そこでコーちゃんは、みんながポケットを もっているのに、自分だけはポケットがない! ことに気づいてしまう。
これは、なんとかしなくちゃ。

何をしても絵になってしまうコールテンくんだが、 ポケットをさがしてうろうろしたり、 迷子になって洗剤を浴びる姿は、 くまのぬいぐるみらしくて、ほっぺたが落ちそうに なってくる。

コーちゃんは、リサと再会して、 ほしかったポケットをつけてもらう。 最後にコーちゃんがひたる幸せは、 絵本を読んでいる子たちみんなが感じる あたたかいお湯のようなものなのだろう。 リサがちゃんとコーちゃんのほしいポケットを 知っていた、という大満足のおまけつきで。

お誕生日にあれがほしいな、って ひそかに思っていたら、お父さんが 確かにそのほしかったものを 手渡してくれたかのように。 (マーズ)


『くまのコールテンくん』


『コーちゃんのポケット』 著者:ドン・フリーマン / 訳:西園寺祥子 / 出版社:ほるぷ出版

2002年02月14日(木) ☆個性。
2001年02月14日(水) ☆ 恋人は、「時」の彼方から

お天気猫や

-- 2003年02月13日(木) --

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『まいごになったおにんぎょう』

☆おもちゃ文学の裾野は広く、はてしなく。

女の子の姿をした小さなお人形が、 スーパーマーケットの冷凍ケースに落っこちて、 そこで暮らすうちに、 ほんとうの友だちに出会うチャンスがくる。

この絵本のお人形は、動けるししゃべれるし、 おなかもすくのだけど、 このケースを自力で出ることはできないらしい。 おそらく壁をよじのぼれないからだろうが、 しかしそれだけでもないみたいだ。 お人形は、持ち主だった女の子にきらわれて しまっていたから、人形としての 自信をなくしかけていたのだろう。

それでも、野菜やアイスなんかの冷凍食品が あれこれ並ぶ冷凍ケースのなかは、 日本人の私たちにはなじみのないパッケージで なかなか楽しい。 スライスド・ビーンズに ブロード・ビーンズ(ソラマメ)、 ブロッコリー、 スピナッハはホウレンソウ。 冷凍のイチゴもある。

やがて、誰もしらないお人形がそこにいることを、 お人形が大好きな女の子が発見する。 お人形と女の子は、少しずつ、 手順を踏んで、親しくなっていく。 女の子の思いやりの細やかさ、 お人形へのプレゼントのすばらしさは お人形でない身も、うっとりしてしまうほど。

この絵本をくりかえし読んでしまったら、 スーパーの冷凍食品コーナーに、 ガサゴソと荒っぽく手を入れることはできなく なるだろう。 だって、そこには、誰もしらないお人形が、こわごわと 見上げているかもしれないから。 (マーズ)


『まいごになったおにんぎょう』 著者:A・アーディゾーニ / 絵:E・アーディゾーニ / 訳:石井桃子 / 出版社:岩波書店(岩波子どもの本)

2002年02月13日(水) 『ミッドナイト・ブルー』
2001年02月13日(火) 『ファッションデザイナー』その(2)

お天気猫や

-- 2003年02月12日(水) --

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『だいすきよ、ブルーカンガルー!』

☆特別な(はずの)ぬいぐるみと、女の子の絵本。

ピンクのリボンがかわいい、ちっちゃなリリーと ぬいぐるみのブルーカンガルーは、 大人たちからの『ぬいぐるみプレゼント攻撃』を どんなふうにくぐり抜けるのだろう?

大人はついつい、子どもが大事にしているものを いくつも与えれば喜ぶのだと思ってしまう。 何回もそれで遊ぶのは喜ぶけれど、 何回も遊びなさいともらうのはちがうのだ。

目にすると、まっさきに明るい色彩がとびこんでくる 大判の絵本。 とりわけ、ブルーのカンガルーをきわだたせる 計算された色づかいにも酔ってしまう。

子どもはお気に入りの絵本を何度も何度も 読んでもらいながら、絵本の世界を体験している。 主人公のブルーカンガルーが 見捨てられたりはしないだろうか? ほかのぬいぐるみにくらべて ほんとうにそれほど魅力的なんだろうか? と心配になったりしながら。

だいじょうぶ、ブルーカンガルー。 気持ちはいつでもピンクでいられる。 受け入れることしかできないぬいぐるみの身の上でも、 ちゃんと気持ちは通じているから。

だいすきなブルーカンガルー、 いつまでも一緒にいようね。 (マーズ)


『だいすきよ、ブルーカンガルー!』 著者:エマ・チチェスター・クラーク / 訳:まつかわまゆみ / 出版社:評論社

2002年02月12日(火) ☆街のワンダーランドにて。
2001年02月12日(月) ☆古いエイビーロード。

お天気猫や

-- 2003年02月10日(月) --

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『ひかりの国のタッシンダ』

外の世界の害悪から毒の霧で守られた山上のファンタジーランド、 タトラン人の王国で起こる、少女タッシンダをめぐる物語。

その国の人々はみな白い髪、青い目をしているのに タッシンダは、ひとり、金の髪に琥珀の目。 それは、タッシンダが、誰も知らない外の世界に生まれたことを 意味するのだった。

やがて庇護者をなくしたひとりぼっちのタッシンダが、 この国でどうやって生きていけるのか、 まず私たちが心配なのはそのこと。 しかも、タッシンダにはタカタン王子という 身分ちがいのあこがれの人もいる。

そして一方に、平和な桃源郷を狙う金の亡者があらわれ、 タッシンダやタカタン王子も、生命と財産を守る戦いに巻き込まれる。 人より少しでも多くの黄金を所有することが最高とされる 醜い巨人、ガドブラン人の描写は、そのまま私たち人間への 絶望とも皮肉とも取れる。

しかし一方では、平和を自然にかたちづくって生きる タトラン人の世界への信頼も描かれる。 人の内側には、そのような世界もまたあるのだと、 作者のエンライトは物語を織りひろげる。 その平和な世界にすらも存在する、異分子への偏見も含めて。

この物語は、30年以上を経て、近年に復刊された。 巻末で訳者は、原作の文章力を賞賛している。 翻訳作業がとても楽しかったという訳文も魅力的だ。

タッシンダという名は、「タッチング」に似て、 人のこころをとかすのだろうか。 (マーズ)


『ひかりの国のタッシンダ』 著者:エリザベス・エンライト / 絵:アイリン・ハース / 訳:久保田輝男 / 出版社:フェリシモ出版

2001年02月10日(土) 『夏草の記憶』

お天気猫や

-- 2003年02月07日(金) --

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『ロザムンドおばさんの花束』

☆冬の日だまりのような、柔らかで暖かい物語集。

さて、『ロザムンドおばさんのお茶の時間』が 人生の春から夏の物語なら、 『ロザムンドおばさんの花束』は、 すでに人生の秋から冬にさしかかっている。 (※『ロザムンドおばさんの贈り物』が、この短編集シリーズの 最初の一冊で、三冊のうちでは一番有名なはずだが、 残念なことに、近隣の図書館には、なぜだかこの本がなく、未読。) 生き生きとしたみずみずしさよりも、多少の諦念を含み、 静かで落ち着いたほろ苦さが味わえる。 もちろん、若いときのように「より」多くを望みはしないが、 老いても老いたなりの人生への希望はある。 小声でささやくような、静かで密やかとも言える願い。

秋から冬へのもの悲しさを知っているからこそ、 物語はより繊細に描かれている。 秋には秋の、冬には冬の美しさがある。 だからこそ、いくつになっても人生の輝きは失われない。 夏のぎらつく太陽でなくても、 冬の晴れた日の、日だまりの温もりで十分なのかもしれない。

年とともに積み重ねられるもの、心の襞を丹念にたどれば、 無味乾燥な人生などないだろう。 平凡な人生であっても、時に乗り越えがたい悲しみがあり、 かと思えば、ほんの些細なことに人は慰めを見いだし、 人生のほのかな希望の光に出会う。 ピルチャーは、そういう平凡な生活の中の彩りを 温かい眼差しで見つめている。

私が特に好きな物語は、


「人形の家」
(父を亡くした家族思いの少年と隣家に越してきた男性との触れ合い)
「ブラックベリーを摘みに」
(うまくいかない恋に悩む女性と幼なじみの再会)
「息子の結婚」
(息子の結婚を控えた母とその息子の語らい)

どの物語も、深いけれども言葉にしがたい漠とした悲しみが慰められ、 やがて新しい喜びへと変っていく。 「初めての赤いドレス」も、物語が終わった後の、 その後に続くであろう素敵な結末に胸が躍る。

良質な物語を読んだ後の、余韻に浸りつつ、 次は、少しでも長く、ピルチャーの美しい世界を味わいたいと、 図書館から、早速、長編を借りてきました。
(シィアル)

 ※ロザムンド・ピルチャー
1924年、イギリスのコーンウォール州生まれ。
『シェル・シーカーズ』が代表作。
他に、『九月に』『コーンウォールの嵐』『メリーゴーラウンド』
『スコットランドの早春』『夏の終わりに』『野の花のように』など
イングランド・スコットランド・ウェールズを舞台にした長編多数。
多くの作品が各国で翻訳され、世界中でベストセラーを記録している。

「メリーゴーラウンド」(書評:マーズ)


『ロザムンドおばさんの花束』 著者:ロザムンド・ピルチャー / 訳:中村妙子 / 出版社:晶文社

2002年02月07日(木) ☆何となく好きなもの
2001年02月07日(水) 『わたしには向かない職業』

お天気猫や

-- 2003年02月06日(木) --

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『ロザムンドおばさんのお茶の時間』

☆イギリスの田園の平凡で、美しい暮らし。

ずいぶん前に、『ロザムンドおばさんの贈り物』が話題に なっていたことは知っていたけれど、ピルチャーの著書を 読むのは初めて。 こんな気持ちのいい本を今まで、見過ごしていたとは、 とても損をしたような気分。

とにかく、ロザムンド・ピルチャーの短編集は、 どの物語も読んでいて心が晴れやかになる。 イギリスの田園の美しさ、自然の豊かさとともに、 その地に暮らす人々、その地を愛する人々の日常の 「愛」や「情」がさらりと描かれている。

小説の中に登場する人々は、みんな普通の人たち。 その登場人物へのピルチャーのまなざしは、 日だまりのように暖かで、読みながらいつの間にか微笑んでしまう。 若ければ若いなりに、老いれば老いたなりに、 日々抱える苦しみや悲しみもあれば、喜びもあるし、 もちろん、いくつになってもそれぞれ自分の人生への期待や希望がある。 どの話にも、日常的でほのかな希望が灯るのがいい。 ゆっくりと自然に、物事がよい方に流れていく。 その「自然」な感じが、とても好きだ。

読んでいて気持ちのいい話ばかりなので、 次々と読み進み、あっという間に1冊読み終わってしまう。 そのほのかに灯った希望の、その先まで読みたいと、 そう思うが、物語は、淡々と終わってしまう。 もっと、この幸福な気持ちに浸っていたいという、強い思い。 そこがピルチャー作品の魅力だと思う。

『ロザムンドおばさんのお茶の時間』は、 初恋の少年に再会し、お互いの気持ちが通じ合う話 (「雨あがりの花」「湖に風を呼んだら」)や 少年と孤高な男性との間に芽生える友情を描いた話 (「丘の上へ」)など、登場人物の年齢が若く、 例えれば、人生の春から夏の物語。

私が特に好きなのは、「丘の上へ」と「再会」 「丘の上へ」では、10歳の少年オリヴァーが厳しい風貌の男性 ベン・フォックスの内面に触れ、お互いに心を開きあう。 オリヴァーから見たベンは、

際立った風貌  
びっくりするほど背が高く  
髪の毛と顎髭の燃えるように赤い色  
まじろぎもせぬ青い目

で、最初は、うさんくささと恐怖感を覚えるが、招き入れられた彼の部屋を見て、 恐ろしさよりも惹かれる気持ちが強くなる。

壁という壁に本棚が並び、しかもどの棚にも本がぎっしりと  
詰まっていた。オリヴァーは家具にも目を見張った。ゆったりと  
した、すわり心地のよさそうなソファー、エレガントなブロケードを  
張った椅子、見るからに高価そうなハイファイのプレーヤーの脇に  
LPのレコードが山づみになっていた。(本文より引用)

オリヴァーならずとも、ベンの部屋には、憧れと嫉妬を覚えてしまう。完璧だ。

短編集だから、何もかもが克明に描き込まれているわけではないが、 ここぞという時の、自然の美しさの描写や繊細な心の動きの細やかな表現に、 じっくりとその情景を心に描き出そうとページをめくる手が止まってしまう。

「再会」は、老境にさしかかった一人暮らしの古城の女主(メイベル伯母)が 賑やかなパーティを最後に城を手放す話で、これに若いふたり(トムとキティ) のロマンスがからむ。古城と老婦人の最後の輝きへのセンチメンタルな思いと共に、それぞれの再出発の物語。 理解者が乏しく、若い頃は回りに逆らい、無鉄砲なことばかりして、 つらい思いもしてきたキティが、新しい生活を始めるために、 トムに言ったせりふが印象的。

「自分の人生は自分で取りしきりたいのよ。」

再会したトムとキティ、住み慣れた城を離れ新しい生活に踏み出そうと するメイベル伯母のこれからの物語をもっと読みたい、 この先を知りたいと思ってしまう。

どの登場人物も、ささやかだけれど市井の自分自身の生活を 大切にしているのだ。 たぶん、その手の届きそうな幸福への予感に、 共感し、心地よさを覚えるのだろう。 それは、ごくごく普通の生活であるが、 一方では、遠いあこがれの中の夢の暮らし であることもわかっているが。
(シィアル)


『ロザムンドおばさんのお茶の時間』 著者:ロザムンド・ピルチャー / 訳:中村妙子 / 出版社:晶文社

2002年02月06日(水) ☆すき間読書、じっくり読書。
2001年02月06日(火) 『巫子』

お天気猫や

-- 2003年02月05日(水) --

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『山びこのメルヘン』

☆ネットで手に入れた「懐かしい思い出」。

絵の説明を言葉でするのはむずかしいけれど、 子どものころ読んだ童話には、よく、 鈴木義治の挿絵が描かれていた。

『美女と野獣』の再話風の物語は、 本が手もとにない今でも、思い返すことがある。 風にとばされそうな女の子の胸中を想った そのころの気分といっしょに。

そのひとの描く外国のお姫様や風景は あまりにも自然に、子どもの胸に入ってくる。 うれいを帯びた人物の表情は、 子どもごころにも、デフォルメされた表現の、 豊かなふところを感じさせてくれた。 そう、この人は、上手なふりはしていないけれど、 こういう絵を描く人は、かなりうまいのだろうなと 想像してみたり。

タッチは絶対日本の絵じゃないのに、 なぜか日本の風景もそのままに描ける、 不思議なヴェールのかかったような絵。

大人になって『ハーメルンの笛吹き男』を描いた絵本を見て、 画家の名前を思い出した。 それからときどき気になっていたけれど、 いま、やっと、1977年発行の画集を手にいれることが できたのだった。

『山びこのメルヘン』というタイトルだけで、 知る人には、鈴木義治的な世界が、 湧き上がるように想像されることだろう。

私があえて画集を探していたのは、 画家本人のことを何も知らなかったから。 さしものネット界でも、鈴木義治の情報は少なかった。 画集には奥付にプロフィールが載っている。 それによると、もともとは宣伝美術の世界にいて、 画家としても数々の経歴を経て、 1965年ごろから児童書や絵本の仕事を多く 手がけるようになったという。

後書きに当たる「私とひとりごと」で、 画家のことばを初めて読んだ。

何度もうなずきながら。

そこに、画家の絵筆の先にあらわれている 不思議な線にやどった魂が仄見える。

夢を実現させるには、経験のつみ重ねよりないとなれば、
十年のわずかな経験でも、やがて未来の夢を実現させてくれる
ことと信じています。  (後書きより引用)

(マーズ)


『山びこのメルヘン』鈴木義治画集 著者:鈴木義治/ 出版社:岩崎書店(現在入手不可です)

2002年02月05日(火) 『アラバマ物語』
2001年02月05日(月) 『私家版』

お天気猫や

-- 2003年02月04日(火) --

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『光をはこぶ娘』

☆底流にあるのは、少女の成長と喪失の物語。

メリングの編む現代のアイルランドを舞台としたケルトの妖精物語の5作目。  →(参)『ドルイドの歌』『歌う石』『妖精王の月』『夏の王』

物語の世界としては、『妖精王の月』『夏の王』『光をはこぶ娘』は、 それぞれ物語がつながり、カナダに舞台を移した次作も控えているらしい。

11歳の少女ダーナは、父親とふたりで暮らしている。 3歳の時に、母親はダーナたちを残し、行方不明になったまま。 ティーンエイジャーとなったダーナにとまどう父は、 アイルランドを離れ、故郷カナダに戻ることを決意する。 アイルランドから、どこかにいるはずの母の存在から、 離れたくないダーナ。
やがて彼女は、妖精界に入ったオナー(参『夏の王』)から、 願い事と引き替えに<上王(ハイ・キング)>から<ルーフ王>への ことづてを託される。

前作の『夏の王』では、主人公ローレルの旅は、 妖精国とこの世を救うためであるが、 もう一方では、事故死した妹“オナー”への贖罪の旅であった。 その“オナー”から託されたことづてを持って旅立つダーナの旅は、 行方不明の母との再会を願う旅であった。

冒険を通し、真実に出会い、心身共に成長していく少女。 前作と違って、主人公の少女がまだティーンエイジャーの 入口に立ったばかりなので、ロマンスは控えめだが、 困難な悲しみを乗り越えて、少女が真実を見いだし、 やがて運命を受け入れ成長していく姿に心打たれる。

私にとっては、妖精と人間の「ロマンス」が、 このシリーズを読む楽しみの一つであったが、 今回は「ロマンス」が控えめである分、少女の成長が、 −成長にともなう悲しみ、大人になるためのさまざまな「喪失」が− より細やかに描かれている。 物語の少女たちは、大切なものを失う悲しみ・ 苦しみを知ることで、より大切なものを手にしていく。 心を裂かれるような犠牲とともに、自分自身を、自分の生きる 道を見いだすのだ。

さらに、この物語で興味深かったのは、 現実的な環境問題が物語に織り込まれていること。 他の物語と同様、現実の人間界と妖精界は表裏一体の運命共同体。 特に、この物語では、その点がきっぱりと描かれていて、 私たちの抱える環境問題と妖精国の存続の問題は不可分である。 <妖精国>は、夢のおとぎの世界ではなく、現実にあるのだ。

話は飛躍するが、公共広告機構の中四国地方バージョン(2000年頃)に 「妖怪たちが泣いている。」という、水木しげるさんのビジュアルによる 環境保護の広告があった。
自然が消えていけば、そこに住まう妖怪たちも消滅するのだ。 妖精国も、しかり。 森が消えれば、森にまつわる話も消えていく。 古い村や町が消え、すべてが開けて街になって、 人がみな街に住むようになれば、 古い物語の語り部もいなくなってしまうのだ。 私たちは、地球上のすべての生き物とだけでなく、 目に見えぬ古からの住人たちとも、世界を分け合っているのだと、 しみじみと考える。
なんと壮大なEarth Share(アースシェア)なのだろう。

また、この物語に限らないが、 物語を支えるケルト神話のエピソードも見逃せない。 ケルト神話の「蝶になったエーディン」に題材を取っているが、 元の物語と、結末が逆転していたところも興味深かった。  
→(参) 『ケルトの神話―女神と英雄と妖精と』著者:井村君江 / ちくま文庫
値段も手頃で、ケルト神話を手軽にひもとくのに、おすすめです。

もちろん、このエピソードに限らず、登場人物の名前も ケルトの古の物語に拠っている。 たとえば、(蛇足だけれど、)主人公のダーナは、ケルト神話の ダーナ神族(トゥアハ・デ・ダナーン)の母神ダヌー(ダナー)からだとか。
名前の由来からも、少女ダーナの果たすだろう役割の重大さがよくわかる。 次作は、カナダに舞台を移しての物語になるようで、 新しい展開が楽しみで、とても待ち遠しい。(シィアル)


『光をはこぶ娘』 著者:O・R・メリング / 訳:井辻 朱美 / 出版社:講談社

2002年02月04日(月) ☆最近読んでいる本

お天気猫や

-- 2003年02月03日(月) --

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『黒ねこのおきゃくさま』

☆「迷わずに与える心」の絵本。

ある冬の寒い夜、 貧しいおじいさんの家にやってくるお客さま、 それは一匹の黒ねこ。

野良らしいけれど、人間に飼われていたのか、 人なつっこい黒ねこは、 おじいさんの世話になって、元気をとりもどす。

「野良にエサをやって、居ついたらどうしよう」
「飼えるわけでもないのに、エサをやったらいけないよ」
「もといたところに捨てておけばいい」
…というようなおじいさんではない。 残り少ない自分の食べものを与え、 暖炉であっためてあげる。

ねこもまた、次々と要求する。 家のなかに入れてもらったら、次は食べもの。 ささやかなごちそうのありかをちゃんと知っていて、 「まだぺこぺこ、もっと欲しい、どうしてくれないの?」 とばかりに鳴いて催促する。 ああ、うちのねこみたい。

お話もいいけれど、絵もねこ上手というか、 ねこのしぐさや表情がリアルに描かれている。 きっとねこ好きな画家なんだろう。 そして、おじいさんの表情のやさしさにふれると、 黒ねこでなくても、寄りつきたくなる。

ほのぼのとしたお話なのだが、 この話のおじいさんもねこも、 「飢える」ということがどういうことか、 わかっている。 一度の食事が、何日先の未来を意味するのかも。

だからこそ、 黒ねこは、おじいさんに泊めてもらえたのだ。 ずっと先の安楽のためではなく、 いまここで飢え、尽きかけている生命に 手をのばすことは、やはり「やさしさ」だと 私は思っている。 (マーズ)


『黒ねこのおきゃくさま』 著者:ルース・エインズワース / 絵:山内ふじ江 / 訳:荒このみ / 出版社:福音館書店

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