2008年03月06日(木)  応援したい人

島根に住む女性から「はじめまして」とメールをいただく。わたしが脚本を書き、NHK-FMの青春アドベンチャーで放送された『アクアリウムの夜』という連続ラジオドラマに出演された秋元紀子さんを応援している方だという。今月下旬に横浜で秋元さんのひとり語り公演があるのだが、宣伝が苦手な秋元さんを見かねて、お手伝いを買って出た様子。秋元さんの人徳だなあとしばらく会っていない顔を懐かしく思い出しながら、「何らかの形で宣伝できないでしょうか」という相談に応えるべく、日記に書くことにした。

『アクアリウムの夜』で秋元さんが演じたのは、主人公たちがたまり場にしている喫茶店を切り盛りするすてきなお姉さん、だけど封印された過去を抱えているミステリアスな光と影をあわせもつという難しい役どころ。ラジオの前のリスナーをぐぐっと引きつけたその声は、繊細さと意思を持った力強さが同居した不思議な魅力があって、上質な音楽のように耳に心地よく、それでいて、メッセージをしっかり運んで残していく。そよ風が通り過ぎた後に窓辺のカーテンを揺らし、春の気配も置いていくように。

秋元さん本人はわたしより少し年上で、背丈もわたしよりあるのだけれど、少女のような印象がある。そして、そんな恰好の秋元さんに会ったことはないはずなのに、彼女を思い浮かべるとき、わたしは白いワンピースに麦わら帽子の女の子を思い浮かべてしまう。そのイメージは、ラジオでお仕事した後に聞きに行ったひとり語り公演の印象に引っ張られているのかもしれない。安房直子さんの童話と運命的な出会いをした秋元さんは、安房さんの世界を語り継ぐ語り部となる決意をし、年に何度か「安房ールド(=awa+world)ファンタジー」と題したひとり語り公演を各地で行っている。透明感のある安房ールドと秋元さんの声は相思相愛のように響き合って、物語の世界にすーっと溶け込むように入っていける。わたしが観たのはもう何年も前のことになるけれど、時を経ても優しいぬくもりのような余韻が残っていて、わたしの記憶の片隅に小さな安房ールドを確保している。そんな秋元さんのひとり語りの最新作は、島根の方によると、「転機になる」ような意欲作だそう。横浜へ足を運べる方はぜひ。東京では朗読会も開催される予定。

3月22日(土)2時/7時
みなとYOKOHAMA演劇祭08 参加公演
秋元紀子ひとり語り 安房ールドファンタジー  Vol.10
安房直子原作 『青い糸』
共演 ハープ演奏 長村美代子
岩崎博物館 山手ゲーテ座 045-623-2111
料金2995円
予約:グッドフェイス(goodface2007@gmail.com)

4月26日(土)4時
八重洲ブックセンター朗読会
安房直子原作 『きつねの窓』
NPO日本朗読文化協会主催


もう一通、「応援したい人」メールが届いた。こちらは、わたしのことも応援してくださっている大阪のさのっちさんから。さのっちさんとわたしの出会いは、パラリンピック水泳メダリストの河合純一さんの半生を描いた映画『夢追いかけて』で高校時代の純一を演じた勝地涼君が『パコダテ人』にも出演していたことが縁。さのっちさんは、『夢追いかけて』以来、パラリンピックを応援していて、河合純一さんや走り幅跳びの走り幅跳びの佐藤真海さんの情報をこまめに知らせてくださる。今回のお知らせは、パラリンピックの応援イベント。日本パラリンピアンズ協会(選手会)とHappy J Project(賛同者で作る応援団体)主催で開催するパラリンピック告知・応援イベントの第一弾。当日は、河合純一選手、佐藤真海選手、京谷和幸選手(車椅子バスケ)などの現役パラリンピアンが参加とのこと。パラリンピック選手のことをパラリンピアンと呼ぶことをはじめて知る。では、オリンピック選手はオリンピアン?

夢を翔ける〜パラリンピックアスリートからあなたへ〜
3月30日(日)13:30〜
東京プリンスホテル 2F
前売・予約1500円、当日2000円(1ドリンク付)※小学生以下無料


ファンというのはありがたいもので、わたしも応援してくださる方々に支えられているのだけど、学生時代に応援団にいたせいか、誰かを応援することも好き。就職活動のとき、「なんで選手じゃなくて応援するほうにいたの?」という質問をあちこちの会社でされて、そのたびに「応援団も選手と一緒に戦っているんです」と訴えた。応援したい人のために、何かせずにはいられなくなる。その気持ちは、遠巻きに見ている傍観者じゃなくて、手を取りあう併走者だと思う。

2007年03月06日(火)  『ゲゲゲの鬼太郎』×『子ぎつねヘレン』
2006年03月06日(月)  ヘレンウォッチャー
2005年03月06日(日)  傑作韓国映画『大統領の理髪師』
2002年03月06日(水)  家族


2008年03月05日(水)  自分の仕事に値段をつける

『アテンションプリーズ スペシャル』が一段落つき、何本か準備中の映画は「待ち」の状態で、ここのところ仕事はゆるやか。2月以来に書いたのはエッセイが3本と歌詞がひとつ。脚本は小直しがひとつあったぐらい。浮いた時間と手間は確定申告に費やされた。源泉徴収票を入力していると、「請求書送ったのにお金が入ってない」と気づくことがある。銀行へ行くのが面倒で記帳をさぼっているので、こういう事態が起こる。先方に確認してもらい、請求書を再発行する。ついでに、請求しそびれている仕事の請求書も書き起こす。

プロットや脚本を書いて返事を待っているうちに半年や一年はあっという間に経つ。書くときは「まだですか」と熱心にせっつかれるのだけれど、企画が立ち消えになっても連絡が来ないことが多い。「前に書いたあれ、どうなりました?」とこちらから連絡を取ると、「あれねー、ダメでした」と言われ、お金の話になるのだが、そこからが駆け引き。「いくら欲しいですか?」と聞かれ、「いくらぐらいでしょうかねえ」と聞き返し、「通常はこれぐらいもらってます」と希望を出し、「これぐらいでどうでしょう」と値切られ、といったやりとりを繰り返し、金額が定まる。

自分で自分の仕事に値段をつけるのは難しい。お高く見られてもお安く見られても後々困るのだけど、適正価格がわからない。「そんなに取ります?」なんて聞き返されると、「わたしの原稿にはそんな価値ないんだ」と落ち込む。遠慮がちな金額を提示して、「そんなに少なくていいんですか」と驚かれると、「もう少し高めに言っとけばよかった」と悔やむことになる。会社員時代は楽だった。上司との面談で「君の査定はこれぐらいだ」と言われて、はあそうですかと受け止め、決まった給料の中で時間や労力をやりくりして働いていた。今は逆で、かけた時間や労力に対して、後からお金がついてくる。ガツガツしてると思われたくないけれど、卑下もしたくない。ギャラは自分の仕事への評価を数字で表すものだから。

金額をあからさまに口にするのがはばかられて、「2でお願いします」みたいに言うことがある。こちらは「20万」のつもりで言ったのに、2万しか振り込まれず、愕然となる。相場があってないようなものなので、0がひとつ増えたり減ったりするぐらいの変動は平気で起こる。先日、プロデューサーから、あわてて打ったと思われるメールが届いた。「ギャラは120円でいいですか」。それは安すぎ!

2007年03月05日(月)  マタニティオレンジ87 プレ離乳食
2005年03月05日(土)  Uzさんの新ユニット『croon』
2002年03月05日(火)  情熱


2008年03月04日(火)  マタニティオレンジ246 耳掃除ムイムイ

ひと月ほど前、娘のたまが鼻風邪を引いたときに中耳炎が心配になって、耳を診てもらった。耳の中に棒状のスコープを突っ込むと、その画像がモニターに映し出されるのだが、それを見た看護師さんが、「うわ、のれん」と思わず声を上げた。鍾乳洞のようといおうか幽霊屋敷のクモの巣といおうか、白いものが何層にもぶら下がっているのが見えて、わたしはそれが中耳炎の炎症部分かと思ったのだが、「耳垢ですね。これじゃあ奥が見えません」と看護師さん。ピンセットでのれんを何枚かのけて、ようやく視界がひらけ、耳の奥が見えた。

助産院で「耳掃除はこまめに」と指導され、最初は綿棒でこちょこちょと中を拭っていたのだけれど、耳掃除好きなわたしは、ムキになったように掘ってしまう。娘の耳を傷つけることを恐れたダンナに「耳掃除はするな」と言われて以来一年ほどほったらかしにしてきた。そりゃあのれんも下がるだろう。

のれんを撤去すべく、一年ぶりに耳掃除。大人用の耳掃除棒で、力を入れすぎずにやさしく掻くと、子どもの耳垢とは思えないビッグな収穫。たまはいやがるかと思いきや、わたしの太ももに頭を預けて、うっとり。そういえば、わたしも母に耳掃除されるのが大好きだった。「ムイムイ」という言葉をすぐさま覚え、「ムイムイ」と言いながら太ももにゴロンとなり、耳掃除をせがむようになった。自分がされるのは好きだけれど、わたしがダンナの耳掃除をするのは嫌いなようで、明らかに不機嫌になり、邪魔をしにかかる。自分が中心にいないと面白くないのか、仲間外れにされたと思うのか、ママをパパに取られると焦るのか。先日は洗面所まで走って行き、洗面台に突っ伏してワンワン泣き出した。目の前じゃなくて、わざわざ離れた場所まで移動して泣くところがいじらしい。覚えたての「嫉妬」という感情をこんな風に表現するんだ、としみじみと感心した。

2007年03月04日(日)  マタニティオレンジ86 初節句
2005年03月04日(金)  押忍、ひさしぶりの総会っす。
2002年03月04日(月)  感想


2008年03月03日(月)  マタニティオレンジ245 みつけものとなくしもの

娘のたまが引き出しを開け閉めすることを覚えて、数か月が経つ。キッチンの引き出しから最近、洗面台の引き出しにターゲットを変えた。紅茶の缶や紙ナプキンより、化粧品や香水が出てくるほうが楽しいらしい。たまが手を突っ込んで掘り返すと、コピーライター時代に担当していた化粧品ブランドからいただいたマスカラやら口紅やマニキュアがざくざく出てくる。古いものは十年物、新しくても五年物。口紅の蓋を開けたり、マスカラを振り回したり、化粧水のサンプルのボトルをくわえたり。ずっと使わずにしまってあった化粧品たちが、子どものおもちゃとなって役に立つ日が来るとは思わなかった。買い置きしておいたものの行方不明になっていたあぶら取り紙やらダンナのひげ剃りの替え刃やらも奥から出てきて、拾いものをした気になる。

見つけものをした一方で、なくしものもある。昨日、ダンナの実家へ向かうとき、ドアにかけている小さな手提げ袋をたまが持ちたがった。中には子ぎつねヘレンの小さなぬいぐるみが入っていて、「これは出しておこうね」と取り出しかけたのだけれど、たまが「入れといて」と主張したので、入れたまま持たせた。へレンのぬいぐるみは映画の関連グッズとして売られていたもので、絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』の販売促進用に首からミニ版絵本をぶらさげて書店の店頭に飾られたものを記念にひとつ分けてもらった。なくしては大変と気をつけていたのだけれど、道中でいつの間にか手提げ袋はたまの手から落ちてしまい、気づいて引き返したものの見つからなかった。警察に届けたけれど、人から見れば、ただの安物のおもちゃ。拾った人がいたとしても、警察に届けるまでもないと判断するかもしれない。

2006年03月03日(金)  ちばっちと亀ちゃんの舞台『Soulmate』
2005年03月03日(木)  南イタリア魚介料理『ラ・スコラーレ』
2002年03月03日(日)  文京区のスポーツクラブ


2008年03月02日(日)  マタニティオレンジ244 二回目のひな祭り

日頃の子守のお礼と一週間ほど早いダンナ母の誕生日祝いを兼ねて、昨日の夕食は外で食べた。飯田橋の日中友好会館の一回にある『』という中国茶料理のお店。ここはいつ行っても空いているのだけれど、何を食べてもびっくりするほどおいしくて、値段がびっくりするほどリーズナブル。昨夜もほぼ貸し切りのような状態で、ベビーチェアにじっとしていられない子連れにはありがたいものの、もう少しはやってもいい気はする。娘のたまはジャスミン茶の野菜まんじゅうやジャスミン茶の水餃子をモリモリ食べ、大人の味の黒酢の酢豚やふかひれスープにも食いついた。一歳にして本場の中華に味をしめた様子。桃の節句を祝って食後に食べた桃饅頭も美味だったけど、たまはおあずけ。

たまにとっては、今年は二回目の桃の節句。今日は、ダンナ実家へ雛人形を見に行く。一年前は座布団に一人で座らせるのも危なっかしかったのに、今ではもう走りまわっている。娘の成長を喜び、これからも健やかに伸び伸びと育つよう願う。

去年は雛段についている牛車のオルゴールを怖がってぐずったけれど、今年は音楽に合わせて左右にゆらゆら。とにかく音の鳴るものが好きで、電話機の「モニター」ボタンを押してから「保留」を押すとスピーカーから音楽が流れることを覚えてしまった。お祝いにもらったオルゴールを差し出して、「ネジを巻いて」と訴える。ネジを巻きたてのときは元気がいいけれど、だんだん力尽きてやがて止まってしまうオルゴールの音色を聴いていると、無性に悲しくなる。とくに、最後の力を振り絞るかのようにポロンと一音鳴らした余韻の中で息絶える瞬間は、いたたまれない。一歳児にはそんな感傷はまだないのか、オルゴールが止まるなり「(また巻いて)」と無邪気に差し出してくる。

2007年03月02日(金)  マタニティオレンジ85 孫をかわいがるのは人間だけ
2006年03月02日(木)  シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年03月02日(水)  昭和十六年の教科書
2002年03月02日(土)  手づくり


2008年03月01日(土)  マタニティオレンジ243 お気に入り絵本『わたしのワンピース』

寒さに縮こまって8時過ぎまで寝ていた娘のたまは、気温の上昇とともに起床時間が早まり、ここ一週間は7時頃に起きている。今朝は6時半に起き、9時頃には「タイクツ」を全身で表現しはじめたので、歩いて図書館へ向かう。ベビーカーに乗せようとしたら、靴をはいて歩くのだと主張。大人の足なら徒歩10分の距離を右へそれ左へそれ、逆行し、だっこをせがみ、図書館は遥か彼方。やっぱりベビーカーで来るんだったと後悔する。

図書館には6畳ほどの絨毯敷きの読み聞かせコーナーがあって、親子や祖父母と孫のペアが思い思いに本を読んでいる。「たま、好きな本持っておいで」と言うと、棚から取り出したのは、『わたしのワンピース』(にしまきかやこ)。空から落ちてきた真っ白な布でうさぎが作ったワンピースが、花や鳥や雨や虹や星など出会ったものの模様に次々と染まっていくお話で、わが家にも一冊ある。留学時代の同期のナオコが「うちの息子がこれ大好きで」とプレゼントしてくれたもの。たまもすっかり気に入り、保育園でもこの本を繰り返し読んでもらっている。「家に同じのあるから、他のにしたら」と言うと、棚に戻し、別な棚からもう一冊の『わたしのワンピース』を取り出してきた。数ある本の中で、これが光って見えるらしい。

本に登場するワンピースだけでなく、本物のワンピースもたまは気になるようで、わたしの服に袖を通したがる。とくに明るい色やプリントの入ったものが好み。最近買ったfranche lippe(フランシュリッペ)のワンピース風コートは、白地に緑の配色が『わたしのワンピース』の表紙に似ているからか、うさぎや熊が描かれているからか、散歩に出かけるときは「これ着たら?」とでも言うように指差す。

2007年03月01日(木)  マタニティオレンジ84 「おなかの皮で風呂水」伝説
2005年03月01日(火)  ビューラー巻き巻きに挟み撃ちされる
2002年03月01日(金)  『たまねぎや』と『サムラート』


2008年02月29日(金)  マタニティオレンジ242 ゆびしゃぶりをやめさせる

朝から文京区の1歳6か月健診。身長や体重を測るのかと思っていたら、案内をよく見ると、「歯科検診」。立派な診察台に寝かされ、娘のたまは初めての歯医者さんに大泣き。今のところ虫歯はないけれど、母乳で寝かしつけている上に指しゃぶりをしているので「要注意」と言われる。母乳も指しゃぶりも子ども任せで自然にやめてくれればと思って見守っているのだけれど、親からもやめさせるように意識したほうが良いとのこと。とくに指しゃぶりは「骨が出てきて出っ歯になる」と脅され、指をくわえたら他のことをさせるように仕向けなさいと指導される。たまは眠くなると指をちゅぱちゅぱ吸うのだけれど、よっぽど眠かったのか、健診の間指をくわえっぱなしで、終わるなり眠りに落ちた。

歯ブラシの指導もされ、「笑顔で(恐怖を植えつけない)」「一本の歯を10秒かけて小さく磨く(まとめて磨かない)」「歯茎を人差し指で押さえて」などと教えられ、自分の磨き方がまったくなってなかったことを知る。

保育園を休んだので、午後からは相次いでママになった元同僚たちと母娘三組で会う。たまは人見知りする性格なのか、あとの二人が仲良く遊んでいるのをわたしの膝の上で見物。時間が経つと少しずつ打ち解けてきて、まじって遊ぶようになった。子連れにイヤな顔しないイタリアンのお店でランチを食べ、空腹でぐずる娘たちに食べさせる合間に自分もかきこむ。たまはキャベツとアンチョビのパスタを気に入り、一本ずつチュルチュルと吸い込んでいた。テーブルの下は食べこぼしがボタボタ。それでも店員さんは最後まで感じが良く、救われる。

ぽかぽか陽気の散歩日和。食後は小石川植物園へ。車が入ってこないし、芝生の上を思い切り駆け回れて、子どもを遊ばせるには最高の場所。だけど、入園料が330円。有料だから空いているというのもあるのだろうけれど、お金を払わないと広い土の場所で遊べないなんて。


2008年02月28日(木)  魔法にかかって初TOCCA

表参道の骨董通りを歩いていたら、TOCCAのブティックを通り過ぎた。ここのウィンドウにはいつもわたし好みの服が飾られていて、前を通りがかるたびに目が合うような気がしていたのだけれど、お店に入るのは今日がはじめて。「表に飾ってるワンピース、ちょっと見ていいですか」と白地に青い花が刺繍されたワンピースを指差すと、「黒もありますよ」とすすめられ、試しに着てみると、自分のためにあつらえたようにぴったり。ちょっと立ち寄ったつもりが、店を出るときには紙袋を提げていた。

店員さんが童話から抜け出してきた少女みたいに愛らしかったり、サインするペンに白い鳥の羽根がついていたり、とことんラブリーを極めた店内には、何かを連れて帰らずにはいられない気持ちにさせる不思議な力が働いていて、まんまと魔法にかかってしまった。名前はトッカでもお値段は特価とはいかず、わたしが買う一着としてはずいぶん思い切った買い物になったけれど、ラインがすっきりしていて着やせするし、わたしのワードローブに不足している気品を兼ね備えているし、何より、ウィンドウの外から憧れていたTOCCAの服がはじめて自分のものになったことがうれしいし、ちょうど一段落ついた仕事のギャラで自分へのご褒美を買ったことにする。

2007年02月28日(水)  推定年齢
2006年02月28日(火)  絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』打ち上げ
2005年02月28日(月)  フリーの人の確定申告
2004年02月28日(土)  「ブレーン・ストーミング・ティーン」著者贈呈本
2003年02月28日(金)  2003年2月のカフェ日記
2002年02月28日(木)  ヘンな弟よっくん


2008年02月27日(水)  25年ぶりに再読『まぼろしのペンフレンド』 

星新一 一○○一話を作った人』(最相葉月)を読んでいたら、SF作家の眉村卓さんの名前が何度も出てきて、小学6年生のときに夢中で読んだ『まぼろしのペンフレンド<』を思い出した。学校の図書室に一週間ほど通いつめて読んだ記憶があるが、なぜ借りて帰らなかったのかはわからない。どんな話だったのかもうろ覚えで、あらためて読んでみたくなり、講談社の青い鳥文庫から2006年に再刊された青い鳥シリーズ版を手に取った。

「はじめに」という著者の前置きで、この物語が昭和41年に「中学一年コース」に連載されていたこと、当時は携帯電話どころか電話もどの家にもあるわけではなかったこと、親しい仲でも連絡手段はもっぱら手紙で、雑誌などの「文通コーナー」が人気を集めていたこと、そうした時代を背景にした話であることが解説されている。わたしが読んだ時点でも、書かれたときから15年以上経っていたことになるけれど、時代の半歩先を描くSFに時代が追いついていたのか、当時違和感を覚えた記憶はない。でも、2006年版を手に取る少年少女は、携帯電話のない時代すら知らないわけで、「これはちょっと昔の話ですよ」と断りを入れる必要があるらしい。

小学6年生のわたしが一週間かけて読んだ一冊を、四半世紀後のわたしは2時間で読んだ。さすがに記憶はすっかり色あせ、初めて読むような感想を抱いたけれど、ところどころ既視感を覚えるくだりが顔を出し、今のわたしとつながっている過去のわたしが同じ本を読んだことを確認できた。

小学校の六年間でわたしを最も魅了したのがこの一冊だった。この物語の何にそれほど惹きつけられたのか。たしかに次から次へと主人公の身の回りで事件が起こり、最後まではらはらしながらページをめくり続けるのだけれど、シャーロック・ホームズの推理小説にだってドキドキはあった。たぶん小学六年生のわたしは、「まぼろしのペンフレンド」という設定に引き込まれたのだろうと推測する。

当時わたしは、はじめてのペンフレンドとの文通に夢中になっていた。五年生の夏休みに家族旅行で行った蓼科で、地元の五年生が授業の一環で実施していたアンケートに答える機会があり、その用紙に住所と名前と「おたよりください」のメッセージを記しておいたところ、一人の女の子が手紙をくれ、文通がはじまった。遠くに住んでいる相手がどんどん身近な存在になっていくのが楽しくて、週に何通も手紙を書くこともあった。だから、「ペンフレンド」がついたタイトルに惹かれて手に取り、まだ見ぬペンフレンドに想像を膨らませる主人公と自分を重ねたのだろう。

手紙には贅沢な余白があると思う。紙の手ざわり、手書きの文字、同封された写真やイラスト、相手を想像する手がかりがちりばめられ、封筒を閉じてからも余韻が残る。手紙が書かれてから読まれるまでの時差も相手に思いを馳せる時間を作ってくれる。「ペンフレンド」が死語と化した現代なら『まぼろしのメル友』になるのだろうけれど、他人になりすましやすいメールでは、「まぼろしの」があまり効かない。

「まぼろしのメル友」といえば、あるプロバイダーの広告を書いていたコピーライター時代、インターネット上の文通コーナーに登録したことがあった。押し寄せるように送られてきたメールの中でひときわ美しい文章を書く人がいた。一通一通のメールは、わたしのためだけに書かれた掌編のようで、毎朝会社でそのメールを開くのが楽しみだった。ところが、ある日届いたメールは、書き出しの数行以下が数か月前に届いたメールとまったく同じ内容になっていた。毎日したためられていると思っていた美文は、あらかじめ用意された長い小説の一部をコピー&ペーストしたものだったのだ。完成しかけたパズルがバラバラになったように、つかめそうだった相手のイメージは白紙になった。わたしは返事を書かず、その一通を最後に文通は終わった。

2007年02月27日(火)  平成18年度確定申告
2005年02月27日(日)  1975年のアカデミー賞映画『カッコーの巣の上で』
2002年02月27日(水)  世の中は狭い。いや、世界が広くなったのだ。


2008年02月26日(火)  マタニティオレンジ241 英語の歌を日本語で

一月以来、母娘ではまり、毎日のように観ているビデオ『Barney's Big Surprise Live on Stage』。『Barney and Friends』というアメリカの長寿子ども向け番組のショーを収録したもので、テレビでおなじみのキャラクターが目の前で繰り広げられるショーに観客の子どもたちは釘づけ、熱狂、興奮なのだが、スクリーンを通しても神通力は衰えず、娘のたまは吸い寄せられるように画面に食い入っている。

よく飽きないなあと感心するやら呆れるやらだけど、「ッカイ(もう一回)」とせがまれても、うんざりせずに大人も何度でも楽しめるのが、このビデオのすごいところ。子ども向けに作られているのだけれど、大人を締め出さないどころか引き込む魅力がある。子どもに合わせて目線は下げるけれどクオリティは下げない。ストーリーも音楽もしっかり作られていて、演じ手たちも力を抜いていない。

飽きない理由のもうひとつは、わたしにとっては格好の英語教材になっていること。よちよち歩きの子どもたちでも反応している簡単な英語が、最初は半分ほどしか聞き取れなかったのだけど、何度も聴くうちに聞き取れる台詞がふえて、今ではほぼ全部わかるようになった。休日にしかビデオを観る機会のないダンナは「何言ってんだかさっぱりわからない」と言うが、日本語もおぼつかない1歳半児のたまが、どうやら英語を聞き取っているらしいことが最近わかった。マザーグースの歌のHampty Damptyが出てくる場面が大好きなのだが、「ハンプティダンプティやってみて」と言うと、両手を上げて後ろにひっくり返る真似をする。「Hampty Dampty sat on the wall. Hampty Dampty had a great fall」という英語の歌詞と、塀に腰かけているハンプティダンプティが後ろにひっくり返る場面をちゃんと結びつけているわけで、これには驚いた。

でも、歌はやっぱり日本語で歌ったほうが楽しいと思い、たまがいちばん気に入っている『If all the raindorops』に日本語訳をつけてみることにした。「もしも雨が飴だったら」と日本語でもよくやる言葉遊びが歌になっている。「飴(雨)」を受け止めるために口を大きく開けて「Ah, ah, ah, ah……」と歌うサビの部分がたまは大好きで、ビデオに合わせて、首を大きく後ろにそらせて「ア、ア、ア、ア」とやるし、「ア、ア、ア、ア(のところかけて)」とビデオ再生をリクエストすることもある。

一番の「If all the raindrops were lemondrops and gumdrops」
は「もしも雨粒がアメ玉だったら」、二番の「If all the snowflakes were candy bars and milkshakes」は「もしも白雪が白玉だったら」と訳し、なんとなく韻も踏めて、いい感じになった。バーニーのビデオでは二番までなのだけど、インターネットで調べてみると、「If all the sunbeams were bubblegum and ice cream」という三番があるではないか。これが厄介で、「太陽がたい焼き」「お日さまがおはぎ」「日光がアンコ」「光がゼリー」「光がかりん糖」などなど考えてみたものの、「が」の前後のイメージがきれいにつながらない。原詞の「太陽光線が風船ガムとアイスクリームだったら」も相当苦しいけれど、降り注ぐ光を食べ物にたとえるところにそもそも無理がある。結局、オレンジ色のイメージでつなげて「お日さまがおみかん」に落ち着いた。太陽光線と果汁も近いものがあるし、今のところこれよりいい訳を思いつかない。

If all the raindrops

作詞:不詳
訳詞:いまいまさこ

If all the raindrops
Were lemondrops and gumdrops
Oh, what a rain that would be!
Standing outside, with my mouth open wide
Ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah
If all the raindrops
Were lemondrops and gumdrops
Oh, what a rain that would be!

If all the snowflakes
Were candy bars and milkshakes
Oh, what a snow that would be!
Standing outside, with my mouth open wide
Ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah
If all the snowflakes
Were candy bars and milkshakes
Oh, what a snow that would be!

もしも雨粒がアメ玉だったら
どんなにいいでしょう
お口をあけて見上げましょう
ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア
もしも雨粒がアメ玉だったら
どんなにいいでしょう

もしも白雪が白玉だったら
どんなにいいでしょう
お口をあけて見上げましょう
ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア
もしも白雪が白玉だったら
どんなにいいでしょう

もしもお日さまがおみかんだったら
どんなにいいでしょう
お口をあけて見上げましょう
ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア
もしもお日さまがおみかんだったら
どんなにいいでしょう

われながらうまく訳せたと自分で自分をほめながら歌っていると、「誰が訳してもそうなるんじゃないの? きっと同じのがすでにあるよ」とダンナ。それぐらい、しっくりきているってこと? メロディとの相性もばっちりで、保育園の送り迎えなどに大声で歌っている。はた目には、ベビーカーで大口開けてそっくり返っている娘に気づかず陽気に歌うノーテンキな母親に映っているかもしれない。

この『If all the raindorops』、番組の公式サイトにあるジュークボックスのページで聴くことができる。他にも番組で使われているナンバーが数十曲聴けて、親子で楽しめる名曲ぞろい。サイトにはビデオのページもあり、こちらも子守に威力を発揮。ショーのビデオで観客の子どもたちが最も熱狂している『Mr.Knickerbocker』は一見の価値あり。これが流れると、わが娘は狂ったように夢中でほっぺたをたたく。国境を越えて子どもの血を騒がせる何かがあるらしい。

2007年02月26日(月)  500円の価値
2005年02月26日(土)  ブラジル物産展
2002年02月26日(火)  数珠つなぎOB訪問

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