2008年01月06日(日)  インフルエンザか?の発熱

朝から寒気と腰の痛みがひどくて、朝風呂をしてからパソコンに向かっていると、まだ寒い、痛い。昼風呂に入ってから熱を測ったら38.8度。驚いてダンナの実家に電話し、朝から預けていた娘のたまを夜まで預かってもらうことにし、布団をかぶって寝ることに。自分のあまりの熱さと背中から腰にかけての痛みで眠れない。「湯気の立つ家」を年始の目標に掲げた矢先に自分の体から湯気が立つことになろうとは。熱は9度を超え、夜になっても下がる気配を見せない。ネットで調べてみると「悪寒と関節痛があり、咳や鼻水が出ないのはインフルエンザの特長」とあり、まさに自分の症状にあてはまる。子どもにうつると重い後遺症が出る恐れがあるとも書いてある。うつらないとしても自分を構うのに精いっぱいで、とても子どもの面倒など見られないので、そのままダンナの実家に娘を泊めることになった。

「インフルエンザには乾燥は禁物」というくだりを見つけて、やはり加湿器を買っておくべきだったと反省。朝起きると喉が痛いと思う日が多く、加湿器がいるなと思っていたのだけれど。濡らしたバスタオルを窓辺に掛けておいたら、絞りが甘すぎて、ピちゃ、ピチャと一晩中雨漏りの音がした。

浅い眠りの中で、やりかけの仕事が次々と夢に出てくる。別々の作品のシチュエーションや登場人物がまじりあって気持ち悪い。夢は欲望の充足、昼間やり残して気になっていたことが現れるとはまさにこのこと。新年早々仕事に追われる夢を見るほどの余裕のなさが体に無理をさせていたのかもしれない。体からの危険信号を素直に受け止め、休むことに徹することにする。

2007年01月06日(土)  マタニティオレンジ54 いとこ対面
2004年01月06日(火)  引っ越したお隣さんと舞い込んだ鳥
2002年01月06日(日)  非戦


2008年01月05日(土)  2008年のわが家の目標:湯気の立つ家

元旦の朝、起きてきたダンナが言った。「何かあたたかい飲み物はないのか」。これから用意すると言ったわたしに、「常にこう、湯気の立つ家であってほしいんだな」。こうして「湯気の立つ家」が2008年のわが家の目標となった。

もともとわたしは毎朝カフェオレを飲むのだけれど、ダンナが起きだす頃には湯気の気配は消えている。ダンナが起きてくるのに合わせてやかんを火にかけ、ほらこれを見よと湯気を立てるようになった。ダンナはコーヒーを飲まないので、新年からはティーポットで二人分のお茶を入れている。いただきものの紅茶がたっぷりあるので、いろんなフレーバーを楽しめる。さらに、しばらく休んでいたパン作りを再開した。三日から三日連続焼いてみると、少しずつカンを取り戻して、うまく膨らむようになり、同じ分量の粉なのに出来上がりのパンの数がふえていく。三日は小麦粉:全粒粉を4:1ほどにし、四日はその逆の配合にし、五日は全粒粉の代わりにライ麦粉を混ぜた。焼きたてのパンからは湯気と一緒に香りが立ち上る。

わたしの好きなお茶やパンを用意すればもれなくついてくるものなので、「湯気の立つ家」は決して難しい目標ではない。あたたかくて穏やかな家庭の代名詞のようでもあり、これを心がければいい一年を送れそうな気がする。「埃の立たない家」というのもあるが、年始の誓いは否定形の入った引き算より前向きな足し算のほうがいい。「君は頭からはよく湯気を立てるけどね」とダンナ。そういう憎まれ口をたたかなきゃ湯気を立てないのに。

2007年01月05日(金)  佳夏のお墓参り
2005年01月05日(水)  英国旅行10日目 オクトパスと三越とママの会とフレンチ
2002年01月05日(土)  知ってるつもり


2008年01月04日(金)  マタニティオレンジ217 三枚目路線

保育園に新年初登園。暮れは29日が最終登園だったので、5日しか休んでいない。急性胃腸炎のときは6日休んだから、あっという間に感じた。娘のたまがいる0歳児クラスでは、今日登園したのはたま一人で、「保育士独り占め、お年玉ですね」と保育士さん。休みの間に変化はありましたかと聞かれ、「一緒に過ごす時間が長かったからか、よくしゃべるようになりました。意味はわかんないんですけど、ずーっとべらべら独り言を言ってます」と答えると、「流暢な喃(ナン)語ってやつですね」と的確なネーミング。たぶん、たまにとっては意味のあることをしゃべっていて、意味がわかったら楽しいだろうなあと思う。ちょうど外国語のような感じ。意味不明ながらも話しぶりに性格は現れる。たまのしゃべりっぷりを見ていると、わたしに負けない話好きである様子。株式の決算報告書

話すことが本当に楽しそうなので、話芸の道に進むのかもと将来を想像したりする。

携帯やリモコンや体温計を使った電話ごっこもお気に入り。「もしもし? 元気? たまちゃんに代わるね」と仮想の相手との電話をたまにつなぐと、べらべらとしゃべり、またわたしに受話器を戻す。話しながらちらちらとわたしの顔を見て反応をうかがったりもするのだが、「ふーん」と相槌を打ったり、「へええ」と感心したりすると、とても満足そう。とくに「ええっ」とのけぞると大喜びする。意味はわからなくても意思は通いあっている気がする。

親は子どもに喜ばれて道化になってみせるものだが、子どものほうも負けてなくて、たまは何かと笑わせてくれる。以前は偶然の失敗が微笑ましさを伴う笑いを誘っていたのだけれど、最近は自分から受けを狙っているのが見え見えのことをやる。年末の食事中に突然口と鼻の間にスプーンを挟んで「見て見て」と得意げな顔になったので、「保育園で覚えたのでしょうか」と連絡帳に書いたら「園では見たことがありません」の返事。自分であみ出したのだろうか。同じく食事中に椅子の上で立ち上がり、わたしをはらはらさせて喜ぶという悪趣味ないたずらもする。まともにとりあっては敵の思うつぼなので、あまり心配しないフリをするようにしたら、「これは受けないのだな」と悟ったのか、受け狙いではやらなくなった。

お笑いの基本といえば、かぶりもの。シーツやらブラウスやらワンピースやら、かぶれるものは何でもかぶる。靴下を狸の木の葉みたいに頭の上にちょこんとのっけたのにも笑ったが、クリアファイルをかぶったのを見たときは笑いが止まらなかった。あれをかぶるという発想をしたことがなかったけれど、かぶると頭のてっぺんがとんがり、左右に「たれ」が来て、頭巾のようになかなかサマになることを知った。そういえば、二辺が空いているあの形、耳まですっぽりの防寒帽にも似ている。

2007年01月04日(木)  マタニティオレンジ53 二世代同窓会
2005年01月04日(火)  英国旅行9日目 ティーとブラッセリーと中華とショコラ
2004年01月04日(日)  じゅうたんの花の物語
2002年01月04日(金)  ひだまりでウェイクアップネッド


2008年01月03日(木)  マタニティオレンジ216 ついにはまった「おしりかじり虫」

年末にたまたまつけたNHKで「おしりかじり虫」の特集番組をやっていた。「みんなの詩」ではやっていたときにはまるで無関心だった娘のたまが食いつくように観ていたので、スクリーンに映写されたアニメを前に子どもたちが踊るというダンス場面を録画しておいたところ、テレビの前まで行ってテレビを指差した後、「おしりかじり虫〜」の振り付けと同じく自分のおしりをたたいて見せ、「ビデオでこれをかけて」と訴えるようになった。二種類のベビーサインを組み合わせたのは初のこと。必要に迫られるとこんなこともやってのける。

ビデオは二分ぐらいで終わってしまうので、そのたびに巻き戻し、再生を繰り返すのだが、何度かけても子どもは飽きることを知らない。エンドレステープを作りたくなる。画面の子どもたちはやすやすと踊っているけれど、一歳児には高度なようで、曲の最初から最後までおしりをたたいている。それでも少しずつ学習してきたようで、ときどき手をたたいたり、「かばとかばとでかばいあい」のところで左右に揺れたりするようになった。二小節ほど遅れてではあるが。とにかくこれをかけていれば機嫌がいい。ビデオをかけてないときも歌ってあげるとうれしそうにおしりをたたく。

念ずれば通ずなのか、上司の自宅で開かれた新年会にたまを連れて行ったダンナが「たまと行ったおかげですごくいいことがあったよ」とほくほく顔で帰って来た。その手には、おしりかじり虫のパペット。口の後ろに手を入れて、カプッとかじれるようになっている。上司宅でぐずりだしたたまをあやすために上司が取り出したらしく、「うちの子、今はまってるんです」とダンナが喜ぶと、「だったら持って行け」となったらしい。年末に観た番組によると、おしりかじり虫君はおいしいおしりをかじるために商売道具の歯を大事にしているらしい。パペットを使って、歯磨きをいやがるたまを歯磨き好きに仕向けられないものか。それができればますますおしりかじり虫サマサマなのだけど。

2007年01月03日(水)  マタニティオレンジ52 飛行機で大阪へ
2005年01月03日(月)  英国旅行8日目 妻・母・長女の家と財布とシーザー
2004年01月03日(土)  庚申塚の猿田彦神社
2002年01月03日(木)  留守番


2008年01月02日(水)  ベイビー・ジェーン・キャシャレル目当てでバーゲンへ

新年のバーゲンというものにあまり関心がない。のんびり過ごすお正月に混んでいるところへわざわざ出かけなくてもという思いがある。だけど今年、バーゲンへ行こうと思い立ったのは、大好きなブランド、ベイビー・ジェーン・キャシャレルが日本で買えなくなると聞いたから。贔屓にしているユニットの解散を知ってラストライブに駆けつけるような気持ちで、有楽町の丸井へ向かった。

○I○Iのロゴは元旦の日付みたいなので、正月に行くのはふさわしいかも。加えて、はじめて行く有楽町店にも興味があった。いつも東銀座への乗り換えで日比谷は通るのだけれど、降り立つのは久しぶり。地下通路を通り、JR有楽町駅の出口を抜けると、おおっ、景色が一変。まばゆい有楽町イトシア(その一部が丸井らしい)がでーんと構えている。吸い込まれる人々と入れ違いに紙袋を抱えた人々が出て行く。久々のバーゲンの熱気! おめあてのベイビー・ジェーン・キャシャレルはとくに混み合っている。さあ買うぞ、と気合を入れて乗り込んだのだけれど、今季は紺やグレーなどの落ち着いた色が中心で、わたしが出会って惚れ込んだ年のようなヴィヴィッドなオレンジやピンクは見当たらない。秋に新宿店を訪ねた時も手ぶらで帰ったのだけれど、今日もまた、これという出会いがなかった。もうすぐここの服が手に入らなくなるという飢餓感から、30分ほどかけて店内の棚という棚を見て回ったのだけれど。

代わりに隣にあるfranche lippeeというお店を知る。絵本の挿絵のようなかわいいプリント地のワンピースやチュニックが充実。鹿プリントのものもあり、万葉ラブストーリーで縁ができた奈良での仕事がふえたときの衣装にどうかしらんと取らぬ狸(鹿?)の皮算用をしたが、無難な茶色いタートルネックを30%オフで買った。ひかえめなフリルとアクセントのくるみボタンがついているのが気に入った。

2007年01月02日(火)  新年の掘り出し物『クリスマスの笑顔』
2005年01月02日(日)  英国旅行7日目 生家と古城とリモニー・スニケット
2004年01月02日(金)  金持ちよりも人持ち
2002年01月02日(水)  パワーの源


2008年01月01日(火)  マタニティオレンジ215 おせちの食べっぷりに成長を感じる

ダンナの実家にて、おとそとおせちで新年の挨拶。ダンナ母が作ったおせちを、ダンナ妹が塗りのお盆に見栄え良く盛り付けた。「最近は買って済ませる家が多いけど、私は作っちゃうの」が自慢のダンナ母。近所に住んでいるのだから、おふくろの味を教わりがてら手伝いに行くべきなのだけれど、毎年、年の瀬はばたばたしていて、「手伝いましょうか」と言う頃には「もう出来上がったわよ」と言われる。去年の年末はとくに忙しかったけれど、ダンナ母も諦めたのか、手伝いに来るのとも聞かれなかった。ダンナ妹によると、「うちには嫁はいないって言ってたよ」とのことなので、今年こそは嫁らしい年末を過ごそう、と年の始めに誓いを立てる。

去年のお正月はまだ離乳食もはじまっていなくて、娘のたまはおせちを眺めるだけだった。一年経ち、今年がおせちのお食い初め。歯もぎっしり生え、蓮根も牛蒡もガリガリと上手に噛む。魚もはんぺんも好きなのだが、予想通り、初めてのかまぼこも喜んで食べた。ダンナ父の親友で一昨年亡くなった柴田さんがお気に入りだったという大阪の黒豆を気に入ったのを見て、ダンナ父が顔をほころばせた。来年はもっと食べられるようになるのだろう。今は怖くて食べさせられない雑煮のおもちも来年か再来年には食べられるようになるのだろう。年に一度のおせちに食べっぷり観察の楽しみが加わると、ひと味違ったものになる。

2007年01月01日(月)  マタニティオレンジ51 赤ちゃんのいるお正月
2006年01月01日(日)  いいことありそな初日の出
2005年01月01日(土)  英国旅行6日目 嵐とプリンと美女と野獣
2003年01月01日(水)  2003年の初仕事
2002年01月01日(火)  幸先
1999年01月01日(金)  テスト


2007年12月31日(月)  年越しモンブラン

ダンナの実家で紅白を観ながら年を越す。今年流行った歌より懐かしい歌が主流といった印象で、例年にも増してメドレーが増え、何を基準に出場歌手が選ばれているのかますますわからない。けれど、過去に紅白で聴いた歌であっても「また聴けてうれしい」ものもあり、わたしの基準も曖昧である。「歌の力」がテーマらしく、しきりに司会が繰り返していたが、阿久悠さん作詞のラスト四曲にはそれを感じた。コブクロの『蕾』にも心を打たれた。

『千の風になって』の前奏あたりから作曲者をめぐってダンナと口論になった。「作(訳)詞だけでなく作曲も新井満では」とわたしが言うと、「作曲者は不詳。もともとアメリカで歌われていたものだ」とダンナが言い張り、「もともとあったのは詩だ」とわたしが譲らず、聞いていたダンナ妹が「なんなのこの夫婦」とうんざりしているうちに歌が始まっていた。「君のせいで感動が薄れた」と日付が変わってからもダンナになじられ、年を越してまでもめることではなかろうにと思ったけれど、調べてみると、やはり作曲は新井満だった。ほら見ろ。

蕎麦が食べられないので、年によってうどんをゆでてもらったり、何も食べなかったりするが、今年はコージーコーナーのかぼちゃのモンブランがあり、長く巻いているし、ちょうどいいやと年越しモンブランにかぶりついた。うず高く積み上がって、志も高そうで良い。

去年はじめて観て、面白さに目を見張った『年のはじめはさだまさし』に今年も笑わせてもらった。去年の日記で「さだまさしがこれほど面白いとは」とほめちぎったら、「今頃知ったの?」とあちこちからあきれられたが、ラジオで大人気だったさだまさしを知らなかったわたしには、しゃべる人のイメージはなかった。さだまさしといえば、なぜか教師に圧倒的な人気があり、高校教師だった父親に連れられて参加した教職員のスキーツアーのバスで、BGMはさだまさし一色だった。

2006年12月31日(日)  年越し番組の収穫
2005年12月31日(土)  大阪一高い山・金剛山で年越し
2004年12月31日(金)  英国旅行5日目 ロイズとパブと年越し
2003年12月31日(水)  年賀状でペンだこ
2002年12月31日(火)  大掃除に救世主あらわる
2001年12月31日(月)  祈り
2000年12月31日(日)  2000年12月のおきらくレシピ


2007年12月30日(日)  マタニティオレンジ214 自分の過去を愛する・未来を愛する

休日返上で働き続けて、ひさしぶりの休日。ご近所仲間のK家よりお誘いがあり、円卓を囲んで中華ランチの後、今月完成したばかりの新居にお邪魔させていただく。明るい日が射し込む三階のリビングダイニングで時間を忘れてのんびりお茶する。五十年持つ家だそうで、「自分たちが年を取っても住めるように」とホームエレベーターをつけてある。今二歳のまゆたんが大きくなったら、書斎を子ども部屋にするという。「そのときは屋上に出る手前の一畳足らずのスペースにパソコン机を移動しましょうかねえ」「いっそ屋上にプレハブで別荘を建てましょうか」と話すK氏は楽しそう。家を設計するというのは、自分たちの将来を設計することでもあるんだなあと感じる。

数十年後にその家に住まう自分たちを思い浮かべて楽しんでいるK夫妻を見て、最近出会った言葉を思い出した。「年寄りを愛せないことは、自分の未来を愛せないこと」。正確な言い回しは少し違ったかもしれないが、新聞の書評で紹介されていた本の一節だった。逆に言えば、「年寄りを愛せることは、自分の未来を愛せること」であるが、わたしは「子どもを愛せることは、自分の過去を愛せること」だと置き換えて、妙に納得した。

子どもを授かり、子どもという存在を見る目は一変した。もともと自己肯定度の高い人間ではあるけれど、自分にもこんな時代があったんだなあと微笑ましい目で子どもたちを眺めるとき、たしかに過去の自分への愛着は深まっている。子育ては、記憶が残っていない時代の出来事をひとつひとつ追体験していく営みでもある。自分はこんな風に生を受け、食べ物を吸収し、言葉を吸収し、タテにもヨコにも大きくなり、世界を覚えていったんだなあと知ると、自分がたどってきた道のりが愛おしくなる。その道が今日まで続いているってすごいことだなあ、それだけで値打ものだなあと祝福したくなる。

2004年12月30日(木)  英国旅行4日目 動物園と再会と中華
2001年12月30日(日)  アナログ


2007年12月29日(土)  2007年仕事納め

会社勤めしていた頃は、年始にプレゼンがあるかどうかで年末年始ののんびり具合が決まった。年始に何もなければクリスマス明け頃から二週間ほど休みを取って有休を一気に消化できたけれど、休み明けすぐに競合のプレゼンが入っていたりすると大みそかまで働いて三が日の三日目から出勤という普通の週末のような正月休みとなった。

フリーになったら自分の好きに休める、と思っていたのだけれど、脚本家とう仕事、暇なときは恐ろしく暇なくせに、忙しいときは土日も祝日も関係なし。今年は10月の後半から一挙に忙しくなり、休日も働き続け、気がついたらカレンダーの最後の一枚が終わりにさしかかっていた。先日コンビニで買った牛乳の消費期限が来年の日付になっているのを見て、「2007年が終わってしまう!」と焦ったほど。残り時間はどんどん減っていくけれど、今書いている脚本はなかなか進まず、この分だと大みそかも正月もないかもしれないと覚悟した。

今日、最後の打ち合わせのあと、プロデューサーと二人で本直し。日付が変わり、何とかひと区切りというところまで持ち込んで、「今年はお疲れさまでした」となった。まだ先は長いのだけれど、年の終わりまであと二日を残してお疲れさまを聞けたことがうれしく、帰りのタクシーで妙におしゃべりになっていた。タクシーの運転手さんと話すのは好きだけれど、このところ、あまりに考えることが多すぎて、車中でも沈黙して窓の外を見ていることが多く、行き先以外の話をするのはひさしぶりだった。

鳥取から出稼ぎに来ている運転手さんで、「鳥取はもう雪だよ」と言う。初詣客で稼ぎどきの元旦の仕事を終えたら帰省するのだという。鳥取でも走っていたことがあったけれど、稼ぎは一日2万円ぐらいだった。東京だと悪くて6万、いいときは9万ぐらい行く。稼ぎの6割が懐に入るけれど、ボーナスも退職金もないからそれぐらいは稼がないと……そんな話をしてくれた。「お客さん、会社員?」と聞かれたので、「フリーです」と答え、仕事があるときもあれば、ないときもあります、とつけ加えた。「会社辞めて、怖くなかった?」と聞かれて、そう言えば、怖いとは思わなかったな、と二年半前のことを振り返ったが、辞めても大丈夫と思えるところまで来たからやめたのだっけと思い出す。フリーになって半年もしないうちに子どもを授かって、その子どもが生まれて一年余り経って、その間も仕事は途切れなく舞い込んできている。タクシーと同じで、いいときもあれば悪いときもあるけれど、手を挙げてくれる人がいて、走り続けられることはありがたいなとしみじみ思った仕事納めだった。

2006年12月29日(金)  マタニティオレンジ50 乳を食む吾子の頬撫で木の葉髪
2004年12月29日(水)  英国旅行3日目 巨岩と村と怪人
2003年12月29日(月)  そんなのあり!? クイズの答え


2007年12月28日(金)  『日本語は天才である』と2007年に読んだ本

読みたい読みたいと思っていた『日本語は天才である』をようやく読み、幸せな気持ちになった。わたしたちが日々当たり前のように使っている日本語が実はとんでもない天才であることを翻訳家である筆者の柳瀬尚紀氏が自らの経験を踏まえて証明してくれる。

縦書きにも横書きにもでき、ひらがなカタカナ漢字はもちろんのことアルファベットや記号も難なく取り込み、漢字は幾通りもの読み方ができる上に分解も合体もできる、これほど自由度が高く、それゆえ可能性を秘めた言語は他に見当たらないと言われてみれば、なるほどその通り。日本語は面白いなあと思ってはいたけれど、「天才」と言い切る発想はなかった。

だが、柳瀬氏の鮮やかな翻訳術の一端をのぞくと、「こんな離れ業ができるわが日本語は、天才以外の何物でもない!」と確信するに至る。柳瀬氏の語り口がまた美しく面白く味があり、「あなた、実は大当たりの宝くじを持っていますよ」と告げてくれたのがとびきりイイ男だった、みたいなトクした気分にさせられた。

読みかけている『鹿男あをによし』(万城目学)と『星新一 一○○一話を作った人』(最相葉月)は年をまたいでの読了となりそうで、『日本語は天才である』が今年最後に読んだ一冊となる見通しだが、一年を締めくくるのにふさわしい広がりと明るさをもたらしてくれる一冊となった。

読んだ本のタイトルと著者名を書き留めることを去年から始めたのだが、ざっと見たところ2007年に読んだ本は約100冊。出産以来、映画や演劇を観る機会は減ったが、その分、本は以前より読むようになった。仕事関係のものが2〜3割ほど。原作本だったり、関連本だったり、資料だったり。あとは自分の興味と趣味に任せて選んだ本。書評欄で気になった本に目をつけ、気に行った作家の本は続けて読む。

男どき 女どき』をはじめ向田邦子さんの本は十冊ほど読んだ。デビュー作『イッツ・オンリー・トーク』をはじめ絲山秋子さんの作品にもはまった。『倚りかからず』の茨木のり子さんの言葉の力に打ちのめされ、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(伊藤比呂美)にぶっとんだ。

今年最も衝撃を受けた一冊を問われたら、『とげ抜き〜』を選ぶ。はじめて読んだ瀬尾まい子さん、西加奈子さんの作品も好きになった。わたしは女流作家好みの傾向があるけれど、万城目学さんの『鴨川ホルモー』には大いに楽しませてもらった。藤井青銅さんの『ラジオな日々』も読んでいてわくわくし通しだった。

三島由紀夫、川端康成、太宰治の名作を読み返したり、かの有名な夏目漱石の『坊ちゃん』をはじめて読んだ年でもあった。現代の週刊誌に連載されていても違和感がなさそうな『三島由紀夫レター教室』のほどよい軽さと強烈な面白さはとくに印象に残った。

子育てにまつわる本も一割ほどを占めるだろうか。『パパは神様じゃない』(小林信彦)や『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』(山田太一)など男の人が書いたもののほうが面白く読めた。母親ほどの責任とプレッシャーがない「いい加減さ」が肩の力の抜けた文章につながり、読んでいるほうも気が楽になる。

だっこやベビーカーの距離から子どもを見ていると、どうしても視野が狭まって窮屈になってしまうが、人の子育てを読むと、自分の子育てを少し引いて眺めることができる。書店では入手できないけれど、『おおらかがいっぱい 途上国を見てきた保育者からのメッセージ』(青年海外協力隊 幼児教育ネットワーク)は、世界という大きなところから子育てをとらえる目を見開かせてくれた。

読書と数えていいものやら、レシピ本が約一割。寒天クッキングとパン作りの本を手に取った。わたしの場合、レシピ本は真似て作るというより眺めてその味や香りを疑似体験するためにある。食べ物にまつわる味のあるエピソードが添えられていたりするとなお美味しい。

100冊とは別に読んだのが、読み聞かせ用の絵本。気に入ったものを繰り返し読んでいるとはいえ、贈られたり買ったりしたもの、図書館や保育園から借りたものを足し上げると50冊は下らないだろう。子どもの頃に心躍らせた本に再会したり、出会う機会を逃していたロングセラーをようやく知ったり。

子どもが夢中になるものは、親にも驚きを与えてくれる。五味太郎さん(『るるるるる』『ててててて』『ん・ん・ん・ん・ん』など)、三浦太郎さん(『くっついた』『なーらんだ』『わたしの』の三冊を順繰りに何度も読んだ)、二人の太郎の絵本にはまった。娘にはまだ早かったけれど、わたしがとくに気に入ったのは、『もりのてがみ』(片山令子 さく 片山健 え)。手紙が運んでくれる気持ちや季節がほれぼれするような絵と文章で描かれていて、何度も読み返した。

「どこへでも連れて行けて、どこへでも連れて行ってくれる」のが本のいいところ(カンヌ広告祭で出会って膝を打った英国の読書キャンペーンの名コピー)。あまり遠出ができなかった2007年、本のおかげで気持ちはあちこち旅することができた。2008年も本当に面白い本に当たりますように。

2006年12月28日(木)  切手になった映画
2004年12月28日(火)  英国旅行2日目 風呂と衣装と作家と演劇
2001年12月28日(金)  捨て身

<<<前の日記  次の日記>>>