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2019年04月27日(土)
『LIFE LIFE LIFE 〜人生の3つのヴァージョン〜』

シス・カンパニー『LIFE LIFE LIFE 〜人生の3つのヴァージョン〜』@シアターコクーン

キレッキレの会話劇、たまりませんなー! 磐石ともいえそうな安定感を以って繰り広げられるのは、スリリング極まる台詞の応酬。演出の求めるリズムをしかと体現する四人の役者!

2006年の初演が好評を博し、同演出、同キャストで再演の予定だった『ヴァージニア・ウルフなんてこわくない?』(12)が、「海の向こうの大人の事情で」(KERA談)公演中止に。その知らせから程なくこのヤスミナ・レザ作品の上演が発表になった。こういうところ、安心と信頼のシス・カンパニーですね。さまざまなアクシデントに対応してきた経験が活かされているといいましょうか、危機管理能力が高い。今回は準備期間もしっかりとられていました。『ヴァージニア〜』を観られなかったのは残念だけど、この座組で今回の作品を観られてよかった。

センターステージ、舞台はほぼ座席と地続き、というセットは『ヴァージニア〜』初演と同じ。前回同様ステージが低く、後ろの席からは見えない箇所が結構あったのはまあ仕方ないかな。これも前回同様「他人の家を覗き見する感覚になる」という効果があった。そもそもセンターステージなので、役者が動けば必ず死角が出来る。背中を向けている彼は、彼女はどんな表情をしている? 想像し乍ら観る楽しさもある。

ある夜、二組の夫婦が過ごす時間を3つのヴァージョンで見せる。数年ぶりの論文をようやく発表できそうな夫、翌日の仕事の準備に忙しい妻。こどもがぐずり、なかなか寝ない。そこへ夫にとって影響力のある研究者とその妻がやってくる。約束の訪問日は明日では? 困惑しつつ彼らを招き入れる夫婦。研究の内容、こどものしつけ、パートナーへの目配せ。未来に見えるのは光明? それとも暗雲?

リズムがキモです。同じ設定を3回繰り返すけれど、省略と追加があり、登場人物は少しずつ違う面を見せる。気持ちの浮き沈み、相手への不満と思いやり、はたまた恋愛感情と取引の手管。これらをあるときは既に了解済みなこと、あるときは予測不可能な不安要素として表現する。ver.1で出てきたことをvet.2、3でそのまま繰り返すと体感時間は長くなる、そして飽きる。そうさせない緩急がある。会話のスピードも勿論だが、転換の暗転も1より2、2より3の方が短くなっていたように思う。音楽と「un, deux, trois.」というナレーションがいい効果。

「キツネと猟犬」、狩られるのはどっちだ? 台詞は緻密、ちょっとした言葉尻をとらえて諍いが始まる。そのニュアンスを逃さず伝える役者たち。稲垣吾郎、ともさかりえ、段田安則、大竹しのぶ。いやはや豪速球に変化球をつけるような豪腕揃いです。背筋をゾクゾクさせ乍ら笑いました。濃密で豊かな90分!

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それにしても。初めて観たヤスミナ・レザ作品は『偶然の男』(1234)で、なんてハートウォーミングなホンを書くひとなんだろうと思ったものだが、以降『ART』、『おとなのけんか』(映画)、『大人のけんかが終わるまで』、そして今作と、どれも登場人物の腹の底を掃除するような内容だ。『偶然の男』が異色作だったのかもしれない、と思いつつ、困った、しょうがないひとたちへの視線の優しさにも感じ入るのでした。



2019年04月14日(日)
『hymns』

『hymns』@博品館劇場

なんて良質な対話劇。初演への愛情はそのままに、こうやってアップデートされていくのか。青山円形劇場という代替がきかない空間で上演された作品を、プロセニアムの劇場で上演する。経験? 実績? 時間がもたらしたものを呑み込んで、新しいものが生まれる。

鈴木勝秀演出、佐藤アツヒロ主演のシリーズが帰ってきました。初演は2006年、青山円形劇場(初日2千秋楽)。その後2012年に、サラヴァ東京で『LYNX Live Dub Vol.3「HYMNS」』としてリーディング上演されています。今回でver.3。せっかくなのでキャストも書いておきましょ。
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初演:オガワ(画家)=佐藤アツヒロ、クロエ(無職)=小松和重、ナナシ(画商)=みのすけ、ムメイ(友人)=永島克
LIVE DUB:オガワ=山岸門人、クロエ=中村まこと、ナナシ=ヨシダ朝、ムメイ=永島克
再演:オガワ=佐藤アツヒロ、クロエ=新納慎也、ナナシ=中山祐一朗、ムメイ=山岸門人、ナカハラ(鑑賞者)=陰山泰
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「Warped」が聴こえてくる。ステージにはCircle/Line。中央に立つ黒衣の男。「正面」が設定されていることへの安心感と、その「裏」を見たい欲求にだああとなる。それにしても絵になる、この装置、この照明、この役者。そして同時に、「ああ、これはいい作品になる!」という直感。直感だいじね。ヴィジュアルに関しては何の不安もなくなった。好みだから(笑)。鈴木勝秀作品の、こういう画ヅラが見たくて劇場に来ている。しかしそれだけで終わるわけがなかったのでした。

何より驚かされたのは、『hymns』ってこんなに良質な対話劇だったのか、ということ。これについては偉そうだが、書き手と演者の加齢が作用していると思われた。経験といってもいいそれが、作品の精度を上げているように感じる。日常会話ではなかなか使わない言葉群をかなりのスピードで話し、ときには難しいいい方するなと茶々を入れる。それがすいすい聞き手の頭に入る。すごいことだ。もはや書き手の姿が見えない。鈴木勝秀作品で、ですよ。エラいことですよ(笑)。各場面の殆どが、舞台上にいるふたりの対話で進む。滑舌、リズム、テンポは勿論、そのシーンで舞台上にいるふたりの間合いが「稽古」すら感じさせない域に達している。こうなるともう、役が舞台上を勝手に動き回っているようにしか見えない。

初演では「書き手がいいたいことを演者がいっている」感じ、今回は「演者が役の言葉を話している=そのひとがいってるようにしか聴こえない」感じ。そのどちらもいい効果ではあるのだが、説得力を感じたのは今回かな。演出家の手法を知っている演者オンリーの座組みだったことも大きいと思われる。キャスト全員がそう、って公演、近年では珍しいもの。まず中山さんの落語調に大ウケ、あの辺りから「役が勝手に動き出す」ギアが入った。いやもう中山さん最高よな。グッときたのは門人くん。画家へかける言葉の端々に優しさがこもる。かつて画家を演じ、その苦しみにシンクロした経験があるからかななんて思った。

アツヒロさんと新納さんの「相棒(には出来ない、んだけどね)」っぷりも素晴らしかった。阿吽之息とはこのことか。アツヒロさんは四十代という設定かつご本人もその年齢だというのに、どこか浮世離れした印象を受ける稀有な存在。いやあ、スズカツさんのミューズですね(真顔で)。新納さんは地に足のついた風来坊、という矛盾したイメージをまとう。『ハナガタミ』で初めて観て以来いつかまたスズカツさんと組んでほしいなーと思っていたので嬉しかったなあ。こういう身体を得てこそ輝くスズカツさんの舞台言語ってありますよね。

今回の上演に際し、ホンがリライトされている。画家の年齢が四十代になったことで、職業としてのアート、社会人としての立ち位置、経済的困窮、体力につられる気力の衰えといった要素がより真実味を帯びてくる。そして初演になかった役がひとり。散歩する鑑賞者だ。

配役表を見ないまま舞台を観ていたので、陰山さんが登場した途端「わあ、中原中也〜♡」とにっこりしたんですけど(当方湯田温泉の記念館に行き、ゆかりの宿に泊まったくらいには中原好きです)まさか役名もナカハラとは笑いがとまらん。それはともかく、彼の言葉のひとつひとつが沁みた。演出が変わる、演者が変わる。そして劇場が変わる。それにいちばん影響を受けるのは観客で、作り手(出演者、スタッフ)にとってそれらはさほど重要ではないのだ。舞台は現在のアートだからだ。勿論立ち位置が、とか発声の塩梅といった意識の持ちかたは違うだろうが、彼らは今ここでしか出来ないことに向き合っている。それを受けとる観客も、その感想も千差万別。この作品は私のものだ。あなたがそう思えば、そうなのだ。黒い絵も、白紙も。この作品の新しい住人は、そうして観客に微笑んでいる。まさにこれはhymns=賛美歌だ。

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余談で思い出話。初演のとき、同時進行していた『HEDWIG AND THE ANGRY INCH』にアクシデントがあり、『HYMNS』の千秋楽にスズカツさんが来れなかったんですよね。で、カーテンコールで出演者がいろいろお話してるうちに「本当は今日スズカツさんも来れればよかったんだけど……」とみのすけさんがいいだして、皆してスズカツさんをいじる会(笑)になったんでした。「ザズゥシアターを天に返すんだってー」「ザズゥ出たことないんでよくわかんないけど」とかいってたような。すっかりくだけた空気になって皆笑って、最後にアツヒロさんが「これでひと段落だけど、スズカツさんとはまたやりたい」といってくれた。2015年に閉場した青山円形劇場は、あらゆる方の尽力で再利用されることが決まった。以前と同じ用途で使われるかはまだ分からない。でも、一度もうダメだといわれていたことが覆った。

鈴木勝秀作品が、佐藤アツヒロ主演で、再び青山円形劇場で上演されるのを待っている。それが叶ったとききっと、ライヴ/アートスペースで上演された『HYMNS』、プロセニアムの劇場で上演された『hymns』のことを思い出し、「あの日、あの場でしか起こりえなかったこと」を目撃出来たことに感謝するだろう。そこには“hymns”が鳴り響いている筈だ。

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・鈴木勝秀「hymns」幕開け、佐藤アツヒロ「僕の原点のような作品」┃ステージナタリー
・佐藤アツヒロ、10年ぶりのスズカツ作品出演に喜び「スゴく幸せ」┃クランクイン!
・舞台『hymns(ヒムス)』11年ぶりの開演! 脚本・演出の鈴木勝秀「佐藤アツヒロはピンとくる役者なんです」┃SPICE

・パンフレットにex.青山円形劇場の制作・大島尚子さんのインタヴューが載っているのに感涙ですよ。スズカツさんのサラヴァシリーズにもずっとついててくれた方ですよ! もうね、劇場で見かけると拝みますよね(こわい)

・音響がめちゃいい。いつもいいけど。ホワイトノイズにまたいろいろ入ってる。井上正弘さんの意向かな?
・で、上演される度に忘れてまた思い出してヒイッとなるんだけど、オープニングに爆音で聴けるRED HOT CHILI PEPPERS「Warped」最高よな!!! ナヴァ郎のギター最高よな!!! あ〜あの時期のRHCPにナヴァ郎がいてくれてよかった〜!!!
・根に持つタイプなので何度でもいうが、フルシアンテが復帰した途端掌返して『One Hot Minute』を駄作評価した連中のことは忘れないからなキーッ



2019年04月06日(土)
『BLUE/ORANGE』

『BLUE/ORANGE』@DDD AOYAMA CROSS THEATER

ひとりの黒人患者を、ふたりの白人精神科医が診る。退院に難色を示す研修医と、退院させたい彼の上司。ひとは総じて差別をするいきもので、それを意識の持ち方と言葉の使い方でコントロールしている。そこには常に時間(時代)が横たわる。ということをまざまざと見せつける2時間50分。緩急自在のダイアログで見せきった成河、章平、千葉哲也! 会話劇の醍醐味!

再演。初演は逃しており、今回が初見です。作:ジョー・ペンホール、演出:千葉哲也。ちなみに初演は2017年に亡くなった中嶋しゅうさんの企画で2010年に上演。キャストは

中嶋しゅう:コンサルタント(研修医の上司)
チョウソンハ:患者
千葉哲也:研修医

だったそうです。今回は

千葉哲也:コンサルタント(研修医の上司)
章平:患者
成河:研修医

おおうあの患者が成河さんだったのかい……それは観たかった〜。というのも、今回患者を演じた章平さんと成河さん、体格も声のトーンも全然違うのです。正反対といっていいくらい。感情のタガが外れたときの患者は、膨大な言葉を大声で矢継ぎ早に話し続けるのですが、成河さんのハイトーンな声だったらさぞ癇に障ったであろう。章平さんの声は落ちついているけれど、その早口と大きな身体を使った多動には威圧感があり、研修医は身体的な危険を感じただろう。初演で研修医を演じたのが千葉さんというのも、今回のコンサルタントを観てしまった今となっては想像がつかない。あの! 狡猾な! 息をするように差別を口にするコイツが(役がですよ)!

コンサルタントの第一声からの数分は、カタログを作れそうな程の差別発言が並ぶ。このシーンは「以降こうした発言が続くよ」というちょっとした基準になっている。サッカー……いや、劇中出てきたラグビーに例えた方がいいかな。試合が始まって最初のラフプレーを、その日のレフリーはどう判断するか。ファウルか、それともアドバンテージをとるか。観客それぞれがレフリーとなり、この日のやりとりを考える。これは相手がそういったからだよな、これは言葉の綾で、これは過去の過ちを検証するという意味で口にしただけで……。スポーツのルールが時代によって変わるように、社会のルールもまた変わる。この戯曲の基準はいつ迄通用するかな、と思う。しかし同時にこの戯曲が面白いのは、演者がどこに基準を置くか明確にしないことで、いかようにも受けとれることだ。矛盾するようだが、そうなるとこの戯曲は古くならない。

そしてSNS全盛の今、「その発言だけを切りとり、拡散する」という要素に強度が加わった。これで「検証するという意味で口にした」が無効になる。恐ろしい世の中ですね。ヘイターに向かって◯ねとかク◯がとかいってるひとも、ほうら切りとれば立派なヘイターです。ま、これはある意味本質を表している。そういう言葉を使うひとはそういうひとです、というね。つくづく言霊というものはやっぱりあるなという結論に落ち着く。「私、差別しません! レイシスト◯ね!」ていうひとがいちばん怖いわ。

登場人物三人は、言葉を使ってコミュニケーションをとらねばならない人間の物悲しさに溢れている。言葉を使うあまり、感情が昂ぶり、判断力が鈍り、伝えたいことと正反対の言葉を口にする。予備知識を入れずに行ったので、一幕目中盤からは「実は自分のことを研修医だと思い込んでいる患者と、患者のふりをした医者のやりとりなのかな?」なんて思って観ていた。それくらい、皆が病気に見える。ひと皮剥けば人間誰もが同じ生きもの、それでもひとりひとりは違う人間。青いオレンジという言葉は重い。

非常に繊細な言葉の数々を、注意深く観客に届け続ける三人の技量に恐れ入る。千葉さんの「もう役のひとにしか見えない」実在度の高さ! もはや台詞いってる感じすらしない! 章平さんが時折見せる、打ち捨てられたこどものような表情。社会生活を送るためには(ためにこそ)患者であらねばならないよるべなさ。彼の行く末が気にかかる、それがチャームとして見える。連発する「やばいっしょ、」のリズムもよかったな、これ原語だとどういう言葉なんだろう。翻訳は初演と同じ小川絵梨子だが、再演に際し新たに訳しなおしたとのこと。初演ではまた違ったのかもしれないな。

成河さんは、差別しない人間であろうと意識(努力)し続けているのに、結局はそうなれない痛みがもう他人事とは思えずしんどいのなんの。あなたと私は違うということを縦列ではなく横列で考えるという意識を持ち、常に自問し乍ら生きている。しかしそのおかげで? 上司に取り入ることをやめ、あんな幕切れを迎えられたのかも。そう思わせられる寂寞な茶目っ気があった。

それにしてもラグビーの悪口には笑った、ワールドカップが日本で開催される年になんてタイムリーな(笑)。サッカーもだけど、ただでさえイギリスはイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドといろいろ複雑だものね。コンサルタントのいう民族とは……とも思いました。

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・成河が自らの代表作で新役に挑む/上┃WEBRONZA
・成河が自らの代表作で新役に挑む/下┃WEBRONZA
ホントこのひとの、演劇への思いには頭が下がる。観客のこともよく考えてらっしゃる

・一人カルチベートチケット┃web dorama de songha
そんな成河さんからの提案、乗りたくもなる。観劇ベテラン(?)からの寄付を運用し、観劇初心者の方に格安チケットを販売するという企画です。シアターゴアーなんて名乗れる程芝居を観ている訳ではないけれど、ちょっとでも役に立てればいいなと。
もっと気軽に、でも目の前で生身のプロフェッショナルを観られるということに敬意を持って観にきてくれるひとが増えたらいいな、との願いを込めて

・ナポリ発! コーヒーのおすそ分け文化「保留コーヒー」世界へ┃Think Daily
で、今回の企画を知って連想したこと。「知らない誰かのために積み立てるチケット代」、巡り巡って誰かに届いているといいな