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2019年03月24日(日)
高橋徹也 × 上田禎 デュオ・ワンマン『con el maestro』

高橋徹也 × 上田禎 デュオ・ワンマン『con el maestro』@風知空知


いやまじで。やっと聴けたーーー! トレモロ! あのピアノのトレモロ! ずっと聴きたかったあの音〜!!!(泣)

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vo, g:高橋徹也
key, g:上田禎
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ことあるごとに書いてる気がしますが、高橋さんのライヴ盤『The Royal Ten Doller Gold Piece Inn and Emporium』は私にとって人生の一時期を伴走してもらったと勝手に思っているくらい恩を感じているアルバムなのです(ア燹疾萋のmotk川さんの言葉を思い出す〜。「人生過酷でしょ? だからひとは音楽を聴くんですよねえ」!)。高橋さんのライヴに行き始めた頃のピアノは既にsugarbeans/佐藤友亮さんだったので、高橋さんと上田さんのデュオを観るのは積年の夢というかなんというかで。いやもう、感無量です。

しかし、このアルバムが出たときはもう佐藤さんが参加されてたんですね。今回詳細を初めて知りました。「メジャーを離れてから数年間、上田さんと会うことは全くなくて。その後佐藤くんと出会って、プロデュース、レコーディング、ライヴと参加してもらっていたんだけど、このライヴの日はどうしてもスケジュールが合わなかった。それで上田さんにお願いしたんだけど、そのときのライヴが作品になったので佐藤くんには申し訳ないなという思いがある」。そうだったのか……。

というわけで、デビュー前からのつきあいである上田さん。思い出話に花が咲くのは勿論のこと、高橋さんが苦しんだ時期と、それを超えた今を見守ってきた先輩の包容力をひしと感じるライヴでありました。それにしても勝手知ったるというか、自由だったなー! 上田さんのキャラクターにも魅了されてしまった。「マエストロ」と呼ばれているのにも納得。なんたって今日のライヴのタイトルが『con el maestro』ですからね。といえばこのタイトルはスペイン語、先日リリースされたライヴ盤『AO VIVO』はポルトガル語。今ラテン(音楽)の旅をしてるのかな。

お話のなかから、書いていいかなというところをおぼえがき。いやほら、クローズドな場(=演者と参加者の信頼関係あって)こその話もあると判断してのことです。問題ありましたらご指摘ください。

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高橋:いつもビシッとキメてますよね。そういえば初めて会ったとき、全身MILKBOYだった
上田:全部もらいもんですよ。あの頃こっちもまだ二十代だったし、買えるわけない。バンドやってたから撮影とかやったあともらってたの

上田:「真夜中のドライブイン」をマヨドラっていってたやつがいたな、加藤(隆志)か。バカですよ(場内笑・以降いいたい放題ですが愛の口調でしたよ!)
高橋:いちばんの出世頭なんですけどね。なんか関係ないときにもいて、呑みにいこう! っていってきて、ヤダなーと思い乍ら……いや俺あんまり呑めないし。でもお互いロックとは! とか考えてる熱い人間なんで、熱い話をしましたねー

高橋:最初のアルバムの『Popular Music Album』と二枚めの『夜に生きるもの』、よく「二枚めでグワッと変わった」と評価されることが多いんですけど、自分ではそんな感じはないんですよね。聴いてどうでした?
上田:うん、そうね、変わったというより、好きにやれたんだなって感じかな
高橋:自分ではあのときすごいオープンマインドだったんですけどね、何ごとにおいても。もう結婚出来るんじゃないかってくらい、あの頃は
上田:なにいってんだ
高橋:いやでもそうだったんですよ。ですけど
上田:メジャー最後のアルバムを作るときはもう、ディレクターも好きにやれって感じになってたでしょ。高橋の周りは敵だらけになってね(笑)
高橋:曲げませんからね
上田:ある日やってきた高橋が机にノートとペンをガッて置いて、「上田さん、アルバムってどうやって作るんですか……!」って。ノートに書いて出来るようになるもんでもない。なんか可哀相になってね、手伝うことにしたの

高橋:ほんと上田さんって優しいですよね。泣き言いえるのは上田さんくらい。いつも話を聞いてもらって
上田:それはあんまり真剣に聞いてない…から……(場内笑)
高橋:酒で乱れるのも見たことないし
上田:それは高橋が呑まないからセーブしてるんだよ。他ではねえ。それに鹿島の方が優しいでしょ。「お前さあ!」とか口調は厳しいけど
高橋:そうですねえ。 いい先輩に恵まれました

高橋:「対岸」と「星の終わりに」を好きな曲っていってもらえたんですけど
上田:その二曲は音楽に聴こえないんだよね、誤解を恐れずにいえば。映像、フィルム、風景……もはやそんな感じ
高橋:ああ、それはうれしいですね

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「喋るとなんかもう(演奏)いいかってなっちゃうね」「いやあ、普段はそんなに……ライヴの構成を考えてのことなんですよ。でも、喋りすぎたかな」なんてやりとりも。上田さんに話したいことが沢山あった様子の高橋さんでした。そうそう、この日は本当にいいお天気で、風知空知のテラスから見える空がとても気持ちよかったのでしょう、高橋さんが外を眺めて「夕闇が迫ってくる様子が綺麗でねえ」といったんです。そのとき上田さんが「贈る言葉」のフレーズをポロッと弾いたことは記しておきたい(笑)。『金八先生』のオープニングを思い出したんでしょうかね。

こうしたMC中だけでなく、楽曲の演奏中でも、隙あらばおおっとなるフレーズを次々とブッ込んでくる上田さん。もう息をするように演奏する方ですね。ギタリストの面は知らなかったのですが、これまたニヤリとするようなフレーズをグイグイ入れてくる。ここでチョーキング?! とか。それに笑って応える高橋さん。こうくる? じゃ、これはどう? とアイコンタクトで演奏がみるみる変容する。

『大統領夫人と棺』の楽曲を上田さんの演奏で聴けたこともうれしかった。音源と同じ構成の「ブラックバード」、あのピアノが聴こえてくるともう身動き出来ないくらい耳を澄ましますわ……一音も聴き逃したくない。上田さんの演奏も映像喚起力すごいありますよね、「音楽に聴こえない」ものを奏でることが出来るひとだ。鹿島さんのベースなしでは考えられないと思っていた表題曲のグルーヴには感嘆。そういえば初めて高橋さんのライヴを観たのは佐藤さんとのデュオで、このときの「大統領〜」はギターとカホンという編成だった。改めて高橋さんの書く楽曲の潜在能力に唸る。それをいったら「新しい世界」も、弾き語りからホーンセクション入りとあらゆるver. があるな。ミニマムからマキシマム迄。宇宙から犬と老人を見降ろす、まさに高橋徹也の世界。

一度はお蔵入りになった『REST OF THE WORLD - LOST SESSIONS 1999』に収録された「音楽」を共演出来て本当にうれしい、と話していました。「演奏してるとき泣きそうになってた、こんなの初めて。(オーディエンスを)泣かすのが仕事なのに、自分が泣いてどうする。いや、実際には泣いてませんよ!」と何度も念を押す高橋さんでした(笑)。でも上田さんも「俺も泣きそうになってたよ」と仰ってましたね。そういうとこも優しいね(微笑)。

アンコールはふたりが偏愛するデヴィッド・ボウイのカヴァー「Wild Is The Wind」よっ、ボウイ! マイク・ガーソン! と大向こうが飛びそう(屋号か)な大団円……と思いきや、朗読ver. の「バタフライ・ナイト」で再び夜の散歩に出たあと、高橋さんにも上田さんにも長い歴史を持つ最新作「スタイル」で幕を閉じました。終わってみれば三時間。デュオでこれだけ長丁場なのに、これ程名残惜しいライヴはなかったです。またの機会を気長に待っています。

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・音楽┃夕暮れ 坂道 島国 惑星地球
セットリストも


ウロウロしてみるものです(笑)、わっとか声出ちゃった



2019年03月23日(土)
愛のレキシアター『ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶ』

愛のレキシアター『ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶ』@TBS赤坂ACTシアター

ワタシにとっての『マンマ・ミーア!』である『いやおうなしに』と同じニオイがしたので迷いなくチケットをとりました。河原雅彦からの企画立案ですし、間違いなかろうと。鈴木裕美と並び、個人的に「自分発信であろうが請負仕事だろうが確実に面白いものをつくる」と信頼出来る、数少ない演出家です。不安があるとすれば自分の方で、O.L.H.ことOnly Love Hurts a.k.a. 面影ラッキーホールはライヴにも通いつめるようなリスナーだったけれど、レキシとその楽曲のことはあまりよく知らないということでしょうか。まあ、河原総代のつくるものだからきっと大丈夫(それくらい信用している)。

という訳で、たいらのまさピコとして総代が仕切ったのはレキシのナンバーでつくるミュージカル。まず楽曲ありき、ですので構成の腕が問われます。『いやおう〜』では福原充則による脚本がもう、打ちすぎた膝の皿が割れるくらいな素晴らしさでしたが、今回のまさピコ&大堀光威による上演台本にも唸りまくりです。ミュージカル上演を前提にしている筈もない楽曲たちをどうストーリーに当てはめていくか。レキシのアトラクションパークを舞台にすればいいんじゃーん。大化の改新アトラクション、墾田永年私財法の時代アトラクション、縄文・弥生時代のアトラクション! レキシーランドにやってきた登場人物たちは、アトラクションに参加し、レキシナンバーを唄い、踊り、観客は笑い、拍手し、稲穂を振る。一緒に唄って大団円、♪縄文式、弥生式、どっちが好〜きっ、どっちもドキ(土器)♡

ホント全方位に目が利くな……総代とKUNIOこと杉原邦生は鳥の目を持つ演出家だと思っていますが、とにかく空間認識力がはんぱない。劇場最前列と最後列の観客から舞台がどう見えるか把握出来るし、各シーンの核になる人物、美術の置きどころというか、観客の目が向くように持っていく誘導力も強い。そして人脈づくりな……アンタの依頼ならそりゃ受けますよってなキャストそしてスタッフ。お侍ちゃんが体調不良につき降板、裏方だった前田悟(!)が代役侍略してだいざむとして出演していたのには驚いたが(当日劇場で知りましたわ)、もともと表方でもやるひとなのにごめんね代役でとかいじりつつ、しっかり見せ場を用意しているところにも、転んでもただでは起きない魂が感じられました。オーディションからのキャストにも見せ場を作っていて、なんつうかハッピーなカンパニーだわあとニコニコして観た。

あとお祭り好きのところとドリフリスペクトなところが、まるまる機能してるのがたまらんよ……山車に神輿で転換もスムーズ。『TEXAS』でも使われたこの手法、ハレへのスイッチが入るという意味でもめちゃめちゃブチ上がりますよね。主人公の二階建ての家はどうにもドリフのセット(いつ屋台崩しが起こるか土器土器してたわ)、それらを人力で移動させてヘロヘロになってるテイのスタッフにも焦点をあてる。アトラクションへの献身には光と影がある。オリエンタルランドのパワハラ訴訟のことを思い出さずにはいられない。それでもショウマストゴーオン、犬は吠える、が、キャラバンは進む。ミラーボールは客席の頭上でまわり、蛍光LEDとブラックライトの照明のエレクトリカルパレードはラブ&ピースに満ちている。夜にならないと開幕出来ないパレード、闇がないと成立しないパレード。どメジャーの現場にしっかり毒を入れてくる。カー、痛快ですな。

これを舞台上でうまいことまわしまくるのが八嶋智人。劇中劇、楽屋落ち、観客いじりと、ちょっとズレると鼻白むMCの役割、流石です。前述の転換スタッフも、実際にはヘロヘロになってる様子は見せませんよ。そこを「今日マチソワ! 衣裳替えの多い役者もセットぐるぐる回すスタッフもへろへろ!」とフックに使う塩梅もいい。一幕目は正直「このままのペースでいったら、あまりにも山本耕史が勿体なくねえか……」なんて思ったりもしましたが、二幕目でガッサガッサ風呂敷たたみましたね。焦らされた感はありましたが、その分待ってました! 感がすごかったです。そうだよねえ、レキシものなんだから土方歳三出てくるわねそりゃ、と出てきたから思うのであって、その発想を思いつくところがまたすごいよねえ。それにしてもまー、ホント山本さんは八嶋さん曰く「なんでも出来るよね、エライネー(棒)」。歌もダンスもギターもモノマネも、ここ迄やったらあとはマジックも?! と時間が経つにつれ期待しましたがそれはなかった(笑)。

個人的に驚かされたのは佐藤流司。おお、今打ち込んだら予測変換で出てきた。不勉強で今回初めて知ったのですが、劇中ネタにしていたように2.5次元舞台で鳴らした方だそうです。いやあ、「誰あのひと、なんかエラいデキるひとがいる!」と瞬時に思わせる発声、身のこなし、そして殺陣。一箇所めちゃくちゃカッコつけるところで台詞を噛むという、逆に場をかっさらうヤラカシもあり、「持ってる」感がすごかったです。カーテンコールで「噛むとウケるんだなって思いました……」としょんぼりしていたところに真面目さが窺えた(笑)。鈴木勝秀演出の『R&J』でロミオを演じるので、俄然楽しみになってきました。

そんなこんなで真面目な話、墾田永年私財法がどんな法だったか、今回の歌でようやく理解しました。レキシってすご〜い! ♪縄文式、弥生式、どっちが好〜きっ、どっちもドキ(土器)♡を口ずさみ乍ら帰路に着きました。



2019年03月20日(水)
『金子文子と朴烈』

『金子文子と朴烈』@シアター・イメージフォーラム シアター2

星新一の言葉を思い出す。「われわれが過去から受けつぐべきものはペーソスで、 未来に目指すべきはユーモア。」

月曜日、『Touch that Sound!』の前に観ました。原題は『박열(パク・ヨル(朴烈))』、英題は『Anarchist from Colony』。2017年、イ・ジュンイク監督作品。1923年、関東大震災に紛れて多くのひとが虐殺されたことはよく知られているが、と、近年ではそうもいえなくなってきた。以前松井周が「歴史って嘘なんじゃないかと思う。当時を知っているひとがいなくなり、文書が信用できるかというとそんなことはない」と話していたが、そのことを実感する。いくらでもなかったことに出来るし、いくらでもあったことに出来る。

興味を持ったのは甘粕正彦が登場した映画『ラストエンペラー』からで、その後アナキストたちの物語として『美しきものの伝説』『走りながら眠れ』(ここで引用しているが、「朴烈夫婦」は大杉栄と接点があった)などの舞台作品で観ている。その全てが史実を元にしているが、史実通りではない。今回観た『金子文子〜』もそうだ。

では、今作の「史実通りではない」箇所は、どういう狙いでそうなったのか。多くは「そうだったらいいのに」という願い。そして、過去のペーソスを未来のユーモアへと繋げるためだ。日本人 VS 朝鮮人といった未来にならないように。過去の出来事を未来に伝えるために。それを忘れないために、それをなかったことにしないために。

そして葬られた出来事に目を向ける。宇都宮に移送されてからの三ヶ月、彼女に何が起こったのか。北朝鮮に捕らえられてからの二十四年、彼は何をしていたのか。そのことを忘れてはいけない、考え続けていかなければ。なかったことにしてはいけない。そして、決して繰り返してはならない。当時を知らない者ですら、当時に近づいているというある種の空気を感じる現代に必要なもの。

それにしてもキャストが魅力的だった。金子文子を演じたチェ・ヒソ、朴烈を演じたイ・ジェフン! ヒソさんは金子という存在を現代に甦らせた。実体というか、体温を感じさせる。あの時代、彼女は確かに生きていたのだ、と感じさせてくれる。悠然としていて、芯のある声。穏やかでいて、熱のある瞳。彼女がいなければこの映画は撮れなかっただろう、と迄思わされる。そしてジェフンさんて『建築学概論』(おお公式サイトまだある!)のあの子だったのーッとなりましたよね。あのフワフワした子が! 歳とったらオム・テウンになるのねー(いろいろ混同)。オープニングの汗と泥にまみれた背中のショット、初めてその顔がスクリーンに映った瞬間。鮮烈。

顔といえば、キャストの皆さん顔力が強い方ばかりで。悪役をほぼ一身に背負った内務大臣役のキム・インウも、弁護士役の山野内扶も忘れられない面構え。裁判長は舞台好きにはおなじみ金守珍。予備尋問を行った検事役のキム・ジュンハンはイ・ジョンジェと同系統の顔立ち、物腰でたいそう気になりました。これからもいろいろな作品で観てみたい。調べてみたら『軍艦島』に出てるんだよねー。これも日本公開してほしいが…ツインが仕入れ済みって報道あったんだけどな……待ってるんだけど……。『金子文子〜』が公開されたのは奇跡だ、こんな映画は日本人には撮れないといわれる時代なのだ、今は。こういうふうに、過去のいろんなことがなかったことにされてしまったのだなあ、と思う。

冒頭に戻る。そうそう、星新一といえば五月末に韓国のプロダクションで『ボッコちゃん』が上演されるんです。ペーソスとユーモアがどう表現されるか、とても楽しみ。

守珍さんを観たせいか、金久美子さんのことも思い出してしまったな。亡くなって今年で十五年になる。彼女にもこの映画を観てほしかったな。

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・金子文子と朴烈┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております〜。
韓国映画ってエンドロールで日本人キャストは漢字表記が多いように思っていたんだけど、今回は皆ハングル表記だったかな? 松田洋治が出ているのに気づいて、でも自信が持てなくてあれ? あれ? と思ってエンドロールで確かめようとしたんだけど漢字のひとがいなかったのね……パンフレットにも載っていなくて結局こちらで確認しました。ホント素晴らしいサイトですよ……

・金子文子と朴烈┃公式サイト(日本公開版)

・【2019/2/16】韓国映画上映を妨害し、ヘイトスピーチをまき散らす街宣@渋谷と心斎橋と京都┃togetter
・【2019/2/24】名古屋の「金子文子と朴烈」上映に対する右翼の妨害とサイレント抗議の記録┃togetter
なかったことにしないためには、残しておかないとね。ここ数年、ヘイトスピーチを街中で見ることが増えたという実感が確実にある。映画館が粛々と公開を続けてくれることに感謝。平日の昼間に観ましたが、盛況でした

・「金子文子と朴烈」主演女優が来日、公開に感慨「決して反日映画ではない」┃映画ナタリー
出演者がこんなこといわなきゃならないってのもせつないよ……。丁度この日、イヴェントが終わった時間に会場の前を通りかかった。出てくるひとたちをしばらく眺めた。皆さんいい顔してらっしゃいました



2019年03月19日(火)
mouse on the keys Japan Tour 2019

mouse on the keys Japan Tour 2019@duo MUSIC EXCHANGE



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drs:川昭、keys:清田敦、keys:新留大介、g:飛田雅弘、tp, fl:佐々木大輔、vo:小林宏衣
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20時開演助かる! しかしあたりまえだがその分終演時間も遅くなるのであった。ゲストYasei Collectiveが終わり、FORT(前フリからはライヴなのかDJなのか判らず、会場も激混みでしかもduoなもんでフロアの様子も殆ど見えず、結局本人いたんだかいないんだかも判らないままだったという……)がやってる前にmotkのセッティングという形だったのかな? えらい時間かかってるなあ、motk何曲くらいやるんだろうとジリジリしていると、川さんが出てきました。

「え〜お待たせしてすみません。ちょっとトラブってまして、スタッフの方もすぐ始められるようにがんばってくださってるので」「過酷なアメリカツアー、アジアツアーを経てジャパンツアー最終日を迎えられて感謝感謝、僕2011年に隠れ脳梗塞が見つかって、お医者さんに60代の脳ですよっていわれたんです。なのであんまり頭振って叩いたりしたらいけないんですけど、そこから生活からバンドの活動から見なおして、ペースを変えたら進行がとまったんですよ。いやー俺が俺がって思われてるけどmotkは新留くん、清田くん、そしてサポートの佐々木くんや飛田くんね、スタッフの方々皆でCircleなんですよ。今回リリースした『Circle EP』はそういう思いも込めてですね」云々、云々。

しばらくハンドマイクでお話です。先生というか選挙に出るひとというか、どなたか「うさんくさいセミナーの講師」とかツイートして、それバンド公式からRTされてましたけども(笑)。ライヴが始まってからのMCでも、「俺、喋りすぎ?」といいつつ話し出すととまらない状態でした。まあ「新留くんどう?」「清田くん、ねっ?」と話を振っても、それに乗ってふたりが喋り出すということもないので(笑)。今は感謝の季節らしく、しかしその方向が面白い方に行ってまして、「ん〜、清田は手が綺麗!」「皆さん手を見てみてくださいよ、綺麗でしょ〜」「Audiotreeでライヴ配信やったとき清田くんの手ばっかり映ってたもんね」「マウス始めたとき、清田くんに『もっとアグレッシヴに、動いて弾いた方がいいんじゃないの』っていってたんだけど。もっと目立てばいいのに、勿体ないなと思って。でもその必要なかったですね」「海外での英語のMCは新留くんにお願いしてます!」「一時期〇〇(某超大手のテクノロジー企業)にいましたからねトメさん」といった川さん流いいとこ探しがもう、若い頃さんざん暴れたヤクザが歳とって慈善事業に目覚めたみたいな様相を呈しておりました。いや、いいことですが、なんかムズムズする…あのシーザーが……。

体調や年齢のこともあり、思うところあったんでしょうね。「今をだいじに」「以前は未来のことばかり考えてた。食事中でもメール見て、明日の予定とか考えて。その時点で今は過去で、未来が今ってことになってる。そうじゃなくて、今しかないんですよ。今迄生きてきて、今がいちばん。最高です」「人生過酷でしょ? だからひとは音楽を聴くんですよねえ」。三宅純が「音楽は時間の芸術」といっていたのを思い出した。音楽は、演奏された瞬間から過去になる。二度と戻らない。

MCについて随分長く書いてますが、この日の演奏はその話と切り離せない内容になっていたと思います。川さんが書いた曲を精緻に再現することが目的だったmotkが、今では「全員曲が書けるのが強み」というバンドになった。過酷な人生の傍にある音楽。今しかない音を奏でるプレイヤーたち。ここにしか存在しない音を聴くため、足を運ぶリスナー。それらがCircleになっていく。長演奏してきた曲に飛田さんが新しい色を加えていく。今迄気付かなかった、その曲の違う表情が見えてくる。音源ではSaxソロにあたる箇所に、ノイズ、ハーモニーが切り込んでくる。アウトロの余韻がより深くなる。清田さんのピアノと佐々木さんのフルートがユニゾンを奏でる。鋭利な音が柔らかになる。

曲はいきもので、演奏によって育つものなのだ。同様に老成もする。常に変化していく。クラシックが何百年も演奏され続ける理由のひとつはここにある。motkの曲もそうだろう。十年を超えた活動からすると、決して作品数は多くない。だからこそライヴで繰り返し演奏され、楽曲の普遍性と可能性を知ることが出来る。バンドはツアーを続け、訪れた場所の夜を、オーディエンスを呑み込み喰いつくす。本編最後に演奏された「Circle」は、音源にも増してエモーショナルでドラマティックだった。バンドの歩みとともに、今後ますます壮大な曲になっていくのではないだろうか。

配置にまたちょっと変化があった。下手の川さん、上手の清田さんが向き合っているのは変わらず。センター新留さんが正面を向かず、川さん側に身体を向けている。新留さんと川さんの間に佐々木さん、最上手に飛田さん。佐々木さん、あの爆音drs の真隣でよくフルート吹けるな。自分の音拾えてんのかななどと思う。だって遮音板もないのよ。PAの腕がいいのだろうな。昨年のアジアツアーに参加していた小林さんのヴォーカルは日本初演。ドミニクとも稲泉さんとも違う、スモーキーヴォイスで「Pulse」「Stars Down」を聴かせてくれました。変化は続く。Circleはますます拡がっていく。

「皆さんがライブに来てくれたり、僕らの音楽を聴いてくれる事で、僕らは励まされ、やり続けられます。体が動く限り頑張ります!」こんなこと書かれちゃうとなんだかせつなくなってしまう。それだけバンドにとっても人生は過酷なのだろうし、アスリートな面もある演奏=身体表現に不安があるのかもしれないな。そこらへんの「身体が思うように動かなくなってくる」感覚、同世代なんで分かるわ…実感ありまくるわ……。心配になってしまうけど、だからこそ、出来る限り彼らのライヴには足を運びたい。勿論、まずあるのは音楽。彼らが今、ここにしかない音楽を奏でてくれることを信じているから、またライヴへ出かけたくなるのだ。

「今、ここしかない」。自分も肝に銘じていることだけど、皆さん元気で長生きしておくれよ〜。

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Yasei Collectiveは初見。Louis Coleと縁も深い彼ら、聴いてみて合点がいきました。歯抜けリズムがテトリスのようにハマッていく、これをどうしてそうも肩の力抜いて出来るのかという。トリオ編成になって初めてのライヴとのこと。以前の編成を見逃したのは残念だけど、今後注目していきたい。最後の曲ルイス好きそう〜と思ったんだけど、そういえばルイスの方からアプローチしてきたんだったよね。motkとのちょっと変わった対バン企画も発表になり、五月が楽しみです。

motkのレーベルfractrecからシングルをリリースしたFORTの音も格好よかった! 次回はお姿を拝見したいものです…いやホント、全然見えなかったのよ(泣)。



2019年03月18日(月)
『Touch that Sound!』-Day 4 / 中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES)トークイベント

『Touch that Sound!』-Day 4 / 中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES)トークイベント@御茶ノ水 Rittor Base


vet.ではなくver.ですわね……。

・中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES)「untitled #01 -SSVR mix-」
・Cornelius「あなたがいるなら -SSVR mix-」
・evala「See / Sea / She -SSVR mix-」
・Hello, Wendy! + zAk「Katyusha -SSVR mix-」
・清水靖晃「コントラプンクトゥス I -SSVR mix-」 J.S. バッハ「フーガの技法」より


作品5分程なので、30分あれば全作品を体験出来ます。

中野さんのトークイヴェント前に、まずは通しで5作品。暗幕が張られた部屋に入場、中央に丸椅子が何脚かあったかな。それに座って体験してもいいってことだったのだろうが、イヴェント用のものなのか判断つかなかった+イヴェント参加込みで入場してきたひとが多かったためフロアは大混雑、座るどころではなかった。まあ仕方ない。入場順に隊列を組むような形で並び待っていると、暗転して開演。暗闇のなかで聴くので集中出来る。

各作品に入る前、挨拶と解説ナレーションが日英中三言語で流れます。日本語はアーティスト本人による音声。横並びになっている128ch分のスピーカーに各言語が割り振られているので、立ち位置によっては一言語しか聴こえない。最初の中野さんの挨拶、声小さいなあ何か加工してるのかなと思ったんだけど、それは自分が中国語が日本語より大きく聴こえるところに立っていたからでした。仕組みに気付いたひとたちが、パラパラ移動し始める。

VRという特性をよく表していたのは清水さん、システムの可能性を感じたのが中野さんの作品でした。清水さんはSONY社屋のエレベーターホールでSax演奏を録音したものが基になっているのですが、その空間が丸ごと感じられた。会場のはるか上空に天井が感じられ、残響が上へ抜けるように遠ざかる。まさに「何も装着しないVR体験」。一方、中野さんの作品はひとつの楽曲で、BOOM BOOM SATELLITESの新作といえる仕上がり(クレジットは「performed by BOOM BOOM SATELLITES」となっていた!)。Drum'n Bass調のブレイクビーツ、アンビエント調のウワモノの音像がシャープで、ダンストラックとしても楽しめるうえ、このサウンドシステムがクラブやライヴハウスで体験出来たらさぞや……という期待もわく。音が「ここにいる」という感覚が味わえる。ただ、事前に発表されていた「川島道行の声」の効果はあまり感じられず。ああ、今聴こえたかな? ちょっと控えめだな、と思ったのだが……これに関しては後述します。

ツイートした「5.1chの進化形」はCornelius。「サウンド・インスタレーション」という本展の主旨からすると、evalaかな。Hello, Wendy! + zAkは音楽の心地よさが音響で拡張される感覚が楽しめました。

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という訳でトークイヴェントのおぼえがき。記憶で起こしているのでそのままではありません。便宜上話の順序が違う箇所もありますのでご了承ください。明らかな間違い等ありましたらお知らせくださると助かります。取材のカメラも入ってたのでどこかで公開されるといいなー、というかサンレコに載るんじゃないかな? 載るといいなー。

・登壇者(敬称略)
國崎晋:本展のキュレーター。長年サウンド&レコーディング・マガジンの編集長を務められ……つまりこれを出した方ですよ!

ブンブンがアルバム出る度表紙特集組んでくれてた方ですよ!
光藤祐基:ソニーR&Dセンター、Sonic Surf VR(SSVR)開発者
中野雅之:言わずと知れた。来月リリースの自社製品を着ておいででした

國崎さんが司会進行。最初に光藤さんよりシステムの仕組みについての解説がありました。

國崎:このシステムを使ってアーティストの作品展が出来ないか、という企画を立てたとき、まず依頼しようと思ったのは中野さんなんです。お話聞いてどうでしたか?
中野:ものすごく…忙しいときだったので……(場内笑)
國崎:すみません……個人的に僕がBOOM BOOM SATELLITESのファンだということもありまして。ブンブンとしての活動を終了され、現在他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースを主にされている中野さん自身の、純粋な新作が聴きたいな、と
中野:システムを見せてもらって興味もわきましたし、これを使って自分がやれること、というなら音楽だなと。僕は音楽家なので。最初はインスタレーション的なものをやろうと思ったんですけど……
國崎:川島さんの声を使おうと思ったのは?
中野:ここで川島道行の声がこう鳴ったらいいな、こう鳴ってほしい、と思ったので
國崎:他の方は既存の曲の新しいミックスですとか、アンビエント面からくるとかなんとなく想像がつきまして、実際そうだったんですけど。中野さんがどんなものを作ってくるか、いちばん予想がつかなかったんです。聴いて驚きました。新曲じゃん! って。頼んだ甲斐がありました。中野さんの新曲が聴きたくて……皆さんも聴きたかったでしょう?(場内拍手)よかった、褒めて!(笑)

(以降國崎さん、だんだんブンブン大好きっぷりが表出してきます(笑)。音楽とリスニング環境のよい関係を紹介していきたいという思いに溢れている、という印象でした。こんな方が誌面を作ってくれていたのだなあと嬉しい気持ちに)

國崎:皆さん品川にあるSONYのラボで作り込んでもらって、いざ会場に持ってきたら鳴りが全然違って。中野さん、「ぜんっぜん違う……」ってガクーッとなって、「Corneliusの聴かせてもらえますか」って。で、聴いてまたガクーッとなって
光藤:すみません……空間に合わせて調整しなおすことになってしまいました
中野:そっから苦行でしたね。自分ちのスタジオに戻って、最初っから作りなおしくらいの
國崎:Corneliusも会場入ってからなおしたんです。というか、皆さん調整に苦しんでいましたね。全くなおさなかったのは清水さんだけでしたね。「あ、いいですねえ」といって帰っていった(笑)(会場どよめき)
中野:それはもう流石というか、今迄の経験、蓄積ですよね……
國崎:品川のSONYのラボと、会場の広さが全然違って。弊社としても努力したのですが、この(会場の)広さが精一杯で。最初から会場に持ち込んでつくって貰えばよかったなと反省しています。こうした企画を続けていきたいので、今後の課題です。今苦行と仰られてましたが、創作に苦しむ様子を中野さんって見せないじゃないですか
中野:見せない、ですねえ
國崎:中野さんがご自宅でつくりなおしたものを持ってきて、会場で調整している間僕もずっと一緒にいたのですが……一度会議があって数時間抜けたんですけど、帰ってきたら出来ていましたね。中野さんが会場で作業を続けるなら僕らも一緒に残らないと、とRitto Musicの面々は戦々恐々だったのですが、自宅に帰って作業して、翌日のスタート時間もそう遅らせずいらっしゃって。でもうーんってなってる姿を垣間見れたのは、個人的には嬉しかったです。そうして出来上がったものを聴いたら、川島さんの声が頭を突き抜けていくようなところがあって……これには本当に感動しました

中野:このシステムがこれからどういうふうに使われていくのかわからないので。空間設計によってアトラクションにも、シアター、クラブにも使える。勿論サウンドインスタレーションにも、環境的なものにも。でも僕は音楽をつくることに情熱を傾けて生きているので、音楽が出来ることは、というのを考えたんです。しかもロック、パンクというルーツがあり、バンドをやっていたこともあって、そういう立場から出来ることを考えました
國崎:中野さんのプライベートスタジオで鳴っている音を、そのままリスナーが聴けるというのが理想ですよね
中野:そう、ですねえ……
國崎:今回参加してくださったアーティストの方には、僕監修のコンピレーションアルバムを作る気持ちで声をかけたんです。SSVRのデモンストレーターということではなく。アーティストに、システムのデモになるようなものをつくってくださいとは絶対いわないことを心掛けました
中野:音楽家はソフトウェアを作るのが仕事なので、ハード面については……このシステムを今後どういうことに使っていくかの可能性も考え乍ら、自分の頭の中で鳴っている音を外に出すために必要な機能が欲しいというだけで
國崎:そうですね。今回参加して頂いた方、皆さん「この機能があるから使ってみよう」ではなく、自分のつくりたいものに必要ない、足りない機能は「あ、これいらない」とどんどん捨てていました

國崎:ところで、各chがフォロー出来る周波数等の説明を受けたとき「ビートのある音楽(だったかな)は難しいでしょうね」といっていたのに、Drum'n Bass調の曲があがってきて驚きました。どうしてこのアレンジにしようと?
中野:サブウーファーがふたつあると聞いてから(ニヤ〜)。D'n'B、そのルーツであるラガマフィン〜ジャングルといった、下で細かいビート、ウワモノはゆったり、というアレンジはいけると思いました。
國崎:システムが活かせる楽曲を作ってきたということですね
中野:この配置だとハウスは無理。というか僕はハウスつくりませんけどぉ(笑)。他のひとはこういうサウンドでくるだろうと考えて、じゃあ僕はそうじゃないものをと。バランスを考えて
國崎:イヴェント全体のことも考えて頂いて。中野さん、そういうバランスよく考えますよね
中野:バランス人間なんです(笑)
國崎:面白かったのは、期間中の土日曜日になると家族づれの方がいらっしゃって。こどもは正直で、アンビエント調のトラックが鳴っているときはすぐ寝る。中野さんの曲がかかると踊り出すんです
中野:へええ
國崎:これは予想外の出来事でした

國崎:システムのアプリケーション的にはどうでしたか?
中野:開発途上ということもあって操作性が……この音をちょっとだけこっちにずらしたいと思っても、ショートカットもないので。このくらいかな? とカンで、マウスで波形を描いていくしかない。undoもないので……(場内ザワザワ)
光藤:ですよね……今後の普及のために、やっていかなければいかないことはまだまだ沢山あります
中野:自分が描いた波形なんてもう、グチャグチャで。他の方のも見せてもらったんですが、性格が出ますね。Corneliusの波形なんて、まー綺麗で
國崎:あんまり綺麗だったんで、Corneliusのトークの日にはスクリーンに映して皆さんに波形見てもらいました(笑)
光藤:チャンネル数によっても変わりますしね。evalaさんがSxSWで作品を発表したときは、576ch使って通路の両側にスピーカーを置いて音の回廊をつくりました

中野:は〜
國崎:今回山口のYCAMや、NYからも見学の方がいらっしゃって。ここに来ないと聴けないもの、から、この環境をどこにでも持っていけるようになるか、ということ迄、SSVRの可能性が期待されていることがわかります

國崎:今後の予定などお聞かせください
中野:今、僕は人様のお手伝いという立場が主なので、言えないことも多いんですが……あ、劇伴はやると思います
國崎:ご自分の作品はどうですか? 僕もですがここにいらっしゃる皆さん待っていると思います
中野:……自分の作品を〜、つ く り ましょう!(おおおと拍手)
國崎:これはうれしい! 本日はどうも有難うございました!

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中野さん退場後に國崎さんからお話。

・川島さんの声が抜けていく様子を聴くなら会場の中心にいると良いです
・先日ブンブンのファンだろうなあという方がいらしてて。いや、分かるもんなんですよ、中野さんの曲を聴きにきたんだろうなあってひと。終わったあと「川島さんの声、わかりました?」と声をかけたらきょとんとしてるので、ここ、この位置でもう一度聴いてみてください! といって聴きなおしてもらったら、そのひと、あああ! って顔真っ赤にされて出てきました
・フロアに人数が少なければ少ない程効果を実感出来ます、理想は多くても10人くらいなんですけど、今日は40人いらっしゃいますからね……一度といわず二度三度、是非聴きにきてください
・お近くの方はお昼休みとかにでも、ね(にっこり)。30分で一巡ですから、入口で今誰ですかって訊いて、ああじゃあ何分後くらいに来ればってわかりますから

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確かにトークイヴェント後、ひとが減ってから空間ほぼ中央で聴くとヒイッとなりました。聴き手の身長によるかもしれないけど、頭(耳)のど真ん中を川島さんの声が通る瞬間がある。声がここにいる、と感じられました。貴重な体験だったな……出来ればひとりっきりで聴いてみたいけど、それは難しいかな。

中野さん、新曲を有難う。そして國崎さんにめちゃめちゃ感謝、感謝です。

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・Touch that Sound! ─Sonic Surf VRによるサウンド・インスタレーション展┃Rittor Music
公式サイト

・ソニーの空間音響技術「Sonic Surf VR」を使った作品展「Touch that Sound!」が開催中。BOOM BOOM SATELLITESなど,5組の作品が上演┃4Gamer.net
記者会見レポート

・ソニー「Sonic Surf VR」で音が自在に動く不思議体験。仕組みを聞いた┃AV Watch:藤本健のDigital Audio Laboratory
解説記事と、光藤さんのインタヴュー

・小山田圭吾×大野由美子対談 「音に触れる」空間音響がすごい『Touch that Sound!』┃CINRA.NET



2019年03月16日(土)
『母と惑星について、および自転する女たちの記録』

『母と惑星について、および自転する女たちの記録』@紀伊國屋ホール

再演。母と三女が初演から変わり、準備中のPARCO劇場から紀伊國屋ホールへ。戯曲の幹の太さに感じ入る。それにしてもこれと『世界は一人』を同じ月に観るとなんというかショック療法的な……効いたわー。「これからは、私を生きる。」という宣美のコピーは秀逸。

あれから三年。こまごまとした台詞が現在を取り込み、三姉妹のリズムあるやりとりが心地よい。そだねー、サイテー↓。次女のモノローグをLINEのやりとりと重ねる表現は今でも効果的。彼女たちの結束と反発から、異文化、異星人である母親といういきものを見る。母という謎は塵となって宇宙に舞い上がる。寛容とは、赦すことではなく諦めも含まれる。期待しないということでもあるが、それに罪悪感を覚えなくてもいいのだ。ただ、母親が端々に見せていた寂しさをどう受け入れていくかが、三姉妹の宿題になる。三人は、ひとり残らず、絶対的に母親の影響を受けている。そのことに疚しさを感じなくてもいい。私がわるいっていうの、私のせいだっていうの。『世界は〜』でもきかれた台詞は、「ここで謝ったら、あんたこれから生きていけんようになるよ!」という台詞に繋がってくる。娘たちは母を異国に散らし、未来へと生きていく。

初演時あまり気にならなかった(私が)、母娘以外の人物についても考える。森の中にいた男は結局誰だったのだろう? 三女が追い出したあの男の本性は? 長女と次女は全くといっていい程触れない父親について。長女を待つ彼、現実を見ようとしない次女の夫、避妊をしない(?)三女の彼。そして、祖母=母親の母親が囚われ続けた原爆体験と信仰について。昨年『消えていくなら朝』を観たこともあり、蓬莱竜太が描く家族と宗教には今後も注目していくだろう。

田畑智子と鈴木杏の頼り甲斐のあること! 昔の話を出して恐縮だが、地震の中での上演となった『夜叉ヶ池』での田畑さんのことが印象に残っているので、立派になって……などと思う(何様)。同様に、高校の制服のまま舞台を観に来ていた鈴木さんのことも憶えているので、すっかり叔母のような気持ちです。斉藤由貴も凄まじかった(=素晴らしかった)が、今回のキムラ緑子もすごかった。鬼の形相から、毒親なんて名付けでは括りきれない人間の業が浮かび上がる。安易な名付けではカテゴライズ出来ない思いを描くのが作家なのだという思いを強くする。

初演では志田未来(の役)が妊娠するというシチュエーションに若干うろたえたのだった。末っ子らしい危うさがあり、姉たちから見ればこんなこどもが? という衝撃を覚える印象だった。今回三女を演じた芳根京子には、母親との修羅場を乗り越えた強さを感じた。身長と顔立ちのせいだろうか。演じたときの年齢はそう変わらないのに、受ける印象は随分変わった。初演時は「この四人でなければ」と思ったものだが、今回「この四人だからこそ見られるものがあった」と思う。いつかまた、再演されるのを待っている。

そうそう、音楽(国広和毅)について。初演のとき『阿修羅のごとく』のテーマ曲を思い出すなあと思ってそのまま忘れていた。あれはトルコ軍楽の「Ceddin Deden」だった。三姉妹が訪れたのはイスタンブール。成程!


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・紀伊國屋ホール久々だったんだけどそうでした、老舗だけあってここって千鳥配列じゃないし席間も狭く段差も小さいのであった。二列前のひとが結構な座高であー見づらいなと思っていたんだけど、前列のひともそうだったらしく、休憩中に隣の友人らしきひとと席を替わったんですね。その替わったひとというのがもう、高座高、前のめり、動きまくる、という輩であった。舞台全体を観ることは一度も叶わなかった。久々に辛い環境だった……作品が素晴らしかっただけに残念。こればっかりは運が悪かったなー



2019年03月15日(金)
『ペパーミント・キャンディー』

『ペパーミント・キャンディー』4K レストア・デジタルリマスター版@UPLINK吉祥寺 スクリーン3[RED]



原題は『박하사탕(ハッカ飴)』、英題は『Peppermint Candy』。1999年、イ・チャンドン監督作品。「製作20周年」「『バーニング 劇場版』大ヒット」記念上映とのこと。リマスター版でしたが、初見につき公開当時との違い等は判りませんでした。

1999年、川原に倒れる男が死の間際に見る光景。走る列車を横切る(おそらく)桜の花びらは、散り降ることなく枝へと吸いついていく。レールは延びる、列車は走る。三日前、十年前、そのまた十年前……。何故こうなったのか、男はどうして変わっていったのか。もう戻れない場所と時間を観客は見ていくことになる。

何故この男は落ちぶれてしまったのだろう? 何故妻に暴力を振るい、家庭を顧みないのだろう? 何故初恋の女性と続かなかったのだろう? 数々浮かぶ「何故ここ迄」が、徐々に明かされていく。事業の成功と失敗、拷問が日常的に行われる警官業務、兵役による軍隊生活。その時代に何が起こっていたか、具体的には語られない。公開当時はまだタブーの空気もあったのだろう。しかしどういう時代だったかは描かれる。時間を遡る度、男は手放してきたものを取り戻す。優しさであったり、思いやりであったり。辿り着くのは、好きな草花の写真を撮りたいと話す青年だ。甦るペパーミント・キャンディの涼やかな味と香りの記憶。

どういう順で撮ったのだろうと思う。彼は失っていったのだろうか、手にしていったのだろうか。粉々に打ち砕かれた純粋さをパズルのように組み合わせることも、その逆も、至難の業だっただろう。それでいて、彼そのひとの本質を見失わないようにしなければならない。口下手なところ、不器用なところ、食事中に新聞を読む癖。自らの頭に向ける拳銃を持つ手と草花を摘む手は、劇中指摘されるようにずっとふっくらしている優しそうな手だ。演じるソル・ギョングの輝きに圧倒される。

『タクシー運転手 約束は海を越えて』で描かれた光州事件、それによって傷付いた人々を見つめた『星から来た男』、そして『1987、ある闘いの真実』で描かれた赤狩りと民主抗争。この三作品を観たあとだったので、1979〜1999年の二十年間に何があったかを了解しやすかった。個人的には今観て良かったと思えた。1980年5月、というとピンとくる。1987年にどんな弾圧があったか理解出来る。当時観たら観たで、いろいろ学ぶことも多かっただろう。保守政権下で文化人ブラックリストが作られていたのはたった二年前。リアルタイムで今作含む四作品を観てきたひとは、ここ迄来たかと思うのだろうか。今作の登場人物が過ごした二十年からの、また二十年。

時代はあらゆるひとのボタンをひとつずつ掛け違えていった。幸せな時間も確かにあった。二度と戻れない思い出を口の中で転がし続けるような、痛切な作品。ふと、2000年に発表されたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの楽曲を思い出す。なめつくした、ドロップの気持ち。

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・ペパーミント・キャンディー┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております。おまけ(トリビア)にへえボタン押しまくる。
そしてそう、制作はイーストフィルムと、日本のNHKなんですねー

・「自転車の乗り方を教えて」「車の運転を教えて」。主人公の妻の「変わらないところ」にはちょっとふふっとしたのでした。彼女も辛いよね…夫の事情なんぞ知らんもんね……。今ならPTSDとして対処出来たのかも知れないがなあ……こういう、表に出てこなかった事例は膨大な数にのぼるのだろう

・UPLINK吉祥寺では2Kでの上映だった(今月末シネマート新宿にもかかるけど、こちらでは4Kで観られるのかな)のだけど、行ってみたい劇場だったので。よいわよいわ、ミニシアターのシネコン。席配置もロビー環境もとても心地よいし洗練されてる。UPLINKですから作品選びにも色があるし、長く続いてほしいわ



2019年03月10日(日)
『僕のド・るーク』

『僕のド・るーク』@Alternative Theatre

『僕のリヴァ・る』以来の鈴木勝秀×る・ひまわりシリーズ(?)。この辺りの制作事情に疎く、出演者も小林且弥しか知らない有様でしたが、『〜リヴァ・る』に出ていた小林さんに非常に感銘を受けた記憶を信じて今回も足を運ぶことに。Alternative Theatre初めて行きましたが元丸の内ルーブルだったところですね。映画館をほぼ居抜きで舞台用の劇場にした感じですが、同じ仕様のCBGK!よりは席間にも傾斜にも余裕があって観やすい印象でした。

住み分けというものがあるのか、自分が行く演劇公演には全くチラシが折り込まれていなかった(そういうものなの?『〜リヴァ・る』のときもそうだったんだよね……)+年度末のバタバタでSNSのチェックも殆どしていなかったため、内容も全く知らぬまま。ドルークとはロシア語で友達という意味、スズカツさんに出されたお題はこのタイトルと、モーツァルトとサリエリ、夏目漱石の『こころ』、大きな木。果たして大きな木は小林さんなのだった。わははは、これはいいもん見たわ。この役ダブルキャストだったんだけど(しかも公演中あらゆる役をシャッフルで、というのもお題だったようだが)、帰り道「〇〇くん、小林さんに比べて全然ちっちゃいけどあの役どうなるの? 全然印象変わりそう!」と話していたのでものすごく気になりましたよね…それも観てみたかったな……。

で、しんみりいい話でありまして、嫉妬、羨望、献身といった当人同士にしか感じ得ない感情を客観視して舞台に載せることの魅力もあった。気になるのは序盤の説明過多で、やたらと「お芝居だからこうなんです」「ついてきてますか」的なことをいちいち役者にいわせるんですね。観客の想像力を測りかねているのか、信用されてないなーと思ってしまったことは事実。装置は抽象的なデザインだったけどコスチュームは和洋ともにしっかりしたもので、各セクションへの移動もわかりやすかったし、そこ迄説明しなくても大丈夫だと思ったけどなあ。

セットがシンプルな分、演者の身体性が問われる。特に『こころ』のやりとりはほぼ独白と対話なので、どう台詞を発するかやどう動くかといったところに注目することになる。出演者各々の魅力も見えてくる。育成としてはよい環境だけど、興行という枠で見るとたいへんなことも多いだろうな。ある意味道場でもあるので、メンバーはどんどん入れ替わっていくのが望ましい訳だし。と、観客が考えなくてもいいこと迄考えてしまった。

てな訳でところどころモヤモヤしたものも感じたのですが、天才と秀才、大衆に迎合するか自分の道を行くか、時代と心中か時代の先を見るかという「ポップとは?」「真実はどこにある?」といったトピックも織り込まれ、緊張感を保ったまま観ることが出来ました。『アマデウス』で描かれたモーツァルトとサリエリの関係に、『ボヘミアン・ラプソディ』を思い出したひとも多いのではないか。史実とは、という。ここらへんタイムリーでした。

やっぱスズカツさんのつくるものは面白いなー。小林さん演じる木の献身を通り越して無償の愛にもしみじみしたし。木のコスチュームもすごいよかったし。スカーレット・オハラがカーテンで作ったドレスを思い出したわ。花冠もかわいらしかったわ。しかし基本悪い方にしか考えない性格なので、木からあらゆるものを搾取した少年が老人となり訪れたとき、あの木で首吊るのかと思ったヨ! で、木はハハハ僕にはもう枝がないから(少年が青年になったとき伐採したもんだからナー)君は死ねないのサーとかいうのかと……我乍らヒドい。ワタシの想像力も所詮この程度かと反省した。いやそれにしてもあの子の処世術よお……木からもらったあれこれを元手にパチンコやって宝くじやって株やって、という妙にリズミカルな台詞が頭に残って仕方ないよ(笑)。

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・「友達」とは何か?を描く『僕のド・るーク』に出演!上口耕平、多和田任益、辻本祐樹インタビュー|演劇キック

・『僕のド・るーク』公開ゲネプロ|エンタステージ



2019年03月03日(日)
FEVER 10th anniversary / TOKYO No.1 SOUL SET presents『THREE ROOMS』

FEVER 10th anniversary / TOKYO No.1 SOUL SET presents『THREE ROOMS』@LIVE HOUSE FEVER


わーい願ったり叶ったりだわ。FEVERの店舗設計、山㟢さんですしね。

という訳で三回シリーズ(らしい)の第一回、ゲストはneco眠る。やーいつ以来だろか。ベースのひとは短髪になっていたが相変わらずヘドバンしてはネックレスを飛ばし、かけなおしてはまた飛ばし、と相変わらずであった。ステージが狭いのでいつフロアに飛び込んでくるかハラハラするくらいの多動ぶり。楽しい……この時点でひとがひとり倒れましてん。ステージ上のkeyのひとが明らかに気付いててわー大丈夫? とオロオロするも演奏は止められず、私含め周囲のひとが誰かー! スタッフー! とアピールするが死角なのか気付かれないという時間がしばらくあり、ようやく助けがきたときにはkeyの方もホッとした表情をしておられた。当人ソウルセットのときには復活して楽しんでいたようなのでよかったよかった。

休んだり再編成したりしていたようですが、早めに冬眠から醒めてしまってあれっと慌ててるかえるのようなすっとぼけた感じ、いやいやもうすぐですよってな春の日差しのようだったりと、決して熱心なリスナーではない者からすると変わらないゴキゲンっぷりでした。それにしてもつくづくneco眠るにはAdebisi Shankと対バンしてみてほしかった(ベースのひと的に)……もう叶わないが。したこと、ないよね?

で、ソウルセット。こんなに至近距離で観たの何年ぶりか。ヒロシくんが喋る地声が聴こえた……そもそもステージ上でこんなに喋るヒロシくんを見るのが初めてではなかろうか、ソウルセットもう四半世紀は見てるが。年々くだけていってますが(特に、特にビッケ)この日はまあ皆さん喋る喋る。漫談かという。当時は知らなかったぶっちゃけ話も聞けたわ……ヒロシくんから「ヤード」のトラック聴かされたあとビッケと俊美くんが二時間ぐらい長電話した話面白過ぎた。「何これ、どうすんのよって頭抱えた」「これにどうやって歌詞のせるのよ」「メロディだってさ」「こっちの身にもなってよ」「Hip-Hopってさあ、BPMとかもっと速いもんじゃないの」「ホントソウルセットってさあ!」。

……確かに。でもだからこそともいえますなあ。そういうとこが好きなのよ。他にいないし。フォロアーもいないし。ふたりのやりとりには一切口を挟まずニヤニヤして聴いていたヒロシくんが怖すぎました。それでこそかわなべやで。「50(歳)過ぎてから俺はひとの話を聞いてないってことがようやくわかった」という俊美くんにも大笑いです。まわりのひと皆「ようやく気付いたか」って思ってるよ。

アンコールは「滅多にやらないことだから慣れなくて、セッティングにも時間かかる」てなわけでなあんとneco眠るとの共演、「猫がニャ〜て、犬がワンッ!」と「ダンシング・マッシュルーム」のマッシュアップ! どわ、と歓声湧きましたよね。えーこれシリーズ通してやるのかな? なら次回はtoeともなんかやるってこと?! 楽しみだよー! 次回は5月1日、新元号初日ですからなんかあるかもよとビッケがいってたけどさてどうなる。前売り購入者にはヒロシくんのMixCDプレゼントだってよ(当日渡し。今回ももらえたよー)。



2019年03月02日(土)
『世界は一人』

『世界は一人』@東京芸術劇場 プレイハウス

これは好きなやつだ……岩井秀人の作品どれも好きだけども。ひとは皆絶対的にひとりで、それでも他者と関わらずには生きていけない。ちいさな家族のうちうちの話が、岩井さんの取材力(対象者に「書かせる、語らせる」力でもある)と構成力、それを立体化する演者たちの力によって劇場空間に現れる。客席を埋め尽くした多くの観客はそれを持ち帰り、うちうちのウチの話を思い出す。それは他者に開陳出来るかな? うーん、ウチは結構笑えるネタ沢山あるんだけど、それは一族が死に絶えないと外には出せないな。出せた方が楽になるかな、出してから後悔する気持ちの方が勝ってしまうかな。以前も書いた気がするが、思い出すのは鷺沢萠さんのことだ。お祖母さまの「おばあちゃんのことは、もうよしとくれね」という言葉。鷺沢さんがこの作品を観られればよかったのにとも思う。

九州、炭鉱の町に生まれ育った三人のこどもたち。貧富の差が極端で、収入は労働の対価に限らない。金がない家の子と、(親が)金(だけ)を持っている家の子の地獄を両方描いていたことに溜飲が下がる思いだった。いや、ウチに金があった訳ではないが。ここ最近の印象だが、SNS上では前者の声が大きく聞こえる。「金があるに越したことはないじゃないか」「金があるくせに贅沢な悩みだ」、云々。これは「黙れ」と同意義だ。そして金がある家の子は黙ってしまう。黙って自分ん家の地獄から逃げ出せなくなる。どっちも黙らないでいいんだよ。

同様に、善悪や正しい、間違っているというジャッジとは別に、一人のひととして「合わない」「向いてない」ものはあるのだということを、こどもの側からだけでなく、親の側からも描いてくれたことにも胸をうたれた。

出演者のひとりである松尾スズキが育った町のことは、ご本人の著作でもよく知られている。とはいえ、この作品は松尾さんだけの物語ではない。観客の多くが、松たか子の両親やきょうだい、家柄を知っているだろうし、瑛太の父親や弟のことを知っている。この時点で、ハイバイや『モロモロ』シリーズのそれとは趣が違う。しかし抜群に巧い演者ばかりなので、絶望的なやりとりを所作、会話のリズム、声のトーンによって軽やかな=鑑賞に耐えうるものにし、「個人の物語」から普遍性を引きずり出す。ここはあのひと(自分)ん家じゃなくて、舞台と客席という安全な場所なのだ。あのひとの(自分の?)つらい出来事は舞台に載り、他の観客たちと笑いあえるものになったのだ、と感じさせてくれる。岩井さんが全国で取材してきたあれやこれが東京デビューする瞬間も観られた。父親が側溝を流れてくるエピソードを、巡り巡ってお松が演じるのだものな……前川さんいうところの「供養」か、と思う。ダンサー松尾さん、のんべえ菅原永二が観られたのも楽しかったです。

似てるというのとは違うけど、鴻上尚史の『トランス』にやられたひとには響く内容ではないかな。相手にとっての自分を演じること。自他の区別がつかなくなること。ひとはひとり。世界は一人。鴻上さんの「親の影響を受けないひとはいない」という言葉を思い出した。悪いことも良いことも、そして不在も、子は親の影響から逃れられない。親を憎んで憎んで憎み倒したひとが親になり、子を持ったときその子とどう接するか。その親を持った子はどうするか。それでも家に帰らなければならないというとき、どこに助けを求めればいいか? いくらでも考えることが出来る。あの子は帰ることにした。これからどうなるかは判らない。親に(それが善意、ひいては愛情の果てとはいえ)殺されるかもしれない(が、まあいいか。しょうがない)と思ったことがある観客は、ただただふたりとも無事で、と祈る。

パイプカットのくだりでは笑いが起こっていた。昨年『て』を観たときに思い当たり、感想が書けなかったことをまた思い出した。いつから? ということだ。父親はいつからパイプカットをしていた? 父親のDVはいつから始まった? ひょっとして自分の父親は別のひとかもしれない。自分はレイプ(夫婦間にもレイプはある)によって生まれた子かもしれない。いつぞやの対談で岩井さんと前川知大が話していたように、私も相手が電話に出ないと「あ、死んだ」と思うタチなのでなあ。台詞に書かれない時間のことを考える余白が岩井さんのホンにはあり、その余白に思い至ることがあるかどうかで、物語はいかようにも変わっていく。

と、岩井さんの作品はついつい自分に寄せて観てしまうので、芯に当たるとダメージが大きい。それでも、また観に行ってしまうな。

遠くの客席迄届く音楽劇(音楽:前野健太)という形式、回転扉にも遊具にも見える大型ハイバイドア(美術:秋山光洋)、そして衣裳(:伊賀大介)と見立ても素晴らしかった。網柄のタイツを履いているだけでなんとなく母親のキャラクターを見せる。ネッカチーフを巻くだけで女学生になる。『おとこたち』(衣裳:小松陽佳留)での見立てにも唸ったが、この辺りは岩井さんからイメージを発注しているのだろうか。衣裳によって平原テツのプロポーションのよさが際立つ、というのも新しい発見でした。