セクサロイドは眠らない

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2004年01月10日(土) 死んだら星になって空からお前を見守る、って言うだろ。俺はそんなの嫌だな。あんな遠くからじゃ、

今年も一年が終わろうとしている。

紅白歌合戦を夫婦してぼんやり見ていると、夫が突然口を開いた。
「ねえ。今年一年で言い残した事があったら、今言ってしまわないか。」
「え?」
「お互い、来年に秘密を持ち越すのはやめようって事。」

私は、かっと頬が熱くなり、心臓が大きな鼓動を立てた。

あのこと。

あのことがバレたのだ。

「僕から。いいかな。」
「ええ。いいわ。」
「今年後半からずっと具合が悪いって言ってたろ。でさ。きみがあんまりうるさく言うもんだから、仕事の合間に検査を受けて来た。それで・・・。」
「それで?」
「癌だって。」
「うそ・・・。」
「本当だよ。」
「ちゃんと聞いたの?お医者様が最初から本人に言うなんて。」
「僕が確認したんだ。僕が自分で。親父も癌だったろ。だから、もしかしてそうかもって。」
「で?どうなるの?」
「どうって・・・。」
「私達は、どうなってしまうの?」
「どうにもならないさ。自然に任せるしか。僕だって、これから死ぬとは限らないんだし。」
「・・・ああ。そうね。そうよね。」
「大丈夫か?」
「ええ・・・。」
「大腸癌だ。年が明けたらすぐ手術のために入院する。人口肛門って知ってるか?」
「ちょっとだけ。」
「それにしないといけないかもしれないんだ。」
「私はどうすればいいの?」
「病院に一緒に行ってくれるかな。あとは、医者の言うことに従って、僕をケアして欲しい。」
「分かったわ。」

少しばかり沈黙が続いた。

「ねえ。私の秘密だけど。」
「うん?」
「こんな時に言うのはふさわしくないわ。」
「言って欲しいな。だって、こんなに静かに二人で過ごせる時も今日しかないし。」
「・・・あのね。」
「・・・。」
「離婚してください。」
「え?」
「好きな人がいるの。」
「まさか。」
「今すぐじゃないの。あなたが元気になってから。だって。知らなかったもの。あなたがこんな・・・。病気だったなんて・・・。なんてひどいのかしら・・・。」

私は、そこからは何も言えずに泣きじゃくるばかりで。

テレビはいつしか、新年が明けた事を知らせていた。

私も夫も相当混乱していた。最悪の年明けかもしれなかった。だが。言ってしまったことで何かが動き始める。それはほっとする事のようでもあった。

夫は静かに言った。
「ずっと仕事でほったらかしだったもんな。だけどさ。入院って聞いて、俺、ラッキーだなって思ったんだ。仕事堂々と休んで、お前といられるってさ。」
「だから、そういうの・・・。」
「分かってるって。男のわがままなんだよ。いつだて、男は勝手に頭ん中で都合のいいように女を動かそうと思ったりするもんなんだ。」
「・・・。」
「ともかく眠ろう。今日は長くなるから。体力をしっかり蓄えておかなくちゃな。お前も、少し落ち着かないと。発作起きるぞ。」

--

夫は、仕事一筋の人だった。真面目で、体力に自信があって。

一方の私は、喘息持ちで体が弱くて。結婚10年目だが、子供も産むこともできず、退屈な結婚生活の中でちょっとずつ何かが死んで行っている気がしていた。夫は、体が弱い私を、ほんの少し馬鹿にしているように思えた。家を建てるだとか、パソコンを買うだとか。そういう大きな出費を目の前にしただけでコンコンと咳き込み始める心の弱さも含めて、私はずっと夫にとって少し駄目な妻だった。

昨年、喘息で入院した時に主治医となった杉浦が、私の恋人だった。杉浦は、私の灰色にくすんだ人生を違うものにしてくれた。喘息には心の持ちようも大切なんだよ、と言っては、あちこち連れて行ってくれて。

もう少しだったのに。

夫は、私に無関心だから。

杉浦とは手も繋いだことはなかった。彼が体に触れることがあるとすれば、それは、診察の時だけだった。抱き合ってしまえば、私が罪悪感に苦しむと分かって。二人で話し合って決めた事だ。ちゃんと離婚するまでは、二人の欲望だけで動くのはやめようって。

だが、既に。夫が知らないところで誰かと約束を交わす事。それが既に夫に対する背徳の行為。

私は、夫が残業で帰らないのをいいことに、杉浦と会ったり、電話で話をしたりしていたのだ。

夫の健康状態が相当に悪くなっているのさえ気付かない妻。

私は、結局、夜が明けるまで一睡もできなかった。

--

私達は、無言で病院に向かい、医者の説明を受けた。

個室で二人きりになった時、私は言った。
「あなたがよくなるまで、私ずっと一緒にいますから。」
「ああ。すまない。きみをもっと早く自由にしてやるべきだった。」

私は、また涙が出そうになった。その時、看護婦が入って来たから、泣かずには済んだのだけれど。今は泣いてはいけない。私が泣くべき時は、もっとずっと先なのだ。

--

夫の手術は成功したかのように見えた。

医者は、言った。
「成功はしました。ですが、五年間再発がなくて初めて、癌が治ったと言えるんです。」

夫は、仕事に戻った。仕事人間として生きていた彼にとって、仕事を続けることが、生を紡ぐことだった。

私は、杉浦に電話をした。夫が回復するまで私達のことを待ってください、と。

だが、一年持たなかった。今度は、胃に癌が見つかって、再び入院となった。

私は、今度は泣かなかった。いっそ、泣いてしまえば楽だったのだろうが。

「もうちょっとだけ待ってくれるか。」
夫はやつれた顔で言った。

私は無言でうなずいた。

--

手術をするにはしたが、もう、夫は病院を出られなかった。

ある日、夫は、
「スイカが食べたい。」
と言った。

体がむくんでしょうがないから、利尿作用があるスイカがいいんだってさ。

冬の最中、私はスイカを探した。

また、ある日、夫は、
「味噌汁が欲しいな。卵、落として。お袋がよく作ってくれたんだ。」
と言った。

私は、家から味噌汁を作って、魔法瓶に入れて持って行った。

一口飲んで、ああ。美味しいと言って。
「よくさ。死んだら星になって空からお前を見守る、って言うだろ。俺はそんなの嫌だな。あんな遠くからじゃ、お前は見えないものな。」
と呟いた。

それから、眠りに就いて。

それが、最後の言葉となった。

--

「最近、発作が起きないね。ピークフローの数値もすごくいい。喘息がかなり良くなってる。いや。ほとんど治ってるなあ。これはびっくりだ。」
杉浦はにっこりした。

私には分かっていた。

夫だ。夫がきっと。

空なんて遠過ぎるから。私は、そっと胸に手を当てる。

--

三年後。

私は杉浦と結婚した。

「随分と待たせてしまったわ。」
「いいさ。ずっと待つつもりだった。もしかしたら、一生結婚できなくてもいいと思ってた。」
「私・・・。馬鹿だったの。夫は私の事、全然好きじゃないって、そう思い込んでたの。」
「ほとんどの男は、そういう事を伝えるのが下手で。むしろ、好きじゃないふりをしてしまうからね。好きだってことがバレちゃったらさ。男として恥ずかしかったりするんだよ。」

ほんの少しばかり、私に男と女というものについて学んだ。それから、静かに泣いた。泣かないと心に誓ってからは、初めてだった。


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