セクサロイドは眠らない

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2002年03月16日(土) 「ねえ、今、さあ。私とキスしたい?」「おねーさんと?」「うん。」「どうかなあ。あ、いや、したい。」

失恋の痛みを抱えて、僕は自転車で日本列島を回る。人に理由を言えば失笑されるようなことであっても、僕は、一人になっていろいろと考えたかった。

道行く車から声が掛かる。
「頑張れよー。」

たまたま立ち寄ったうどん屋で、おばちゃんがオニギリをおまけしてくれる。
「大学生?うちの息子と一緒だわ。今年の休みは帰って来なかったけどねえ。」

そうやって人々と出会う度に、僕は、持参したノートに、何か足跡を残してもらう。僕が迷い、何かを探そうとした旅の痕跡を形にして持って帰るために。

--

その場所に着いたのは、もうかなり遅い時間。大きな国立公園の中の休息所に腰を下し、僕は、コンビニで買って来たお茶を飲み、弁当を開ける。春先の強い風は向かい風だったため、今日はあまり進まなかった上にひどく疲れていた。

食べ終わると、ランタンの明かりでノートを読み返す。どんなにたくさんの人と出会って痕跡を残してもらっても、離れてしまえばひどく孤独だ。

休息所にいきなり人が入って来たので、僕はものすごく驚く。
「っわ。びっくりしたー。」

女性だった。僕より、少し年上だろうか。ジーンズにトレーナーを着て。
「ごめんね。びっくりさせた?」
「だって、人が来るとは思わなかったから。」
「明かりが見えたから。あなたラッキーだったね。この休息所、いつもは夜になると鍵が掛かっちゃうのよ。変な人が居付いちゃうと困るから。」
「ふうん。」
「今日、ここで寝るの?」
「うん。つーか、おねーさん、大丈夫なの?知らない男がいるとこいきなり来て、平気なの?」
「うん。」
「変なの。」
「なんとなく、大丈夫かなって思ったのよ。」
「俺が男前だから?」
「かもねえ。」
彼女は笑い、それから僕のノートを取り上げると読み始めた。

「会う人みんなに書いてもらってんだ。おねーさんも後で書いてよ。」
「あとでね。」
「俺、大学生なんだ。」
「自分探しの旅?」
「あはは。そんなもんじゃねーって。失恋したから傷心旅行だよ。」
「ふうん。失恋かあ。どしたの?ふられちゃったの?」
「うん。何が原因か、今でも分からないんだ。」
「急に?」
「どうかな。でも、その後すぐ別のヤツとひっついたみたいだから。」
「ふうん。」

彼女は、黙ってノートを読む。

僕は、黙ってランタンの明かりを見つめる。

「キス・・・、かなあ。」
僕は、ちょっと勇気を出して言ってみる。どうせ、行きずりの仲だ。恋愛相談みたいなのも悪くなかろう。

「キス?」
「うん。キス、しなかったからかなあ。」
「そうなの?」
「かもね。そういうの、なかなかできなかったから。どういうタイミングでしていいか分からなかったし。そもそも、して欲しかったのかどうかも分からなかったし。だから、手ぐらいは繋いだんだけど、その先はできなかったんだ。」
「したかったの?キス。」
「そりゃ、もちろん。」
「なのに出来なかったんだ。」
「うん。なんでかなあ。今思えば、わざわざ彼女のほうからきっかけを用意してくれてたみたいなのに、そういうのに気付かないふりしちゃって。だって、初めてなんだよ。どうしていいか分からなかったんだよ。」

彼女は、ふふ、と笑って言った。
「ねえ、今、さあ。私とキスしたい?」
「おねーさんと?」
「うん。」
「どうかなあ。あ、いや、したい。」
「じゃ、する?」
「いいの?」
「いいよ。」

彼女のほうから、僕のそばに座り直してくれて、僕達は、そっと手を繋いだ。

それから、彼女が僕のほうを向いて目を閉じたので、僕は、そっと、彼女の肩を抱いて口づけた。

体の奥が震えて、唇を離しても、もう一度つけたくて、僕達は何度もキスをした。

不思議だ。

僕は、あんなに別れた女の子のことを思っていた筈なのに、今目の前にいる女性に恋しているような気分だ。会ったばかりなのに。すれ違って行くだけの人なのに。

ようやく体を離した僕らは、お互いに吐息をついて、照れ笑いを浮かべる。

「どうだった?」
彼女が聞く。

「うん。素敵だった。ありがとう。」

彼女は微笑んで。
「ねえ。今したいと思ったら、今するのが正解だよね。キス。次はもう会えなくなるかもしれないなら尚更。」
「そうなのかな。」
「今、会って、今言葉を交わして、今触れ合って。そうしないと、その時はもうすぐどこかに行っちゃうものだから。」
「怖いの?」
「そうかも。いつも後悔するの。手遅れだって思うの。なんであの時声を掛けて好きだって言わなかったんだろうって。そういうの、もう嫌なの。」
「もう一回しようよ。」

僕は、今度は自分から体を寄せて、彼女に口づける。長い長い時間、そのまま動かなかった。

「もう、行くね。」
彼女は、体を離すと言った。

「うん。」
「今夜はありがとう。」
「また会えるかな?」
「多分、ね。」

僕は、寝袋に入って、ノート書いてもらえば良かったなあ、と思いながら眠りに就いた。すごくいい気分だった。

--

朝早く誰かに揺り動かされて、僕は飛び起きる。
「警察の者ですが。」
「何ですか?」
「このあたりで、自殺があったんですよ。女性なんですが。最後に見掛けた人を探してるんです。」

僕は嫌な予感がして、警察官と一緒に病院に行った。

僕は、一目みて、それから目を閉じて言う。
「この人、昨夜僕と一緒にいました。」

なんてことだ。

長い時間、警察の人に知っているだけの事を話して、僕は解放された。

今日は、朝からひどく疲れた、と思った。

それから、自転車を押して、僕は歩きながら泣いた。昨日会っただけの人のために。

僕は、生まれて初めてのキスを。彼女は、人生最後のキスを。

昨日交わした。

そのことは、僕の胸に生涯残るだろう。

ノートにいくら書いてもらっても、これほどには残らないだろう恋と切なさを、僕は知った。

だから、今。
キスをしたいと思ったら、今。

彼女の声を思い出す。

分かるよ。


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