セクサロイドは眠らない

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2001年11月10日(土) トロリと指をすべるシルクの下着。美しく塗られた爪が、僕のワイシャツのボタンをはずす。

彼女のマンションは、豪奢で、よれたジャケットを着込んで訪ねた僕にはひどく不似合いな場所だった。昔の恋人からの電話はいきなりだったが僕はとても懐かしくて、なぜ彼女が突然職場に電話して来たのか、なんて考えもせずに、彼女の口にした住所へ出向いたのだった。妻には、「昔の友達と会うから」と電話をして。

玄関のドアを開けた彼女は、僕の知っている彼女とは全く違って見えて僕は慌てた。失礼、と言い掛けて、僕は、目元の泣きボクロに気付く。そう。彼女、いつも泣いていたっけ。

「来てくれたのね。」
ゆるくウェイブした栗色の髪を肩まで垂らし美しく化粧をしてあでやかに笑う彼女に驚きながら、ショートカットと膝の抜けたオーバーオールの似合ってた彼女はどこに行っちゃったんだろうと思う。

「入って。」
「驚いたな。」
「ごめんね。突然に。」
「何年ぶりかな。」
「もう、10年は経ったよね。職場にかけるのはまずいかなあって思ったのだけど。」
「いや。すごく嬉しいよ。」
「私、変わったでしょう?」
「うん。」
「お酒?」
「いや。運転して来たから。」
「じゃ、紅茶にするわね。」

彼女が出してくれたティーカップには、薔薇の花びら。

「おしゃれだな。」
「そういうんじゃないのよ。」
「いや。この部屋も。このカップも。きみも。」
「あなたと付き合ってた頃に読んだエッセイでね。こういうのがあったの。『私はコーヒーより紅茶が好きだ。だけど、紅茶はカップの底が透けて見えて、それがどうにも我慢ならない。しょうがないから、紅茶にミルクを入れてミルクティーにすることで何とか自分と折り合いをつけてる』って言うの。」
「ふうむ。」

僕は、砂糖を入れると、花びらをよけてスプーンで紅茶をかき回す。

「何てことない話なんだけどね。つまんないところにこだわっちゃう人もいるんだなって思うだけのことなんだけどね。それが妙に気に掛かっちゃって。じゃあ、緑茶だったらどうなんだろう?とかね。なんでカップの底が見えたら駄目なのかな。とか。その文章を書いた人に聞いてみたいなあって思ったりしてたの。そのうち、私もカップの底が見えるのが、なんだか気になるようになって。」
「で。花びら?」
「うん。人に全部見られてしまわないように落とした、ひとひらの秘密。」
「ふうん。今のきみには、秘密が多そうだな。」
「嘘よ。そんなもの、ないわ。」
「そう?」

彼女から差し出された名刺には、誰もが知るメーカーの名前と、立派な肩書き。

「驚いたね。」
「やだ。馬鹿にしてるのね。」
「馬鹿になんかしてないよ。」
「ほんとう?」
「ああ。ほんとうだ。」

実際のところ、僕は戸惑っている。泣き虫だった彼女。夜、別々の場所に帰るのが悲しくて、電話ばかりして来ていた。木造アパートの階段のすぐそばの部屋の男が、うんざりしたようにピンク電話に掛かってくる彼女からの電話を取り次いでくれたっけ。

それがどうだろう。キャリアと美貌を備えた、いい女だ。

「結婚してるんでしょう?」
「ああ。きみは、恋人とかは?」
「いないわ。」
「まさか。」
「ほんとよ。」
「で、何で僕を呼んだりしたの?」
「そうね。なんでかな。急に思い出したの。迷惑?」
「いいや。」

僕は、その日はお利巧に帰宅する。

--

それから時折掛かって来る電話に呼び出されて、僕は彼女の部屋を訪れる。

トロリと指をすべるシルクの下着。美しく塗られた爪が、僕のワイシャツのボタンをはずす。

多分、彼女はひどく孤独なんだろう。

彼女は、一言も言わないけれど、僕はそんな風に勝手に考えている。彼女の孤独は、きっと触るとヒリヒリして、薔薇の棘が指を刺すだろう。だから、僕は彼女の孤独に手を伸ばしかけては引っ込める。帰宅すれば、妻と娘が僕を待っている。そんな僕には、彼女の棘は痛すぎる。

--

「ねえ。私ね。東京本社に転勤になるの。」
彼女がベッドで、長い沈黙の後、口を開く。

僕は、すぐには答えられない。

「どうしたらいい?」
「どうしたら、って、そりゃ僕が決める事じゃないだろう。」
思わず口をついて出た言葉は、ひどく意地の悪いものだったかもしれない。

「そうだよね。何であなたに聞いたりしちゃったんだろう。」
彼女は起き上がって、背を向けるとガウンを羽織る。肩が少し震えている。

ああ。その背中を抱き締めてやれたら、どんなにいいか。

だけど、僕はそこから動けない。彼女も、背中で拒絶する。

--

僕を見送って玄関口まで来た彼女は化粧がすっかり落ちていて、あの頃と同じ泣きボクロ。再会してから一度も姿を見せなかった筈の涙が、急に頬を伝って落ちる。彼女は、僕にそっと抱きついて、胸に顔をうずめる。

随分長いことそうやって。それからようやく彼女は僕から離れる。彼女の鼻の頭が少し赤い。

「じゃ、ね。」
「ああ。」

背後でドアの閉まる音が響く。

あの頃と全然変わっていなかったのだ。僕も。彼女も。僕は相変わらず不器用で。彼女は相変わらず泣き虫で。

どうして、僕は、一度も「好きだ」と言ってあげなかったのだろう。

彼女の孤独は、棘のように痛くなかった。ただ、薔薇の花びらのように、幾重にもかたく結ばれて。


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