セクサロイドは眠らない

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2001年10月19日(金) 「その悲しみ、私に売ってくれませんか?」「できることならお願いしたいわ。もう随分と泣いて。もう涙も出ない。」

「別れてくれないか。」

そう夫から切り出された時、私は咄嗟にどう答えていいか分からなかった。ああ。もしかしたら、いつかそう言われるだろうと分かっていた。だけど、今は、もう少し。お願い。一緒にいて。

「先延ばしにしたところで、この先も、きみが僕を解放してくれる日は来ないと思うけど?」
無表情に答える夫。

そう。この結婚は、全て私の一人舞台。私が好きになって、懇願して、籍を入れてもらって、私の両親が用意した家に住んで。全部、私が作り上げて来た。私があんまり泣きつくから、夫も私を可哀想だと思ったのだろうか。彼は、どこまでもどこまでもついて来る子猫を拾い上げるように、そんな私の手を取ってくれて、このままずっとこうやって一緒にいられると思っていたのに。

「どうして?今まで一緒にいてくれたじゃない。」
「分かってるだろう?僕が悪かった。最初から、自分の気持ちをちゃんときみに知らせるべきだったのに。知らせてきたつもりなのに。どうすればいいか分からないままにここまで来てしまった。結局、きみを悲しませることになってしまって本当に悪かった。」

だが、その目はもう私を見ていない。

しがみついた私の手を、そっと振りほどくと、彼は部屋を出て行く。

--

私は、一人その家で泣き暮らす。思い出の詰まった家なんか早く捨ててしまえばいいのに。分かっていても離れられなくて。いつも夫が座っていたソファを見つめ、夫が好んでいたシリアルを買う。

食事もろくにできず、浅い眠りを繰り返す。

見るのはいつも、夫が帰ってくる夢。

「やっぱり戻って来てくれたのね。」
そう叫ぶところで目が醒める。

ねえ。もう疲れたわ。この悲しみは、いつになったら私を解放してくれるの?

--

公園で、ベンチに座ってハトを眺める。この公園にも、夫とよく来た。

少し離れた場所で、黒づくめの男が子供達を相手にパントマイムをしている。手品のように次々と風船を出してみせ、子供達に渡す。毒々しく塗りたくった顔は、楽しげに笑っている。

ふと気付くと、黒づくめの男が、ベンチの隣に座っていた。膝に大きなカバン。

「悲しそうですね。」
と話し掛けてくる。

「ええ。とっても。」
「その悲しみ、私に売ってくれませんか?」
「売る?」
「ええ。代わりに私は、あなたに笑顔を差し上げます。どうです?」
「そんなことが?」
「ええ。ええ。私は笑顔を売るのが商売。」
「できることならお願いしたいわ。もう随分と泣いて。もう涙も出ない。せめて涙を流していられれば、涙を拭くのに忙しくて少しは気も紛れるのに。」

男は、その唇の端を更に吊り上げて言う。
「じゃ、交渉成立。」

黒いカバンを開けると、私のそばをヒラヒラと舞う季節はずれの蝶がフワッと中に入って行った。

「私はこれで失礼。多分、今日の夜はよく眠れますよ。」

私はあっけに取られて男を見送る。そうして気付く。あの狂いそうなくらい激しい感情が私の中からスッポリと消え去ったことに。私は、足取り軽く家に戻る。もう、その家は悲しみの家ではなくなった。私は鼻歌を歌いながら荒れた部屋を片付けて回る。

私は、随分と長いこと時間を無駄にして来た。

久しぶりのたっぷりとした夕食。数ヶ月ぶりに干した暖かい布団で眠る。

そうして、深い、何もない、眠り。

明け方、消えそうな夢を見る。男と女が背を向けて去って行く夢。私は呼び止めるが、振り向いた二人の顔はぽっかりとした空洞で、私はそこで悲鳴をあげる。

まだ薄暗い部屋で、私は、汗を拭う。

ああ。どうして?確かに悲しみは去ったけれど、私は大事なものを渡してしまった。せめて、悲しみにこの身を任せていれば、彼の思い出と一緒にいられたのに。私は、彼と過ごした優しい日々すら引き渡してしまった。

慌ててカーディガンを羽織り、公園に行く。

少し白みはじめた公園で、黒づくめのジャグラーが大きなカバンを開けている。カバンからは、無数の蝶達が空に向かって飛んで行く。それは虹の弧を描くと、あっという間に消えてしまった。

彼は、最後にカバンの中に入り、カバンの蓋を中から閉じる。その大きなカバンだと思っていたものは、一羽の黒い蝶となり、ヒラリヒラリと空に舞い上がって。手を伸ばす私をあざ笑うように飛んで行ってしまった。

一人残された私は、立ち尽くす。

失くしたものは、私の一部。

嘘吐き。笑顔を売ってくれるんじゃなかったの?と空に向かってつぶやいてみる。


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