セクサロイドは眠らない

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2004年01月08日(木) 服をするりと脱いだ。白い体だった。乳房は小さくて、手の平にすっぽりと納まるサイズだった。

どんな人間にも取り柄というものがあるとすれば、僕の場合は「きれい好きである」ことだった。

冷蔵庫の中を隅々まで綺麗にして終わると、時刻はもう、すっかり夜中だった。

暗闇の中に、開きっぱなしの冷蔵庫内の明かりだけ。

風呂に入って寝るか、と思っていると、
「ありがとう。」
と、誰かの声。

そこには、小柄な女性が白い服を着て立っていた。

「きみは?」
「あたし、冷蔵庫の精よ。」
「はあ。」
「あのね。お礼を言いに出て来たの。綺麗にしてくれてありがとう。」
「うん・・・。」
「知ってるわ。あなたが今日、新しい冷蔵庫を買いに行った事は。」
「ああ。来週には、新しいのが来る。そうなったら、古いやつは持って行ってもらうことになるからね。今日、掃除してたんだ。」
「私、明日死ぬの。」
「そうか・・・。」

唐突にそう言われても、何と答えていいか分からない。僕の冷蔵庫は、就職のためにこのアパートを借りた時に買った旧式のやつだった。

冷蔵庫が死ぬ −彼女に合わせて死ぬという言い方をするならば− 時ってのは、いろいろだ。知人の家では、冷蔵室と冷凍室の機能が入れ替わってしまって、冷蔵室に入れたものがある日どんどん凍り始めたという。

僕の冷蔵庫は、少しずつ死んで行く感じだった。だんだんと物を冷やす力がなくなり始め、最近では入れたものがすぐ腐るようになっていた。

「私がお母さんなら、中に入れた食べ物は子供みたいなものね。最近は、だんだん彼らを守ることができなくなるの。物を冷やすって、けっこう厳しいことなのよ。普通は、冷たいよりはあったかい方が自然なんですものね。で、私は力の限り彼らを冷やすわけ。」
「なるほど。」
「でも、もう駄目ね。私みたいな旧式、修理するより捨てた方がいいに決まってるし。」

僕は、冷蔵庫に対してとても悪い事をしている気分になってしまった。

「いいの。あなたは気にしないで。私達は生まれた時から、廃棄処分される日の事をわきまえているの。それにね。あなた、とてもよくしてくれたわ。こんなに綺麗にしてくれて。私って、そういう意味じゃ幸せ者だと思うの。」
「ごめん。」
「やだ。謝らないで。」
「うん。」

また、黙ってしまった。

「ねえ。お茶でも飲む?」
僕は訊ねた。

「ええ。いただくわ。」

僕は、立って、湯のみを二つ用意した。

「本当にお茶しかないんだ。番茶。紅茶とかコーヒーってないんだよ。」
「ええ。知ってるわ。」

彼女が僕が淹れた番茶の湯のみを手に取ると、湯気がだんだんと立たなくなっていった。

「お茶ってさ。飲むの初めてだわ。」
そう言って、笑って、彼女はお茶を一口。

「おいしい。」
「本当に?」
「ええ。本当。」
「明日、死んじゃうなんて残念だね。」
「仕方ないわ。」
「自分で分かるの?」
「うん。分かるの。」
「体は?辛くない?」
「ええ。人間じゃないもの。病気ってのとは違うわ。自分が一つだけ持ってて、それこそが存在意義っていうような、そんな力がある日完全に失われてしまうだけのことなの。」

彼女の横顔は、清潔でとても美しかった。

たとえば、新しい冷蔵庫が来ても、古い方の冷蔵庫を残しておいて、何かに使うことができたなら。そうだな。整理棚とか。そんな風に。そうしたら、彼女は物を冷やす力を失っても、何とかこのままでいられるんじゃないだろうか。

「駄目よ。そんなの。プライドがね。きっと、新しい冷蔵庫に嫉妬して、頭がおかしくなっちゃうわ。」
「プライドねえ。」
「ええ。馬鹿みたいね。物も、長く人のそばにいると、いろんな感情を持つようになっちゃうの。あなたが毎日私の体を拭いてくれたら、愛されていると勘違いして。最後だと思ったら、のこのこ出て来てしまって。」

彼女は、泣いていた。僕は彼女を抱き締めた。ひんやりとした体だった。

体を覆う、ストンとしたシルクのような白い服の中には、コンパクトで固い感じの肉体が感じられた。僕は、彼女の体を感じて、自分の下半身が反応するのを止められなかった。

彼女は、くすっと笑って。服をするりと脱いだ。白い体だった。乳房は小さくて、手の平にすっぽりと納まるサイズだった。

「小さな体で頑張ってたんだね。」
「ええ。旧式ですもの。来週来る冷蔵庫は、グラマーで。きっと、テクニックがすごいわよ。」
「テクニック?」
「ええ。テクニック。」

彼女は少し顔を赤らめた。

それから、
「寒くない?」
と訊いて来た。

ああ。寒くないよ。と答えようかと思ったが、彼女が力の衰えを気にすると思って、
「少し寒いかな。」
と答えた。

それから、彼女に口づけた。ひんやりとした唇に。

「あなたも脱いで。」
「うん。」

僕は、うなずいて、服を脱ぎ捨てた。

僕らは、寝室から持って来た毛布にくるまって、キッチンで抱き合った。不思議な感じだった。彼女のしなやかな体が暗闇で白く光った。彼女の体内は、だが、とても熱くて。

彼女が、そっと上にまたがって来た時、僕は、ずっと以前、酔っ払った会社の同僚の女の子を連れて来て水を飲ませた事を思い出した。成り行きで冷蔵庫の前でセックスした。あの時の彼女は、随分酔っていて、一人で動いて大声を上げてたっけ。

小柄な冷蔵庫の精は、その彼女と同じようにしようと奮闘していた。でも上手くいかないみたいだった。僕は、笑って、彼女の腰に手を添えると、
「ゆっくりだよ。リズムを合わせて。」
と、ささやいた。

「ごめんなさいね。テクニックがなくて。」
「はは。そんなもの要らないよ。」

僕は、彼女の小さな体を抱き締めて、今度は僕が上になって、彼女の見開かれた泣きそうな瞳を見下ろした。

長い長い時間、僕らは上になったり、下になったり。笑ったり、泣きそうになったり。

それから、夜が明ける頃、毛布に包まったまま、眠った。

--

目が覚めると、もう昼前だった。

冷蔵庫の前で、裸で毛布に包まっている僕は、かなり間抜けだった。

僕は、とりあえず下着を急いで身につけた。

それから、冷蔵庫の方に向き直った。冷蔵庫からは、全く音がしなかった。ドアを開けても、中の照明も点かない。完全に死んでいた。

僕は、中に一つだけ残っていたミネラルウォーターが大丈夫な事を確認すると、ごくごく音を立てて飲んだ。それから、残りを冷蔵庫にちょっぴりかけてやった。

「ありがとう。」
切ない気持ちで、僕は言った。

それから、この冷蔵庫を買った時の事を思い出した。

あの時、僕は、嬉しくて、この冷蔵庫のドアにキスしたんだった。中を缶ビールで一杯にして、一人暮らしの始まりを祝った。

それから、月日が立って。

何も変わらないというわけにはいかない。

--

一週間後。

新しい冷蔵庫が僕のアパートにやって来た。

「こっちがお引き取りの冷蔵庫ですね。」
「ああ。うん。そうです。」

あの。そっと運んでくださいね。

そんな僕の気持ちお構いなしに、プロの運送屋が手際よく重い冷蔵庫を運び出して行く。

一時間後。新しい冷蔵庫が稼動を始めた。まだ何も入っていない。

「はじめまして。」
僕は、新しい冷蔵庫に挨拶をしてみた。

キスをするのはためらわれたので、挨拶だけを。


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