セクサロイドは眠らない

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2002年08月01日(木) だが、人というのは、一旦何かを気にし始めると、なかなか気にしなかった昔には戻れないものだ。

「それ」に気付いたのは、父が単身赴任を終えて帰って来てしばらくした頃からだろうか。

最初は、気のせいかもしれないと思った。母はパートを始めて忙しくしていたし、姉貴はしょっちゅう恋人のところに入り浸っていたし、弟も、バイトだのなんだのと忙しそうにしていて、それはどこの家庭でも同じ風景だと思っていたから。

夕飯の時間よ、と母が呼んでいる。

僕は、階下に下りて行って、食卓に付いた家族を見渡す。

今日は、弟がいない。

そうだ。いつも、誰かかならず一人欠けている人間がいる。

そんなの、どこでもそうだろうと言われたら、そうなのかもしれない。だが、人というのは、一旦何かを気にし始めると、なかなか気にしなかった昔には戻れないものだ。僕は、その日の夕飯で不在だった家族が誰か、というのを日記に書くことにしている。

今日の日記の最後には、小さく、「弟」と書いた。

--

家族は、父と母、姉と弟、そして僕。それから、足の悪い祖母の六人だった。

いないのは、大抵、姉か弟だったが、たまに、父や母も仕事の付き合いだのなんだのと、帰宅が遅くなる。

祖母は、足が悪いので、ずっと家にいる。

祖母と同じぐらい家にいるのが長いのは、僕。なぜなら、僕は世間で言う「ひきこもり」だから。もう、随分と長い事、家の外に出ていない。だからかな。こんなつまらないことが気になっているのは。

僕自身は、なぜ外に出なくなったのか分からない。気が付けば、外に出るのがやたらと億劫になって、いつも家にいるようになっていた。誰か会いたいという人がいるわけでもなければ、何かしたいことがあるわけでもない。気が付くと、何もせずに家にいることが多くなっていた。

母は、そんな僕を見て、「おばあちゃんの面倒を見てもらえるから、助かるわ。」と笑っていた。

--

そんな僕だったが、遂には外に出て行かなければならなくなった。父が、僕のバイト先を勝手に決めて来たのだ。

「そろそろ、どうか。」
と、遠慮がちに言う父に、
「いいよ。」
と答えて、僕は、そこでバイトをすることに決めた。

実際のところ、面接もせずに、こんな僕を雇おうとする会社があるのかどうか疑問だったが、実際行ってみれば、とても雰囲気のいい会社で、僕みたいな人間でもここでなら充分にやっていけそうだと実感したのだった。

僕に仕事を教えてくれる、エリコさんという女性は、大柄で、少し口が大きかったが、とても気さくな人で、緊張してろくにしゃべることができない僕の気持ちをほぐそうと、冗談を言っては、一人で「あはは。」と笑うような、面白い人だった。

「ね。初日からで悪いんだけど、今日、マサオくんの歓迎会しようと思うんだ。急だけど、いいかな?」
「うん・・・。」
「じゃ、決まり。」

僕は、結局、そのあたたかい職場のスタッフの人達に連れられて、近所の居酒屋へ行った。

飲んでいる途中、僕は、バイトの初日の報告をしなくちゃ、と、家に電話をした。

母が、電話に出た。
「あら。マサオ。どう?調子は?」
「ああ。結構いい感じ。」
「それは良かったわ。」
「でさ。今日、早速、歓迎会してくれるっていうから、夕飯いいわ。」
「はいはい。にしてもさあ。今日はめずらしく家族そろうわって思ったら、あんたがいないんですものねえ。」
「え?姉貴も、ケンも、帰ってんの?」
「そうなのよ。お父さんもね。あんたのことが気になるからって、ちょっと早めに仕事切り上げて来たみたいよ。」
「ふうん・・・。」

僕は、やっぱり、と思いながら、電話を切る。

もう、すっかりできあがっているエリコさんが、「まさおくーん。」と呼んでいる。

--

「なあ。ばあちゃん。俺、前から不思議に思ってること、あんだけどさあ。」
「はい?」

祖母は少し耳が遠いから、耳に手を当てて、大声で返事する。

「この家さあ、おかしいと思わない?全員揃ったこと、ないと思わない?」
そんなおかしなこと、ばあちゃんになら言っても大丈夫と思ったんだ。

祖母は、うんうん、とうなずいて、僕に顔をぐいっと近付けて来て、言う。

「あんたも、気が付いてたかい?」
「うん。」
「そうかい。それはね。秘密さ。」
「秘密?」
「ああ。誰にも言うんじゃないよ。」
「分かってるって。」
「今度、ね。教えてあげる。その秘密をね。」

祖母は、キッチンで母親が料理しているのを気にしているようだった。

「今はね。教えるわけにいかないから。」
「ああ。分かった。」

秘密って、何だろう。

そんなことを思っていると、母の、「ご飯よ」という声が聞こえる。

今日は、姉貴がいなかった。

「彼氏と旅行だってさ。」
弟が、教えてくれた。

--

バイト先では、相変わらず、みな、異様にいい人で。

僕は、多分、他人が怖いと思っていた昔を忘れ掛けていた。

そうして、結果から言えば、僕は祖母のいうところの「秘密」を聞くことができなかった。

祖母は、あの会話をした翌週、突然に息を引き取ってしまったから。

なんでだよ?元気だったじゃん。足以外は、どこも悪いとこないって。僕は、最後の時、祖母についていてやれなかったことを悔やんで、泣く。

「あんた、ばあちゃんっ子だったもんね。」
旅行から帰って来た姉が、僕の肩に手を掛ける。

--

葬儀の席で、母や姉が涙ぐんでいる。普段は、ばあちゃんのこと邪魔にしてたくせに。

火葬場で父がしんみりとした声で、言う。
「こうやって家族が揃うのも、久しぶりだな。いつも、誰かしら、いなかったもんな。」

母がうなずく。
「本当にね。」

しらじらしい。

ばあちゃんは秘密を僕に教えようとしたせいで、殺されたんじゃないか?

僕は、急に、そんな事を思う。

ばあちゃんは、ただ、ボケていただけかもしれない。

僕は、ただ、そんな妄想を膨らませてる変なヤツかもしれない。

ああ。だけど、いつからだろう。僕の周りが、僕の知らないところでうまいこと動いていて、僕だけがそのレールにうまく乗っかれない気がしているのは。

秘密さえ。秘密さえ守っていられたら、僕は、みんなとうまく笑えるだろうか。消されずに済むだろうか。

ねえ。ばあちゃん、教えてよ。


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