セクサロイドは眠らない
MAIL
My追加
All Rights Reserved
※ここに掲載されている文章は、全てフィクションです。
※長いこと休んでいてすみません。普通に元気にやっています。
※古いメールアドレス掲載してました。直しました。(2011.10.12)
※以下のところから、更新報告・新着情報が確認できます。 →
[エンピツ自由表現(成人向け)新着情報]
※My Selection(過去ログから幾つか選んでみました) → 金魚 トンネル 放火 風船 蝶 薔薇 砂男 流星群 クリスマス 銀のリボン 死んだ犬 バク ドラゴン テレフォンセックス 今、キスをしよう
俺はさ、男の子だから
愛人業
DiaryINDEX|past|will
2002年03月08日(金) |
あの夜、彼に抱きかかえられて、彼女の豊かな黒髪が彼の顔へと流れ落ち、初めて交わした口づけと。 |
もう、そろそろね。でも、まだ少し時間がある。
彼女は独り言のようにつぶやく。
最後の時は、あなたにとって随分と長かったでしょう。でも、それも、これまでの時間に比べればほんの一瞬。
彼女は、優しい目を向けて、ゆっくりとひとつひとつを思い出すように話し掛ける。
--
知っているでしょう?
私は、幼い頃、裕福な家庭に生まれ、何不自由なく暮らしていた。とてもわがままに育っていたの。癇癪持ちで、物事が思うようになったら、怒って暴れて。本当に嫌な子供だった。それでも、私の両親は金持ちだったし、私は美貌に恵まれていたから、みんな私の言いなりになっていた。あの頃は、世の中が何でも思い通りに動くと信じていたの。
友達と呼べる存在は、今まで一人もいなかった。せめて、心を打ち明けて語り合える友達の一人もいれば、今頃何かが変わってたかもしれないのに。
でもね。私は、すばらしい伴侶を得ることができたの。
ええ。私には過ぎた素晴らしい人が、私の夫となってくれた。彼と出会って、私は初めて、人を愛するということを知ったの。彼は、辛抱強く、跳ねっかえりの私を愛してくれた。彼から、根気や、忍耐というものも教えてもらった。
私は、結婚して、双子の赤ちゃんを生んだの。けれど、私自身、まだ子供だったから、子育ての始めの頃は、赤ちゃんと一緒に泣いてばかりだった。世話は、周囲の者に任せて、私は逃げてばかりいたわ。なんて厄介で、訳の分からない生き物、ってね。
でも、ね。彼は、そんな私と赤ちゃん達を心配して、仕事を早めに切り上げては、私達のそばにいるようにしてくれていた。
たとえば、赤ちゃんが夕方になると、なぜだかぐずぐずと泣くでしょう?私は、それだけで苛立って、耳を塞いでしゃがみ込んでいたの。だって、ミルクもあげた。おむつも替えた。じゃ、何だって言うのよ?ってね。そうしたら、彼がやって来て。赤ちゃんより先に私を抱き起こして、それから、「ちゃんと聞いてごらん。」って言ってくれるの。「僕らのベイビーは、眠たくなって不安がっているよ。」って。「目も見えなくて、大好きな人の匂いもしなくて。それなのに、暗闇が待っていたら、誰だって不安だろう。」って。
私も、不安だったのね。いつも、彼に付いて回った。
私の愛らしい双子。男の子のカイの優しい茶色の目は、彼そっくり。女の子のケイの黒くてきりっとした眉は私そっくり。二人とも、本当に元気で、思いやりがあって。二人を膝に載せて絵本を読んだ時のこと、今でも思い出すの。今頃どうしているかしら。カイは、医者になるために大学に行ったと聞いたわ。きっと、父親の勇気とやさしさを受け継いで立派な医者になったことでしょう。ケイは、渡米して、向こうの研究者と一緒になると聞いたけれど、今頃は可愛い子供をたくさん産んでいるかもね。
ねえ。
私は、たくさんの素晴らしいものに恵まれて、幸せだったのよ。本当に。
あなたに会うまでは。
あの日、あなたに会った。知ってるの。あなたがどうして私に興味を持ったか。何もかも手に入れた幸福そうな人妻が気に入らなかったのでしょう?壊したいと思ったのでしょう?
結局、あなたの思い通りになったわね。
私は、何もかも失った。ありあまる財産も。優しい微笑みも。無邪気な笑い声も。
全部全部、失くしたの。
ねえ。それを、「お前が勝手について来たのだろう。」なんて言わないわよね。あなた知ってて。私の気持ちを知ってて、それを利用しようとした。私が逃げようとすると、巧みな言葉で私の気持ちを揺さぶった。どちらの罪が重かった、なんて、誰に言えるかしら。私達は、お互いを傷付け合い、お互いを決して離そうとしなかった。
でも、こんなこと、言って聞かせるのも、もう最後ね。
喪失の過程は随分と長かった。
ようやく、終わりにできるの。初めて、私は私の運命を自分で決めるの。
--
白髪の老婆は、たとえようもなく優しい目で、ベッドに横たわった老人を見つめる。
老人は、震える両手を合わせ何かを懇願しているようにも見えたが、その唇はカサカサに乾き、声を出す元気もないようだった。
「そろそろよ。」 老婆は、微笑み、老人の手をそっと撫でる。
老婆は、手にした錠剤を口に含む。それを見た老人は、観念したように、目を閉じる。
老婆は、ゆっくりと身をかがめる。
最後の。
優しい夫と、愛らしい子供達を家に残して、彼女が彼の元へと走った、あの夜。あの夜、彼に抱きかかえられて、彼女の豊かな黒髪が彼の顔へと流れ落ち、初めて交わした口づけと。
老婆の顔が、老人の顔へと、重なる。
「変わらないでしょう?あの夜と。」 老婆も目を閉じる。恋だけが、変わらぬ炎の色で、まぶたの裏で燃えている。
さあ、行きましょう。唯一、手元に残ったものを胸に。
|