セクサロイドは眠らない

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2002年02月22日(金) ただ、夜の月明かりが一筋さした瞬間、小さな叫び声と一緒に流れたのは喜びの涙。

私は、リカ。

退屈していた。遊び歩いてばかりいた。両親がくれるものはお金だけだった。私が考えるのは、親の地位や名誉を傷つけることだけだったが、私の小さな爪では何もできないことを思い知らされるのだった。

「ねえ。この本、知ってる?」
「なに?知らない。」

けばけばしい表紙の本を見て、私は首を振った。

「今、流行ってるんだけどね。」
「何が書いてあるの?」
「恋愛のこととか、セックスのこと。」
「くだらない。」
「私、すっごいファンなんだよね。」
「私が本読まないの知ってるでしょう?」
「ね。今日、この本書いた作家の出版記念のパーティがあるの。一緒に行かない?」
「行かない。」

まったく、また、どっかのオヤジに頼み込んで、パーティに潜り込ませてもらうことにしたんだろうな。この子のオヤジ好きにも困ったものだ。

「そう言わないで、ね。おもいっきり可愛いカッコして来てね。」

--

パーティは、つまらなかった。私は、シルクのミニドレスに、フワフワのファーのショールを巻いて、飲み物をぼんやりと飲んでいた。友達は、私と組んで誰かを引っ掛けようと企んでいたらしいが、私なんか置き去りにしてどっか行ってしまった。

「天使みたいだね。きみの衣装。」
「誰?」
「退屈した男。」
「じゃ、私と一緒?」
「うん。」
「友達と来てたんだけど、どっか行っちゃったの。」
「可哀想に。」
「ねえ。あなた、今日は誰かと一緒に来た?」
「いや。一人。」
「じゃ、どっか行かない?」
「いいよ。」

その男は、確かに私よりずっと年齢が上のはずなのに、その辺りにいる中年よりずっとセクシーだった。

何が違うんだろう?

私は、車に乗り込むと男の横顔を見ていた。

「ん?」
彼は、微笑んだ。

「あなた、いくつ?」
「さあ。きみよりちょっとお兄さんだよね。」
「恋人、いる?」
「いない。ちょうど、失くしたところ。」
「じゃ、私を恋人にしてくれる?」
「いいよ。」
「そうじゃなくって。」
「何が?」
「そんなに簡単に返事しないで。」
「わがままだな。ちゃんと考えてるよ。第一、僕は、きみに誘われて僕のために開かれたパーティを抜け出して来た。それで充分じゃないか。」
「えー?あなた、本書く人なの?」
「今頃気付いたんだなあ。」

私は、笑い出した。笑いが止まらなくなった。

彼は、一緒に笑った。

停めた車の中で、彼との初めての口づけをした。

--

「本が書き終わるまで、だよ。」
彼は言った。

それは、絶対破ってはいけない約束だった。彼は作家で、一冊書く間一人の女の子と付き合うのだと言った。

「いいよ。」
私は軽く答えた。いつものように、誰かと付き合ってもすぐに退屈してしまうと思っていたから。

楽しいことがしたかった。

それから、ずっと年上なのになぜか少年のように見える、彼の秘密が知りたかった。

「なんで、私?あなたモテるんでしょう?」
「天使みたいに見えた。きみが。真っ白で。」
「私、悪い子だわ。」
「人は、生まれた時は、みんな真っ白の羽を持ってるんだ。なんで、白か分かる?試しの、白。神様が、その白が汚れていく様子を天で見ている。」

私は、ため息をつく。
「天使にこんなことして、あなた悪い人ね。」
「僕が何をしても、きみは汚れない。」

彼の愛撫はどこか上の空で悲しそうだった。

そんなに優しくされたのは初めてだった。

--

その日は案外と早く来た。

私は、ゆっくり書き終わることを願ったが、彼は先を急いでいるように、その本を一年足らずで仕上げてしまった。

「今日で書き終わった。」
そう告げられて。

私の心臓は、きゅうっと強く痛んだ。

「嘘吐き。」
私は、泣き出した。

「嘘は吐いてないよ。」
「嘘吐き、嘘吐き、嘘吐き。」
私は、彼の胸に抱き留められて、涙が止まらない。

なんで、あんな風に愛してくれたの?あの夜も、あのやさしい声も、あの指も、全部嘘?

「最初に約束していただろう。」
「分かってるよ。そんなの。だけど、しょうがないじゃない。涙が出ちゃうんだもん。明日からは他人にならなくちゃいけないんでしょう?」
「じゃあ、好きなだけ泣くといい。」
「ねえ。もう一度だけ会いたい。恋人として。」
「駄目だ。」
「お願い。」
「じゃあ、きみが結婚する時。昔の恋人ってことで式に呼んでくれるかい?」

私はうなずく。もう、ぬぐっても間に合わない涙が、溢れ出るのに任せたまま。

彼は優しい。大人だ。でも、今どんなにわがままを言ったって、彼の心がもう終わってしまっているのならしょうがない。

私、思いっきり綺麗になって、最後一度だけあなたに。

--

私は、両親に、以前から私に来て欲しがっているある富豪の息子のところに嫁ぐと告げた。

両親は、大喜びした。

多分、私は、その時、生まれてから一番両親に愛された。

一ヶ月。エステに通い、荒れた肌を修復した。

それから、私に別れを告げたポルノ作家に、ロサンゼルス行きの航空券と、結婚の招待状。

届くかしら?来てくれるかしら?

--

明日が挙式という、その夜。

私は、純白の衣装をまとい、彼のいる部屋を訪れる。

彼は息を飲む。

「久しぶりね。」
「きれいだ。」
「ありがとう。」

彼は、震える指で抱き締めてくれる。

その夜で、本当に最後だと分かっていて。

私は、ただ、泣かないように。

悲しい涙は花嫁にはふさわしくない。

ただ、夜の月明かりが一筋さした瞬間、小さな叫び声と一緒に流れたのは喜びの涙。

「明日の早朝、日本に戻るよ。」
彼の言葉に、私は黙ってうなずく。

「おめでとう。」
「ありがとう。」

--

「さようなら。」
子供だった時代に別れを告げて、私は、遠くに行く電車に飛び乗る。今頃、本当なら式が始まっている時間。

「ごめんなさい。」
一ヶ月だけ、婚約者でいてくれた人に。でも、彼が愛しているのは私じゃなかった。黒い服が似合う、ユナとかいうあの女の元に戻るといいわ。決して愛を口にしない、私と正反対のあの人のところへ。

私は、トランクに花嫁衣装を詰めて、その街を抜け出す。

真っ白な衣装を、汚さないために。


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