セクサロイドは眠らない

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2001年10月09日(火) いつか僕の手からすり抜けていなくなってしまっても忘れないように、舌でなぞる。

彼女に心を留めたのは、そのピアノの音色のせい。

彼女も僕も、楽器メーカーの雇われ講師だった。子供達のレッスンが終わって、彼女が一人ピアノに向かっている姿を見かけて、僕はそこから動けなかった。上手というより、一人の人間がむき出しになってしまうような、その音色を、僕はドキドキしながら聴いていた。

だから、声を掛けた。

「お茶でも飲みに行かない?」

彼女は微笑んで答えた。
「人妻だって知ってて誘ってる?」
「もちろん。」
「じゃ、行きましょう。遅くならないうちに帰るわ。」
「今のピアノ、素敵だった。」
「嘘ばっかり。」
「本当だよ。」
「私のは、駄目よ。駄目なの。夫がいつも言うわ。」
「でも、好きだ。」
「そんなこと言われたの初めてよ。」

彼女は、大きな楽器店のショウウィンドウの前で足をとめる。

「ねえ。あの人。上手だわ。なんて完璧な音なのかしら?」
「あれはロボットだよ。最近は、ピアノを弾くロボットが流行りらしい。行こうよ。」

僕は、ウィンドウに張りついている彼女の腕を無理矢理引っ張る。

--

それから、僕と彼女は、レッスンの合間をぬって、僕のアパートのベッドの上で抱き合う。彼女が人妻だって、どうだった良かった。ただ、彼女のピアノの音色を聴いていたかったし、彼女の白く伸びた指に僕の指を絡めたかった。

自信なさげに恥ずかしがってそらそうとする顔を捕まえて、僕は彼女に口づける。

「不思議ね。セックスって気持ちがいいものなんだわ。初めて知った。」
「僕も。」
「ねえ。もう帰らなくちゃ。」
「もう1回だけ。」
「だめよ。」

逃げようとする彼女の小さな体を押さえて、その肩を乳房を。いつか僕の手からすり抜けていなくなってしまっても忘れないように、舌でなぞる。奇跡を紡ぎ出す指に唇をつける。

--

彼女の病気が分かったのは、それから間もなくで、泣きながら電話をして来た。あと、もって半年。それでも、まだ体が動くうちは職場に黙って子供達にピアノを教えていた。それから、どんどん具合が悪くなって、もう、彼女はピアノを弾くことができない。僕は彼女の微熱のある体をそっと抱き締める。

「あなたにとって、私はもう役立たずね。抱けない女なんて、ポンコツロボット以下だわ。」

そんなことはない。そんなことはないよ。きみのピアノの音は僕に勇気をくれた。きみの体の記憶は、何よりも美しい。

「完璧に弾こうとすればするほど、曲全体がボヤけてしまって、一度だって完璧に弾くことはできなかった。」

彼女は、いつだってそうやって悲しんでいた。

「もう、今日は帰って。疲れたわ。」
「うん。」

--

翌朝、病院を抜け出した彼女は、あの大きな楽器店のウィンドウにもたれるようにして息をひきとった。

僕が駆けつけた時は、相変わらず、ロボットがピアノを弾いていた。その完璧な音色。自信満々の音。誰かが目の前で死んだって、その旋律は微塵も変わらない。

--

葬儀の席で、彼女の夫なる人物から声を掛けられた。

「生前、妻が大変お世話になったそうだね。」
「お世話になったのは僕です。仕事の上でいろいろアドバイスをもらいました。」
「きみは、あれのピアノの腕前をどう思った?」
「大好きでした。確かに彼女の音は、ところどころ欠落しているものがあって。どこか恥ずかしそうで。それでも、完成を求めてひたむきに弾いてました。」
「私も好きだったよ。だけど、1回も、好きだと言ってやれなかった。」

僕は、煙草を落として、足で踏みにじった。

「それは残念でした。好きだと言ってあげるべきでしたね。」

あの音色は、恋をさせる音だった。今となっては、記憶の中に響くのみ。


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