セクサロイドは眠らない

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2001年09月26日(水) 「もう、終わりよ。知ってるくせに。」僕が下着に滑り込ませた手を払いのけもせず、彼女は言う。

「大事なのは生きて行くことだよね。」
少年がいきなり言う。

7歳の心臓を患った少年と、主治医の僕。

「死んだら、何か違うもの。たとえば、魚なんかに生まれ変わるってママは言うんだ。でも、僕は、僕に生まれ変わりたい。カシワギレンになりたい。もう一度僕に戻って来たいよ。」
「ふうん・・・。そうなのか。僕なんか、全然違う人に生まれ変わってみたいけどね。」
「先生は、もう、なりたいものになれたからいいじゃない。」
「きみだって、なりたいものになれるよ。あっという間さ。」

少年は、急に会話を離れて窓の外を見る。

果物ナイフと皿を洗いに行っていた母親が戻って来た。疲れていて、美しい少年の母親。夫は、もう随分と長い間帰って来ないの、と、夕べささやいた声を思い出す。乾いて見えるその表情も、昨夜は芳醇に潤って、「食べ尽くして」とささやいて来た。患者の母親と寝るなんて馬鹿げているかもしれないが、その美しさ。その凛とした、漆黒の髪。生真面目な瞳。手を伸ばさずにはいられなかった。どんな言い訳も、彼女の美しさの前に無用なのだ。

「ねえ。レンくん。ママ、ちょっと先生とお話があるから1人で待っててね。」
「うん。わかった。」
「先生、ちょっといいかしら?」
「ええ。」

病室のドアを出ると、彼女はまっすぐに僕の目を覗き込みせっかちに聞いてくる。

「で?レンの具合はどうなのかしら?あなた、昨夜ははぐらかしておしまいになったわ。」
「別にはぐらかしたわけじゃない。」

言うそばから、僕は彼女の細い腰に手を回したくてどうしようもなくなる。

「あと1回手術すれば、外に出られるようになるよ。」
「ほんとう?」
「ああ。」
「なにか希望が欲しいの。はっきりとした。あてのない慰めならいらないわ。」
「分かるよ。」

思わず、彼女の額に伸ばした指を、彼女は邪険にはらう。

「今夜、行っていいかい?」
「あなたという人は。」
怒りに震える声と裏腹に、彼女の欲望が溢れ出してくるのが見てとれる。彼女の怒って見せる顔もかわいらしい。その真面目な唇をふさいでしまいたい。

「でもごめんなさい。今夜は駄目なの。」
彼女は踵を返して、病室に戻る。

--

2回目の手術が終わって、僕は疲れてソファに腰を下す。うまく行けば、少年は元気になるだろう。少々の失望を伴って、僕はその結果を歓迎する。本当は、子供なんて邪魔なんだ。それなのに、彼女の歓心を買うために、少年の治療に全力を尽くす。少年が元気になって退院すれば、多分、彼女とはそれっきりなのだろう。

レンの表情が浮かぶ。母親似の黒い髪。白い肌。少し赤過ぎる唇。
「大人になったら、みんななりたいものになれるはずじゃないの?先生も、ママも、そんなに悲しそうなのはどうして?」
「さあ。どうしてだろうな。欲しいものを急いで手に取ろうとすると、どこか間違った方向に導かれて行くのさ。大人って変だろう?」

看護婦からの内線で、患者の母親が会いたがっている、と連絡が入る。

--

「どうでしたの?」
彼女はもどかしげに聞く。

「成功でしたよ。」
僕は、短く答える。

「そう・・・。良かった。」
彼女の目が潤んで見える。

「今夜、屋上にいらして。少しお話したいの。」
「ええ。」

--

もう、屋上は肌寒い。

洗濯物のシーツがひらめく。

「私のどこが好き?」
「え?」
「私のことが好きなんでしょう?」
「ああ。その真面目なところや、やさしいところ。なんて、月並みだな。とにかく、きみが全部好きだ。」
「真面目なこと。忍耐強いこと。人の話をちゃんと聞くこと。そういうことは全部、人に踏みつけにされるためにあるのよ。」
「そんなことはない。」
「いいえ。そうなの。私、怒ってるの。分かる?」
「いや。どうして?」
「さあ。誰かの目をちゃんと見て、ちゃんと話をしようとすればするほど、その人はいつも私を傷付けて行くわ。」

彼女は、いつも怒っているのだろう。

彼女の亭主のことも、僕のことも。レンのことだけが支えなのか?

「ずっと、こんな風に会いたいんだ。」
僕は、彼女の震える肩を抱きしめて、口づける。怒りに燃えた表情の奥から炎が噴き出したように、彼女は熱い吐息を吐く。

「もう、終わりよ。知ってるくせに。」
僕が下着に滑り込ませた手を払いのけもせず、彼女は言う。

--

深夜、レンの容態が悪化した、と、連絡が入る。

僕は慌ててレンの病室に駆けつける。

「どうしてだよ?」
僕は叫ぶ。手術は成功したはずだろう?きみは、きみを離れずに済んだんだよ。カシワギレンのまま、こうやって、なりたいものになるために新しい人生を踏み出すんだっただろう?

他の医師に応援を頼み、看護婦に指示を出す。

そのそばで、のっぺりと表情を失くした彼女に気付いて、僕は足を止める。

「いつも急ぎ過ぎてしまう。どうしても手に入れたかったの。あなたを。」
彼女は僕の顔を見ないで、つぶやく。


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