2007年03月10日(土)  マタニティオレンジ90 存在することがプレゼント

三種混合の2回目の予防接種の6・7か月検診を一度に済ませようと小児科で順番を待っていたら、ママ仲間のトモミさんより「たまちゃん今日で200日目よ」とメールが届いた。トモミさんちのミューちゃんは一日違いの8月23日生まれで明日200日目を迎えるという。わたしも母親200日目かあとしみじみ。6・7か月検診では、身長、体重、頭囲、腹囲を測る。7375グラム、63センチのたまは、「体重は標準以上だけど身長が伸び悩んでますね」とのこと。親に似てチビっこ街道を進むのかもしれない。おすわりは上手にできたけれど、「仰向けになり、顔の上に置かれたティッシュを手でどける」がなかなかできず、これではまるでご臨終。「うーん、取りませんね」とお医者様が唸ったら、手ではなく口を動かし、もぐもぐとティッシュを食べてしまった。前世はヤギか。

今日は奇しくもダンナ母の誕生日。一年前は節目の70歳ということで中華料理屋で食事をし、デザートのタイミングで「実は8月に出産します」と打ち明けたら、予期せぬ報告にダンナ母と父が涙ぐみ、ダンナ妹もつられ、わたしももらい泣きしてしまった。結婚当初から孫、孫とことこあるごとにせっついていたダンナ母は、わたしとダンナが旅行に出かけるときには「お土産はいいから収穫を」と名台詞を吐いた。適当に聞き流したりネタ帳に書き留めたりしていなければ、プレッシャー負けするような勢いだったけれど、あるときからぱたりと子どもの催促をやめた。出してはならない話題ではと勝手に悟って自粛に踏み切ったようだった。わたしとダンナはただ長すぎるモラトリアムにはまっていたのだけど。それでも言いたい気持ちを必死に抑えていたダンナ母の歓迎ぶりはただごとではなかった。

そして今日、たまを連れて夜に外食するのはあんまり好ましくないし、おかあさんに夕食を作らせるのは悪いし、明るい時間に行ってお茶だけしよう、と花と誕生日ケーキを用意してダンナの実家を訪ねた。突然行って驚かせようと思ったら、ダンナ母は外出中で帰宅したのは夜。ごはん作るわ、と言い出したので、寿司の出前を取ることに。出前ってこういうときありがたいものだ。ケーキは「日本一のショートケーキ」と名高いフレンチパウンドハウスの苺ショート。でも、おかあさんにとって何よりのごちそうは、孫の顔を見れたこと。「今日会えるとは思わなかったわ」と二年続けてのサプライズを喜んでくれた。孫は存在する(present)だけでプレゼントになってしまう。

2005年03月10日(木)  おうちでDVDレンタル『TSUTAYA DISCAS』
2002年03月10日(日)  循環


2007年03月09日(金)  マタニティオレンジ89 4月から0歳児保育

助産院を退院する前日、子育ての先輩である友人二人が見舞いに来てくれ、「保育園はどうするの?」と聞かれた。「まだ産んだばっかりだし、そんな先のことは考えていない」と答えると、「0歳から預けるなら、申込みは年明けだから、けっこうすぐだよ」「フリーは就労証明がもらえないから、0歳から預けたほうが入りやすいよ」などとアドバイスしてくれ、二人で口をそろえて「わたしたち、預けてよかったって思ってる」と力強く言った。それまで、保育園には「本当は預けたくないけど、仕事するためにはしょうがない」という後ろ向きなイメージを持っていたわたしは、積極的に預けたい場所なんだ、と驚いた。彼女たちの二人合わせて五人の子どもたちは、お手本にしたいぐらい個性と好奇心を上手に伸ばして育っているから、彼女たちの太鼓判には説得力があった。こうして出産五日目に「4月から0歳児保育」計画が急浮上したのだった。

12月下旬から近所の保育園を三つ見学。実際に目にした保育園は、わたしの想像よりもはるかにいい環境だった。日当たりのいい広々とした部屋。思いきり遊べる園庭。三輪車で元気よく駆け回る園児たちも、彼らを追いかけて走り回る保育士さんたちも、とてもいい顔をしている。夏は毎日水遊びをして、卒園時にはみんな泳げるようになるという。0歳児クラスは10人を4人の保育士で見てくれ、週に一回、小児科医の診察もある。正直、ここまで至れり尽くせりだとは思って居なかったので、安心を通り越して喜んで預けたい、という気持ちになった。

1月上旬に区役所に申込みの書類を提出すると、下旬に区の職員さんの家庭訪問があり、「保育の必要度」を尋ねられた。わたしが住む文京区では、保育の必要度を点数化し、点数の高い人から希望の園へ割り振られる。就労証明もなく勤務時間も不規則なフリーランスは、順位が低くなりやすいのだが、ちゃんと「いかに保育に欠ける状況であるか」をアピールできる機会を設けてくれているのはありがたい。これまでの作品歴、昨年一年の仕事の実績などを本やDVDの画像も入れ込んでまとめたプレゼン資料を用意し、執筆は自宅だが打ち合わせや取材で外に出ることが多いこと、体を空けておくのも仕事であること、などを切々と訴えた。職員さんが『子ぎつねヘレン』を知っていてくれたら話が早いなあと思ったのだが、「知りません」と言われて、がっくり。この訪問の際に、「あなたが希望されている園の倍率はこうなっています」ということを教えてくれる。わたしは第2、第3希望の園に行くにつれ競争率が高くなっているので、「倍率の低い園に変更したほうが、確実に入れると思います」とアドバイスされた。早速その日、家からは少し遠くなるけれど倍率が比較的低いという園を見学し、第3希望を差し替えた。

第一希望の園は難しいだろうなあと覚悟していたのだが、2月下旬に郵送で届いた内定通知を開くと、そこには第一希望の園の名が記されていた。この年になって内定にバンザイすることになるとは。通知が着いた二日後に健康診断があり、内定は正式決定に。その際にもらった「準備するものリスト」を見ると、買い物をしなくてはならないし、大量の名前づけ作業をこなさなくてはならない。ひさしぶりに苦手な裁縫と格闘である。入れてからは楽になるのだろうが、仕事がふえて三月は大忙しだ。入園まで、あと一か月足らず。ママの宿題は間に合うのだろうか。

2006年03月09日(木)  ヘレンウォッチャー【松竹本社編】
2002年03月09日(土)  映画『カンダハール』


2007年03月08日(木)  身につまされた映画『ドリームガールズ』

観たい観たいと思っていた『ドリームガールズ』がママズクラブシアターでかかり、早起きして9時20分の回をキャッチ。ミュージカルは舞台も映画も大好きだが、とりわけ好きな『シカゴ』のスタッフが多数参加し、しかも『シカゴ』の脚本を書いたビル・コンドンの監督作品とあって、期待は高まるばかり。

冒頭のアマチュアコンクールの場面、無名三人娘のドリーメッツが舞台に登場し、リードボーカルのエフィーの歌声が弾ける。スクリーン越しに観ているのを忘れ、コンクール会場の客席にいるような迫力。エフィーを演じたジェニファー・ハドソンは役作りのために体重をふやしたと聞くが、人よりも多くついた脂肪も肉も体重もあの歌声の栄養源なのではと思えるほど。監督が演技を評して「ショーストッパー」と絶賛したという新聞記事を読んだが、あまりの拍手でショーが中断するほどの熱演、という褒め言葉は決して大げさではない。アカデミー賞助演女優賞を受賞したのも納得だけど、助演ではなくて主演ではないのかというぐらい、わたしは完全にエフィーに乗っかって観た。

エフィーが主役を食ってしまったのは、ジェニファー・ハドソンの演技の存在感なのか、それともわたしが感情移入しすぎたせいなのか。歌うことが好きで好きでたまらないという空気を全身から発散させている姿には、踊っているだけで幸せだった学生時代の自分を重ねた。大学を出たわたしは、自分が踊るのではなく、言葉を躍らせる道を選んだけれど、エフィーにとっての「歌う」をわたしにとっての「書く」に置き換えて、観た。好きなことをしてお金をもらえて名前も売れるショービジネスの世界。レコードの売り上げやリクエスト数がランキングを駆け上る高揚感は麻薬のように人を夢中にさせ、惑わせ、運命を狂わせる。誰かが成功する陰で誰かが傷つき、誰かが乾杯する陰で誰かがヤケ酒をあおり、誰かが頂点を極める陰で誰かがどん底を味わう。栄光の光が眩しすぎる分、そこに生まれる影も大きい。ドリーメッツがドリームガールズの名でメジャーデビューすることが決まったとき、エフィーはテレビ的に見映えのいいビヨンセ演じるディーナにリードボーカルの座を譲ることになる。脚本の世界でいえば、プロデューサーとあたためてきた企画に出資者が現れて実現することになったものの、脚本家は別の人でと告げられたような状況だろうか。好きなことを仕事にしているからといって、好きなようにできるわけではない。どこかで夢と現実の折り合いをつけなくてはならない。だけど、夢を売る仕事であっても、自分の夢を安売りしたくはない。グループとしての夢が叶った代償に一人の歌い手としての挫折と屈辱を味わうエフィーの葛藤が痛いほど伝わってきて、わたしの胸まで引き裂かれそうだった。

持ち歌が盗まれたり、金の力でつぶされたり、というエピソードも他人事とは思えなかった。歌であれ映画であれ、ソフトが商品になるとき、その市場価値を生み出すのはプロデューサーの腕の見せどころ。さらに言えば才能という原石を宝石に化けさせるか石ころのまま埋もれさせるかもプロデューサーの腕次第だ。自分には夢をつかむだけの才能があると信じる者は、自分を売り出してくれる手腕とコネを持つ者に出会い、自分を信じるようにその人を信じ、運命を託す。けれど、売り出す立場の人間にもまた夢があり、野望がある。故意であってもなくても、悪意があってもなくても、利用された、裏切られたという悲劇は起こる。ここにも光と影がある。

『月刊シナリオ』を読んでいると、ときどき、名指しでプロデューサーを糾弾する脚本家の手記に遭遇する。脚本を送って打ち返しの返事を待っている間に、いつの間にか勝手に内容が変えられていたり、脚本家が替えられていたりする。糾弾された側の言い分も掲載しないと欠席裁判になるのではという気もするが、叫ばずにはいられない心情も理解できる。お金の問題でもなければ、ただ感情的になっているわけでもない。その作品に懸けていたからこそ悔しい、腹立たしい、やりきれない。夢と期待で膨らみきった風船は、割れたときの衝撃も大きい。だけどその痛みは、光と影がセットであるように、夢を仕事にする幸福につきまとう副産物なのかもしれない。エフィーのように仕事に逃げられ、信頼していた仲間に背を向けられたら、わたしだって何も信じられなくなるだろう。だけど、何もかも失っても「自分にはこれしかない」と歌い続けたエフィーのように、自分に正直に生きたいと思う。夢を追い求める魂だけは誰にも盗めないし、売り渡してはならない。夢を打ち砕かれることがあっても、そのかけらを拾い合わせて、つなぎ合わせて、大切に持ち続けたい。そんなことを大真面目に考えた。

努力すれば、力を合わせれば、夢は叶う、と夢みたいなことを信じているわたしは今でもドリームガール。あれ、ドリームガールは夢のような女の子という意味だろうか、夢見る女の子だとドリーミングガールになるのか。劇中歌はどれもメロディ歌詞ともにすばらしいし、あの時代の空気感みたいなものまで見事に表現されていて、音楽を聴いているだけでも存分に楽しめた。機会があればぜひ舞台版も観てみたい。『アニー』『ムーランルージュ』『オペラ座の怪人』『シカゴ』に、またひとつ、お気に入りのミュージカル映画が加わった。

2006年03月08日(水)  innerchild vol.11『PANGEA(パンゲア)』
2004年03月08日(月)  勝地涼君初舞台『渋谷から遠く離れて』
2002年03月08日(金)  言葉の探偵、『天国の特別な子ども』を見つける。


2007年03月07日(水)  マタニティオレンジ88 笑いの効能

マタニティオレンジ81に書いた「母になっても女心はある」(>>>2007年2月22日の日記)には、母たちだけなく妻たちからも反響があった。妻という字に女が入っているのは一目瞭然だけど、「出産して乳母」となる前に「結婚して家政婦」となってしまったことを嘆く女性はけっこう多い。「女性は女である自分に妻や母をトッピングできるし、恋人である男に夫や父をトッピングすることもできるけれど、男性の場合は結婚した途端に恋人は妻になっちゃうし、出産した途端に妻は母になっちゃうし、とトコロテン式に押し出されるのね」「人間の器というのは、女性は子宮のように伸縮自在だけど、男性は形も大きさも決まっていて融通がきかないのかも」などと女同士で分析しあったりして、うちだけじゃないんだ、と安心した。

さて、わたしに「ダンナは女心がわかっていない」と嘆かせた予約の取れないレストランに、ダンナが仕事先の人と行ってきた。「すごくよかったよ」と興奮気味に言うのを聞いて、「どんな感じ?」と自然に聞けた。よかった、わたしはもうすねてない、いじけてない。
わたし「何食べたの?」
ダンナ「前菜が2つとパスタが2つと……」
わたし「お皿の数じゃなくて」
ダンナ「海老とか魚とか肉とか」
わたし「それだけじゃわかんないよ。海老がどうなってたの?」
ダンナ「海老が……死んでた」
次の瞬間、わたしは思いっきり吹き出し、しばらく笑いが止まらなかった。娘のたまが「ママこわれちゃったの?」という目でわたしを見、ダンナも呆気に取られていた。いやぁ、こんないい台詞、頭を捻っても書けない。料理の海老の説明がこの調子なんだもの、女心を理解して気のきいたことを言ってと要求するのは無茶だ。しみじみと納得しながら、こないだもこれぐらい面白いこと言ってくれれば、その場でくさくさした気分を笑い飛ばせたのに、と思ったりする。

わたしは自分でもびっくりするぐらい笑い、笑った後で「うわあ、なんかすっきり」と爽快感にこれまた驚いた。自分では溜め込んでいないつもりでも、毎日少しずつガスは溜まっていたらしく、それが一気に発散された様子。わたしがあんまり笑うので、ダンナもつられて笑いだし、たまも一緒にニコニコしていた。笑いは家族円満に何より効く。常備薬にしておかないと。

2006年03月07日(火)  ヘレンウォッチャー【全国からありがとう編】
2002年03月07日(木)  誤植自慢大会


2007年03月06日(火)  『ゲゲゲの鬼太郎』×『子ぎつねヘレン』

ゲゲゲの鬼太郎』のマスコミ試写を観るため、ひさしぶりに東銀座の松竹へ。子どもの頃、何度言っても「ゲゲゲのゲ太郎」と言い間違えてしまったが、あのアニメの世界がどんな風に実写になっているのか、まさに「怖いもの見たさ」で客席に着く。結果から言うと、すごくよくできている。この妖怪にはこの人しかありえない、というような絶妙なキャスティング(川村恵)と、完成度の高い衣装デザイン(ひびのこづえ)と特殊メイク(江川悦子)の合わせワザで生まれた妖怪たちは実にチャーミングで、見ているだけでうれしくなる。ウエンツ瑛士の鬼太郎、田中麗奈の猫娘、室井滋の砂かけ婆、間寛平の子なき爺、どのキャラも見事にはまっていたが、妖怪度私的ベスト3を挙げるなら、西田敏行の輪入道(画面いっぱいの顔面の迫力に目が釘付け!)、YOUのろくろ首(こんなに長首が似合ってかわいい人はなかなかいない)、大泉洋のねずみ小僧(あまりに素顔となじみすぎて、演じていることを忘れさせるなりきりぶり)。役者さんたちが皆ノリノリで演じている雰囲気が伝わってくる。撮影現場はどんなことになっていたんだろう。見たかった。

妖怪狐のリーダー格、空狐を演じていた妙に存在感のある役者さんは橋本さとしさん。以前、舞台『シンデレラストーリー』で宮廷大臣ピエールを演じていた人(>>>2005年5月27日の日記)。「この人は誰!」と二度驚いたから、もう忘れない。いちばんわたしの心をとらえたキャラクターは、目玉おやじ(声はアニメと同じく田の中勇)。画面に出てくるたびに何をしでかしてくれるか、目が離せなかった。小さな手足を懸命に動かして感情を訴えるしぐさが、何とも言えず愛らしい。持ち帰ってお椀のお風呂に入れたい! とにかく、妖怪の豪華大競演だけでも一見の価値あり。子どもは無邪気に面白がるだろうし、大人には芸の細かさを観察する楽しみがある。

脚本は羽原大介さんと本木克英監督。わたしが勝手に実証している「ハバラダイスケ作品にハズレなし」の法則は『フラガール』に続いてまたしても記録更新。突然の悲劇に見舞われる父子家庭の姉弟(井上真央・内田流果)を救おうとする鬼太郎が妖怪の反発を招いて窮地に陥るというストーリー展開で、アクションをふんだんに取り入れつつ、要所要所でしっかり笑いを取り、最後には人情をにじませ、なんとも贅沢なエンターテイメントに仕上がっている。

エグゼクティブプロデューサーの榎望さん、プロデューサーの石塚慶生さんは『子ぎつねヘレン』のプロデューサー。狐の妖怪が大暴れするのはそのせいではないと思うけれど、思わぬ場面で、ヘレンとのコラボレーションを発見。お、こんなところに……! 子ぎつねヘレンを観た人なら、見つけてうれしくなってしまうはず。そのヘレンが今月、地上波に登場するそう。21日(水・祝)の21時よりテレビ東京にて放映。普段は水曜ミステリー9の枠。祝日なので家族揃って観てもらえるとうれしい。話題がそれてしまったけれど、ゲゲゲの鬼太郎は4月28日公開。

2006年03月06日(月)  ヘレンウォッチャー
2005年03月06日(日)  傑作韓国映画『大統領の理髪師』
2002年03月06日(水)  家族


2007年03月05日(月)  マタニティオレンジ87 プレ離乳食

生後4か月頃から「そろそろ離乳食」の声が聞かれる。わたしが住む文京区では、「5か月中には始めましょう」と指導しているが、出産した助産院では「赤ちゃんの胃腸は1才頃まで機能が未完成なので、なるべくスタートは遅らせて」という方針。「6か月までは、なるべく母乳とミルク以外与えないで」と言われた。「離乳食は3才からでいい」という大胆な説を唱える小児科医もいるとかで、焦ってはじめる必要はなさそう。ただ、あまりのんびりしていると、母乳やミルクしか受け付けない偏食をする子になるとか、母乳やミルクだけでは栄養が偏るという話も聞く。何事もバランスが大事。「食べることを楽しめる子」に育てるのは、わたしの子育ての大きな目標のひとつ。食事は楽しい、待ち遠しい、その感覚だけは間違いなく身につけさせたい。

そういうわけで、12分の6才を祝った週末が開けた2月26日の月曜日から、ぼちぼち離乳食への助走を始めることに。おかゆやマッシュド野菜に進む前の、いわゆるプレ離乳食。まずは胃腸に負担をかけないサラサラのもので、スプーン慣らしをする。最初に覚えさせるのは日本の繊細なだしの味と決めていた。といっても素材に湯通しするだけの手抜き調理。月火水で鰹だし、木金土で昆布だし、そして昨日から三日間かけて煮干だし。同じものを続けて与えると、少しずつその味に慣れていく様子が観察できて面白い。はじめて出会う味には何とも微妙な表情を見せ、警戒しながらおそるおそる舌を出して味見をするが、三日目になるとゴクゴク飲み込む。未知との遭遇。パックの鰹節でこんなにドキドキを味わえるとは。煮干だしを征服したら、野菜のうまみだけでだしを取った野菜スープに挑戦する予定。

2005年03月05日(土)  Uzさんの新ユニット『croon』
2002年03月05日(火)  情熱


2007年03月04日(日)  マタニティオレンジ86 初節句

最後に雛祭りを祝ったのはいつだったか。とっくの昔に雛ではなくなり、雛祭りと縁遠くなって久しいが、親鳥になって再び雛祭りが身近なものになった。3月2日の金曜日から三日続けて雛祭り。お祭り好きのわたしにとっては、行事がふえるのは大歓迎である。

まず2日は、昨年同時期に女の子を授かった上野のユキさんに声をかけてもらい、ユキさんを紹介してくれたビクス仲間のトモミさんとともにお宅にお邪魔する。築40年の古家をリフォームした家は吹き抜けの高い天井が気持ちよく、観葉植物に囲まれて温室にいるよう。海の底の竜宮城に負けない居心地のよさで、気がつけば6時間。料理上手なユキさんのダンナ様が腕をふるったちらし寿司とはまぐりのお吸い物、トモミさんが手作りした道明寺桜餅が雛祭り気分を盛り上げてくれた。傍らに寝転がした雛たちを愛でながら、話題は子どもたちのことと自分たちのことを行ったり来たり。最後はナマ雛三人を60度ずつずらして絨毯に寝かせ、その間に雛壇から出張させた雛人形たちを挟んで記念撮影。

3日はダンナが仕事でお世話になっているお客様がわが家へ。皆に交代でだっこされ、わが家の雛はごきげん。洋服やおもちゃもプレゼントされ、雛祭りにクリスマスがくっついたよう。デザートは新宿タカノの雛祭りケーキ。ぼんぼり代わりにろうそくを左右に一本ずつ灯す。

締めくくりの今日は、ダンナの実家で雛祭り。ちらし寿司寿司の前で、桜餅の前で、ひなあられを持たせて、写真をたくさん撮った。2週間前から飾ってある雛壇の前でも記念撮影。いちばん下の段に飾ってある神輿が、ぜんまいを巻くと「明かりをつけましょぼんぼりに〜」が流れるオルゴールになっているのだが、この音楽が怖いらしく、たまがおびえてぐずる。たしかに「通りゃんせ」や「かごめかごめ」に通じる不気味さがある。雛人形は、ダンナの妹が生まれたときに買い求めたもので、8月22日生まれのたまと誕生日が2日違いの彼女が雛壇の前でお座りしている写真が残っている。ダンナ母はそれが昨日の出来事であるかのように「ちょこんとお座りしてね、かわいかったのよ」と懐かしむ。たまもちょっぴり不安定ながらお座りを決めた。わたしも数十年後、色あせた写真を見ながら昨日のことのように初節句の思い出を取り出すのだろうか。

2005年03月04日(金)  押忍、ひさしぶりの総会っす。
2002年03月04日(月)  感想


2007年03月02日(金)  マタニティオレンジ85 孫をかわいがるのは人間だけ

妊娠・出産に際して数々の忘れがたい言葉を贈られた。友人で医師の余語先生に言われた「孫をかわいがるのは人間だけ」は印象的な言葉のひとつ。動物が子どもをかわいがるのは本能だが、孫に特別な感情を寄せるのは人間ならではなのだという。三つ先の駅に住む義父母は、娘のたまの誕生を心から歓迎し、よくかわいがってくれる。血を分けた孫だからこその愛おしさはもちろんあるのだろうが、他人の孫をかわいがれるのもまた人間ならではだと最近つくづく思う。

たまを抱っこして街を歩いていると、すれ違う年配の方々が顔をのぞきこみ、声をかけてくれる。「あら、髪が豊かでいらっしゃること」「もう何か召し上がっていますか」「どれぐらい経ちましたか」「今日はお出かけ日和ですわね」。文京区という土地柄か、上品な言葉使いの方が多い。わたしは人と話すのが好きなので、相槌を打ちながら「お子さんを九人もお育てになったんですか」「曾孫さんがいらっしゃるんですか」などと感心したり、「この子はバスの揺れが好きなんです」「メガネを見ると、パパの仲間だと思うみたいです」などとわが子の解説をしたりする。まだ言葉を話せない子どもと部屋に二人でこもる時間が長いので、他愛のないおしゃべりはいい気晴らしになる。

今日、友人宅へ遊びに行こうと駅へ向かっていたら、突然かばんが重くなった。見ると、おばあさんがかばんにぶらさがっている。ぶらさがっているように見えたのは、身長150センチのわたしよりさらに小柄な方だったからで、「あたしが持ちますよ。あなた大変だから」とわたしのかばんの紐に手をかけ、引っ張っているのである。「大丈夫です」と言っても、「どこにも持って行きやしませんから」と引かない。おばあさんのことは疑っていないけれど、肩に掛けた紐を外して受け渡しするのも面倒だし、恐らくわたしのほうが体力も腕力もある。「ほんとに大丈夫です」と重ねてお断りすると、とても残念そうな顔をされたので、「そのかわり、あやしてやってください」とお願いした。一緒にいる理由ができて、改札を抜けるまで並んで歩いた。

出産以来、新聞でも街の掲示板でも「地域の子どもをみんなで育てよう」といった呼びかけが目に留まるようになった。街のじいじばあばに見守られているという安心感は、わたしにはとても心地よくてありがたい。

2006年03月02日(木)  シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年03月02日(水)  昭和十六年の教科書
2002年03月02日(土)  手づくり


2007年03月01日(木)  マタニティオレンジ84 「おなかの皮で風呂水」伝説

マタニティオレンジ71「鼻からスイカ」伝説(>>>2007年02月04日)には老若男女から反応があり、産みの苦しみへの関心の高さをうかがわせた。で、今回検証する伝説は「おなかの皮で風呂水」。産後3週間目頃に広告会社時代の先輩CMプランナーだったO嬢から送られたメールに「出産後はおなかの皮で風呂水がすくえるってほんと?」と素朴な疑問があった。わたしも知っている共通の元同僚がかつて出産したときに「すくえる」発言をしたらしい。まさか、と思いつつ実際やってみたのだが、できなかった。だけど、出産直後だったら、できたかもしれない。

出産後のおなかの皮のたるみようは尋常じゃなかった。助産院の風呂場の全身鏡に映った産後一日目のわが身を見て、わが目を疑った。おなかを膨らませていた子どもと胎盤が出ていけば、おなかはぺったんこになる、とわたしは重大な勘違いをしていたのだが、張り合いをなくしたおなかが重力に負けて、ぽよよんとだらしなく垂れていた。「わ、年食ったキューピーみたい」と思わずつぶやき、しばらく鏡の前で呆然となった。ビキニを着なくなって久しいし、何も失うものなどないさ、と強気だったわたしも、さすがにひるんだ。子どもの頃、夢中になって遊んだ風船が、数日経つと、しわしわになって萎んでしまうのを見るのが悲しかった。そんなことを思い出した。あのときつまんだおなかの皮は、たしかによく伸びて、おたまにでもスコップにでもなれそうだった。

時間をかけて戻るから大丈夫よ、と助産師さんは慰めてくれた。空っぽになった子宮はゆっくりと元の大きさに戻っていく。伸びきっていたおなかの皮もじわじわと縮んでいく。母乳育児の減量効果も手伝って、産む直前に92センチあった腹囲は、産後6か月で65センチになった。産んだ直後は何センチあったのだろう。計っておかなかったのが悔やまれる。「体重は戻っても体型は戻りません」という名コピーに釣られて買った補正下着は、ムカデの足みたいなホックのつけ外しが面倒で数回着たきりだが、ウエストに関して言えば、「サイズは戻っても、張りは戻りません」という感じだ。あと数センチ減らせば妊娠前のサイズになるけれど、皮のぶよぶよ感は居残りそうな気配。風呂水はすくえないけれど、娘のたまはお風呂の中でわたしのおなかの皮を手すり代わりにギュッとつかむ。悪いことばかりではない。

2005年03月01日(火)  ビューラー巻き巻きに挟み撃ちされる
2002年03月01日(金)  『たまねぎや』と『サムラート』


2007年02月28日(水)  推定年齢

年齢を聞くのは難しい。いきなり聞くのはぶしつけだし、年齢を聞きあえる仲になるまでの間は、見た目や話しぶりからはじき出した推定年齢を念頭に置いて会話を進めることになる。子どもが同い年だから自分たちまで同級生のような錯覚をおこしてしまうけれど、ママ仲間の年齢層は20代から(下手したら10代もいるだろうけどまだ出会っていない)40代までと幅広い。対象年齢20代の服を愛用するわたしは、ちゃんと年齢相応に見えるらしく、「同じぐらいじゃない?」と同世代のにおいを嗅ぎつけた人が声をかけてくれる。これが誤差二才の範囲内で当たる。小学校時代にゲームウォッチやルービックキューブやリリアンが流行って、幼稚園から小学校低学年にかけてピンクレディーを夢中で真似し、小学校高学年の頃に明星や平凡を広げて「たのきんトリオで誰が好き?」と言いあってた世代だ。

「いくつ?」と聞かれて「6です」と一の位だけ答えられたりすると困る。36にしては若く見えるけど、26にしてはお疲れ気味。どっちだろう。咄嗟の反応に困る。そんなときは、こちらの年齢を告げて反応を見たり、さらなる会話の中に推理の手がかりを求めたりする。子ども同士が指をくっつけあうのを見て、「E.T.みたい」と喜ぶママは30代以上。公開は1982年。6才で観るとしても1976年に生まれていなくてはならない。

同世代だと思っていた人が20代だったり、30手前だと思っていた人が30代後半だったり、推定年齢と実際の年齢がかけ離れていることもある。でも、一度年齢を知ると、その年に見えてしまうから不思議だ。アメリカ留学時代、拙い英語でsixteenと年齢を告げたら、アンビリーバボーという顔をされ、「そんな年に見えない。すっごく若く見える」と驚かれた。どうやら相手にはsixtyと聞こえたらしい。46才の逆サバ。そりゃ驚く。sixteenは若さを協調してteenにアクセントがあるけれど、sixtyになるとアクセントも前のめりになる。

誰もが持っているものだから、年齢に関する笑い話はよくある。昔、女友達が初対面でけっこう彼女好みの男に「わたし、27なのよねえ」と切り出したら、相手は何を思ったか足のサイズと勘違いして「靴探すの大変じゃない?」という話になり、そこから延々と大きなサイズの靴を探す苦労話をしてしまったという。「わたしの足はそんなに大きくない」と彼女は憤慨していたけれど、怒るポイントはそこではない。年の数が足のサイズに化けるのも悲しいけれど、わたしの場合は、年齢が年代に化けた。ラジオドラマ『夢の波間』の収録後の飲み会で上杉祥三さんに年齢を聞かれて「33です」と答えたら、「昭和?」と予期せぬ反応。昭和33年生まれってことは、45才。12才も年食って見えるのか!とショックを受けた。「いやぁ、その若さであんなにええ本は書けんやろ?」という慰めは脚本家としては喜ぶべき褒め言葉なのだろうけれど、女性というもの、若く見られることにこだわる。この実年齢と生年の誤差」も年を重ねるごとに縮まり、8年後にはゼロになって「45才」と「昭和45年生まれ」が共存することになる。それ以降は、「昭和?」がお世辞になるのだな。楽しみだ。

2006年02月28日(火)  絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』打ち上げ
2005年02月28日(月)  フリーの人の確定申告
2004年02月28日(土)  「ブレーン・ストーミング・ティーン」著者贈呈本
2003年02月28日(金)  2003年2月のカフェ日記
2002年02月28日(木)  ヘンな弟よっくん

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