2007年02月20日(火)  ヘレン絵本四刷できました

映画『子ぎつねヘレン』から生まれた絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』の四刷の見本誌が届く。版を重ねるごとに帯も微妙に変化していて(左から一刷、二・三刷、四刷)、四刷には「かけがえのないもの、家族の絆、思いやる心、そして命の尊さ─ヘレンが教えてくれた、大切なこと。」とある。奥付の日付は今日2月20日。昨年3月21日の映画公開から一年近く経っても手に取ってくれる人がいる。「ブームで終わるのではなく、息永く読み継がれる絵本に」と編集会議で話し合ったことが現実になった。

わたしの本だからと買ってくれた友人や知人が「うちの子が気に入って読んでいるよ」と報告してくれる。二歳になる友人の長男君は読み聞かせてもらううちに暗唱してしまったという。会ったことのない人がメールをくれたり、ブログで紹介してくれたりしている。お母さんの代筆やひらがなの感想文に混じって、大切な人を亡くした年配の方からのお便りも届く。タイトル通り、おくりものにと何冊も買い求める人もいる。高校時代の同級生はいつも感動をプレゼントしてくれる大好きなアーティストへ、お礼代わりにおくった。半世紀前にお子様を突然死で亡くされた七十代の友人は四十冊広めてくれた。絵本にサインするとき、「生きることは おくりものを おくりあうこと」という言葉を添えている。絵本から生まれるやりとりを楽しみ、喜びながら、おくりものをおくりあっているなあと実感している。

2004年02月20日(金)  いい履歴書の書き方
2002年02月20日(水)  別世界


2007年02月19日(月)  近くて遠いアカデミー賞

先週の金曜日、昨年仕事をしたプロデューサーから事務連絡の電話があり、おひさしぶりです、などと話していると、「いま、アカデミー賞の授賞式に来ているんです。お手伝いで」と言う。「そうか、今日でしたっけ」と答えて、「なんだかアカデミー賞なんて、すごく遠い世界です」と続けた。もともと賞レースに絡む作品に関わったことはないので、子育てで遠ざかったわけではない。けれど、映画会社にちょくちょく打ち合わせに行ったりしていると、映画業界の年に一度のお祭りは必ず話題にのぼる。何がノミネートされたとか、何が本命だとか、なんであれが選ばれないんだとか、そういう話に加わっていると、お祭り騒ぎのおこぼれにあずかれるのだった。「僕だって遠いですよ」と電話の向こうでプロデューサーが言った。「会場にいても、遠いですか」「ええ、遠いです」。目の前で祭典が繰り広げられ、自分の見知った関係者が受賞するのを見ても、自分が手がけた作品が賞を取らなければ、他人事になるのだろう。すぐそこにあるのに触れない、手が届かない、そのほうが遠く感じるのかもしれないなあと思う。

2005年02月19日(土)  青春京都映画『パッチギ!』
2004年02月19日(木)  ツマガリのアップルパイ
2002年02月19日(火)  償い


2007年02月18日(日)  東京マラソン2007

第一回東京マラソン当日。ダンナが出場するのでわたしも無関係ではいられず、朝6時に起床して、餅を焼いて雑煮風にしたものを作る。「とにかく炭水化物」ということで、昨夜の夕食はうどんとごはんだった。9時10分の出走シーン(もちろん自分は映らないのだが)のテレビ中継を娘のたまと一緒にビデオに撮っておいてくれ、と頼まれ、テレビの前に風邪引きたまをお座りさせてビデオを回すが、まるで興味がない様子。眠ったりぐずったりを繰り返すたまの看病と子守をしながらテレビの前でレースを見守る。

先頭争いよりも、一般参加者のお祭り騒ぎを見ているほうが楽しい。受けを狙ってとんでもないカッコをしている人がいるのでは、と思ったけれど、急遽配られた雨よけのポンチョをかぶった人がほとんどでよくわからない。ベルリンマラソンでは走っている途中で挙式して婚姻届まで出すカップルがいた、なんて解説が入る。雷門前で立ち止まって写真を撮っているランナーがいます、そんな中継が微笑ましい。途中で配られる食べ物は事前に話題になったバナナのほか、チョコレート、あんぱん、人形焼、レーズンまである。あんぱんってパン食い競走みたい。人形焼を配るのは浅草だろうか、レーズン一万粒は手づかみだろうか。食べものの話題は楽しい。

出場者の家族でなくても世間の関心も高いようで、「ダンナさんどう?」とメールが続々舞い込む。公式サイトでゼッケン番号からラップタイムを検索できる(シューズに取り付けたタグの情報が送られる仕組み)と聞いていたのだけど、PC版も携帯版も混み合っているのかうまくつながらない。蔵前に住むママ仲間のトモミさんは急ごしらえのプラカードを作り、いつ通過するかわからないわがダンナを沿道で応援してくれた。

4時間38分かけて無事完走したダンナは「スタートラインを越えるまで8分」かかり、途中で「トイレ」の表示を見てコースを外れたら係員に「メトロの中になります」と言われ、地下鉄のトイレまで階段を上り下りして約5分のロス。いちばんの敵は寒さで、「もう少し気温が高ければ3時間台で走れた」と豪語する。配布されたポンチョが行き渡らず、かなり雨に打たれたところで誰かが捨てたポンチョを拾って着たのだが、すでに体が冷えきっていて、思うように走れなかったという。靴も水を含んで重くなるし、雨のレースはきつかった様子。体力の消耗も激しく、一切合財の食べものは先行者に食べ尽くされた後で、「飴玉いかがですかー」と厚意で差し出す沿道の人に蟻のようにランナーが群がったとか。ダンナもその恩恵にあずかった一人で、「あの飴玉で救われた」と感謝。「金持っている人なんかコンビニで買ってたよ」。同じレースなのに先頭集団との緊張感の落差がおかしい。

「変なカッコしてる人いた?」と聞くと、「いた、いた」の答え。30キロ地点でチュチュ風の白鳥男に抜かれ、「白鳥に負けるわけにはいかん!」と追い上げ、何とか追い越したが、35キロ地点まではヒヨコ姿の女性と並んでいて、これまたプレッシャーだったと言う。ヒヨコならうちにも酉年の年賀状の撮影に使った衣装がある。わたしが出るときはそれ着ようかな、と言ったら、キミには42.195キロは無理だから、と断言された。自分に務まるかどうかわからないけど、妙に足の速いヒヨコって面白い絵になりそう。

2004年02月18日(水)  父&ダブルまさこでディズニーシー
2002年02月18日(月)  函館ラ・サールニュース


2007年02月17日(土)  マタニティオレンジ80 はじめての風邪

誕生日にもらったわたしの風邪が娘のたまにうつってしまった。母親からプレゼントした免疫は半年で切れると聞いていたけれど、あと一週間で6か月というときに、はじめての風邪を引くことになった。鼻水が止まらなくなり、続いて咳がコンコン出て、昨夜、咳き込んだ拍子にどばっとヨーグルト状になった母乳を吐いた。すぐさま育児の百科で「乳を吐く」を引くと、肝心の6か月前後の記述は見当たらなかったけれど、「咳き込んだ拍子に吐くのはよくあること」というニュアンスを読み取り、とりあえずひと晩様子を見ることに。今朝起きがけにまた吐いたので、こりゃいけない、と近所の小児科へ。朝8時からやっているのだが、8時に着くとすでに9人待ちで、診察を受けられたのは45分後だった。

熱はない。喉も腫れてない。風邪の引きはじめでしょう、という診断。鼻水が痰になると苦しいので、吸引機で吸い取ることに。診察をいやがって泣き叫んだたまの涙をまず吸い取ってくれる。吸引だけでも来ていいですよ、と言われる。処方箋をもらい、病院の近くの薬局で薬を受け取る。乳幼児保険証があるので、診察も薬も無料。ありがたい。薬用のカルテを作るために用紙に記入していると、窓口のお姉さんがのぞきこんで、「何とお呼びしますか」と聞く。「たまと呼んでください」と言うと、「いえ……なんとお読みしますか」とあらためて聞かれる。呼び名はお呼びではなかった。親バカにつける薬はありません。

風邪を引いても、遊んでくれ、かまってくれと訴える元気はある。いつもよりさらに甘えたになって、一日中抱っこをせがむ。でも、踏ん張る足の力は弱く、寝返りもしない。体力が涙目になって咳き込む姿を見ると、こちらが泣きたくなる。シロップの薬をスプーンで飲ませながら、「離乳食に向けて、スプーントレーニングだ」と不幸中の幸い探し。「風邪に〜な〜って〜 風〜邪にな〜って〜♪」と歌いあやしながら、はじめての看病をなんとか明るく乗り切っているところ。

2006年02月17日(金)  学生新聞「キャンパス・スコープ(campus scope)」取材
2005年02月17日(木)  魔女田さんの新作『平成職人の挑戦』
2004年02月17日(火)  オーマイフィッシュ!


2007年02月16日(金)  マタニティオレンジ79 旅行気分の谷中界隈 

穴場のカフェ探しに注いでいた情熱を、今は子連れで出かけられる場所探しに注いでいる。椅子よりはソファ、ソファよりは畳がありがたい。だったらあそこはどうだろう、と益田祐美子さんに教えてもらった日暮里のペルシャ料理屋ZAKUROを思い出した。床に並べた板を囲んで、絨毯に座って食べるスタイル。赤ちゃんを転がしておけるし、イランの家庭で宴会をやっているようなガヤガヤ感のあるお店なので、多少ぐずっても大丈夫そうだ。念のため電話して「おむつを替えるスペースはありますか」と聞いたら、「すみっこで替えてもらっても」。そういう返事を期待していました。

ランチタイムは11時から3時ということで、ピーク時を避けて1時に集合。メンバーはビクス仲間のトモミさんと5か月半のミューちゃん、レイコさんと6か月半のレミちゃん、トモミさんの台東区ママ仲間のユキさんと4か月半のホホちゃん、わたしと5か月半のたまの母娘四組。ナツメヤシをつまみながらシナモンのお茶を飲んでいると、ナン、米、おこげ、オリーブ、羊のヨーグルト、米と野菜のスープ、ペースト状のセロリ、一見ケーキのサラダ(ポテトとビーツらしきもののマッシュを層に重ねた上からヨーグルトがかかっている)、豆のトマト煮込み、羊のスープで煮た丸ごとにんにく、チーズと野菜の春巻き風揚げ物……皿が押し寄せ、床のテーブルを埋めていく。順不同でショートケーキが差し入れられ、すっかりおなかいっぱいでまったりしたところに、「サモサ食べたいって言ってたから」とサモサの中身を大きな皮に包んだ揚げ物が到着。これで1000円。まいりました。娘たちは手こずるほどにぐずることはなく、授乳したりおむつ替えしたりしながら3時過ぎまで居ついてしまう。

ZAKUROは日暮里駅から谷中の商店街へ向かう手前にある。店を出て、商店街をひやかして帰ることに。と、前方から遠近感が狂いそうな体格のいい集団が来る。たくましい肩にカメラや機材を担いだ数人に混じって、あ、まいうーの人だ、と石塚英彦さんとパパイヤ鈴木さんの姿を見つけるが、その二人が小さく見えるほど集団のサイズ平均値が高い。よく食べる番組なのでスタッフ一同増量傾向にあるのだろうか。あちらはあちらで、すれ違いざま、「なんだなんだ、赤ちゃんがいっぱい」「お宮参りか」と反応していた。

商店街は距離は短いけれど食べもの屋率が高くて楽しい。二日前に製造して本日入荷したばかりのかりんとう(210円)を買うと、「前だっこは出るとき足元気をつけて」とお店のおじさん。中ほどにあるパン屋で明日の朝食用のパンを買い、商店街の突き当たりを折れたパン屋でおやつのドーナツを買う。

お茶して帰るというあとの三組とはそのパン屋で別れたのだけど、パン屋を出てバス停に向かって歩いていると、追いついてしまった。途中の店に立ち寄ってたと言う。「たまちゃんに絶対似合うねって言ってた服があるの!」と興奮気味に言われ、みんなでその店まで引き返す。宮 kyuという手作りの服と雑貨のお店。たまに似合う、と噂されていたのは大胆に金魚を配したオレンジのつなぎ。皆さんよくわたしの趣味をわかってらっしゃる。でも、最近はセパレートのものを着せるようになったので、つなぎは卒業しつつある。「60センチの頃に出会いたかったです」と残念がりつつ店内を見回すと、わたしが着られるサイズの服もある。授乳によさそうなAラインの長袖Tシャツを購入。お店の人とのおしゃべりも弾んで、旅先で記念のおみやげを買っているよう。お金とモノを交わすだけじゃなくて、言葉も飛び交って、気持ちも通い合って、こういう買い物って楽しい。

谷中って面白いなあ、また来ようっと、と思いながらバスを待っていたら、「あんたあんた、早く」とおばあさんが駆け寄って来る。到着したバスに赤ちゃん連れのわたしを真っ先に乗せようと、先頭へ誘導してくれたのだった。後から乗り込んだおばあさんは、わたしが席に着いたのを見て、「座れてよかった」とにっこり。これまた土地の人に親切にされた旅人の気分を味わう。

2006年02月16日(木)  『WEL-COME to パラダイス』と少年山賊団
2005年02月16日(水)  不思議なピンクの水、「ナーガ」水。
2002年02月16日(土)  パコダテ人@スガイシネプレックス


2007年02月15日(木)  マタニティオレンジ78 遅速を愛す哉 

出産したことと関係あるのかどうか、このところ新聞で紹介されている短歌や詩に心を打たれることがふえた。五七五七七なり五七五に込められた思いを以前より感じ取りやすくなった気がする。何日か前に見かけた「二もとの梅の遅速を愛す哉」という与謝蕪村の俳句にはとくに感心して、何度も口に出してつぶやいている。二本の梅の木があり、日当たりか何かの違いで、咲くタイミングに微妙な差が生まれる、そのことを愛でている。そのようなことが解説には書かれていた。

早く咲くのもよし、遅く咲くのもまたよし。わたしにはこれが子育てにも通じるように思える。だからこそ、この句に惹かれるのかもしれない。首すわり、おすわり、寝返り、ハイハイ……同じ頃に生まれても、早い遅いの差が生じる。月齢が遅い子のほうに先を越されることもある。髪が伸びるスピードも、おっぱいを飲むのにかかる時間も、おむつのサイズが変わる時期も、言葉をしゃべりだすタイミングも、みんな違う。それでも、自分の子ができたときはうれしいし、人の子ができたときもうれしい。自分の子の分と、人の子の分と、成長を確かめられる機会が何度もあることを喜びたいと思う。いくたりの子らの遅速を愛す哉。

2002年02月15日(金)  ゆうばり映画祭3日目


2007年02月14日(水)  松井久子監督の第三作を応援する会

差出人「松井久子監督の第三作を応援する会(通称マイレオニー)」の封書が届く。98年に『ユキエ』で映画監督デビューし、02年に第二作『折り梅』を公開した松井久子監督の第三作『レオニー』(仮題)を実現させるための応援ネットワークへの参加を募る案内。昨年、『風の絨毯』プロデューサーの益田祐美子さんの紹介で監督と名刺交換させていただいた縁で送られてきたよう。

リーフレットのキャッチコピーは「レオニーに会いたい」。レオニーとは彫刻家イサム・ノグチ(「イサムノグチ」を変換すると「イサムの愚痴」と出た)の母レオニー・ギルモアのことだという。イサム・ノグチという人物にはとても興味を覚えているけれど、その母のことはまったく知らなかった。日本から来た青年詩人ヨネ・ノグチと恋に落ち、彼の子を身ごもるが、それを知らされた途端、ヨネは日本に帰国。レオニーは混血の子を産み、働きながら一人で育てる。日系人差別から逃れて渡った明治後期の東京で、異邦人のシングルマザーとして生き抜きながら、彼女がわが子に授けたのは、豊かで美しい日本文化……というあらすじを読んだだけでも、この女性をもっと知りたい、映画で観てみたい、という気持ちになる。

題材の魅力ももちろんあるのだろうけれど、松井監督自身にも「この人の次回作を観たい、応援したい」と思わせる強い引力があるらしい。マイレオニー事務局では10万人の応援ネットワークを目指すと意気込んでおり、賛同人にはジャーナリストや作家や大学教授や党派を超えた議員らが名前を連ねている。「最短の目標は、春の製作発表、秋のクランクイン」という段階から「松井監督の第三作」を一緒に実現させようという波が起こっている。多くの人に望まれ、求められ、その思いに押し出されるようにひとつの映画が生み出されるとしたら、送り手にとっても、受け手にとっても、これほど幸せな共同作業はないだろう。レオニーを待望する波がどのようなうねりに成長していくのか、とても楽しみである。

マイレオニーのサイトでも最新情報を見ることができる。3月14日には「あなたの人生の選択〜女性が決断する時」と題して〈新しい、観るカタチ〉10万人キャンペーンのキックオフイベントが開催される。松井監督のほか、賛同人でもあるタレントのちはるさん、衆議院議員の野田聖子さんが出席、アナウンサーの草野満代さんがコーディネイターを務める。レオニーの人生も紹介しながら、「人生の節目で選択・決断を求められる女性」がいかに人生を選び取っているかを語り、考えるトークイベントのよう。入場無料で申込み先着400名を招待。この日記を書いている16日の21時現在、まだ受付中。

2006年02月14日(火)  一度泊まってみたいチョコレートのホテル
2005年02月14日(月)  5年ぶりにケーキを焼く
2002年02月14日(木)  ゆうばり映画祭2日目


2007年02月13日(火)  マタニティオレンジ77 一年先を想像する 一年前を振り返る 

大学の応援団の後輩かじかじ君と一昨年結婚したマサコさんが遊びに来る。彼女がうちに来るのは三回目。一回目は夫婦で来たのだが、二回目は「赤ちゃん見に行っていいですか」と一人で現れ、「子どもがほしいんです」と言うので、「妊娠はうつるっていうから、うつるといいね」と「気」を送ったら、今年になって「うつりました!」と連絡があった。予定日は8月15日というから、ほぼわたしの一年後になる。わたしも8月6日生まれの近所のまゆたんを見ながら「一年後はこんな感じかあ」と想像し、先輩ママのキョウコちゃんにあれこれ聞いていたのだが、今日は同じことをマサコさんにされる番になった。産み月が同じだと、必要な物のアドバイスもしやすい。「夏生まれは、産む前は暑いけど、育てるのはラクだよ」と話す。

近所のインドカレーをテイクアウトしてうちで食べていたのだが、受け狙いとしか思えないタイミングで、娘のたまのおむつが爆発。一年前、安定期に入ったばかりのわたしだったらドン引きするところだけど、マサコさんは「楽しいエピソードが増えました」と落ち着いたもの。産む前から赤ちゃんの生態を受け入れているってすごい。

マサコさんが帰った後で、一年前のわたしはどんな感じだったんだろ、と手帳を引っ張り出して2月13日の週を見てみた。打ち合わせと脚本直しの合間に取材と飲み会と映画と芝居。翌週に産婦人科の予約が入っていて、かろうじて妊婦の予定表だとわかる。母になる自覚が芽生えるのはまだまだ先の話だった。

2004年02月13日(金)  ウィーリー・ウォンカのチョコレート工場
2002年02月13日(水)  ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 1日目


2007年02月12日(月)  MCR LABO #1「運命」@shinjukumura LIVE

G-upの赤沼かがみさんからMCR LABOの第一回公演の招待案内が届く。「小細工抜きのせめぎあいがしたくて」MCR LABOを立ち上げ、「シンプルで力強い、卵かけご飯のような美味しさをもつ企画」を見せるという作・演出のドリルさんの言葉に意気込みと勢いを感じる。LABOと名乗るように、毎回の舞台はどんな化学変化が起こるか未知数な実験であり、観客にその立会人になってもらうという考えのよう。こういう試みは、わたしのシナリオのご意見番・アサミちゃん好みなのでは、と彼女を誘ってみた。

劇場は西新宿にあるSHINJUKUMURA LIVE。ここが新宿!?と疑うようなのどかな空き地の先に建っている。殺風景なハコをイメージしていたら、中は布のあたたかみとやわらかさがあふれて大きなリビングルームのような空間だった。三方を客席に囲まれたステージは出演者三人のオムニバス作品にはちょうどよい大きさ。チラシによると、MCR LABOでは「テーマを設定したオムニバス作品を少人数で上演」し、「それはどれも、日常に当然の様に降りかかる二文字の事柄」であり、第一弾のテーマは「運命」。といっても描かれているのは、運命的なとか宿命とかいった劇的なものではなく、運命のいたずら的なもの。そのちょっとした「フツーではない状況」をつかみの短時間で示し、観客を登場人物たちの置かれた立場に引きつけ、運命共同体にしてしまう。間の悪い現場に居合わせてしまった三人が見せる「運命」との距離感、互いとの力関係が微妙に変化していく過程が面白い。「笑いは間合い」だとNHKの『課外授業ようこそ先輩』で語った落語家は志の輔さんだったか。台詞のやりとりの呼吸、言葉や動きの力の入れ加減(抜き加減)、空気を変える瞬間を差し込むタイミング、間の取り方が実に絶妙。

わたしとアサミちゃんがとくに気に入ったのは、二話目の「徘徊の隙間」。ゾンビに噛まれて瀕死の友人を担いでビルの狭い部屋に逃げ込んだ男二人が、迫り来るゾンビ集団という外からの恐怖と、潜在的ゾンビである友人という内に抱えた恐怖の間で身もだえる。生きている友人を邪険にできないが、死んでゾンビに豹変したら襲われる。ゾンビになる瞬間を見極めようとするが、友人は死にそうでなかなか死なない。いつゾンビるか、もうゾンビるか、とはらはらさせてはぐらかすジェットコースター的展開。緊張の後の弛緩は笑いを呼ぶのだと実感。男二人が必死になればなるほど客席はよく笑った。ゾンビの形態模写がけっこうリアルで、「夢に出そうだね」とアサミちゃんと話していたら、本当に夢に出てきた。フロイト曰く、夢は欲望の充足。わたしもゾンビに取り付かれてしまった。

ところで、この話に出ていた絶対王様の有川マコトさんをinnerchildの小手伸也さんだと思って観ていた。どちらも存在感のある体格と声をしているけれど、並べてみると全然違うのだと思う。でも、似ていると思う人はいるのだろうか。そんなことを聞ける人が身近にいないのが残念。

帰り道、「演劇は奥が深いねえ」「層が厚いねえ」とアサミちゃんとしみじみ語る。力と才能が有り余っている人たちがたくさんいる。掘っても掘っても掘りつくせない宝の山のよう。作・演出のドリルさんって何者なんだろうと調べたら、劇団MCRの主宰で役者名は櫻井智也、「徘徊の隙間」に出ていたとわかる。ゾンビの人かな。

MCR LABO #1「運命」
作・演出:ドリル
プロデューサー:赤沼かがみ

「修羅場詰め将棋」
辰巳智秋(ブラジル)
伊波銀治(TEAM 発砲・B・ZN)
北島広貴(MCR)

「徘徊の隙間」
有川マコト(絶対王様)
瀧川英次(七里ガ浜オールスターズ)
櫻井智也(MCR)

「事故(みたいなもの)」
宇鉄菊三(tsumazuki no ishi)
康ヨシノリ(康組)
宮本拓也(MCR)

「あさはかな魂よ、
慈悲深い雨となって
彼女の髪を濡らせ」
児島功一(劇団ショーマ)
森岡弘一郎(無名塾)
福井喜朗(MCR)

MCR LABOの実験は一年をかけて続く模様。
#2「無情」3/19-21 下北沢駅前劇場
#3「審判」5/15-20 shinjukumura-LIVE
#4「愛情」7/11-16 shinjukumura-LIVE

2006年02月12日(日)  『子ぎつねヘレン』完成披露試写
2005年02月12日(土)  浸った者勝ち映画『ネバーランド』
2004年02月12日(木)  本のお値段
2003年02月12日(水)  ミヤケマイ個展 MAI MIYAKE EXHIBITION2003


2007年02月11日(日)  切り抜く代わりに書き抜き新聞記事

出産前に家の大掃除をして、かなりモノを捨てたのだが、その大半が新聞紙だった。目に留まった記事を片っ端から切り抜いて、「人」「病」「言葉」「老」といったジャンル別に分類してファイルに納めていく、ということを脚本を書き始めた頃からやっているのだけど、整理する時間が取れないままに、切り抜いただけの記事が溜まりに溜まって山となり、雪崩を起こして床を覆いつくしていた。そのひとつひとつを読み返し、いるものといらないものに分けるだけでも軽く数週間かかったのだが、なぜ切り抜いたのかわからない記事がかなりあり、半分ぐらいは迷いなく捨てられ、手元に置いておく必要を感じたものはほんの少しだった。古い記事には90年代の日付があり、当時は目新しかったものが時の流れで色あせてしまった、ということもあった。

そういうわけで、最近は、よっぽどの記事でない限り切り抜かないことにしているのだけど、あいかわらず誘惑に駆られてはハサミを握りそうになる。「思い出は甘く ケーキの飾り付け」は昨年12月3日の毎日。来春から取り壊される小学校の円形校舎をクリスマスケーキに見立ててろうそくやイチゴなどのオブジェを飾り、ライトアップ。小学校は兵庫県の湯村温泉にあり、温泉の旅館飲料組合が企画したとのこと。「睡眠時を除く一生をビデオで録画し続け、テレビで見られる程度にデータを圧縮すれば50テラバイトで足りるという。1テラバイトのハードディスクが10万円程度で買える今、500万円で一生が記録できる」(1月4日 朝日)。だけど、思い出という付加価値の部分は録画できない。記録は記憶を呼び覚ます手がかりにはなれても別物なのだと考えさせられる。

「開店!王妃のタコヤキ店」の見出しは、1月6日の読売夕刊。インドネシアの古都ジョグジャカルタで現地王室の王妃がタコヤキ店を開店。本文を読むと、一昨年知ったサイト『インドネシア黄金の繭』(>>>2005年2月24日の日記)で紹介されていた王室だと気づく。サイトで紹介されていた王妃の披露宴の模様も見ていたので、あの王妃とわが故郷の味がつながったとは、とうれしくなる。1月7日の朝日Beサイエンス版には「220枚の硬貨から成る284円」と題する中ザワヒデキ氏のアート作品。220と284は『博士の愛した数式』にも登場する「友愛数」で、片方の数字のその数以外の約数を足すと他方の数字になる。この関係性を目に見えるアートにしようという発想がお見事。「308620枚の硬貨から成る389924円」まである。

2月7日読売夕刊には「5000年の愛」の見出しと、抱き合う二体の白骨のカラー写真。5000〜6000年前、新石器時代に埋葬された若い男女とみられるという。昔、考古学者が発掘した男女の人骨と学者が三角関係に……というラジオドラマを考えた(「おしゃべりな骨」というタイトル)もののディレクターに「変なこと考えますね」の一言で片付けられたけど、事実はドラマより奇なり。これだから国際面も目が離せない。そこだけ手でちぎったので日付が不明だけれど、パソコンでの変換ミスコンテストの応募作品、「お客彷徨う(様用)トイレ」「遅れてすいません。怪盗アンデス(回答案です)」にも笑った。

2004年02月11日(水)  口福の餃子
2002年02月11日(月)  こどもの詩

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