2006年09月10日(日)  マタニティオレンジ5 卵から産まれた名前

おなかの赤ちゃんに話しかけるとき、用意している名前やそれにちなんだあだ名で呼びかけるのが一般的なのだろう。うちは男の子になるか女の子になるかわからなかったので、卵にちなんで「たま」と呼んでいた。

アザラシのたまちゃんが人気者になった(他の川の名前をつけられたアザラシは、それほど人気が出なかった)のは呼びやすい名前の力もあったのではと思えるほど、「たま」という名前の響きは愛らしくて、呼べば呼ぶほど愛着が湧いてくる。野球中継で「タマホーム」の看板を見つけるとうれしくなり、「子宮はタマホームか」などと思ったりした。

最初は夫婦の間だけでの呼び名だったのだが、そのうち親や友人と話すときも「おなかのたまが喜んでる」「たまが産まれる頃には」などと言うようになり、いつの間にか周囲も「たま」「たまちゃん」と呼ぶようになった。出産のときも「たま、がんばれ〜」と呼びかけていたので、産まれると助産師さんは当然のように「たま」と呼んだ。

用意していた名前はあったのだけど、今さら他の名前では呼べない。結局、「たま」ではじまる名前をつけ、「仮称:たま」は晴れて正式の呼称となった。

「たま」というと猫の名前みたいだけど、「おなかのポチは元気ですか」と言ったのは、ご近所仲間のT氏。猫のたま、犬のポチ。気持ちはわかるけど、たまなのよ〜。

そんなT氏が彼女のM嬢とともに「たまちゃんプリンです」と持ってきてくれたのは、鎌倉・湘南の洋菓子店鎌倉ニュージャーマンのたまごカッププリン。プラスチックの卵の器は、小物入れに使えそう。

わたしがハートのものを集めているように、たまは卵のものを集めるようになるかもしれない。

2005年09月10日(土)  『チャーリーとチョコレート工場』初日
2004年09月10日(金)  原始焼『七代目寅』in English?
2002年09月10日(火)  大槻ケンヂ本


2006年09月08日(金)  マタニティオレンジ4 男の子か女の子か?

妊娠を知った相手に聞かれた質問第1位は、「予定日は?」を抜いて、「男、女どっち?」だった。「産まれてのお楽しみにしているんですよ」「出たとこ勝負です」などと答えると、反応はまちまちで、「準備するものとか不便じゃない?」「名前はどうするの?」と心配したり、「どっちだとうれしい?」「どっちだと思う?」と面白がったり、「知りたくないのは、何かポリシーでもあるの?」と不思議がったり。

とくに深い理由はなくて、ただ「産むときの楽しみがひとつでも多いほうがいい」と思い、助産院でお世話になる助産師さんに「男か女か教えないでくださいね」とお願いした。だけど、エコー検査のときにうっかり「ハンサム君だね」と助産師さん。すぐその後に「あれ、男だっけ女だっけ?」ととぼけられたけど、「教えないでって言ったのに……」とクイズの答えを考えている間に正解を告げられた気分に。その日のエコー画像に「それらしき影」がうっすら写っているのも見えてしまった。

数週間後、助産院と提携している病院で検診。エコーを見ながら先生が「男でも女でもいいんでしょ」と言うので、「楽しみにしときたかったんですけど、男の子ですよね?」と答えると、「どうして?」と先生。「こないだ写ってた気がしたので」と言うと、「そう? 今日は写ってないみたいだけど」。先生のおとぼけで、男か女か論争は白紙に戻された。

おなかが目立ってくると、スーパーのレジのおばちゃんや通りがかりのおばさんからも「男、女どっち?」と聞かれるようになり、すっかり聞かれ慣れたわたしは「どっちだと思います?」と聞き返すようになった。すると相手は自分の推理と根拠をうれしそうに教えてくれる。圧倒的多数が「男」と答え、その根拠は「おなかが突き出ているから」が一位。「顔つき」で判断した人も多かった。「みなさん、男って言うんですよ」と返すと、「そうでしょう」と胸を張るおばちゃんたちは、子育ての先輩らしく「暑くて大変ね」と労ってくれたり、「塩分もほどよく摂ったほうが夏バテ防止にいいのよ」などとアドバイスしてくれたり。人と話すのが好きなわたしは、大きなおなかのおかげで見知らぬ人に声をかけられるのが楽しかったし、親戚でもない人が自分の娘のことのように気にかけてくれるのがうれしかった。

たくさんの人に「楽しみね」と言われ、ますます期待が高まる中で出産を迎え、いざ対面してみると、「わ、女の子!」。世論に流されて、9割がた男だと思い込んでいたので、びっくり。産まれたわが子が最初にくれたサプライズだった。

2005年09月08日(木)  文芸社パンフレットの取材
2004年09月08日(水)  東銀座の『台湾海鮮』
2003年09月08日(月)  「すて奥」作戦


2006年09月07日(木)  マタニティオレンジ3 「食事のおいしい産院」で産みたい!

近所のレディースクリニックで二度目の検診を受けたとき、「出産はどちらの病院でされますか?」と聞かれ、「ここで産みたいと思ってます」と即答した。家から徒歩五分、ここなら這ってでも来られる。ところが、「うち、分娩設備はないですよ」。急遽、産院を探すことに。

一人しか産まない可能性も高いし、贅沢してみるか、とセレブ出産で知られる病院で出産した友人に「どうだった?」と聞いてみると、「確かに値が張るだけあって(※出産入院費用は通常の約二倍の80万円〜)至れり尽くせりなんだけど、私は使いこなせなかった」という答え。「でも、食事なんかは豪華だったでしょ」と聞くと、「普通の病院食よ。まずくはないけど、すごくおいしくもなかった」と言う。

それを聞いて方針転換。入院したことのないわたしは、「病院での食事は、空の旅における機内食のように大切な位置を占めるに違いない」と想像していたので、食事が普通では困るのだった。「食事がおいしい 産院」をネット検索してみたところ、ヒットした助産院は家からのアクセスもよく、電車で7分、歩いて45分。「魚河岸直送の母乳にいい食事」とサイトで紹介されている写真もおいしそう。

こうして食事が決め手で選んだ助産院での出産。期待した食事はもちろん、産前の指導も産後のフォローもばっちり。検診のときから出産まで同じ助産師さんが診てくれ、専属のコーチがついたような頼もしさがあった。待ち時間は短く(わたしの場合は一度も待たされなかった)、一回の検診にじっくり時間をかけて、話を聞き、話を聞かせてもらえる。検診のたびに、どんどん出産が楽しみになった。実際、「思い残すことなし!」な出産ができたと思う。わたしにとってはいいことづくめだった助産院での体験は、書きたいことがたくさんあるので、あらためて、少しずつ。

2004年09月07日(火)  韓国のカメラマン Youngho KWONさん


2006年09月06日(水)  マタニティオレンジ2 着たいがない!

わたしが産まれた頃、ベビー服はあまりバリエーションがなかったらしいけど、今では選び放題。カラフルで凝りまくりのかわいいデザインが競い合っている。お祝いで届くベビー服の包みをほどいては、「入るんだったら着てみたい!」「大人サイズがあればペアルックで着るのに」と思ってしまう。(相当痛いことになるので、実際はしません)

それに引きかえマタニティ服は着たいものがなかった。子宝にご利益があるという水天宮のある人形町のマタニティショップ街を歩けども見当たらず、ネットで「かわいい マタニティ服」を検索して引っかかったサイトを片っ端から訪ねてもピンと来ない。エンジェリーベはマタニティに見えないオシャレな服が充実しているけど、わたしが着たい服とはちょっと違った。韓国・ソウルのマタニティ服を紹介しているVIVIENのラインナップはかなりキュートでわたし好み。でも、知ったときには、もう臨月。結局SweetMommyのコットンチュニックワンピース(素材は気に入ったけど、シルエットがいかにも妊婦で、一度着て封印)とウエストを64〜100センチに調節できる美脚カプリパンツ(これは使えた。産後も愛用)を買ったのみで、あとはありもので対応。寸胴のわたしのワードローブを見渡せば、ウエストゆるゆる服のオンパレード。

Aラインのワンピースは臨月まで、ベイビージェーンキャシャレルのウエストふっくらトップは8か月まで着られた。着ているものが変わらなかったため、妊娠に気づかれにくく、単に「太った」と思った人が多かったらしい。

他に活躍したのは、エルロデオのスパッツ。ゴムのウエストは伸び放題。緩めなくても締め付けられることなく、陣痛当日まで着られた。妊婦仲間のユメちゃんが愛読していたアメリカのロングセラーマタニティ本に「夫のワードローブはマタニティ服の宝庫」とあったのを聞いて、押入れに眠っていた海外土産のデカTを発掘。「HAWAII」やら「HANOI」やら書かれたTシャツにスパッツという悪趣味なストリートダンサーのような組み合わせが臨月の定番コーディネイトとなった。

いま困っているのは、授乳服。「見せない授乳」の工夫をこらした服があるということ自体、産んではじめて知ったわけだけど、この授乳服がマタニティ服に輪をかけて地味! 友人たちには「今井がモノトーン化している!」と驚かれたり、「産んで落ち着いたか」と勘違いされたり。ベイビージェーンキャシャレルで作ってくれないだろか。

2004年09月06日(月)  シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?
2002年09月06日(金)  ミナの誕生日


2006年09月05日(火)  マタニティオレンジ1 マタニティブルーの逆は?

8か月前の1月5日、近所のレディースクリニックで「おめでとうございます」と告げられたときには妊娠7週目だった。年末から年始にかけてとにかく眠くて、寝正月を通り越して「眠り病では?」と疑うほどよく寝た。4日の夜になって「もしや……」と妊娠検査薬を試してみたところ、ビンゴ。翌日の診察で確定となった。

会社を辞めて脚本業に専念するようになり、仕事も順調に舞い込んでいる矢先のこと。最初に頭を過ぎったのは、「まさか、これからってときに……」だった。でも、次の瞬間、「いい年して、まさかはないだろ」。いつかは欲しいけど、今じゃなくていいやと思っているうちに、36才。授かった今が産みどきに違いない。めったに体験できないマタニティライフ、どうせならとことん楽しもう、と発想を転換。

妊娠〜出産〜育児はわたしには未知の世界で、体験してみなきゃわからないことだらけ。たとえば、妊娠検査薬。以前ドラマで検査薬の小窓を見つめて色が変わる瞬間をはらはらして見守るシーンがあったけど、7週目ともなれば、待つ間もなく一瞬でくっきり線が出る。「早っ」と驚きつつ、「リアリティだぁ」と妙に感心。この調子で面白がっていれば、マタニティブルー知らずで出産まで楽しく過ごせるはず。そうだ、エピソードを書きとめておこう、と用意したファイルのタイトルが「マタニティオレンジ」。そのときは、「マタニティブルー」は出産前のユーウツ(結婚前のマリッジブルーの応用)だとばかり思っていて、産後にホルモンバランスが崩れて襲われて気が滅入ることだとは知らなかった。

「とつきとおか(十月十日)」とよく言うけれど、実際におなかの中にいるのは約9か月(ヒュー・グラント主演の"Nine Months"って映画もあった)。わたしの場合、妊娠を知ってから出産までは7か月半。はじめてのマタニティライフはめくるめく刺激と感激の連続で、色に例えると、やっぱりオレンジだった。

2005年09月05日(月)  あたり前田のクラッカーと551蓬莱
2004年09月05日(日)  映画女優 高峰秀子『チョコレートと兵隊』


2006年08月22日(火)  新作誕生

昨年から準備を進めていた新作が本日未明産声を上げました。3238グラムの女の子です。たくさんの方の理解と協力に支えられ、出産間際まで作品を育むことができ、贅沢で充実した十か月でした。ネタの宝庫、マタニティライフのエピソードは、この日記で紹介していく予定です。まずは日付が変わらないうちにご報告。

2004年08月22日(日)  H2O+H2=H4O(水素結合水)
2002年08月22日(木)  鼻血で得意先ミーティングに遅刻


2006年08月16日(水)  売れ行き好調『子ぎつねヘレン』DVD

8月30日にリリースされる『子ぎつねヘレン』DVDの見本版が届く。「立派になったなあ」と誇らしい気持ちで送り出した3月18日の全国公開から、間もなく5か月。手乗りサイズになって帰ってきたヘレンに、あらためて愛おしさとうれしさがこみあげる。でも、パッケージのどこにもクレジットがなくてショック。これまでの作品のDVDには入ってたのに……。今回は作品の大きさに今井雅子のネームバリューが追いついてないということですね。ヘレンで大きくしてもらったようなものだし。

おかげさまでセールスは好調。一家に一枚、子ぎつねヘレン。予約割引のある今のうちにぜひどうぞ。amazonなら25%OFF。DVDは¥3,465→¥2,599、パペットパックは¥5,460→¥4,095(税込み)に。

2005年08月16日(火)  いいにおいのお芝居『おじいちゃんの夏』
2004年08月16日(月)  伊豆高原のアンダティバリゾート
2003年08月16日(土)  6人で400才
2002年08月16日(金)  持ち込み企画


2006年08月12日(土)  土曜ミッドナイトドラマ『快感職人』

7月8日からオンエアがはじまった初挑戦の連ドラ『快感職人』(テレビ朝日 毎週土曜25;25〜55)。全10話のうち7・8話(脚本は佐藤久美子さん。これまた面白いです)を除く8話分を書かせてもらい、今週ようやく最終話が決定稿になった。5月の終わりに話が来て、1話を書き始めたのが6月の頭。1話30分×8話分とはいえ、まるまる二か月かかっている。それでも映画に比べたら、びっくりするスピード。脚本を刷ってからオンエアされるまでにひと月もかからないなんて。

CMとタイトルバック、エンディングを除くと、ストーリーにかけられる時間は20分ちょっと。その中に盛り込むテーマとメッセージを決め、ドラマを作っていく。一話完結のペース配分は大事だけど、毎回同じパターンだと飽きられる。お約束の「癒し」にどうアプローチしていくか考える作業は新鮮で、面白くて、勉強になった。映画のホン作りとは違う筋肉を使う感じ。仕事するメディアや相手が変わると、気づかされることがいっぱいある。

印刷所から脚本が届く封筒には「今井雅子様 快感職人」とでかでかと書かれていて、自分が「快感職人」になった気分。わたしの指先から紡いだエピソードが観ている人を少しでも「いい気持ち」にできたらうれしい。

オンエアがはじまってひと月半。放送のなかった週が2回あり、今夜でようやく4話終了。CMがどのタイミングで入るかも見たいので、今のところリアルタイムでキャッチしているけど、オンエア時間も流動的で来週の第5話は25時55分から。5話にはとくに思い入れがあるので、夜更かししている人はぜひ観てください。

2005年08月12日(金)  宮崎あおいちゃんの『星の王子さま』
2002年08月12日(月)  お笑い犬トトの思い出


2006年08月06日(日)  アシナガバチの巣

ベランダの鉢植えに水をやっていて、二日前には気づかなかった蜂の巣を発見。子どもの頃は近所の家の軒下に蜂の巣が出来ては大騒ぎしたけど、大人になってからこんなに間近で見た事はなくてギョッとする。

友人たちに相談すると「ハチのことなら役所に聞け」。これって常識?区役所のサイトを見ると「スズメバチの巣に関しては区で除去しますが、他は自分でやってください」とあり。マーブル模様のスズメバチの巣とシャワーヘッド状のアシナガバチの巣の見分け方が出ている。うちに出現したのはスズメバチではなくアシナガバチの巣だとわかるが、「アシナガバチ」を調べてみると、「スズメバチ科アシナガバチ族」となっていて、やはり不安になる。「よっぽど刺激しない限り攻撃してこない」らしく、「害虫も食べてくれる」ので、「できるだけ駆除しないであげましょう」とあちこちのサイトで擁護されている一方で、「万が一刺されたらショック死することも」と物騒なことも書いている。

とりあえず、しばらく様子を見ることに。水やりのとき、巣と五十センチの距離まで手が近づいてドキドキするが、蜂たちは仕事に没頭しているのか、こちらを見向きもしない。窓を開けていても入ってこない。今のところ平和は保たれている。秋になれば自然にいなくなるそうだし、このままLet it bee...!?

2005年08月06日(土)  下垣真希 平和のリサイタル『命かがやいて』
2004年08月06日(金)  シナリオ『父と暮らせば』
2002年08月06日(火)  『絶後の記録〜広島原子爆弾の手記』


2006年08月04日(金)  プレタポルテ#1『ドアをあけると……』

わたし好みのお芝居をプロデュースしては招待してくださるG-upの赤沼かがみさんと第三舞台出身の演出の板垣恭一さんと制作の橋本早苗さんの三人が立ち上げた海外戯曲を中心に上演するユニット・プレタポルテ(洋物+既成戯曲を言い得た、いいネーミング)。その第一回公演に選ばれたのは喜劇の天才アラン・エイクボーン(Alan Ayckbourn)の『ドアをあけると……』(Communicating Doors)。開幕前に配られた相関図を見ると、ドアを開けるたびに時代が20年ずつ(1986年、2006年、2026年)飛ぶとあり、なんだか複雑そうでついていけるかなぁと心配に。でも、幕が開いてみると、今がいつの時代なのか混乱させられることは一度もなく、むしろ時間を行き来するたびに明らかになる事実にハラハラドキドキさせられ、どんどん体が前のめりになってしまった。ドアの向こうに何が待ち受けるのか、先が読めない展開。15分の休憩を挟んで二時間半の上演時間を長いと感じさせない。これで終わりと思ったら、ラストに用意されていた感動的なオマケにもびっくり。スリルとサスペンスを味わった後に気持ちよく泣かせてもらう。実に面白いホンとすばらしい演出とキャストで、鮮烈なデビューを飾ったプレタポルテ。どんな二着目、三着目を見せてくれるのか楽しみ。

プレタポルテ#1『ドアをあけると……』
作者:Alan Ayckbourn(アラン・エイクボーン)
訳者:出戸一幸
演出:板垣恭一
出演:円城寺あや 森若香織 岡本麻弥 水下きよし 朝倉伸二 郷本直也
会場:シアターVアカサカ

2002年08月04日(日)  キンダー・フィルム・フェスティバルで『パコダテ人』

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