2005年07月12日(火)  『子ぎつねヘレン』打ち上げで ipodをゲット

『子ぎつねヘレン』のロケ打ち上げに参加。網走でのクランクアップ後の打ち上げも盛況だったようだけど、東京打ち上げも大いに盛り上がる。写真を交換し合い、「参加できてよかった」と笑顔で労いあい、いい雰囲気。ちょっと前の出来事なのに、なんだかとても懐かしい。お邪魔虫の脚本家にしては長い滞在だったとはいえ、2か月近く網走に居た皆さんとは、ロケに関わった時間は比べものにならない。それでも「おひさしぶりです」とあちこちのテーブルから声をかけてもらい、仲間の一人という実感を味わわせてもらう。

動物映画は苦労がつきものらしいけれど、『ヘレン』は動物たちの好演にも恵まれ、最後まで和やかな余裕のあるロケになったそう。「いいシャシンになりそうだよね」「楽しみだよね」と仕上げへの期待も高まる。映画のことを「シャシン」と呼ぶのって、いい響き。この作品に関われただけでもすでに十分幸運なのに、普段はリーチ止まりのビンゴゲームでipodを獲得。やっぱり前世はキタキツネだったのかも。

2003年07月12日(土)  15年目の同窓会
2002年07月12日(金)  『真夜中のアンデルセン』小原孝さんのピアノ収録
2000年07月12日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2005年07月10日(日)  12歳、花の応援団に入部。

■何気なくつけていたテレビで学ラン姿の男たちが出てきて、おやっと目を留めたら最後まで見てしまった。番組タイトルは『ザ・ノンフィクション 12歳花の応援団に入部 驚きの一年』。明治大学附属中学校の応援団に入部した中学1年生男子二人が、附属高校やさらにその上の明大応援団の先輩たちとともに厳しい夏合宿を乗り越え、やめたい時期も乗り越え、2年生になって下級生を迎えるまでのドキュメンタリー。大学の4年間をどっぷり応援団漬けで過ごしたわたしは、「ああ、うちの応援団もやったなー」という懐かしさが半分、「わー、よそではここまでやるのかー」という驚きが半分。でも、一見不条理なことをとことん大真面目にやるところは同じ。上下関係や礼儀に極端にうるさく、世間では何の問題にもならないことでも団のオキテに逆らうと罵声が飛び、平手が飛び、ときには黒光りするエナメル靴が飛ぶ。練習は合理性など完全無視。体を壊すようなメニューを「押忍の気合じゃ」と精神論で乗り切らせる。そしてまた不可能に思われることが案外気合で何とかなったりするので、団員は「世の中気合」と自信を養い、下級生に同じ無理難題を押し付ける。そんな時代と逆行するような歴史が繰り返されている応援団、いま全国的に衰退の一途をたどっているらしい。世の中がラクなほうクールなほうへと流れているなかで、応援団はとことん面倒くさくて暑苦しい。わたしのいた応援団は、厳しい中にも和気藹々としたムードがあったけれど、夏合宿になれば誰かが脱走しては連れ戻され、夏合宿が終わると誰かがやめると言い出し、引き止めに成功する場合もあれば失敗する場合もあり、入団したうち卒団まで残るのは半分ぐらいだった。チアリーダー部とはいえ応援団の規律にのっとって行動しなくてはならず、それが煩わしくて去って行った子もいた。だけど、今思えば、チアリーディングの技術は宴会芸ぐらいでしか役に立たない(現役を退いて十年以上経った今は、酔った勢いとはいえ、上司の肩の上に立つなんてことは怖くてできなくなった)けれど、応援団員として仕込まれたことは社会生活でとても役に立っている。名刺の出し方受け取り方、敬語の使い方、目上の人と楽しくお酒を飲むコツなどは会社員の必須アイテムだし、コピーを書くにも脚本書くにも技術より気合がモノを言うことが多い。「あきらめたら負け」という世界では、応援団出身者は恐ろしい威力を発揮する。肉体的にも精神的にも極限状況に追い込まれる体験は、時間と労力の無駄という見方もあるけれど、自分の限界と可能性を知るチャンスにもできる。テレビの中の中学生団員二人は、一年で見違えるほどいい顔になっていた。きっとこの先もやめたくなる場面があるだろうけど、待ち受ける試練を自信に変えていって欲しい、と自分の後輩のように思ってしまう。そして、番組を見て、「応援団に入りたい」「うちの子を応援団に」という人がふえたら、日本はもうちょっと骨のある国になれるんじゃないか、という気がする。

2003年07月10日(木)  三宅麻衣「猫に表具」展
2002年07月10日(水)  『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子)
2000年07月10日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2005年07月08日(金)  いまいまぁ子とすてちな仲間たち

先週のクリエイティブ部署送別会に続き、今日は営業部署の人たち中心の送別会。一人ひとりと言葉を交わせるアットホームな食事会で、労いあったり、励ましあったり。苦労もいっぱいしたはずなのに、思い出すのは楽しいことばかり。それもメンバーに恵まれていたからなんだろうなと思う。会社では好き放題やらせてもらったから、「やり残したことといえば、社内恋愛ぐらい」と言って、「今だから告白しますって人いる?」とテーブルを見回したけど、反応がなかったのは残念。人気ないなー今井。

でも、みんなからの一言を添えたポラロイド写真アルバムには、「一緒に仕事できて幸せでした」「淋しくなります」「今井さんのこと忘れません」……。こういうものにはいいことしか書かないものだけど、恋愛はできなくても、友情は続きそう。アルバムの中表紙は2週続けて幹事を買って出た仲良しデザイナーのE君のデザイン。重ねたハートと、「いまいまぁ子とすてちな仲間たち」(「すてき」のことを「すてち」というのが、うちの会社のクリエイティブでは局地的に流行ってた)のタイトルが、まさにアルバムの中身を表現してくれている。

年齢とか性別とか、入社年度とか、新卒か中途採用かとか、部署とかを超えて、一人と一人として「すてちな仲間」になれた会社。「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束」なんだよね、と中学生の頃何度も口ずさんだ歌を思い出した。

2000年07月08日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2005年07月07日(木)  串駒『蔵元を囲む会 天明(曙酒造) 七夕の宴』

大塚の銘酒処『串駒』は、ときどきお店主催の貸切飲み会をやっている。6月の「IKSPIARI(イクスピアリ)ビールの会 舞浜地ビールの集い」に行ったご近所仲間の面々が「あれは楽しかった」と言うので、今宵の七夕の宴に参加することに。天明という銘酒を造る曙酒造の蔵元ご夫妻を囲んで、選りすぐりの天明を心行くまま飲めるというありがたい会。「すべて無ろ過で、米の力や味をわかりやすく表現」することを心がけられているようで、どの種類も呑めば天明とわかる雰囲気を持ちながら、どれも違うというのが特長。たしかに、乾杯のおり酒に始まり、味わった6つのお酒はそれぞれに際立った個性があり、次はどう来るか、こう来たか、とまわりの人同士で批評しながら呑むのが楽しかった。料理は枝豆、刺身盛り合わせ、茄子とジャガイモのミルフィーユ、鮎の一夜干しとエシャレット、グラタン、トマトサラダ、焼きおにぎり、お漬物。箸が進み、お酒も進む。グループで参加した人、一人で飛び込んだ人、いつの間にかみんな一緒になって酔っ払って、蔵元ご夫婦も巻き込んで楽しいお酒。

と突然、オーボエの生演奏がはじまる。ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団首席オーボエ奏者の渡辺克也さん。びっくりするほど、やわらかな音色。「世界で三本の指に入るオーボエ」という紹介は誇張ではなさそう。CD『ニュイ・アムール〜恋の夜』を買い、サインをいただく。続いて、バイオリンの生演奏。奏者の女性は「日本酒に合う曲って難しいですよね」。でも、日本酒と音楽はよく合うことを発見。身も心もとろ〜んとなった状態で聴くと、音がするするとしみこんでいくよう。

2005年5月5日 店主も冷蔵庫も味な居酒屋『串駒』

2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日
2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2005年07月04日(月)  今井雅之さんの『The Winds of God〜零のかなたへ〜』

「今井雅之」と「今井雅子」はよく似ているので、名前を見つけるとドキッとしたり、ドキドキしたりする。縁もゆかりもないけれど、年の離れた兄貴のように一方的に思っている。顔立ちもわたしの親戚にいそうな感じ。そんな今井雅之さんの舞台代表作、『The Winds of God』の存在は気になっていた。タイトルの通り「神風」の話。ブロードウェイでも激賞され、映画にもなった。17年前の初演から何度も再演しているが、今年は戦後60年ということで、3か月に及ぶ過去最大規模の全国ツアーが決まり、2日に新宿紀伊国屋サザンシアターで幕を開けたばかり。出演している知人の岡安泰樹さんに声をかけていただき、今夜観る機会に恵まれた。

現代の漫才師コンビが神風特攻隊の時代にタイムスリップするというストーリー。幕が開き、老人の神父と漫才師のアニキ(今井雅之)が短く言葉を交わすと、時計は一年前に巻き戻され、アニキとコンビを組んでいたキンタ(松本匠)のかけあい漫才がはじまる。開演時間に遅れて入ってきた客に突っ込みを入れながら、「お客さんは漫才を聞きに来た人という設定ですから。今ならまだ間に合います」と、ウォーミングアップをやっているように見えて、いつの間にか伏線が張られ、自転車に二人乗りしたアニキとキンタが事故に遭ってタイムスリップする本編へとつなげていく。事故のショックから目を覚ましたアニキとキンタは軍服に包帯姿。知らない男たちから「岸田中尉」「福元少尉」と身に覚えのない名前で呼ばれ、混乱する二人は、神風突撃に失敗した事故の後遺症による記憶喪失と判断される。そこは60年前、太平洋戦争末期の日本軍だった。

ここに登場するのが、輪廻の思想。アニキとキンタは特攻隊で命を散らした隊員の生まれ変わりで、現代での交通事故の衝撃と、60年前の突撃失敗の衝撃がシンクロし、前世の肉体に現世の魂がはまってしまったのではないか。そう推理するのは、帝国大学で心理学を学ぶ山本少尉。二人の来歴を見抜くこの役を岡安さんが演じている。死ぬのは生のはじまり、死んでも魂は生き続ける、そう言いつつも死を怖れ、死ぬには若すぎると弱音を吐く山本少尉。聖書を心のよすがにする松島少尉(田中正範)もまた、死ぬ運命を受け入れようともがき苦しみ、彼らの弱腰を叱咤する寺川中尉(田中伸一)も不安と恐怖を押し殺し、分隊長の山田も鬼にはなりきれない。特攻隊員一人ひとりの苦悩と葛藤を丁寧に描くことで、若くして空に散った彼らの無念さが胸に響いた。

木の机と椅子だけのシンプルな舞台道具が配置を変えると筏になり、零戦になる。舞台から客席を射るようなライトは爆弾の閃光になり、白いライトの波は流れる雲になる。アニキとキンタが出撃するシーンでは、二人が本当に空を飛んでいるように見えた。完全に引き込まれていた。紀伊国屋サザンシアターでの舞台は何度も観ているが、スタンディング・オベイションを観たのは初めて。思わず立ち上がった観客に誘われるように、次々と立ち上がり、惜しみない拍手を贈った。

今井雅之さんは舞台後の挨拶で「4年前の9月9日、この芝居をもうやめると宣言したが、その2日後の9月11日にあのテロが起き、アメリカの新聞に『KAMIKAZE ATTACK』と書かれていたのを見てショックを受けた。自分のやってきたことは何だったんだろうかと」と語った。散った神風特攻隊員たちが悩み苦しみ抜いた末にたどり着いた覚悟。その結果だけが一人歩きして「命知らずで無謀な決死作戦」ととらえられている事実に打ちのめされたのだろう。だから、「やめるわけにはいかなくなった。それどころか、年々、やめられない方向に世界が向かってしまっている」と熱い口調で訴える今井さんを見て、この舞台から迸る熱いものの源を見た思いがした。訴えたいものがはっきりと持っていて、それを全力で表現し、観客の心をつかみ、揺さぶる。一字違いの作・演出・主演、今井雅之が今夜はいちだんと誇らしく思えた。サザンシアター公演は10日まで。その後、山形、秋田、長野、石川、兵庫、大阪、名古屋……と全国ツアーは10月1日まで続く。

The Winds of God〜零のかなたへ〜

新宿紀伊国屋サザンシアター
作・演出:今井雅之
出演:今井雅之、松本匠、AKIRA、田中伸一、岡安泰樹
   田中正範、最所美咲/小林範子(Wキャスト)

2003年07月04日(金)  ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」
2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日
2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2005年07月03日(日)  親子2代でご近所仲間の会

■ロンドンから一時帰国中のY夫妻を囲んで、ご近所仲間の会。このメンバーは、よく食べ、よくしゃべる人ぞろい。芝公園近くの華都飯店(シャトーハンテン)というなかなか味わいのある中華の個室で、2時間半かけてランチ。Y夫妻を駅まで見送る途中で「やっぱりもう少し話したい!」と元来た道を引き返し、セレスティンホテルのラウンジでお茶。今回は平均年齢をぐぐっと下げて、2月に生まれたY夫妻の長女ユキちゃんも参加。華都飯店ではぐっすり眠って大人たちを邪魔せず、セレスティンホテルに着いたら目を覚まして愛嬌をふりまく、なんとできすぎたいい子でしょう。みんなでかわるがわるだっこして写真を撮る。ご近所仲間の間では初の「2代目」誕生に、皆自分の子どものように大喜び。さらに増員(またの名を「細胞分裂」)をかけて、親子2代のご近所仲間で旅行にでかけたいねと話している。

2000年07月03日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2005年07月02日(土)  今日はハートを飾る日

■会社の送別会で、朝帰りして起きたら午後。二日酔いとハッピーな気分の余韻に浸りながら、みんなからの記念品や個人からのプレゼントでもらったハートを家中に飾りつける。ハートのマグカップに花束の花を挿し、ハートののれんをドアにかけ、ハートのアクセサリーをコレクションに加え……出席してくれた人への報告と、いまいまさこカフェのハートギャラリー用に撮影も。家中どこを向いてもハート、ハート。写真右は、わたしより2年ほど前に退職した元同僚のチャチャキ君が作ってくれたハートのアート。

2005年7月1日 ハートがいっぱいの送別会
2004年12月8日 『frame』 by Takeshi Sasaki

2004年07月02日(金)  劇団←女主人から最も離れて座る公演『Kyo-Iku?』


2005年07月01日(金)  ハートがいっぱいの送別会

■大学4年生になった春、資料請求やOB訪問にそわそわする同級生をよそにのんびり構えていたわたしは、「就職はどうするの?」と聞かれると、「結婚する」と答えていた。それを聞きつけた彼氏は、「とんでもない!」とごねた。広い社会に出れば、いくらでも出会いがあるのに、学生時代につかまった彼女で手を打つ気はない、と。急遽、就職活動をはじめることになったわたしは、「会社の歯車にはなりたくない」とわかったような口をきき、「歯車にならないためにはコピーライターになるしかない」という思い込みで広告会社を受けはじめた。あのまま就職せずに家庭に入っていたら、かなり偏った大人になってしまった気がするが、運良く採用してくれた会社があった。のびのびと言いたいことをいい、やりたいことをやらせてくれる環境の中で、歯車にされるどころか、わたしがまわりを振り回す毎日。『ブレーン・ストーミング・ティーン』のあとがきにも書いたけれど、入社してしばらくは空回りばかりしていた。でも、職場にはわたしの失敗や爆弾発言を面白がってくれる余裕があった。脚本を書き始めてからも、同僚や上司は、関心と無関心の見事なバランスを見せてくれた。会社勤めをしながら脚本を書くようになって、6年。時間的にはきつかったけれど、わたしにとって会社は、生きた台詞とキャラクターとエピソードを供給し続けてくれるネタの宝庫だった。でも、去年ぐらいから、だんだん二足の草鞋がきつくなってきた。締め切り前の土日が休日出勤と重なったり、「明日から1週間空けられますか」と言われても会社員には難しく、喉から手が出るほどやりたい大仕事に逃げられたり。「神様には前髪しかない」と前田哲監督が教えてくれたのを思い出した。そっぽを向かれたらもう、つかむところはない。だから、神様がこっちを向いているときに思いっきり前髪をつかんで、離してはいけないのだと。脚本家としてどこまでやれるのか、両手を自由にして、賭けてみたくなった。思い切って打ち明けたら、同僚も上司も拍子抜けするぐらい迷いのない力強さで「行け!」と背中を押してくれた。「お前ほど楽しそうに会社に来てるヤツも珍しいが、そのお前が辞める踏ん切りがつくぐらい脚本の仕事が来てるってことは素晴らしい」と上司は言った後で、「でも、うまくいかなかったときは、帰っておいで」と付け足した。涙が出そうになった。気がついたら、入社して13年と3か月。いろんな会社の広告作りに参加できたし、海外ロケや視察も行ったし、カンヌも2回行ったし、組合もやったし、会社でやり残したことといえば社内恋愛ぐらい。一生ものの経験をたくさんさせてもらった。

■今日は、わたしのいた制作本部の送別会。残業は当たり前の職場なのに、7時からの1次会に40人が駆けつけてくれる。柄にもなくパークハイアット東京のピークバーで41階からの夜景を肴にしっとりと。「せっかくだからセレブなとこで」という幹事の計らい。回廊式に配置されたソファの間を回遊しながら、ご挨拶。2次会は居酒屋『月の雫』の個室でワイワイガヤガヤと。ここで、記念品贈呈。「ハートのもの」をリクエストしたら、次から次へと、よくこれだけ集めましたというハート攻撃。締めの挨拶で、現在は他の広告会社に勤める入社当時の上司は「鳴り物入りで入ったくせに全然ダメで、けっこう厳しく教えたんですけど、最後のほうはいいコピー書くようになったなって思っていました。口には出しませんでしたけどね」。そんな本音が聞けるのは、辞める人の特権。3次会は恵比寿のマンションの1室にあるbar l'atelier。看板はなく、オートロックで部屋番号を押して通してもらう。余計なものは省かれ、あるものにはこだわりを注いでいるような、落ち着きと高級感が同居する心地よい空間。カップルがお忍びで飲みに来る隠れ家のようなバーだけど、今夜はいつの間にか貸切になり、写真撮影で盛り上がる。飲み放題2軒でさんざん飲んだ後なのに、ワインがとてもおいしくて。あー幸せ。大好きなまま辞める会社を、送別会であらためて好きになってしまえるのも、幸せなこと。

2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ
1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの


2005年06月25日(土)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学最終日

あっという間に今日はロケ見学最終日。変化に富んだ毎日で、最後まで退屈するヒマがなかった。今日撮影するのは、脚本の中でもとくに気に入っているシーン。脚本に命が吹き込まれる瞬間に立ち会える幸せを感じる。今日は甘いものの差し入れが充実。東藻琴のすがの商店の生どら焼き(生クリーム+小豆)とチーズ小僧(チーズと小豆をパイ生地で包んだ饅頭)、そして見たことないようなドーナツの大行列。
今回のロケ見学で出会えた人たちの中で、とくに印象深かった獣医監修の荒井久夫先生と千代女さんが空港まで送ってくださる。途中、『夕陽の家』という名前のログハウスでカレーをごちそうになる。大きな窓から網走湖に沈む夕陽を拝めるはずが、曇っていて残念。先生からは先日、豚柄のバンダナを贈られたが、今日は牛柄のストラップを贈られる。千代女さんからは「気持ちよ、ほんと、気持ちだから」とブレスレットを贈られる。「網走まで来てくれて、うれしいんですよ」と言うこのお二人にはすっかりお世話になり、感激しっぱなしだった。この人たちに会いに、また網走に帰ってきたい、と思う。

2002年06月25日(火)  ギュッ(hug)ギュッ(Snuggle)
2000年06月25日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2005年06月24日(金)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学7日目

今日は、「おひょいさん」こと藤村俊二さんにご挨拶。映画やテレビや舞台での活躍はもちろん、CM界でも引っ張りだこの人。日本TVCMの古典名作として名高いレナウンの「イエイエ」の振り付けを手がけたのも、藤村さんだとか。役どころは、矢島が獣医学を学んだ恩師、上原教授。登場シーン数は少ないものの、藤村さんのような味のある役者さんが演じることで、しっかりと印象を残せるキャラクターになりそう。撮影には立ち会えなかったけれど、吉田日出子さん、阿部サダオさんの放つ存在感も作品に面白みと深みを与えてくれているのではと期待。


撮影が終わり、ホテルに戻ると6時半。今なら6時50分網走発の列車に間に合う!と昨日のリベンジを試みることに。車内は制服姿の高校生が目立つ。北浜駅に降り立つと、昨日ふられた『停車場』が、今日は開店。カウンターの中には、気さくなママさん一人。客はわたし一人。互いに年齢を打ち明けながら、「あら、見えないわー」「そちらこそ」。皺もやわらかく隠してくれるオレンジ色の明かりに包まれた店内は、古い列車の椅子や網棚やスピーカーが配され、窓の外にはオホーツク海の空を染める見事な夕焼け。ケーキセットを注文すると、ガトーショコラを温め、その場で泡立てた砂糖抜きのクリームを添えて出される。上品な甘さ。他のケーキも気になる。話が弾むうちに自家製パンまで出していただく。仕出し屋が本業の一家が家族経営でやっていて、メニューにはフレンチのフルコースも。要予約のこのメニュー目当てに次回は来たいもの。

後ろ髪を引かれつつ、昨日ふられたもう一軒、『麦わら帽子』へ走り、ラストオーダーの8時ぎりぎりに滑り込む。こちらも店員さん一人、客はわたし一人。郵便局員さんおすすめのカレー(えびカレーを注文)よりもカプチーノのおいしさに驚いた。店名の由来なのか、俵万智さんの有名な麦わら帽子の歌の色紙が。入口には柳生博さん(NHK FMシアター『夢の波間』で佐野悦司役を主演)のサイン皿があった。

2004年06月24日(木)  東京ディズニーランド『バズ・ライトイヤー夏の大作戦』
2000年06月24日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/27)

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