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2014年04月05日(土)
『星から来た男』

『星から来た男』劇場公開版(DVD)

引き続きファン・ジョンミン特集。原題は『슈퍼맨이었던 사나이(スーパーマンだった男)』、英題は『A Man Who Was A Superman』。2008年の作品。「劇場公開版」とあるので、ディレクターズカット等のヴァージョンが他にも出回っているのかな。そちらも発見出来れば観てみたいです。
(追記:調べてみたところ日本では『韓流シネマ・フェスティバル 2008』で上映された後、一般公開はなかったようです)

歪なところも多いけどハマるひとにはすごくハマる、すっごく愛される作品だと思う。観てから数日経った今も、ちょっと油断するとこの作品のことを思い出し、考え込んでぼーっとしちゃう繰り返しです。

原題は『スーパーマンだった男』。ドキュメンタリー番組の制作会社に勤める主人公。ちょっとした捏造は日常茶飯事、視聴率を重視し感動を煽る番組作りに辟易している彼女は、ある日老人の荷物を持ってあげたり、露出狂を撃退したりと街でちいさな善行を繰り返す自称“スーパーマン”と出会う。面白半分で「完全にイカれてる」スーパーマンのドキュメンタリーを撮ることにした彼女は、彼の頭の中に何かが埋まっていることを知る……。

スーパーマンの過去とそれにまつわるエピソードがとても多く、連続ドラマ用に書いたものを100分程の劇場用にしたのでは?と思ってしまうような詰め込み具合。構成も混乱している。しかしストーリーのテーマの大きさ、役者の説得力ある演技がそれら歪な点を補って余りある。過去は変えられない。未来は変えられる。ひとが地球を救うことは出来ない。しかし、人ひとりひとりを変えることは出来る。

年寄りくさいことを言いますが、自分がこどもの頃に観た、80年代によくあったタイプの邦画って今ないなあ、ああいうのもう観られないのかなあと思っていたものが、2008年の韓国にあった!って言う。ここにいたのか(「ごん、おまえだったのか」の体で)…!もう!!愛せる!!!90年代には90年代の、00年代には00年代の良さがあると思いますが、この作品に漂う優しい空気は80年代だなあ。CGによる画作りが第一ではない、あるいは画面の粗探しをしようと言う意地悪な気持ちが起こらない、ヒューマンドラマとしてのSF。映画『スーパーマン』の登場をリアルタイムで知っている、共通の記憶を持つ世代の思い入れも感じられます。調べてみたら監督・(共同)脚本のチョン・ユンチョルは同い歳だった。

twitterのフォロワーさんが一色伸幸が書きそうな話だと仰っていたのですが、これ、80年代に彼の作品を観ていたひとにはピンと来るのではないでしょうか。個人的にはそれに加え、鴻上尚史作品を連想しました。狂った方が楽だと言うけれど、それは当人にしか判らない。狂気の世界でそのひとは正気だったときより苦しんでいるかも知れない……。心を閉ざした人々への優しい視線。スーパーマンのハイテンション演技にふと筧さんを連想したことや、“空飛ぶクジラ”が出てきたことも、そう感じた要因だと思います。この場面の祝祭感溢れる演出にも第三舞台を思い出した。

イ・ヒョンソクの過去が明かされるシーンで、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』の「ハミング・コーラス」が流れる。蝶々夫人が帰らぬピンカートンを寝ずに待つ場面の曲だ。ヒョンソクは夢=狂気のなかではなく、目醒めた状態でスーパーマンになろうとしていたのだ。彼は人助けを繰り返す。何度繰り返しても、何度他人を助けても、家族は戻ってこない。あのとき発作が起こらなければ?クリプトナイトを取り出すことは出来ていれば、スーパーマンに変身出来ていれば?傍観者のなかに幾人か、祈るように手を組んでいるひとがいる。彼らはクリスチャンだろうか。祈るだけではひとは助けられない。

主人公は悩む。彼を追った番組の幕をどうやってひこう?あなたのせいじゃない、もう十分がんばった、自分を許してあげて。彼は、過去は変えられないけれど未来は変えられると言う。そして僕は誰だった?と言う。主人公は、私の友達、スーパーマンと応える。女の子に問う、僕は誰だ?女の子は応える、スーパーマン。オッケーーーーー!!!!!100数えるんだ!「スーパーマンだった男」は空を飛ぶ。主人公はその姿を確かに見る。幻でも現実でも構わない、その真実の姿を。

スーパーマン/イ・ヒョンソクを演じたのがファン・ジョンミン。エキセントリックな救世主、父親に愛され、妻と娘を愛した記憶を持つ男。彼らを失い心に大きな傷を受けた男。薬物により訪れた凪に抗う男。それぞれ情報量が多く複雑な人物像を見事に繋げ、役柄に実感を与えています。“スーパーマン”のハイテンション演技は舞台での彼を想像出来る楽しさです。対して瞳の演技は、クローズアップで対象を捉えられる映像でしか観ることの出来ない繊細なもの。色素の薄い瞳の美しさを堪能出来るだけでなく、その目に代表される表情の演技が素晴らしい。観客は「完全にイカれてる」彼の笑顔に惹き付けられ、時折見せる陰が気になり、その波瀾万丈な人生を知り涙することになる。すごく強い光を持った役者さんだ……本当にすごかった。名演です。今のところいちばん好きかも、この役。

主人公を演じたのはチョン・ジヒョン。ヘビースモーカーで飲んだくれ、徹夜続きのノーメイクで髪の毛はボサボサ。イカれた男を見下していた彼女は、最後に彼を「私のともだち、スーパーマン」だと断言します。そして彼の思いを尊重し、「最後の任務」を受け継ぎます。ノーメイクでボサボサの髪のままだけど、その顔は前半と後半では全く違うものになっていた。愛すべき「地球の友人」の姿でした。

番組はオンエアされたのだろうか?彼に関わったひとたちは少し変わる。アロハを着た高校生たち。拍手を送る傍観者たち。階段で老婆の荷物を持つ主人公。彼らを変えた人物は消えるが、その思いは地上に残る。優しくせつない、愛に満ちた物語。

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メモ。

・イ・ヒョンソクと言う人物は実在したそうだ。頭に銃弾を受け、27歳で亡くなる迄てんかんの発作に苦しんだ
・原作はユ・イラン『ある日突然に』。1990年代末、web上で話題になった都市伝説ホラー短編集

・韓国でもこどもの日は5月5日なんだね
・ヒョンソクが銃撃を受けたのは1980年5月27日。調べてみたら光州民主化運動最後の日だった。死者207名、負傷者2,392名、その他の被害者987名(市民団体の調査では、後遺症等による死亡を含めると死者は606名)。『ダンシング・クィーン』にも出てきた事件だ。本国のひとは年月日でピンとくるのだろう
・最後のテロップで訳されていなかった「M-16」は、当時韓国の特殊部隊が使用していた自動小銃の種類だそうです
・つまり、あの子は軍に撃たれたのだ。やりきれない
・そう昔のこととは思えない80年代、この国では市街戦があったのだ
・そして考えてみれば休戦中の国でもある
・兄貴の映画を観ることは韓国の歴史の勉強にもなる……

(追記:と言う訳でクリプトナイト=M-16の銃弾だったのだが、その後いろいろ調べていて、当時の大統領全斗煥の画像を見たら「ハゲ男」だった。クリプトナイトを埋め込んだ「ハゲ男」とは彼のことだったんだ。そして「ホワイトマン」は無関心な民衆、傍観者。この話、実はかなり仕込みがあったんだな……)

・「ハミング・コーラス」を知ったのはNODA・MAP『THE BEE』から。復讐の連鎖が日常となる、穏やかな戦慄に満ちたシーンで流れる曲です。これかかるともはや恐怖と悲しみしか浮かばなくなったわ……ああ今でも思い出すと涙出そう

・日本で初めて脳死判定からの臓器提供が行われたのは1999年2月28日。臓器移植法が施行されたのは1997年