浅間日記

2010年12月28日(火)

ようやく自由の身に。

しかし明日からの上京に備えて、仕度をしなければいけない。
東京での年越しは退屈だから、どうやって過ごすか思案する。

広くて清々して人の少ない場所を上手にピックアップして、
そこへ出掛けようと思う。

可能ならば小石川の植物園に一人で出掛けたいが、
単独行動は許されないだろうなあと、思いついた瞬間にあきらめた。

2006年12月28日(木) イノシシ政権
2005年12月28日(水) 他人の夢中
2004年12月28日(火) 自然災害とカレンダー



2010年12月25日(土) ゲネラルプローベ

明日はAの合唱発表会なのである。

Aは、「ゲネプロ」という語感に特別な感じを嗅ぎ取って、
今日がその日であることを強調している。

とおし稽古、と言い換えると、違うよゲネプロだ、と言いなおす。

2009年12月25日(金) 絶望と希望と
2007年12月25日(火) サンタと自立



2010年12月24日(金)

恩人との急な死別、愚息の奇妙な病、愚息女の正念場。両親の来訪。

いかなる困難があってもクリスマスをやり抜くと決意して、
昨晩遅く段取りをつける。

ケーキの材料は晩のうちに計量をすませること。
丸鶏は朝になったら解凍をはじめること。
小さいYが昼寝している間に、下ごしらえをすませること。
両親を駅へ迎えに行く前に、足りない寝具を調達すること。



家族が揃い、静かなクリスマス。
クリスマスピラミッドへ蝋燭がともされ、
きよしこの夜を誰ともなく歌い、プレゼントを楽しんだ様子を確認し、
任務完了とする。

2009年12月24日(木) ハタハタ漁
2008年12月24日(水) 共に生きる
2007年12月24日(月) 愚者の家
2006年12月24日(日) 文明と因縁
2005年12月24日(土) 大工よ、屋根の梁を高く上げよ
2004年12月24日(金) 冬の祝祭日



2010年12月23日(木) ただ福が去るのを待つのみ

ムンプスウィルスの感染による流行性耳下腺炎。

いったいいつ頃から誰が、この病気に「おたふく風邪」という
福々しい俗称をつけたのだろう。
じゃあ海外諸国では、どう呼ばれているのだろう。天使の頬?



そうしたわけで、顔の両側が広がった小さいYは、小さい福の神なのである。
写真に撮られたり、皆から可愛いだの腫れてるだのと
ヤイヤイ言われるので、ちょっといじけている。



特別な療法がないのも、この感染症の特徴である。
ただ、「福が過ぎ去る」のを待つのみである。
まったくのんきで変な病気である。

しかし、成人が罹患すると様々な合併症を引き起こすなど、
深刻に怖い面もある。

かといって予防接種できっちり対応する、というよりも、
子どものうちにしっかり早くかかっておけという風潮があるのも面白い。


2006年12月23日(土) 
2005年12月23日(金) パレオパラドキシア



2010年12月20日(月) 感謝と別れ

日帰り上京。

Aさんとの電話が終日すれ違い、やっと連絡がついたのは、
帰り着いた駅のコンコースだった。

実は、と恩師であるSさんの訃報をきかされる。
肺への転移が見つかったがんは、結局Sさんをそのまま連れて行ってしまった。


ああそれでか、と合点がいった。
週末にみた夜空は、きっとお別れの空だったのだ。
あの時私はきっと、旅立ってゆくSさんにさよならをしていたのに違いない。



もうSさんにお会いできない。新橋で杯を重ねることも二度とない。

死別は、いずれ、とか、いつか、という、
曖昧に希望を残す余地がないことを思い知らされる。



別れは寂しいが、出会えたことに感謝したいと思っている。

ただ、最後にきちんと、ありがとうございますと言いたかったなと、
それが心残りである。

2007年12月20日(木) 
2006年12月20日(水) 和室的予算案
2005年12月20日(火) 書き入れ時の貧しさ
2004年12月20日(月) 放心



2010年12月19日(日)

矢野顕子コンサート。

どう評価してよいかよくわからない人である。
才能のあるアーティストというのはこわいなあと思いながら聴いた。

私の世界の一部分を、それはいらないでしょう?と、ワシワシと外へ押し出されて、
空いた隙間へ何かを注入されている感じがする。

それでも、忌野清志郎のカヴァーや彼へのオマージュを歌った歌は、
素直に感じ入ることができた。
私も彼を追悼し続けているからだ。

2007年12月19日(水) 憤慨を禁じえない定義
2006年12月19日(火) 絶望アピール
2005年12月19日(月) 
2004年12月19日(日) 



2010年12月18日(土) 絵の語る言葉を語る人

松居直さんの講演を聴きに行く。
松居さんは、福音館書店の顧問をなさっている。
日本における絵本、児童文学の黎明期を担った編集者である。

「うさこちゃん」も「ぐりとぐら」も、「かばくん」も、
すべてこの方の手により、日本の絵本として誕生した。

仔細は改めて書きたいと思うが、
万障を繰り合わせて会場にかけつけ、
松居さんから直接お話を聴くことができたのは、本当に幸いであった。

2009年12月18日(金) マニフェストの賞味期限
2008年12月18日(木) 人という光明と限界
2007年12月18日(火) 裁判三話
2006年12月18日(月) 協力か介入か



2010年12月16日(木)

関東平野を横断し、隙間なく移動を続け、深夜に帰宅。

車を降りて、夜空を見上げる。
澄んだ夜空に、星と月が共存する。

夜空がみせる空間の広がりは果てしない。

人工的な空間に閉じ込められていた憂さを晴らすべく、
車のボンネットに身を伸ばして、自分を宇宙に解放する。

いつまでもこうして放心して、
夜空の中にすい込まれていたい。

身体が冷え切るのも構わず眺め続ける。

2009年12月16日(水) 暖かい冬
2008年12月16日(火) 陽を拝む/世界の日陰
2007年12月16日(日) 湯福温福
2006年12月16日(土) 信頼できる他人
2005年12月16日(金) 音楽の意味
2004年12月16日(木) 狼もいる、母親ヤギもいる



2010年12月15日(水) 大所高所大将

筑波山麓にて、「ソウソウ」と相槌をうつのが特徴の紳士と仕事。

大きな組織の大きな部署でゼネラルマネージャーをしていた人というのは、
小さなことには動じない腰の据わった感じがするのだが、
この方からもやはり、そうした気配を感じるのである。

それでいて、ここという場面では必ず舵取りを決めていくから不思議だ。

2008年12月15日(月) 藪と泉 その2
2007年12月15日(土) クリスマスの真実
2006年12月15日(金) 失敗
2005年12月15日(木) 南へ北へ
2004年12月15日(水) 追って狂気の沙汰を待て



2010年12月10日(金) ドイツグラモフォン症候群

やけに忙しくしている。

ラジオで、クラシック番組。
演奏されているピアノがどうもなじまない。
でも、弾いているのはなんだか経歴も立派で有名そうな人だ。

この人の演奏技術のどこか-私にはあずかり知らぬレベルで-に問題があるのか。
ただ単に、自分の好きか嫌いかなのか。

それとも、ただ単に、日頃CDで聴く演奏と異なることへの機械的反応か。



音楽の記録媒体は進化発展した。

私は飼いならされた動物のように何度も何度も、同じ人の、同じ瞬間の、
本当は一つの断片にすぎない演奏をインプットしている。おそらく。

どんな世紀の名演であっても、それはいささか不健全かもしれない。

私はたぶん訓練された動物のようにして音楽を耳にしているだけで、
新しい演奏、新しい音楽の良し悪しを見分ける感性を育ててきていない。きっと。

この改善すべき「ドイツグラモフォン症候群」とでも言うべき症状は、
いったいどうすればいいのだろう。



そういう訳で、自分の感性を根本から疑い始めたけれども、
続いてラジオから流れた宮田大という人のチェロは大層よかったから、
まあ大丈夫か、ということにした。

2007年12月10日(月) 永遠の金曜日
2004年12月10日(金) もう鳩は飛ばさなくていい



2010年12月01日(水) リアルドラえもんの偽物の未来

数日前のこと。テレビで地域活性化の話題。

漫画「明日のジョー」の実写版が映画化されるのにあわせて、
地域おこしのイベントをやります、とおじさんが意気込んでいた。

ご当地ブームに沸くゲゲゲの女房の後に続こうというものだろう。
急ごしらえの泪橋の端には、丹下段平がジョーに檄を飛ばすのだろう。



かように、アニメの実写版づくりが、ブームである。

アニメ実写版において、主人公は「リアル○○」と言われる。
リアルちびまる子ちゃん、という具合である。



リアリティの実際は、大きく変化した。

ほんの数十年前までは、例えば映画館の入り口にある看板の絵にリアリティがあり、銭湯の壁に描かれた富士山にリアリティがあった。

つまり、本物っぽく表現するという行為は、とてもシンプルだったのである。

リアリティは、現実の世界から人間が何かをアウトプットしたものへの評価、という事実も明白だった。




CGだけで映画作品が一本できるこの時代、虚構と現実の境はひどくぼんやりとしている。

アニメを実写版化するというのは、ただ単に「マンガの筋書きを追ったドラマを作ります」という素朴な世界ではないのらしい。

例えば、丹下段平の顔のシワの一本から、ちびまる子ちゃんの-あくまでもマンガとしての誇張表現であった-お椀のようなおかっぱ頭に至るまで、役者の姿がその通り表現できるかが追求されている。

つまりここでリアリティとは、生身の人間が虚構世界であるアニメにそっくりにつくられることであり、クリエイターはそこに心血を注いでいる。

これは、小説をドラマ化するのとはかなり違う現象だと私は思っている。



ちびまる子の世界だけではない。
このリアリティの「ひっくり返り現象」は、私たちの生き様そのものである。

まずドラマや、コマーシャルや、誰かの作り出した虚構の世界があって、これと寸分たがわずに自分のライフスタイルや恋人、家族を適合させ、生きている実感を得た気分になっている。
嬉しいことも悲しいことも、憤るようなことも、全て虚構の世界にセットされている。

そうしているうちに、生身の自分や自分を取り巻く数多の状況の変化を受け止めて処理する能力は日々衰え、虚構に比べてはるかに多様で複雑な現実にはもはや、耐えられない。



明日のジョーは、戦後の貧しさが残る中で生まれた物語であるし、
宇宙戦艦ヤマトは宇宙開発全盛期の、未知への憧れに満ち満ちている。
ちびまる子ちゃんは昭和の小学生へのオマージュであるし、
ゲゲゲの鬼太郎は作者の特殊な幼少時代の集大成である。

どの作品も、作者が目の前の時代や世の中と向き合ったからできた物語であり、またそうだからこそ、人々の共感を得た。

ぼんやりした現実と虚構の間にあって、濁った金目で在庫から支給されたものに賞味期限を上書きしただけのような、何の工夫もない不自由なアウトプットなど、私はそれを人間の創作活動とよびたくない。



駄作でもよい。洗練されてなくてもよい。もちろん儲からなくてもよい。

人は、人間である以上、目の前の実際の現象からインスピレーションを得て、意思や感情に基づいて自分の頭の中を巡らし、何かをアウトプットするという行為を決してやめてはいけない。

繰り返して言おう。

目の前の実際の現象と向き合うことをやめてはいけない。

現実世界を遮蔽されたり幻惑されることがあれば、
そこから全速力で逃げなければいけない。

未来に創造的であることを、他のにせ物の活動とまぜこぜにしてはいけない。

2009年12月01日(火) 価値が変動するものに依存する
2008年12月01日(月) 自分を支える特別な儀式
2006年12月01日(金) 勘亭流の並木道
2005年12月01日(木) 


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