浅間日記

2008年12月24日(水) 共に生きる

我が家はこのところずっと来客が続き、ちょっと疲れ気味である。
クリスマスイブぐらいはせめて普通の夜にしよう、ということになった。

煮物と御浸しとご飯で、池波正太郎風、和食クリスマスである。甘味はなし。



夜半にむっくり起き上がり、盗人のごとくキッチンに忍びこむ。

やはり、卵も生クリームも、鮮度のよいうちに加工してあげなければ可哀相である。
一ヶ月も前から仕込んでいたラム酒漬けドライフルーツが、その機を逃すのもいたたまれぬ。

オーブンを温め、材料を計量し、調理にかかる。
バターを柔らかくして砂糖を練りこみ、シナモンやクローブを、ドライフルーツを入れ、卵を泡立てて加え、ダマにならないように粉を混ぜ込む。

年中行事の食物をぬかりなく用意できることに、心が落ち着く。



一人台所に立って手を動かしながら、いつしか頭では今年を振り返り、来年を思っている。世の中は随分と混乱したもので、嫌が応でもそうした気配が自分の中にも入り込もうとしている。

誰かが作り出したこの嫌な気配を、私達は−皆で生きようとすることで−必ず振り払うことができる。専門知識がなくてもできる。実績も、もちろん資本も不要だ。

なぜならば、人間というのは、独りで生きていかなければならないものであり、だからこそ一人では生きていけないものだからだ。
人は人を必要とし、必要とされることで能力を発揮する。人間社会の原点である。



駄考のスイッチをつけっ放しにしたまま、ケーキ種をきれいにまとめ焼型に流し込み、トントンと落ち着かせる。自分は幸せだなとひとりごちて、オーブンへ。

かくして、丑三つ時、近所に知れたら恥ずかしいぐらいの甘いにおいを漂わせて、焼きあがり。めずらしくもない自家製ケーキであるが、満足である。



ふとにわかに、そうだ今こしらえたこの焼きたては、縁ある人すべてに差しあげることにしようと、静まり返ったキッチンで不思議なことを思い立つ。

私たちは共に生きているのだから、きっと、絶対に、お手元に届くはずだ。
そう確信している。

メリークリスマス。

2007年12月24日(月) 愚者の家
2006年12月24日(日) 文明と因縁
2005年12月24日(土) 大工よ、屋根の梁を高く上げよ
2004年12月24日(金) 冬の祝祭日


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