セクサロイドは眠らない

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2002年06月28日(金) 「おじさん、ずるい。」「何が?」「ママのそういうところを知ってて、ママの寂しい部分に踏み込まないんだもん。」

仕事を終えて、ビルを出る。

最近は日が長いので、まだ明るい。こんなに明るいうちに帰るのは久しぶりだな、一杯引っ掛けるかと思いながら歩いていると、高校生の制服を着た女の子が声を掛けて来た。

「ねえ。時間、ある?」
「え?ああ・・・。いや。」
「違う。そういうんじゃないよ。話がしたいだけ。」
「話?」
「うん。おじさんとお話するだけ。」
「いや。やめとく。きみみたいな若い子と話が合うとも思えないんでね。」
「冷たいのね。私、おじさんのこと知ってるんだよ。」
「どんな風に?」
「去年、部長に昇進した。五年前に離婚した。子供は奥さんが引き取ってる。今、付き合ってる恋人とは週に一度か二度、会っている。恋人には娘が一人いて、市内の高校に通っている。」

そこまで聞いて、ピンと来る。

「きみ、まさか、エリコさんの?」
「あたり。」
「なんで、僕の会社を知ってる?ママに聞いたの?」
「まさか。調べたのよ。ママは私にそんなこと言ったりしないわ。私だって、ママに自分の恋人のことは言わないもの。最近の母子って、姉妹だか親友だかみたいにベタベタしてるとこが多いって言うじゃない?私、そういうの嫌いなのよ。気持ち悪いじゃない。」
「なのに、ママの恋人には興味持つんだ?」
「まあね。」
「矛盾してるな。」
「好奇心。」
「好奇心?」
「おじさんが、私から見ても素敵な人だったから、我慢できずに声掛けちゃった。」
「怖いなあ。最近の若い子は。」
「ママに言う?」
「言うかもな。」
「お願い。言わないで。」
「なんで?」
「ママを悲しませたくない。」
「悲しんだりしないよ。」
「いいえ。今のママはすごくナーバスになってるから、たとえ、娘と恋人がお茶しただけでも嫉妬に狂うかもしれないわ。」
「ママのことが好きなんだ?」
「そりゃ、そうよ。」
「ま、歩きながらもなんだから、そこいらの店に入ろう。」
「うんっ。」

その瞬間、彼女のお腹がキュルキュルとなる。

「やだ。」
と、赤くなる彼女を見て、僕は笑う。

「ケーキでも奢るよ。その代わり、遅くなるってママに電話すること。」
「ん。」
「それから。」
「え?」
「腕は組まないこと。さすがに誤解されるよ。」
「はあい。」

--

「で?確か、ミサキちゃんだっけ?」
「ええ。」
「きみのことは、良く聞いてるよ。」
「やだなあ。恥ずかしい。」
「煙草、吸ってもいいかな?」
「いいよ。」

僕は、煙草を吸いながら、目の前の女の子がしゃべるのを黙って聞いている。

「やだ。私ばっかりしゃべって。」
「いいよ。若い女の子が自分に向かって楽しそうにしゃべるのを嫌がる男なんていないよ。」
「ね。じゃ、今度おじさんのこと聞かせてよ。なんで離婚したの?」
「なんでかなあ。ある日急に言われてね。早い離婚だったよ。一ヶ月後には印鑑を押してたなあ。」
「おじさんのほうも別れたかったの?」
「いや。」
「でも、すぐハンコ押しちゃったのね。」
「ああ。彼女は、一旦決めたら絶対曲げない人だったからね。」
「寂しい?」
「そうでもないかな。もともと、一人で自分の身の回りのことをするのは苦にならないし。」
「そっか・・・。うちのママの離婚なんて、最悪だったのよ。」
「長くかかったの?」
「うん。一年ぐらいもめたけど。私のことも、どっちも手元に置きたがったし。だいたい、両方とも離婚したくなかったのよね。なのに、離婚しようとするもんだから、大変だったのよ。」
「なんで離婚したくないのに離婚しちゃったんだろうね。」
「さあ・・・。意地とか、そんなのじゃない?パパ、しょっちゅう浮気してたし。そういうのママから聞かないの?」
「うん。あの人はそういうことは言わないね。絶対に。」
「ママって、変なところで意地っ張りなのよね。」
「そういう人だから、可愛いんだよ。」
「おじさん、ずるい。」
「何が?」
「ママのそういうところを知ってて、ママの寂しい部分に踏み込まないんだもん。」
「もう、若くないからね。あの人のことはあの人が決めるだろう。」
「おじさん、若いじゃない。全然若いよ。」
「だけど、きみにとっては"おじさん"だろう?」
「そうだけど。でも、抱かれてもいいかな、って思うよ。」

僕は、彼女の最後の台詞は聞こえないふりをして、コーヒーを注文するために振り向く。

--

それから、恋人とは別に、ミサキに会うことが増えた。

一方的に電話してくるのだ。

そうして、マンションに押し掛けて来て、時には食事の用意をしたりするのだ。

エリコはそんな風にはしない。エリコは、僕のエリアに勝手に踏み込んだりは、絶対しない。そういう女だ。

ミサキをずるずると受け入れる事は、エリコに悪い気がしないでもなかったが、ミサキとは何もないんだし。わざわざ弁解するのも変だろう。

そんな風にして、そんなあやうい関係をずるずると。

「おじさん、ずるいよね。」
「ママともきみとも付き合ってるから?」
「違うよ。おじさん、私と寝る気もないのに、マンション入れてくれるから。」
「不満なら、来なければいい。」
「だからー。そういうとこがずるいんだって。」

ミサキが急に泣き出す理由が分からなくて、僕は煙草を吸いながら女の子が泣きやむのを待つ。

「落ち着いた?」
「ん。」
「ココア、飲んで帰るといい。」

僕は、カップを差し出す。コクリとうなずくミサキを、可愛いとも思うけれど。

--

夜、眠っていると誰かからの電話。
「もしもし。あたし。」
「ああ。どうした?」
「ねえ。彼女とあたしと。どっちか選んで。」
「どっちかって。選ぶようなもんじゃないだろう。」
「彼女とは始まってて、きみとは最初から始まってもない。」
「・・・。」

電話の向こうで、長い長い、沈黙。

「もしもし?」
僕は、少しさえてきた頭で。

「始まってるの?」
震える声に、僕はいきなり、頭がはっきりとする。

「エリコ?」
「そうよ。誰だと思ったの?」
「ああ・・・。驚いたな。ミサキかと思って・・・。親子って声そっくりなんだな。」
我ながら間の抜けた返事だと思ったけれど、夜中に電話してくるなんて、エリコではあり得ないと思ってたから、てっきりミサキだと。

「ミサキって・・・。あの子、時々あなたに電話してるの?こんな風に。」
「ああ。」
「そう・・・。そうなの。てっきり、私の知らない女だと思ってた。ミサキだったのね。あなたが最近、やけに私を放っておくのはそのせいだったのね。」
「そりゃ、誤解だよ。」
「今ので分かったわ。」
「何が?」
「何もかも。」
「おい。ちょっと待てよ。」

電話は切れる。

僕は、掛け直すけれど、誰も出ない。何度も何度も、掛け直す。

暗闇の中で、両方を失うことを考えてみるけれど。今から、どちらかを追い駆ければ、どちらかを失わずに済むのかもしれないけれど。

さて、本当はどちらが欲しいのか、自分でも分からないのだった。


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