セクサロイドは眠らない

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2002年05月19日(日) でも、誰にも言わなかったら、本当に、恋なんてどこにもなかったんじゃないかってね。すごく寂しくなるから。

この街に来るのは、久しぶりだった。仕事で、三ヶ月ほど滞在することになった僕は、その街に降り立つ。

そうして、回してはいけない筈の番号を回す。

「もしもし。」
「僕。タツヤ。」
「え?嘘。どうしたの?」
「仕事でね。ちょっと駅前のホテルに滞在してるんだ。」
「ねえ。会える?」
「いいけど。いつ?今夜?」
「うん。今夜。大丈夫と思う。」

大学時代の恋人は、もう、幸福な結婚をして、家庭の主婦になっている筈だ。僕は、クラスメートから送られて来た同窓生の名簿を見て、彼女が変わらずこの街にいることを知った。

--

「びっくりしたー。久しぶりだよね。」
彼女は、少しほっそりしただろうか。だが、変わらず綺麗で。

「うん。声聞きたくなっちゃってさ。」
「ねえ。タツヤも結婚したんだよね。」
「ああ。」
「子供は?」
「いない。」
「うちもよ。」
「ていうか、別居中。」
「え?どうして?」
「うーん。僕の浮気かな。原因は。」
「そうなんだ・・・。意外だな。」

本当は、嘘。妻は、僕の優柔不断な態度に腹を立てて出て行ってしまったのだ。ささやかな嘘は、昔の恋人に対する精一杯の見栄。

「きみは?幸せ?」
「どうかな。」
その問い掛けには答えないで。

「ねえ。恋愛の話、していい?」
「恋愛?」
「うん。不倫とか浮気、じゃなくて、恋。」
「話って言っても・・・。」
「タツヤだって、恋してたんでしょう?だから、奥さん怒らせちゃったんでしょう?」
「そうだけど。」
「私もね。恋してるの。」

僕は、少し寂しい気分になる。

「勘違いしないでね。心の中で、思ってるだけなんだよ。でね。誰かに言いたかったの。恋してるんだよって。大人だってさあ、既婚だってさあ、恋、するよね。」
「うん。」
「そういうの。時々、会ってさ。話しない?」
「恋の?」
「他の話でもいいけど。」
「いいよ。」
「本当はさ、誰にも言わないつもりだったんだ。恋の話。私、ほら、結婚してるし。狭い街だし。でも、誰にも言わなかったら、本当に、恋なんてどこにもなかったんじゃないかってね。すごく寂しくなるから。」
「いいよ。仕事以外は暇だし。」

本当はさ。久しぶりに会ったきみと、恋がしたい。恋の話なんかじゃなくてね。そんなこと、言えないままに次の約束を。

--

彼女とは、週に一度か二度、会って、僕はもっぱら彼女の話の聞き役になる。

「なんで、そいつのこと、好きなの?」
「なんでかなあ。ずっと変わらないから、かな。もう、いい歳なのに、まだ子供みたいで。照れ屋で。」
「告白しちゃえよ。」
「それは出来ないよ。私、結婚してるもの。」
「そんなの関係ないよ。」
「ねえ。タツヤは?タツヤの好きだった人は?どんな人?」
ふいに話を振ってくるから、僕は慌てる。

「どうって。普通の人。」
「結婚してる人?」
「うん。幸福な人妻。」
「そっかあ。私と同じだね。」

僕は、もう、疑い始めている。

本当は、彼女の恋の相手なんてどこにもいないんじゃないかってね。だって、彼女の恋には、相手の具体的な言動は一切出て来ない。今夜だって、ほら。こんなところで僕を相手に水割り飲んでるくらいなら、恋人に会いに行けばいいのに。

僕は、彼女の手を握り締めたくて。

だけど、彼女は、ひっきりなしにしゃべり続けて、その暇がない。

--

来週、滞在期間が終わるという夜、ホテルのドアのベルが鳴る。

「どうしたの?」

うつむいた彼女が顔を上げると、そこには殴られたような痣があった。
「ごめん。こんな夜中に。」
「いいけど。誰?ご主人?」
「うん。」
「なんか、冷やすもの用意するよ。待ってて。」
「ほんと、ごめん。」

僕は、タオルと、冷蔵庫の氷を持って、ベッドに腰掛けている彼女の横に座る。

「喧嘩?もしかして・・・。」
「違うの。あなたのせいじゃないよ。結構、こういうことあるの。恥ずかしいよね。人に言うことじゃないよね。」
「彼、怒りっぽいの?」
「ちょっとね。」

僕の腕は自然に伸びて、彼女の体を抱き締める。

彼女の小さな喘ぎ声。

ねえ。本当は、きみには恋人なんかいやしないんだろう?恋している相手って、僕のことなんだろう?

「ねえ。そんな男でも、別れないの?」
僕は、訊ねる。

「夫婦だもの。」
「夫婦だからって言って。殴るのは良くないよ。」
「あの人、病気したから。それで、ちょっと後遺症とか残っちゃって。だから、分かるの。あの人が傷付いてること。」

なるほど。そういうこと。

「夫婦ってそんなもんだと思うの。」
「きみが心配だ。」
「来週、いなくなっちゃうんだよね?」
「ああ。」
「ねえ。私、タツヤがいなくなっても頑張れるかな。夫婦とか、恋とか。」

頑張れるよ。

と言うのは、簡単だけど。そんな風に励ますのは、とても寂しい気がしたから。

僕は、彼女をきつく抱き締めた。

僕の抱擁が彼女の体に残って、彼女が頑張れますように。

--

彼女は、駅まで見送りに来てくれた。
「ねえ。また、会える?」
「うん。また、来るよ。いつか。」
「待って。」

彼女は、僕を呼び止めて、振り向いた僕の頬に口づける。
「友達としてのキスだよ。」

彼女は、照れたように笑っている。僕も、笑い返す。

それが僕らの精一杯。

--

小さくなって行く景色を見て。

来週は妻を迎えに行こうと思う。


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