セクサロイドは眠らない

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2002年03月19日(火) 「そうして、私のひざに乗って、媚びたように喉を鳴らしてごらん。」僕は、怒りのあまり、顔が真っ赤になる。

「ねえ。今度の日曜日は?」
「ん?ああ。会社の役員が来るから、ゴルフ。」
「また?」
「ああ。」

妻は、少し不貞腐れた顔になって、朝食の皿を片付ける。
「夜だって、いつも遅いじゃない。」
「しょうがないだろう。年度末なんだから、みんな忙しいんだ。」
「うん。」
「じゃ、行ってくるよ。」

妻の依存ぶりに、僕はイライラして家を出る。子供もいないのだし経済的にだって余裕はあるのだから、友達でも作って出掛けるとかすればいいのに。いつも陰気に僕を待ち構えているだけだ。

だいいち、いつもむくんだ顔をして、化粧もしないで。僕にもっとかまって欲しいなら、そのあたりからして気を付けるべきだろう。

「課長、おはようございます。」
受付の女の子が声を掛けてくる。

「ああ。おはよう。」
「課長、今日は、ネクタイのお色がよろしいですね。春らしくて。お顔の色が明るく見えますわ。」
「ありがとう。」

そうそう。妻などは、こういう気の利いた事の一つも言えないのだ。

それにしても。と、僕は憂鬱な気分で考える。何か妻の気を引くようなことでも考えよう。こう毎日まとわりつかれてはうんざりだ。

--

「ただいま。」
「あら。早いのね。」
妻は嬉しそうな顔をする。

「ああ。たまにはね。」
「それ、何?」
「これかい?」

僕は、手にしたバスケットを開ける。そこには、グリーンの目にシルバーの毛並みのオスの子猫。

「まあ、可愛い。」
「チンチラというのだよ。」
「どうなさったの?」
「友人に頼んでおいたんだ。きみがいつも寂しそうにしているから、猫でも飼ってみたらどうかと思ってね。」
「嬉しいわ。」

妻は、さそく小皿に牛乳を入れている。機嫌のよさそうな妻の姿に僕も安堵して、ネクタイをゆるめる。

--

その日から、妻は猫の世話に明け暮れるようになった。子猫は、みるみるうちに大きくなって、家の中をのしのしと歩き回る。

おい。お前、うちの主のつもりか。

と、悪態を付きそうになるが、そこは思いとどまる。大体、僕の思惑通り、妻は猫の世話に専念するようになった。もう、僕の帰宅が遅いとか、休日も一緒にいられないとか、愚痴をこぼすこともなくなった。

僕は、朝、受付の女の子に声を掛ける。
「きみの口紅の色、きれいだね。春の新色?」
「わあ。よくご存知ですね。」
「ところで、今日食事でもしない?」
「いいんですか?」
「ああ。」

--

それにしても、なんなのだ。最近の女の子は。僕は、受付の子を一人誘ったつもりなのに、友達を二人も連れて来やがった。
「ごめんなさいね。課長、お友達もいいですか?」
「ああ。いいよ。」

僕は、しょうがないとあきらめて、驚くほどの量を飲み食いする女の子達の相手もそこそこに、早い時間に切り上げた。

「じゃ、僕、明日、早朝から会議だからもう帰るよ。」
「ごちそうさまでしたあ。」

--

帰宅すると、妻はキッチンに見当たらない。おかしいな、と、ベッドルームに行くと、そこに妻がなまめかしい下着姿でいた。僕が入って行くと、驚いたように飛び起きて、
「おかえりなさい。随分と早かったじゃない。」
と、言った。

「ああ。今日は付き合いが早めにお開きになったんだ。」
「そうなの。じゃ、お食事いいわね。私、先に休むわ。」
妻は、それだけ言うとベッドに向き直った。薄暗い部屋に、猫の目が赤く光った。

僕は、妙な気分でベッドルームを出る。あの格好で、猫と一緒にいたのか。なんだ。あの下着は。腹立たしいような、それでいて、妻の下着姿に妙に煽られたような、落ちつかない気分で風呂に入る。

だが、今更、どう言えばいいのだ。妻を放っておいたのは、僕だ。僕のことを放っておいてくれと言ったのも、僕自身だ。

僕は、妻の妙に白い肢体を思い出す。そういえば、かなりダイエットしたのだろうか。最近、きれいになった。

ベッドルームに入ると、もう妻は寝入っている。猫が、妻の腕の中にいる。

--

それからだ。

妻によく注意を払えば、妻が前より見違えるように綺麗になったと気付く。

どういうことだ?猫のせいか?馬鹿な。

妻は、まず、僕の朝食を用意する前に、猫の朝ご飯を用意し、暇さえあればその長い毛並みを念入りにブラッシングしている。

僕はおもしろくない。

男は、妻の興味関心が自分より他に行くと面白くない生き物なのだ。

「コーヒーいれてくれないかな。」
僕はわざと大声をあげる。

「ちょっと待って。」
「駄目だ。待てない。もう、待てない。一体なんだ。猫のほうが主人より大事か。」
「あら。あなた何言ってるの?この子、あなたが連れて来たのでしょう?夫の贈り物を大事にして、どこが悪いって言うの?」
「それでも、人間より猫のほうを大事にするなんて、絶対おかしい。」
「ふうん。そう?妻に興味のない男より、甘えてくる猫のほうが数倍可愛いのは当然じゃなくって?」
「許さん。」
「あなた、嫉妬してるのね。」
「まさか。」
「いいえ。猫に嫉妬してるんだわ。ああ。おかしい。」
「うるさい。」
「そんなに言うなら、あなたも猫になってしまえばいい。そうして、私のひざに乗って、媚びたように喉を鳴らしてごらん。」

僕は、怒りのあまり、顔が真っ赤になる。そのくせ、朝から綺麗に化粧した妻の、棘を含んだ言葉に、僕は欲情する。ああ。猫になって、その細い指で体を掻き乱して欲しい。長いこと忘れていた、指。

僕がそう思った瞬間。

ニャー。

僕は猫になってしまった。

妻は、あらあらという顔をして、僕を見た。

それからくるりと背を向けると、受話器を取った。
「ねえ。時間が取れそうなの。会える?ええ。そう。じゃあ。」

受話器を置くと、妻は、化粧を直して僕に見向きもせずに出て行ってしまった。

振り返ると、そこには妻が可愛がっていた猫が、新参者に向かって、フーッと唸り声をあげている。

おい。まてよ。

本当の敵は、僕じゃない。


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