セクサロイドは眠らない

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2002年02月07日(木) どうして、一人より二人が寂しいのか、僕には分かる。世界中で同じ言葉をささやけるのは、きみと僕だけ。

僕は、世界でただ一匹の特別な猟犬だ。

そう自負するにも理由がある。

僕は、世界でただ一匹、人間の言葉をしゃべることができる猟犬なのだ。世界広しと言えども、僕以外に人間の言葉をしゃべることができる犬がいるという噂は、一度も聞いたことがない。

とは言え、僕は、この事実を誰にも内緒にしている。猟犬仲間に言おうものなら、馬鹿にされ、仲間はずれにされるだろう。僕が、テレビに出て飼い主を儲けさせるのが望みなら、あるいは飼い主に打ち明けていただろうが、僕は猟犬であることが好きだった。鼻に意識を集中させ、風を切って走るのが大好きだった。だから、僕は誰にもそのことを黙っていた。実は、僕の母も人間の言葉をしゃべることができる犬だ。代々、その特技を隠し持つ家系なのだ。母とは早いうちに引き離されたが、特技は誰にも内緒にしておくのよ、と、厳しく言い渡されて育てられたのだ。

僕は、時折、ひとりきりの時こっそり、人間の言葉をつぶやいてみる。

それで満足だった。

僕は、世界で一匹だけのバイリンガルの犬だ。

--

ある日、僕は、飼い主と狩猟に出掛けた。久しぶりにいい天気だったので、風に乗る匂いもよく嗅ぎ分けることができる。狩猟日よりだった。

僕は、一匹のウサギを追い掛けていた。

真っ白なそのウサギは、しなやかに足を蹴って逃げ回ったが、僕はとうとう追い詰めた。

木の切り株に背中を押しつけて、ウサギは震えた。

「お願い。やめて。」
その時、僕は、ハッとしてウサギを見た。

「きみ、人間の言葉をしゃべることができるの?」
僕の声は、思わず弾んでいたに違いない。

ウサギは、驚いてしばらく僕の顔をじっと見ると、ゆっくりとうなずいた。
「そうよ。人間の言葉をしゃべることができるわ。」
「驚いた。僕もだよ。」

ウサギは、僕の表情を長め、それから、僕にウサギを殺す意思がないのを見てとると、にっこりと笑った。
「私も驚いたわ。私以外に人間の言葉をしゃべることができる動物がいるなんて、ねえ。それも、猟犬だなんて。」
「猟犬だなんて、なんてひどいなあ。ねえ。どうして、人間の言葉を覚えたの?」
「父さんが人間だったからよ。」
「父さん?」
「猟で殺された親の代わりに、私を育ててくれたの。父さんにも子供がいなかったから、本当に可愛がってくれて。辛抱強く人間の言葉を教えてくれた。私も素養があったのね。人間の言葉をしゃべることができるようになったのよ。」

僕は、彼女が猟犬を嫌う理由が分かった。もっとも、こうやって、追い詰める猟犬を好きなウサギもいないだろうが。そう思うと、僕は少し悲しい気分になった。

「もう行くわ。」
ウサギは、僕からあとずさった。

「行っちゃうの?」
「逃がしてくれるんでしょう?」
「もっとしゃべっていたい。」
「何言ってるの?私はウサギで、あなたは、ウサギ狩りに来た犬でしょう?勘弁してちょうだいよ。」

ウサギは、さっさと跳ねて行ってしまった。

僕は、夢のように嬉しいような、とても悲しいような気分でそこに立ち尽していた。

僕を呼ぶ、笛の音がする。

--

こういうのを人間の言葉でどう呼ぶか知っているよ。「恋わずらい」と言うのだ。

僕は、ため息ばかりつき、仲間ともふざけたりせず、憂鬱な顔で小屋に閉じこもっている。

どうして、一人より二人が寂しいのか、僕には分かる。

世界中で同じ言葉をささやけるのは、きみと僕だけ。けれども、きみは僕に愛の言葉を言ってくれない。それが、こんなに悲しいとは。寂しいとは。

僕は、所詮、鎖で繋がれた猟犬。

--

飼い主が、あんまり塞ぎ込んでいる僕を心配して、猟に連れ出してくれた。

僕は、飼い主の目を盗んで、あのウサギと出会った切り株がある場所へ行ってみる。

もちろん、彼女はいない。

僕はがっかりして、たたずむ。

突然、風下から、くすくすと小さな笑い声が聞こえる。

僕は振り向く。

ウサギが笑っている。

「追い掛けていらっしゃいよ。」

僕は、ワオワオと、思わず犬みたいな鳴き声で歓声を上げる。

僕は、追う。追う。彼女は、逃げる、逃げる。

恋の遊び。切ない遊び。

--

ある日、僕が狩猟に出なかった日。

他の犬を連れて猟に出た飼い主が機嫌良く帰って来て、ドサリと放り出した。そのウサギを見て僕は息を飲む。

あの娘だ。

なんてことだ。

僕は、人間の言葉で悲しむ。

どうして、そんな?きみは賢くて、すばしっこくて、犬なんかには捕まりっこないはずなのに。

もしかして、彼女は他の犬と僕とを間違えたのかもしれない。他の猟犬を僕だと思って、不用意に走り出したのかもしれない。

そんなことを思って、胸が潰れそうになる。

--

今日は、雨。誰も小屋から出ようとしない。

世界中で同じ言葉をささやける僕らが一人残された時、どうして悲しいか、よく分かる。もう、新しい言葉は二度と手に入らない。手元に残された言葉を反芻することしかできない。

--

犬が、どうして、深い闇に向かって遠吠えをするのかって。

それは、犬が、人間のように涙を流す能力を与えられなかったからだ。

あるいは、闇から、誰かが返事を返してくれるのを待っている。


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