2007年07月19日(木)  忘れ物を忘れる速度

先週大阪から帰ってくる途中で、娘のたまの長袖ブラウスを落としてしまったらしい。飛行機の中で飲ませたりんごジュースがこぼれたので脱がせ、手に持ってひらひらさせて乾かし(機内は乾燥しているのかすぐにほとんど乾いた)、羽田空港から乗り込んだ京急電車の中で、袖なし一枚だと寒いだろうから羽織らせようとしたらいやがったので、手提げかばんにしまった……はずなのだが、帰宅して、かばんの中身を全部空けたとき、ブラウスが消えているのに気づいた。かばんは結構な深さがあり、口からぽろりと落ちたとは考えにくい。わたしがスーツケースに気をとられている間に、だっこひもの中からたまが手を伸ばしてブラウスを引っ張り出し、手を離してしまった、そんなことがあるだろうか。靴下が落ちましたよ、ガーゼが落ちましたよ、とこれまでにも落し物を知らせてもらったことは何度もあったけれど、今回は運が悪かったということだろうか。

京急から乗り換えた都営線の降車駅で尋ねると、同じ路線の各駅に届いている落し物情報と照合してくれたが、子ども用のブラウスはなかった。京急線と京急からつながっている北総線にも問い合わせたけれど空振りで、三日経って東京都交通局の忘れ物センターに電話しても、ブラウスは届いていませんという返事だった。自分の服だったらこんなにこだわらなかっただろう。娘の誕生祝いに贈られた大切な一着だから、簡単にはあきらめられない。そろそろ長袖の季節ではないし、秋には袖が足りなくなって着られなくなっているだろうし、そうしたら次の赤ちゃんにあげる運命だったかもしれないけれど、だからこそ、着られるうちにもっと着せておけばよかった、写真を撮っておけばよかった、と悔やんでしまう。

それでも、なくした日から一日経ち、二日経ち、一週間経ち、ブラウスのことを考える時間はどんどん短くなっている。ひとつのものを追いかけ続ける余裕がないのだ。もっと他にやることがあり、考えなくてはならないものがあり、ちっぽけな探し物を追い出していく。そうやって、ひと月も経てば、ブラウスのことを考えない日が来る。忘れ物は二度忘れられる。

小学生の頃、大切にしていた人形をなくしたときは、何日もそのことばかりを考えていた。代わりが見つからない淋しさを半年ぐらい引きずっていた。あの頃の自分の持ち物は全部合わせても小さな手を広げて抱え込めるぐらいの量で、どれかひとつがなくなっても大きな穴があいた。今の自分はたくさんの引き出しや箱に分散された持ち物の何がどこにあるかさえつかみきれていない。その中のどれかが姿を消しても、バランスやレイアウトが大きく崩れることがない。片方だけが残ったピアスを見れば、なくしたもう片方のことを思い出せるけれど、並んだ指輪コレクションを見ても、欠けた仲間を思い出すのは時間がかかる。いつの間にか消えていることにいまだに気づいていない物だってあるかもしれない。一人が持ち物に寄せる愛着の総量は決まっていて、物が増えれば、一つあたりの愛着は薄くなるのだろうか。物を人に置き換えたら、ちょっと怖い。

忘れ物のことを忘れる速度は、大人になってしまったことを測るバロメーターになるのかもしれない。だけど、ひとつの物のことを脳みそに居座ったみたいに思い続けられた頃が自分にもあったことを忘れたくない、そういう気持ちを置き忘れたくない、と思う。そのことを思い出させてくれた小さなブラウスのことを一日一度は思い出そう。何かにさからうみたいに、そう思っている。

2005年07月19日(火)  会社員最後の日
2002年07月19日(金)  少林サッカー
2000年07月19日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月17日(火)  マタニティオレンジ147 働くお母さんの綱渡り

3連休の3日めの昨日、ごきげんで目覚め、家でのんびり遊んでいるたまに、いつもと変わった様子は見られなかった。が、昼ごはんを終えてしばらくした頃、「ちょっと、たまが熱い!」とダンナが叫んだ。抱っこすると確かに熱い。汗ばんだ体から湯気が立ち上るようで、熱を測ると8度9分ある。さっきまで何ともなかったのに、どうしたのだろう。夏風邪だろうか。こんなとき、ダンナはたまのことだけ心配するが、わたしは「明日の打ち合わせどうしよう」と仕事のやりくりにも頭を悩ませる。朝までに熱が下がらなかったら保育園に預けられないが、明日はどうしても外せない打ち合わせがある。近くの小児科の病児保育に申し込もうか。でも、前も前日に電話したら6人待ちと言われたし、いっぱいかもしれない。それに、お迎え時間は保育園より30分早いから、ただでさえ時間が足りない打ち合わせをさらに早めに切り上げなくてはならなくなる……。ダンナの実家に電話し、事情を話すと、ダンナの父が仕事を休んで見てくれると言う。「大切なのは、たまだからね」と言ってくださり、ありがたいが、熱が下がったら、仕事を休んでいただく厚意が無駄になってしまうのは心苦しい。そんなこんなを葛藤するのは、どうしてダンナでなくて妻に偏ってしまうのだろう……などと悶々としているとわたしの熱まで上がりそうになる。

水分をたっぷり取らせて汗をかかせ、こまめに着替えさせても、熱は下がらない。体調が悪いと、機嫌も悪く、激しく泣き続ける。夕食前、大病院の休日外来に電話し、タクシーで駆けつけると、待合室に着く頃には泣き止み、笑顔さえ見せている。5月の浣腸騒ぎのときと同じパターンだ。心なしかおでこもひんやりしている気がする。「これで熱まで下がってたら示しがつかないよ」と、さっきまで解熱に励んでいたくせに、勝手なことを思ってしまう。体温を測ると、あいかわらず8度を超えていて、ほっとするやらがっかりするやら。診断の結果、熱の原因は風邪とも夏ばてとも判断がつかず、まだかかっていない突発(突発性発疹)の可能性もあると言われ、解熱用の頓服だけ出してもらうことに。診察の間、先生は患者よりもパソコンに向きあっている時間のほうが長く、カタカタとカルテを打ち込むのに忙しい。生身のお医者さんではなく、コンピュータに診断されたような不思議な気持ちになる。

解熱剤は9度以上の熱が出たときにお使いください、ウィルスなどをやっつけるために体が戦っているから熱が出るので、その働きをおさえてしまうことになります、と薬剤師さん。その言葉を守り、祈るような気持ちで一晩様子を見ると、今朝、熱は6度台にまで下がっていた。結局原因はわからなかったけれど、もしかしたら大阪帰りの疲れが出たのかもしれない。戦いを終えてさわやかな朝を迎えたたまは無事保育園にお預けできた。仕事を休んでくれたダンナ父は、熱が下がったことを喜んでくれつつも、たまと一日過ごせなくなったことは残念そうだった。迷ったけれど、看護師さんのいる保育園で安静にしているほうがいいと判断したと伝えると、「たまにとって、それが一番いいことなんだね」と念を押された。自分の都合を優先させただけではないか、という後ろめたさもあったけれど、定刻に迎えに行ったときのたまの元気そうな顔を見て、これでよかったのだと思えた。結果オーライではあったけれど、子どもを預けて働くというのは綱渡りだ。融通がききやすいフリーランスでもこうなのだから、会社勤めの人はもっと大変な思いをしてやりくりしているのだろう。

2005年07月17日(日)  阿波踊りデビュー
2004年07月17日(土)  東京ディズニーシー『ブラヴィッシーモ!』
2000年07月17日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月15日(日)  MCR LABO #4 愛憎@shinjukumura LIVE

2月の第1弾から毎回感心して観てきたMCR LABOの第4弾「愛憎」を観る。最終回の今回は、これまで通り短いエピソードがたたみかけられる形だけれど、最初から最後までがひとつのストーリーとしてつながっている。おぐらあずきさん(小椋あずきという名の女優さんが演じている)という冴えないOLの42歳の誕生日を10歳年下のけっこうかっこいい彼氏が祝うところから物語は始まる。ダイエット中のあずきさんのために小さなケーキに42本のロウソクを無理やり立て、「竹林」とおどける彼氏。こういう細かい笑いがMCR LABOのお楽しみ。大好きな彼氏と二人きりのバースデー、あずきさんはうれしいはずなんだけど、素直になれない。相手に言われたくないことを先回りして口走ったり、相手に言ってほしいことを誘導しようとしてまわりくどい物言いになったり、自分でも「こういうこと言いたいんじゃないんだけど」と違和感を抱えながらもどんどんめんどくさい女になっていく。この過程が、わたしがめんどくさい女になっていくときに実によく似ていて、小柄なくせにリアクションが大きなあずきさんの姿は鏡を見るようであり、自分のお恥ずかしい姿を舞台上で再現されているようで身につまされた。作・演出のドリルさんの書く状況や台詞は本当にリアルで、ああ言われたらこう言うというかけあいが絶妙で、登場人物側にぐいぐい観客を引っ張りこんでしまう。

いいヤツだけど優柔不断なあずきさんの彼氏も、二人きりの誕生日に乱入して「泊めてくれ」と無理を言う彼氏の友人も、その友人がナンパしてきた自称不幸女も、あずきさんが働く旅行会社の人望ない自己陶酔部長も、互いをリストラ要員候補に推薦しあう仕事できない同僚たちも、あずきさんが旅行を売りつける目的で入会してしまった怪しい団体(「表ざたにするまでもない被害者の会」とかいう名前)のメンバーも、みんなダメな部分を抱えている。ダサかったりズルかったりズレてたり卑屈だったり見栄張ったり嘘つきだったり。「悪」と斬り捨てられるようなはっきりしたものではなく、白になりきれず黒が混じって濁っているような、誰にでもある汚点のようなシミのようなもの。きれいごとの映画やドラマは見て見ない振りをする(ドラマチックな盛り上がりを期待する場合にも無視される)微妙なところに光を当てて、笑わせたり考えさせたりする難しいワザをちゃんとやってのけていて、ドリルさん、やっぱりすごい。

プロデューサーの赤沼かがみさんに「面白い表現がたくさんあって、今回も感心しました」と伝えたら、「言葉を駆使してますよね」。駆使、という漢字二文字を思い浮かべて、ほんと、言葉が駆けていた、と思った。赤沼さんに教えていただいて知ったMCRという劇団、これからも目が離せない。10月3〜17日、今年最初で最後の本公演(『慈善 MUST BE DIE』『マシュマロホイップパンクロック』の2本立て)を中野ザ・ポケットで上演とのこと。

2007年5月19日 MCR LABO #3「審判」@shinjukumura LIVE
2007年3月21日 MCR LABO #2「愛情」@下北沢駅前劇場
2007年2月12日 MCR LABO #1「運命」@shinjukumura LIVE

2004年07月15日(木)  見守る映画『少女ヘジャル』
2002年07月15日(月)  パコダテ語
2000年07月15日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月14日(土)  マタニティオレンジ146 コンロの火を消した犯人

床にどすんとおむつが落ちていた。10か月半になった娘のたまは、おむつを留めているマジックテープを自分ではがせるようになったのだ。暑いからとおむつ一枚にしておいたら、おむつまで脱ぎ捨て、素っ裸になってしまった。二本足で立つことを覚え、あいた二本の手がいたずらをしたくてうずうずしている。テープレコーダーのテープは引き出され、これはもう聴かないテープだからいいやと放っておいたら、いつの間にか食いちぎられていた。テープをつなげたら、元の長さになるだろうか。一部が胃に納められていないことを祈るしかない。

好きこそものの上手なれ、いたずら道は極め甲斐があるらしく、日に日に高度なわざを身につけていき、親の想像を超えたことをやってのける。やかんを火にかけたつもりが、なかなか湯が沸かず、ガスコンロを見ると、つまみが「止」になっていた。やかんはほんのり熱を放っていて、火をつけ忘れたのではなく、ある程度時間が経ってから止めたことを物語っている。首をかしげ、もう一度つまみをひねり、犯人がわかった。火がついた気配を察した娘のたまが猛スピードのハイハイでコンロ下までやってくるなり、つかまり立ちしてつまみをひねったのである。「止」の方向がたまたま回しやすかったようだが、逆だったら膨らんだ炎に巻き込まれる危険だってあったかもしれない。まだまだガスに悪さはできないとたかをくくっていたけれど、とんでもなかった。それにしても、コンロのつまみをひねるなんてこと、いつの間に覚えたのだろう。火をつけるときまではコンロに無関心だったところを見ると、つまみとガスの火の関係を理解しているようにも思われる。そのうち手首のスナップがきくようになったら、点火を試みてしまうかもしれない。末恐ろしいなあ。

2002年07月14日(日)  戯曲にしたい「こころ」の話
2000年07月14日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月11日(水)  マタニティオレンジ145 皆様のおかげの空の旅

4泊5日の子連れ帰省を終え、最寄り駅にある関西空港行バスの停留所まで母に車で送ってもらう。券売機で切符を買っていると、ベンチにいたご婦人がにこにこと微笑みかけてきた。会釈を返すと、「イヨダです」と名乗られる。大阪のわが家はわたしが高校生のときに隣の町内に引っ越したのだけれど、それまでに住んでいた町内のご近所さんだった。東京行きの同じ飛行機に乗ることがわかり、バスを待つ間から移動のバスの中、空港での待ち時間までご一緒させていただく。わたしとイヨダ夫人が二人きりになった機会はほとんどなかったから、ご近所住まいをしていた年月に交わした会話の何倍分もの話をしたことになる。イヨダ夫人は三人の男の子たちの出産話を昨日のことのように振り返り、息子さんそれぞれの近況を語り、共通の知り合いである懐かしいご近所さんについて知っていることをひとつひとつ聞かせてくれた。思い出話と今の話が行ったり来たりし、わたしの中のイヨダ夫人が目の前の夫人になったり二十年前の若奥様になったりしているように、夫人の中のわたしもときどき中高生に戻っているのだろうなと想像しながら、連想ゲームのように「そういえば、あの人は今」「そういえば、そんなことが」と話をつないでいく。

イヨダ夫人は「たまちゃん、かわいい」と何度も言い、空港では「これ、たまちゃんに」と大阪土産のチーズケーキまで持たせてくれ、荷物を半分引き受けてくれ、わたしがお手洗いに行く間はたまを抱っこしてくれた。一人で大きな荷物と子どもを抱えていたら諦めていたであろうお土産の買い物もできた。

座席まで荷物を運んでもらって、席が離れているイヨダ夫人とは機内では別々だったが、行きはヨイヨイだったたまが帰りはずいぶんぐずり、50分のフライトがひどく長く感じられた。前後左右は出張と思しきビジネスマンの方々。だが、皆さん、そろいもそろって寛大な態度を示され、救われる。右隣のおじさまは「お騒がせしてすみません」と謝ると、「いいんですよ、子どもは」と笑顔を返してくれ、羽田に着陸したときも「ゆっくり支度してくださいね。こっちは家に帰るだけで急ぎませんから」と涙が出そうなやさしい言葉をかけてくださった。後ろの席の紳士は、座席の隙間から手をのばしてこちょこちょして笑わせてくれたり、うちわであおいでくれたり。降りる際に「遊んでくれてありがとうございました」と振り返ってお礼を言うと、「こちらが遊んでもらってたんです」。自分が逆の立場になったときに、こんな気のきいたことが言えるだろうか。まわりの乗客の反応によっては、「もう子連れで飛行機に乗れない!」となっていたかもしれないけれど、いい方々に取り囲まれて幸運だった。

2004年07月11日(日)  ヤニィーズ第7回公演『ニホンノミチ』
2002年07月11日(木)  映画『桃源郷の人々』
2000年07月11日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月10日(火)  マタニティオレンジ144 離乳食も食いだおれ

離乳食がはじまって初めての旅行とあって、レトルトの離乳食を買い込んだ。「鮭ごはんと豆腐そぼろ」「炒飯と八宝菜」など定食屋のランチのような献立になっていて、大人の非常食にもなりそう。非常食にはお守り代わりのようなところもあるが、レトルト離乳食も、「いつでもあげられる」という安心感を持ち歩くことができる。レンジであたためるとよりおいしいらしいが、常温でも食べられる。

やわらかくて薄味であれば大人と同じものをずいぶん食べられるようになっているので、外食先でも間に合ったりする。土曜日はうどんすきを分けられたし、日曜日はベーカリーレストラン「サンマルク」の食べ放題のパンを夢中で食べていた。ミルクパン、レーズンパンのレーズンがないところ、オニオンパン、よもぎパン、くるみパンのくるみのないところ、チーズパン……。焼きたてのふわふわパンはいくらでも入るらしい。赤ちゃんのたまは頭数にカウントされていないけれど、無料でこんなにいただいていいのかしら、と申し訳なくなるほどだった。昨日のホテルの朝食バイキングも、カレーのナン、豚まんの皮、湯豆腐、肉じゃがなどなど、たまが食べられるものが十分あり、レトルトの封を開けるまでもなかった。「食いだおれ」文化に染まっているのか、大阪に来てからたまの食欲はますます旺盛になっている。

豚まんの皮といえば、わたしが地球上でいちばん好きな食べ物、大阪名物551の蓬莱の豚まんの皮をはじめて食べさせたら、目を輝かせて食いついていた。好きな食べ物も遺伝するのだろうか。もしかしたら、たまにとっても、今まで食べた中でいちばんおいしいものなのかもしれない。食いだおれでいちだんと丸くなったたまがムチムチの豚まんにかぶりつく姿を見て、「共食いやなあ」と母が笑っていた。

2005年07月10日(日)  12歳、花の応援団に入部。
2003年07月10日(木)  三宅麻衣「猫に表具」展
2002年07月10日(水)  『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子)
2000年07月10日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月09日(月)  マタニティオレンジ143 はじめてのお泊まりに大興奮

今日から明日にかけて、泊りがけの仕事。娘のたまが生まれて以来、離れて夜を明かしたことは一度もないので、子どもを連れて宿泊することになる。さらに、わたしが打ち合わせしている間は堺の母にベビーシッターを頼むことになり、母の宿泊も必要になった。広告会社に勤めていた頃、このようなことをする外注先に遭遇した記憶はないから、わたしがしていることは、かなり厚かましいことなのだろうと想像する。母と子どもとともに現地に乗り込んでいる安心感があるからこそ仕事に打ち込めるわけだけど、そのわがままを聞き入れ、対応してくれたプロデューサーや理解を示してくれた他のスタッフの方々に感謝する。

晩ご飯用の離乳食は、宿泊先の沿線に住む妹の家に立ち寄った際に持たせてもらった。家ではフローリングの床に遠慮なく食べこぼせるけれど、ホテルのカーペットを汚すのははばかられ、ユニットバスのバスタブの中で食事に挑戦。赤ちゃん相手とはいえ二人で向き合うにはスペース的に無理があり、しかも床がすべるので、あえなく断念。カーペットにピクニックシート代わりにバスタオルを敷く作戦に変更した。

打ち合わせが終わり、10時頃に部屋に戻ると、打ち合わせとタイミングを合わせるように眠ってくれたたまが目を覚まし、その目がらんらんとなり、完全に覚醒してしまった。大阪の実家や鎌倉のセピー君の家で外泊経験はあるけれど、ホテルに泊まるのは初めて。生活感のない空間に、これまで体験したことのない空気を感じたのか、落ち着かない。幸いぐずるのではなくハイになっている状態で、スプリングのきいたベッドの上で跳ね回り、歓声を上げ、枕投げでもはじめそうな勢い。まるで修学旅行先の小学生のようだ。

心配したのは、ベッドのこと。落下をおそれて家では床に布団を敷いて寝るようになったが、和室がないということで、ベッド二つのツインの部屋を用意された。二つのベッドをつなげようと試みたけれど、動かないので、椅子を二脚向かい合わせにして置き、ベッドとベッドの間を塞いだ。二つつなげた椅子は、たまにはごきげんな乗り物に見えたらしい。目にもとまらぬ勢いでベッドから乗り移ってきた。椅子の背につかまり立ちし、得意げに「オー」と雄叫びを上げる姿は、大海原を見つめる船乗りのよう。ベッドの足元付近には万が一落下したときのクッション代わりにとベッドのコンフォーターを敷き、わたしの眠気が限界なので、一向に寝てくれそうにないたまを無理やり抱きかかえて眠りについた。たまは無事朝まで眠ってくれ、ベッドから落ちる事態は避けられたけれど、足元をすくわれたり落ちたりする悪夢を立て続けに見たわたしの眠りは浅かった。

2003年07月09日(水)  LARAAJI LARAAJI(ララージララージ)
2002年07月09日(火)  マジェスティック


2007年07月08日(日)  マタニティオレンジ142 布の絵本とエリック・カール絵本のCD


母とわたしとたまの女三世代で、幼なじみのたかの家に遊びに行く。たかとは小学生の頃、スポーツ教室でバレーボールや器械体操を習った仲。中学校ではソフトボール部で一緒だった。たかのおばちゃん(友人のお母さんを「おばちゃん」と呼ぶのは関西特有だろうか)とわたしの母は海外旅行に連れ立って出かける仲で、昔から家族ぐるみのおつきあい。

たかもたかのおばちゃんも子ども好き。時々遊びに来るたかの弟のおチビちゃんのためにおばちゃんが作った「おおかみと7ひきのこやぎ」の布絵本を見せてもらう。表紙のドアを開けると、中面の見開きいっぱいを使った赤ずきんちゃんの家の中。カーテンの後ろ、時計の中、ベッドの中、あちこちに隠れられるようマジックテープが施されている。10か月半のたまには芸の細かさのありがたみがまだわからない様子で、平気で踏んづけたりしているのだが、あと半年ぐらいして、一緒に子ヤギやオオカミを動かしながらお話を作れたらどんなに楽しいだろうと想像する。「簡単に作れるよ」とおばちゃんに言われてその気になったけれど、おばちゃんの仕上げたキルト作品の数々を見て、スタート地点が違いすぎると思い知る。一面の空に鳥を飛ばすとか、一面の海に魚を泳がせるとか、フェルト一枚にマジックテープをくっつけただけの入門編なら手に負えるだろうか。

幼稚園で働いているたかは、「今幼稚園ではやっているねん」と「エリック・カール絵本うた」のCDを教えてくれた。家でときどき読み聞かせている「はらぺこあおむし」の絵本の文章がそのまま歌詞になっている。他に「できるかな」「月ようびはなにたべる?」を収録。どれもメロディが親しみやすく、すぐに口ずさめる。「できるかな」はふりつきで、たかが踊ってくれた。ペンギンやキリンやサルやゴリラがそれぞれの得意のポーズを「あなたもできるかな」と問いかけ「できるよできる」で一緒になって体を動かす。まだ思い通りに手足を動かせないたまも、たかの動きの面白さに目をきらきら。「幼稚園の子どもたちが夢中になって踊っている」という光景が想像できる。ダビングしてもらい、エンドレステープにして流していると、「ダイエット体操になりそう」と母。

夕方は、たまを連れて三年前に亡くなった幼なじみの佳夏の家にお邪魔した。突然の訪問だったので遠慮する気持ちはあったのだけど、数日前に佳夏の同級生だった人からメールを受け取ったので、そのご報告がてらうかがうことに。佳夏の家に行くと、佳夏と遊んだ子ども時代のことを思い出す。絵本もよく読んだ。いちばん夢中になったのは、かこさとしさんの『うつくしいえ』という一冊だった。名画といわれる作品に子どもにもわかりやすい解説をつけて紹介したもので、同じページを飽きもせずに眺めていたものだ。三十年ぐらい前のことなのに、そのときの本棚の位置や、立って絵本を広げていた自分の目の高さや、「ヴォルガの船曳」という絵になぜか惹きつけられたことなどを思い出せる。その後、留学先のアメリカの高校で美術クラスを取って、高校を出たらアートスクールに行きたいなんて思ったルーツも、幼い日に出会ったこの本にあったのかもしれない。娘にも読ませたい一冊を選ぶとしたら、『うつくしいえ』は外せない。

2005年07月08日(金)  いまいまぁ子とすてちな仲間たち
2000年07月08日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月07日(土)  マタニティオレンジ141 5人がかりで大阪子守

はじめて大阪での仕事が入り、帰省がてらたまを連れて大阪へ。伊丹空港にはイケちゃんサンちゃん夫妻が明石から車を飛ばして迎えに来てくれる。夫妻とは、一昨年11月に軽井沢で行われた広告会社時代の同僚E君とT嬢の披露宴で知り合って以来の再会。イケちゃんはE君と幼稚園から中学校まで同級生。E君の高校時代の同級生で、これまた披露宴で意気投合したフクちゃんと、その彼女で4月に東京のわが家にフクちゃんとともに遊びに来てくれたサトちゃんと合流し、天神橋商店街の中にあるお店でうどんすき。たまもお相伴に預かり、長いままのうどんをずるずると食べる。「にょろにょろしたものが好きみたい。電話線とかコードとかベルトとかネクタイとか」と言うと、「そしたら、これはどう?」とイケちゃんが箸袋をくるくると丸めて、開いているほうから息を吹き込み、伸び縮みさせて遊んでくれる。子ども一人に大人が5人。右から左から前からたまちゃんたまちゃんとあやされ、たまは「あたしが主役ね」と言わんばかりに歓声を上げて絶好調。

関西テレビの社屋まで歩き、その裏にある大型遊具の充実した扇町公園で遊ぶ。「たまちゃん、すべり台あるで!」とたまを抱っこして駆けて行くフクちゃん。どっちが子どもかわからんなあ、と笑いながらぞろぞろついていくと、トンネル型のすべり台をフクちゃんに抱かれて滑り降りたたまは号泣。「ああっ、フクちゃん泣かした!」「暗闇で怖かったんちゃう?」とやいやい言われ、フクちゃんは懸命にたまをなだめながら、「ほな、水遊びしよか」と今度は噴水へ移動。噴水エリアには入れなかったけれど、そばにあった水飲み場の蛇口から水を出して、パシャパシャ。

関西テレビの中にあるキッズパークはあいにくお休みだったけれど、トイレにはおむつ替えシートがあり、助かる。「売店でええもん見つけた」とフクちゃんが差し出した袋の中身は、間テレのキャラクター・ハチエモンの吹き戻し。先ほど箸袋を吹きながら、「こういうおもちゃあったなあ」「どこで買えるんかなあ」などと話していたので、「よう見つけたなあ」と感心する。ところが、この吹き戻し、笛つきになっていて、息を吹き込むとラッパのような威勢のいい音を立てる。たまはびっくりして泣き出してしまった。

次は甘いもん食べにいこ、とフクちゃんおすすめの「五感」というパティスリーへ。洋館の一階がテイクアウトのお店で、回廊になっている二階がティールーム。階段下の行列を見てティールームは諦め、ケーキを買ってフクちゃんのデザイン事務所で食べることに。ケーキもパッケージも店内のレイアウトも洗練されたデザインで、「大阪にもこんなお洒落な店があるんやなあ」と感心する。わたしの大阪カフェ歴は「1リットルパフェ」めぐりをしていた高校時代で止まっているので、「どやっ」という押し出しの強い店ばかりが記憶にある。フクちゃんちティールームではハイハイも授乳もできて、大きな声を出しても気兼ねがいらず、たまにとってはこちらのほうが居心地が良かった。大人5人が5種類のケーキをぐるぐる回してつつきあうテーブルの下で、たまはテーブルの脚を支えにつかまり立ちスクワットを繰り返していた。

帰りはイケちゃんサンちゃんが堺の今井家まで送り届けてくれ、たっぷり半日つきあってもらった。たまはすべり台とハチエモン吹き戻しに泣かされた以外はほとんどぐずらず、ごきげんにしていた。自分に関心を注いでくれる人が、ちゃんとわかるのかもしれない。

2005年07月07日(木)  串駒『蔵元を囲む会 天明(曙酒造) 七夕の宴』
2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日
2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月05日(木)  桃とお巡りさん事件

スーパーで買い物を終えて出てきたら、男の人の罵り声が聞こえた。「俺はこんな扱い受けたこと今までにいっぺんもねえよ! あんたいきなり名乗りもしないで失礼じゃねえか」と小柄な男性が噛み付いている相手は制服姿のお巡りさん。「まあまあそう感情的に話されてもですね」と穏やかな声でしずめようとしているが、「名乗るのが礼儀だろ。本物の警察かどうかもわかんないじゃねえか」と怒りがおさまらない男性の後ろに積み上げられた平たい箱を見ると、桃がぎっしり納まっている。路上で桃を販売しているところを注意されたようだ。

「口動かすより手動かしなよ」と小柄な男性に声をかけた大柄な男性は相方らしく、路肩に停めたバンに桃入り箱をせっせと運び込んでいる。さっさと退散して次の商売場所に移動したほうが身のため、と思っているのか、きびきびと無駄のない動きで山積みの箱の嵩を低くしていく。「ここで、この桃いくらと聞いたら、売ってもらえるのだろうか」と誘惑にかられつつもそんな無謀なことはせず、見てないふりをしながら耳だけはしっかり集音モードにして、横を通り過ぎた。

しばらく歩くと、自転車に乗ったお巡りさんとすれ違った。先ほどのお巡りさんが応援を頼んだのだろうか。その割には膝が車体から大きく出たのん気な漕ぎ方をしている。何も知らずに桃現場に差しかかったら、どう反応をするだろうか。どうしましたか、と声をかけたら、二倍になったお巡りさんに、男性の怒りも倍増するだろうか。引き返して確かめてみたくなったが、そうせずに歩き続けていると、代わりの商売場所が見つからなかったらあの桃はどうなるのだろう、と気になってきた。山積みの箱にぎっしりの桃が頭から離れず、桃が食べたくなって困っている。

2003年07月05日(土)  柳生博さんと、Happiness is......
2000年07月05日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)

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