2007年07月04日(水)  肉じゃがと「お〜いお茶」とヘップバーン

『子ぎつねヘレン』が縁で知り合ったSさんから小包が届いた。中身は、レトルトの肉じゃがと「お〜いお茶」のペットボトルと「HEPBURN」と英字ロゴが躍る「月刊ヘップバーン」の2005年8・9月号。肉じゃがは、Sさんが最近神奈川から引っ越された舞鶴が「発祥の地」なのだとパッケージに書いてある。英国のシチューを再現しようとしたのが日本の味付けであの姿となったらしい。肉じゃがのお供にお茶ということだろうか、とペットボトルをよく見ると、「第十七回 伊藤園新俳句大賞」の掲載作品五句の二句目、佳作特別賞の「泣き虫の笑顔を包み山笑ふ」の作者がSさんなのだった。

俳句をたしなまれるSさん、わたしの日記に「ヒップボーンの会」のことを書いてあるのを見つけて、「今はもうやらないのですか」と聞かれたことがあった。20代の一時期、当時流行っていた黛まどかさんの「ヘップバーンの会」の勝手にパロディにした会を作り、「オードリー・ヒップボーン」というふざけた俳号で俳句ごっこに興じていた頃があった。会員は同期のママチャリと二人きりで、ろくに活動しないままに自然解散したのだが、「こんなのできましたあ」と見せていた相手は、俳句界の巨匠にして同じ広告会社に勤めていた中原道夫氏。ママチャリが営業、わたしがコピーライター、中原さんがアートディレクターで某化粧品ブランドの広告を作っていた。

初めて見る本家ヘップバーンの会誌、Sさんがどこからかわざわざ入手してくださったのかと思ったら、ご本人の俳句が掲載されているので驚いた。「B面の夏じやんけんはぱーばかり」「蝉の後ついて地球を歩きをり」「婚約者ホワイトジーンズ腰ではき」。「ヘップバーンママ」のコーナー(ママ会員なるものがある!)には「産毛なでつむじのふたつ聖五月」という句が紹介されている。Sさんは由緒正しきヘップバーン会員だったのだ、とヒップボーン会員は恐れ入る。

Sさんからの三点ギフトは、テレビドラマ『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』の録画DVDを送ったお礼に送られた。『子ぎつねヘレン』つながりで『ブレーン・ストーミング・ティーン』を読んでくださり、小林涼子ちゃんの『砂時計』も観られていたというので、こちらの今井雅子×小林涼子作品もぜひ観ていただきたい、と押し付けるような形で送らせてもらったら、肉じゃがとお茶と冊子に化けたのだった。作品を世に出した後に生まれる人との出会いややりとりは、著作権料よりもうれしいおまけになる。

2006年07月04日(火)  2年ぶりのお財布交代
2005年07月04日(月)  今井雅之さんの『The Winds of God〜零のかなたへ〜』
2003年07月04日(金)  ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」
2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日
2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月03日(火)  マタニティオレンジ140 七夕に願うこと

先週、保育園で「願い事を書いてお持ちください」と短冊が配られ、ああ七夕か、と思い至った。娘を授かって、自分が娘だったときぶりに雛祭りを祝ったけれど、これからも大人だけなら通り過ぎてしまう年中行事に立ち止まる機会をもらえそうだ。保育園に通っていると、なおさら無視できなくなる。色画用紙に星を貼り付けた短冊を用意され、立派な笹に飾り付けまでやってもらえて至れり尽くせりだ。

二枚ずつ配られた短冊は、お父さんとお母さんで願い事ひとつずつ、ということだろうか。一年後の七夕には、たまもおしゃべりするようになって、代筆できるかもしれないけれど、今年は「マンマ」を翻訳して「ごはんがたべられますように」と書くわけにもいかず、親からの願い事を綴ることにする。何を書こうかと考えたが、思いつかない。ダンナに対してなら、ああしてほしいこうしてほしいがあるし、仕事についてなら、ああしたいこうしたいがあるし、自分自身についても、ああなりたいこうなりたいがある。けれど、娘に対しては、そのままでいいよ、と慎ましい気持ちになれる。一年前のおなかの大きい頃なら、「元気に産まれてくれますように」とだけ願っただろう。これ以上望むものはない。そんな存在が自分にもできたのだなあとしみじみする。何年か経てば、ああなってほしいこうなってほしいと欲が出てくるのだろう。絵馬に託すように合格祈願をする日も来るのかもしれない。元気に生きていてくれるだけで十分、そう思える今を大切にしたい。

2005年07月03日(日)  親子2代でご近所仲間の会
2000年07月03日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月02日(月)  マタニティオレンジ139 マジシャン・タマチョス

保育園のおかげで離乳食は順調に進み、後期食。細かくすりつぶしたりしなくても、やわらかくゆでれば噛んでつぶして食べてくれる。上の歯が2本、下の歯が4本生えていることもあり、かなり大胆な大きさに切ったじゃがいもやにんじんも上手に食べる。今日の夕食、にんじん入りのおかゆも、もりもり食べて完食。と思ったら、「よく食べました」とほめた瞬間、口から四角く切ったままのにんじんが飛び出した。それも次から次へと。りすのようにほっぺたの両側に隠して、器用におかゆだけ飲み下していたらしい。トランプのカードを飲み込んだと見せかけて取り出して見せるマジシャンの芸を思い出した。なんでも喜んで食べていた時代から好き嫌い時代に突入した様子。これからは、あの手この手のにんじん食べさせ作戦が必要になりそう。摩り下ろして姿を消したり星型に変身させたり、母も料理マジックで対抗するとしようか。

2006年07月02日(日)  メイク・ア・ウィッシュの大野さん
2005年07月02日(土)  今日はハートを飾る日
2004年07月02日(金)  劇団←女主人から最も離れて座る公演『Kyo-Iku?』


2007年07月01日(日)  マタニティオレンジ138 いつの間にか立ってました

金曜日、保育園に迎えに行ったら「たまちゃん、もう立っちできるんですね」と保育士さんに言われ、「ええっ、いつの間に!」と驚いた。つっぱりになっている壁やテーブルから手を離し、10秒ほど拍手をするという。はじめての立っちという歴史的瞬間を「いま立った!」「立ったぞ!」と夫婦で興奮して迎える図を想像していたのだが、家ではなく保育園で初披露を済ませてしまった。というわけで、6月29日は立っち記念日。

本当はハイハイで胸筋背筋をしっかり鍛えてから立ったほうがいいのだろうけれど、ちょっとハイハイすれば壁か家具にぶつかってしまうわが家では、体が水平よりも垂直に向かってしまうのも無理のない話。この週末は、家でも何度も披露してくれた。パチパチと拍手するのは、両手が何もつかんでいないことのアピールなのか、親にも拍手を求めているのか、自らを褒め称えているのか。「どう? すごいでしょ」と言わんばかりの得意げな笑顔でパパとママを見やり、「オーオー」とご機嫌な声を上げているので、自分の足だけで立つのはよっぽど気分のいいものらしい。ぐらぐらしていた足も少しずつ安定して、15秒、20秒と二足立ち記録を更新している。この調子なら歩き出すのも時間の問題かもしれない。ますます目が離せなくなるなあとぼやきつつ、寝転がって手足をばたつかせていただけの子がついに一人で立ったか、と頼もしいわが子の立ち姿に目じりは下がりっぱなし。たまが歩き出す前に、親ばかが一歩前進。

2005年07月01日(金)  ハートがいっぱいの送別会
2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ
1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの


2007年06月29日(金)  マタニティオレンジ137 おっぱいより朝ごはん

保育園の連絡帳に「たまちゃんが毎朝おなかをすかせて泣いています。おっぱいはしっかり飲んでいますか」と保育士さんからコメントがあり、そこから矢印が引っ張られて、「というより、しっかり朝ごはんを食べさせましょう」と栄養士さんからのコメントが書き添えられていた。ひと月ほど前に「そろそろ3回食にしましょう」と栄養士さんから指導があり、保育園で午前食と午後食の二回離乳食が出るので、夕食を家で食べさせるようにしていたのだけれど、「午後食はおやつと考え、朝も食事をさせてください」とのこと。知らなかった。「たまちゃん、午前中が待ちきれなくて、マンママンマって急かすんですよ」「他の子が先に食事していると、ほしがるんですよ」と保育士さんに言われて「元気で利発な子に育っている」と喜んでいたのだけれど、単純に飢えていたらしい。今日からは朝おかゆを炊いて、しらすやかつおぶしや野菜を適当にのっけて、腹ごしらえさせてから送り出すことにする。

朝ごはんを食べるようになると、「目覚めの一杯」の出番がなくなるかな、と思ったけれど、母乳はあいかわらずほしがるので与えている。たまにとっても、エネルギー源というよりママに甘える口実のよう。こうしていると落ち着くの、そんな顔をして飲んでいる。「湯上がりの一杯」は飲んでいるうちに眠り、寝息を立てながらもチュパチュパと口を動かし、「エアおっぱい」している。夢の中でも飲んでいたいほどおいしいのかな、といとおしくなる。「おっぱいをあげるときは赤ちゃんの目を見ましょう、なんて当然のことを話し合うのに税金を使わないでほしい」といった趣旨の投書を先日新聞で読んだけれど、会議で議論して提言にまとめるまでもなく、場数を踏めば、おっぱいコミュニケーションはうまくいく。わたしの中の奥のほうで何十年も眠ったままだった母性らしきものを、おっぱいと一緒にたまが吸い出してくれている。

同じぐらいの月齢の子を持つお母さんとは、卒乳の話題が出るようになった。子どもよりも母親のほうが乳離れできない、というケースが多い。本当はしたくないんだけど……と保育園に子どもを預けるタイミングで卒乳するお母さんは多い。子どもと離れている間におっぱいが張ってくると仕事の合間に搾乳しなくてはならないし、ほうっておくと乳腺炎になってしまう。幸いわたしの母乳工場は「発注があれば生産」するようにできていて、なんとか留乳(いま作った言葉)できている。とはいえ、省エネモード程度にはラインが稼動するので、ときどき貯蔵タンクがいっぱいになって、打ち合わせの最中に「漏れてる!」と焦ることはあるけれど、案外気づかれていない。母乳が漏れ出すものだとは、わたしも身をもって体験するまで知らなかった。たった一人のために運営中の母乳工場、リクエストがある限り、閉鎖したくないと思っている。

2002年06月29日(土)  パコダテ人大阪初日
2000年06月29日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年06月27日(水)  中国経絡気功整体の大先生

産後の腰痛がひどくて、遠赤外線で治す民間療法やら痛くない鍼やらを試してそれなりに効果はあったけれど決定打に欠け、そうこうしているうちにますます痛みが募ってきたところに、新聞チラシで「中国経絡気功整体」という効きそうな名前を見つけた。2000円割引チケットがついていたこともあり、早速行ってみると、いかにも本場っぽい大柄で日本語がたどたどしい先生が白衣でお出迎え。体格から想像した通りの太い指に体重をかけてぐいぐいと押してくれ、痛気持ちいい。しかし、経絡気功整体ともったいぶって名乗る割には、ただもんでいるだけという気がする。。「コッテマスネ」「カタイデスネ」などと言いながら手当たり次第に硬いところをもみほぐしている感じで、台湾や中国やタイの旅先で受けたマッサージと大差はない。

チラシには「何度か通えば治る」ようなことを書いてあったけれど、治療のような計画性は感じられない。「治りますか」と聞いたら、「ソウネエ。バランスガワルイデスネ」とはぐらかす大先生。それでも施術後の気持ちよさの余韻でつい5回券を買ってしまったけれど、2、3日もすると、いや、早ければその日のうちにもみ返しが来て腰痛がぶり返すので、5回で見切りをつけた。結局、大先生に力自慢のマッサージ師以上の腕を見出すことはできなかったけれど、一度だけ、先生が自信満々に「診断」してくれたことがあって、
「ココ、ヒジョウニカタクテ デッパッテマスネ」と右足の外反母趾を指先でなぞって言った。もともとあったものが産後にいっそうひどくなったので、先生でなくても、靴の上から見てもわかるほどに飛び出している。
「治りますか」とためしに聞いてみたら、
「ヒラベッタイ タカクナイ クツヲ ハイテクダサイ」と言われた。大先生の日本語が最も流暢だった瞬間だった。この話はけっこう受けるので、ちょっぴり元を取った気になる。

2002年06月27日(木)  泉北コミュニティ


2007年06月26日(火)  マタニティオレンジ136 サロン井戸端

保育園の園長先生の提案で、意見交換会なるものが開かれた。クラスごとの保護者会を園全体規模にしたようなもので、参加は自由。第一回目の今回はテーマをとくに設けず、一時間の中で参加者が一人一言発言すること、会に名前をつけることが目標となった。わたしが10分ほど遅れて席(子ども用の小さな椅子)に着いたときには、3歳児クラスのお母さんがトイレトレーニングについての武勇伝で和やかな笑いを誘っていた。「保育園を良くしていくために何が必要か、考えて行き着いたのは、コミュニケーションだったんです」と保育士さん。日頃から保護者と園が話せる関係を作っておけば、問題が起こったときに知恵を出しやすいし、つまらないことで衝突することも少なくなる。

コミュニケーションにちなんで、わたしは「挨拶」と「連絡帳」について話した。子どもを産むといろんなものをあきらめなくちゃならないと思い込んで「産まず嫌い」だったけれど、産んでみたら世界が広がった。とくに保育園に預けるようになってからは、みんなの中で自分も子どもも成長させてもらっている。朝いろんな人に「おはよう」と声をかけることもこれまではなかったし、連絡帳でのやりとりは交換日記のようで楽しい。そんなことを話した。子どもとコミュニケーションを取る大切さは口すっぱく言われるけれど、子どもを抱えた親こそコミュニケーションに飢えている気がする。少なくともわたしは、「今日のたまちゃん、ごきげんでしたよ」「うちの子と遊んでましたよ」と教えてくれる人がいることに、居場所を用意されたような心地よさと心強さを感じる。

きょうだいが他の園に通っているお母さんによると、「こんなに先生たちが笑っている園は珍しい」のだそう。3才児まで50人ちょっとの小さな園だからこそ先生方にも余裕があり、行き届いた保育ができる。「保育はサービスではなく善意。してあげるのではなく、こうなるといいなという気持ちで動くことが大事」と保育士さん。育児はあくまで親がするものであり、手助けが必要なところに手を差し伸べるだけ。けれど、その手がいつでも出せるように、見守る目は休んでいない。とてもあたたかい雰囲気の園なので、転園すると、子どもよりも親が「帰りたい」となってしまうのだとか。4、5才児クラスがない園なので、3才児クラスを終えると、他の園に移ることになる。「転園すると、すでにいる人たちの関係が出来上がっていて、後から入り辛いという話をよく聞くけど」「シャッター閉めているのは本人のほうかも。声をかけられるのを待つのではなく、自分から声をかけたら、それでも無視されることはないはず」「声をかけあうこの園の良さを、みんなが転園先に持っていけばいいんじゃない?」「やっぱり行き着くところはコミュニケーション」などとサロン感覚でくつろぎながら井戸端会議のにぎやかさ。会の名前は「サロン井戸端」となった。

2004年06月26日(土)  映画『マチコのかたち』


2007年06月25日(月)  割に合わない仕事

「はっきり言って、割に合わないんですよね」。何度目かの直しを依頼する電話をかけてきた相手にそう告げた瞬間、自分の言葉に驚いた。今井雅子、ついにそういうことを言うようになったか。電話の相手も面食らった様子で、「ギャラがご不満でしたら、上に相談してみまして……」「いえ、お金的には最初から割に合ってないんですが」ますますわたしはすごいことを言う。だったら何が気に入らないのか、うまく説明できない。電話を切ってから、「そうか。自分の期待に釣り合っていないんだ」と気づいた。先週引き受けたその仕事は、まだわたしがあまり実績のないジャンルのもので、ギャラよりも作品を形にできることに惹かれて受けた。けれど、蓋を開けてみると、わたしに求められているのは、クライアントの要求を器用にまとめて形にする作業だった。読みが甘かったのだ。

もやもや感のくすぶりに既視感を覚えて、思い出した。広告会社でコピーライターをしながら脚本を書いていた頃、早く家に帰って脚本を書きたいのに、理不尽な直しが後から後から入ってきて、「こんなことやってる場合じゃない!」と苛立った、あのもどかしさに似ている。コピーライターの名は広告にクレジットされないけれど、世に出すからには、わたしが書きました、と誇れるものにしたかった。書きたいものと求められているものの折り合いを必死で探っていた。会社でわたしが重宝されたのは、いいコピーを書くからではなく、得意先が欲しがるコピーを書けるからだった。自分の考えた言い回しと宣伝担当者が発明した言い回しのパッチワークをこなれたコピーに仕立て直す、そんなことばかりうまくなっていた。早くて便利なコピーライター。コンビニと同じでお客さんはひっきりなしに来るけれど、大切なものを頼むときはよそへ行ってしまうだろう。そんな怖さがよぎって、自分の名前で勝負しようと思い立ったのが、大好きな会社を飛び出してフリーランスの脚本家に転じた動機だった。

好き勝手に書かせてほしいのではない。直すのが嫌なのではない。誰がやっても同じ仕事をしたくない、それだけだ。「わたしがやらなくてもいい仕事」にかける時間と労力があったら、「わたしがやるべき仕事」に注ぎたい。それが「割に合わない」の内訳だった。恋愛と同じで、違和感をはっきりと自覚しながらつきあいを続けるのは、しんどい。けれど、引き受けた仕事を投げ出すことは許されない。「仕事のせいにするんじゃなくて、割に合う仕事にするのは自分次第なんじゃないの」ともう一人の自分が囁く。たとえ仕入れにコストをかけすぎて原価割れしても、コンビニではなく専門店の仕事をするのだ。名前を出すからには、ギャラではなくプライドに見合った仕事をするのだ。フリーランスの意地だ。気を取り直してパソコンに向かい、ファイルを開き、もうひと粘りすることにした。電話の相手に投げつけた「割に合わない」は結局、自分を奮い立たせる言葉だったのかもしれない。

2005年06月25日(土)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学最終日
2002年06月25日(火)  ギュッ(hug)ギュッ(Snuggle)
2000年06月25日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年06月24日(日)  マタニティオレンジ135 うっかりケーキでたま10/12才

更新が滞っている14回分をすっ飛ばしてマタニティオレンジ135回目は、8月22日生まれの娘のたまの10/12才会。今月のゲストは、ダンナが東京国際マラソンを一緒に走った、わたしたち夫婦より少し若い三十代前半のU君、O君、M君の三人組。事前にわたしの日記を読んで研究してくれたらしく、お楽しみのケーキも前日から気合を入れて予約。すべり出しは絶好調だったのだけど、当日になってブレーキ。店にケーキを取りに行ったM君から「ちょっとトラブルがありまして、いま、後楽園から池袋に向かっているので遅れます」と連絡があった。電話を受けたダンナと「なぜ、ケーキのトラブルで後楽園から池袋へ?」と首をかしげているところにU君とO君が到着し、「M君、ケーキを電車の中に忘れちゃったらしいです」。網棚の上に置いたまま後楽園で電車を降りて気づき、血相を変えて池袋の忘れ物センターへ取りに向かったのだった。「M君ならありうる」「いつものことながら、おいしい」とわたし以外の三人がうなずきあうのを見て、会う前から「うっかりM君」のキャラクター設定は出来上がった。

2才の女の子がいるU君ばかりか独身のO君とM君も子ども好きなのには驚いた。親バカのダンナを筆頭に男四人で「いないいないばあ」の大合唱。パパが4倍に増えたようなにぎやかさに、緊張気味だったたまも自分からすりすりするまでに。たまはこの一か月でつかまり立ちの安定感がさらに増し、片手で軽く支えるだけで直立できるようになった。ときどきその片手も離してバランスを崩し、本人も親をヒヤリとなる。歯は上2本下4本。わたしを見て、はっきりと「ママ」と呼ぶ。保育士さんを「センセ」と呼ぶこともあるとか、離乳食がなくなると「ナイ!」と訴えるとか、保育園の日誌で報告は受けるけれど、まだライブで確認はしていない。

マラソンの打ち上げを兼ねての誕生会ということで、「たまちゃんかわいい」「たまちゃん面白い」に大会の武勇伝がサンドイッチされる。ここでもM君は「仲間うちでただ一人、時間切れで関門に引っかかり完走できなかった」というおいしい位置づけ。関門でテレビ局のインタビューを受け、「コンビニで買い物してたら遅くなっちゃいました」とコメントしたのが放送で使われたとか。ポケットに忍ばせた2000円で飢えを凌いだのだった。お金を持ち合わせていなかった他の三人は、ありあまるほど用意されると聞いていた差し入れが、自分たちが通過する前に食い荒らされて何も残っていなかったことを嘆きあう。「でも、アミノバイタルのドリンクはありましたよね」「あったあった」という話になると、「僕のときは、紙コップだけ散らばってました」とM君。つくづくおいしい。「バナナは皮ごと渡してほしかったのに、皮をむく間待つのがまどろっこしかった」「でも、走りながら皮をむくとゴミになるからダメなのでは」「いや滑るからでは」などという妙に細かい話も拾えて面白かった。

「M君の真似じゃないけど、わが家もハプニングがありまして」。食欲旺盛なアスリートの胃袋に応えて手料理をふるまうつもりが、予定外の鎌倉セピー邸宿泊で作戦変更。昨夜テソン君が腕をふるった晩ごはんが大移動してわが家のテーブルに並んだ。チリビーンズ、韓国風ゆで豚、テソン君のオモニが仕込んだキムチ、テスン君に調味料をまるごと分けてもらって作った蛸のサラダ、どれも好評で、鎌倉出発前に仕込んでおいたものの何がしたいんだかわからなくなってしまった初挑戦の野菜のテリーヌの痛々しさをカバーしてくれた。定番のステーキとガーリックライスは焼き加減、味加減ともにいい感じで成功。


宴もたけなわ、後楽園から池袋忘れ物センターを旅したバースデーケーキは原型をとどめているのやら、ドキドキしながら箱を開けると、箱に激突して一部崩れているものの「セーフ!」。丸の内オアゾに入っているSOMETHING ROUGEというお店のデコレーションケーキで、名前からして苺のケーキの専門店らしい。「苺だけだと淋しいかなと思って、ブルーベリーも足してもらったんです」とM君。ホワイトチョコレートのプレートもかわいらしくて、これは電車に忘れちゃったからといって、そこらのお店で代わりはきかない。「見つかってよかったよかった」と幸運を噛み締めていただく。スポンジを積み重ねるのではなく、縦置きのロールケーキになっているのが特長。クリームもスポンジもふわふわの口どけ、M君のうっかりハプニングのおいしさに負けていなかった。

2005年06月24日(金)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学7日目
2004年06月24日(木)  東京ディズニーランド『バズ・ライトイヤー夏の大作戦』
2000年06月24日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/27)


2007年06月23日(土)  「イラン・ジョーク集」のモクタリさんと鎌倉ナイト

京都時代の知り合いのツキハラさんが来るから遊びに来ない?と鎌倉のセピー君からお誘い。明日のたまの10/12才誕生会の準備があるからどうしよう、と迷ったら、「今井さんが前に日記に書いてたイラン・ジョーク集の人も来るよ」とのこと。さらに、4月にセピー邸で大人の休日を一緒に過ごしたテスン君とユキコさんのカップルも集まるということで、準備は何とかなる、と見切って鎌倉へ向かった。

「イラン・ジョーク集の人」とは2004年の秋に益田祐美子さんからもらった『イラン・ジョーク集〜笑いは世界をつなぐ』の著者、モクタリ・ダヴィッドさんのこと。益田さんが『風の絨毯』の次の作品として準備を進めていた『パルナシウス』という長編映画のペルシャ語訳を手伝っていた人で、その縁で彼の本を大量に買った益田さんが一冊分けてくれたのだった。

この爆笑本、日記でも口コミでも相当たくさんの人にすすめたのだけど、著者のモクタリさんのユーモアセンスにも興味が湧いて、日記の最後に「近いうちに会えそうな気がする」と書いた。それが3年足らずで現実になった。セピー君とはモクタリさんが来日して間もない頃からの二十年来の友人なのだという。『風の絨毯』の脚本に関わることになったとき、真っ先にわたしが話を聞いたのがセピー君だったけれど、彼とモクタリさんをつなげたことはなかった。わたしも『パルナシウス』の企画にちょこっと関わっていたので、「ちょうちょと焼きいもの話」(この二つが登場する映画だった)をモクタリさんと懐かしんだ。

ちょうど刊行されたばかりという『世界の困った人ジョーク集』をサイン入りで贈呈され、早速読み始めると、これまた面白い。シモネタが元気だったイラン人・ジョーク集がピンクなら、政治ネタや宗教ネタがふえた第2弾はブラック。

わたしが思わず声を上げて笑ったのは、「アインシュタインとピカソとブッシュ大統領が天国の入口で中に入れてもらえるよう交渉」するジョーク。天国の門番に「お前たちが本物だということを証明しなさい」と言われ、アインシュタインは相対性理論を書き、ピカソはゲルニカを描き、無事本物であることが認められて中に入れてもらう。最後に「アインシュタインやピカソと同じように自分がブッシュ大統領であることを証明したまえ」と門番に言われたブッシュ氏、「すみません。アインシュタインとピカソって誰ですか?」。この質問で、晴れて大統領本人だと証明された……という内容。

他にも「パラシュートと間違えてランドセルを背負って飛び降りる」などブッシュ大統領はジョークの世界ではモテモテ。ユダヤ人のケチぶりをネタにしたジョークでは、旅先で出会った旅人に「互いを忘れないように」と指輪の交換を提案されたユダヤ人が、相手が差し出した指輪を受け取りながら「私を思い出したくなったら、指輪を上げなかったことを思い出してください」とオチがつく。

ジョークの合間に添えられたモクタリさんのコメントからは「世の中いろんな人がいるから楽しいよね」という気分が伝わってきて、みんながこの本のジョークで笑い合えれば世界はもう少し平和になれるんじゃないか、と思ってしまう。ワハハ度もフムフム度も昨年読んだバカ売れ本『世界の日本人ジョーク集』(早坂隆)に引けをとらないけれど、売れ行きだけは天と地の差。「こっちは宣伝してないからね。どうやってみんなこの本見つけてくるんだろね」とモクタリさん。

本の内容以上に著者本人が「ジョーク集」のような人で、「昼食べてないからおなか空いた〜」「朝から何にも食べてない」と一同が言い合っているところに「ボクなんか、朝から朝と昼しか食べてないよ!」とボケをかまし、「こんなに飲んで明日の朝起きられるかなあ」と酒のペースを落とそうものなら「ボクなんか、あさって仕事だよ!」と言い放ち(「あさっては月曜日だから、みんなそうだよ!」と突っ込みの嵐!)、実に打ちやすい球をこれでもかと投げてくる。早坂隆さんと先日「ジョーク集著者対談」をしたそうだけど、爆笑対談だったのではないだろうか。隣で聞いてみたかった。

2日後に控えたユキコさんの誕生日祝いも兼ねて、テーブルにはテスン君が腕をふるった愛情料理が並んだ。チリビーンズ、韓国風ゆで豚、蛸とネギときゅうりのコチジャンサラダ、テスン君のオモニが漬けたキムチ、ブイヤベース……。どれもおいしく、お酒がすすむ。モクタリさんの爆笑トーク、ネパール研究者のツキハラさんの含蓄のある言葉、共通の友人の思い出話……尽きない会話も味わい深い。帰るのが惜しくなって終電を諦め、明日のことは明日考えることに。

腹ごなしに夜の砂浜を裸足で散歩。たまをだっこして重かったけれど、東京の生活にはない波の音や潮風を10か月児なりに味わっている様子だった。たまは「こんなに楽しいんですもの、寝てたまるものですか」とばかりに日付が変わっても目がらんらん。6時起き昼寝抜きのわたしが先にばてて、たまを寝かしつけるのを口実に布団へ。

夜中の2時過ぎに目が覚めると、隣室のテーブルは大盛り上がりで、タクシーについて同時多発的にしゃべる6人の声が聞こえてきた。「おつり投げるってのは許せないでしょう!」「国会議事堂に案内してくれって言ったら、そっち方面詳しくないんでって言われて」「規制緩和の弊害だ!」「こっちは客だぞ!」みんな好き好きしゃべって、聞き役がいない状況。それから一時間ぐらいして、「ユキコは完璧だ!」と叫ぶテスン君の熱い声でまた目が覚めた。「そう思いませんか!」と同意を求めるテスン君に答えて、「前から思ってたんだけど、北海道の女性っていいよね」とはぐらかすモクタリさんの声が聞こえた。

2004年10月10日 爆笑!『イラン・ジョーク集〜笑いは世界をつなぐ』

2005年06月23日(木)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学6日目
2000年06月23日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/27)

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