2006年09月21日(木)  マタニティオレンジ8 赤ちゃん連れて映画に行こう

ママズクラブシアターなるものを知ったのは、『子ぎつねヘレン』公開中のこと。TOHOシネマズが赤ちゃんと一緒に観られる上映回を実施。赤ちゃんが泣いてもお互い様、気がねすることなく映画を楽しめると知り、「出産しても映画を観られる!」とうれしくなった。

出産後の8月26日に封切られた『UDON』は「観たいけれどDVDを待つしかないか」と諦めかけていた作品。本広克行監督と出演のムロツヨシ君から函館映画祭で会ったときに「次はうどん映画なんですよ〜」と聞いて以来楽しみにしていたし、主演は『天使の卵』ヒロインの小西真奈美さん。気になる、気になる〜。で、調べたところ、錦糸町のTOHOシネマズがママズクラブシアターで上映することがわかり、一か月検診一日前だけど思いきって出かけることに。

思ったよりたくさんの子連れママの姿に安心。予告上映時から早速ぐずり出す赤ちゃんたちに、「これならうちの子が泣いても目立たない」とまた安心。と、「これ映画じゃないよ〜テレビだよ〜」と左隣から男の子の声。二歳児ぐらいだろうか。「映画よ。ほらテレビより大きいでしょう」とお母さんが声を落としてなだめるが、騙されたとばかりに男の子はぐずる。「ほら、クマさん」とスクリーンの熊を指差すお母さん。一瞬、男の子の気を引くことに成功。だが、熊が消えると、「つまんな〜い」とまたぐずる。「ほら、おサルさん」とお母さんが指差す先は、主演のユースケ・サンタマリア。それは無理があるのでは……。

赤ちゃんの泣きには一定のリズムがあり、客席のどこかで「ギャー」とソロ泣きがはじまると、唱和するようにあちこちから泣き声が上がり、コーラスになる。低音部ではお母さんたちの必死のなだめ合戦。おもちゃであやしたり、だっこして場内を歩いたり、ミルクをあげたり。うどんなだけにお母さんたちが伸びてしまうのでは……と人の心配をしていたら、うちのたまも「ギャー!」と飛び入り参加。でも、四分の三辺りまでは膝の上ですやすや眠ってくれた。うどんといえばたま(玉)、親しみを感じたのか。

産んでからは赤ちゃんの泣き声が気に障らなくなったが、知って覚悟の上か知らずに紛れ込んだのか、若いカップルや一人で来ている男性はどうだっただろう。中年男性の携帯が鳴ったが、その音も赤ちゃんコーラスの大音量にかき消されるほど。いつもは上映中の電話に目くじら立てるわたしだが、今日は「おあいこ」な気持ちに。

作品はドタバタコメディで押し通すのかと思いきや、浮かれたうどんブームが終わった後を描いた後半は、地に足のついた人情ドラマに。ラストもあったかくてキュート。つるつるっと麺を食べた後に、だしのきいたつゆのうまみがじわじわと来て、つゆを飲み干したら丼の底に心憎いオマケを見つけてにっこり、うどんに例えるとそんな感じ。ムロツヨシをはじめ楠見薫、升毅といった舞台を観てファンになった人たちが多数出演しているのもうれしかった。

実は退院した直後に大阪から来ていた母に子守りを託して映画を観に行ったのだが、途中から「泣いてないだろうか」と気になり、最後には泣き声の幻聴がするようになり、落ち着かなかった。幻聴に惑わされるより目の前で大泣きされるほうが作品に集中できることを発見。映画の後は同じ建物内にあるベビーザらスで買い物。授乳室では粉ミルクの調乳もでき、赤ちゃん用体重計まであって至れり尽くせり。

2003年09月21日(日)  花巻く宮澤賢治の故郷 その2
2002年09月21日(土)  アタックナンバーハーフ


2006年09月12日(火)  マタニティオレンジ7 おなかの赤ちゃんは聞いている

「おなかの赤ちゃんは、もう外の音が聞こえていますよ。だから、いい音を聞かせてあげてくださいね」と母親学級でもマタニティビクス&ヨガのクラスでも言われた。早速、胎教にいいと言われるモーツァルトのCDをどっさり借りてきてiTuneにどんどん取り込んだ。結果的にはモーツァルトはあまり聴かず、「お母さんが好きなものは赤ちゃんも好き」「お母さんが気持ちいいと赤ちゃんも気持ちいい」の法則にのっとり、なじみのある手持ちのCDをよく聴いた。

ヘビールーティーンベスト3は、八ヶ岳山麓に湧き出す水のせせらぎや水滴の音だけで作曲した『水の音楽� 森のプレリュード』(神山純一)。2位は『子ぎつねヘレン』のロケで会った西村由紀江さんにいただいた『しあわせのかたち』。1位はベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団首席オーボエ奏者・渡辺克也さんのアルバム『ニュイ・アムール〜恋の夜』。飲み屋で偶然居合わせた縁(>>>2005年7月7日の日記)で手にしたCDだが、オーボエのやわらかな音色には包み込むような安らぎがあり、なんとも優しい気持ちになれた。この三枚は出産のときのBGMにもなったが、産まれる直前にかけていたのも『ニュイ・アムール』。年季の入った助産院の和室にオーボエの音色が満ちると、生命誕生の瞬間を迎えるにふさわしい神々しい雰囲気になった。先日、たまを抱いているときにかけてみたところ、偶然なのか気のせいなのか、音の鳴るほうに首を伸ばした。その仕草は「あれ、この曲知ってる」とでも言いたげで、やっぱり本当に聴こえていたのかもしれない。

おなかに話しかけるのも胎教にいいと言う。パパやママが話しかける送話部とおなかにあてる受話部が膨らんだ赤ちゃん直通電話みたいなグッズも売られているが、一年前に女の子が生まれたご近所のK夫妻は手作りしてしまった。東急ハンズで買ってきた漏斗とゴムホースを組み合わせ、材料費は約200円。K家ではあまり使う機会がなかったそうだが、おさがりでいただいたわが家では「おはなしギア」と名づけて重宝した。カラオケでマイクを握るとサマになるように、おはなしギアを持つとパパママモードのスイッチが入って、「ママでちゅよ〜。安心して出てきなちゃいね〜」などと照れくさい台詞がすらすら出てくるのだった。

このおはなしギア、出産前にわが家を訪ねた友人が見つけて、「もう使ってるの?」と驚かれた。左右一対の漏斗……搾乳ギアと勘違いしたらしい。

2004年09月12日(日)  黒川芽以ちゃんのTシャツ物語
2003年09月12日(金)  ビーシャビーシャ@赤坂ACTシアター
2002年09月12日(木)  広告マンになるには


2006年09月11日(月)  マタニティオレンジ6 予定日過ぎても踊れます 

女の子だったらと用意していた名前のひとつが「舞子」だった。見つけた人が舞い上がって喜ぶ舞茸のように、あなたが来てくれてすごくうれしいよ、の気持ちを込めて。そして、出産直前まで続けたマタニティビクスでわたしと一緒に踊っていたことにちなんで。

幼い頃にかじった日本舞踊にはじまり、中学時代はジャズダンス、高校時代は器械体操、大学時代はチアリーディング、就職してからはエアロビクス……と何かと踊ってきたのだけど、社会人二年目に仕事が忙しくなってフィットネスクラブを辞めてからは、踊ることからも体を動かすことからも遠ざかっていた。フリーになって時間を融通しやすくなったので、そろそろ何かスポーツをと思っていた矢先での妊娠。「これを機に、マタニティビクス!」と思いついたのは自然な流れだった。

週2回のマタニティビクスと週1回のマタニティヨガをやっているスクールをネットで見つけ、妊娠16週になった3月の中旬から通い始めた。おかげで運動不足は解消できたし、安産のための体づくりと心構えもできたし、励ましあう仲間もできた。出産という決戦に向けてトレーニングに励む同志というノリで、互いの安産を祈りあい、喜びあい、産んだ後は「そっちはどう?」と情報交換しあっている。

収穫だったのは、毎回のレッスンの前に行われる問診。「○○さん。○週目ですね。変わったところはありませんか」とインストラクターが問いかけ、生徒が「ソケイ部(=足の付け根)が痛いです」「寝不足です」「便秘です」などと訴えると、インストラクターが自らの経験を踏まえてアドバイスする。「20週になると、こんなトラブルがあるのか」と数週間先、数か月先の自分のシミュレーションすることができたし、「足が攣ったら、つま先を体側に倒せばいいのか」「背筋痛には猫のポーズが効くのか」とフムフム聞いていたことが、後で同じトラブルに見舞われたときに役立った。

マタニティビクス初日に驚いたのは、妊娠32週は「いちばん体を動かせる時期」であり、臨月(36週以降)になってもレッスンを受けられること。「ズンズンと振動を与えると陣痛が来やすい」とかで、予定日を過ぎた人も来ていた。おなかが大きくなると安静にしていなくてはいけないものだと思っていたわたしは、「産むぎりぎりまで動き回れるんだ!」と目の前が明るくなった。週数が経つにつれ体は重くなったけど、レッスンのたびに動きも気持ちも軽くなっていった。そして、予定日の翌日、61回目のレッスンを受けた8時間後に陣痛を迎えた。

統計的に20回以上レッスンを受けた人には安産傾向が顕著に見られるらしく、わたしもお産はラク(もちろん産んでる最中は必死だけど)だった。でも、ビクス&ヨガが威力を発揮するのは、出産よりも産後。体調の戻りは驚くほど早いし、体力勝負の育児にもへこたれない。年齢的には「高齢出産」だったけど、この半年間で体力年齢は若返った気がする。

2005年09月11日(日)  ZAKUROの2階のZAM ZAM
2004年09月11日(土)  感動の涙が止まらない映画『虹をつかむステージ』
2003年09月11日(木)  9.11に『戦場のピアニスト』を観る


2006年09月10日(日)  マタニティオレンジ5 卵から産まれた名前

おなかの赤ちゃんに話しかけるとき、用意している名前やそれにちなんだあだ名で呼びかけるのが一般的なのだろう。うちは男の子になるか女の子になるかわからなかったので、卵にちなんで「たま」と呼んでいた。

アザラシのたまちゃんが人気者になった(他の川の名前をつけられたアザラシは、それほど人気が出なかった)のは呼びやすい名前の力もあったのではと思えるほど、「たま」という名前の響きは愛らしくて、呼べば呼ぶほど愛着が湧いてくる。野球中継で「タマホーム」の看板を見つけるとうれしくなり、「子宮はタマホームか」などと思ったりした。

最初は夫婦の間だけでの呼び名だったのだが、そのうち親や友人と話すときも「おなかのたまが喜んでる」「たまが産まれる頃には」などと言うようになり、いつの間にか周囲も「たま」「たまちゃん」と呼ぶようになった。出産のときも「たま、がんばれ〜」と呼びかけていたので、産まれると助産師さんは当然のように「たま」と呼んだ。

用意していた名前はあったのだけど、今さら他の名前では呼べない。結局、「たま」ではじまる名前をつけ、「仮称:たま」は晴れて正式の呼称となった。

「たま」というと猫の名前みたいだけど、「おなかのポチは元気ですか」と言ったのは、ご近所仲間のT氏。猫のたま、犬のポチ。気持ちはわかるけど、たまなのよ〜。

そんなT氏が彼女のM嬢とともに「たまちゃんプリンです」と持ってきてくれたのは、鎌倉・湘南の洋菓子店鎌倉ニュージャーマンのたまごカッププリン。プラスチックの卵の器は、小物入れに使えそう。

わたしがハートのものを集めているように、たまは卵のものを集めるようになるかもしれない。

2005年09月10日(土)  『チャーリーとチョコレート工場』初日
2004年09月10日(金)  原始焼『七代目寅』in English?
2002年09月10日(火)  大槻ケンヂ本


2006年09月08日(金)  マタニティオレンジ4 男の子か女の子か?

妊娠を知った相手に聞かれた質問第1位は、「予定日は?」を抜いて、「男、女どっち?」だった。「産まれてのお楽しみにしているんですよ」「出たとこ勝負です」などと答えると、反応はまちまちで、「準備するものとか不便じゃない?」「名前はどうするの?」と心配したり、「どっちだとうれしい?」「どっちだと思う?」と面白がったり、「知りたくないのは、何かポリシーでもあるの?」と不思議がったり。

とくに深い理由はなくて、ただ「産むときの楽しみがひとつでも多いほうがいい」と思い、助産院でお世話になる助産師さんに「男か女か教えないでくださいね」とお願いした。だけど、エコー検査のときにうっかり「ハンサム君だね」と助産師さん。すぐその後に「あれ、男だっけ女だっけ?」ととぼけられたけど、「教えないでって言ったのに……」とクイズの答えを考えている間に正解を告げられた気分に。その日のエコー画像に「それらしき影」がうっすら写っているのも見えてしまった。

数週間後、助産院と提携している病院で検診。エコーを見ながら先生が「男でも女でもいいんでしょ」と言うので、「楽しみにしときたかったんですけど、男の子ですよね?」と答えると、「どうして?」と先生。「こないだ写ってた気がしたので」と言うと、「そう? 今日は写ってないみたいだけど」。先生のおとぼけで、男か女か論争は白紙に戻された。

おなかが目立ってくると、スーパーのレジのおばちゃんや通りがかりのおばさんからも「男、女どっち?」と聞かれるようになり、すっかり聞かれ慣れたわたしは「どっちだと思います?」と聞き返すようになった。すると相手は自分の推理と根拠をうれしそうに教えてくれる。圧倒的多数が「男」と答え、その根拠は「おなかが突き出ているから」が一位。「顔つき」で判断した人も多かった。「みなさん、男って言うんですよ」と返すと、「そうでしょう」と胸を張るおばちゃんたちは、子育ての先輩らしく「暑くて大変ね」と労ってくれたり、「塩分もほどよく摂ったほうが夏バテ防止にいいのよ」などとアドバイスしてくれたり。人と話すのが好きなわたしは、大きなおなかのおかげで見知らぬ人に声をかけられるのが楽しかったし、親戚でもない人が自分の娘のことのように気にかけてくれるのがうれしかった。

たくさんの人に「楽しみね」と言われ、ますます期待が高まる中で出産を迎え、いざ対面してみると、「わ、女の子!」。世論に流されて、9割がた男だと思い込んでいたので、びっくり。産まれたわが子が最初にくれたサプライズだった。

2005年09月08日(木)  文芸社パンフレットの取材
2004年09月08日(水)  東銀座の『台湾海鮮』
2003年09月08日(月)  「すて奥」作戦


2006年09月07日(木)  マタニティオレンジ3 「食事のおいしい産院」で産みたい!

近所のレディースクリニックで二度目の検診を受けたとき、「出産はどちらの病院でされますか?」と聞かれ、「ここで産みたいと思ってます」と即答した。家から徒歩五分、ここなら這ってでも来られる。ところが、「うち、分娩設備はないですよ」。急遽、産院を探すことに。

一人しか産まない可能性も高いし、贅沢してみるか、とセレブ出産で知られる病院で出産した友人に「どうだった?」と聞いてみると、「確かに値が張るだけあって(※出産入院費用は通常の約二倍の80万円〜)至れり尽くせりなんだけど、私は使いこなせなかった」という答え。「でも、食事なんかは豪華だったでしょ」と聞くと、「普通の病院食よ。まずくはないけど、すごくおいしくもなかった」と言う。

それを聞いて方針転換。入院したことのないわたしは、「病院での食事は、空の旅における機内食のように大切な位置を占めるに違いない」と想像していたので、食事が普通では困るのだった。「食事がおいしい 産院」をネット検索してみたところ、ヒットした助産院は家からのアクセスもよく、電車で7分、歩いて45分。「魚河岸直送の母乳にいい食事」とサイトで紹介されている写真もおいしそう。

こうして食事が決め手で選んだ助産院での出産。期待した食事はもちろん、産前の指導も産後のフォローもばっちり。検診のときから出産まで同じ助産師さんが診てくれ、専属のコーチがついたような頼もしさがあった。待ち時間は短く(わたしの場合は一度も待たされなかった)、一回の検診にじっくり時間をかけて、話を聞き、話を聞かせてもらえる。検診のたびに、どんどん出産が楽しみになった。実際、「思い残すことなし!」な出産ができたと思う。わたしにとってはいいことづくめだった助産院での体験は、書きたいことがたくさんあるので、あらためて、少しずつ。

2004年09月07日(火)  韓国のカメラマン Youngho KWONさん


2006年09月06日(水)  マタニティオレンジ2 着たいがない!

わたしが産まれた頃、ベビー服はあまりバリエーションがなかったらしいけど、今では選び放題。カラフルで凝りまくりのかわいいデザインが競い合っている。お祝いで届くベビー服の包みをほどいては、「入るんだったら着てみたい!」「大人サイズがあればペアルックで着るのに」と思ってしまう。(相当痛いことになるので、実際はしません)

それに引きかえマタニティ服は着たいものがなかった。子宝にご利益があるという水天宮のある人形町のマタニティショップ街を歩けども見当たらず、ネットで「かわいい マタニティ服」を検索して引っかかったサイトを片っ端から訪ねてもピンと来ない。エンジェリーベはマタニティに見えないオシャレな服が充実しているけど、わたしが着たい服とはちょっと違った。韓国・ソウルのマタニティ服を紹介しているVIVIENのラインナップはかなりキュートでわたし好み。でも、知ったときには、もう臨月。結局SweetMommyのコットンチュニックワンピース(素材は気に入ったけど、シルエットがいかにも妊婦で、一度着て封印)とウエストを64〜100センチに調節できる美脚カプリパンツ(これは使えた。産後も愛用)を買ったのみで、あとはありもので対応。寸胴のわたしのワードローブを見渡せば、ウエストゆるゆる服のオンパレード。

Aラインのワンピースは臨月まで、ベイビージェーンキャシャレルのウエストふっくらトップは8か月まで着られた。着ているものが変わらなかったため、妊娠に気づかれにくく、単に「太った」と思った人が多かったらしい。

他に活躍したのは、エルロデオのスパッツ。ゴムのウエストは伸び放題。緩めなくても締め付けられることなく、陣痛当日まで着られた。妊婦仲間のユメちゃんが愛読していたアメリカのロングセラーマタニティ本に「夫のワードローブはマタニティ服の宝庫」とあったのを聞いて、押入れに眠っていた海外土産のデカTを発掘。「HAWAII」やら「HANOI」やら書かれたTシャツにスパッツという悪趣味なストリートダンサーのような組み合わせが臨月の定番コーディネイトとなった。

いま困っているのは、授乳服。「見せない授乳」の工夫をこらした服があるということ自体、産んではじめて知ったわけだけど、この授乳服がマタニティ服に輪をかけて地味! 友人たちには「今井がモノトーン化している!」と驚かれたり、「産んで落ち着いたか」と勘違いされたり。ベイビージェーンキャシャレルで作ってくれないだろか。

2004年09月06日(月)  シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?
2002年09月06日(金)  ミナの誕生日


2006年09月05日(火)  マタニティオレンジ1 マタニティブルーの逆は?

8か月前の1月5日、近所のレディースクリニックで「おめでとうございます」と告げられたときには妊娠7週目だった。年末から年始にかけてとにかく眠くて、寝正月を通り越して「眠り病では?」と疑うほどよく寝た。4日の夜になって「もしや……」と妊娠検査薬を試してみたところ、ビンゴ。翌日の診察で確定となった。

会社を辞めて脚本業に専念するようになり、仕事も順調に舞い込んでいる矢先のこと。最初に頭を過ぎったのは、「まさか、これからってときに……」だった。でも、次の瞬間、「いい年して、まさかはないだろ」。いつかは欲しいけど、今じゃなくていいやと思っているうちに、36才。授かった今が産みどきに違いない。めったに体験できないマタニティライフ、どうせならとことん楽しもう、と発想を転換。

妊娠〜出産〜育児はわたしには未知の世界で、体験してみなきゃわからないことだらけ。たとえば、妊娠検査薬。以前ドラマで検査薬の小窓を見つめて色が変わる瞬間をはらはらして見守るシーンがあったけど、7週目ともなれば、待つ間もなく一瞬でくっきり線が出る。「早っ」と驚きつつ、「リアリティだぁ」と妙に感心。この調子で面白がっていれば、マタニティブルー知らずで出産まで楽しく過ごせるはず。そうだ、エピソードを書きとめておこう、と用意したファイルのタイトルが「マタニティオレンジ」。そのときは、「マタニティブルー」は出産前のユーウツ(結婚前のマリッジブルーの応用)だとばかり思っていて、産後にホルモンバランスが崩れて襲われて気が滅入ることだとは知らなかった。

「とつきとおか(十月十日)」とよく言うけれど、実際におなかの中にいるのは約9か月(ヒュー・グラント主演の"Nine Months"って映画もあった)。わたしの場合、妊娠を知ってから出産までは7か月半。はじめてのマタニティライフはめくるめく刺激と感激の連続で、色に例えると、やっぱりオレンジだった。

2005年09月05日(月)  あたり前田のクラッカーと551蓬莱
2004年09月05日(日)  映画女優 高峰秀子『チョコレートと兵隊』


2006年08月22日(火)  新作誕生

昨年から準備を進めていた新作が本日未明産声を上げました。3238グラムの女の子です。たくさんの方の理解と協力に支えられ、出産間際まで作品を育むことができ、贅沢で充実した十か月でした。ネタの宝庫、マタニティライフのエピソードは、この日記で紹介していく予定です。まずは日付が変わらないうちにご報告。

2004年08月22日(日)  H2O+H2=H4O(水素結合水)
2002年08月22日(木)  鼻血で得意先ミーティングに遅刻


2006年08月16日(水)  売れ行き好調『子ぎつねヘレン』DVD

8月30日にリリースされる『子ぎつねヘレン』DVDの見本版が届く。「立派になったなあ」と誇らしい気持ちで送り出した3月18日の全国公開から、間もなく5か月。手乗りサイズになって帰ってきたヘレンに、あらためて愛おしさとうれしさがこみあげる。でも、パッケージのどこにもクレジットがなくてショック。これまでの作品のDVDには入ってたのに……。今回は作品の大きさに今井雅子のネームバリューが追いついてないということですね。ヘレンで大きくしてもらったようなものだし。

おかげさまでセールスは好調。一家に一枚、子ぎつねヘレン。予約割引のある今のうちにぜひどうぞ。amazonなら25%OFF。DVDは¥3,465→¥2,599、パペットパックは¥5,460→¥4,095(税込み)に。

2005年08月16日(火)  いいにおいのお芝居『おじいちゃんの夏』
2004年08月16日(月)  伊豆高原のアンダティバリゾート
2003年08月16日(土)  6人で400才
2002年08月16日(金)  持ち込み企画

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