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セクサロイドは眠らない

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2005年06月02日(木) ずっと前から変わらない。あたしが、あたしでいることは、時々、他人からひどく嫌がられる。あたしは、だから、怖がって。

「じゃ、俺、先に帰るわ。」
「んー。お疲れ。」
「仕事終わったら電話して。」
「その元気があったらね。」

トシが帰った。また、一人・・・。残業、嫌いじゃない。むしろ、カッコイイと思ってる。要領、悪いですか。でも、今、人より頑張っておけば、ずっと先で勝てるんじゃないかな。

自分の周りだけ、電灯の点いたオフィスで、あたしは仕事する。

何時間、経ったんだろう。

「お?まだいたのか。」
急に声がしたから、心臓がヒヤッとした。

「課長・・・。」
「うん。忘れ物、取りに来た。」
「びっくりしたー。」
「まだするのか。」
「ああ。いえ。そろそろ終わろうかなって。」
「そうか。じゃあ、待っとこうか。」
「いいですよ。」
「いいって。どうせ、飯、まだだろ?」
「・・・はい。」

ラッキーだ。奢ってもらえる。

--

「いつも遅いけどさあ。」
「はい。」
「あんまり無理するなよ。」
「・・・。」
「ああ。ごめん。怒ってるんじゃないんだ。」
「分かってますよ。」
「そうやって無理して、倒れちゃった子を知ってるからさあ。」
「はい。」
「俺の部下がまたそんなことになったら嫌だからさ。」
「そうですね。気をつけます。」

私は、本当は気を付ける気なんかない。仕事は今しかできないし、女だからって、いろいろ低く見られるのもうんざりだし。

課長は、目のふちを赤くして、もう何か別のこと。なんだかくだらないこと言って、子供みたいに笑ってる。

「山根君、だっけ・・・?」
「はい。」
「自分のいいところ、気付いてないんだろ?」
「いいところ?」
「うん。いいところ。ほら。メーリングリストでさあ。いい事書いてたじゃん。」
「何か書きましたっけ?」
「自分が花粉症でダウンしてたのに、メール送ってくれてたろ。あれ、さ。みんな、すごい嬉しかったんじゃないかな。」
「ああ・・・。あれですか。」

そろそろ帰るか。そういって、課長は、あたしの頭をポンと軽く叩いた。

--

自分のいいとこ、なんて・・・。携帯の、トシからの履歴を見ながら思う。課長って、そういえば単身赴任だっけ。今まで、あんまり気に留めてなかったな。

--

「昨日、遅かったのか?」
「昨日?ああ・・・。うん。疲れてたから。」
「電話、待ってたんだぜー。」
「ごめん。」
「お前さ、あんま、頑張るな。」

ああ。また。

そんなに駄目かな。あたし、頑張るの。

あたしは、机に戻ってメールを書く。課長に、だ。

「昨日はごちそうさま。」

それから、何、書こう。

しばらく考えて、一言だけ。「また、誘ってくださいね。」

--

課長は、酔うのが早い。

「こんな話、知ってる?男が二人いた。一人は、せっせと穴を掘ってる。もう一人は、その穴をせっせと埋めてる。そこに別の男がやってきて、訊ねた。『あなたがたは、何をしてるんですか?』ってね。二人の男は何て答えたか、分かるかい?」
「えーっと。うーん・・・。分かりません。」
「もっとちゃんと考えろよ。」
「だって・・・。」
「じゃあ、宿題だ。」

課長は、目を細くして、笑う。

「なんで、ですか?」
「ん?」
「なんで、あたしなんかと飲んでくれるんですか?」
「なんでって・・・。そうだな。俺、あんまり友達いないんだわ。だから、結構、隙を見せてもらうと嬉しいわけ。」
「あたしでも?」
「あたしでもって・・・。なんでそんなに卑屈になんだ?」
「卑屈じゃないけど・・・。」

あたし、ちょっと上手くやれないから。人より下手だから。生きてくこと。だから、人より勝てるように、頑張って頑張って。だけど、そんな風に頑張るほどに、人から嫌われることだってあるんですよ。

「今度の日曜、空いてます?」
「今度か?ああ。悪い。嫁が来んだよな。」
「ああ・・・。そうですか。」

そうだよね。課長、奥さんいるもんね。

--

部屋で一人でいると涙が出て来た。

電話が鳴る。

「もしもし?」
「ああ。俺。」
「なんだ。トシか。」
「悪かったな。どうかしたのかよ。」
「どうもしないって。」
「泣いてたのか?」
「違うってば。」
「最近、電話もしてこないしさ。どうしたのかなって。」
「どうもしない。」
「でも、泣いてたんだ。」
「・・・。」
「好きな男、できたのか?」

トシの声は、やさしかった。あたしは声を上げて泣きたかった。

「分かんない。」
「そっか。」
「ねえ。」
「ん?」
「あたし、あたしを丸ごと全部受け入れてくれる人がいいの。」
「うん。」
「だから、その人が、あたしを受け入れてくれるかって思って。」
「うん。」
「でも、その人の考えてることが全然分からないの。」
「ああ。」
「だから・・・。」

あたしは、泣いた。

ずっと前から変わらない。あたしが、あたしでいることは、時々、他人からひどく嫌がられる。あたしは、だから、怖がって。本当の自分を出さなくなってる。

あたしでいいんですか。

なぜ、あたしと一緒にいて、あなたは平気なんですか。

そんな風に、いつも訊いてる。

「課長。」
「ん?」
「課長に奥さんがいた。」
「当たり前だろ。」
「あたしと一緒に、お酒飲んだりしてたのに。」
「口説かれたのか?」
「ううん・・・。」
「ホテルとか、連れ込まれたのか?」
「バカ。」
「何にもなしか。」
「うん。」

勝手に、誰かがあたしを丸ごと受け止めてくれたらって。

そんな風に思って、ちょっと楽になりたい時がある。

そんな風に思ってしまう私を、錯覚させる誰かがいる。

だけど、それだけではうまくいかない。

--

課長は、転勤になるそうだ。今度は奥さんと一緒だって。

「課長・・・。」
「元気でな。」
「はい。」
「昔、お前みたいに頑張って頑張って。そんな部下がいた。」
「そうですか。」
「で、俺は、そいつとよく飲みに行ってたんだ。」
「・・・。」
「そいつは、一人で飲んでたように見えた。俺がそばにいても、さ。一人で、泣いて。くやしがって。」
「私と、よく似てる。」
「ああ。」
「その人、どうなったんですか?」
「そいつか。うん。・・・。今の嫁だよ。」

ふふふ。

あたしは、笑った。

「うらやましいな。課長の奥さん。そうやって、ずっと見守ってもらってたんだ。」
「そう・・・、だな。俺が見守ってることすら、気付かないで。いっつも無理して、さ。」
「うらやましい。ほんと・・・。」
「お前にも、いるじゃないか。そういう男ってさ。馬鹿だけど、いいやつなんだよ。」

課長は笑った。そして、背を向けて、愛する妻が待つ街へ向かう電車に乗った。


2005年06月01日(水) 女は、その男の横顔を見ると切ないのだ。男は、女をまともみ見つめようとしなかった。いつだって、横顔しか見せない、その男を

その男を見ると、誰もが振り返った。

男は気にしなかった。皆が振り向いて、声を潜めて噂しようと。

--

その男の胸の真ん中にはぽっかりと穴が開いていた。大の男が両手で輪を作った、ちょうどそれぐらいの大きさの穴。陰では、ドーナツ男と呼ばれていた。

海に来ていても、男は平気で上半身をさらし、周囲の好奇の視線を浴びていた。美しい女が、彼に寄り添っていた。女は悲しそうな顔で、彼のその胸にそっと手の平を滑らせた。

「ねえ。もう、行きましょう。」
「なぜだ。」
「陽に焼けてしまうもの。」
「俺は、もうちょっとこうしているよ。お前が行きたいなら、行けばいい。」
「冷たいのね。」
「最初から言ってるだろう。俺は、一人でいいんだ。お前が今まで付き合った男はどうか知らないが、俺は、女がいなくちゃ何もできないような男じゃないんだ。」
「そんなつもりじゃないわ・・・。」
「じゃあ、どんなつもりだ。こんなところまで付いて来て。」
「あなたが好きなの。」
「俺が?こんな体の俺が、か。はは。おかしいや。」

女は涙ぐんだ。

男は、そんな女に背を向けた。

男の表情は、まるで分からなかった。サングラスの向こうで、どこか遠くを見ている目は、冷酷さすら感じさせなかった。

女は、タオルを拾うと、そっとホテルに向かった。なぜこんな男が好きなのだろう。なぜ、こんな場所まで追いかけて来てしまったのだろう。金持ちでハンサムな恋人を捨て、奇妙な体を持つ男を追いかけて来た。

だが、男は、彼女には見向きもしない。

女は、その男の横顔を見ると切ないのだ。男は、女をまともみ見つめようとしなかった。いつだって、横顔しか見せない、その男を、女はただ見つめていたいのだった。

--

女が目覚めた時には、もう、昼近くになっていた。男の荷物はすっかりなかった。女は慌てたが、ホテルの従業員は皆、首を振った。

女は、自分が捨てられたと知った。

--

男は、仕立てのいいスーツを着て、飛行機に乗った。そのスーツは、金のある人間が遊ぶことによってしか手にいれられないような、そんな体にしか似合わなかったから、男が着ると実に滑稽だった。

男は、もうすっかり女のことは忘れていた。そもそも、人は、まだ、その事実から何かを手に入れられると分かっていることからしか、その事実を思い出さない。男は、世界中のありとあらゆる女から何かを手に入れたいと思ったことはないし、そもそも、人間という生き物から何かを得ることを想像もしていなかった。

男は、飛行機の中で目を閉じた。夢も見なかった。見たのは、真っ暗な、穴。暗闇。

--

男は、必要があって、生まれ育った故郷を訪ねた。何十年ぶりだろう。まるで心は動かされなかった。この場所に戻って来たかったとも、あるいは戻って来たくなかったとも思わなかった。ただ、必要なものがあったから、来た。それだけだった。そもそも、男は、その土地での記憶がほとんどなかった。だが、親が残した屋敷は覚えていたので、そこに泊まることにした。

そこは、何年も誰も住んでいなかったが、金を払って管理させていたので、まるで古びていなかった。綺麗に手入れされた庭。毎日交換されているシーツで覆われた、誰も眠らないベッド。

男は、自分が幼い頃過ごした部屋を眺め、あらためてそこに何もなかったことを実感した。

空っぽ。

--

誰か来た。

夜中だ。

誰だろう。

男は、ドアを開けた。怖くはなかった。そもそも、何かを怖いと思ったことなど一度もない。

そこには見知らぬ老人が立っていた。

老人は、ヨロヨロと入って来た。手に、酒瓶。

「すまんな。」
老人は、勝手に謝った。

男は、首を振った。かまわない。

「ちょっと話をしないか。」

分かった。

「私のことを知っているかい?」

知らない。

「お前さんと会うのは、二度目だ。」

そうか。

「前に会ったのは、随分昔だ。あれから何度かこの家に立ち寄ったが、いつも、誰もいなくてな。」

・・・。

「私は泥棒なんだよ。」

そうか。

「この家で、昔、あるものを盗んだ。」

今更返すなんて言わないでくれよな。

「いや。返すよ。ずっと返そうと思っていた。私は、盗むべきではないものを盗んだから。」

なんだ。

「この家の二階で、子供が一人眠っていた。何も知らずに、あどけない顔で。その時、つまらない気を起こした。なんでこの子だけ、こんな幸せそうな顔して寝てんだって、な。」

だから?

「その子の心を盗った。」

そんなもん盗ってどうなるんだ。

「綺麗だったから。そばに置いておきたかった。」

その子はどうなった。

「顔から表情がなくなったっけな。不思議だな。顔の造作は変わらんのに、その子供は、まるで老人のように希望を失った。ように、見えた。」

何しに来た。

「返すよ。」

何を?

「あんたから盗ったもの。あんたの心。」

要らん。

「そうはいかん。受け取ってくれ。そして、好きにするがいい。私を殺してもいい。」

なんで、今更。

「なあ。受け取ってくれ。私もこの歳だ。安らかに死んで行きたいだけなんだよ。」

そんなこと知るか。

「なあ。頼む。ほれ。これ。お前のものだ。」

老人の震える細い指が掴んでいる、その暖かく美しいものが、男に差し出される。

やめろ。やめろやめろやめろ。

老人の持つ暖かく美しいものは、男の胸の穴にぴったりと納まる。

やめないかっ。

男は、今、涙を流し、わめき、震え、笑い、怒鳴っている。

男にも何が起こったか分からない。生まれて初めてだ。こんな奇妙な体の反応。

「そうだ。そうだよ。」
老人は、ほっとしたような顔で笑っている。

男の手が、老人の首に掛かっている。

「ああ。分かるとも。私はお前の人生を台無しにしたからな。」

だが、男は、老人なんかどうでも良かった。

老人は、男が緩めた手から逃げ出し、どこかへ行ってしまった。

男は泣いた。何日も何日も。止まらないのだ。涙が。

すっかり泣いた後、男はゆっくりと立ち上がった。どこかにいる父と母と兄弟と。女達にも男達にも。会いに行くために。男は長いこと空っぽだったから、その空洞に入れるためのものを、沢山沢山、人から奪い取った。いくら奪っても、その穴は埋まらなかった。父も母も、男に殺される前に逃げた。男の顔を見たら、皆、逃げ出すだろう。男はそれでも、会いに行く。奪ったものは返せないかと、考えるために。


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