セクサロイドは眠らない

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2004年09月28日(火) 「男って、ほんと、そうなのよね。いっつも、そう。ほんと、おセンチで。自分のせいで女の子が駄目になったと思ってる。」

みんなが見ている中、マキは思い切り大きな声で僕に叫んだ。
「勝手にするがいいわ!」

マキはコップの水を僕の顔に浴びせかけた。店中がこちらを見た。

僕は、笑うしかなかった。何でもないんだと。大したことない。ちょっとした痴話喧嘩。

その日、僕らは、もう、付き合い初めてから数え切れないぐらいの喧嘩の続きをしていた。いや。喧嘩とは言わないか。いつだって、マキが怒ってばかりだ。僕は黙っているだけ。マキの嵐が通り過ぎるまで。

原因は僕だ。僕の優柔不断。ありとあらゆることを僕が決めようとしないから、マキは苛立っているのだ。

僕は、怒り始めた彼女をなだめる方法が分からなかったし、そもそも、なんでそんなに怒らなきゃならないのかもよく分かってなかった。だけど、僕の何かが致命的にマキを怒らせてしまうのだ。

だから、こう答えるしかなかった。

水がしたたる眼鏡をはずし、尻ポケットから出したハンカチでぬぐいながら僕は答えた。
「そうするよ。きみが一番望むようにする。さよなら。」

後ろは振り返らなかった。

--

喧嘩の理由は思い出せない。いつものように些細なことだ。そのうち、いつの間にか、僕が昔付き合ってた女の子の話になった。その子とは、大学生の頃に一ヶ月だけ一緒に暮らした。一ヶ月目に、彼女の両親が、アパートの合鍵を使っていきなり部屋に入って来た。僕らは裸で抱き合って眠ってた。父親は大声で怒鳴り、母親は悲鳴をあげた。僕は、即刻たたき出された。その日の夕方、彼女の部屋を訪ねた時には、もうその部屋は空っぽだった。

大人しい子だった。両親は裕福で、そもそも、彼女はこんな安アパートの一室から無名の国立大学に通うはずの子じゃなかた。だが、どういうわけか、彼女は自分の素性に反発するように、その安アパートで暮らし、そしてきっと、両親に反抗するために僕と寝た。

そんな話をしたのだ。

気が付いたら、マキは怒っていた。

最初は単純な焼きもちだと思っていた。

だが、よく聞くと、僕が悪いと言う。そんな昔の女の子に、今でも恋しているのだと言う。そんなに気になるなら、彼女を追いかけるべきだと、そんなことまで言う。そして、手元にあったコップの水を僕にひっかけたってわけ。

だから、僕もつい言ったのだ。
「そうするよ。きみが一番望むようにする。さよなら。」

本当にそうなのかもしれないと思った。確かにあの子とはまだ終わってない。ちゃんと終わってないから、心が残ってるのだ。

どうして、あの時、あのまま彼女を追いかけようとしなかったんだろう。

僕は、彼女の古い手紙を探し、そこに書かれてあった住所を写し取った。

仕事はそう忙しくない。しばらく休みを取ればいいさ。

彼女の顔さえ忘れそうになっているくせに、僕は妙に興奮していた。

--

新幹線を降りると、ローカル線に乗り継いで更に三十分。僕は、窓のそとをぼんやり眺めている。携帯電話に、マキからの電話は入ってない。もう本当に終わったのかもしれない。マキはもう、僕と喧嘩する必要はないんだ。マキを満足させてやれる、もっと素敵な彼を見つけるといい。

その小さな町に着くと、僕は更に十五分ほどさまよって昔の彼女の家の前にたどりついた。話に聞いていたとおり、立派な家だった。

十分ほど悩んだ挙句、僕は呼び鈴を鳴らした。

しばらくして、家政婦らしき女性が出て来たから、僕はかつての恋人の名前を告げた。
「サオリさん、いらっしゃいますか?」

だが、目の前の中年の女性はひどく困った顔をして、それからポツリと言った。
「もう、おりません。」
「もう?」
「ええ。五年前から。」
「で?どこに?」
「さあ・・・。知りません。」

彼女は、僕から目をそむけると横に向いたまま頭を下げ、逃げるようにドアを閉めた。

どういうことですか?

聞きたかったが、無理だった。

仕方なく、僕はその家を後にした。

駅でメロンパンと牛乳で昼を済ませ、僕はかつての友人の一人に電話をした。
「ああ。僕。そう。久しぶり。」

それから、彼女の名前を出し、どうしても会いたくて探していると告げた。電話の向こうの友人は、噂だけどさ、と前置きをして、彼女の居場所の手がかりになるような地名を口にした。

僕は、再び電車に乗り込んだ。

僕も聞いたことがあるその地名は、女が女であることと引きかえに金を稼ぐような場所だった。

なんでそんなところに?

考えたくない答ばかりが頭に浮かぶ。

その町に着いた頃にはもう、陽が暮れかかっていた。

安っぽいビジネスホテルに泊まった。

--

次の日は、一件一件、写真を見せて訊ねて回るしかなかった。ドラマの刑事にでもなった気分だ。

夜まで歩き回って、ようやく顔と名前のどちらにも心当たりがある女に出会うことができた。

「で?どこに行ったか知りませんか?」
僕は期待に胸を膨らませた。

「サオリなら、もう死んじゃったよ。」
女はどうでもよさそうに言った。

「どういうことですか?」
「男にさあ。捨てられて、ボロボロになって。挙句、車に轢かれて死んじゃったよ。」

僕は、しばらく声が出なかった。

どうしてだろう。忘れそうになってた女の子なのに。

泣きたいような笑いたいような気分だった。

女は、サオリと一時期は一緒に暮らしたこともあるという。

「悪いほうへ、悪いほうへ、行っちゃう子だった。危なっかしくて見てらんなかった。付き合う男は、だんだんひどい奴になってった。両親が嫌いだって言っててね。」
「・・・。」
「男も逃げ出しちゃうんだよね。あの子、ひどかったから。わがまま言うし。時々ふらっといなくなるし。でも、試してたんだと思う。それでも逃げない男。自分から逃げずに愛してくれる男。」
「そうですか。」

女はなぐさめるように微笑んだ。

僕のせい・・・?

あの時、彼女をちゃんと抱き締めてやれば良かった。僕は、サオリを彼女の両親に突き出すように、僕の体から引き剥がしたのだ。

「よくある話じゃない?」
女はつぶやいた。

--

もう一晩その町に泊まり、それから、自分のアパートに帰ってきた。

それから、一ヶ月。

マキからは連絡がなかった。

だから思い切って電話をした。

--

マキと別れ話をしたカフェ。同じ席。

「で?」
マキは、相変わらず怒ってる。

「謝りたかったんだ。」
「そう。」
「ごめん。」
「いいよ。謝ってもらってもしょうがない。」
「もう一回やり直したい。」
「無理よ。どうせ繰り返しだわ。」
「もう繰り返さないさ。」

僕は言った。マキの目を見て。

マキが先に目をそらした。

泣いてるように見えたが、よく分からない。マキは、僕の前で一度も泣いたことがなかったから。

「幻だった。昔の恋人は、僕が思ってた女の子とは違ってた。いろんな男と遊んで、最後はボロ布みたいに死んだんだ。」
「でも、自分のせいだと思ってるんでしょう?自分が彼女を捨てたせいだって。」
「・・・。」
「男って、ほんと、そうなのよね。いっつも、そう。ほんと、おセンチで。自分のせいで女の子が駄目になったと思ってる。」
「分かったんだ。目の前にいる時にちゃんと手を伸ばして捕まえなくちゃって。」
「分かった。捕まえたらいいわ。」

マキは、席を立った。
「探しに来て。絶対。あたし、今から消えるから。」

マキはそう言って。席を立つと駆け出して行った。みるみるうちに、その姿は見えなくなった。

分かったよ。

必ず捕まえる。

気付くと、僕は微笑んでいた。マキの後姿が、僕に、追いかけて来てよと告げていたのを知ったから。

マキはずっと同じことを。あたしを捕まえてって。ずっとそう言ってたのに。

目隠し鬼が捕まえてくれないことには、ずっと叫んでいなければいけないのだ。


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