セクサロイドは眠らない

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2002年07月26日(金) どうしてそんな事、言うんだろう。僕は、そこまでは考えてなかったのに、こんな風に赤くなったら図星みたいですごく嫌だった。

「姉ちゃん、行っちゃったなあ。」
「ほんと、あの子は、言い出したと思ったらすぐ行動に移しちゃうからねえ。」

僕とアコは、新幹線のホームでそんなことを言い合った。

アコは、僕の五歳上の姉の友人で、僕の姉とは大の親友だったので、僕には姉が二人いるようなものだった。アコは、でも、姉よりは美人だし、やさしいので、僕はアコが本当の姉ちゃんだったらいいのに、なんて、よく思ってたものだ。一方のアコは、一人っ子なので、僕を本当に弟みたいに可愛がってくれた。

僕の姉は、大学生だが、かねてから留学したいと言って、ずっとバイトに励んでいた。そうして、今日、本当に行ってしまった。

「寂しいんでしょ。」
アコは、笑った。

「まさか。」
口ではそう言ってるけど、僕の目からは勝手に涙がこぼれてしまった。

「まったく、タッちゃんは昔から泣き虫なんだから。」
「ん・・・。」
「ね。タッちゃん。あたしがお姉ちゃんになってあげるから。だから泣かないでよ。」

高校生のくせに、姉がいなくなったぐらいで泣いてる自分が恥かしかったので、僕は返事をせずにアコを置いて、どんどん改札のほうに向かって歩き出した。

「あ。ちょっと待ってよ。」
アコが追い掛けて来る。

多分、僕は大人になりかけていて、アコがまぶしくて、そのくせ、弟扱いされるのが恥かしくて、だんだん素直になれない年頃に差し掛かっていた。

--

「よお。一緒に帰ろうぜ。」
と、声を掛けて来たのは、三年で評判の悪いニシザキだった。

「なあ。こないだ、お前、駅の近く歩いてたろ。」
「うん。」
「一緒にいた女。あれ誰だよ。」
「知り合い。」
「すげえ美人だったよなあ。」
「まあ。」
「なあ。紹介してくれよ。タツヤくーん。」
「駄目だよ。」
「なんで。いいじゃん。その代わり、お前にはちょっかい出さないようにするからさあ。」
「だから、駄目って。」
「なんだよ。」

ニシザキを怒らせるのは怖かった。だけど、アコだけは守らないといけなかったから、僕は徹底的にニシザキに抵抗した。

結果、ボコボコにされた。

だけど、最後に、道でのびていた僕に、ニシザキはニヤッと笑って手を貸してくれたから。ちゃんと話がついたのだと思った。

--

「上がるねー。」
いつもみたいに、アコが遊びに来た。アコの家は近所で、姉がいなくなった今も勝手に出入りするから、僕としては鬱陶しい。

アコは、僕の顔を見るなり、
「どうしたのよ。喧嘩?」
って、叫んだから。

僕は、
「うるさいなあ。」
と、ちょっとむくれた顔で言った。

「もう。あんたって、ほんと駄目なんだから。誰にやられたのよ。」
「言わない。アコには関係ない。男同士の話だから、アコには口挟まれたくないよ。」
そういう僕に、アコはクスリと笑った。

「なんだよ。」
「なんかさあ。タッちゃんも大きくなったなあ、って思って。」
「うるさいよ。」

笑うアコの顔は、ドキッとするぐらい可愛かった。僕は、その顔に見惚れていた。誰にも触らせたくないと思った。

僕は、そっと、アコの髪に手を触れた。

「なに?」
「あ。いや、綺麗な髪だと思って。」
「変なタッちゃんね。」
「ごめん。」
「ね。タッちゃんの考えてる事、当ててみようか。」
「なに?」
「今、私にキスしたいと思ったでしょ。」
「そんな事考えてねーよ。」

否定したけど、僕は耳まで真っ赤になってしまった。

アコはどうしてそんな事、言うんだろう。僕は、そこまでは考えてなかったのに、こんな風に赤くなったら図星みたいですごく嫌だった。

アコは、ふふ、と笑った。

「女の子にキスするのには、資格が要るのよ。」
「資格?」
「うん。」

そう言ってアコは帰ってしまった。

アコにキスする資格?そんなもの、一生手に入りそうにない。

僕は、アコに一生勝てない。アコは、なんでも知ってる。僕は、いつも戸惑っていて、格好悪い。どうやったって勝てない。

--

それから、二年。僕は、大学に入り、アコはOLになった。

あの日以来、僕達はあまり顔を合わせなくなった。

もう、僕達は大人になったから。

そうして、僕は、新人歓迎コンパの帰り、繁華街をフラフラと酔って歩いていて、偶然、アコを見掛けた。

一緒にいた男は、アコの恋人と呼ぶにはずっと年上で、高価なスーツを着ていた。アコの腰に手を回して、アコの耳元でしきりになにやらささやいていた。

僕は、見てはいけないものを見てしまったと思った。

アコも僕に気付いたようだったが、僕らは知らん顔して通り過ぎた。

僕は、その夜、眠れなかった。

僕の憧れだったアコは、いつのまにか、つまらない男に抱かれるような女になってしまった。僕だって、その頃にはもう、恋人がいたから、恋愛について、少しは分かっているつもりだったけど。

--

そうして、更に数年が過ぎ、僕も大学を出て就職をした。

相変わらず、アコとは会わなかった。

姉は、あの時出て行ったきり、スペインだの、イタリアだのと、飛び回っていて、帰って来ない。

僕達は、みんな大人になって、自分の生活を笑ったり泣いたりするのに忙し過ぎた。

そんなある日。

僕は、残業ですっかり遅くなって駅に向かう道で、泣いているアコを見掛けた。

そばには、あの男がいた。

まだ、続いてたんだ・・・。

と思った。

男の腕で笑っていたアコも嫌だったけど、男のために泣いているアコを見るのはもっと嫌だった。

男は、しきりになにか言ってアコをなだめようとしていたようだが、アコは泣きながら首を振ってばかりだった。

僕は、目を閉じて、足早にそこを離れた。

--

次の日曜日、母も出かけてしまったので、僕は一人家にいて、ゴロゴロしていた。誰か来たみたいなので、玄関を開けると、アコが立っていた。

「ちょっといい?」
「ああ。珍しいね。」
「うん。」
「あ。俺の部屋に来る?」
「いい?」
「いいよ。なんだよ。前は遠慮なんかしないで入って来てたくせに。」

アコは、僕の部屋を見渡して、
「変わらないね。」
と言った。

「僕は、変わらないよ。」
「そんなことない。すごく変わったよ。男っぽくなった。」
「そう?」
「ねえ。彼女、いるの?」
「いるよ。もう、長いなあ。五年目かな。」
「ふうん・・・。」

それから、少し沈黙があって。

僕は、麦茶を取りに行って。

アコは、麦茶を一口飲んで、ふうって息を吐いて。

「何度も見られちゃったね。」
と、言った。

「ああ。」
「でもね。別れたよ。やっと。」
「そう・・・。」
「タッちゃんのお陰。」
「僕の?」
「うん。なんだかね。タッちゃんに見られて、すごく恥かしくて。変だけど、タッちゃんに胸張って会えないのって、なんだか間違ってるって思って。」
「そっか。」
「だから・・・。」
「うん。分かってる。こうやって話できるの、すごい嬉しい。」

ん・・・。

アコは小さくうなずいた。

僕は、アコの顔を引き寄せて、それから、そっと口づけた。

それは、恋人同士のキスじゃなかった。励ましのキス。いたわりのキス。再会の喜びのキス。

アコにもそれは分かったみたいで。

僕らは、顔を離して、照れ笑いした。

「前、アコが、キスするには資格が要るって言ってただろ?」
「そんな事、言ったっけ?」
「うん。あれから、ずっと考えてた。」

そうだ。キスにはいろんなキスがあって。

僕らの今日のキスは、お互いの関係をどこかに持って行くようなキスじゃなかった。

多分、アコのことは、これからもずっと好きだけど。

今のまま、ずっと姉の友人としてのアコと付き合って行きたかったから。

そう。僕は、そんなキスができるぐらいには、ちょっとだけ大人になっていた。

「こんどさ、イタリア行かない?」
帰り際、アコが言った。

「イタリア?」
「うん。ユミコが、こないだ電話して来て、おいでよってさ。いい男がいっぱいいるからって。」
「そうだな。」

それで、また、僕と、姉貴と、アコと、三人で笑ったりできたら最高だ、と僕は思った。


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