セクサロイドは眠らない

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2002年07月24日(水) 私は毎回、そんな風にわがままを言ってみる。決まりきった答えが、私を安心させ、ほんの少し傷つける。

「もう、行く?」
裸のままベッドでうとうとしていた男が、訊ねる。

「そろそろ、子供が学校から帰って来るから。」
「ああ。」

バスルームの鏡で、髪を整える。少し白髪が目立ち始めたから、また、染めに行かなくては、と思う。あの人だって、お腹が出て。私達、まるでくたびれた中年カップルだわ。

「もう少し一緒にいたい。」
と、私が言う言葉に、
「駄目だよ。きみは僕の恋人でいる前に、息子の母親なんだから。」
と、やさしく答える。

返事は分かっていて、私は毎回、そんな風にわがままを言ってみる。決まりきった答えが、私を安心させ、ほんの少し傷つける。

「じゃ。」
私は軽くキスをする。

「ああ。」
男は起き上がって、玄関まで送ってくれる。

--

自転車に乗って帰りながら、思う。

この街が好きだ。

この街を出て、結婚して、離婚して、この街に戻って来た。幼馴染の男と再開して、彼も一人だということを知って。それから、彼の仕事が休みの日は、こうやって過ごして。

多分、私は恵まれている。恋人がいて、息子がいて、自由がある。

男が訊ねた事がある。
「なんで、離婚したの?」
「革命、だったのよ。」
「革命?」
「ええ。うちは、姑がうるさくてね。だけど、歳の離れた夫と姑に仕える事が結婚だって、ずっと思ってから。でね。ある日なにげなく、花柄のワンピースを見つけたの。」
「ワンピース?」
「うん。すごく素敵で、大胆で、胸元をきれいに見せてくれるワンピース。着てみたら、自分にびっくりするほどぴったりだったの。」
「で、買って帰った?」
「うん。買ってから、馬鹿みたいって思ったわ。だって、その頃の私って、ワンピースを着たところで、どこにも行く場所がなかったし。」
「で?」
「次の日の午後、姑がいない隙に、着て出たの。すごく素敵だったのよ。道行く人がみんな私を見てウィンクしてるように見えた。それから、夫の知人と出会って、お茶を飲んだの。」
「お茶だけ?」
「もちろん。それだけの事がね。すごく楽しかった。だけど、狭い町だったし、そんなことはすぐバレてね。姑にも夫にもすごく怒られた。あの時、私が謝っていれば、今でも私はあの町にいたと思うの。だけど、私にとっては、私がワンピースを着た、その日が革命だったのよ。」
「そのワンピース、見てみたいな。」
「夫にズタズタにされちゃったの。でも、いいの。離婚してからの私は、いつも、ワンピースを着ているようなものだから。」

彼は、私に口づけて、目を閉じた。

それは、革命の成功を祝ってくれたキスのように思えた。

--

今日は、息子の友達が来る。初めてなのだ。息子は、この街になかなか馴染まない。まだ、一度も友達を連れて来ないのが、私の唯一の気掛かりだった。もともと無愛想な子だが、話せばやさしいところがあるし、勉強も良くできる。

私は、息子の帰る時間に合わせて、クッキーを焼く準備をする。

その時、玄関で音がするから。

「おかえり。」
と、私は飛び出して行く。

「ただいま。友達、連れて来たんだ。」
「まあ、いらっしゃい。あら、二人なの?」
「うん。」

そばかすだらけの少年が二人、息子の後ろに立っている。

そのうちの一人が、前に進み出て挨拶をする。
「はじめまして。僕、友人のビーです。」
それから、もう一人のほうを向いて、続けて言う。
「それから、こちらが僕の父のエーです。」
「あら。おとうさま?」
「ええ。こんな外見ですが、僕の父です。」

それから、後の少年が前に進み出て、言った。
「はじめまして。私が、ビーの父のエーです。」

私は、戸惑いながら、息子を見た。息子は平然としていた。まあ、いいわ。何でも起こり得るのがこの街だから。

「さ、上がってちょうだい。」
「お邪魔します。」

二人の、甲高い声の少年は、神妙な顔で息子の部屋に行く。

私は深い息をついて、クッキーの種を伸ばし始める。

二階では、キーキーと喧嘩するような声や、笑い声が聞こえた。

多少奇妙ではあるが、息子の友人だ。間違いはないだろう。

クッキーが焼けると、私は、息子と、その友人を呼んだ。

三人は、多分、模型の機関車を巡って何やらしきりに会話しながらテーブルについた。エーとビーはよく似ていて、私にはどっちがどっちか分からなくなりそうだったが、どうやら、息子の友人のビーのほうが、落ち着き払っているほうで、その父親のエーは、落ちつき無く、キーキーと口を挟むほうだった。

だが、私は、見ているだけで混乱して、うっかり、ビーのほうに、
「おとうさま、もう少し、クッキーいかが?」
と、話し掛けてしまった。

途端に、エーがひっくり返って顔を真っ赤にして喚き出した。

何を言っているのか分からないが、多分、僕はエーであって、父親だ、という事。

私はオロオロして、見ているしかなかった。

が、しばらくすると、エーは落ちつきを取り戻し、何事もなかったかのように、三人での談笑がまた始まった。

そんな調子だったので、息子の友人達が帰る頃には、私はもうすっかり疲れてしまっていた。

「おじゃましました。息子さんの母上がこんな素晴らしい方としって、私達もとても気持ち良く過ごせましたよ。」
最後の最後に、エーは、父親らしい笑みを浮かべて。だが、相変わらずのキーキー声で、私に言った。

「私も、息子に素敵なお友達ができた事、嬉しく思いますわ。」

それから、私達は握手して別れた。

--

私がキッチンで洗い物をしているそばで、息子が黙ってクッキーの残りを食べている。

「ママ、今日は、友達をもてなしてくれて、ありがとう。」
と、少し照れ臭そうに、言う。

「また、連れてらっしゃい。」
「うん。でも・・・。」
「でも?」
「ママ、ちょっと疲れただろう?」
「そりゃ、誰とだって、初対面は疲れるわ。」
私は、マグカップに煮詰まったコーヒーを注いで、息子の前に座る。

「お友達とお友達のおとうさまは、いつもああやって一緒にいるの?」
「うん。大概は。」
「なんていうかしら。余計な事かもしれないけど、それって、お互いがとっても傷つくんじゃないかしら?」
「だけどさ。エーは、ビーと一緒にいなかったら、誰がエーの事を、パパって呼ぶんだい?」
「それもそうね。」
「だから、エーはビーと一緒にいるし、ビーはエーと一緒にいるんだ。」

よく、分からないけれど。

でも、息子がそういうのだから、きっと正しい。

私は、頭が良くないからうまいこと理解できないけれど、息子が、そんな二人を友達にしたのは、ちゃんとした事のようにも思えた。

部屋に戻ろうと立ち上がったところで、息子は言った。
「今度、ママの友達も連れて来てよ。」
「会いたい?」
「多分・・・。」
「じゃあ、そのうち呼ぶわ。お夕飯、一緒に食べましょう。」

私は少し嬉しくなってそう答えると、仕事に出掛けるために、立ち上がる。

私は息子がいるために、息子は私がいるために、ちょっとずつ傷ついてはいるけれど。だからって、離れる理由にはならないし。むしろ、愛する理由になっている。

そんな事を思いながら、夕暮れの街を、自転車で走る。


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