無責任賛歌
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2006年11月30日(木) 実相寺昭雄氏、死去/映画『ヅラ刑事(ヅラデカ)』

まずは訃報から。
以下の二つの記事を比較してみたいと思う。

【讀賣新聞】
> 「ウルトラマン」演出、実相寺昭雄さん死去
> テレビ番組「ウルトラマン」シリーズや映画「帝都物語」で知られる映画監督で演出家の実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)さんが、29日午後11時45分、胃がんのため死去した。69歳。
> 告別式は12月2日午前10時30分から、東京都文京区湯島4の1の8麟祥院で。喪主は妻で女優の原知佐子(はら・ちさこ)さん。
> 東京都生まれ。早稲田大学卒業後、1959年、東京放送(TBS)に入社。66年の「ウルトラマン」をはじめ、「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」などの特撮ドラマを演出し、69年の短編「宵闇せまれば」で映画を初監督。翌年同社を退社後、長編第1作の「無常」を手がけ、映画「曼陀羅(まんだら)」「あさき夢みし」などで、日本的な精神風土に迫る作品を撮った。 - 11月30日13時31分更新

【毎日新聞】
> <訃報>実相寺昭雄さん69歳=映画監督 ( - 11月30日 10:40)
> 「ウルトラマン」「帝都物語」などで知られる映画監督の実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)さんが29日午後11時45分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。69歳。葬儀は12月2日午前10時半、文京区湯島4の1の8の麟祥院。自宅は非公表。喪主は妻で女優の原知佐子(はら・ちさこ=本名・実相寺知佐子)さん。
> 早稲田大卒業後、1959年、ラジオ東京(現TBS)に入社し、ドラマの演出をへて映画部に転属。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などの演出を手がけ、69年「宵闇せまれば」で映画監督デビュー。TBS退社後、「無常」「あさき夢みし」など、実験的作品を発表した。陰影を強調した奇抜な構図や、エロチシズムを追求した作品で、根強い人気を獲得した。
> 88年「帝都物語」、98年「D坂の殺人事件」、05年「姑獲鳥(うぶめ)の夏」などの小説の映画化や、「アリエッタ」「ラ・ヴァルス」などエロチシズムを描いた作品を精力的に監督。夏目漱石の小説が原作のオムニバス映画「ユメ十夜」の一編、自身が演出したテレビ番組を映画化した「シルバー假面(かめん)」を監督し、公開予定だった。
> 舞台やオペラの演出、「ウルトラマンのできるまで」などの著作も多数。東京芸術大学名誉教授。


 一見して、毎日新聞の方が実相寺監督の業績を簡にして疎なく、まとめている。
 毎日は、舞台やオペラの演出をされていたことにまで触れているが、近年、映画以上に実相寺さんが舞台に傾注していたことを思えば、愛に溢れた記述と言ってもよい。
 それに比べて、「讀賣」の味気なさは何なのか。
 いったい、「記事の書き手は実相寺さんの何を見ているのか」と怒りを覚えるほどだ。
 「日本的な精神風土に迫る作品を撮った」というのは、ありふれた表現で、しかも的確とは言いがたい。批評の言葉としては、浅薄過ぎると言ってもいいだろう。
『歌』や『曼荼羅』、『あさき夢見し』と言ったATGでの一連の作品、果たしてそれらをそういう大雑把なくくりで捉えていいものかどうか、という疑問が湧いてくる。

 「大雑把」と言うなら、「毎日」も同様ではあるが、「陰影を強調した奇抜な構図や、エロチシズムを追求した作品で、根強い人気を獲得した」の方が、まだ具体的に映像の特徴を捉えていると言えるだろう。
 映像の意味・解釈などは、観客が勝手に想像すればいいことで、最初から「説明」してしまっている「讀賣」の記事は、ほとんど記事とは言えない言葉の羅列に過ぎなくなっているのだ。

 讀賣から毎日に乗り換えようか(苦笑)。


 「実相寺昭雄」の名前をいつごろから意識し始めたのかはよく分からない。
 『ウルトラマン』本放送時の私は3歳。とてもじゃないが、各輪演出のスタッフの名前までは知りようもない。「円谷英二」だって、「エンタニエイジ」と読んでいたのだ(私は早熟だったので、3歳でも漢字は読めていた)。
 多分、『ウルトラシリーズ』でも、いささか毛色の変わった作品ばかりを集めた総集編版ウルトラマン、『故郷は地球』(ジャミラ)や『空の贈り物』(スカイドン)、『怪獣墓場』(シーボーズ)などの回が、同じ監督の手になるものだと知ったころだから、10代の半ばくらいだろう。

 正直、それらのエピソードは通常のイメージの怪獣ものとはあまりにイメージがかけ離れていて、当時の私にはつまらないとすら感じられていた。
 もちろん、今見返せば、怪獣ものの衣装を借りた優れた風刺SFとして評価できるのだが、私は円谷一監督作品に代表される、もっぱら正統的な怪獣対決ものにのみ狂喜していたのである。
 ただ重いだけでぶかこっうなスカイドンや、寂しくて地面を蹴ってすっころげるシーボーズなどは、怪獣の風上にも置けない失敗作としか思えなかった。
 当時の実相寺作品で私が唯一好きだったと言えるのは、『ウルトラセブン』の『狙われた街』(メトロン星人)のみだろう。これは、ウルトラマンの生みの親、金城哲夫と実相寺昭雄が唯一組んだ作品である。
 昨年の『ウルトラマンマックス』の「狙われない街」で、メトロン星人を再登場させたのは、実相寺さんの金城さんへのオマージュもあったのかもしれない。

 結局、私が実相寺昭雄作品に目を開かされるのは、『怪奇大作戦』の再放送(本放送時は、やはり子どもだったのでコワくてマトモに見られなかった)を待つことになる。
 『恐怖の電話』では初めて桜井浩子女史の美しさにクラクラし、『京都買います』では岸田森のペシミズムに酔い痴れた。

 岸田森演じる牧史郎の持っているあの暗い影の正体は何なのだろう。
 紫煙をくゆらせ、京都の街を彷徨する彼はその煙よりも実態がないように見える。
 謎を追い、解き明かし、真実を追い求めながら、かの「探偵」は、まるで浮き草か幽霊のように街に翻弄されて、女の変貌した仏像に恐怖し、遁走する。
 そうだ。彼は「遁走者」としてあの街の中にいたのだ。
 牧史郎ばかりではない。
 実相寺作品の登場人物たちは、誰も彼もが真実に向き合おうとしながら、どこか逃げ腰だ。『姑獲鳥の夏』の探偵たちは、京極堂も榎木津も関口も、恐らくは真相にとうに気付いていながら、その解決を導き出すのに不必要な手間ばかりをかける。
 原作がもとからそうなのだとも言えるが、霞の中に漂うように屹立する久遠寺家の描写は、現実を映し出そうとする監督のそれではない。当然、徘徊する登場人物たちも、現実・真実に相対する存在としてそこにいるのだ。

 ヘビースモーカーである実相寺監督は、その紫煙で我々を煙に巻くように、非現実で不条理な世界を描き続けていく。にもかかわらず、その世界で浮遊する人間たちは、非現実的でありながら極めて性的で生々しいのだ。
 彼らはみな、自分の血が赤く熱いことを知っている。そしてその血の呪縛から逃れられないがゆえに、重苦しい「影」を背負わざるを得ない。

 彼らの背負っている「影」は、彼らが生きている「街」に縛られ、その「街」から逃れようとし、逃れ切れずにもがいているがゆえにうまれてくるものなのだ。
 後に実相寺作品が江戸川乱歩の世界に傾倒していくことになるのはごく自然な流れであったのかもしれない。探偵明智小五郎も、対峙する犯人たちも、さながら曼荼羅のように秩序と混沌を内包した「街」に精神を支配され翻弄された遁走者であったからである。
 「犯罪」とは、『罪と罰』の例を挙げるまでもなく、この世界の不条理を、個人が咀嚼し超越することのできる唯一の手段だからだ。

 そして、実相寺さんが常に仮装敵国として認識していたその「世界」は、その「街」とは、紛れもなく実相寺さんの生まれ故郷である「東京」であった。
 その通り、実相寺作品は全て彼自身の『東京物語』なのである。
 『京都買います』が京都を舞台にしていたのは、後の『帝都物語』へ至る伏線であったと言えよう。

 東京はなぜ破壊されなければならなかったか。
 東京が曼荼羅だからである。曼荼羅の持つ広大なエネルギーから、その呪縛から、開放されなければならなかったからである。

 実相寺演出において、映像の中にしばしば夾雑物が置かれるのはなぜか。
 伴奏曲としてクラシックが多用されるのはなぜか。
 仙人然とした実相寺監督は、「カメラの切り返しがラクだ」とか「単に好きだから」と、観客の疑問をはぐらかすようなことを口にするが、そうではあるまい。
 これはコントラプンクト(対位法)による世界の破壊と再生なのである。

 そのようにして実相寺作品を観る時、それらはは「日本的な精神風土に迫る作品」程度のものではないことが見えてくる。
 一連の実相寺作品は「ノアの箱舟」の物語であり、人間の再生神話なのだ。

 20代を過ぎて、私はようやく大島渚らと組んだATGの一連の作品に出会った。
 再び映画監督として脚光を浴びることになる『帝都物語』や『悪徳の栄え』にも魅せられた。まあ失敗作としか言えない『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』もまた、神話の物語であると微笑ましく見ることはできた。
 『屋根裏の散歩者』『D坂の殺人事件』『姑獲鳥の夏』など一連のミステリーの最も斬新かつ上質な演出の手際に、この監督はいつまで経っても先鋭的なのだと感服した。

 しかしそんな傑作群の中でも、一本を選ぶとしたら――。
 私はやはり、『京都買います』を選ぶだろう。
 実相寺昭雄の分身は、現実世界でも胡蝶を追い求め、幽冥の境に生きた岸田森しかいないのだから。



 シネ・リーブル博多駅で、『ヅラ刑事(ヅラデカ)』を見る。
 監督はご存知河崎実だが、監修は『日本以外全部沈没』に続いて実相寺昭雄。
 偶然、追悼の意味を込めての映画鑑賞となった。

『ヅラ刑事(ヅラデカ)』
 (2006年/提供:バップ/クロックワークス/エースデュースエンタテインメント/ツイン/ローソンチケット/オー・エル・エム/スカパー・ウェルシンク/リバートップ/トルネード・フィルム)

【スタッフ】
 プロデューサー・脚本・監督 河崎実
 監修 実相寺昭雄

【キャスト】
 ヅラ刑事:モト冬樹/オヤジ刑事:加納良治/デカチン刑事:イジリー岡田/デブ刑事:ウガンダ・トラ/イケメン刑事:桐島優介/チビ刑事:なべやかん/トンコ:橋本まい/面堂啓介<ボス>:中野英雄/仁多博士:ドクター中松/友情出演:飯島愛/特別出演:さとう珠緒

【ストーリー】
 明らかにヅラのため、犯人を不安な気にさせる。
 そして必殺技はヅラを投げつける「モト・ヅラッガー」!
 東京でもっとも猥雑な街・新宿の花曲署の刑事たちは、独特のキャラクター揃い。
 ヅラを投げる必殺技を持つヅラ刑事(モト・冬樹)、並外れたチンチンを持つデカチン刑事(イジリー岡田)。さらにデブ・チビ・オヤジ・イケメンと、様々な個性の刑事たちがいる。
 一見マイナス要素の男たちだが、彼らは捜査になると素晴らしい力を発揮するのだ。
 彼らを統率するのは沈着冷静な捜査一係長・面堂(中野英雄)。これから一癖も二癖もあるどころか、全身癖のクレイジーな刑事たちの大活躍が始まる!!


 もちろん南郷勇一も登場(笑)。
 全編馬鹿映画なのは言うまでもないが、モトさんが決しておちゃらけた芝居をせずに、ヅラを投げるにしろ真剣に演じているのが素晴らしい。馬鹿馬鹿しいと言うのなら、没羽箭張清も銭形平次も荒唐無稽なのだ。
 ハゲをからかうギャグはベタで、使い古されていると批判する向きもあるかもしれない。けれども、ちょっと考えていただきたい。人類がハゲを気にするようになったのは、いったいいつのころからなのか。

 エジプトのミイラの中には、かつらをかぶっているものも発見されているということである。本邦においても、九世紀ごろ、延喜の治、醍醐天皇の御代に既にかつらの記録があると言う。
 人間の美醜の感覚が国や時代によって変化するのは当然だが、「ハゲを気にする」感覚は、国家間、世代間を越えて、かなり人類に普遍的な悩みであると言えるのだ。

 「はげちゃびんだけはイヤ!」と恋人に拒絶される若き日のヅラ刑事。
 笑ってしまうが、そんな馬鹿げた理由で彼氏を振ったり、そもそも告られても相手にしない女性は、結構大多数なのではなかろうか。
 となれば、ヅラ刑事の苦悩は、我々みんなの苦悩なのである。ハゲをおちょくるギャグが古くなることはない、と断定していいだろう。
 自分が老人になるとは想像もしていない若い観客、A級映画しか見ないと称するヒョーロンカ、笑わば笑え。この「何でもあり」な精神こそが映画を作る原動力になるのである。

2002年11月30日(土) 大掃除Part2/CD『檸檬』(遊佐未森)/DVD『サイボーグ009 バトルアライブ9 〜審判〜』
2001年11月30日(金) 心臓止まってもDVD……バカ?/ドラマ『五辨の椿』第1回/DVD『ハレのちグゥ』3・4巻ほか
2000年11月30日(木) チラシ完成!/『未明の家』(篠田真由美)


2006年11月29日(水) オリジナルタイトルが意味ありげだけど/映画『トゥモロー・ワールド』

トゥモロー・ワールド Children of Men
(2006年|イギリス、アメリカ|カラー|109分)

【スタッフ】
監督:アルフォンソ・キュアロン
製作:マーク・エイブラハム、エリック・ニューマン、ヒラリー・ショー、トニー・スミス
脚本:アルフォンソ・キュアロン、トーマス・A・ブリス
原作:P・D・ジェイムズ『人類の子供たち』
撮影:エマニュエル・ルベツキ 音楽:ジョン・タヴナー 【キャスト】 クライヴ・オーウェン ジュリアン・ムーア マイケル・ケイン キウェテル・イジョフォー チャーリー・ハナム クレア=ホープ・アシティー?

  “ダルグリッシュ警視シリーズ”などで知られる英国を代表する女流ミステリ作家P・D・ジェイムズの『人類の子供たち』を「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」のアルフォンソ・キュアロン監督が映画化した近未来SFサスペンス。子供が誕生しなくなった近未来の地球を舞台に、人類の未来を左右する一人の少女を巡る攻防に巻き込まれた主人公の運命をスリリングに描く。クライマックスの戦闘シーンでの長回しをはじめ技巧を駆使した臨場感あふれる映像表現が高く評価され、ヴェネチア国際映画祭ではオゼッラ賞(技術貢献賞)を獲得した。
 西暦2027年、人類はすでに18年間も子供が誕生していなかった。原因は分からず、人類滅亡の時が刻一刻と迫っていた。希望を失った世界には暴力と無秩序が拡まっていた。こうした中、英国政府は国境を封鎖し不法入国者の徹底した取締りで辛うじて治安を維持していた。そんなある日、エネルギー省の官僚セオは、彼の元妻ジュリアン率いる反政府組織“FISH”に拉致される。ジュリアンの目的は、ある移民の少女を“ヒューマン・プロジェクト”という組織に引き渡すために必要な“通行証”を手に入れることだった。最初は拒否したものの、結局はジュリアンに協力するセオだったが…。


一見、SFである。
 子どもが生まれなくなった近未来の世界、という設定は確かにSFでしかありえないが、その現象に理由が与えられない時点で、ドラマはSFではなく寓話としてしか機能しなくなる。
 もちろん、SFが一種の寓話性を持っていることは事実であるが、未知の現象に対して科学的かつ具体的な理由が与えられず、そこから派生すべき事態の解決方法や未来への何らかの展望が示されない時点で、SFとしての面白さは消滅してしまう。
 あとはこれ、宗教に逃げるしかないなあと思って見ていたら、案の定、そうなってしまった。
別にドラマ作りの面でそれがいけないというわけでもないが、だったらSF的な設定をわざわざ導入する必要もない。結局、ドラマ的な意匠としては『隠し砦の三悪人』やら『戦国野郎』の近未来版にしかなっさてはおらず、しかも地味だ。宗教的な色彩は、文化的な違いもあって、日本人である私にしてみれば、勝手に殉教者ごっこしてれば? でしかない。
原作のP.D.ジェイムズの小説とは全く違ったものになっているということであるが、SFが何なのかよく分かっていない連中に作らせると、こんな腑抜けた映画ができてしまうのである。『2001年宇宙の旅』の宗教性が、悪い方向に進んじゃったような映画であった。

こういう映画なら、日本人が脚色した方が、絶対面白いものになったろうなあ。

2002年11月29日(金) 再爆走�ァ織織ぅ爛好螢奪廝横粥殖達帖慍�かしの昭和テレビ・ラジオ番組主題歌全集』/『桃色サバス』4〜6巻(中津賢也)ほか
2001年11月29日(木) おトイレの音入れ。つまんないシャレですみません/『ほんの本棚』(いしいひさいち)/DVD『ゴジラの逆襲』ほか
2000年11月29日(水) オタクとは知性のことなり/アニメ『サウスパーク』5巻ほか


2006年11月28日(火) 10分で書けるのはこの程度/舞台『黄昏〜On Golden Pond』

舞台『黄昏〜On Golden Pond』
 メルパルクホール福岡(福岡市中央区薬院4-14-52)

【出演】八千草薫/賀来千香子、中村友也、飯田邦博、三浦浩一/長塚京三

【あらすじ】
 ノーマン・セイアー・ジュニアは80歳を迎えようとしている。そして彼より10歳若い妻のエセル。今年もあのゴールデン・ポンドでひと夏を過ごすために訪れた。
 ふたりにとって48回目の夏。しかし今年のゴールデン・ポンドはいつもと違っていた。
 老いを意識したノーマンにとって・・・・・
 たまに二人を訪れるのは、平穏な湖を守る郵便配達のチャーリー。彼はセイアー夫妻の娘チェルシーとの思い出を語るやさしい隣人でもある。
 そこにノーマンと反発しあっていた娘のチェルシー・セイヤー・ウェインが訪れた。彼女のパートナー、ビル・レイと彼の子供ビリー・レイとともに。お互いに素直になれないノーマンとチェルシー。ふたりを温かく見守るエセル。チェルシーに淡き思いをつのるチャーリー。そして新しい家族のビル・レイ。
 傷つけあい、いたわりあいながらも、家族の絆を探すひと夏。
 ゴ−ルデン・ポンドの夕日は、老齢なふたりの人生をさらに輝かせる。


 八千草薫という人は不思議な人だと思う。
 ナマの姿を見ていても、どこか現実感がない。そこにナマの人間として存在しているような印象が希薄だ。
 時折、八千草さんが口ずさむ「ゴールデン・ポンド」の歌。
 これがその「希薄感」を弥増す。

 体調不良で降板した杉浦直樹の代役となった長塚京三。
 この人もどこかリアリティのある演技とは離れた芝居をされる人だ。
 基本的に無表情で、声には抑揚がなく、それがやや記憶力の薄れた老人を演じるものだから、やはり何となく現実離れしている。
 妖怪ぬらりひょんと言った風情だ。

 この二人が組んでいるものだから、何となく舞台は不条理劇のムードすら漂う。
 この二人、永遠に死なないんじゃないか(笑)。

 現実的に考えれば、老境を描いたこの舞台、死を見据えた老人二人の悲壮感が伝わってきてもいいような気がするのだが、それが殆ど感じられない。
 だとすれば失敗作と判断することもできるはずなのだが、不思議とつまらない芝居を見たという気がしない。
 この二人は、黄金の湖のほとりで、永遠により沿って佇んでいるのだ。そんな理想郷を見せられているような気分になるのである。
 これは杉浦直樹には出せなかった「長塚効果」なのかもしれない。


 SGcafeでの映画は『69』。
 遅れての参加だったが、その前は『猫目小僧』を見ていたのだそうな。
 B級映画研究会らしくなってきたことである。

2005年11月28日(月) ミクシィの穴/映画『奇談(キダン)』
2004年11月28日(日) 「地雷」がいっぱい(^_^;)
2002年11月28日(木) 再爆走�ぁ新�をとっては/『恋愛出世絵巻 えん×むす』1巻(瀬口たかひろ)/『ウルトラマン画報』上巻
2001年11月28日(水) ひと月早いぞ誕生日/DVD『キカイダー01』第1巻/『マジンカイザー』2巻ほか
2000年11月28日(火) 〆切はゴムのように延びる(^o^)/『蟲師』1巻(漆原友紀)ほか


2006年11月27日(月) 短編日記。普通はこれくらいの長さだよな(笑)

終日雨。

SGdaigo氏より、忘年会のお誘いあり。
また、草莽の志士氏より、ワークショップ仲間で集って、公演をぶとうとの提案あり。

どちらも、予定は12月16日(土)。
しかも、その日は昼間、風間杜夫の落語独演会に行く予定。

どう調整をしたものか迷う。

時間がないので今日はこのへんで。

2005年11月27日(日) さりげなく復活。
2004年11月27日(土) お客が来ても樽の中。
2002年11月27日(水) 再爆走��/鬼が笑っちゃってひきつけ起こして寝る話/『燃えよペン』(島本和彦)ほか
2001年11月27日(火) 癒されたいの?(-_-;)/DVD『ウルトラQ』6・7巻/『ギャラクシー・クエスト』
2000年11月27日(月) 活字の本が読み進まない/『カスミ伝△(さんかく)』1巻(唐沢なをき)ほか


2006年11月26日(日) 九州国立博物館開館一周年「『海の神々』 〜捧げられた宝物〜」展

 昨日、久しぶりに亀の水槽を洗った。
 水槽というよりは泥槽になってはいたが、もちろん泥の正体はこいつらの糞である。

 掌サイズだったころの可愛らしさはどこへやら、今やこいつらは10センチを越えたデカガメに変貌してしまった。玄武と龍宮という名前を付けていたが、初めは大きさに差があって区別がつきやすかったのだが、今はどっちもどっちのでかさで、顔をよく見比べないと分かりにくくなっている。

 こいつらが、エサを与えりゃ、あっという間に食い尽くし、小便と糞を怒涛のごとく垂れ流すのだ。
 おかげで、水槽を洗って、小一時間も経たないうちに、水槽はもう白濁してしまっている。循環ポンプも屁の役にも立ちゃしない。つか、こいつら二匹で寄ってたかってポンプぶっ壊してくれるしよ、もっと上等で頑丈なやつを買わなきゃいけないじゃないか。

 そんな状態だったので、一週間ごとに水槽を洗うのが面倒くさくなり、かなり長い間放置していたのだが、水がこれだけ汚くなっても、エサをしばらくやらずにおいても、こいつらはまるで平気の平左なのである。
 元気が有り余っているかのように、何とか水槽から脱出しようと、敷き詰めた小石を掘ったり、立ち上がって壁をよじ登ろうと、バタバタ暴れまくっているのだ。生命力が強いドーブツに例えられるのも無理もないと思われる。こりゃ、川とかに捨てられた亀が生態系を壊すのも当然だろう。
 人間よりずっと図太いわ、亀(笑)。

 私が亀より先に死んだら、しげ。は躊躇なく亀を捨てるんだろうなあ。 しげ。の代わりに、いざというときは亀をもらってやってもいいよって方、いませんか?



> <核>「保有ノーだが議論は容認」が最多6割 毎日世論調査
> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061127-00000006-mai-pol

> 毎日新聞は25、26日の世論調査で、自民党の中川昭一政調会長や麻生太郎外相らが提起した「核保有」議論についても尋ねた。その結果、核保有自体には約8割が反対する一方、議論に対しては「核保有すべきでないが、議論はしてもよい」との回答が最多の61%にのぼり、容認派が多数を占めた。
> (毎日新聞) - 11月27日3時5分更新

 「世論」が知性と無関係であることは歴史が証明しているところであるが、その最大の特徴は、「先読みができない」点にある。
 「世論」は常に近視眼的で目先の欲求しか見据えてはいず、10年のスパンでものを見ることすら不可能である。せいぜい半年か1年、先を見通すのが関の山で、実質、論というよりは直感に近い。
 個人個人では深謀遠慮な人々も散見するというのに、総体としてはあまりものを考えているふうでもない烏合の衆となりはてるのは社会学的な研究対象の現象としては面白いかもしれないが、その中に身を置いている一員としては、いささか居心地が悪くなるのである。

 このように書いているからと言って、私が核保有に賛成だとか、議論することに反対なのだとか、短絡的に判断しないで頂きたい。私は「世論は必ずしも論理的な思考に基づいてはいない」ことを指摘しているまでのことで、その内容の是非を判断することとはいったん、次元を異にして考えなければならないのである。

 端的に言うと、まずもって大衆は「核保有」になぜ反対なのか、その理由について綿密に考えているわけではない。下手をすると、「かくをもっているといつかはばくはつしてきけんです」とか「かくみさいるはせんそうにつながってひとがしぬからもっちゃだめです」とか、甚だ幼稚な認識しか持っていない場合も多かろう。
 第二点。「議論はしてもいい」と言うが前記のような殆ど直感でしかない認識力で、いったいどんな議論をしようというのか、具体的な内容を想定しているのだろうか。
 議論というのは、自らの拠って立つ理論を明確にした上で、相手の反証も予め想定し、更にその反証も用意して、自説を主張するのでなければ成り立たない。「議論してもいい」と仰る方々がみな、その筋道を具体的かつ建設的に想定しているとは私にはとても見えないんだけど。
 「話し合いは必要だ」という戦後民主主義的イデオロギーに盲目的かつ脊髄反射的に従っただけの、思考停止状態に陥った状態での発言ではないのか。

 日本人の議論下手が始末に悪いのは、「やってみなけりゃ分からないじゃないか」と、往々にして議論をすっ飛ばして出たとこ勝負に走ってしまう傾向にあることで、結果として「やってみる前に分かりきっている結末」に陥ってしまう。
 先の戦争が侵略戦争だったか自衛戦争だったか、そんなイデオロギーはどうでもいいが、戦略的に考えれば真珠湾攻撃の時点からミスだらけだったことは今や明白な事実である。幕末以来、薩摩と長州の単細胞に支配され続けてきた弊害が先の戦争でも如実に現れてしまったと見るのはあながち的外れではなかろう。

 前置きが長くなったが、「核保有には反対だが議論はしてもいい」という、一見理性的に見える主張は、実態としては殆ど「何も考えていない」人たちによって口にされている、ということである。
 もちろん熟慮の上でそう主張している人たちもいるだろうが、困ったことに両者の違いは結論だけは一致しているので、表面的には区別が付かないのである。
 「ただ話し合えばいい」と口にするだけで、中身を考える力もない連中に「核」を持たせたら何を仕出かすか。それが怖いから、簡単に「核を持つことも想定して」とか「議論だけならしてもいいんじゃない?」とか、軽く口にはしたくないのである。

 要するに「議論をすることに反対じゃないけど、その相手が馬鹿ばっかだったらどうするのよ」ということなのだ。「世論」は基本的に正邪の判断とは無関係だと認識する必要があるんだけれど、困ったことにある一定の「力」だけは持ってるんだよねえ。
 「政治家」と呼ばれる人たちが本当にしなければならないことは、「世論」をある一定のレベルで尊重しつつ、自らは100年先の未来を見据えて、我ら愚民を意識誘導してとりあえずの平和と満足を与えてくれることなんだけれども、そんな技術を持ってないやつらばかりだからなあ。

 先日の福岡市長選挙で落選した前市長・山崎広太郎が敗戦の弁をこう語っていた。
 「私個人への反感を跳ね返せなかった」
 個人的に嫌われてるって分かってるんだったら、選挙に出て無駄金使うなよ。それだって公費じゃねえか、と、やっぱり「やってみなけりゃ分からないじゃないか」で人工島だのオリンピックだのとぶち上げてきた単細胞はようやく退陣したのであった。
 大衆レベルの政治家ばかりの国で、「議論」が果たして成立するのかってところから始めないといけなくなってるんじゃないかね。「世論調査」ってのは社会学的には意義のあることだけれど、一般人の政治論の判断材料として考慮するのは控えた方がいいのである。



 今日は朝からかなり強い雨。
 本当はしげ。と太宰府の九州国立博物館まで「開館一周年記念特別展 『海の神々』 〜捧げられた宝物〜」を見に行く予定だったのだが、例によって例のごとく、またしげ。が渋りだした。
 しげ。はもともと、博物館や美術館の類にはたいして興味を持っていないので、自主映画撮影のロケをダシにして、むりやり連れ出すつもりだったのだが、それも雨天のせいでオシャカになった。
 いったん、出かけるのを中止しようかとも思ったが、今回は“海の正倉院”沖ノ島の遺物が展示されるということで、ひとりで見に行くことにする。
それでも雨が上がる昼まで待ったんだけどねー。しげ。結局、てこでも動かないのであった。
 「大橋までは送ってあげるよ」というありがたいお言葉を頂いて、西鉄大橋駅へ。途中、雨に降られることもなく、無事、太宰府に到着する。

 以下、簡単に展覧会の内容と、感想などを。

「1章 海から生まれた神」
 > 海人(アマ)あるいは海部(アマベ)と呼ばれた古代の海の民は、海に住む神霊を祭っていました。『古事記』・『日本書紀』(記紀)では、黄泉の国からもどったイザナギがミソギをした時にワタツミ(綿津見)神とツツノヲノ命が海から出現したといいます。ワタツミノ神は海人族の阿曇氏の氏神であり、ツツノヲノ命は住吉神とも呼ばれ、航海の守護神でもありました。

 住吉神社の総本山は大阪だけれども、歴史は福岡の方が古い。
 博多古地図が展示してあって、住吉神社が昔は海に面していたことが分かる。住吉神は記紀における「ツツノヲ三神」のことだが、この「ツツ」は「津々」のことではないかという説がある。
 本来は「筒」の字を当てているから、これは「舟」の暗喩であり、海を女性に見立てれば当然これは「男性器」の象徴でもあろう。
沖の宗像三神が女性なら、港の住吉三神は男性だと考えるのが自然で、ここにも古代人の性の大らかさが表れていると思うのである。


「2章 海上の守り神」
 > 海の民の中からは航海を生業とする人々も現れました。記紀では宗像三女神が航海の守護神として生まれました。海上交通の要衝にある沖ノ島や厳島は、島そのものを航海の神として祀られています。また灯台のように目印となる山も信仰の対象になりました。金比羅神はその代表でしょう。また、近世には宝船の絵とともに七福神が流行ります。恵比寿は鯛を抱えた姿で親しまれる漁業の神、弁財天も水辺に祀られ、ともに福運の神と崇められています。

 「エビス」はもともと「異界の神」で、それが福をもたらすというのは、まさに「カーゴ・カルト(積荷信仰)」だ。
 「海から来た神々」にはやっぱり渡来人のイメージがあったんだろう。というか、日本人のルーツはやはり海の彼方にあって、いわばかつての故郷を神格化し、憧憬を表したたものが全国の恵比寿信仰になったんだと思う。


「3章 海神の伝説」
 > 伝説でよく知られているお話しが、浦島太郎と海幸彦・山幸彦の物語でしょう。記紀によれば、ヒコホホデミノ命(山幸彦)がシオヅツノ翁の助けによって海神の宮へ赴き、海神の娘トヨタマ姫と結婚します。そこで釣針と糸や塩満瓊と塩涸瓊を手に入れて、兄のホスソリノ命(海幸彦)を降伏させたのです。シオツツノ翁はツツノヲノ命と同じ神と考えられ、神功皇后の伝説でもツツノヲノ命が助力しています。

 浦島太郎の本名は「住吉浦嶋子(スミノエノウラシマノコ)」。住吉神と同じものと考えてよい。
 彼を龍宮に案内するのは亀だが、もともとの伝説では亀は乙姫そのものだった。
山幸彦を発見するのは海神の宮の乙女たち、神功皇后を朝鮮に誘うのは、妹のソラツノヒメノミコト。
 「ソラツヒメ」は「虚空津比売」と書き、天空と海を繋ぐ壮大な名前を持っている。しかもその姿は裸形。「女」の原型的イメージがここにあると考えるのは穿ちすぎだろうか。
 そもそも、渡海に「女性」が必要だったのはなぜなのだろう?
 天孫ニニギノミコトの道案内はサルタヒコだが、彼に渡りをつけたのは日本最古のストリッパー、アメノウズメだ。ヤマトタケルノミコトは、海を渡る際に、妻のオトタチバナヒメを犠牲にしてしまっている。
 海は全ての生命の源であり、女の腹から生まれない命はない。そういう思想が、女性を海女とし巫女とした進行に結びついていったのか……と想像する。


「4章 外来の神」
 > 媽祖(まそ)とは、中国の沿海民から絶大な信仰を集める航海の女神です。航海中はその神像を必ず同伴して供養し、航海安全を祈りました。九州でもかつて中国人貿易商たちの活動が活発だった地域に媽祖像が伝来し、今も篤く信仰されています。

 媽祖は時代的には十世紀ごろに実在した女性ということだが、海難を予言したというから、やはり巫女的な存在だったのだろう。「媽祖」という漢字にも「母なる女」のイメージがある。
 人間はすべからく、最後は母に帰るものなのだろう。魂のルフラン♪(笑)


「5章 海の彼方のユートピア」
 > 沖縄をはじめ南島では、海の彼方にやすらぎに満ちた楽土(ニライカナイ)があり、そこは祖先の原郷という信仰があります。沖縄ではこのニライカナイの神が、海を渡ってやってきて豊穣をもたらすと考えられています。この信仰は太平洋の島々に広がってもいます。

 海神信仰の原点は沖縄に残っている。
 ニライカナイは日本人の原風景でもあるんだろう。いつかはそこに帰ることを夢見る、日本人の「約束の地」なのである。



 帰宅して、ドラマ『氷点』を見るが、石原さとみの大根役者ぶりに呆れる。
 この人、今のうちに鍛えておかないと、使いものにならないぞ。

2004年11月26日(金) みんなみうらじゅんが大好き/DVD『マダムと泥棒』/『トップをねらえ2!』1巻
2002年11月26日(火) 再爆走�◆森�げなくても広がるリング/『低俗霊DAYDREAM』4巻(奥瀬サキ・目黒三吉)
2001年11月26日(月) そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか
2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州



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藤原敬之(ふじわら・けいし)