2007年08月23日(木)  マタニティオレンジ164 ついに布おむつの出番

夏風邪の熱が下がったと思ったら、入浴を控えたせいで汗疹がひどくなったので、昨日の夕方、皮膚科へ行った。これがいけなかった。クーラーのきいた待合室で待つこと30分、風邪がぶり返し、今朝熱を測ったら7度9分。昨日は誕生日だったけれど、今日は年に一度のお楽しみ会で、園児も先生も浴衣姿で集まるという。たまも「おうちも飽きたし、そろそろ保育園に行きたいわ」とばかりにぐずるので、ゆかたを着せ、返品覚悟で連れて行くと、8度1分であえなく返品。お楽しみ会でやる予定だったヨーヨーすくいをフライングでさせてもらい、たまが指差したヨーヨーを先生がすくっておみやげに持ち帰らせていただく。

「汗疹がひどくて」と保育園の看護師さんに相談すると、「風邪でもシャワーは浴びさせてあげてください」と言われ、家に帰って早速シャワー。濡れた体を拭き、おむつを履かせようとして、昨日皮膚科の先生に言われた「なるべく裸にしててあげてください。でなければ布おむつを」を思い出す。まったく何も履かせないと家のあちこちに不本意な水溜りを作ることになるのだが、確かに蒸れる紙おむつを履かせるのはかわいそう。いただいたものの一度も使わずに眠っている布おむつのおさがりに、ついに出番が来た。

ところが、布おむつを留めるカバーがない。布おむつの上にズボンを履かせて留めるという強引な手段を取る。うまくいったかに見えたが、おしっこをすると重みでズボンが下がり、今どきの若者のようになってしまった。ヒップハングでずかずか歩くたまは、ふんぞり返ってふてぶてしい。何かマジックテープのようなものはないか、と部屋を見回し、はたと気づいた。そうだ、紙おむつにはテープがついている! 早速試してみると、ぴたりとフィット。紙おむつの中敷感覚だけれど、紙よりは蒸れないし、こまめに替えれば紙オムツの節約にもなる。でも、いつまでも急場しのぎではかわいそうなので、大阪に住む妹の純子に電話し、「前に断った布おむつが急遽いることになって……」とおむつカバーのおさがりを依頼。「紙おむつで布おむつを留めるなんて、聞いたことがない」とあきれられたが、送ってくれることになった。

2005年08月23日(火)  たっぷり3時間『もとの黙阿弥』
2004年08月23日(月)  江戸川乱歩と大衆の20世紀展


2007年08月22日(水)  マタニティオレンジ163 風邪と汗疹と誕生日プレゼント 

一昨日、初の保育園返品となったたまは、昨日の朝、体温を測ると7度6分だった。8度を超えるとお預けできないのだけれど、ぎりぎりセーフ。それでも大事を取って休ませたのは、翌日の誕生日当日は保育園に行かせてあげたい、と思ったからだった。誕生日に学校へ行けばいいことがある、という期待がわたしには刷り込まれている。0歳児クラスの園児たちは、さすがに「おめでとう」を言い合ったりはしないだろうけれど、先生たちは誕生日カードを用意してくださっているらしい。先週、「お父さんお母さんから一言お願いします」と小さな紙を託されたのだが、それを組み込んだカードを仕上げてくださるようで、「どうぞお楽しみに」と言われている。「熱は下がったんですが、今日はゆっくり休ませます」と保育園に電話をすると、「あら、たまちゃん、明日お誕生日なのに」と担任の先生。咄嗟にこんな反応が返ってくると、心の行き届いた保育をしていただいているな、とあらためてうれしくなる。

お盆休みを引きずっていて、今週は打ち合わせもほとんどなく、締め切りにもまだ余裕があるので、保育園を休ませても仕事には響かない。これで元気ならどこかへお出かけもできるのだけれど、家でおとなしくしていなければならないのは、もったいない気がする。その代わり、家にいるおかげで、次々と届く誕生日プレゼントを受け取ることができた。

広告会社時代の得意先であり、元々は前田哲監督に注目されていた縁で『パコダテ人』以来応援してくださっているS氏からは、東京ディズニーランド/東京ディズニーシーのパスポートが届く。こういう贈り物は、受け取ったときと、実際に使うときの二度感激を味わえてうれしい。いつ行こうか、歩けるようになってからがいいだろうか、誰を誘おうか、と思い巡らせるのも楽しい。コピーライター時代、わたしは東京ディズニーランド/東京ディズニーシーのCMや雑誌広告やホームページのコンテンツを書いていた。手がけたコピーを足し上げると、本一冊分ぐらいになるかもしれない。わが子を案内するという視点が加わっていれば、もっと豊かな案内書になっていただろうと思う。

クリスチャンで医師の余語先生からは、「こどものせかい」の7月号「まいごのミーミ」と9月号「ぼくんちのペット」が届いた。「こどものせかい」は至光社が出している月刊カトリック保育絵本で、「日本カトリック幼稚園連盟」推薦とある。贈られた二冊は文字が活字ではなくカラフルな手描きになっていて、ほんわかとやさしくあったかい雰囲気を醸している。

絵本といえば、先日ご近所仲間でわが家に集まったときに、鉄道マニアで映画ファンのT氏が「今井さんとたまちゃんに」と持ってきてくれたのが、《こどものとも》傑作集『やこうれっしゃ』(西村繁男さく)と『こねこのねる』(ディックブルーナぶん・え 石井桃子やく)。文字がなく、夜行列車のスケッチだけで語られる『やこうれっしゃ』は、絵を指差しながらそれぞれの乗客の物語を子どもと作る楽しみ方ができそう。そんなことができるまでにはもう少し待たなくてはならないけれど。こどものともは子どもの頃にしばらく取っていて、毎月届くのが楽しみだった。その話をT氏にすると、児童文学を手がけられるT氏のお母様はこどものともの作品を書かれたこともあるという。

出会って四半世紀になるドイツのペンフレンド、アンネットからはプレゼントぎっしりの小包が届いた。出産祝いに贈られた服はいまだに大きすぎて袖を通していないけれど、1歳祝いの服もわたしが無理をすれば着られそうな特大サイズ。アンネットは娘を二人育てているから、ドイツの赤ちゃんはこれが標準サイズなのだろうか。たまはようやく身長が70センチを超え、70センチサイズが窮屈になってきたので、80センチサイズを着るようになってきたところ。8月上旬にわが家を訪問されたさのっちさんからも服を贈っていただいた。服は何着あってもうれしいし、着せるたびに贈ってくださった人の顔を思い出せる。

たまの誕生と同時にスタートしたわたしの母親業も今日で一周年で、「お母さんも一歳」である。手探りではじまり、こちらもようやくよちよち歩きといったところ。一歳の誕生日、母娘が一緒に過ごす時間を贈りあえるように
、夏風邪を授かったのかもしれない。しかし、入浴を控えているうちに汗疹がひどくなり、なんとも痛々しい。手足とおしりの水玉模様に引っかき傷のストライプが加わり、にぎやかだけれど、このプレゼントはいただけない。

2006年08月22日(火)  新作誕生
2004年08月22日(日)  H2O+H2=H4O(水素結合水)
2002年08月22日(木)  鼻血で得意先ミーティングに遅刻


2007年08月21日(火)  マタニティオレンジ162 もしもし、たま電話。 

13日の夜、『絶後の記録』映画化をめざすキンガ・ドボッシュさんを囲んでわが家で会食していたときに、「あら、たまちゃん、電話してる」とダンナ母が気づいた。家の電話が鳴り、ダンナ父が応対していたのだが、それを見ていたたまが物真似をするように左手を左耳に当て、「もしもし」のポーズを取っているのだった。教えたつもりはないのに、いつの間に覚えたのか、びっくりするやらうれしいやら。「もういっぺんやってみて。もしもしー」と自らお手本を見せながら、アンコールしたのだが、実際に電話が鳴らないとたま電話のスイッチが入らないらしい。携帯で家の電話にかけ、呼び出し音を鳴らすと、ほら来た!とばかりにもしもしポーズを取る。面白くて、何度も家の電話を鳴らすことになった。

それから一週間、たま電話はさらに進化し、もしもしポーズを取りながら、「ハイッ」と言うようになった。少し緊張感のある歯切れのいい言い方といい、語尾の「ッ」と同時に首が軽く前後するところといい、ダンナが仕事の電話を受けるときの相槌によく似ている。家にいるときもひっきりなしに電話がかかってくるパパを観察して、覚えたのだろう。

ゴルフの素振りには傘が、アカペラカラオケにはしゃもじが欲しいように、たま電話も「何か持たなきゃサマになんないわ」ということに気づいたらしく、リモコンやらペットボトルやらを受話器に見立てて耳に当てるようになった。オムロンの電子体温計の先が細いほうを口元にもってくると、インカムっぽくて結構キマる。本人もそれがわかっているのか、体温計を手放さないのだけど、先っぽが目に入ったら、とこちらはハラハラする。「スリッパは無理があるんじゃない?」と突っ込むと、えへへとおどけて笑う。受け狙いなのか、末恐ろしい。

ちょうど手に届くところに家の電話があるので、その受話器を持ち上げることも覚えてしまった。本人は耳に当てたいのだけれど、受話器が重いので肩に担ぐ格好になる。受話器がしょっちゅう外れては、ピーピーと警告音が鳴る。もちろん携帯電話は大好き。赤ちゃんの手にも持ちやすいサイズなので、これでもしもしするのがいちばんしっくり来るらしい。でたらめなボタン操作でも壁紙の写真を変更したりサイトに接続したりリダイヤルしたりしてしまうので、危なっかしい。機種変更で不要になったおさがりを差し出すと、お古にはそっぽを向き、現役を寄越せとねだる。電磁波センサーでもついているのか、親がどちらを大切にしているかを観察しているのか、現役機種と引退機種をちゃんと見分けている。

保育園では週一回の小児科検診を「もしもし」と呼んでいる。聴診器が電話に似ているからなのか、体の声を聴くからなのか、その両方なのか。昨日、夏風邪を診てもらった小児科で胸に聴診器を当てていたら、突然たまが左手を耳に当て、もしもしのポーズを取った。やっぱり電話に見えるんだなあと思ったら、院長先生のデスクの電話が鳴っていた。診察の邪魔にならないように、さりげないメロディと音量に設定されていて、それが電話の音だと気づくのに、わたしは少し時間がかかった。だが、たまは瞬時に「電話だ」と察したらしい。感度良好のたま電話には驚かされることばかり。


2007年08月20日(月)  マタニティオレンジ161 はじめての返品

助産院に入院中、無事出産を終えて、半年一年先のことを考えるどころではなかったわたしに、「保育園に預けるべし!」と熱心にすすめてくれたのは、見舞いに来た二人の先輩ママだった。「仕事のときは自分たちが見るってじいじばあばが言うかもしれないし」とわたしが言うと、「じいじばあばの出番なんか、いくらだってあるわよ。保育園に預けたって、熱やら風邪やらでしょっちゅう返品されるんだから」。発熱なんかで保育園に預けている子どもが返されることを「返品」と呼ぶ言い方があることを、そのとき知った。

0歳児はとくに抵抗力が弱いので、すぐに高熱が出るし、伝染性の病気にもかかりやすい。「最初のうちは病気をもらいに行くようなもので、何しに預けてるんだかわからないよ」と大阪に住む妹・純子にも言われた。ひと月のうち2、3日ぐらいは返される覚悟でいたのだけど、幸いうちのたまは体が丈夫なようで、前夜に熱を出しても翌朝には下がっていたり、ちょっと熱めかなと思いつつ預けたら7度台後半でセーフ(赤ちゃんは平熱が高いので、8度を超えるとアウトとなる)だったり、綱渡りながらも返品ゼロ記録を更新していたのだけれど、ついに今日、その記録が止まってしまった。「たまちゃん、8度1分です」と夕方に保育園から電話があり、迎えに行くと、おでこに冷えピタシートを貼られて待っていた。朝方からやや熱っぽく、お預け時の検温では7度8分だったのだけど、昼過ぎにいったん下がり、ほっとしていたら、また上がったのだと言う。

コンコンと咳も出ているので、保育園の帰りに小児科に連れて行くと、「のどが腫れていますし、夏風邪でしょう」との診断。熱はまだあまり高くないので、咳止めの薬だけ出してもらう。なんとなく小さいうちから薬の力に頼ると、体の自然治癒力がなまけてしまいそうで、いつも少なめに出してもらうようにしている。

振り返ってみると、お盆の間からひっきりなしに人が家に来たり、人の家に行ったりが続いていた。大人のペースに巻き込まれて、疲れが出てしまったのかもしれない。反省しつつ、ゆっくり体を休めることに。熱があっても子どもは元気なのだけど、いつもよりは甘えたになっていて、片時たりとも床に下ろさせてくれないので、トイレにも抱っこで連れて行く。植物を挿した小瓶をなぎ倒したり、ウォッシュレットのボタンを押したり、壁にピンナップしてある自分の写真を指差して興奮したり、トイレワンダーランド滞在中は楽しげにしてくれている。風邪の間だけの後追いならいいのだけれど、「一人でトイレにも行けない時代」に突入してしまったとしたら困ったものだ。


2007年08月19日(日)  マタニティオレンジ160 ヨチヨチ記念日

夜中に目を覚ましたら、たまが布団の上を飛ぶように駆け回っていた。夢か、と思って寝ぼけ眼をこすると、つんのめって手をついた。その姿勢から立ち直ってまた起き上がり、ととと、とベビーベッドに向かって突進し、ベッドの柵をつかんだ。夢ではなく、本当に歩いていた。目標物に向かって倒れこむように歩くので、前のめりになって加速し、走るような姿になる。

少し前、保育園の先生に「たまちゃん、もう少しで歩きそうですね」と言われ、「いつをもって、歩いたって言えるんでしょうか」と聞くと、「床から一人で立ち上がって、何歩か踏み出せるようになったら、でしょうか」という答えだった。これまでにも、たまは椅子から椅子へ、パパからママへ、綱渡りのようなヨチヨチを披露していたが、立ち上がるまでは椅子や人の手や膝を借りていた。自力で四つんばいの姿勢から二足歩行体勢を取れた瞬間を確認した今日、8月19日を「ヨチヨチ記念日」に認定しよう。ハイハイ(8月18日)から一歩進んだ日、と覚えることにする。

いつも上から見下ろしていると、危なっかしくてつい手を差し伸べてしまうのだけれど、布団に寝転がって頭の上を飛び回るさまを見上げていると、堂々たる迫力がある。まるまると太った立派な大根足はどしんずしんと床を蹴り上げ、なかなか頼もしい。一才目前に歩きだした、たまザウルス。転んでも転んでも自分で起き上がれるのがうれしいのか、何度も起き上がり、歩き出していた。

2004年08月19日(木)  色数はあるけど色気がない
2002年08月19日(月)  大阪は外国!?


2007年08月18日(土)  マタニティオレンジ159 三世代合同誕生会でたま1才

生後1か月から毎月開いてきた月例(齢)誕生会の12回目。記念すべき1歳の誕生日は何やるの、と周囲の期待も高く、「夏だしバーベキュー大会」という計画もあったのだが、8月7日生まれのダンナ父が古希を迎え、ダンナ妹が25日生まれということで、「3人合同の家族誕生会にしよう」と決まった。

古希のお祝いもあるので、外で会食して、わが家で誕生日ケーキを食べることに。近所にある湯豆腐屋なら座敷もあるし、うってつけだ。そのお店が昨日までお盆休みだったので、今朝電話し、予約。「かしこまりました」と告げたお店の人が、「あ、ちょっと待ってください」と急にあわてて、「今日は夜からの営業でした」。豆腐の仕入れが間に合わなかった様子。急遽代案を探すことになり、以前ご近所仲間のK夫人にすすめられた東京ドームホテルの「たん熊北店」に電話。座敷は満室、完全個室ではないが仕切られているテーブル席は一人6000円から、普通のテーブル席なら3500円からと言われ、普通のテーブル席をお願いする。

到着すると、いちばん奥まった広いテーブルに案内される。他のテーブルとは離れていて、個室感覚。活け花を愛でながら、美しい器に盛り付けられたご馳走をいただく。和風パンプキンスープのような「冷やし南瓜すり流し」をたまはいたく気に入り、ほぼ一人前平らげる。いつもの離乳食とは比較にならない食いっぷり。料亭の味がわかるのだろうか。

用意していただいたベビーチェアにはベルトがなくて危なっかしいので、たまはベビーカーに座らせたり、だっこしたり。たまが退屈すると、じいじとばあばが交代で外へ連れ出し、電話ボックスでもしもしごっこなどをさせてあやしたので、最後まで派手にぐずられることはなく、食事を楽しめた。料理は思った以上にボリュームがあり、それでいて、京風の上品な味付けで箸が進み、わたしは御飯をしっかりお代わり。デザートも果物だけかと思ったら、ゼリーとアイスクリームもついてうれしい限り。サービスも至れりつくせりで、お祝いにふさわしい会食となった。ホテルの中のレストランには割高なイメージを抱いていたけれど、ここのお昼はお値打ちだと満足した。








たん熊北店「光悦」

前菜 鱧押し寿し 
   串差し 蛸 おくら 玉蒟蒻
   鯛胡瓜生姜酢
   蛇龍山桃 枝豆

吸物 冷やし南瓜すり流し 
    白玉 星おくら じゅんさい

造り 鱸(すずき)洗い 
    酢味噌かけ 
     あしらい

焼物 鮎風干し 
    蓼酢焼き 半熟玉子 花蓮根

焚合 飛龍頭 
    楓麩 青菜 水辛子

揚物 鱧ゆかり揚げ 
    夏野菜夫婦羅 
     賀茂茄子 茗荷 ヤングコーン 
      冷やし天出汁卸し

止椀 田舎味噌
御飯 枝豆御飯
香物 京漬物
水物 旬の物


わが家に戻ってケーキタイム。ダンナ妹のケイコチンが用意してくれた新宿高野のいちごぎっしりケーキに3人分のプレートを強引に貼り付ける(すべって大変)。サービスのプレートを3枚も書かせた上に、ペンが太くてにじんでいるからと言って書き直しをお願いしたそうで、店員さんにとっては迷惑な客だっただろう。そういえば、2/12才のケーキも高野のものだったけれど、やはり字がにじんでいた。細ペンを採用されたほうがいいかもしれない。ロウソクは数字の1をかたどった1本。これまで「見てるだけ」だったたまは、満を持して誕生日ケーキにありつく。ちょっとだけね、とスポンジをひと口食べさせたら、目を輝かせた。母親に似てスイーツには目がないよう。

たまは最近覚えた「もしもし」(耳に手を当てて電話しているつもり)や、「うちわパタパタ」(ヘロヘロな仰ぎ方ながらも、それなりに風を送れる)や「どうぞ、どうも」(物を差し出したり受け取ったり)を披露して、じいじばあばは手をたたいて大喜び。古希のじいじには、孫と過ごす時間が何よりのプレゼントだし、たまにとっても、じいじばあばやケイコチンにたっぷり遊んでもらえるのが、おもちゃより楽しいことだと思う。

2004年08月18日(水)  スチームボーイと津嘉山正種さん
2002年08月18日(日)  24時間テレビ


2007年08月17日(金)  年に一度だけ思い出されても

今年も24時間テレビの季節がやってきて、新聞でもテレビでもネットでも番宣記事を連日見かける。そのたびに、少し前に会った方に言われた言葉を思い出す。「年に一度、24時間テレビの日だけ思い出されて、あとの日は忘れられてもなあ」とその脳性麻痺の男性は言った。日本中が注目し、共感し、涙するその24時間の前にも後にも続いている日常がある。その日だけ、思い出したように思い出すことより、意識の片隅に意識して置いておくことのほうが意味がある。それはわかっているけれど、流されるように、追い立てられるように生きていると、きっかけでもなければ、立ち止まることを忘れてしまう。

花火のように派手でパーッと盛り上がって散るものは目を引くし、人を集めやすい。それに引き換え、燃え盛った火の名残を小さく灯し続けることはずっと地味だけれど、ずっと難しく、根気を要する。少し前に戦争関係の記念日が続いたこともあり、原爆の火を受け継ぐ人々のことを思ったりしながら、「年に一度だけ思い出されても」という一言が頭から離れなくなっている。

2004年08月17日(火)  サービスって?
2002年08月17日(土)  浴衣・花火・箏・まが玉


2007年08月16日(木)  円周率は音楽だった

今日の読売新聞に、国際数学オリンピックで2度目の金メダル(成績上位8%に与えられる)を獲得した高校生、片岡俊基さんのインタビューが載っていた。高校時代、数学といえば受験勉強だったわたしにとって、数字に壮大なロマンを抱く高校生の姿は何とも新鮮。宇宙に通じるような数学の奥深さに比べたら、目先の受験なんかちっぽけなもの、そんなスケールの大きさを感じさせる。「特技は電子オルガン」で、「数字を音符に置き換え、円周率を500桁まで暗唱する」とあるのも興味深い。

早速ネットで検索をかけてみると、すでに世界中で円周率を音楽にする試みが行われていることがわかる。以前、円周率を映像に置きかえて記憶している男性がテレビに出演していたが、音楽のほうがとっつきやすそうだ。実際にいくつかのサイトで曲を聴いてみた。メロディには破綻のない心地よさがあり、訴えかけてくるようなうねりもあり、数字を音符に置き換えただけとは思えない。置き換える法則の違いによってメロディが変わるので、同じ数字からまったく違う曲が生まれている。曲調もさまざまなアレンジがあり、円周率音楽だけでコンサートが開けそう。「円周率は神様からのメッセージ」だと断言するサイトもある。神様が思いついたメロディを円周率という暗号に託した、という想像には夢があり、理系音痴なわたしと数学との距離を近づけてくれる。

2006年08月16日(水)  売れ行き好調『子ぎつねヘレン』DVD
2005年08月16日(火)  いいにおいのお芝居『おじいちゃんの夏』
2004年08月16日(月)  伊豆高原のアンダティバリゾート
2003年08月16日(土)  6人で400才
2002年08月16日(金)  持ち込み企画


2007年08月15日(水)  人の名前が出てこない

お盆休みといっても、この暑さでは出かける気もせず、子連れともなればなおさらで、友人の家に行ったり友人を招いたりしてすごしている。今日はご近所仲間に声をかけ、わが家で夕食。食欲と好奇心旺盛なご近所仲間との食事は、毎回話題が尽きず、皆さんの博識ぶりや交友範囲の広さに感心させられる。会うたびにメンバーの新たな一面を発見するのも楽しみで、今夜は鉄道マニアで映画ファンのT氏が、実はテレビもよく観ている、ということがわかり、「どこにそんな時間があるんですか!」と驚いた。フィルムセンターや池袋の文芸座に通いつつ新作映画もチェックし、各地のSLに乗り込み、そのチケット入手に奔走し、もちろん仕事もし、とてもテレビも観る時間が残っているとは思えない。

いつもとは路線を変え、珍しく芸能界ネタで盛り上がったのだが、ここで一同の記憶力に老化の波が押し寄せていることを思い知る。タレントの名前が出てこないのだ。顔は浮かんでいるのに名前がついてこないので、話が前に進まず、「えーっと、ほら、なんだっけ。脚がきれいで有名な歌手。ダンナも芸能人で、苗字が『え』ではじまる……」「榎木孝明?」「遠藤憲一?」「もう少し若い……」。誰だろ誰だろと考えても答えは出ず、あきらめて別な話題に移った頃に「思い出した。森高千里!」「ああ、そっか、江口洋介の『え』ねえ」となる。他にも「今すごくいいと思っている女優さんがいて」「名前は?」「えーっと、度忘れした。本と化粧品の広告に出てて髪が長い」。これだけのヒントでなぜ蒼井優にたどり着けたのは謎だけれど、物忘れ世代に差し掛かっているんだなあということを痛感した夜だった。昔のことを思い出して脳を活性化させる回想法なるものがボケ防止に効く、と新聞記事で読んだが、三十代後半の脳も時々かき回してやらないと、さび付いて使い物にならないのかもしれない。

わたしの場合、打ち合わせなんかで「○○役、誰がいいですかね?」とキャストのイメージを聞かれたりするので、咄嗟に名前が出てこないのはまずい。それにも増して困るのが、何度も会っている人の名前が出にくくなっていること。目の前にいる人を呼びかけようとして、「あれ、名前なんだっけ」となることがふえた。自信がないので、つい相手の名前を呼ばずに会話を済ませてしまうことになるのだけれど、その間に相手は「今井さん」と何度も呼んでくれるので、申し訳なくなる。フリーで仕事するようになって、いろんな会社のいろんな人に会うようになり、ばらばらといただく名刺が整理できていないように、人の名前が記憶の引き出しの中でごちゃごちゃになったり飛び出したりしている様を想像する。それとも、これもやっぱり老化なのだろうか。

2004年08月15日(日)  ハリケーン・チャーリーさん
2002年08月15日(木)  川喜多記念映画文化財団


2007年08月14日(火)  マタニティオレンジ158 おおたま ちいたま

6月3日に女の子が生まれた友人げっしー&イトウ夫妻の家に遊びに行く。こちらの赤ちゃんの名前も「たま」ではじまる。二人あわせて「たまたまちゃん」と呼んでいるのだが、どちらも「たま」でややこしいので、「おおたま」「ちいたま」と呼び分けることにした。

昨年8月22日生まれのおおたまより約9か月半遅れて、人生にデビューしたちいたまちゃんは、ようやく2か月半になったところ。一年も差がないというのに、顔の大きさも手足の長さも大違いで、「あと9か月でこんなになるのかあ」「9か月前はこうだったのかあ」と二人のたまを見比べながら親たちはしみじみとする。

新生児だったたまを抱っこして出かけると、吸い寄せられるように子育ての先輩と思しき方々が近づいてきて、「赤ちゃんってこんな小さかったっけ」「そうそう、こんな感じだった」などと少し昔や遠い昔のご自身の子育てと重ね合わせ、懐かしがっていた。ちいたまちゃんを抱くと、その重みややわらかさが、新生児だった頃のたまを抱っこしていた記憶が蘇る。抱くのもおっかないような軽くてやわらかい体、なのに爪も髪の毛もまつげもちゃんとあって、しっかり呼吸して、ちっちゃな手には驚くほどの力がある。危なっかしさと力強さが同居している生まれて間もない赤ちゃんには、間もなく一才になるおおたまにはない引力がある。

たまがちいたまちゃんぐらいだった頃、手足がよく冷えて、そのたびにドキドキさせられた。夜中にひんやりした足に触れて、「体が冷たくなってる!」と焦って、口の前に手を当てて息をしているかどうか何度も確かめたりしたこともあった。抱っこひもで出かけるときも、心配で、小さな手をずっと握ったまま歩いていた。はじめての子育てを手探りしながら始めた時期だから、生まれてから半年ぐらいの記憶は、とくに鮮明なのだろう。半世紀も前に子育てを終えたようなご婦人が、新生児を見た瞬間、タイムスリップのスイッチが入るのもうなずける。

2004年08月14日(土)  シナリオ合宿は体育会ノリ

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