2007年07月11日(水)  マタニティオレンジ145 皆様のおかげの空の旅

4泊5日の子連れ帰省を終え、最寄り駅にある関西空港行バスの停留所まで母に車で送ってもらう。券売機で切符を買っていると、ベンチにいたご婦人がにこにこと微笑みかけてきた。会釈を返すと、「イヨダです」と名乗られる。大阪のわが家はわたしが高校生のときに隣の町内に引っ越したのだけれど、それまでに住んでいた町内のご近所さんだった。東京行きの同じ飛行機に乗ることがわかり、バスを待つ間から移動のバスの中、空港での待ち時間までご一緒させていただく。わたしとイヨダ夫人が二人きりになった機会はほとんどなかったから、ご近所住まいをしていた年月に交わした会話の何倍分もの話をしたことになる。イヨダ夫人は三人の男の子たちの出産話を昨日のことのように振り返り、息子さんそれぞれの近況を語り、共通の知り合いである懐かしいご近所さんについて知っていることをひとつひとつ聞かせてくれた。思い出話と今の話が行ったり来たりし、わたしの中のイヨダ夫人が目の前の夫人になったり二十年前の若奥様になったりしているように、夫人の中のわたしもときどき中高生に戻っているのだろうなと想像しながら、連想ゲームのように「そういえば、あの人は今」「そういえば、そんなことが」と話をつないでいく。

イヨダ夫人は「たまちゃん、かわいい」と何度も言い、空港では「これ、たまちゃんに」と大阪土産のチーズケーキまで持たせてくれ、荷物を半分引き受けてくれ、わたしがお手洗いに行く間はたまを抱っこしてくれた。一人で大きな荷物と子どもを抱えていたら諦めていたであろうお土産の買い物もできた。

座席まで荷物を運んでもらって、席が離れているイヨダ夫人とは機内では別々だったが、行きはヨイヨイだったたまが帰りはずいぶんぐずり、50分のフライトがひどく長く感じられた。前後左右は出張と思しきビジネスマンの方々。だが、皆さん、そろいもそろって寛大な態度を示され、救われる。右隣のおじさまは「お騒がせしてすみません」と謝ると、「いいんですよ、子どもは」と笑顔を返してくれ、羽田に着陸したときも「ゆっくり支度してくださいね。こっちは家に帰るだけで急ぎませんから」と涙が出そうなやさしい言葉をかけてくださった。後ろの席の紳士は、座席の隙間から手をのばしてこちょこちょして笑わせてくれたり、うちわであおいでくれたり。降りる際に「遊んでくれてありがとうございました」と振り返ってお礼を言うと、「こちらが遊んでもらってたんです」。自分が逆の立場になったときに、こんな気のきいたことが言えるだろうか。まわりの乗客の反応によっては、「もう子連れで飛行機に乗れない!」となっていたかもしれないけれど、いい方々に取り囲まれて幸運だった。

2004年07月11日(日)  ヤニィーズ第7回公演『ニホンノミチ』
2002年07月11日(木)  映画『桃源郷の人々』
2000年07月11日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月10日(火)  マタニティオレンジ144 離乳食も食いだおれ

離乳食がはじまって初めての旅行とあって、レトルトの離乳食を買い込んだ。「鮭ごはんと豆腐そぼろ」「炒飯と八宝菜」など定食屋のランチのような献立になっていて、大人の非常食にもなりそう。非常食にはお守り代わりのようなところもあるが、レトルト離乳食も、「いつでもあげられる」という安心感を持ち歩くことができる。レンジであたためるとよりおいしいらしいが、常温でも食べられる。

やわらかくて薄味であれば大人と同じものをずいぶん食べられるようになっているので、外食先でも間に合ったりする。土曜日はうどんすきを分けられたし、日曜日はベーカリーレストラン「サンマルク」の食べ放題のパンを夢中で食べていた。ミルクパン、レーズンパンのレーズンがないところ、オニオンパン、よもぎパン、くるみパンのくるみのないところ、チーズパン……。焼きたてのふわふわパンはいくらでも入るらしい。赤ちゃんのたまは頭数にカウントされていないけれど、無料でこんなにいただいていいのかしら、と申し訳なくなるほどだった。昨日のホテルの朝食バイキングも、カレーのナン、豚まんの皮、湯豆腐、肉じゃがなどなど、たまが食べられるものが十分あり、レトルトの封を開けるまでもなかった。「食いだおれ」文化に染まっているのか、大阪に来てからたまの食欲はますます旺盛になっている。

豚まんの皮といえば、わたしが地球上でいちばん好きな食べ物、大阪名物551の蓬莱の豚まんの皮をはじめて食べさせたら、目を輝かせて食いついていた。好きな食べ物も遺伝するのだろうか。もしかしたら、たまにとっても、今まで食べた中でいちばんおいしいものなのかもしれない。食いだおれでいちだんと丸くなったたまがムチムチの豚まんにかぶりつく姿を見て、「共食いやなあ」と母が笑っていた。

2005年07月10日(日)  12歳、花の応援団に入部。
2003年07月10日(木)  三宅麻衣「猫に表具」展
2002年07月10日(水)  『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子)
2000年07月10日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月09日(月)  マタニティオレンジ143 はじめてのお泊まりに大興奮

今日から明日にかけて、泊りがけの仕事。娘のたまが生まれて以来、離れて夜を明かしたことは一度もないので、子どもを連れて宿泊することになる。さらに、わたしが打ち合わせしている間は堺の母にベビーシッターを頼むことになり、母の宿泊も必要になった。広告会社に勤めていた頃、このようなことをする外注先に遭遇した記憶はないから、わたしがしていることは、かなり厚かましいことなのだろうと想像する。母と子どもとともに現地に乗り込んでいる安心感があるからこそ仕事に打ち込めるわけだけど、そのわがままを聞き入れ、対応してくれたプロデューサーや理解を示してくれた他のスタッフの方々に感謝する。

晩ご飯用の離乳食は、宿泊先の沿線に住む妹の家に立ち寄った際に持たせてもらった。家ではフローリングの床に遠慮なく食べこぼせるけれど、ホテルのカーペットを汚すのははばかられ、ユニットバスのバスタブの中で食事に挑戦。赤ちゃん相手とはいえ二人で向き合うにはスペース的に無理があり、しかも床がすべるので、あえなく断念。カーペットにピクニックシート代わりにバスタオルを敷く作戦に変更した。

打ち合わせが終わり、10時頃に部屋に戻ると、打ち合わせとタイミングを合わせるように眠ってくれたたまが目を覚まし、その目がらんらんとなり、完全に覚醒してしまった。大阪の実家や鎌倉のセピー君の家で外泊経験はあるけれど、ホテルに泊まるのは初めて。生活感のない空間に、これまで体験したことのない空気を感じたのか、落ち着かない。幸いぐずるのではなくハイになっている状態で、スプリングのきいたベッドの上で跳ね回り、歓声を上げ、枕投げでもはじめそうな勢い。まるで修学旅行先の小学生のようだ。

心配したのは、ベッドのこと。落下をおそれて家では床に布団を敷いて寝るようになったが、和室がないということで、ベッド二つのツインの部屋を用意された。二つのベッドをつなげようと試みたけれど、動かないので、椅子を二脚向かい合わせにして置き、ベッドとベッドの間を塞いだ。二つつなげた椅子は、たまにはごきげんな乗り物に見えたらしい。目にもとまらぬ勢いでベッドから乗り移ってきた。椅子の背につかまり立ちし、得意げに「オー」と雄叫びを上げる姿は、大海原を見つめる船乗りのよう。ベッドの足元付近には万が一落下したときのクッション代わりにとベッドのコンフォーターを敷き、わたしの眠気が限界なので、一向に寝てくれそうにないたまを無理やり抱きかかえて眠りについた。たまは無事朝まで眠ってくれ、ベッドから落ちる事態は避けられたけれど、足元をすくわれたり落ちたりする悪夢を立て続けに見たわたしの眠りは浅かった。

2003年07月09日(水)  LARAAJI LARAAJI(ララージララージ)
2002年07月09日(火)  マジェスティック


2007年07月08日(日)  マタニティオレンジ142 布の絵本とエリック・カール絵本のCD


母とわたしとたまの女三世代で、幼なじみのたかの家に遊びに行く。たかとは小学生の頃、スポーツ教室でバレーボールや器械体操を習った仲。中学校ではソフトボール部で一緒だった。たかのおばちゃん(友人のお母さんを「おばちゃん」と呼ぶのは関西特有だろうか)とわたしの母は海外旅行に連れ立って出かける仲で、昔から家族ぐるみのおつきあい。

たかもたかのおばちゃんも子ども好き。時々遊びに来るたかの弟のおチビちゃんのためにおばちゃんが作った「おおかみと7ひきのこやぎ」の布絵本を見せてもらう。表紙のドアを開けると、中面の見開きいっぱいを使った赤ずきんちゃんの家の中。カーテンの後ろ、時計の中、ベッドの中、あちこちに隠れられるようマジックテープが施されている。10か月半のたまには芸の細かさのありがたみがまだわからない様子で、平気で踏んづけたりしているのだが、あと半年ぐらいして、一緒に子ヤギやオオカミを動かしながらお話を作れたらどんなに楽しいだろうと想像する。「簡単に作れるよ」とおばちゃんに言われてその気になったけれど、おばちゃんの仕上げたキルト作品の数々を見て、スタート地点が違いすぎると思い知る。一面の空に鳥を飛ばすとか、一面の海に魚を泳がせるとか、フェルト一枚にマジックテープをくっつけただけの入門編なら手に負えるだろうか。

幼稚園で働いているたかは、「今幼稚園ではやっているねん」と「エリック・カール絵本うた」のCDを教えてくれた。家でときどき読み聞かせている「はらぺこあおむし」の絵本の文章がそのまま歌詞になっている。他に「できるかな」「月ようびはなにたべる?」を収録。どれもメロディが親しみやすく、すぐに口ずさめる。「できるかな」はふりつきで、たかが踊ってくれた。ペンギンやキリンやサルやゴリラがそれぞれの得意のポーズを「あなたもできるかな」と問いかけ「できるよできる」で一緒になって体を動かす。まだ思い通りに手足を動かせないたまも、たかの動きの面白さに目をきらきら。「幼稚園の子どもたちが夢中になって踊っている」という光景が想像できる。ダビングしてもらい、エンドレステープにして流していると、「ダイエット体操になりそう」と母。

夕方は、たまを連れて三年前に亡くなった幼なじみの佳夏の家にお邪魔した。突然の訪問だったので遠慮する気持ちはあったのだけど、数日前に佳夏の同級生だった人からメールを受け取ったので、そのご報告がてらうかがうことに。佳夏の家に行くと、佳夏と遊んだ子ども時代のことを思い出す。絵本もよく読んだ。いちばん夢中になったのは、かこさとしさんの『うつくしいえ』という一冊だった。名画といわれる作品に子どもにもわかりやすい解説をつけて紹介したもので、同じページを飽きもせずに眺めていたものだ。三十年ぐらい前のことなのに、そのときの本棚の位置や、立って絵本を広げていた自分の目の高さや、「ヴォルガの船曳」という絵になぜか惹きつけられたことなどを思い出せる。その後、留学先のアメリカの高校で美術クラスを取って、高校を出たらアートスクールに行きたいなんて思ったルーツも、幼い日に出会ったこの本にあったのかもしれない。娘にも読ませたい一冊を選ぶとしたら、『うつくしいえ』は外せない。

2005年07月08日(金)  いまいまぁ子とすてちな仲間たち
2000年07月08日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月07日(土)  マタニティオレンジ141 5人がかりで大阪子守

はじめて大阪での仕事が入り、帰省がてらたまを連れて大阪へ。伊丹空港にはイケちゃんサンちゃん夫妻が明石から車を飛ばして迎えに来てくれる。夫妻とは、一昨年11月に軽井沢で行われた広告会社時代の同僚E君とT嬢の披露宴で知り合って以来の再会。イケちゃんはE君と幼稚園から中学校まで同級生。E君の高校時代の同級生で、これまた披露宴で意気投合したフクちゃんと、その彼女で4月に東京のわが家にフクちゃんとともに遊びに来てくれたサトちゃんと合流し、天神橋商店街の中にあるお店でうどんすき。たまもお相伴に預かり、長いままのうどんをずるずると食べる。「にょろにょろしたものが好きみたい。電話線とかコードとかベルトとかネクタイとか」と言うと、「そしたら、これはどう?」とイケちゃんが箸袋をくるくると丸めて、開いているほうから息を吹き込み、伸び縮みさせて遊んでくれる。子ども一人に大人が5人。右から左から前からたまちゃんたまちゃんとあやされ、たまは「あたしが主役ね」と言わんばかりに歓声を上げて絶好調。

関西テレビの社屋まで歩き、その裏にある大型遊具の充実した扇町公園で遊ぶ。「たまちゃん、すべり台あるで!」とたまを抱っこして駆けて行くフクちゃん。どっちが子どもかわからんなあ、と笑いながらぞろぞろついていくと、トンネル型のすべり台をフクちゃんに抱かれて滑り降りたたまは号泣。「ああっ、フクちゃん泣かした!」「暗闇で怖かったんちゃう?」とやいやい言われ、フクちゃんは懸命にたまをなだめながら、「ほな、水遊びしよか」と今度は噴水へ移動。噴水エリアには入れなかったけれど、そばにあった水飲み場の蛇口から水を出して、パシャパシャ。

関西テレビの中にあるキッズパークはあいにくお休みだったけれど、トイレにはおむつ替えシートがあり、助かる。「売店でええもん見つけた」とフクちゃんが差し出した袋の中身は、間テレのキャラクター・ハチエモンの吹き戻し。先ほど箸袋を吹きながら、「こういうおもちゃあったなあ」「どこで買えるんかなあ」などと話していたので、「よう見つけたなあ」と感心する。ところが、この吹き戻し、笛つきになっていて、息を吹き込むとラッパのような威勢のいい音を立てる。たまはびっくりして泣き出してしまった。

次は甘いもん食べにいこ、とフクちゃんおすすめの「五感」というパティスリーへ。洋館の一階がテイクアウトのお店で、回廊になっている二階がティールーム。階段下の行列を見てティールームは諦め、ケーキを買ってフクちゃんのデザイン事務所で食べることに。ケーキもパッケージも店内のレイアウトも洗練されたデザインで、「大阪にもこんなお洒落な店があるんやなあ」と感心する。わたしの大阪カフェ歴は「1リットルパフェ」めぐりをしていた高校時代で止まっているので、「どやっ」という押し出しの強い店ばかりが記憶にある。フクちゃんちティールームではハイハイも授乳もできて、大きな声を出しても気兼ねがいらず、たまにとってはこちらのほうが居心地が良かった。大人5人が5種類のケーキをぐるぐる回してつつきあうテーブルの下で、たまはテーブルの脚を支えにつかまり立ちスクワットを繰り返していた。

帰りはイケちゃんサンちゃんが堺の今井家まで送り届けてくれ、たっぷり半日つきあってもらった。たまはすべり台とハチエモン吹き戻しに泣かされた以外はほとんどぐずらず、ごきげんにしていた。自分に関心を注いでくれる人が、ちゃんとわかるのかもしれない。

2005年07月07日(木)  串駒『蔵元を囲む会 天明(曙酒造) 七夕の宴』
2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日
2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月05日(木)  桃とお巡りさん事件

スーパーで買い物を終えて出てきたら、男の人の罵り声が聞こえた。「俺はこんな扱い受けたこと今までにいっぺんもねえよ! あんたいきなり名乗りもしないで失礼じゃねえか」と小柄な男性が噛み付いている相手は制服姿のお巡りさん。「まあまあそう感情的に話されてもですね」と穏やかな声でしずめようとしているが、「名乗るのが礼儀だろ。本物の警察かどうかもわかんないじゃねえか」と怒りがおさまらない男性の後ろに積み上げられた平たい箱を見ると、桃がぎっしり納まっている。路上で桃を販売しているところを注意されたようだ。

「口動かすより手動かしなよ」と小柄な男性に声をかけた大柄な男性は相方らしく、路肩に停めたバンに桃入り箱をせっせと運び込んでいる。さっさと退散して次の商売場所に移動したほうが身のため、と思っているのか、きびきびと無駄のない動きで山積みの箱の嵩を低くしていく。「ここで、この桃いくらと聞いたら、売ってもらえるのだろうか」と誘惑にかられつつもそんな無謀なことはせず、見てないふりをしながら耳だけはしっかり集音モードにして、横を通り過ぎた。

しばらく歩くと、自転車に乗ったお巡りさんとすれ違った。先ほどのお巡りさんが応援を頼んだのだろうか。その割には膝が車体から大きく出たのん気な漕ぎ方をしている。何も知らずに桃現場に差しかかったら、どう反応をするだろうか。どうしましたか、と声をかけたら、二倍になったお巡りさんに、男性の怒りも倍増するだろうか。引き返して確かめてみたくなったが、そうせずに歩き続けていると、代わりの商売場所が見つからなかったらあの桃はどうなるのだろう、と気になってきた。山積みの箱にぎっしりの桃が頭から離れず、桃が食べたくなって困っている。

2003年07月05日(土)  柳生博さんと、Happiness is......
2000年07月05日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月04日(水)  肉じゃがと「お〜いお茶」とヘップバーン

『子ぎつねヘレン』が縁で知り合ったSさんから小包が届いた。中身は、レトルトの肉じゃがと「お〜いお茶」のペットボトルと「HEPBURN」と英字ロゴが躍る「月刊ヘップバーン」の2005年8・9月号。肉じゃがは、Sさんが最近神奈川から引っ越された舞鶴が「発祥の地」なのだとパッケージに書いてある。英国のシチューを再現しようとしたのが日本の味付けであの姿となったらしい。肉じゃがのお供にお茶ということだろうか、とペットボトルをよく見ると、「第十七回 伊藤園新俳句大賞」の掲載作品五句の二句目、佳作特別賞の「泣き虫の笑顔を包み山笑ふ」の作者がSさんなのだった。

俳句をたしなまれるSさん、わたしの日記に「ヒップボーンの会」のことを書いてあるのを見つけて、「今はもうやらないのですか」と聞かれたことがあった。20代の一時期、当時流行っていた黛まどかさんの「ヘップバーンの会」の勝手にパロディにした会を作り、「オードリー・ヒップボーン」というふざけた俳号で俳句ごっこに興じていた頃があった。会員は同期のママチャリと二人きりで、ろくに活動しないままに自然解散したのだが、「こんなのできましたあ」と見せていた相手は、俳句界の巨匠にして同じ広告会社に勤めていた中原道夫氏。ママチャリが営業、わたしがコピーライター、中原さんがアートディレクターで某化粧品ブランドの広告を作っていた。

初めて見る本家ヘップバーンの会誌、Sさんがどこからかわざわざ入手してくださったのかと思ったら、ご本人の俳句が掲載されているので驚いた。「B面の夏じやんけんはぱーばかり」「蝉の後ついて地球を歩きをり」「婚約者ホワイトジーンズ腰ではき」。「ヘップバーンママ」のコーナー(ママ会員なるものがある!)には「産毛なでつむじのふたつ聖五月」という句が紹介されている。Sさんは由緒正しきヘップバーン会員だったのだ、とヒップボーン会員は恐れ入る。

Sさんからの三点ギフトは、テレビドラマ『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』の録画DVDを送ったお礼に送られた。『子ぎつねヘレン』つながりで『ブレーン・ストーミング・ティーン』を読んでくださり、小林涼子ちゃんの『砂時計』も観られていたというので、こちらの今井雅子×小林涼子作品もぜひ観ていただきたい、と押し付けるような形で送らせてもらったら、肉じゃがとお茶と冊子に化けたのだった。作品を世に出した後に生まれる人との出会いややりとりは、著作権料よりもうれしいおまけになる。

2006年07月04日(火)  2年ぶりのお財布交代
2005年07月04日(月)  今井雅之さんの『The Winds of God〜零のかなたへ〜』
2003年07月04日(金)  ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」
2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日
2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月03日(火)  マタニティオレンジ140 七夕に願うこと

先週、保育園で「願い事を書いてお持ちください」と短冊が配られ、ああ七夕か、と思い至った。娘を授かって、自分が娘だったときぶりに雛祭りを祝ったけれど、これからも大人だけなら通り過ぎてしまう年中行事に立ち止まる機会をもらえそうだ。保育園に通っていると、なおさら無視できなくなる。色画用紙に星を貼り付けた短冊を用意され、立派な笹に飾り付けまでやってもらえて至れり尽くせりだ。

二枚ずつ配られた短冊は、お父さんとお母さんで願い事ひとつずつ、ということだろうか。一年後の七夕には、たまもおしゃべりするようになって、代筆できるかもしれないけれど、今年は「マンマ」を翻訳して「ごはんがたべられますように」と書くわけにもいかず、親からの願い事を綴ることにする。何を書こうかと考えたが、思いつかない。ダンナに対してなら、ああしてほしいこうしてほしいがあるし、仕事についてなら、ああしたいこうしたいがあるし、自分自身についても、ああなりたいこうなりたいがある。けれど、娘に対しては、そのままでいいよ、と慎ましい気持ちになれる。一年前のおなかの大きい頃なら、「元気に産まれてくれますように」とだけ願っただろう。これ以上望むものはない。そんな存在が自分にもできたのだなあとしみじみする。何年か経てば、ああなってほしいこうなってほしいと欲が出てくるのだろう。絵馬に託すように合格祈願をする日も来るのかもしれない。元気に生きていてくれるだけで十分、そう思える今を大切にしたい。

2005年07月03日(日)  親子2代でご近所仲間の会
2000年07月03日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月02日(月)  マタニティオレンジ139 マジシャン・タマチョス

保育園のおかげで離乳食は順調に進み、後期食。細かくすりつぶしたりしなくても、やわらかくゆでれば噛んでつぶして食べてくれる。上の歯が2本、下の歯が4本生えていることもあり、かなり大胆な大きさに切ったじゃがいもやにんじんも上手に食べる。今日の夕食、にんじん入りのおかゆも、もりもり食べて完食。と思ったら、「よく食べました」とほめた瞬間、口から四角く切ったままのにんじんが飛び出した。それも次から次へと。りすのようにほっぺたの両側に隠して、器用におかゆだけ飲み下していたらしい。トランプのカードを飲み込んだと見せかけて取り出して見せるマジシャンの芸を思い出した。なんでも喜んで食べていた時代から好き嫌い時代に突入した様子。これからは、あの手この手のにんじん食べさせ作戦が必要になりそう。摩り下ろして姿を消したり星型に変身させたり、母も料理マジックで対抗するとしようか。

2006年07月02日(日)  メイク・ア・ウィッシュの大野さん
2005年07月02日(土)  今日はハートを飾る日
2004年07月02日(金)  劇団←女主人から最も離れて座る公演『Kyo-Iku?』


2007年07月01日(日)  マタニティオレンジ138 いつの間にか立ってました

金曜日、保育園に迎えに行ったら「たまちゃん、もう立っちできるんですね」と保育士さんに言われ、「ええっ、いつの間に!」と驚いた。つっぱりになっている壁やテーブルから手を離し、10秒ほど拍手をするという。はじめての立っちという歴史的瞬間を「いま立った!」「立ったぞ!」と夫婦で興奮して迎える図を想像していたのだが、家ではなく保育園で初披露を済ませてしまった。というわけで、6月29日は立っち記念日。

本当はハイハイで胸筋背筋をしっかり鍛えてから立ったほうがいいのだろうけれど、ちょっとハイハイすれば壁か家具にぶつかってしまうわが家では、体が水平よりも垂直に向かってしまうのも無理のない話。この週末は、家でも何度も披露してくれた。パチパチと拍手するのは、両手が何もつかんでいないことのアピールなのか、親にも拍手を求めているのか、自らを褒め称えているのか。「どう? すごいでしょ」と言わんばかりの得意げな笑顔でパパとママを見やり、「オーオー」とご機嫌な声を上げているので、自分の足だけで立つのはよっぽど気分のいいものらしい。ぐらぐらしていた足も少しずつ安定して、15秒、20秒と二足立ち記録を更新している。この調子なら歩き出すのも時間の問題かもしれない。ますます目が離せなくなるなあとぼやきつつ、寝転がって手足をばたつかせていただけの子がついに一人で立ったか、と頼もしいわが子の立ち姿に目じりは下がりっぱなし。たまが歩き出す前に、親ばかが一歩前進。

2005年07月01日(金)  ハートがいっぱいの送別会
2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ
1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの

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