2007年04月15日(日)  鎌倉で大人の休日

鎌倉にある友人セピー君のセカンドハウスを一家で訪ねる。電車を乗り継いで一時間ちょっとの旅。生後236日目のたまにとっては、はるか遠くに感じられる距離かもしれない。北鎌倉のおばあちゃんちを訪ねたことはあったけれど、海を見るのは初めて。波しぶき、砂浜、波の音、潮の匂い、未知の刺激がいっぱいだ。

江ノ電を降りると、セピー君がお出迎え。駅前のハワイアンカフェでグァバジュースを飲みながら、逆方向の藤沢から江ノ電でやってきたテスン君とユキコさんのカップルを待ち、合流。たまの12分の7才を祝ったメンバーだ。セピー君行きつけのトルコ料理店で海を見ながらランチ。魚のケバブを初めて食べた。

「これから何したい?」とセピー君が挙げてくれたオプションからピクニックを選ぶ。極楽寺という小さなお寺で一本桜を冷やかした後、極楽寺から江ノ電にひと駅揺られて稲村ヶ崎へ。海浜公園でレジャーシートを広げ、シャンパンといちごとチーズとパテを楽しむ。シートのはしっこで、たまがハイハイの練習をしている。子どもと一緒に大人の休日。とても贅沢をしている気持ちになる。空をゆったり旋回するとんびは、地上の宴のおこぼれを狙っているらしい。膝枕で昼寝のカップル、大型犬を散歩させる人、よちよち歩きの男の子の手を引くお父さん……海のそばは時間がゆったり流れて行く。

テトラポットを見下ろす海沿いの遊歩道を歩いて戻り、セピー君が腕をふるって、日の高いうちから早めの夕食。あさりのワイン蒸し、バジルバターで味つけしたエスカルゴ、バルサミコとしょうゆのソースが絶品のステーキ。テーブルにはキャンドルが揺らめき、窓の外は夕焼け色から少しずつ夜の色になっていく。チャイコフスキーに合わせて、ほろ酔いのユキコさんがバレエを踊る。見ているたまが喜んで両手を振り回す。いい光景だなあ、とわたしは夢見心地になる。線路でつながっているけれど、東京の日常とは切り離されたような浮世離れした感覚がある。日帰りでも、こんなに遠くへ運ばれることができるんだなあ。帰宅して布団に入ってからも、遠足帰りの小学生みたいに気持ちが昂ぶって、「楽しかったあ」「また行きたいなあ」を繰り返していた。

2005年04月15日(金)  トンマズィーノでアウグーリ!
2002年04月15日(月)  イタリアンランチ


2007年04月14日(土)  京都の青春

7月に二人目の女の子が産まれた大学の同級生夫妻の一家と新宿三丁目の東京大飯店で飲茶ランチ。ここは子ども用椅子もあるし、おむつ替えシートもあるし、飲茶のワゴンが行き交って適度にがやがやしているので、子連れには打ってつけ。今日は初めてお会いする同窓で来月に第二子出産を控える夫妻の一家が加わり、総勢大人六人、子ども二人、乳児二人、おなかの中に一人というにぎやかな円卓となった。飲茶は大勢でつつきあうのが楽しい。

学生時代を過ごした京都の話題になり、懐かしい定食屋や喫茶店の名前を挙げながら、どの辺りに下宿していたかを説明しあう。「そういえば、あれ読んだ?」と『鴨川ホルモー』と『夜は短し歩けよ乙女』のタイトルが挙がる。どちらも京都が舞台の青春もの。わたしは、あちこちで激賞されていた『鴨川ホルモー』を楽しく読んだばかりだけど、『夜は〜』も傑作なのだそう。自分が知っている地名が出てくる物語には親近感が湧くし、ましてや青春ものとなれば、自分の甘酸っぱい思い出と重ねて、それだけで点が甘くなってしまう。でも、どちらもよく売れているということは、京都に土地勘や思い入れがない人にも支持されているらしい。「京都と青春は相性がよろしい」のかもしれない。

2005年04月14日(木)  マシュー・ボーンの『白鳥の湖』
2002年04月14日(日)  おさかな天国


2007年04月13日(金)  マタニティオレンジ106 慣らし保育完了 

4月4日から毎日少しずつ時間を延ばして保育園に慣れさせてきた「慣らし保育」が本日で完了。来週からは、延長保育なしでめいっぱい預けられる18時15分まで預けられることになった。朝は7時15分から保育を受け付けているけれど、わたしは朝いちばんの打ち合わせでもたいてい10時以降なので、9時頃に預けに行く。約9時間の保育となる。9時間あれば、ハシゴで映画三本観られる。DVDなら四本いける。打ち合わせも短いものなら三本入れられる。子どもを抱っこしていると、どうしても子どもに意識が集中してしまうけれど、一人で街を出歩くと、なにげないネタが目に留まったり耳に入ってきたりしやすくなる。
店員「当店ではサービスでイニシャルをお入れできるんですが、お名前をうかがってよろしいでしょうか」
客「(ぼそぼそ)」
店員「そうしますと、イニシャルがT.T.となりまして、どちらが苗字でどちらが下の名前かわからなくなりますが、よろしかったでしょうか」
客「(ぼそぼそ)」
声の小さなお客さんは何と答えたのだろう。しょうがないですね、だろうか。どうしろっていうんですか、だろうか。

仕事はなるべく保育時間内に納めて、子どもと過ごせる時間は、子どもと向き合うことに使いたい。いくつかの仕事の依頼を断った。今までなら「徹夜してでもやります」と引き受け、よっぽどのことがない限り断ることはなかった。でも、今は少し余裕を残しておくぐらいの仕事量にとどめようと思っている。やっぱり受けとくべきだったんじゃないか、と後悔したり、もう声をかけてもらえないかもしれない、と不安になったりはする。けれど、母親という役割をいちばん大切にしたい。

保育園に通わせることで、増えてしまう仕事もある。名前付けは入園で一段落したけれど、園との連絡ノートは毎日書かなくてはならない。睡眠時間や食事の内容、気づいたことなどを保護者が記し、保育士さんは園での様子や気になったことを記す。手間と時間は取られるけれど、これはこれで交換日記のようで楽しい。後から読み返せる成長記録にもなる。週末ごとの布団カバー取替えをはじめ、洗濯物は倍増。すぐに洗って乾かさないと間に合わない。保育園に預けたらほったらかしでは……どころか、家にいるよりよく面倒を見てくれ、少しでも汚れたり汗をかいたりしたら、着替えさせてくれる。おむつもこまめに替えるので、やたらと減りが早い。家にいるときは「まだいける」とおむつが重くなるまで持たせたりしていたが、さすがに「おむつがもったいないので、ケチってください」とは言えない。さらに、こんなときだけくじ運の強さを発揮して保護者会の役員になってしまった。甘く見ていたら、けっこうやることがたくさんある。ひと月からふた月に一度の役員会に出たり、通信を書いたり。わたしは会計を務めることになったので、会費の徴収やら会計報告やらをしなくてはならない。ひさしぶりに書くコピーが「会費納入のお願い」のプリントとは。どうやったら会費納入率が上がるか、元コピーライターとしては工夫したくなる。カラーの紙に印刷してはどうだろう、会費を投函するポストまわりにPOPを立てようか、などと考えている。

早寝早起きになり、家族以外に「おはよう」「行ってきます」と挨拶することが日課になった保育園通いは、わたしの生活に大きな変化をもたらしたけれど、7か月半の娘のたまにとっては、生まれて以来の大事件と言っていい。新しい環境の中で、はじめて会う先生や同級生に囲まれて、違う国に引っ越したような刺激を受けているに違いない。わずか8日間の保育園通いで、ハイハイも離乳食の食べっぷりも飛躍的に進化した。連絡ノートには、家では見たことのないたまの姿が綴られている。おもちゃのピアノを得意げに弾いていたり、トンネルくぐり遊びに夢中になったり。他の赤ちゃんに興味津々で、ハイハイで近寄っては手を伸ばして触っているらしい。「たまちゃんは人が好きみたいですよ」と保育士さん。病気はもらわず、いい影響だけ受けて欲しい、と親は調子のいいことを願っている。

2006年04月13日(木)  ヘレンウォッチャー【「子ぎつねヘレン」の夕べ編】
2005年04月13日(水)  お風呂で血まみれ事件
2002年04月13日(土)  パーティー


2007年04月12日(木)  『ドルフィンブルー』と『ヘレンケラーを知っていますか』

今日は映画を二本。映画を観るのも仕事。ママズクラブシアターでの子連れ鑑賞もいいけれど、子どもを預けて作品に集中して観られるのはありがたい。まず、午前中は松竹試写室にて『パコダテ人』の前田哲監督の新作『ドルフィンブルー』。病気で尾びれを損傷したイルカに人工尾びれをつけるという実話から生まれた作品。主役のイルカ・フジをモデルとなった本人(本イルカ)自ら演じ、今もフジが暮らす沖縄美ら海水族館が実名でロケ地として使われ、人工尾びれ再生プロジェクトに関わったブリジストンも実名で登場。ドキュメンタリーのようなリアリティと映画ならではのフィクションのストーリーがうまく絡み合って、切実さとかわいらしさをあわせもった愛せる作品に仕上がっている。驚いたのは、イルカの演技力。表現力と呼んだほうが正しいだろうか。何かを語りかけるような豊かな表情、流線型のボディが描くなめらかで優雅な軌跡、泳ぐさまも宙を舞う姿も実に絵になる。ずっと眺めていたいぐらい、見ていて飽きない。正直、ここまでイルカに引力があるとは思っていなかった。

イルカに限らず、一生懸命に生きている命って美しいということに気づかせてくれるのが、この作品。尾びれを失って「浮いているだけ」のフジを何とかしてやりたい、と奔走する新米獣医(松山ケンイチさんが熱演)や、その熱意に応えようとするブリジストンの開発者(田中哲司さんの演技とは思えない演技に、「本物?」と思ってしまった)、ときには喧嘩もしながら尾びれプロジェクトを支える水族館の館長(山崎努さんが実に楽しそうに演じている)やスタッフたち(池内博之さん、坂井真紀さん、利重剛さん。この三人もなりきってます)……それぞれがプライドを持って自分のやるべきこと、できることに取り組む姿を見て、命は張り切っているときにひかるんだなあと思った。水族館を囲む風景も音楽も、交わされる言葉も、全編に美しい空気が満ちて、観ているうちに気持ちがまあるくなってくる。イルカのつるんとした背中みたいに。『パコダテ人』の脚本作りをしていたとき、前田監督が「動物映画で成功する、と占い師に言われた」と話していた。「動物映画じゃないけど、しっぽが登場するから、パコダテ人のことを予言したのかも」とそのときは思ったけれど、占い師が見た未来には、イルカが映っていたのかもしれない。

前田監督は女優さん、とくに少女を魅力的に撮るのがうまいと思う。フジに自分を捨てた母親を重ねている不登校の少女ミチルを演じる高畑充希さんは、この作品が映画デビュー作の15才。心を閉ざした役なので台詞は最小限だし、怒ったようなすねたような「笑ったらかわいいんだろうなあ」という表情が続くのだが、それゆえラストの台詞と表情がしあわせな余韻となって残った。主題歌『大切なもの』でデビューする「みつき」さんとは写真を見ると同一人物なのだけれど、プレス用パンフにもそのことは記されていない。女優としても、歌手としても、これからの成長に注目したい。

もうひとつ、前田監督らしいと思ったのが、エンディングのクレジットロール。フジをはじめ出演しているイルカ全員(全頭)の名前が連なり、地元のエキストラ出演者の名前も『パコダテ人』に負けない行数でしっかり刻まれている。同じ苗字が五人も六人も続くのは家族だろうか。大家族が多い沖縄ならでは。プレス用パンフの出演者のコメントには、「この作品に関われてよかった」という思いがあふれている。とても雰囲気のいい現場で、前田監督が伸び伸びと撮っているのが目に浮かぶよう。自信を持ってすすめたい作品で、自分のことのようにうれしくなる。松竹の制作部に顔を出し、「キツネもすごいけど、イルカもすごいですよ」と宣伝。公開は2007.7.7と7づくしの日。

距離にして数百メートル移動して、午後は銀座シネパトスにて『ヘレンケラーを知っていますか』。「実在の人物をもとにふくらませた作品」だと新聞で紹介されていて、興味を持った。うろ覚えなのだが、母親と暮らしていた中途盲聾障害者の女性が、母親の死によって、山奥に隔離され、不自由な暮らしを余儀なくされたというようなことが書かれていた。その女性の境遇を知った怒りが作品の出発点なのだという。小林綾子さんが一人で十代から78歳までを演じるヒロインにはモデルがいるわけだ。どこまでが実話に基づいているかはわからないが、実在の人物の半生を見るつもりで作品を観た。目も見えず耳も聞こえない人生がどういうものか、想像で推し量るしかないけれど、まわりに人がいて、何かが起こっていても、自分に触れてもらえなければ蚊帳の外に置いてけぼりになる。「わたしの孤独がわかりますか」と教室で先生やクラスメートに訴える主人公の叫びが、胸に突き刺さった。

盲聾者のために「触手話」なるものがあることも初めて知った。相手の手話を触って確かめる。触れた手から伝わるものは意味だけではないだろう。わたしは小学校六年生の必修クラブで手話を習ったのだけど、四半世紀前に週に一度かじっただけなのに、劇中で使われた手話のほとんどに覚えがあった。体で覚えた記憶は深く刻みつけられるのだろうか。あらためて手話を学んでみたい気持ちになった。上映後にはロビーで熱く手話で語り合う聾唖者グループの姿があった。この作品に限らず、字幕つき上映が広がれば、当たり前の光景になるのだろう。

2002年04月12日(金)  背筋ゾーッ


2007年04月11日(水)  ロバート・アルトマン監督の遺作『今宵、フィッツジェラルド劇場で』

テアトル銀座にて『今宵、フィッツジェラルド劇場で』を観る。原題は『A PRAIRIE HOME COMPANION』。劇中にも登場するラジオ番組の名前で、この公開番組の最後の放送日のスタジオを舞台にした群像劇になっている。作品をすすめてくれたご近所仲間で映画通のT氏によると「これは実在のラジオ番組で、この番組の司会者兼製作者であるギャリソン・キーラーが自ら脚本を書き、アルトマンに企画を持ち込んだ作品。(映画のストーリーは勿論フィクション)」とのこと。番組司会者に妙なリアリティがあると思ったら、それがギャリソン・キーラー氏。役名は「ギャリソン・キーラー」で、本人が本人を演じている。司会をしながら歌も歌い、生コマーシャルのような感じでCMをさりげなく入れて歌につなげたりする。番組に出演するミュージシャンはくせものぞろいで、個人的には万段風に下ネタを連発するカーボーイ・デュオのお下劣さが気に入った。

ラジオ好きなわたしにとっては、手作り感と人間くささのあふれる番組の雰囲気を味わえるだけで幸せな作品。映画を観ているというより、自分も公開スタジオの観客の一人になっている感覚。楽屋での出演者の会話も、脚本に書かれた台詞をしゃべっているというより、いつもの何気ないおしゃべりのようなライブ感があり、これまたドア陰で立ち聞きしているような気分になった。映画の中では歴史を閉じてしまったラジオ番組『A PRAIRIE HOME COMPANION』は健在。実際の放送も聞いてみたい。

番組の進行と並行して、謎めいた美女が絡み、ちょっとしたサスペンスが展開する。謎解き的な面白さとは違うけれど、「一方、こちらでは……」というオンステージとバックステージの配分が絶妙で、最後まで飽きさせない。深みと奥行きを感じさせる映像の美しさにも引き込まれたが、カメラはT氏がこのところ贔屓にしているエド・ラックマン。T氏が入れ込み、ご近所仲間に勧めまくっているトッド・ヘインズ監督の『エデンより彼方に』の撮影もこの人だそう。「これが遺作なんて出来すぎ」とT氏。アルトマン監督の名前は聞き覚えがあっても、何を撮った人かは思い出せないわたし。プロフィールを見ると、「米アカデミー賞で史上最多の五度ノミネート」とある。挙げられた五作品のうち、『ショート・カッツ』だけは観たことがあった。「映画のお仕事されているんですから、勉強してくださいね」とまたT氏にお叱りを受けそうだ。

2004年04月11日(日)  日暮里・千駄木あたり
2003年04月11日(金)  ちょっとおかしかった話
2002年04月11日(木)  ネーミング


2007年04月10日(火)  マタニティオレンジ105 産後の腰痛とつきあう

応援団時代の後輩かじかじ君のお嫁さんが訪ねてくる。8月にはじめての出産を控え、マタニティオレンジを読んで予習しているのだとか。かじ嫁さんにも、昨日会った6月出産予定の元同僚G嬢にも、ひと足お先に産んだわたしは先輩風を吹かせて、おすすめのグッズを紹介したり、トラブル対処法をアドバイスしたりしている。これまでは「出産後、けっこうすぐ遊びに出かけたよ。家にこもってると退屈だし」などと得意げに話していたのだけれど、最近は、「産んでしばらくはおとなしくしてたほうがいいみたい」と言うようになった。そのうちおさまるだろうと思っていた産後の腰痛が一向に良くならず、半年以上経ってもまだ残っているのだ。もともとわたしは腰痛持ちではなかったし、明らかに妊娠・出産の置き土産なのだが、産後調子に乗って無茶をしたツケだと思われる。

助産院での一週間の入院を追えて帰宅した二日後、母に子守を頼んで映画を観に行った。『あの子を探して』が近所の三百人劇場のスクリーンでかかるとあって、これは是が非でもと駆けつけたのだが、二時間を越える上映の最後のほうは座っているのが限界なほど背中から腰が疲れた。自分のペースでやりたいから、と母には一週間で大阪に帰ってもらい、首のすわらない新生児を抱きかかえて買出しに行かけた。通りすがりの年配のご婦人に「こんな重いもの持ったら、後で響くわよ」と声をかけられ、「鍛えてますから」と威勢よく答えたが、ご婦人の心配は予言となって見事的中。今頃になって「ひと月は寝てろというのはほんとだったか……」と悟っても、後の祭り。

腰痛に効くという温熱シップやスポーツ用テーピングなどを片っ端から試したけれど、効果なし。もぐさを燃やす赤外線でリンパの流れを良くするという療法に最近通い始めた。ここは、手の空いた人が子守りを引き受けてくれ、わたしが施術を受けている間、ずっと抱いていてくれる。整体やマッサージを受けようにも、子連れだとなかなか行き辛かったので、これはありがたい。リラックスすることだけに集中できる一時間は、横たわっているだけでも体に溜まった疲れが和らいでいくよう。わたしの体を触診した施術者は「むち打ちになったことあります?」と聞く。それほど首の後ろが板のようにパンパンに腫れているのだという。「首は痛くなくて、腰なんですけど」と言うと、「首はあまりにひどくて痛みが麻痺しているんです」。実際、施術後は首の後ろの痛みを自覚するようになった。とにかく、腹筋はぶよぶよで全然戻っていないし、体は冷えているし、満身創痍の状態だと脅される。かえすがえすも自分の体力年齢を過信した無謀な産後生活を反省。

もぐさ療法のおかげ(?)で、今は首から腰までが痛みベルト地帯となっているが、子どもが起きているときはだっこ、寝ているときは座りっぱなしでパソコンを打つ生活は、傷口に塩を塗りこむようなもの。せめて体への負担を少なくしよう、とスリングを卒業し(娘が軽いうちは良かったけれど、8キロ級になると肩が凝る)、たて抱きできて両手が空くだっこひもに。さらに、中のウレタンがすっかりスカスカになっている椅子の張り替えを検討。「ウレタン」を検索していたら、椅子生地の中のウレタンではなく、低反発ウレタンを使ったクッションを見つける。介護用品を扱う
セラピーショップ
の「車椅子専用クッション」で、「良好な体圧分散性 高密度でありながら低硬度のウレタンフォームを使用していることから体圧分散性が良好です長く座った時の疲労を軽減」と説明がある。車椅子に座りっぱなしでも疲れないというのは説得力がある。加えて、一枚7000円という0ひとつ多い強気な値段にも自信がうかがえ、購入。確かに座り心地は飛躍的に向上。映画館や劇場でも、椅子が悪いとすぐにおしりが痛くなってしまうけれど、このクッションを持っていけば快適かもしれない。

腹筋をはじめ筋力が落ちているから首やら腰やらに負担がかかっているらしく、筋力を鍛えることが腰背筋首痛の回復を助けるという。歩くときはおなかに力を入れ、たまをあやしがてら足の間に挟んで腹筋に励んでいるが、果たしていつまで産後のツケを払わされるのやら。もはや産後ではない、と思っていたのに……。

2004年04月10日(土)  大麒麟→Весна(ベスナー)
2002年04月10日(水)  なぞなぞ「大人には割れないけど子供には割れる」


2007年04月09日(月)  人形町の『小春軒』と『快生軒』と『玉英堂彦九郎』

6月に出産を控えた元同僚のG嬢と人形町で会う。路地を入ると、趣のある洋食屋や和菓子屋がそこかしこにあり、探険しがいのある町。地元に住むG嬢の案内で、明治45年開業という洋食屋『小春軒』で昼食。店の名前は山県有朋のおかかえ料理人だった初代の小島種三郎氏とその妻・春さんの名前を一文字ずつ取ってつなげたものだとか。「小春」という字面も「こはる」という響きもとても好もしい。お店が続く限り、この二文字の中に夫婦は寄り添い続ける。現在は四代目の店主が味とのれんを守っている。注文したのはコロッケ定食。できたてほくほく、皮さくさくのポテトコロッケを頬張る。

小春軒の二軒隣には、これまた趣のある喫茶店。大正8年創業の喫茶去(きっさこ)快生軒。店構えもさることながら、店内は時間が止まったようなレトロな空間。テーブルも椅子もカウンターに鎮座する年代物の器具も、いい味を出している。こういう雰囲気の中で落ち着いて味わうコーヒーはしみじみとおいしく、場所代に空気代まで上乗せしたくなるが、カフェオレ500円と良心的。向田邦子さんも通われたお店なのだそう。

G嬢おすすめの和菓子屋・玉英堂彦九郎(ぎょくえいどうひこくろう)で「とら焼き」を買って帰る。焼いたときに虎のような模様がつくことから、どら焼きではなく、とら焼き。したたるようなみずみずしい餡とふわふわの皮が絶品。次回は一つ550円也という玉饅(ぎょくまん)を試してみたい。断面を見ると、一個のおまんじゅうの中に五色の餡がマグマを囲む地層のように納められ、小さな餡地球のよう。このお店、創業は天正4(1576)年とか。本能寺の変(天正10年)より6年早い。こうなると、明治や大正が最近のことのように思えてしまう。片や、人形町は子宝にご利益があるという水天宮のお膝元で、マタニティ服やグッズの店が軒を連ねている。伝統と未来が共存する、なんとも懐が広くて面白い町。

2004年04月09日(金)  五人姉妹の会@タンタローバ
2002年04月09日(火)  東京コピーライターズクラブ


2007年04月08日(日)  東京都知事選挙

選挙権というものを使わなかったことは数えるほどしかない。よっぽどの理由がない限り、投票に出かける。とはいえ、今日の都知事選挙は、入れたい人がいなくて困った。石原都知事の強力なリーダーシップと実行力には感心しているし、ときどきテレビ放送されている記者会見でのやりとりを見ていても、信念と自信を持って都政に取り組んでいるのはうかがえる。けれど、都政の私物化、独裁と紙一重なこのごろのやり方には注文をつけたい気持ちがある。かといって、対立候補の中に東京都を託せる人がいるかどうか、となると難しい。人柄は好もしいけれど東京のスケールには負けそうな人だったり、知事になったら面白そうだけどギャンブルな人だったり。結局は石原さんが再選されるのだろうけれど、石原さんではない候補に一票を投じた。

個人的に気になったのは、泡沫候補と呼ばれる人たちの得票数。インターネットの普及で選挙もずいぶん変わったけれど、今回はYouTubeの動画配信で政見放送が出回った。「この候補の政見放送が面白い!」といろんな人がブログで取り上げたら、あっという間に知名度は上がる。わたしも話題を集めた候補の政見放送をYouTubeで観たけれど、パソコンの前で大笑いした。言っていることは無茶苦茶だが、きれいごとや耳障りのいい言葉を並べた演説ではなく、有権者へのこびへつらいも遠慮もなく、赤裸々な本音をまくしたてている。ある意味、「最も自分の言葉で喋っている候補」と言えたかもしれない。この候補、ネット検索のヒット数も相当な数になっていたが、得票数はそれほど伸びなかった。発言の面白さへの支持と候補者本人への支持を有権者は切り離しているということか。安心する。

2005年04月08日(金)  懐かしくて新しい映画『鉄人28号』
2004年04月08日(木)  劇団ジンギスファーム「123」
2002年04月08日(月)  シナリオに目を向けさせてくれた「連載の人」


2007年04月07日(土)  G-up Presents vol.5『アリスの愛はどこにある』

G-upの第5回プロデュース公演『アリスの愛はどこにある』を観る。脚本は、ほさかようさん。第1回のプロデュース公演『金魚鉢の中で』をはじめ、これまでに観た3本のほさかよう脚本作品に毎回うならされている。わたしが苦手とする「毒」を描くのがとてもうまい。人間のドロドロした部分を描くというのとは違い、登場人物を襲う残酷な運命を実に痛々しく描き出す。息苦しくなるような胸の痛みを観客に与えた後に一条の光のような救いを投げかける、そんな感じだ。

『ヘンデルとグレーテル』を下敷きにした『Deep Forest』はとりわけ印象に残っている作品だが、今回の『アリス〜』は『Deep Forest』に次ぐ童話ファンタジー第二弾ということで、チラシを観たときから期待が膨らんだ。主人公はメルヘンが大嫌いな女の子、アリス。だが、皮肉にも、絵本作家の恋人が手がける作品はメルヘン。彼女の誕生日も仕事で忙しい彼からの贈りものは、手づくりの絵本。その世界に迷い込んだアリスは、物語の中で役割を果たせば元の人間の世界に戻してやると言われる。ハッピーエンドくそくらえなアリスが招いた結末とは……というストーリー。異世界に迷い込む設定は『不思議の国のアリス』をなぞっているけれど、ほさか流の毒をまぶされ、すっかりダークな味わいのファンタジーに。笑いをふんだんにちりばめながら伏線を張り巡らせた前半から一転、後半はハッピーエンドを期待する観客の楽観をあざ笑うがごとく、これでもかこれでもかとたたみかけるように登場人物が不幸に見舞われる。すっかりたたきのめしたところで今回も救いのラストが用意され、計算された構成に感心したが、いきなりすべてがきれいに納まってしまったので、激辛攻撃で麻痺した舌に甘ったるいデザートをのっけられたような唐突さは否めなかった。出来すぎていた『Deep Forest』と比較して、まだまだ面白くなるのでは、と欲張ってしまう。わがままな観客。

歯車を倒したようなギザギザの台座を三つ並べたシンプルな舞台美術とキルティング地の衣装は、色使いがとてもメルヘンチックで、わたし好み。ステージを客席が三方から囲む形で、暗転はなし。台座をぐるぐる回しながら位置を替えて場面転換をするアイデアは面白い。『Deep Forest』でも共演したアリス役の新谷真弓さん、女王役の楠見薫さんが光っていた。愛らしさと不思議さをあわせもつ新谷さんのアリスは見事にはまっていて、そこに存在するだけで空気中のメルヘン度数が上がる。この女優さんは観ていて本当に楽しくて、目が離せない。誰かにすごく似ているんだけど誰だっけ、と思いめぐらし、高校のときに同じクラスだったヤヨイちゃんだと思い出した。文化祭でやった『オズの魔法使い』でドロシーを演じたヤヨイちゃんは、役になりきっていた。新谷さんのドロシーもきっとすごく似合うだろうな。

アリスの愛はどこにある
新宿FACE
2007年4月4日(水)〜8日(日)

【cast】

楠見薫
新谷真弓(NYLON100℃)

高木稟
小林健一(動物電気)
桑原裕子(KAKUTA)
森岡弘一郎
辰巳智秋(ブラジル)
瀧川英次(七里ガ浜オールスターズ)
多根周作(ハイリンド)
中谷千絵(天然工房)
桜子
小宮山実花
田中あつこ(バジリコ・F・バジオ)

櫻井麻樹
山村秀勝
熊野善啓(チャリT企画)
竹岡常吉(PMC野郎)
矢田一路
弓削智久

脚本 ほさかよう 
演出 板垣恭一 
舞台美術 松本わかこ 
音響効果 末谷あずさ(OFFICEmyon) 
音響オペレート 天野高志(OFFICEmyon) 
照明 正村さなみ(RISE) 
舞台監督 金安凌平 
衣裳 名村多美子 
衣裳協力 渡辺まり 
音楽 佐藤こうじ(SugarSound) 
小道具協力 櫻井徹 
演出助手 井村容子 
演出部 田村友佳(KAKUTA) 
宣伝美術 岩根ナイル(mixed) 
チラシ写真 Tomo.Yun
撮影 田中亜紀 
制作助手 松井見依子/田辺恵瑠 
プロデューサー 赤沼かがみ 
企画製作=G-up


2006年01月29日(日)  空想組曲『白い部屋の嘘つきチェリー』
2005年05月31日(火)  G-up presents vol.3『Deep Forest』
2004年10月09日(土)  G-up第1回公演『金魚鉢の中で』

2004年04月07日(水)  2人で150才の出版祝賀会
2002年04月07日(日)  イタリア語


2007年04月06日(金)  エイプリルフールと愛すべき法螺吹き

気がついたらエイプリルフールが終わっていた。世間的に流行らなくなったのだろうか。それともわたしが大人になっただけだろうか。子どもの頃は、好きなだけ嘘をつけるこの日が待ち遠しくてたまらなかった。今年はどんな嘘をついてやろうかと待ち構え、日が暮れるまでに何人を騙そうかと張り切ったものだ。

大人になると、無邪気な嘘を楽しむエイプリルフール適齢期は過ぎてしまう代わりに、毎日が嘘つき日和になる。自分をかばうために、相手を傷つけないために、罪のない嘘や罪つくりな嘘を重ねる。嘘をつくとき、人はとても人間くさくなると思う。嘘をついてまで守りたい何かや壊したい何かや手に入れたい何かがある。嘘をつくことそのものが目的だったエイプリルフールを卒業し、嘘は目的を果たす手段になる。

嘘をつかれた場合、それなりの事情があったんだろうなと察して許したり流したりするのが大人だけれど、あまり気分のいいものではない。でも、豪快な法螺話には愛すべきものが多い。勤めていた広告会社には、大風呂敷を広げる名人がたくさんいた。「ビッグなタレントを起用しよう。G7とか」と言って部下を仰天させたクリエイティブディレクターの発言は、法螺ではなく「V6」の言いまつがえだったけれど、「世界中のホームページは全部見た」と言い放った別なクリエイティブディレクターの自慢話は、あまりのスケールの大きさに「うちの会社のワールドワイドのホームページの間違いだろうか」「一を聞いて十を知る、の変型かもしれない」とさまざまな憶測を呼んだ。風呂敷にも適度なサイズがあり、大きすぎると道化を演じることになる。

脚本の仕事の発注を受けるときも、大音量の法螺を吹かれてびっくりすることがある。自分や企画を良く見せようと精一杯の虚勢を張りたい気持ちはわかるが、いきなりクロサワだのナルセだの巨匠監督の名を次々と挙げる人には、安心よりも警戒を覚える。「スピルバーグも関心を示している予算50億円の映画」は確かにすごいと思うけれど、そんな大企画の脚本を会ったこともない脚本家に託すプロデューサーの気が知れない。おいしいネタをごちそうさまでした、と心の中で手を合わせて丁重にお断りする。

2002年04月06日(土)  カスタード入りあんドーナツ

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