2005年11月14日(月)  『天使の卵』ロケ見学1日目 なつかしの京都

京都駅に着くと、「帰ってきた」という気持ちになる。学生時代の四年間を過ごした思い出の町。ここで『天使の卵』のロケが決まったと知ったときはうれしかった。駅からタクシーを拾うと大渋滞。秋の京都は人が押し寄せる。ロケは大変だろうが、一年でいちばん京都が美しい季節をフィルムに納められる。話好きな運転手さんに「いい声してますね」と褒めたら、「私、数年前まで東京で役者やってましてん」。東映ニューフェイスの13期生、小坂和由さん。「2期が高倉健さん、4期か5期に梅宮辰夫さんがいてはります」とのこと。斬られ役の福ちゃんこと福本清三さんと写った写真を見せてくれた。

夏姫が歩太を問い詰める画廊のロケ地となった美術館は学生時代によく通った場所。到着するとほどなくOKが出て、ばらける。歩太役の市原隼人さん、夏姫役の沢尻エリカさんにはじめましての挨拶。どちらも眩しいほど若く、旬の人のオーラを放っている。映画『問題のない私たち』の舞台挨拶で沢尻さんを初めて見たときは衝撃的で、作品での演技のインパクトもあいまって、監督の森岡利行さんに「彼女いいですね!」と興奮して伝えると、「これからまだまだ行きますよ」と言われたのだが、本当にその後の活躍は目覚ましい。

ロケ弁当で早めの夕食を取り、夜は歩太の母・幸恵が切り盛りする小料理屋『けやき』のシーン。京都らしい通りにたたずむ小料理屋を借りての撮影。犬のフクスケは、原作を読んでイメージしたまんまの「いかにもフクスケ」顔。幸恵役は戸田恵子さん。「舞台『温水(ぬくみず)夫妻』を見て以来のファンなんです」とマネージャーさんに挨拶したら、「直接伝えてください」と戸田さんに紹介される。舞台の客席から、テレビの前で、スクリーンの前で、いろんな戸田さんを見てきたけれど、目の前の本人の輝きは格別。溌剌としたあの声で発せられる言葉が自分に向けられている……それだけですっかり舞い上がってしまう。

店の飲み客のエキストラとして、急遽わたしもテーブルに着くが、カメラからは死角の位置。同じテーブルに着いたエキストラの甲林高雄さんと谷口孝弘さんは残念そう。「ここ写らんのとちゃうの? さんざん待たされたのになぁ」と甲林さん。歩太の作るチャーハン(普段から料理し慣れているのか、手つきがサマになってる)のにおいが厨房からこぼれてきて、「おなかすきましたなー。客の役やねんからつまみぐらい出してほしいもんですなー」とぼやく。場を和ませようとトークに励むうちに打ち解けてきて、話が盛り上がってきたところで撮影は終了。「実はこの作品の脚本を書いているんです」と明かすと、「ええ記念になりました」と言ってもらえる。最後は店の前で記念撮影。

夕方5時に始まった撮影も、撤収する頃には日付が変わろうとしていた。おなかが空いたので、冨樫森監督にいただいた紫野和久傳の『柚こごり』をホテルの部屋に戻って食べる。撮影に入ると監督は現場のことで身も心もいっぱいになるものだが、「お構いできなくてすみません」とさりげなく極上のお菓子を差し入れてくれる心遣いが心憎い。絶妙な甘さに炊いた柚子に柚子のゼリーを重ねたものが柚子の器に納まった柚子尽くし。空腹で食べるのがもったいない上品で贅沢なお味。『けやき』ロケ地の近くにあるお店も雰囲気があった。懐石料理のお店だそう。

2004年11月14日(日)  『バニッシング・ポイント』@ルテアトル銀座


2005年11月09日(水)  『ブレーン・ストーミング・ティーン』がテレビドラマに

去年の4月に刊行されて一年半経ち、広告もしていないのに口コミで息長く売れている『ブレーン・ストーミング・ティーン』(いまいまさこ著・文芸社刊)が第5回文芸社ドラマスペシャル(テレビ朝日系列で来春放送予定)の原作本に決定。脚本も書かせてもらえ、いまいまさこ原作、今井雅子脚本が実現。もともと映像化したくて原作を出したわたしにとっては、願ったり叶ったり。

原作は、女子高生が広告業界の戦力としてアイデア出しに参加しながら大切なものに気づいていくという青春広告小説。広告の現場で使われるブレーン・ストーミング(直訳すると「脳みそに嵐を起こす」こと)という発想法をモチーフに、「宝物はあなたの中にある。それを宝の山にするか、宝の持ちぐされにするかはあなた次第」というメッセージを込めた、元気と勇気とやる気が湧く一冊。やりたいことが見つからない人には見つける手がかりを、夢はあるけどつかめない人には追いかけ続ける自信を、夢を見失いかけた人には見つめ直すきっかけを。読者からは「将来に希望が持てた」「仕事に前向きになれた」「なんでもできそうな気がしてきた」といった感想が続々。「幸運を呼ぶ本」のジンクスも生まれましたが、作者本人にも大きな幸運を届けてくれました。

ドラマ化のニュースに合わせて、5か月ぶりにメルマガ『いまいまさこカフェ通信』を発行。出演者や放送日が発表になり次第、追って次号を発行予定。バックナンバー閲覧と読者登録はこちらでどうぞ。

2003年11月09日(日)  小選挙区制いかがなものか
2002年11月09日(土)  大阪弁


2005年11月08日(火)  『スキージャンプ・ペア〜Road to TRINO2006〜』

スキージャンプ・ペアってすごく面白い、と会社時代の同僚のアートディレクターたちが大騒ぎしだしたとき、なんて面白いことを考える人がいるんだろう、と驚いた。「スキージャンプをペアで飛ぶ」という思いつきもすごいけど、それを見事なCGで表現し、解説までつけてやりきったことがすごい。DVDも売れ続けているらしいが、さらにこの競技が2006年トリノの正式競技になるまでがドキュメンタリー映画になってしまった。

タイトルは『スキージャンプ・ペア〜Road to TRINO2006〜』。よくよく聞くとトリノ・オリンピッグ(Olympig)と言っているし、ひとつひとつの小ネタはギャグに走っているのだが、作りはあくまで王道NHKドキュメンタリー風(いかにもそれっぽく作っているところが笑える)で、実在の人物が大真面目にインタビューに答えていたりする。パロディもここまで徹底すると、バカバカしさを通り越して、すがすがしい。神妙な顔でまことしやかに語る案内役の谷原章介もはまり役で、DVDのファンの人も未見の人も心置きなく楽しめるエンターテイメント作品に仕上がっている。

今日のマスコミ向け試写が行われた渋谷シネマライズ他、全国10都市12スクリーンで来春公開予定とのこと。

2003年11月08日(土)  竜二〜お父さんの遺した映画〜


2005年11月05日(土)  開東閣にて「踊る披露宴」

ある人いわく、結婚披露宴というものは、「歌う披露宴、奏でる披露宴、踊る披露宴」の順に格が上がるのだそうだ。それを当てはめると、今日出席した会社時代の先輩アートディレクター・Y嬢の披露宴は最上格ということになる。

場所は高輪にある開東閣。都心から切り離されたような静かな高台に佇む洋館は、鹿鳴館やニコライ堂を手がけたジョサイア・コンドルが設計、岩崎弥之助が明治時代に完成させ、現在は三菱グループの迎賓館として一般には非公開という由緒正しき歴史的建造物。あまりの重厚な雰囲気にのまれ、競合プレゼンよりも緊張した新婦上司のスピーチはガチガチに。

1階ラウンジでのカクテルタイムの後、2階のバンケットルームに場所を移して食事を楽しみながら披露宴。「スープは香りも召し上がっていただくため、フルートグラスでお出しします。お熱いのでお気をつけください」と料理長直々の味のある説明がおいしさを盛り上げ、デザートまで堪能。

最上級スペイン産イベリコ生ハムと三種の季節野菜のサラダ仕立て
トリュフと新鮮な帆立貝の滑らかなブルーテ、カプチーノ風
香り豊かな茸のコンソメスープ、フルートグラスサービス

バジリコ風味の南仏野菜を詰めた天然真鯛とポテトの重ね焼き
特選和牛フィレ肉の紫マスタード風味ロースト、タイムのクリスタルソルト添え
山形産ラ・フランスのコンポートと軽い栗のアイスクリーム

披露宴の後は再びラウンジでお酒とお菓子とコーヒー。Y嬢のお父様の昔からのなじみというハワイアンバンドの生演奏で、「娘とラストダンスを踊るのが夢だった」というダンディーなお父様と新婦が優雅なダンスを披露。日本人で父と花嫁のダンスが絵になるなんて、すごいこと。うちの父イマセン(社交ダンス経験者)とわたし(チアリーダー部出身)はともにダンス好きではあるけれど、一緒に踊るという発想はなかった。そういえば、応援団の仲間と演舞を披露したわたしの場合も「踊る披露宴」ではあったけど、今日とは別モノ、異種格闘技。「皆さんもどうぞ踊ってください」の呼びかけに応えたのは、Y嬢の親族の皆様。香り高い紅茶をいただきながら眺めているわたしは、ハイソサエティの仲間入りをしたような錯覚にしばしうっとり。

花嫁の父からダンスパートナーを交代された新郎I君は、たどたどしいステップで和やかな笑いを誘っていたが、最後のスピーチでも「僕は地味にやりたかったんですが……でも、やってみて、これはこれでよかったです」と正直すぎる挨拶。そこがまた好感が持てる、と評判だった。Y嬢とI君、末永くお幸せに。

2004年11月05日(金)  『催眠リスニング』1か月


2005年11月04日(金)  名久井直子さんの本

会社の同僚で席も誕生日もお隣りだった名久井直子さんは、会社にいた頃から売れっ子装丁家で、わたしより半年早く会社を辞めてからは、さらに仕事の幅を広げ、装丁だけではなく本の中身も手がけるようになった。相次いで出した二冊が、取り寄せた本屋さんに届いた。どちらも名久井らしさが出ていて、センスよし、たたずまいよし、ずっと眺めていたい本。紙にこだわる彼女らしく、手触りもよし。インターネットで本が読める時代になっても、やはり本の重みや厚みを感じ、ページを指先でめくる楽しさは紙ならでは。

本上まなみさんの帯コメントがついた『いぬはなく』は、詩人の斉藤倫さんの言葉に名久井が絵をつけている。タイトルを見て、犬の話なのかなと想像していたら、犬だけじゃなくて、いろんな動物や生き物たちが鳴く。その鳴き声が「うん、確かにそう聞こえる」という英語で表現されているという目のつけどころがとてもチャーミング。わたしのいちばんのお気に入りは、「Pick up! Pick up!(拾って拾って)」とまたたく星屑。いつもは見落とし(聞き逃し)ている世の中のささやきに耳を傾けたくなる、まるごとかわいい一冊。

東京 和のおやつどき』は、春日一枝さんとの共著。和菓子の世界をとても親しみやすく紹介していて、目で楽しむうちにおなかが空いてしまう困った本。写真がどれも本当においしそうで、添えられている言葉も気が利いていて、和菓子職人さんたちが読んだら誇らしくなりそう。和菓子工房見学のレポートも、秘密基地探検のようなわくわく感が味わえて、この紹介文を書いている間にも頭の中が和菓子に占領されていく、ほんとにほんとに困った本。

2002年11月04日(月)  ヤニーズ4回目『コシバイ3つ』


2005年11月03日(木)  柴田さん、旅立つ。

柴田さんは背がすらりと高くて物腰は優雅で絵になる紳士だった。69歳。ダンナの父の高校時代の同級生。柴田さんから見れば、わたしは「親友の息子の嫁」ということになるが、とてもかわいがってくれた。『パコダテ人』の東京公開中にわたしのトークショーがあった日、仕事帰りのスーツ姿で銀座シネパトスに現れた柴田さんは、場違いなほどかっこよかった。

去年、柴田さんが倒れて入院して以来、義父はどんどん元気がなくなり、口数が減り、食べる量も減った。しぼんでいく義父は、柴田さんとつながっているように見えた。持ち直したと言っては涙ぐみ、今日はしんどそうだったと思い出しては涙ぐみ、そんな義父を見て義母は「あなたまで倒れたらどうするんですか」とオロオロした。やがて柴田さんは言葉を発することも不自由になり、身振りと目で会話するようになるが、「雅子の『子ぎつねヘレン』のチラシを持って行ったら、じーっと見てなあ。テーブルに置こうとしたら、もう一度見せてくれって手を伸ばしてきてな、いつまでも手から離さないんだ。春まで頑張って一緒に観ようなって言ったら、うなずいてたよ」と義父が話してくれたのが、一週間ほど前だった。

あと数日で孫が生まれるのも待てずに柴田さんは逝ってしまい、今日、告別式となった。いつも穏やかな笑みをたたえた人だったけど、棺の中の柴田さんはいつも以上に優しい顔をしていた。お孫さんの誰かが描いたのか、胸の辺りにそっと置かれた画用紙に、クレヨンの飛行機を見つけたら、涙が止まらなくなった。「あんな優しいやつはいない」と義父が言うのを何度聞いたかわからない、柴田さん。あの飛行機に乗って、今頃は空のはるか上に着いただろうか。


2005年11月02日(水)  ウーマンリブVol.9『七人の恋人』

大人計画』の宮藤官九郎さんが作・演出するウーマンリブの第9回公演『七人の恋人』を観に行く。お目当ては『子ぎつねヘレン』に警官役で出演している阿部サダヲさん。観劇の友はデザイナーのアサミちゃん。昔からの大人計画ファンで、1997年末の大人計画公演『生きてるし 死んでるし』のパンフレットデザインも手がけている。アサミちゃんに連れられてその公演に行ったが、わたしの大人計画デビュー。阿部サダヲさんを知ったのもそのとき。もう十年経ったんだなとしみじみ。あの頃から人気はあったけど、チケットが取れないなんてほどじゃなかった。今宵は補助椅子ではまだ足りず、階段は座布団席に早変わり。ネット上ではチケットが二倍以上の値段に跳ね上がっているとか。

リピーターが多いのもチケット争奪戦を激しくしている理由のよう。恋をテーマにした七つのコントはどれも痛快で毒気があって、甘いかと思うとほろ苦く、確かにまたおかわりしたくなる味。観終わった後に「あのネタが面白かったねー」と振り返りながらまた笑えて、何度でもおかし、おいしい。わたしはどうしても阿部さんばかり追いかけてしまったけれど、アサミちゃんも「阿部さん、ぶっとんでてプリティー」と喜んでいた。映画『イン・ザ・プール』でも笑わせてくれた田辺誠一さんは、舞台で観るのははじめてだったけど、真面目におバカをやるのがとても似合う、とあらためて思った。

ウーマンリブVol.9『七人の恋人』

作・演出:宮藤官九郎
出演:阿部サダヲ 三宅弘城 少路勇介 星野源 宮藤官九郎 尾美としのり 田辺誠一

【東京公演】
10/15(土)〜11/13(日) 下北沢本多劇場
【大阪公演】
11/15(火)〜19日(土) 大阪厚生年金会館芸術ホール

2003年11月02日(日)  ロンドン映画祭にも風じゅーの風!
2002年11月02日(土)  幼なじみ同窓会


2005年11月01日(火)  シナトレ4 言葉遊びで頭の体操

目が悪く思い込みの激しいわたしは妄想癖、暴走癖がある。小学生の頃、暗闇の中から無灯火で近づいてきた二台の自転車を見て咄嗟に「馬の親子だ!」と判断し、地面にひれ伏した事件。石鹸屋でガラス皿に盛られた商品をチョコレートと間違えて試食した事件(あ、これはギリシア土産でよくもらうチョコレートだ、と思った瞬間、口に入れていた)。それもこれも脚本家にとっては「おいしい」飯の種となるのだが。

遠くの看板から近くのチラシまで、読み間違いもすごく多い。誤解した上に想像力が加わり、とんでもない話を思いついたりもする。今日は、巣鴨のTSUTAYAに行く途中にビルの上に看板を発見。そこにでかでかと書かれた「自白」の二文字を見て、驚いた。自白とは白昼堂々呼びかけられるものだったのか、しかし誰に呼びかけているのか……と頭の中ぐるぐるさせながらよく見ると、「自白」ではなく「目白」であった。新築マンションの広告らしい。でも、たとえ視力が良くても、追われる身であれば「目白」が「自白」に見えることだってあるかもしれない。いつかサスペンスものを書くときに使おう。こうして新ネタがKOTOBANKに貯蓄される。

ガラスとカラス、天丼と天井、秋田犬と秋田大は点のありなしで大違い。challengの中にはchangeがある。「印象」をひっくり返すと「象印」になり、「印象度」を入れ替えると「印度象」が飛び出す。結婚式には二人のシンプ(新婦・神父)がいる……。言葉で遊んでしまうのはコピーライター時代からの癖だけど、言葉遊びをしながら、それがはまる場面を想像するのは、シナリオを書く上でいい頭の体操になる。

わたしの場合は、実際の作品でも言葉遊びがけっこう役に立っている。映画『パコダテ人』は「『ごきぷり』を『こきぷり』って呼ぶとかわいくなるよ」という元同僚アサミ嬢の何気ない一言から生まれたパコダテ語が活躍した。ラジオドラマ『昭和八十年のラヂオ少年』では主人公がタイムトリップ先で出会う少年の名前を「ラジオ放送がはじまった日に生まれたので『ラジオ』と名づけられるはずだったが、それじゃあんまりだというので、ラから一本引いて『フジオ』」にし、『子ぎつねヘレン』では漢字の遊びを入れてみた。普段から言葉をストックする習慣をつけておけば、いざというときに取り出せる。

2005年10月12日(水)  シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2005年7月27日(水) シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年9月6日(月) シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?

2002年11月01日(金)  異種格闘技
2000年11月01日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2005年10月31日(月)  もしも、もう一度子育てができるなら。

最近、わたしのまわりは赤ちゃんづいている。今日は大阪に帰ったついでに、妹夫婦の長女ともよちゃんと、義弟夫婦の長男はるき君に会ってきた。「赤ちゃんがかわいらしいのは、愛されるために神様がそう創ったのだ」という話を聞いたことがあるが、黒目80%のつぶらな瞳に引き込まれ、表情の微妙な変化を眺めているだけで、時間が過ぎてしまう。ちょこっとでも笑ってもらえたらメロメロ、泣かれたらオロオロ、でも何されてもヨシヨシ。たまに会うから身勝手なおばさんできるのだけれど、甥っ子姪っ子はまるごとかわいい。

ご近所仲間ではロンドンのY夫妻に2月に長女ゆきちゃんが誕生したのに続き、8月には歩いて五分のところに住むK夫妻に長女まゆこちゃんが誕生。家で仕事しているわたしは、ちょくちょくお邪魔させてもらい、会うたびに微妙にでも着々と成長しているまゆこちゃんの変化に立ち合わせてもらっている。「赤ちゃんは幸せを運んできてくれるって本当だね」とまゆこママのきょうこちゃんは言い、ゆきママのいづみさんは「ロンドンの助産婦さんがこんな素敵な言葉を贈ってくれた」とDiane Loomansという人の書いた詩"If I had my child to raise over again"を紹介してくれた。いい言葉だなあと思ったので、Y夫妻の協力を得て、日本語訳をつけてみた。
If I had my child to raise over again,
I'd finger-paint more and point the finger less.
I'd do less correcting and more connecting.
I'd take my eyes off my watch, and watch with my eyes.
I would care to know less and know to care more.
I'd take hikes and fly more kites.
I'd stop playing more serious, and seriously play.
I'd run through more fields and gaze at more stars.
I'd do more hugging and less tugging.
I would be firm less often, and affirm much more.
I'd build self-esteem first, and the house later.
I'd teach less about the love of power,
and more about the power of love.

もしも、もう一度子育てができるなら、
指差してお説教するかわりに、指でお絵かきしよう。
間違いを探すより、触れ合いを増やそう。
時計を見るより、わが子を見よう。
知識を気にかけるより、思いやる気持ちを知ろう。
山登りをしたり、凧揚げをしたりしよう。
まじめぶるのをやめて、まじめに遊ぼう。
もっと野原を駆け回ったり、もっと星を眺めたりしよう。
ダメと押さえつける代わりに、いいよと認めてあげよう。
厳しく縛りつける代わりに、優しく抱きしめてあげよう。
自信を築き上げるのが先で、家を築くのは後でいい。
力を愛することより、愛の力について教えよう。

By Diane Loomans 今井雅子訳

詩といえば、きょうこちゃんが「本屋で立ち読みしたら涙でぐしょぐしょになってしまったので、責任取って買いました」という絵本『わたしがあなたを選びました』を読ませてもらった。これから生まれようとするおなかの中の赤ちゃんが、まだ見ぬ、だけどつながっているお父さんお母さんに期待や不安やお願いを語りかける。産婦人科医である著者・鮫島浩二さんは、「赤ちゃんを想像するお産」を提唱していて、どうやったら母となる妊婦たちが胎児の気持ちに思いをはせやすいだろうと考えたとき、あふれ出した言葉が詩になったとのこと。 この詩のコピーが共感を呼んでお母さんの手から手へ広まり、植野ゆかりさんの絵が添えられて絵本になったそう。作品のお産もまたドラマティック。

2004年10月31日(日)  ご近所の会@タンタローバ
2002年10月31日(木)  青年実業家


2005年10月30日(日)  同窓会は最高のセンセイ

いざ同窓会当日。仕切りならまかせてのマキがクルマの手配までしてくれて、10:20に家の近くまでノボルッチが迎えに来てくれ、わたしの後にマリちゃん、マキを拾って会場へ。

11時に幹事が集合し、まず自己紹介から。450人の大きな学年だったので、顔しか知らない人も多いし、顔も知らない人もいる。東京在住リモート実行委員のわたしは口だけ出して、手足を動かすのを地元実行委員に任せていたのだけど、完璧なまでに準備が整っていたことに感心、感激。

わたしの本日初仕事は、カラーコピーしてラミネート加工した卒業アルバムを貼りだすこと。高倉台小学校、三原台小学校各6クラス、三原台中学校11クラス。ホワイトボードにカラフルなポスター(ミワちゃん作)を貼ったり、ポラロイドカメにフィルムを詰めたり、集合写真の返信用封筒に各自住所を書いてもらうための「見本」を用意したりしている間に受付開始の12時になり、同級生や先生方が続々登場。「わー」「きゃー」「わかる?」「覚えてる!」と感動の再会が繰り広げられる。

8月時点で80名だった参加表明者が日に日に増えて、10名の先生方も合わせると120名の出席となった。オレオレ詐欺と間違われながらクラス名簿頼りに電話かけまくった子、首にアイスノン当てて同級生の実家200軒にチラシを配った家庭訪問部隊(団地の階段がきつかったらしい)たちの積み上げた数字。話題をふりまく名人だった佳夏も、最後に自分の蒔いた種がこんなおおごとになってびっくりしているかもしれない。「100人超えるのはすごいことですよ」と会場の支配人。これだけ幹事が打ち合わせに足を運んだのも珍しいらしく、地元の交渉部隊はすっかり会場スタッフと顔なじみ。

13時過ぎ開会。司会はリレー形式で、開会の挨拶はわたし。今日来るのにみんな勇気出したと思うけれど、連絡のつかない同級生や先生方を探し出すためにもっと勇気を出し、汗をかいた地元実行委員がいたこと、この同窓会のきっかけとなった同級生の佳夏のことを話し、乾杯の音頭のノリオにつないだ。ノリオのしゃべりの引力は今日の収穫。間の取り方、言葉の選び方、惚れ惚れするほどうまくて、会場の関心を見事に引きつけていた。乾杯に続いて、ヨーコが来席の先生方を紹介。小学校と中学校の先生が同席する同窓会は珍しいと思うし、戸惑われた先生方も多いだろう。転入出の多い学年だったので、小学校だけの同級生も中学校だけの同級生も一同に会せるように「小中学校合同」というスタイルを採った。

ナカノ先生の発案で、最後に先生代表にしていただく予定だったスピーチを一人一言テーブルスピーチに切り替え、急遽フルッピを司会に任命。アドリブとは思えないユーモアの効いたコメントをはさみながら、上手に先生方の言葉を引き出してくれた。フルッピも普段から司会慣れしているのか、続いてのゲーム大会の司会もつなぎの言葉が実になめらか。司会に事欠かない学年だったとは。

百円争奪じゃんけんゲームの優勝者は、同級生のミヤが連れてきた、3歳ぐらいの男の子。「勝ったというより、負けてもらっただけだから」とミヤが遠慮し、戦利品の大量の百円玉は二次会資金に寄付された。

BGMは小中学校時代の流行歌。リクエスト曲のリストを会場側に出し、カラオケでかけてもらっている。CDを買って編集するより手間も省けて、グッドアイデア。
【歓談タイム】 ◆カーマは気まぐれ(カルチャークラブ) ◆青い珊瑚礁 (松田聖子) ◆ヤングマン(西條秀樹) ◆異邦人(久保田早紀) ◆ハッとして!Good(田原俊彦) ◆少女A(中森明菜) ◆ハイスクールララバイ(イモ欽トリオ) ◆セーラー服と機関銃(薬師丸ひろ子) ◆いとしのエリー(サザンオールスターズ) ◆待つわ(あみん) ◆男の勲章(嶋大輔) ◆翼の折れたエンジェル(中村あゆみ) ◆ギザギサハートの子守唄(チェッカーズ) ◆UFO(ピンクレディ) ◆ツッパリHigh School Rock'n Roll登校編(横浜銀蝿) ◆YES・NO(オフコース) ◆およげたいやきくん(シモンマサト) ◆ビューティフルネーム(ゴダイゴ) ◆完全無欠のロックンローラー(アラジン) ◆リフレックス(デュランデュラン) ◆まちぶせ(石川ひとみ) ◆昴(谷村新司) ◆HERO(甲斐バンド)
【記念品贈呈】 ◆贈る言葉(海援隊)
【エンディング】 ◆卒業写真(荒井由実) ◆卒業(斉藤由貴)

「料理は絶対余るから少なめに頼もう」と人数の八掛けで注文。でも、どっさり余る。しゃべるのと笑うので口は大忙し、食べてるヒマなんかない。撮った写真の少なさにもびっくり。ほんとに盛り上がっている瞬間は写真を撮ることも忘れてしまう。

宴もたけなわ、歌姫マリちゃんの司会で校歌斉唱。これも3校分。それぞれの学校に乗り込んでカラオケテープを入手してきた。行ってない小学校の校歌を歌うのは新鮮。三曲目の中学校の校歌は、大いに盛り上がった。

先生方に花束贈呈の後、写真室に移動して120人の大集合写真撮影。ぎゅうぎゅう詰めでほろ酔いの集団は、カメラマンにとっては難しい被写体だったのでは。シャッターを押すと「ええっ、もう?」と突っ込み、何枚も撮ると「どこが悪いんじゃ!」と突っ込み、うるさいことこの上ない。どんな写真が上がってくるのか楽しみ。

2次会のはじまる前、先生方に記念品のアルバムを手渡す。今日撮ったポラを納めたもの。「仲のいい学年なんですね」と小学校の先生に言われ、「いえ、けっこうバラバラでしたよ」。でも、この一年間でずいぶん仲良くなりました。風化していくだけだったはずの小中学校の思い出。こんなに面白くて働き者の同級生がいるなんて、この同窓会がなかったら、知らずに年を重ねていくどころだった。ずっと住んでいて古ぼけていくだけだった家の下に埋蔵金が埋まっている、と告げられたような感じ。

大阪に発つ前、「週末は同窓会のためつかまりません」と今仕事しているプロデューサーに伝えたら、「同窓会は最高の先生と言う言葉がありますよ」と教えてくれた。本当に、その通り。

2004年10月30日(土)  グリー(gree.jp)1か月
2002年10月30日(水)  2002年10月に書いたもの

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