2005年07月20日(水)  立て続けに泣く『砂の器』『フライ,ダディ,フライ』

立て続けにスクリーンで観た2本に、ハンカチ2枚分泣かされた。ひとつは、東劇で上映の『砂の器』デジタルリマスター版。テレビドラマ版の最終回だけを見て泣いてしまったのだが、松本清張の原作も未読で、あらすじはよくわかっていなかった。アルカトラス島刑務所(別名ROCK)脱走を描いた映画『ザ・ロック』を、途中まで音楽映画だと思い込んでいた経験があるので、2時間半の映画ではぐれては大変と心配したが、「○月○日、○○に到着」といった丁寧すぎるほどの細かなキャプションのおかげで、脱落することなく物語についていけた。

ハンセン氏病(劇中では「らい病」)で迫害された父とその息子が美しい日本の四季の中を彷徨う「過去」と、成長した息子が作曲した『宿命』を披露するコンサートの「現在」、そして彼の過去と犯した罪が明らかにされる捜査会議の「もうひとつの現在」。3つの場面が、心を揺さぶる『宿命』のメロディに乗せて交錯する後半、これでもかと涙を搾られた。罪は罪であるけれど、背負ったものが大きすぎるとき、人は自分を守るために鬼になり、恩人や家族さえも裏切ってしまうのではないか。追い詰められた主人公が自らの宿命を呪い、苦しんだ末に吐き出した曲というリアリティを感じさせる『宿命』の美しく悲しい旋律が、台詞以上に想像をかきたてた。

残念だったのは、長い上映時間のせいか、携帯電話で時間を確かめる人が目立ち、場内の蛍にときどき注意を奪われたこと。さらには後ろの席で通話をはじめた人がいて、涙は引き潮のごとく引いてしまった。

公開は1974年公開。丹波哲郎も森田健作も加藤剛も緒方拳も若い若い。それ以上に、捜査本部のある東京の街並みがこの30年でずいぶん様変わりしたように見え、今では探し回らなくては得られない地方の田園風景も、当時は当たり前のようにあったのかなあと思ったりする。その時代には、わたしと同い年ぐらいの戦争孤児も少なくなかったのだろうし、30年という時間は、世の中を大きく変えてしまう。劇中の捜査本部ではハンセン氏病への偏見と差別を過去のものとして語っているが、5年前、「今も苦しんでいる人がいるんです」とわたしにハンセン氏病関連の資料を貸し出してくれた医師の余語先生の話を聞いていると、この病気への理解は、時間の流れほどは進んでいないように思える。

もうひとつは、丸の内TOEIにて、『フライ,ダディ,フライ』。「ひさしぶりに、いい日本映画を観た」と打ち合わせの席でプロデューサーが絶賛していたので、観たい作品リストに急浮上。チケット売場横のポスターを見て、「堤真一と岡田准一が出てる」ことを知ったほど、ほぼ真っ白な状態で客席へ。それが良かったのか、劇場を出たときには誰かにこの感動を伝えたくて、すれ違った見知らぬおじさんに声をかけそうなほど興奮してしまった。

愛娘が「代議士の息子でボクシングチャンピオン」という男子高校生にボコボコにされた上、金で事を収めようとする男子の高校関係者の態度に怒り心頭の父親を演じるのが、堤真一。父親らしく娘を慰めてやれず、娘に拒絶されたこともあり、男子高校生の元に乗り込むが、間違えて隣の高校に。そこで出会った高校生グループ・ゾンビーズから、「喧嘩に強くなって、娘を殴った男子と対決する」という目標を提案され、ダメ親父の肉体改造と猛特訓が始まる。

この特訓を請け負う孤高の美少年を演じるのが岡田准一。バレエのような勝利の舞を披露する場面が何度かあるのだが、一歩間違うと滑稽、不自然になりかねないのをこんなに美しい名シーンにしてしまう力に感心。すごいスクリーン引力。マラソンで走っている人を見ているだけで泣けてくるほど、スポ根ものには涙腺が刺激されるのだが、特訓シーンには演技ではない真実味があり、走りこむほどに膝が上がり、体が締まっていく様子はドキュメンタリーを見ているよう。頬を膨らませて力いっぱい腕を振り、本気で走るスーツ姿のお父さんに涙を誘われつつ、いつの間にか心からガンバレーと声援を送りたくなるのだった。他の組み合わせは考えられない主演の二人をはじめ、ゾンビーズや「バス通勤のサラリーマン+運転手」の中年親父のキャスティングも心憎いほどはまっている。

パコダテ人』でまもる父ちゃん役の徳井優さんが中年サラリーマン役で、『ジェニファ 涙石の恋』の修行僧役の坂本真さんがゾンビーズの役で出演。『パコダテ人』『子ぎつねヘレン』の葛西誉仁さんが撮影助手で参加。ところで、この作品、原作も脚本も金城一紀さん。原作をご本人で脚色されたのかと思ったら、公式サイトを見ると、先に脚本を書かれ、ノべライズノしつつ映画化のタイミングを待ったのだとか。ゾンビーズは『レヴォリューションNo.3』からのスピンオフだそう。

監督は脚本家でもある成島出さん。シナリオ作家協会の集まりでちょこっと話しかけたとき、とても感じのいい方だったのだが、作品を見てますます次回作が楽しみになった。

2002年07月20日(土)  トルコ風結婚式
2000年07月20日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2005年07月19日(火)  会社員最後の日

■今日は一日に何度か、ふと立ち止まって「いよいよかあ」という気持ちになった。退職は今日付け。すでに5月の終わりから長い有休消化に入っているので、生活はすっかりフリーランスになっているのだけど、明日からは文字通りのフリーランスで、働かなければお金は入らないし、有休もない。会社員ってすごく守られている存在なんだなあとあらためて思ったり、がんばるぞと思ったり。幸い、仕事は順調に入ってきていて、午前中に新企画の映画のプロットをメールで送り、午後は別企画の打ち合わせが2本。映画は企画倒れになってしまうものも多いけれど、宝くじと違うのは、努力次第で勝率を上げられること。今開発している企画が全部クランクインすれば、たちまち女クドカンになれるのですが……なんて話をしたら、「じきになっちゃうかもしれませんよ、今井さん」とよいしょ上手なプロデューサー氏。「そのときは、イママサなんですかね。キレがなくて、ぱっとしないですね」「まあ、長い名前じゃないのでそのままでもいいのではと。そもそも、まだ必要ないですね」。短縮名は、お呼びでない!?

2002年07月19日(金)  少林サッカー
2000年07月19日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2005年07月17日(日)  阿波踊りデビュー

■子どもの頃にちょこっと習った日本舞踊を皮切りに、ジャズダンス、器械体操、ディスコダンス、チアリーディング、エアロビクスといろんな踊りをやってきたが、踊ることから遠ざかること十余年。ここに来て突如、踊りコレクションに加わったのが、阿波踊り。猫又短歌の会で知り合った宮崎美保子さんに誘われ、高円寺の阿波踊り大会に出場する「連」(阿波踊りのグループのことを連と呼ぶらしい)に仲間入りすることに。本格的な連はオーディションがあったり強化練習があったりするそうだけど、わたしが参加させてもらうことになった連はそこまで厳しくはなく、練習は本番前の2回。今日がその第一回目。飛び入りで踊ったこともなく、阿波踊りはまったくはじめて。振り付けは単純で一見簡単そうだけど、しなやかに踊るのがなかなか難しい。それでも、生のお囃子のリズムに自然と体が動き出して、やっぱり踊るって気持ちいい。「本番はスポットライトが当たって陶酔状態になるのよ」と美保子さん。1時半から4時半まで、みっちり3時間。ひさしぶりにいい汗をかいた。初対面の皆さんに美保子さんが紹介して回ってくれ、合間の休憩ではおしゃべりも弾む。会社を辞めても、こんな風に人とつながって何かを一緒にできるんだ、と誘ってくれた美保子さんに感謝。高円寺阿波踊り本番は8月26・27の土日。

2004年07月17日(土)  東京ディズニーシー『ブラヴィッシーモ!』
2000年07月17日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2005年07月16日(土)  『リトルダンサー』と『アマデウス』と『マノン』

東京文化会館にて英国ロイヤル・バレエ団の『マノン』を観る。「チケットあるんだけど、行く?」とお誘いを受け、「行く!」と答えたのは、ちょうど『リトル・ダンサー』を観て、「本物を見たいなあ」気分になっていた矢先だから。内容も何も知らずに会場に着き、「マノンという娼婦が恋に落ちるが、兄が貴族に売り飛ばし、恋人と引き裂かれる悲哀の物語」というあらすじを仕入れ、いざ開幕。

バレエをよく観る友人が「お耽美」という表現を使っているが、普段は使わない「耽美」という言葉がふさわしいような、ため息ものの美しさ、華麗さ。凝った美術や衣装のディテールを見ているだけでも楽しい。中世ヨーロッパのロマン漂う衣装は、『リトル・ダンサー』と同時期に観た『アマデウス』を彷彿とさせる。アマデウスは19世紀のウィーンが舞台だったけど、『マノン』は18世紀の傑作恋愛小説『マノン・レスコー』をバレエ化したもので、バレエの舞台はパリ。振り付けもユニークでアクロバティックな動きもあり、ジャンプやリフトにこんなにバリエーションがあるのかと感心。

幕間にはシャンパングラスを片手に印象を語り合う。バレエ公演に足しげく通っている人は、「今夜のギエムは」といった見方をする。「泣くよ」と言われた3幕のラストは、本当に涙がじわり。台詞が一言もないのに、どうして登場人物に感情移入できてしまうんだろう。バレエというより歌のないオペラを観ているようだった。

アフターシアターは、会場のすぐ近くの居酒屋へ。バレエにめっぽう詳しいお姉さま方三人に、「英国ロイヤル・バレエ団が日本公演をやるのは6年ぶり」「今夜、主役のマノンを演じたシルヴィ・ギエムは、百年に一人と言われる逸材」と教えられ、「今井、いい全幕デビューを飾ったねえ」と話していると、「ちょっと待って。あそこに座ってるの、ギエムじゃない!」。なんと、同じお店に居合わせていた。メイクも落として髪も下ろして衣装も脱いでも見つけてしまうって、すごい。「今井、通訳よろしく」と背中を押され、お食事中失礼しますと近づき、今夜の公演とってもすばらしかったですと伝えると、にこやかに「Sign?」と察して向こうから手を出してくれ、四人分のチケットの裏にサインをしてくれる。一緒に居た恋人デ・グリュー役のマッシモ・ムッルも快くサインに応じてくれる(しかし、どっちがどっちのサインなんでしょう)。

お姉さま方のただならぬはしゃぎぶりを見て、すごいことなんだなあとわたしまで興奮。上機嫌でお店を出ると、今度は横断歩道ですれ違った白人男女を見て、「あ、お兄さんだ!」。マノンの兄レスコー役のティアゴ・ソアレスとその愛人役のマリアネラ・ヌニュスを目ざとく見つけたお姉さま方。「出待ちしないでこんなに会えちゃうってすごいよ」と天にも昇る勢い。全幕デビューのビギナーズラックだったのかも。

2004年07月16日(金)  島袋千栄展 ゴキゲンヨウ!


2005年07月12日(火)  『子ぎつねヘレン』打ち上げで ipodをゲット

『子ぎつねヘレン』のロケ打ち上げに参加。網走でのクランクアップ後の打ち上げも盛況だったようだけど、東京打ち上げも大いに盛り上がる。写真を交換し合い、「参加できてよかった」と笑顔で労いあい、いい雰囲気。ちょっと前の出来事なのに、なんだかとても懐かしい。お邪魔虫の脚本家にしては長い滞在だったとはいえ、2か月近く網走に居た皆さんとは、ロケに関わった時間は比べものにならない。それでも「おひさしぶりです」とあちこちのテーブルから声をかけてもらい、仲間の一人という実感を味わわせてもらう。

動物映画は苦労がつきものらしいけれど、『ヘレン』は動物たちの好演にも恵まれ、最後まで和やかな余裕のあるロケになったそう。「いいシャシンになりそうだよね」「楽しみだよね」と仕上げへの期待も高まる。映画のことを「シャシン」と呼ぶのって、いい響き。この作品に関われただけでもすでに十分幸運なのに、普段はリーチ止まりのビンゴゲームでipodを獲得。やっぱり前世はキタキツネだったのかも。

2003年07月12日(土)  15年目の同窓会
2002年07月12日(金)  『真夜中のアンデルセン』小原孝さんのピアノ収録
2000年07月12日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2005年07月10日(日)  12歳、花の応援団に入部。

■何気なくつけていたテレビで学ラン姿の男たちが出てきて、おやっと目を留めたら最後まで見てしまった。番組タイトルは『ザ・ノンフィクション 12歳花の応援団に入部 驚きの一年』。明治大学附属中学校の応援団に入部した中学1年生男子二人が、附属高校やさらにその上の明大応援団の先輩たちとともに厳しい夏合宿を乗り越え、やめたい時期も乗り越え、2年生になって下級生を迎えるまでのドキュメンタリー。大学の4年間をどっぷり応援団漬けで過ごしたわたしは、「ああ、うちの応援団もやったなー」という懐かしさが半分、「わー、よそではここまでやるのかー」という驚きが半分。でも、一見不条理なことをとことん大真面目にやるところは同じ。上下関係や礼儀に極端にうるさく、世間では何の問題にもならないことでも団のオキテに逆らうと罵声が飛び、平手が飛び、ときには黒光りするエナメル靴が飛ぶ。練習は合理性など完全無視。体を壊すようなメニューを「押忍の気合じゃ」と精神論で乗り切らせる。そしてまた不可能に思われることが案外気合で何とかなったりするので、団員は「世の中気合」と自信を養い、下級生に同じ無理難題を押し付ける。そんな時代と逆行するような歴史が繰り返されている応援団、いま全国的に衰退の一途をたどっているらしい。世の中がラクなほうクールなほうへと流れているなかで、応援団はとことん面倒くさくて暑苦しい。わたしのいた応援団は、厳しい中にも和気藹々としたムードがあったけれど、夏合宿になれば誰かが脱走しては連れ戻され、夏合宿が終わると誰かがやめると言い出し、引き止めに成功する場合もあれば失敗する場合もあり、入団したうち卒団まで残るのは半分ぐらいだった。チアリーダー部とはいえ応援団の規律にのっとって行動しなくてはならず、それが煩わしくて去って行った子もいた。だけど、今思えば、チアリーディングの技術は宴会芸ぐらいでしか役に立たない(現役を退いて十年以上経った今は、酔った勢いとはいえ、上司の肩の上に立つなんてことは怖くてできなくなった)けれど、応援団員として仕込まれたことは社会生活でとても役に立っている。名刺の出し方受け取り方、敬語の使い方、目上の人と楽しくお酒を飲むコツなどは会社員の必須アイテムだし、コピーを書くにも脚本書くにも技術より気合がモノを言うことが多い。「あきらめたら負け」という世界では、応援団出身者は恐ろしい威力を発揮する。肉体的にも精神的にも極限状況に追い込まれる体験は、時間と労力の無駄という見方もあるけれど、自分の限界と可能性を知るチャンスにもできる。テレビの中の中学生団員二人は、一年で見違えるほどいい顔になっていた。きっとこの先もやめたくなる場面があるだろうけど、待ち受ける試練を自信に変えていって欲しい、と自分の後輩のように思ってしまう。そして、番組を見て、「応援団に入りたい」「うちの子を応援団に」という人がふえたら、日本はもうちょっと骨のある国になれるんじゃないか、という気がする。

2003年07月10日(木)  三宅麻衣「猫に表具」展
2002年07月10日(水)  『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子)
2000年07月10日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2005年07月08日(金)  いまいまぁ子とすてちな仲間たち

先週のクリエイティブ部署送別会に続き、今日は営業部署の人たち中心の送別会。一人ひとりと言葉を交わせるアットホームな食事会で、労いあったり、励ましあったり。苦労もいっぱいしたはずなのに、思い出すのは楽しいことばかり。それもメンバーに恵まれていたからなんだろうなと思う。会社では好き放題やらせてもらったから、「やり残したことといえば、社内恋愛ぐらい」と言って、「今だから告白しますって人いる?」とテーブルを見回したけど、反応がなかったのは残念。人気ないなー今井。

でも、みんなからの一言を添えたポラロイド写真アルバムには、「一緒に仕事できて幸せでした」「淋しくなります」「今井さんのこと忘れません」……。こういうものにはいいことしか書かないものだけど、恋愛はできなくても、友情は続きそう。アルバムの中表紙は2週続けて幹事を買って出た仲良しデザイナーのE君のデザイン。重ねたハートと、「いまいまぁ子とすてちな仲間たち」(「すてき」のことを「すてち」というのが、うちの会社のクリエイティブでは局地的に流行ってた)のタイトルが、まさにアルバムの中身を表現してくれている。

年齢とか性別とか、入社年度とか、新卒か中途採用かとか、部署とかを超えて、一人と一人として「すてちな仲間」になれた会社。「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束」なんだよね、と中学生の頃何度も口ずさんだ歌を思い出した。

2000年07月08日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2005年07月07日(木)  串駒『蔵元を囲む会 天明(曙酒造) 七夕の宴』

大塚の銘酒処『串駒』は、ときどきお店主催の貸切飲み会をやっている。6月の「IKSPIARI(イクスピアリ)ビールの会 舞浜地ビールの集い」に行ったご近所仲間の面々が「あれは楽しかった」と言うので、今宵の七夕の宴に参加することに。天明という銘酒を造る曙酒造の蔵元ご夫妻を囲んで、選りすぐりの天明を心行くまま飲めるというありがたい会。「すべて無ろ過で、米の力や味をわかりやすく表現」することを心がけられているようで、どの種類も呑めば天明とわかる雰囲気を持ちながら、どれも違うというのが特長。たしかに、乾杯のおり酒に始まり、味わった6つのお酒はそれぞれに際立った個性があり、次はどう来るか、こう来たか、とまわりの人同士で批評しながら呑むのが楽しかった。料理は枝豆、刺身盛り合わせ、茄子とジャガイモのミルフィーユ、鮎の一夜干しとエシャレット、グラタン、トマトサラダ、焼きおにぎり、お漬物。箸が進み、お酒も進む。グループで参加した人、一人で飛び込んだ人、いつの間にかみんな一緒になって酔っ払って、蔵元ご夫婦も巻き込んで楽しいお酒。

と突然、オーボエの生演奏がはじまる。ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団首席オーボエ奏者の渡辺克也さん。びっくりするほど、やわらかな音色。「世界で三本の指に入るオーボエ」という紹介は誇張ではなさそう。CD『ニュイ・アムール〜恋の夜』を買い、サインをいただく。続いて、バイオリンの生演奏。奏者の女性は「日本酒に合う曲って難しいですよね」。でも、日本酒と音楽はよく合うことを発見。身も心もとろ〜んとなった状態で聴くと、音がするするとしみこんでいくよう。

2005年5月5日 店主も冷蔵庫も味な居酒屋『串駒』

2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日
2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2005年07月04日(月)  今井雅之さんの『The Winds of God〜零のかなたへ〜』

「今井雅之」と「今井雅子」はよく似ているので、名前を見つけるとドキッとしたり、ドキドキしたりする。縁もゆかりもないけれど、年の離れた兄貴のように一方的に思っている。顔立ちもわたしの親戚にいそうな感じ。そんな今井雅之さんの舞台代表作、『The Winds of God』の存在は気になっていた。タイトルの通り「神風」の話。ブロードウェイでも激賞され、映画にもなった。17年前の初演から何度も再演しているが、今年は戦後60年ということで、3か月に及ぶ過去最大規模の全国ツアーが決まり、2日に新宿紀伊国屋サザンシアターで幕を開けたばかり。出演している知人の岡安泰樹さんに声をかけていただき、今夜観る機会に恵まれた。

現代の漫才師コンビが神風特攻隊の時代にタイムスリップするというストーリー。幕が開き、老人の神父と漫才師のアニキ(今井雅之)が短く言葉を交わすと、時計は一年前に巻き戻され、アニキとコンビを組んでいたキンタ(松本匠)のかけあい漫才がはじまる。開演時間に遅れて入ってきた客に突っ込みを入れながら、「お客さんは漫才を聞きに来た人という設定ですから。今ならまだ間に合います」と、ウォーミングアップをやっているように見えて、いつの間にか伏線が張られ、自転車に二人乗りしたアニキとキンタが事故に遭ってタイムスリップする本編へとつなげていく。事故のショックから目を覚ましたアニキとキンタは軍服に包帯姿。知らない男たちから「岸田中尉」「福元少尉」と身に覚えのない名前で呼ばれ、混乱する二人は、神風突撃に失敗した事故の後遺症による記憶喪失と判断される。そこは60年前、太平洋戦争末期の日本軍だった。

ここに登場するのが、輪廻の思想。アニキとキンタは特攻隊で命を散らした隊員の生まれ変わりで、現代での交通事故の衝撃と、60年前の突撃失敗の衝撃がシンクロし、前世の肉体に現世の魂がはまってしまったのではないか。そう推理するのは、帝国大学で心理学を学ぶ山本少尉。二人の来歴を見抜くこの役を岡安さんが演じている。死ぬのは生のはじまり、死んでも魂は生き続ける、そう言いつつも死を怖れ、死ぬには若すぎると弱音を吐く山本少尉。聖書を心のよすがにする松島少尉(田中正範)もまた、死ぬ運命を受け入れようともがき苦しみ、彼らの弱腰を叱咤する寺川中尉(田中伸一)も不安と恐怖を押し殺し、分隊長の山田も鬼にはなりきれない。特攻隊員一人ひとりの苦悩と葛藤を丁寧に描くことで、若くして空に散った彼らの無念さが胸に響いた。

木の机と椅子だけのシンプルな舞台道具が配置を変えると筏になり、零戦になる。舞台から客席を射るようなライトは爆弾の閃光になり、白いライトの波は流れる雲になる。アニキとキンタが出撃するシーンでは、二人が本当に空を飛んでいるように見えた。完全に引き込まれていた。紀伊国屋サザンシアターでの舞台は何度も観ているが、スタンディング・オベイションを観たのは初めて。思わず立ち上がった観客に誘われるように、次々と立ち上がり、惜しみない拍手を贈った。

今井雅之さんは舞台後の挨拶で「4年前の9月9日、この芝居をもうやめると宣言したが、その2日後の9月11日にあのテロが起き、アメリカの新聞に『KAMIKAZE ATTACK』と書かれていたのを見てショックを受けた。自分のやってきたことは何だったんだろうかと」と語った。散った神風特攻隊員たちが悩み苦しみ抜いた末にたどり着いた覚悟。その結果だけが一人歩きして「命知らずで無謀な決死作戦」ととらえられている事実に打ちのめされたのだろう。だから、「やめるわけにはいかなくなった。それどころか、年々、やめられない方向に世界が向かってしまっている」と熱い口調で訴える今井さんを見て、この舞台から迸る熱いものの源を見た思いがした。訴えたいものがはっきりと持っていて、それを全力で表現し、観客の心をつかみ、揺さぶる。一字違いの作・演出・主演、今井雅之が今夜はいちだんと誇らしく思えた。サザンシアター公演は10日まで。その後、山形、秋田、長野、石川、兵庫、大阪、名古屋……と全国ツアーは10月1日まで続く。

The Winds of God〜零のかなたへ〜

新宿紀伊国屋サザンシアター
作・演出:今井雅之
出演:今井雅之、松本匠、AKIRA、田中伸一、岡安泰樹
   田中正範、最所美咲/小林範子(Wキャスト)

2003年07月04日(金)  ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」
2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日
2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2005年07月03日(日)  親子2代でご近所仲間の会

■ロンドンから一時帰国中のY夫妻を囲んで、ご近所仲間の会。このメンバーは、よく食べ、よくしゃべる人ぞろい。芝公園近くの華都飯店(シャトーハンテン)というなかなか味わいのある中華の個室で、2時間半かけてランチ。Y夫妻を駅まで見送る途中で「やっぱりもう少し話したい!」と元来た道を引き返し、セレスティンホテルのラウンジでお茶。今回は平均年齢をぐぐっと下げて、2月に生まれたY夫妻の長女ユキちゃんも参加。華都飯店ではぐっすり眠って大人たちを邪魔せず、セレスティンホテルに着いたら目を覚まして愛嬌をふりまく、なんとできすぎたいい子でしょう。みんなでかわるがわるだっこして写真を撮る。ご近所仲間の間では初の「2代目」誕生に、皆自分の子どものように大喜び。さらに増員(またの名を「細胞分裂」)をかけて、親子2代のご近所仲間で旅行にでかけたいねと話している。

2000年07月03日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)

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