rioshimanの日記
DiaryINDEX|過日|NEXT
| 2004年09月30日(木) |
レスヴォス島・シグリ 〜 ミティリニ(泊) |
あまり寝られなかった。夜遅くまで出発の準備をし、そして5時には起きるようにずっと時間を気にしながら。
6時10分前頃から今にバスがやって来ないかと、ベランダから身を乗り出して停留所を睨んでいた。
6時にはバスらしき姿は現れなかった。夜は明けてなくてまだあたりは薄暗い。停留場あたりに何か得体の知れない大きな物体がある。もしやバスだったらと気になり、部屋をそっと抜け出して何があるのかと見に行く。荷台の上に大きなヨットを乗せた乗用車だった。
やはりホテルの主人の言った7時発の方が正しかったのか‥‥。
部屋に戻りベランダの椅子でウトウトし始めた時、右方から大きなエンジン音がやって来て、その物体はバス停の前でゆっくりと回転した。
「バスだ!」 とっさに私は3階から階段を転がるように駆け下り、その車に走り寄った。暗い車内には運転手と前ににじり寄るように座っている数人の客の顔が見えた。
「このバスはミティリニに行きますか?」 「そうだ。」
「何時に出発しますか? 7時ですか?」 「いや、今だよ」、「今すぐに出発するよ」数人の乗客が口をそろえて言った。
「えッ」私は焦ってしまった。「待ってもらえますか、急いでホテルから荷物を取って来ますから。いますぐに!」
「いいよ、待っているから」
出発されたら大変!と、また夢中で3階まで駆け登り、荷物を引っ提げてドタバタと階段を走り転げてバスに乗り込んだ。恐らく2階で寝ているホテル管理人が私のただ事でない足音にビックリしているだろうな、と感じながら。
バスはすぐに発車した。腕時計を見ると6時15分だった。いったい正しい発車時刻はどうなっているのだろう。とにかく乗れて良かった、助かった。このバスを逃すと又タクシーでミティリニまで一万円以上を使って戻らなくてはならない。この地シグリに来るには行きも帰りも本当に大変だったなぁ。
間もなく日が昇り初め、外が明るくなって周りの景色が楽しめるようになった。途中で南から来るバスを待合わせのための停車。前方はるか山頂には小さく修道院が小さく見えている。後席に座っていたおばあさんがそちらに向かって大きな声でお祈りを始めた。乗客の皆も手を合わせ数分間お祈りをする。
この大きくうねった風力発電用風車がずらっと並んだ風当たりの強い山道を通るのも、モリヴォス宿おじさんのオートバイの後ろにしがみついて通った時から4度目だなと感慨深い。一度通ると忘れられない特徴ある路だ。
ミティリニのバス営業所に着くと、そうだこの際だから正確な時刻を見て置こうと掲示板を探した。少し見難いがちゃんと時刻が書き込まれていた。 シグリ──ミティリニ行きバスの、シグリ発は‥‥え〜と。 6:15(月、木)とハッキリ書かれていた。夏のバカンス・シーズンにはバスは毎日走っているらしいが、観光客が少なくなるこの時期になるとある日を境にガラッと時刻表が全く違ったものになる。ここではこれが現実だろう。
宿は前回泊まったホテル系統のレンタル・ルームを借りた。ホテルにパンフレットが置かれていて地図も付いていたから見つけるのは楽だった。しかしレンタル・ルームはホテルに比べ大分質が落ちる。そのことは今回の旅で随分と思い知ったことだ。まあ各宿によるものかも知れないが概して言えることだ。
ミティリニの街は一応必要品は何でも揃っていて、充分に楽しめる要素を備えている。人口は10万人位か。
部屋に落ち着いて身支度をした後、午後からタクシーを利用してミティリニ郊外にある、印象派画家の版画やデッサンを沢山集めたテリアード美術館とギリシアのルソーと呼ばれる素朴放浪画家セオフィロス・ハジミハイルの作品を展示したセオフィロス美術館を訪れる。運転手は正確な所在地を知っていた。到着した時は丁度昼休み時間に当たっていたので余った時間その周囲を散策したのだが、なかなかの高級住宅が集まっている。
テリアード美術館はよくこれだけの作品が集まったものだと思うほど見るべき作品が多かった。テリアードはこれらの印象派画家とは直接的に交際があったようだ。素朴画家作品展示のセオフィロス美術館の方は今日が今年最後の開館で滑り込みセーフの閲覧だった。
ギリシアはどこに行っても猫が多い。足にまとわれて困った時もある。この美術館のまわりには特に沢山見かけた。
「翌日へ」
| 2004年09月29日(水) |
レスヴォス島・シグリ(3日目) |
朝一階のカフェバーで朝食した時、もう一日滞在を延期することを告げた。客もドイツから来た女性2人一組だけだ。
カフェバーの主人がその宿もやっているが、出発のバスのことで彼から大変なことを聞いた。ミティリティ行きのバスは一日一回で、それも朝7時、しかもこの時期は月曜と木曜しか出ないというのである。「エッ〜!。」 すると今日は水曜日だから明日が木曜日、いずれにしろ今日は出発出来なかったわけだ。ちょうどうまいタイミングに引っかかった。明日は大変だが早起きしてバスに乗らねばならない。
ずっと気になっていた場所を描きに行く。板を4本並べて作った桟桁。その両側にボートがずらっと停泊していて、その背景になる遠くに島が横たわっている。
先客がいた。一人のおじいさんがやはりその側の緑色のベンチで休憩している。 声をかけるとそのおじいさんは私がギリシア語が分かると思ったのかジャンじゃんと早口で話しかけてくる。 私が分からないと言うと、そのうちに諦めて向こうの方に行ってしまった。 本当にこの人たちとギリシア語で会話したいなぁ。でも生きているうちに可能性は薄いだろう。残念。
 お昼頃小雨が降ってくる。大変だ、水彩画なので雨は大敵だ。現場とホテルを行ったり来たり。
夕方、明朝出発するバス停の確認に行った。町一番のタベルナ(レストラン)の真ん前だ。いつも夕方から夜にかけて地元の人で賑わっている。そこで食事をしている人達に訊ねる。
「ミティリニに行くバスはここから出るのですか?」 すると意外なことを聞く。その中で一番ボスらしい人が寄って来て 「バスは月曜と木曜の週2回だけ朝6時に出る」と私に言い含めるかのように自信気に言うのである。 カフェバーの主人は確か7時だと言っていたが。はたしてどちらが正しいのか、さあ困った。もちろんその場所には停留所の面影さえない。
とりあえず朝5時には起き、6時出発の用意をして、やって来るバスの様子を見ることにした。バスの停まる位置は私の泊まっているホテルから左に道路を挟んだ2軒目の前、ベランダから顔を出すとすぐ下に確認出来る。
「翌日へ」
| 2004年09月28日(火) |
レスヴォス島・シグリ(2日目) |
早朝4時半頃、ポンポンという音で目が覚めた。船のエンジン音である。 漁に行く船はこの時間に港を出る。オートバイに似た音の騒音があちこちで合奏をし始め出した。
すぐにホテルの前が港なのでそれらの音がマトモに聞こえてくる。これだと観光客が少なくなるのも……。
だが2日目には慣れてくる。この音が身に付いて子守唄?のように聞こえて来るかも。ずっと滞在していれば。
朝スケッチに出かけるのは大体10時頃。 1階のカフェバーでコーヒーとベーコンやマッシュルームの入ったオムレツを注文。 コーヒーはエスプレッソが飲みたかったのだがメニューにないので、仕方なくグリーク・コーヒーを注文する。
早速、港の防波堤に行ってスケッチ。海の色が澄んでいてとても綺麗だ。魚もたくさん泳いでいる。 若者が近付いてきて「どこから来たの?」と声を掛けてくる。こちらの若い人はほどんど英語がうまく話せる。学校で義務教育にでもなっているのだろうか。まあ、大勢の外国人がいつもこの国を訪れていて、周りにその人たちと絶えず接触できる環境が備わっているから自ずと話せるようになって行くのだろうが。

夕方城壁の脇で海に浮かぶ一艘のヨットを描いていた。小さいサイズの水彩画用紙だが Winsor & Newton のLuna という Aquarelle用紙。新宿にある「世界堂」の店頭でたまたま見かけて買ったものだがとても描きやすい。表面の凹凸が割合に細かいものだが自分にはこれくらいがピッタリだ。絵具のなじみ具合も柔らかくて良い感じ。今回私が持って来た用紙のうち一番いい絵が描けるように思う。 (残念ながら、この用紙は2005年1月時点で製造中止になっている)
絵に夢中になっていると後ろに女性の声がする。そして絵の値段のことを訊いている。その絵はいくらで購入出来るかと。しかし私は前回の件で絵を売ったことを後悔していたので、すぐに売らないことを伝えた。自分でも気に入っている絵だった。
しかし肝心のメインの大きな絵がまだ描けていなかった。
せっかくこの景色を求めて遠路はるばるやって来たのに満足するような絵が仕上がらなかったので、もう一日滞在を延ばすことに決めて睡眠。
「翌日へ」
| 2004年09月27日(月) |
レスヴォス島・ シグリ(泊) |
通常ホテルのチェック・アウトは10時なのでそれまでに出ようと準備するが、支払いに行っておじさんに日本の旅行ガイドブックにこのレンタル・ルームの記事を載せることを強烈に依頼され話込まれてしまったので部屋に戻って昨日までに食べようと買って来てしまった物を片付けるのに必死。だが出発の11時の15分前にはどうにか宿を出ることが出来た。
出発時に宿のおじさんが見えないと思ったらバス停でちゃんと私を待っていて、車掌にシグリまでこの日本人が行くからよろしくと説明していた。
バスはシグリに直接行くのかと思っていたら地図を見てみるとそうではなさそうだ。途中で乗り換え?。そうに違いない。
やはり地図で目星していた分かれ道のカロニの町で車掌から目配せの合図がありバスから降りる。
それからが大変だった。次の乗るバスの停留所が分からないのである。車掌はあちらの方だというように降りる時に指差したがそちらにそれらしき標示はない。 三叉路になった公園のベンチに、ちょっとたよりなげなおじいさんが腰掛けていたので大丈夫かなと思ったがとりあえず訊ねてみる。ギリシア語の用例辞典を見せながらそのおじいさんと一緒に声を出して「シグリ行きのバス停はどこですか?」 するとそこからずっとあちらだと指差す。お礼を言ってそのあたりに行くがやはりそれらしきものは見当たらない。 分からないので今度は道を歩いている女の子に訊く。するとさっきのおじいさんのいる向こうの方だというので引き返して行くと又ベンチに腰掛けているさっきのおじいさんと目が会った。おじいさんは「しょうがないなあ」という風に急にシャキッと立ち上がり私を先導して杖を突き進んで行く。しばらく行くと前方に一台のバスが待機しているのが見えた。「アッ、分かりました。どうもありがとうございました」お礼を言い、重い荷物を持って走る。ぐるっと町を回った一方通行道路脇にバス停留所はあった。
「このバスはシグリに行きますか?」 「シグリ行きはここに停まるから待っていなさい。12時発だから」 私は安心してホッとした。12時までまだ10分ある。 すぐにバス一台がそのバスの斜め後ろにピタッと付けた。私はとっさにバス前面に回り電光掲示板で表示されている行き先を確かめた。「Mo………」。 「シグリ行きではないな」と判断。 そのバスは間もなく発車し、それから今までそこにずっと待機していたバスも続いて出発した。時計を見た。約12時になっていた。 それから目的のバスが今にやってくるかとその方向をずっと見ながら待った。こちらの交通機関は遅れることもしばしばとの感覚があったので15分は待ってみなくちゃあと思った。 来ない!。もう12時を20分はとうに過ぎている。 30分待った、が来ない。 40分で諦めなくてはならない、と思った。始発点ミティリニからこの町まではバスで約1時間の行程である。何がなんでもここに来るまでこんなに掛かりはしない。
シグリ行きのバスは1日に1本だということを聞いていた。仕方ない。タクシーで行くか。それとももう一度バス始発点のミティリニまで行って1日泊まり、明日のバスでシグリにまで行くか。
タクシー代はモリヴォスのおじさんも言ったようにこの距離では30ユーロ(4,200円ぐらい)かかる。ざっと計算してみると日程を稼ぐためにも今日シグリに行った方が良い。今晩ミティリニで泊まればそこでかかるホテル代と同じだ。何より少しでも早く到着したい気持ちがあった。
ここバスを乗り換えるために降りたカローニは割合に大きな町で、タクシーは待っているとすぐに掴まった。シグリまでの料金を訊ねた。「35ユーロ」。 予想していたより少し高い答えが返って来たがOKを出した。 そこから目指すシグリまでは約30km。殆どオリーブと雑草がまばらに生えた肌山に近い。くねくねとした山道を走る。島のメイン道路だが山しか見えず変化なくとてつもなく退屈な道だ。昨日はおじさんの案内でカテドラルなどを見ながら回り道をしてそんなに感じなかったが、無口(片言の英語で話にならない)のタクシー運転手とではどうしょうもない、日本車の話などをした後は話題が無くなってしまった。バスの方がどんなに良かったことか。
35ユーロだと言われたが、運ちゃんも大変だったろうなあと思い、ありがとうを言って40ユーロを手渡した。
シグリは漁村をそのまま観光化したような小さな町だ。先ず町中に一歩踏み込んで一回りしたが町中にはホテルらしきものは見当たらないので再び元に引き返し、港近くにある一番目立ったレンタル・ルームを借りた。この季節、客らしきものは一組ぐらいしかいなくホテルはガラガラだった。一階はカフェバーになっていたがほとんど客は見えない。借り部屋は3階。テラスの眼前にはあこがれてやって来た目的の海が広がっていた。
「翌日へ」
今日の天気もうずうずしていた。いつもより早く午前中に港に行って色づけしていない未完成の絵に取りかかろうとすると、それまでは午後2時頃から描いていたので光線の具合が全く違っている。こりゃ駄目だ、と他の場所に移ろうとするが、まだもう一つ別の港の風景が途中になっていたのを思い出し又戻り取りかかる。
途中でドイツ語を話す中年の女性が私の絵を見て声を掛けてくれる。その褒め方も独特だ。「あなたの持っているセンス、わたし好きよ!」 オーストラリアから来た画家だという女性がやって来て絵のサゼッションしてくれる。「こっちの画面の構成はパーフェクトね」この町にやってくる観光客たちは本当にフレンドリーだ。お世辞でも嬉しい。
だが間もなく空の模様が怪しくなり、雨のしずくを少し感じるようになって来たので慌てて宿に引き返す。
宿では宿のご主人が待っていた。先日約束した島の名所を案内しようと言うのである。私も好奇心でついて行くことにした。 今日は東京─横浜間ぐらいの遠乗りになるという。南の方向にオートバイは走る。 おじさんは風体からして60歳後半だと思うが、軽い車(SUZUKIの100cc?)をブンブンと飛ばし、口には出さなかったがこちらは恐ろしくってしようがない。交通事故を起こして日本人レスボス島で死亡なんて載った新聞記事が頭をかすめた。
おじさんは古いものが好きらしく私があまり興味のない教会などに連れて行ってくれるのだが、残念ながら今日は日曜日、殆どのそれらの施設は開いていない。彼は非常に残念がった。建物の中にはビザンティン美術の素晴らしいものが沢山入っているようだった。人里離れたずっと山の上にある古い教会にも行ったのだが、そこはとても有名な教会らしくギャラリーには沢山の昔からの書物が陳列されているのがガラス越しに見えた。それらは紙ではなく動物の皮に書かれているのだとのこと。二人の黒い衣装を身にまとった僧侶とおじさんは盛んに話をしていたがギリシア語でこちらにはさっぱり分からず。日曜でギャラリーは見られなかったが、ただ礼拝堂だけは鍵が開いてて中を見られた。図書館本でたまに見るビザンティン画のようなものでぎっしりと埋められていた。
途中でコーラを飲みたいという名目で、おじさんの旧知の友人が経営している店に寄り紹介された。
また何百万年も前の木々が化石になったという「Lesvos Petrified Forest」公園。ここは本当に広い土地のあちこちに木の化石が散乱している。こちらも閉園まで20分だということで入口付近の一部だけを無料で見せてもらい資料だけ買って帰ってきた。
ただ私にとって今日の大きな収穫はレスボス島を島の北側に位置するモリヴォスからずっと南に下り、その間に存るいろんな美しい漁村が見られ、島の概要をつかめたことである。特に島の西南に位置する「シグリ」という町は一目で惚れてしまった。この町に到着するには小高い山の上から降りてくるのだが、初めて見る町全体の幾何学模様─沖にずっと左右に横たわっている島、それにからむように曲線を描く海岸線そして入り込んだ湾、港。そしてたたず むようにマストを降ろして沖に浮かんでいる一艘のヨット。それらはすべて美しい。その側には古い城壁が暗い陰を落とす。
私はすぐ明日ここに来て停泊しようと思っている自分を感じた。
おじさんにはとても感謝する。こうしてレスヴォス島をずっと紹介してくれて。道の途中でガソリン燃料の心配もしたけど何とか無事だった。今日おじさんのオートバイで走破してくれた距離は200km近いだろう。ブンブン飛ばしてその度にヒヤヒヤしたけど。腰も肩も痛くなった。おじさんも疲れた。
モリヴォスに戻って来られたのはもう夜10時に近かった。
でも今日は「シグリ」でおじさんにご馳走した夕食だけで勘弁してね。6日間の宿泊費に心持ちのチップと、それにきっと旅行誌「地球の歩き方」におじさんのホテルをうまく紹介してきっと紙面に載せるようにするから。
「翌日へ」
今日も風が強い。だがめげずに午前中、昨日に描いていて途中で日没になり仕上がらなかった絵の続きをする。そしてホテルに近い場所でも一つ大きな画面に新しい絵を描く。75点ぐらいだが何とか及第点のものが出来上がる。だがこのアルシュに似た水彩紙はなかなかのくせものだ。まだ可能性の20%も使いこなしていないかも知れない。 宿に帰ってからも夜中に起きて気になるところに手を入れる。すると画面の様子がガラッと変わる。この時はスポンジに水を含ませ絵の具の濃くなったところを拭き取ったのだが、意外に簡単にうまいように色が薄くなる。その他引っ掻いたり付け加えたり、それら作業を十分に受け入れてくれる紙だ。
今日、以前から入ろうかと気になっていたインターネット・カフェに夕方、港のスケッチからの帰りに入る。昼間に外から見たのだが、パソコンは一階の入り口脇にあって4台くらい。子供たちが使っていたので覗いてみていた。
店内は誰もいない様子だったが2階に上がって料理を用意しているシェフに使ってよいかの了承を得てパソコンの前に座る。
最初にズラッと並んでいる3台のうち一つを使用するが日本語が表示されずに化けてしまう。それでも分かるところでもと文字を推測しながらメールがどこから来ているかだけでも見てゆく。 間もなく2階からシェフが駆け下りて来て、もう一台の奥にあるパソコンのスイッチを入れる。その様子を見ていたので私も試しにそちらに移動してMacのWebメールをチェックしてみると……こちらは日本語がちゃんと現れてきた。シメタ!。
それで40件ぐらいあったメールを確認し、ついでに日本で見ている他の人のホームページも閲覧する。 こちらのパソコンには日本語を打てるキーが備わっていないので日本語メールを打つことが出来ないのは残念だが。(ローマ字か英語は打てる)まあ重要なメールが入っていなかったので一先ず安心する。
インターネットを見終わったところで席を立とうとすると子供が駆け寄ってきて「Fini?(終わった?)」と訊く。「そうだ」と答えると「6.4Euro」と言う。そうだ無料ではなかったのだ。自由に使っていいと言うので親切な店があるものだと思っていたのに。でも気持ちがいい。その足で2階に上がり料理を注文する。ワインとシェフ・サラダ、それにキノコ添えチキンにデザート。味はまあまあだったが接待も洗練されていて印象は悪くない店だった。店内も次々に客が現れ満員だった。チップを何時もより多く置いて来た。

「翌日へ」
朝8時頃、私への別れの手紙を持参し「さよなら」を言うご主人に私は昨日描いた絵を彼に見てもらい、滞在を更に3日間延ばすことを告げた。彼はその絵を手に持ち奥さんの名を呼びかけながら駆けつけていた。
その後、バス停に客を呼び込みに行く前にいいところに連れて行ってあげると、昨日私が絵に描いた灯台の所まで連れて行ってくれると私をバイクの後ろに積んで連れ出した。その灯台のある場所というのは実際に絵にかかれた所とは異なっていたけれど彼のお気に入りの場所だった。そして明日には大きなカテドラルのあるペトラに連れて行ってくれると午後3時半にホテルでの待ち合わせを約束した。
今日はお昼前あたりだから今までなかった風を肌に感じるようになり、それからは一日中その風は吹き止まることはなかった。 レストランから客は遠のき観光客はまばら。私はバイク遠乗りのあと部屋に戻り、夕べあまり眠らなかったので疲れをとるためにベッドに横になるとそのまま外に出かけたくはなくなったのだが、ホテルにいても仕方ないのでしばらくして出かける。風も強くなり全体の気象条件はあまり良くなかった。
この町の絵はがきにもなっている代表的な港からの風景を大きな画面にスケッチしていたのだが気持ちが入らず、鉛筆書きの下絵だけで止め、昨日作業途中の絵葉書だけを仕上げる。港は砂塵が飛んでいた。
堤防の観光客の通る道から少し外れた場所に、プロの絵描きさんらしき人が絵の道具を持って入るのを見かけた。私はどういうことをしているのか気にかかり時々様子を覗きに行った。水彩画だった。が私が今までしたことのない動作、筆軸の甲を盛んに画面に押し付けている。細い線を入れているようだ。そして水気をとるためのタオルをちゃんと膝に置いて、これはとてもいいことかも知れない。次の機会に試してみよう。
◆
以前からスケッチしてみようと思う場所が一つあった。宿からそんなに遠くない場所だった。ここも電線など邪魔になるものが沢山からんでいたが、それらを取り払えば第一作と同じような素晴らしい場所だった。写真だと画面から邪魔者を取り払うのは困難だが、絵だと描かなければ良いのでそれが可能だ。
絵の構図が良い場所を求めて移動していると、最も良いと思える所は丁度ある民家の大きく解放している窓の側になってしまった。住んでいる人の邪魔になるのではないかととても気になったが、家の中には幸いにも誰もいなかった。 私はそのことを全く忘れて絵に夢中になっていた。突然に一人の若者が玄関からスルスルと出て来て「どうです、この町は素晴らしいでしょう。飲み物はいかがですか。何がいいですか?。」 遠慮している私に「ジュースでいいですか、え?」といって姿が見えなくなったかと思うと、すぐに「体にいいですよ、どうぞ」と言って、キューイなど入った野菜ミックスジュースのカップを手に持ち、私に手渡してくれた。
何と言う人たちだろう。
「翌日へ」
昨日夕方、宿の主人が島のいいところを紹介したいと私をバイクの後ろに乗せ、街からは城壁の裏側にあたるトルコを遠景に見渡す海岸を案内してくれた。 主人は私より少し上の年齢のようだが、矍鑠として歩きバイクをぶんぶん飛ばして若者のようだ。 この地域は一部のガイドブックに載っていたがその通りドライブするにはもってこいのまことに素晴らしい景色だ。リアス式海岸の次々に変わる中に所々に建っている家々がアクセントを添えて情景を作り出す。
その場所のスケッチは今度再びギリシアに来た時の楽しみに回して、今日は一応カストロに登ることにして朝9時過ぎに宿を早めに出る。カストロの入り口に行ってみるともう一人の係員が小さな机を出して待機していた。
上からの眺めは周り360度見渡せ絶景だった。その中でトルコ側が家も少なく原野も残り解放的で描くのに適した絵柄になっていた。そこを夢中で描いているうち気が付くと2時頃になっていた。その間、観光客が団体や仲間たちでやって来て次々に側を通り過ぎる。声を掛けてくれる方もいる。中には日本語で「おはようございます」と言われ驚いて振り向くと外人さん。私の顔はどうもすぐに日本人だと分かるようだ。
夕方には港に足を運びハガキにスケッチ。夕食を済ましての帰り際、隣のレストランにどこかで見かけた顔の男性と目が会った。一昨日私から絵を買った彼だった。隣には美人の奥さんが。 彼らは一週間滞在しているとのことだった。 私の英語は初級中の初級だからあまりそれ以上の細かい話にはならない。残念でならないけど仕方ないこと、私も日本人はあまり英語が出来ないという典型の一人だから。勉強をして来なかったツケだ。
昨日には出発を一日延期したいと宿の奥さんに伝えて合計3日分の宿泊料を支払ったのだが(一日25Euroだから75Euro)今日カストロからの絵が割合にうまくゆき手応えを感じたので此処にまだまだいたくなった。夕べ私から絵を買ってくれた彼が一週間滞在していると聞いて、私の気持ちも変わったのかも知れない。
「翌日へ」
真夜中に目覚め、昨日のような絵はもう二度と描けないような気がして、売ってしまったこと反省しきりだった。絵というものは良いものがいつも描けるとは限らない。やはりその時の精神状態が一番大切で描く線の一本一本の表情が強くなり柔らかくなりその時によって微妙に変化する。色彩の濃度も何度も変え全体のバランスを考えながらようやく出来た絵。やはり作品は作者の分身なのだ。そう簡単に手放せるものではない。大切な人への思いがそこには籠っていたのだ。もうあの夢中で描いた同じ精神にはとても戻れないのではないか。
今朝はカストロの方に行ってみる。が、どこから登って行くのか途中でストップになってしまった。振り返ると港が割合にいいので、そちらを描く。
水彩用紙でアルシュのような高級なものが画材屋でよく売られているが、この紙を使いこなすには本物の技を要求する。生半可な書き方ではノッペラボウな薄く滲んだような平面が出来るだけだ。そこからさらに先に行くには大変な技術と情熱を要求するが、それをまともに受け入れ答えてくれるこれは紙だ。 今日午前中に書いた絵も最初は見られないような内容だったが、手を入れてゆくうちにどんどん良い方向に変わって行った。まだ使いこなすには精神・技術不足。
午後昨日に譲ってしまった絵のことがやはり気になり、もう一度同じ場所で挑戦しようと思った。それでその場所に行こうとするが、その花が咲いていた場所を見当をつけて探るがどこだったかなかなか見つからない。 昨日最初にホテルから歩いた記憶をたどりながらもう一度同じ道を歩く。その場所はホテルから相当西の方に行った町の端の方で、花は人が普段だと何気なく通り過ぎてしまう荒廃した家屋の側にポツンと咲いていた。 この色彩的な町では花は遠慮がちに存在し、まして紫系の花は珍しかった。昨日も偶然に目に留まったものだった。花は雑草のように可憐に咲いていて、そこにバックに島々の陰影が重なり合って初めて絵となっているのが分かった。
だが描く絵は昨日よりすっきりと奇麗なのだがイラスト的な味のないものになり、これ以上続けても仕方ないので途中で作業を止めてしまった。いわばどこか機械的作業になってしまうのである。
新しい気持ちでもう一度明日ここに来て挑戦し、もし駄目だったら今回は諦めよう。 ここモリヴォスの滞在を一日延期することにした。もっともっと長く滞在したい気分なのだが、次の島へのフェリーの関係でどうしても発たなくてはならない。何せ次に目指すリムノス島へのフェリーはこの時期には週に1度、土曜日にしか出航しないのだから。
「翌日へ」
| 2004年09月21日(火) |
レスヴォス島・ミティリニ 〜 モリヴォス(泊) |
お昼前11時のバスで島の東部にあるミティリニから島北部に位置するモリヴォスに向かう。ミティリニからモリヴォスまでは50kmぐらいの長距離だ。
昨日、長距離バスは市内バスとは違って乗り場が別だということを聞いていた。その場所の近くに行ってもそれらしい停留所がないので通りがかりのおじさんに訊くと、親切に近くまで連れて行ってくれあの大きな建物の裏側だと教えてくれた。
チケットを購入するとき係員が何時のバスに乗るの、と訊くのでやや不可思議に感じたが、やがてバスの用意が出来たアナウンスがあって、そのバスに乗ってみてようやくその意味が分かった。
地元の人は慣れているのだろう。案内があって一斉に急いで乗り込んでいるようだったが、私は重い荷物を一個バス脇の荷物室にエンやっと入れてバスの乗り口を上がると、何と座席は整列したように丁度ぴったり最後の人がいま腰を掛けたところだった。日本の私の田舎バスで何時も空きゝゝなのに慣れているせいか、この車内の混みようには驚いてしまった。しかし見渡してみると乗客の大半が私よりずっと年を重ねた方ばかりで早く乗り込む理由がなるほどと納得出来た。昨日バス停で私がモリヴォスに行くと行ったら、すぐタクシーの運ちゃんが自分の車に乗りなよ、と言ってくれた。しかし明日バスで行くと答えたので残念そうにモリヴォス行きの停留所はここでなくあの向こうだよ、とその大体の場所を指差して丁寧に教えてくれたんだっけ。そのお陰で今日はまごつかずバスに乗れたのだから仕方ないか。
その後も4,5人の若者達が出発間際にやってきて勿論わたしと同じ立席だ。最後までずっとこのままかと思ったが、全行程の2/3位のところに割合大きな町があり、大半の乗客はそこでバスを降りやっと席に座わることが出来た。 そこから一山超えるとやがて海が見え、カストロ(城壁)の下に扇子のように広がる見事な形をした町が眼前に現れてきた。ここが目的の場所モリヴォスだった。
どうしてモリヴォスにやって来たかって? 最初から計画に入っていた訳ではない、ガイド本の片隅にわずかしか載っていなかったけれど、もしかしたら良い町かも知れない、という勘だ。
ここは遥々やって来て想像以上に素晴らしい町だった。バスから降りるとすぐ宿引きのおじさんに捕まった。あまりにも熱心に日本に行って日本が好きだとその時のことを話すものだから、宿を見てから決めるということにした。でおじさんの後を延々ついて行って、やや高いところにあって少し歩き疲れたが何も断る理由のない程きれいな部屋だった。台所も電気コンロもついているし、ここなら一ヶ月ぐらい住んでも良いなという感じだった。宿泊一日25ユーロもまあまあの金額だったし私はすぐ2晩ということでOKを出した。
先ずシャワーを浴びてすぐさま飛び出す。下に海が見えて赤い屋根のコントラストも本当に素晴らしい。どこを採っても絵になる。 城壁のある上は明日にして今日は海の方へ下って行く。2,3カ所写真に撮って、それから少し行って民家の脇に入ると、そこに可憐に咲いている小さな花の薄紫色にすぐ惹かれてしまった。遠くには何重もの島々の輪郭が山水画のように浮かんでバックになっている。すぐスケッチ箱を広げて便箋大の用紙にフェルトペンで絵を描き始めた。
数時間かけてこの絵は先日久しぶりに電話をくれた大切な友人に手紙と一緒に送るよう気持ちを込めて、何とか自分でも満足のゆくものが出来てほっとしたところだった。それまでにも何人かスケッチをしている側を地元の人や観光客が通り過ぎた。最後に声を掛けてくれた観光客は珍しく側にじかによって来て絵を見てこれは素晴らしいと英語で褒める。何やら絵はいくらで売るのかと言っているらしかった。そして今お金を持っていたら買うのだけれどと勝手なことを言って帰って行ったが、しばらくすると本当にお金を手に持ち眼前に立ってこの絵を欲しがっているのが分かった。私はせっかく大事な友人に送るのが出来て目的を達し喜んでいたのに、この私の絵を実際に認めてくれた観光客の気持も無視することが出来なかった。少し、いや本当に迷ったあげく仕方なく彼にゆずることにした。絵は又良いのを描けばいいやという思いがどこかにあった。国籍を訊くとアメリカ人だった。手に持ってこれでどうかと示してくれたお金の額は20ユーロ。そんなにと一瞬思ったが落ち着いて計算してみると日本円で3,000円ばかり。そんな無茶な…と思ったが(日本で友人は私のハガキ大の水彩を10,000円で買ってくれる人もいる)今日はその気持ちを受けただけで感謝し絵を渡すことにした。そしてこれは初日、到着したばかりの第一作の小手調べで、明日から又頑張ればいいやと決心した。この様子ではこの町で予定以上滞在するようになるかも知れないという予感がした。題材はいくらでもありそう。
さらに下って小さな港付近の賑わう街並のある店頭で沢山の絵が並べられているのを見つけた。良い絵は一つも見当たらない。先程、観光客が私から買った絵の倍ぐらいのサイズのあまりパッとしない漁船の絵が一番手前に飾られていた。定価は40ユーロだった。ははーん、先程の客はこの絵からあの価格を判断したのだなぁ、と思った。
「翌日へ」
'04ギリシア旅行マップ
| 2004年09月20日(月) |
レスヴォス島・ミティリニ (2日目) |
朝10時頃から旅行ガイドに写真が一番多く掲載されているカテドラルを中心とした風景を描く。
今までの旅行ではスケッチにフェルトペンを使っていたが、今回は鉛筆を試しに使用している。鉛筆は間違った線が消しゴムで消せるし、強弱の線が簡単に表現出来るのでとても便利だ。 だがその一方鉛筆で描いた場合、その部分を手の腹でこすり、画面全体が黒っぽくなり汚く見えるのが難点だ。
◆
明日から島の北部にある観光都市モリヴォスまで行って又ミティリニに帰ってくるので3日後の安いホテル予約をとっておこうと(今は4星に泊まっている)ちょっと道一つ奥に入っためぼしいホテルに交渉に行く。
女主人が一人で当番をしていたが、話してみると全く英語を解しない。Today, Tomorrow も分からないのだ。 私も今回ギリシア語を充分勉強して来なかったのが悪い。時間がなかったこともあるが、なんとかなるだろうと安心していたのが悪かった。豆事典を引きながらの会話だったが、どうしても「今日は他のホテルに泊まっているので、今夜の宿泊はここにしない」というのが伝えられなかった。 明日、明後日モリヴァスにゆくのでその後の2日間だけ宿泊をお願いする、ということまでは伝わったようだった。が、明日出かけるまでの今夜の部屋に連れてゆこうとするのだ。今日この人がここに来たのはすぐここに部屋を取り今晩宿泊するのだ、という固定観念が彼女の頭から離れない。大抵はそのような客ばかりだからだろう。 私が首を振ると、とうとう向かいの宿が英語を話せるので、そちらの方に行って欲しいと言われてしまった。 仕方なくそこを訪れたのだが、とても熱心に宿をやっているような雰囲気ではなかったので中には入って行かなかった。 英語を解しない女主人には悪いことをしたと思っている。
夕方になってめぼしそうな景色はないかと丘の上を探すがスケッチするにはこれといって良い場所が見つけられなかった。だが帰り道の途中に素晴らしいホテルがあるのを見つけた。割合に高級そうな、手の行き届いた植木や花のある大きな庭や駐車場も備わった完全設備のホテル、おそらく夏季には自分で別荘を持たない次の高級な客層が滞在するところだろう。その充実した楽しいバカンスが見えるようだ。
今度ミティリニに引き返してきた時にはここに泊まろうかと思う。2泊ばかりなので少々高くても。しかし宿泊OKになるだろうか。今泊まっている宿のように。 もし駄目だったら次の候補は街を廻っているこの2日間にあちこちに見つけてある。
「翌日へ」
| 2004年09月19日(日) |
ヒオス島 〜 レスヴォス島・ミティリニ(泊) |
朝5時。アテネのピレウスから遥々やって来たフェリーが今このヒオス港を出航した。私のホテルからはちょうど眼前に桟橋のその様子が良く見える。あの船が私がギリシアに来る前に日本で読んだ本「愛の島 レスヴォス」の著者・川政祥子氏が、毎年のように乗船してレスヴォス島に向かう船なのだ。 レスヴォス・ミティリニには朝明けに到着し、その時の雰囲気がとても良く描かれていた。
私の乗る10時発ヒオス島出航予定のフェリーは約5時間後、明るくなってからゆっくりと同じレスヴォス島に向かう。
私はそのレスヴォス島に向かう船上で、それまでに滞在していたヒオス島のことを考えていた。この島にはギリシアに来て最初に滞在したサモス島とは全く異なった破天荒なものを感じていた。
フェリーボート発着所のすぐ後側に位置する城壁跡には昔からの古い家屋がそのまま建っている。その半分位が崩れかかった家だ。その大部分は人も住んでいなさそう。ホテルも名前だけあって営業していない(この時期だけ?)。夏にはリゾート客で溢れ出した客が安く泊まるのかも知れない。 教会にたどり着くにも迷路のような細い路をくねくねと廻る。小さな民家が細々と自分たち仲間同士で家を手直ししているのが見える。 やっと教会にたどり着いた。柵戸は閉じている。横に回り込むと一カ所ドアが開いており、そこから忍び込むように中に入る。とても古い。今も現役で機能しているのか。本当に骨董物だ。 側に何百年も経つだろう古木が立っている。周りには遺跡らしい石を積み上げたものが散らばるようにあちこち頭を出している。それらも全く手を付けていない。放置したままのようだ。 その城壁区画を離れると、今度は騒音に包まれたバイクや自動車が走り回る街並に一転した。次々に左右から走ってくる車によって道を渡ることも出来ない。
市民公園を中心に繁華街が広がっていて若者向きの店が軒を並べる。海沿いから道一つ二つ中に入ると食料品、電気製品、ファッションなど現在の庶民の品々。最初この町の港に降り立った時に受けた印象とは大違い。
それにしてもホテルの数は少ない。私が Tourist & Travel Office で紹介を受けたホテルは中年の男性一人が管理している部屋数5つぐらい。客が来ない間はいつも分厚い本を読んでいた。私にあまり英語力がないものだから、お互い話し合いが出来なく本当に残念だったが。 (ホテルは海側でなく、一つ通りを入った繁華街に集まっていた)
この町でもう一つ強く印象を受けたことは若者に文化を牛耳られているということ。真夜中でも若者がオートバイのマフラーをはずして我が物顔で街を走り回っている。道路のあちこちで警笛をパーパー鳴らしながら突っ走る。 私の泊まったホテルは一階が盛り場になっていて、夜遅くまで騒ぎ、早朝4時頃だというのに平気で車の警笛を鳴らし友人を呼んでいる。他人の迷惑を考えないのだろうか。
◆
約3時間の渡航の後、眼前にレスヴォスの島が見えてきた。とてもゆったりとしたおおらかな山々の稜線が広がっている。女性の体の曲線をイメージさせ、わたしの心も段々と穏やかになって行くのを覚えた。
 レスヴォス島はギリシアの中で3番目に大きな島だ。1番目はクレタ島。2番目は本土の一部のように見えるエヴィア島。そして3番目がレスヴォス島。(ちなみに4番目はロドス島)
私はこれからこの大きなレスヴォス島内の東・北・西端の三箇所に停泊し、この島だけで約2週間を過ごしたことに後になって気付くことになる。
「翌日へ」
'04ギリシア旅行マップ
シンガポール空港でメールを打って以来パソコンを使っていないので、何か緊急の連絡が入っていないかと気になっていた。 昨日までのサモス島ではインターネット・カフェが2軒ほどあったが、造りからして閉じ込められた空間のようでどうしても入る気持ちになれなかった。
このホテルの管理人室にはパソコンが置かれていてこちらからも良く見えるので、今朝ホテルを出るとき思い切って管理人にパソコンのことを聞いてみた。もしASDNなんかでインターネットに接続していたら自分持参のパソコンに接続できてメールも出せるからだ。しかしそのパソコンを近くで見てみると使いこなしているという感じではなく、管理人はあまり自分には電気の知識がないので申し訳ないと言っているようだった。私の英語力ではその分野の会話にとてもついて行く力はなく、まして彼の方も困ったに違いない。彼はニュージーランドに住んだことがあるらしくてとても流暢な英語を話した。そしてとても背が高く長面で痩せ身、初対面の時からとてもニヒルな哲学的な印象を受け、その時どこか「ダブリン」を書いたイギリスの小説家・ジョイスに似ていると思った。
私はその足で先ず試してみようとインターネット・カフェに飛び込んだ。こちらではその手の店はビリヤード場の脇とかカフェバーの一部分として店の入り口近くに設置されているのでとても入りやすい。 シンガポール空港のように無線接続の施設がないことは分かっていた。だがメールはMac.comのアドレスを入れればWebメールを使って読めるかも知れないと半分期待して店に入った。
自分のノート・パソコンに入っているMac.comアドレスを手帳に控え、インターネット・カフェのパソコンにそのアドレスを打ち込むと………あゝ、いつも見ている画面が出て来た。そして英語と日本語の切り替え表示も出ている!よかった助かった!。この開けなかった4日間でメールが20通ぐらい来ている。殆どが業者の宣伝などだが、いくつかすぐにでも返事を出さなくてはいけない重要なものも含まれていた。 しかしこちらのパソコン内には日本語が入っていないので日本語のメールは打てない。私が持参したパソコンをこちらのどこかのプロバイダに繋ぐ方法しかないのだ。その手段を考えて早く返事を出さなくては。 次に行く大きなレスヴォス島にはその施設が整っていないだろうか。アテネにまで行けば恐らく大丈夫だろうが、それまではまだ数日間ある。
それにしても、今日ここのWindows機で自分のホームページを見た。画面が崩れてしまっている。この頃、自分のWindows機は故障していて画面の点検をしていなかった。やはりMacとWindows機、双方の確認が必要なのだ。 画面はMac機の方がずっと美しい。
今日は殆どホテルの窓から見えるヒオス・タウン港の風景を描いた。ヒオス島には世界遺産の建造物もあるが、私は古いものにはあまり興味がない。小説家・村上春樹もそのようなことをエッセーに書いていた。
「翌日へ」
| 2004年09月17日(金) |
サモス島〜ヒオス島(泊) |
フェリーの出航時間は12時なのでまた昨日行ったカフェ・バーに行く。 彼女は朝の挨拶の後に「アポ プー イッセー」(あなたはどこから来たの?)と聞いて来た。 私は急だったので、ドギマギしてとっさに「ジャパン」とそのまま英語で答えてしまった。ギリシア語でちゃんと文にして答えなくてはいけなかったのに。まだ頭の中で考えないとギリシア語は出て来ない。 彼女はウーンと了解したように頷いて店内に引っ込んで行った。 昨日がギリシアのチーズ、フェタチーズ入りのサンドウィッチだったので、今日はメニューのその隣に書かれていたトルコ風スモークチーズ入りのサンドウィッチとそれにカップチーノを注文した。こちらのサンドウィッチは日本の三角のとは違ってフランス・パンを半分に割って、その間にチーズ、レタス、トマトなどをわんさと挟み、一つ食べただけで満足する。 持って来たのはいわゆるプロセスチーズをはさんだサンドウィッチ。食べてみると日本でサンドを食べているみたいで、やはり昨日食べたサンドの方がずっと美味しかったなあ、と思う。コーヒーもやはりこちらではエスプレッソだ。カップチーノではパンチがない。
出発まではまだ随分と時間があるのでガイドブックやギリシア語を覚える為の本、手紙を書きながら2時間を潰す。そして最後にギリシア・コーヒーを飲み挨拶をしてフェリー乗場に行く。
フェリー「HEREUS号」はアテネのピレウスから来る大きな船だ。3階建ての建築物ぐらいはある。出航45分前程に着き、色々作業をしているうちに乗客たちは次々に脇の階段を登る。乗客は80人位はいただろうか。この時期、船内はガラガラだ。幾つかある大きな部屋はどこも空っぽ。船内放送がありセルフサービスの食堂が開くという。私は海からの街の様子をカメラに収めてから少し遅れて入って行ったのだが、食堂にはもう客は殆どいなかった。
ここで私は大きな間違いをする。日本で生活していたそのままの感じで料理を注文したことである。 セルフサービスだから眼前に置かれている大きなガラス張りの容器に入っている料理を次々に選んでゆく。 先ずいつも食べるギリシア・サラダ。そして二皿目に大きなトマト煮を注文。と、シェフは皿にそれを三つも入れる。これで充分かなとも考えたがスパゲッティも目に入り最後に注文。すると山盛りスパゲッチの上に並々ミート・ソース、それにチーズをたっぷりと。その次々に盛る多さにこちらで見ていて「ストップ」と言ってしまったほど。 テーブルに運ぶ全体の量を見て驚いてしまった。サラダも皿に盛り上がっている。トマトをナイフで割ってみると中からライスが溢れ出してきた。ワ〜、これならスパゲッチを注文しなくても。 私は割合に食べれる方だが、結局この料理の半分も食べられなかった。味も大雑把であまり美味しくないし、ただ作りましたって感じなんだ。これでは客が入ってないのも無理ない、と思った次第。これからは考えなくっちゃ。
船は予定3時間半のところ4時間ぐらい掛かった。ヒオス・シティはガイドブックに写真が載ったのを見ていないが実際に来てみてその大体の訳が分かった。印象は一言にいって殺風景なのである。しかし観光案内所で紹介されたホテルに向け湾岸を歩いていると意外に若者向けの店が多いことに気付く。一つ一つの店はとても凝ったシャレた創りをしているのが目につく。カフェバーにしろ球技場にしろ日本には見られない一流のセンスを持っている。
一汗流してから港の廻りを地図を片手に散歩。そしてこの街の意外な面を見ることになる。
私は地図を見て先ず町の相当部分を占めるカストロ(城壁)というところへ行ってみた。中央には教会らしき表示もある。ところが行ってみると民家が連なりそれらしきものがないのだ。いつの間にかそこを通り抜け端の海岸に出てしまった。もう一度地図を見て先方に見えている教会らしきに向かう。
「翌日へ」
'04ギリシア旅行マップ
ここサモス島はそんなに名は知れていないがピタゴラスや童話のイソップの出身地らしい。 9時過ぎにホテルを出て先ず朝食。入るに適当な店を探す。3軒目ぐらい、すごいベッピンの女店主だ。やや肉付きのいい餅もち肌で食事まで美味しそうに感じる。
フェタ・チーズ入りのサンドウィッチとエスプレッソ・コーヒーを頼むとここでは水も付いて来た。こちらの島々では水は飲めるのだろうか。 サンドウィッチを齧る。そう、このなつかしい味だ。こちらのトマトはとてもしっかりとした味覚があってとても美味しく感じる。日本のトマトのような水っぽさがない。酸っぱさが強いがそれが味覚を増幅させより料理をうまくしている。チーズとのコンビも解け合ってとても良く、コーヒーの味も抜群。さすが地元だ。 チップを余分に置いて来た。それでも全部で5ユーロ。後でよくよく考えてみると日本とさほど変わらない値段だ。
一歩裏道に入ると観光客が賑わう商店街があり高級店やスーパーマーケット等があって一見したよりずっと大きな街が広がっていた。再び海岸に出て湾に沿ってずっと南方向に歩く。海外ガイドブックで見た一枚の写真が頭の中にはあった。やや丘の上から撮影していたので恐らくあのあたりだろうと見当をつけて丘を登る。目先には大きな特徴のあるカテドラルが聳えている。
へばるほど急な階段を何度か登り、教会の方向を探るために時々建物間の隙間から上方を覗く。 そこにたどり着く間にも、いくつか街の全体が見渡せるスケッチに適した場所があった。だが絵を描くには日光が直接画面に当たって目によくない。建物などで陰になる場所を探す。
目的の教会は高い金杭の柵がしっかりとしてあってとても近づける雰囲気ではない。その下側にある民家の作業場の陰で絵具を広げることにした。 こういう誰も来ない自分だけの場所を選んで絵が描けるのは、この眼前の景色を独り占めしたような一種秘密めいた快感だ。
サモス・タウンは非常に奇麗な景観が広がる。真っ白い建物群に殆どが赤い屋根。その中に一つだけ海岸通りの中心に黄色い建物。とてつもなく良く目立つ。後で側を通って見てみるとギリシア国立銀行だった。その他行政の建物だろう、あちこち建物の入口にギリシア国旗が掲げてある。この島は昔ジェノバやベニス、トルコに占拠されていた期間が長いと聞く。美的な建物が多いのはその名残(なごり)か。
帰りには別のルートを通って下ってくる。そうするとフィアット工場のすぐ下に障害物が全くなく街の全体を眺めの良いところがあった! 残念。今度もし再びここに来ることがあったらこの場所で絵を描くことになるだろう。こういうことが経験すると言うことか。
この町は夕日が沈みあたりが暗くなると、海岸通りはしっとりとした落ち着いたリゾート地の雰囲気を醸し出す。 どこからともなく老若男女、ファミリー連れなどが散歩に繰り出して来る。さわやかな空気にお互いに身を任せ、通りを何度も往復する。それから海を見ながらレストランで食事を楽しみ、町は夜遅くまで賑わう。
この町は全体的にとても紳士的なしっかりまとまった大人の感じがする。
明日はフェリーでヒオス島に渡る。
船はこの時期は週に2度ほどの出航だが、出発前インターネットで調べた時には出港が朝10時だったところ今日チケットを購入してみると12時に変更になっていた。こういうことはこちらではしょっちゅうあることだ。船に限らず、飛行機や鉄道は発着時間だけでなく搭乗口(番線)もその時の事情により度々変わるので注意すべきだ。
「翌日へ」
| 2004年09月15日(水) |
シンガポール〜アテネ〜サモス島(泊) |
飛行機はシンガポールを予定より少し遅れて出発。アテネでの乗り換え時間があまりないので心配していたが、約10時間の飛行時間の後、アテネ エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港内で国内線乗り換えの手続きにやはり時間が掛かってしまい、足早に広い構内を標識に沿って歩き、搭乗口には出発定刻の15分ぐらい前には何とか到着することが出来た。が、係員は心配していたらしく自分の名前を呼ばれてしまった。乗客の最後だったらしい。
飛行機は乗客60人ぐらいのプロペラ機だった。だが搭乗員も乗客も慣れたもので、私は以前にイタリアからギリシャやオーストリアに行った時もこのような小型のプロペラ飛行機だったのであまり不安はなかった。 サモス島への乗客は満員だった。昨日有楽町のオリンピック航空までチケットを買いに行ったのは正解だった。今日ここではすぐに航空券を購入することは出来なかったかも知れない。約1時間の飛行。
上空から眺めるエーゲ海はとても美しい。地球は神が筆を払ってそのしずくで偶然に出来たものであろうが、本当に素晴らしいと思う。人間やその他の生物、地球上のあらゆるものが美しく、全てを愛情をもって眺められるようになった自分にこの頃気づく。
日本人は自国が山水画に描かれるように美しいと国だと思っているが、それは自画自賛だ。 このエーゲ海に浮かぶ島々の容姿はどうだろう。私は日本の自然よりもずっと美しいと思う。重なる島々はその距離や上空に懸かる雲やかすみによって色彩は微妙に変化し、点在する島々は画面のバランス上でここだと思うところにアクセントの点を打ってくれる。青絵具をさっと流したような海上に、これもまた輝くような明るい黄土色の島々。そのコントラストがいわれも言えない。まさに神技だ。それら絵画を見ながらの飛行はアッという間の楽しみだった。
サモス空港にはバスの時刻表もない。サモス・タウンまではタクシーを使うことになる。これも観光客目当てに島の経済を支えるための収入になっている地元の方針だろうか。以前イタリアのタオルミーナなどでも同じような事を感じたことがある。
町の中心まで「地球の歩き方」でタクシーは約8ユーロとなっていたが、荷物を2つ積んで16ユーロ取られた。値上がりしたのだろうか。適当な中心街らしいところで降ろしてもらい、あたりの様子を見ることにする。
港の真っ正面に高級そうなのが一軒見えるがそこは素通りして、別の、さも申し訳ないと言いそうな広告板の見えた奥の方に入ってゆく。 しかしその標識は不親切だった。その方にずっと行くが見つからず、引き返してもう一度広告板を見て今度は90度左の坂を上る。そこに一軒見えるがさっき見た広告のホテルかどうかは分からない。おそらく別のホテルだろう。が入口前の庭でやさしそうな親爺さんが孫をあやしていたので声を掛け、そこに入る。とにかく早く落ち着きたかった。
若女主人がやって来て部屋を見せてもらい、ここに2泊することにする。1泊20ユーロだった。(日本円で約3000円)
シャワーを浴びて窓から外を見た。白い建物が輝いている。空気はカラッと乾いた硬質のものだ。そう自分はこの空気感を求めてギリシアにやって来たのだ。
ベッドに少し横になる。とても気持ちがいい。 睡眠不足もあって疲れていたのだろう、そのまま眠りに落ちてしまった。気がつくと真夜中の11時だった。
'04ギリシア旅行マップ
| 2004年09月14日(火) |
シンガポール空港にて |
今日から47日間のギリシア旅行に出発。目的地はいずれもトルコ沿岸に近い東エーゲ海の島々とその南に位置するドデカニサ諸島。それにサントリーニ島とアテネ。
只今シンガポール空港でアテネ行きの飛行機搭乗待ち。
昨夜はどうしても出さなくてはいけない手紙を書いたりしていたので旅の準備とで一睡もする時間がなかった。でもこうして空港でパソコンを打っているのでまだ大丈夫みたい。
今朝、自宅を6時40分に出る。成田までは電車でおよそ40分。なんとか計画通り空港に到着。
飛行機はシンガポール航空で成田を9時出発。シンガポール3時到着。飛行機内の印象はなかなか良かった。日本航空やイニタリア航空と比べ少しも遜色ない。食事も美味しくて満足の行くもの。印象的だったのは搭乗員がとてもすばやく動いていて(少しセカセカした感じがなきにしもなかったが)良い意味で活動的な感じがした。
シンガポールには3時に到着したものの、今度のアテネ行きは真夜中の1時。それまで何と9時間余りある。その間シンガポール市内観光も出来るのだが、面倒なので空港内で読書でもしてと考えていたのだが、5時間ぐらい経ぎるともう飽きてしまった。 空港内にはパソコンがあちこちに配置されていて皆はそれに集まるように群がっている。私も空いてるパソコンを見つけて使ってみるが契約しているプロバイダーが日本とは違うので打ち込めない。しかしまだあまりにも時間に余裕があるので別の場所に寄ってもう一度打ち込んでみる。 色々試しているうちにこの場では特定のプロバイダーに契約しているメンバーでなくては駄目みたいだが、我々のような場外の人間はクレジットカードでお金を支払い臨時に特定プロバイダー経由で使わせてもらう。これがインターネット・カフェの商売目的だろう。1時間9ドルなので1,000円というところか。 VISAカードでは駄目だったが、予備に持って来ていたMasterカード番号を打ち込んでやっと自分の持参したノート・ブックがワイヤレスでプロバイダーに繋がった。 そしてこうして時間を退屈せずに使えるのだ。 海外でパソコンを使うのは初めてだから、これからヨーロッパでどうなるか楽しみ。この長い47日間の旅のうち、どのくらい書いてゆける条件が整っているのだろうか。
とにかくこうして筆記してゆく。文章を修正するのは帰国してから。
(次の日に進むには上にある NEXT をクリックして下さい。)
| 2004年09月12日(日) |
李 禹煥「余白の芸術」 |
李 禹煥「余白の芸術」
これも私が愛着をもって見させてもらっている「木版小僧」さんのホームページの日記のなかで、彼が東京に出かけた帰りにとても久し振りに高価な本を購入し、毎日この本を読んでウーンと考えさせられている。というようなことが書かれていた。
http://mokuhankozou.cool.ne.jp/
日記の中には直接この本の題名は書かれていないのだが、前後の記述から画家の名が推測され、この画家が著した高価な本ということで図書館の蔵書を調べたところ3年前に発行された(この画家は日本いや世界でも通の間ではとても知られ、私にとってもとても好きな作家だが、著書は数冊しかなく、高価な本(4,500円+税)はこの一冊しか著していないので100%間違いない。)この本に突き当たった。
そして中央図書館に蔵書があるのが分かったので(買わないで申し訳けないのだが)早速借りに行って来た。 だが他にもギリシア関係の本も多く借りたので、この本だけが最後まで読まないで残り貸出し期日を延期してもらってギリシア出発間際の昨日、東京への電車の中で本を広げた。
読み始めて私の心中にもただごとではないものが起き始めた。 私も絵を始めて20余年になるが、その間にいろいろ試行錯誤してきたこと、その回答のようなものが文章のあちこちに散りばめられている。今になって分かることかも知れないが、もっと早くこの本に出会っていたらそんなに迷うこともなかったのにとか、とにかく私を後押してくれて力付けしてくれるようなものばかりだ。やはりウンウンと頷いて読んでいる自分に気づく。 自分の道を行く芸術家はすごい。それ故にあんな素晴らしい作品が生まれてくるのだ。
読み終えたのはまだ本の半ばぐらいだが、11月まで帰国しないので、とにかく今日の5時半までに返却しなくてはならない。 そして帰国してからもう一度借りに行って来よう。
私の使っているカバン・メーカーにアメリカ製品TUMIがある。 最初に購入したのは初めて海外旅行イタリアに行った時だから、もう十数年前になる。 その時も旅行用に便利なものがないかとアチコチ探した。しかしこれと言ってなかなか自分の 気に入ったものがない。特にデザイン、使って気持ち良く抵抗のないものが少ない。
そのなかでデザインも良く考えられ、素直に気持ちに入ってくるものがあった。TUMI製品である。 造りもなかなかのもの。形もシンプルで私好みだ。 しかし価格もたいしたもの。一般の平均的な製品の倍ぐらいは軽くする。 他に何かないかと いろいろ探したがどうしても見つからない。
少し予算オーバーだがTUMI製品を思い切って購入することにした。
それ以来、海外に出かける時、国内旅行でも大体の時には使わさせてもらっている。しかし全然 飽きることがない。錠や引き金の金属部分の黒塗装が剥げて製品の年期が少し感じられるが その他、布地の本体は何の問題もない。これを買って本当に良かったと思う。
そして今度の旅行で、デジカメを入れ気軽に取り出せるバックパックのものが欲しく、又TUMIを 購入する。横浜そごうで偶然に製品を見てしまったのである。 しかし定価格は7万円近く。欲しいがちょっと高くて考えもの。 もっと何とか安く購入出来ないものかとインターネットで探してみる。
すると店数は少ないが、何店かもっと安く買うことができることが分かる。そして購入。 結局、定価の1/3、2万円以上安く購入することが出来た。手に持ってみて本当に良い製品だと思う。 とても満足していて今度の旅行の使い勝手を楽しみにしている。
しかし他に一つだけ問題があった。スケッチブックを入れるだけの大きさが鞄にないのである。
ギリシア行きを決めて以来、色んなギリシアに関する資料を読みあさっている。アテネ・オリンピックも終わり、いよいよ本格的になってきた。 今、村上春樹の「遠い太鼓」を読んでいる。その著書中の「レスボス島」の章にこんなことが書かれている。
何もやることがない、というのは我々のようなオフシーズン・トラベラーにつきまとう宿命である。秋や冬のギリシャはとても素敵な場所だ。旅行者は少なく、人々は親切で、物価は安い。ホテルはがらがらで、どこに行っても静かである。気持ちものんびりとする。しかしやることがない。夏ならやることは実にいっぱいある。ビーチで泳ぎ、女の子を眺め、日光浴をして、ビールを飲み、グリーク・サラダを食べながらわいわいやっているだけで、それこそあっというまに一ヶ月が過ぎてしまう。………
まさに自分のギリシャ行きの目的の狙い目はこの文章の中に書かれている。秋の静かなのんびりとしたギリシャ。ホテルも自由に取れて美しい景観を自分の独り占めに出来る。それらに心を振るわせながら自分の気に入った景色を求めて次々にスケッチしてゆく。これほど嬉しく楽しいことはない。
レスボス島については数日前、川政祥子著「ギリシャ 愛と詩の島」を読んだ。著者は瀬戸内海の島に生まれ、大学を卒業して間もなく女流詩人サッポーに惹かれて詩人の生まれた島はどんなところだろうとレスボス島を訪ねる。それから何回となくこの島に通うことになる。 この本の中で明け方に船でこの島に到着するところの描写が特に素晴らしく興味を引かれる。 私はこの本を読んでから最初に組んだアテネからクレタ島のハニアに飛行機で入り旅を始めるという計画を、このように船でレスボス島を含む東エーゲ海の島々を先ず回るという計画に変更してしまった。 アテネ空港からそのままサモス島まで飛行機で渡り、そこから東エーゲ海の大きな島四つを船で訪れて行く。その後にクレタ島に飛び、ロドス島からドデカニサ諸島を順に廻って行くというのが今度の旅程計画だ。
時間が残ればイタリアの田舎にも足を運びたいと思っているのだが、どうなるかは行って行動してみなくては分からない。
9月1日、10日は日本でもっとも台風が通過する日として子供の頃に覚えていたが、この頃は首都圏に生活を持ってからすっかりその事は記憶の外にあったが、9月1日のその日、田舎の叔母から電話が掛かって来た。実家の納屋の屋根瓦が飛んだ状態になっているが、どうしたものだろうという相談だった。 この間の10号では幸いに被害が出なかったのだが、この16号は九州側を通った為に台風の目の右側に位置する我が故郷は強風がまともに当たってしまった。大部分の家の瓦が吹き飛ばされた状態になっていて、村中その修理に男手が引っ張りだこで大騒ぎになっているということ。 私もすぐにでも飛んで帰りたいところだが、旅行の前、抱えている仕事をすべてやっつけなくてはとても出られない状態だった。どうしようか迷ったのだがすぐに帰るのは無理なので叔母に任せる他になく、旅行から帰り次第田舎に帰るからそれまでどうにかして待って、としか答えられなくとても申し訳ない気持ちになった。
それにしても今年の台風の多さはどうだろう。今年の夏の猛暑も只事ではなかったのだが、この台風もそうだ。最近ニュースなどでも地球の温暖化が騒がれている。人間の自然を全く顧みない暴挙が原因の一つであることは間違いないだろう。
|