rioshimanの日記
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| 2004年09月30日(木) |
レスヴォス島・シグリ 〜 ミティリニ(泊) |
あまり寝られなかった。夜遅くまで出発の準備をし、そして5時には起きるようにずっと時間を気にしながら。
6時10分前頃から今にバスがやって来ないかと、ベランダから身を乗り出して停留所を睨んでいた。
6時にはバスらしき姿は現れなかった。夜は明けてなくてまだあたりは薄暗い。停留場あたりに何か得体の知れない大きな物体がある。もしやバスだったらと気になり、部屋をそっと抜け出して何があるのかと見に行く。荷台の上に大きなヨットを乗せた乗用車だった。
やはりホテルの主人の言った7時発の方が正しかったのか‥‥。
部屋に戻りベランダの椅子でウトウトし始めた時、右方から大きなエンジン音がやって来て、その物体はバス停の前でゆっくりと回転した。
「バスだ!」 とっさに私は3階から階段を転がるように駆け下り、その車に走り寄った。暗い車内には運転手と前ににじり寄るように座っている数人の客の顔が見えた。
「このバスはミティリニに行きますか?」 「そうだ。」
「何時に出発しますか? 7時ですか?」 「いや、今だよ」、「今すぐに出発するよ」数人の乗客が口をそろえて言った。
「えッ」私は焦ってしまった。「待ってもらえますか、急いでホテルから荷物を取って来ますから。いますぐに!」
「いいよ、待っているから」
出発されたら大変!と、また夢中で3階まで駆け登り、荷物を引っ提げてドタバタと階段を走り転げてバスに乗り込んだ。恐らく2階で寝ているホテル管理人が私のただ事でない足音にビックリしているだろうな、と感じながら。
バスはすぐに発車した。腕時計を見ると6時15分だった。いったい正しい発車時刻はどうなっているのだろう。とにかく乗れて良かった、助かった。このバスを逃すと又タクシーでミティリニまで一万円以上を使って戻らなくてはならない。この地シグリに来るには行きも帰りも本当に大変だったなぁ。
間もなく日が昇り初め、外が明るくなって周りの景色が楽しめるようになった。途中で南から来るバスを待合わせのための停車。前方はるか山頂には小さく修道院が小さく見えている。後席に座っていたおばあさんがそちらに向かって大きな声でお祈りを始めた。乗客の皆も手を合わせ数分間お祈りをする。
この大きくうねった風力発電用風車がずらっと並んだ風当たりの強い山道を通るのも、モリヴォス宿おじさんのオートバイの後ろにしがみついて通った時から4度目だなと感慨深い。一度通ると忘れられない特徴ある路だ。
ミティリニのバス営業所に着くと、そうだこの際だから正確な時刻を見て置こうと掲示板を探した。少し見難いがちゃんと時刻が書き込まれていた。 シグリ──ミティリニ行きバスの、シグリ発は‥‥え〜と。 6:15(月、木)とハッキリ書かれていた。夏のバカンス・シーズンにはバスは毎日走っているらしいが、観光客が少なくなるこの時期になるとある日を境にガラッと時刻表が全く違ったものになる。ここではこれが現実だろう。
宿は前回泊まったホテル系統のレンタル・ルームを借りた。ホテルにパンフレットが置かれていて地図も付いていたから見つけるのは楽だった。しかしレンタル・ルームはホテルに比べ大分質が落ちる。そのことは今回の旅で随分と思い知ったことだ。まあ各宿によるものかも知れないが概して言えることだ。
ミティリニの街は一応必要品は何でも揃っていて、充分に楽しめる要素を備えている。人口は10万人位か。
部屋に落ち着いて身支度をした後、午後からタクシーを利用してミティリニ郊外にある、印象派画家の版画やデッサンを沢山集めたテリアード美術館とギリシアのルソーと呼ばれる素朴放浪画家セオフィロス・ハジミハイルの作品を展示したセオフィロス美術館を訪れる。運転手は正確な所在地を知っていた。到着した時は丁度昼休み時間に当たっていたので余った時間その周囲を散策したのだが、なかなかの高級住宅が集まっている。
テリアード美術館はよくこれだけの作品が集まったものだと思うほど見るべき作品が多かった。テリアードはこれらの印象派画家とは直接的に交際があったようだ。素朴画家作品展示のセオフィロス美術館の方は今日が今年最後の開館で滑り込みセーフの閲覧だった。
ギリシアはどこに行っても猫が多い。足にまとわれて困った時もある。この美術館のまわりには特に沢山見かけた。
「翌日へ」
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