rioshimanの日記
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| 2004年09月19日(日) |
ヒオス島 〜 レスヴォス島・ミティリニ(泊) |
朝5時。アテネのピレウスから遥々やって来たフェリーが今このヒオス港を出航した。私のホテルからはちょうど眼前に桟橋のその様子が良く見える。あの船が私がギリシアに来る前に日本で読んだ本「愛の島 レスヴォス」の著者・川政祥子氏が、毎年のように乗船してレスヴォス島に向かう船なのだ。 レスヴォス・ミティリニには朝明けに到着し、その時の雰囲気がとても良く描かれていた。
私の乗る10時発ヒオス島出航予定のフェリーは約5時間後、明るくなってからゆっくりと同じレスヴォス島に向かう。
私はそのレスヴォス島に向かう船上で、それまでに滞在していたヒオス島のことを考えていた。この島にはギリシアに来て最初に滞在したサモス島とは全く異なった破天荒なものを感じていた。
フェリーボート発着所のすぐ後側に位置する城壁跡には昔からの古い家屋がそのまま建っている。その半分位が崩れかかった家だ。その大部分は人も住んでいなさそう。ホテルも名前だけあって営業していない(この時期だけ?)。夏にはリゾート客で溢れ出した客が安く泊まるのかも知れない。 教会にたどり着くにも迷路のような細い路をくねくねと廻る。小さな民家が細々と自分たち仲間同士で家を手直ししているのが見える。 やっと教会にたどり着いた。柵戸は閉じている。横に回り込むと一カ所ドアが開いており、そこから忍び込むように中に入る。とても古い。今も現役で機能しているのか。本当に骨董物だ。 側に何百年も経つだろう古木が立っている。周りには遺跡らしい石を積み上げたものが散らばるようにあちこち頭を出している。それらも全く手を付けていない。放置したままのようだ。 その城壁区画を離れると、今度は騒音に包まれたバイクや自動車が走り回る街並に一転した。次々に左右から走ってくる車によって道を渡ることも出来ない。
市民公園を中心に繁華街が広がっていて若者向きの店が軒を並べる。海沿いから道一つ二つ中に入ると食料品、電気製品、ファッションなど現在の庶民の品々。最初この町の港に降り立った時に受けた印象とは大違い。
それにしてもホテルの数は少ない。私が Tourist & Travel Office で紹介を受けたホテルは中年の男性一人が管理している部屋数5つぐらい。客が来ない間はいつも分厚い本を読んでいた。私にあまり英語力がないものだから、お互い話し合いが出来なく本当に残念だったが。 (ホテルは海側でなく、一つ通りを入った繁華街に集まっていた)
この町でもう一つ強く印象を受けたことは若者に文化を牛耳られているということ。真夜中でも若者がオートバイのマフラーをはずして我が物顔で街を走り回っている。道路のあちこちで警笛をパーパー鳴らしながら突っ走る。 私の泊まったホテルは一階が盛り場になっていて、夜遅くまで騒ぎ、早朝4時頃だというのに平気で車の警笛を鳴らし友人を呼んでいる。他人の迷惑を考えないのだろうか。
◆
約3時間の渡航の後、眼前にレスヴォスの島が見えてきた。とてもゆったりとしたおおらかな山々の稜線が広がっている。女性の体の曲線をイメージさせ、わたしの心も段々と穏やかになって行くのを覚えた。
 レスヴォス島はギリシアの中で3番目に大きな島だ。1番目はクレタ島。2番目は本土の一部のように見えるエヴィア島。そして3番目がレスヴォス島。(ちなみに4番目はロドス島)
私はこれからこの大きなレスヴォス島内の東・北・西端の三箇所に停泊し、この島だけで約2週間を過ごしたことに後になって気付くことになる。
「翌日へ」
'04ギリシア旅行マップ
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