rioshimanの日記
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シンガポール 05:30 着
日本へのおみやげを買うために香港ドルに両替したが、おつりが手元に残り反省。 こういう時にはクレジット・カードを使うのが最上の方法だと分かる。 次から外国での買物はクレジット・カードをなるべく使用するようにしよう。 手元に確実に領収書も残るし。これも経験から学んだこと。
シンガポール 09:05 発 〜 成田 16:55 着
帰宅 18時頃
| 2004年10月29日(金) |
アテネ 〜 帰国途上(機内泊) |
ゆっくりと身支度をしてホテルは11:00にチェックアウト。
昨夜、食事をしたチャイナ・マックの側を通り、シンタグマ広場までは徒歩10分弱。
広場の地下にあるシンタグマ駅からギリシアの玄関口 エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港まではライン3に乗り一直線、本当に便利になった。 今日は最初にやって来たのが普通電車だったので途中駅で乗り継ぎとなった。それでも空港まで迷うような心配は全然なし。 ゆったりとした電車は広々とした自然郊外の中をまことにしなやかにスムーズに走る。
アテネ空港はとてもさっぱりとした印象。前回ギリシアに来た時には出発空港で沢山の売店の記憶があったが、よく考えてみるとこの時はイタリアに渡り、ベニスやトリエステ、チンクエ・テッレ等を廻りミラノ・マルペンサ空港から飛び立った為で、ギリシア・アテネからの出国ではなかった。アテネ空港と豪華なミラノ空港の規模差は予想以上に大きい。これは素朴なギリシア人と商売上手なイタリア人との国民性の違いが良く出ているようだ。
アテネ 14:00発 〜(シンガポール 翌05:50 着予定)
 上写真はアテネ・フィロポスの丘からエーゲ海に面したピレウス港方向を眺める
'04ギリシア旅行マップ

朝、ホテルから飛び出すと辺りは異常に静かかと思えば、市の中心地は完全に交通規制が敷かれていた。国家の偉い人がやって来るのかと思って待っていると、やがてやって来たのは‥‥‥‥
卒業行進だろうか、意気揚々と両手を高く上げ、自信に満ち胸を張って歩いている。道の両側には家族連れがわんさと取り囲み、拍手を送り、我が子の晴れ姿をカメラやビデオに夢中で収めていた。行進はチビから大人まで(犬も)、およそ100団体ぐらいか、約1時間に亘って途切れも無く続いた。
◇
それからリカヴィトスの丘まで徒歩で向かい、ケーブルカーで登る。その登山駅から一人旅をしている日本人20代女性らしきを見かけ、頂上の見晴し台で話をする。下りは徒歩で回り道、そして登山駅そばで見かけた陶芸屋さんに寄り、日本へのお土産用ギリシア壷5個を選び、日本への郵送を依頼する。(この壷は何と帰国3ヶ月後に自宅で受け取ることになる)
丘を降りてから次のスケッチ場所「フィロポスの丘」までタクシーで駆けつける。この丘は前回アテネを訪れた時、アクロポリスを描くのに適した場所をあちこち歩き廻って、最後にたどり着いた私のお気に入りの場所である。丘を登り、前回と同じ場所に再び立ってアクロポリスに対面し、スケッチ・ブックを拡げる。
| 2004年10月27日(水) |
サントリーニ島 〜 アテネ |
 空港行きバス/発 11:00
ホテルからバス停留所までは街の中心地なのだがメイン道路は直径3cmぐらいの丸石をセメントで固め、表面は凸凹していてその上を転がして行く荷物にはとても都合が悪い。このような車輪のついた荷物がこの世に出る前に出来た道路なので文句の言いようもないのだが。我慢して100mぐらいガタガタと引っ張って行く。バスは空港まで40分ぐらい。客の多くは後からタクシーで駆けつける。
サントリーニ空港/発 14:20 エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港/着 15:05(飛行時間 約45分)
 エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港からアテネ市内に通ずる地下鉄は今年のオリンピック時のために開通し、快適そのものだ。前回やってきた時には、まだその面影もなく、中心地のシンタグマ広場まで一時間ばかりのバス運行だった。 その地下鉄車両のデザインはこれまたとてもシャレている。日本の電車なんか比じゃない。こちらは公共のものとくれば中途半端なものは造らない。車内は広々としているし、本当に乗客に対しての快適さを追求している。プラットホームも人間工学に沿って設計されまことに気持ちが良い。自然に車両の中へと入ってゆける。
ホテルは市の中心地シンタグマ広場の近く、駅から荷を曳き地図をたよりに探して歩いて行く。 だが日本から持ってきたガイドブックの地図はあまり親切ではなかった。非常に見難く目標をつけて行ったのだが、なかなか肝心のホテルは見つけられない。地図では駄目なので店の人に訊くと親切丁寧に教えてくれる。結局通りが一つずれていたのだが、明らかにガイドブックは見る人の心理は考えないで自分の都合だけで作成している、というのはMAP誌面がとても混んでいるのでホテル名を入れるスペースが位置そばに取れず、とんでもない場所に細い線を引っ張って(その線が又どれとどれを結んでいるか良く判らない)書いている。よくよく思考してみないとホテルの名前とホテル場所が結びつかないのである。
この旅最後の2日間、アテネのホテルだけは日本から予約していた。巾約5mの道路から少し奥に入った、とても静かな、なかなかシャレた建物だった。私はシャワーを浴びるとポケットに地図をしのばせてアクロポリス下のプラカ旧市街に繰り出した。大体の地図は前に訪れた経験から頭の中に入っている。 先ず日本への土産物を見つけるのが目的だったが、この日、大体の主な通りをずっと廻ったがその要求にかなう店はとうとう見つけられなかった。(ほとんど庶民向けの平凡なものを並べている店が多い。金銀など装飾品は別。)
'04ギリシア旅行マップ
| 2004年10月26日(火) |
サントリーニ島(4日目) |
イアでスケッチ サントリーニ島の北端に位置するイアの町はそんなに大きくはない。だが夕日が美しいことで良く知られ、観光客が多く訪れる。
 前回に訪れた時には、適当なスケッチ場所を探してあちこち回った。 ここには、こじんまりとした教会やかわいいお店がたくさん集まっていて写真のモデルとしてはとても面白いのだが、スケッチ場所となると少し考えなくてはならない。
そのうち、人の住んでいない家の、海がよく見渡せる好都合の庭を見つけた。そこに置いてある岩の上でスケッチしていると‥‥‥ おじいさんが一人のこのこと帰ってきた。私は「すみません」とあいさつする。おじいさんは私を無視して家の中に入って行った。やがて営業マンが後からやってきて盛んに大声で討論をしている。ギリシア人はとても討論好きだ。田舎の方に行くと特に女性が元気。男性よりもその甲高い声はよく響いている。
今回もその気に入った場所を最初に目指した。やはり人の住んでいる気配は全くなかったのだが、やがておじいさんが帰って来た。今回はさすがに気まずくおじいさんの家の屋根上に場所を移動してスケッチを続けた。
 夕焼けを見に島端に行くと東洋人の元気な団体に出会った。中国語を話していたから香港等の写真学校の生徒だろう。中国の人もここまで来るようになった。 撮影課題を与えられているのだろう、20名ぐらいの生徒達は皆カメラを手に持ち、熱心に風景の撮影をしていた。私もその中に加わり、久し振りに学生に帰ったような気分。100枚ぐらいは撮影した。とてもギリシアらしい象徴的・印象的な写真が撮れる。 夕日時には西端の岩上は蟻のような人群れが出来る。
帰り道、タングステン光に照らされた店頭の品物が窓越しに見える。空のブルー色に対比し、とても温かく幻想的な気分。
| 2004年10月25日(月) |
サントリーニ島(3日目) |
サントリー二島の中心街フィラの町からイアに向かう途中に(飲涎の)天国のような場所がある。
 前回にこの島を訪れた時、私は無謀にもフィラからイアまで野を超え山を超えて自分の足で歩いて行った。バスで行けば1時間足らずで到着するのだが、確か4時間ぐらい掛かったと思う。これも途中にはどのような場所があるのか実際にこの目でみて確かめてみたいからだった。この方法は正解だった、というのもこの間にバスに乗って行けば決して知り得ない、恐らくこの島で一番素晴らしいだろう場所を知ったからだ。ギリシアの観光ポスターになっている景色もこの地域のものが多い。
お昼に次のホテルに引っ越しをした後、私はすぐさま前回にたどった道を再び歩いてこの印象的な場所を目指した。
フィラの繁華街を過ぎると途中道左脇は絶壁になっていて眼下に青々とした海が広がる。教会やレストランなども多く、観光客には絶好の散歩道となっている。通行人は時々会う人に挨拶をしながら景色を楽しみながら歩く。登り坂は段々ときつくなってゆく。各家々は思い思いにギリシアの壷やブーゲンビリア、セイヨウシャクナゲなど沢山の花で飾られていて通行人の目を楽しませてくれる。 この地域は街の騒音からも遠く離れていて他から邪魔が入らず、エーゲ海の輝きと時間の流れを純粋に味わうことが出来る。1ヶ月ぐらい何も考えないでここで過ごせればどんなにいいだろうと空想する。(いや、実現出来るかも知れない)

私はいつかこの場所を訪れた時に是非泊まってみたいホテルを歩きながらひとつづつチェックしてゆく。その数は両手の指で数えきれないぐらいで、この場所に建っているホテル全てが該当しそうだ。その中で最も開放的な一つのホテルの側でスケッチを始める。 間もなく11月になろうというこの時期、ホテルはもう恐らく営業していないだろう。まことにひっそりとしていた。客の気配は全くしていない。 しばらくして一人の中年男性がゆっくりと私の側を通り過ぎ、入口の柵を開けて中に入って行った。このホテルの経営者らしい。一旦受付らしい部屋に入って行ったのだが又外に出て来て私と平行してエーゲ海をじっと静かに眺めている。

| 2004年10月24日(日) |
サントリーニ島(2日目) |
 ホテルの窓から外に見える海の景観は最高だ。ベランダは少し狭くてスケッチするにはベランダに備わっている椅子では大きくて窮屈なので部屋内にある小さな椅子と入れ替える。そして存分にスケッチをと行きたいところだったのだが、上からの日差しはどんどんと変化し、朝方は空気に冷たささえ感じて一旦長袖に着替えたのだが、昼間になると今度は直射日光や海のキラキラ輝く反射照り返しがとてもキツくスケッチどころではない。体にぐったりと疲れを感じてベッドに横になるほどだった。
だがこのサントリーニ島での憧れのエーゲ海と隣り合わせの生活、何と贅沢なことだろう。
このホテルには2度目の停泊で安心感はあったものの、今回も何かと気を使うことがあった。自分の英語のボキャブラリーが少ないこともあってか細かい指示が受付嬢に伝わらない。前回にも同様なことがあった。係員は努力してくれてるという様子が分かるのだが。
昼間は少し周りの表情を見る為に外に出ただけで今日一日は殆どを海を眺めながら自分の部屋で過ごした。それがこの島で最大価値を独り占め出来る一番の方法だった。しかし絵は出来上がらなかった。
夜、日本へのおみやげに以前に買った事もある私のお気に入り陶器屋に足を運ぶ。サントリーニ島に来ようと思ったのもそれが主な目的の一つだった。ギリシア広しと言えどもセンスある店はアテネとサントリーニ島が一番だろう、他の場所にまだそれらを見つけていない。
店主は私の顔を覚えてくれていた。そこでギリシア・エーゲ海を思い起こさせるブルーのお皿5個を購入。日本に直接送るための郵送料は製品価格の半分以上にもなることも分った。外国への郵送料は大変高いと聞いていたが、全体の製品価格が日本より割安なので気に入ったものは郵送してでもそう高くはなく、それでも欲しいと思う。
おみやげの数は最初の計画では10個、いや少なくても8個は欲しいと決めていたのだが、私が気に入って購入したいと思った商品は5個しか見つけられず、残りの分はアテネで見つけられればいいなと思っている。
| 2004年10月23日(土) |
ロドス島 〜 サントリーニ島 |
この時期ロドス島からサントリーニ島に渡るには直行便がないので大変だ。飛行機で一旦アテネ近くのエレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港まで飛び、そこから同じ道を引き返すような形でサントリー二島まで飛ぶことなる。
エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港行きは14時15分出発なので12時頃に飛行場に着くために11時にはホテルを出てバスに乗ろうと思っていた。部屋を出たのは10時半。ホテルをチェック・アウトの時、受付の人からブレック・ファーストは取らないかと言われた。このホテルには朝食が付いていたのだ。価格から判断してないものと思っていた。
バス停に着いて係員に乗車券をどこで買うのかと訊くが「On Bus」と素っ気ない返事。この"Bus"という言葉の発音も何語だか分らぬ中間の発音で、我々日本人にはそれが「バス」だと英語で言っていると判断するまではちょっと時間が必要だ。
掲示されている時刻表を見て目的のバスが来るのを待つがなかなかやって来ない。しびれを切らしてもう一度時刻表を確かめてみる。同じような内容の時刻を書いた紙がずらっと横に4枚貼ってある。上に書かれているタイトルを見てみると曜日の様な文字も入っている。「しまった、今日は土曜日だった!」一番左の紙に標示されているのは "Kyriaki"の日曜日。次の紙が "Sabato"と書かれている土曜日だ。「あっ、やっぱり来ない訳だ」11:00の次は12:20だ。今は11時30分。次のバスまではまだ1時間近くもある。タクシーで行くか、でも次のバスで行ったとしてもまだ何とか搭乗には間に合いそうだ。ロドス空港はここから割合に近くにあるのを知っていた。その待ち時間はまた港に行ってスケッチでもしよう。
今度はハガキの色づけまでは行かなかった。バスではこれまでのことがあるからちょっと弱気になっていた。12時を過ぎるとバスのことが気になりだした。もう引き上げよう、今度こそ失敗はしたくなかった。バスは定刻前に目的地を前面電光版に標示してやって来た。空港へはパラダイス・ビーチ行きバスに乗り、途中で降りるのだ。12時20分定刻のところ12時28分にバスは発車し、降車すべき空港前までは約30分かかった。
14:15 ロドス空港/発 15:15 エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港/着
搭乗したAEGEAN(エーゲ文明の)航空はとても感じが良かった。「地球の歩き方」にもそのことは掲載されていたが本当だった。
アテエレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港では次のサントリーニ島行きまでPassengerのための部屋で待機。ここはただの部屋だけで何の売店もない。出発まで時間があるのでこの日記をパソコンで打つ。サントリーニ島への乗客は20名ぐらい。
17:00 エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港/発 17:45 ティラ(サントリーニ)空港/着
サントリーニ島、田舎の空港に降り立つ。そこからフィラまでタクシー。飛行機内で知り合った日本人女子2人連れにタクシーの同乗を誘ったがホテルから迎えが来るとの事。インターネットで探した安宿のプリントを見せてもらった。2人部屋で一泊30ユーロ弱、とても安い。探せばそういう安宿もあるものだ。(数日後、道を歩いているとその名のホテルを偶然見かけた。だが明かりが灯っていなく人が住んでいるような気配は全く無い。あの女(ひと)達はどうなったのかと心配になった。)
タクシーの運ちゃんにどこのホテルに泊まるのかと訊かれた。まだはっきりとは決めていなかったが以前に泊まったことのあるホテルの名を言った。サントリーニ島に4日間泊まる予定だが、最初の2日と後の2日を別のホテルにしようと思っていた。好奇心から別のホテルにも泊まってみたいのである。
安心感から先ず前回宿泊した(2001年)パノラマ・ホテルに私の足は向かった。ホテル料は前回とおよそ同額の1日約一万円。海に面しているホテルはどこも宿泊料は割高だ。その中でも手頃なところ。でも部屋からのエーゲ海の眺めはそれは素晴らしい。部屋から絵を描くので価格は絵のモデル代と考えればそれほど高くはない。今度は前回に泊まった部屋の隣部屋になった。窓を開けると3年前ここに来て感激した夕日の光景がそのまま同様に私を迎えてくれた。
夜スーパー・マーケットに買物に行くついでに次に泊まるホテル下検分をする為に少し辺りを廻った。海の見えない場所には安くて良いホテルがゆったりした土地の上に建っている。それらの一つに2日後には移動しよう。これからも長い付き合いとなるだろうこの島の知識を少しでも広くしていたい。
考えてみると飛行機で来たサントリーニ島はあっという間だ。しかし初めてフェリー船でこの島に到着し、島の頂きに真っ白に雪を被ったように家々が建っている姿を見出した時のような感激はとても味わえない。この島を訪れるには、一度は船による海からの上陸を皆に薦めたい。
'04ギリシア旅行マップ
ロドス・シティ旧市街・新市街探索
今日はこれまで夜にばかり廻っていたロドス・シティを太陽光のもとに見学することと、 観光地としてとても有名な旧市街内に足を運んでこの町全体の概要を知ることにする。

 先ず泊まっているホテルから東に向かいマンドラキ港に出る。
そこから北に進むとドデカニサ県庁の建物が建ち並び、大きく他を威圧するように居を構えるカジノ・ロドスを通り過ぎると‥‥‥
ギリシアでも最高級リゾート地と称する、たくさんの高級ホテル群を従えた海岸が北岬をぐるっと周り、延々とロドス空港あたりまでその国際リゾート地はずっと連なっている。
もう11月近くだというのに海岸にはまだまだ海水浴をたのしむ観光客たちの姿が沢山見える。
海水浴場を見渡すように道を挟んで高級リゾート・ホテルが立ち並ぶ。
◇
午後からは世界遺産に指定されている旧市街に向かう。
 旧市内は想像していたよりもずっと隅々まで手が行き届き、奇麗だった。おみやげ屋が軒を並べ、観光客がたむろし思い思いに楽しんでいる。このような雰囲気の好きな人はこの旧市街に宿を取るのがベターだろう。だが私の場合はそうではなかった。 城壁に沿って裏町もずっと見て歩く。手頃な宿ばかりでなく、素敵なホテルもあちこちに見かけられた。
◇
帰りがけに今まで明日のサントリーニ島への便はどうしようかと色々と迷って来たが、外から見て仕事の出来そうな一つの旅行会社に入ってみる。この市内には行くところにフェリーや飛行機の標示の旅行会社を沢山見かける。店員の説明でこの時期、やはり飛行機で一旦アテネ空港を経由してサントリー二島に飛ぶ方法しかなくその場で航空券を購入した。
古代都市「リンドス遺跡」を見学
日本でガイドブックを読んだ時、ロドス島に行った際には是非訪れたいと思っていた「リンドス遺跡」。
朝起きて今日は先ずはこのリンドスに行こうとバス停に足を運ぶ。今までの感覚でこのあたりの時間に行くとうまくバスの時間に間に合うだろうと停留所に行くと運良く発車時刻10分前だった。このロドス・シティからリンドスへのバスの便数はコス島のケファロスに比べずっと多い。観光客の数の違いだろうか。何せロドス島はギリシア3番面目に大きい島だから。(バス代 片道3.4ユーロ)
バス内は軽い服装の人が多く、海水浴場が目的なのだろう、手前のパラダイス・ビーチで下りる人もいた。 バスはあちこち街に寄り道しながら島の南西に向かって走る。バスの外には美しい自然が広がり、窓から見える景観は開放的な気持ちになりとても気持ち良い。
目的地が近くなってふと右後部席を見ると日本人らしいカップルが座っているのに気付く。女性の手には日本語のガイドブックが握られている。二人とも大人しくしているが長身の男性の方は両耳にヘッドホーンを被せ、いかにも退屈だというふうな風で、まるで山手線の電車内にいるかのようにリズミックに音楽に合わせ体を揺らしながら聞いている。そしてその音がこちらの方にも漏れて来る。
バスの窓の外には美しいギリシアの海岸風景が流れているというのにそちらには一向に見向きもせず、この人達はいったいギリシアに何をしに来たというのだろう、と私はその時ひどく腹が立ってしまい彼らには声を掛ける気も起こらなかった。
リンドスに着くと私はバスから勢い良く飛び出しアクロポリスに向かって走り出した。
バス停から長い坂道をずっと下り、やがて観光客用店が軒先を並べている賑やかな場所を通り過ぎると丘の上にある城壁に向かい坂を登り始める。その坂は意外に急で頂上まではとても一気には登れない。左面には蒼く澄み切った本当に美しい海がずっと広がっている。途中の休憩目的でその海を見るために道から少し離れた岩に登ってスケッチを始めた。
坂道を通過する観光客たちのオシャベリが遠くから聞こえている。その中に日本語らしきが混ざっているのに気付いた。お互いに声を掛け合っているので団体客らしい。上に一度登って見学し、そして間もなく降りて来たようだ。「こんにちは」遠くから声が掛かってきた。
考えてみるとこの旅でギリシアに来てからは日本人に会った事は一度もなかった。久し振りに日本語で挨拶を交わした。二人連れのご婦人だった。
「そちらに行って絵を見せてもらっていいですか?」「どうぞ、足場が悪いので気を付けてくださいね」
話してみると、彼女たちは日本の旅行社手配でイタリア・ミラノに飛行機で入り、ヴェニスから船でイタリア、ギリシア、トルコを廻る10日間旅行とのことだった。このロドス島には今朝到着してここリンドスを見学、そして間もなく2時にはバスに集合し、夕方にはもうロドス・シティから出発するという。一瞬何て慌ただしい旅かと思ったが、一般の団体旅行はこれが平均的なんだろう。でも宿泊は殆ど豪華船内でのゆっくり旅、なんて羨ましい旅かとも思う。 もし私が展覧会でもすることがあったら是非案内状を下さい、と彼女たちの住所を私の手帳に書き残してくれた。東京と横浜の方だった。
一休みするとアクロポリス内に入る。頂上に登ると360度周囲を眺められその景観は素晴らしい。さすがギリシアを代表する観光地、しっかりと入場料を徴収するだけのことはある。遺跡の建築物は大掛かりな修理が行なわれていた。
遺跡から出てロドス・シティに帰るバスの時刻までを計り、遠景から全景スケッチをする。(これは全くの速写。スケッチに要した時間は1時間ぐらいか) ロドス・シティに到着したのは夜7時頃、すでに辺りは真っ暗になっていた。バスから地面に降り立った時、さすがの私も一瞬どちらが北か南か全く方向感覚を失ってしまっていた。
停留場辺りをひとまず「落ち着けば大丈夫」と自分を励ましながらゆっくりと一周し、昨夜に地図を広げながら廻った道の記憶を何とか取り戻すことが出来た。
| 2004年10月20日(水) |
シミ島 〜 ロドス島(泊) |
早朝からホテル内は騒がしい音がしていたと思ったが、私が朝食を取るために食堂に行った時には絵画教室の仲間は既に出発していてもぬけの殻だった。
ちょっと拍子抜けがしてしまった。昨晩展覧会が終わった時には宴会をしていたのだが、私は皆が楽しんでいる時に勝手に近づくのは悪いと思って遠慮し早く自分の部屋に入っていたので、結局お別れの挨拶も出来ず残念なことをしてしまった。でも昨朝食時には「私の友人が東京の麻生に住んでいるのよ」とか色んな話をして今日あたり出発することはお互いに知っていて「良いご旅行を」の挨拶も交わしていた。 それにしても今朝は随分早く出発したものだ。おそらく団体旅行の貸し切りフェリーを都合していたのだろう。
私は定期フェリー船を待つあいだホテル受付の方と色々話をした。以前に日本人は女性が一人泊まったことがあるだけで、此処に日本人が来たのは2人目だとのこと。 昨日の絵画展示会で絵を一枚御付き合いで買ったが30ユーロだったと引き出しからその絵を取り出し見せてくれた。そして私のも見てもらうと、あなたのがずっと素晴らしいのでそれらの絵をスキャナーさせて下さいとお願いされたのでOKを出した。ホテルの廊下には観光客たちによる沢山のシミ島の絵が掛かっているのだが、これといって良いものが見かけられなかったのは残念なことだった。
夕方の定期高速フェリー船は17:50シミ出航〜18:50ロドス到着(12.9ユーロ)で、乗船時間はちょうど一時間、あっと言う間だった。ロドスは大都市、さすが乗客も多い。
ホテルは城壁内の旧市街と外側の新市街にあったが、私は前もってロドス・タウン全体を眺めるために新市街に泊まることを内心決めていた。それで降船した時に何人かの宿客引きが声を掛けてきたが、さもホテルを予約しているような振りをして頭の中に入れている市街地図をたよりに勘でそちらの方に向かう。凡その場所は分かっているつもりでもやはり初めて訪れた場所、なかなか思うように思い描いていたようなホテルには出会わない。海岸の繁華街から町中心の商店街に向かって歩く。
この時期、部屋は随分空いていると思うのだが、最初に飛び込んだ小奇麗なホテルではアラブ系フロントにジロジロと顔を見つめられ「No, Signole. Full」と含み笑いをされながら断られてしまった。そのアクセントは中途半端で最後の言葉が「満員」を意味する英語だと気付いたのはホテルの外に出てからだった。満員ではなく、恐らく他の理由で断られたのだとその時の様子で感じた。何せこの地の人々は東洋人に出会うチャンスはめったに訪れない。
以前レスヴォス島ミティリニで断られた時も黒人系女性フロントで、明らかに東洋人蔑視の眼差しを向けているのを感じたのだが、この旅全体で宿を断られたのはその時とこの時の二度だけであった。 (ちなみに前もってホテル予約をしたのは最後のアテネ2泊だけでその他は現地で飛び込み予約)
少し引き返して中庸のホテルに入る。黒服の上品な老婦人が一人フロントをしていた。日本から持って来た情報誌にホテルの名前は出ていたが、ややこざっぱりした内装であまりはやっているような感じではなかった。だが歴史あるホテルのようで心配はなかった。5Fに案内され身支度をした後、夕食するために外に出る。街全体がカフェバー、レストラン、宝石店、お土産屋、娯楽施設などで一杯だ。
'04ギリシア旅行マップ
今夜はやけに暑い。昼間も歩くと汗が噴き出すほどだったが、テレビによると気温は25℃程のはずなのに、湿気も少しも感じないとこんな風なのかなぁ。今朝はホテルの前の海で泳いでいる人もいたが、それもありなん感じだった。
滞在を一日延ばすことにした。本当は今日あたりロドス島に渡りたかったのだがフェリーボートが火曜日には出ないということが理由だった。でも又一日ここでスケッチ出来るので楽しみでもある。
今日はいつもと港をはさんで反対側のカテドラルのある方へ行ってみる。こちらからは宿泊しているホテルがまっ正面に見える。 海に面した中心よりやや右にあるワインとイエロー・ツートーンの建物が最初に泊まったホテル。そして2軒左に間を置いて、前に立ち木のある二連クリーム色の大きな建物が現在宿泊しているホテル。この部分を先ず丁寧に描き、そしてあと周りはラフに描いてゆく。
例の絵画グループは朝から絵の展示即売会で大わらわ。昨日から自分たちで厚紙の中をカッターでくり貫いて窓枠を作り、ラウンジ壁全面に白紙を貼ってその上に絵をレイアウト。各絵の価格は別紙に小さく表示されていたがアマチュアなので一枚平均30ユーロぐらい。透明水彩画あり力強いガッシュありで技量も様々。高価なものも数点あったが、どれが先生が描いた絵なのか良く判らなかった。
観光客にどれぐらい売れるだろうかと楽しみにしていたが、夕方ホテルに立ち寄った頃には絵の半数ぐらいに売約済みのシールが貼られていた。夜食をして帰って来た時には全てがきれいに取り払われ、皆はロビーで盛大な祝杯を上げていた。
朝から廊下ですれ違う人達は顔見知りの絵画教室の方ばかり、お互いに声を掛け合う。私も絵画グループの一員になったみたいだ。部屋のベランダからひょっと顔を出すと、隣のベランダではご婦人が外の景色を懸命に描いているので挨拶をする。
私も昨日行った南斜面にもう一度足を運び、メボしい場所を探す。
登る坂の途中、対岸の景色を眺めるられる絶好の場所に貸し部屋の案内があるのを見つける。その案内に従ってに行ってみると、その家主だろうか、ベランダで外をみながら初老の男性がテーブルで寛いでいる。私は声を掛けてみた、部屋を貸してもらえるかどうか。 返事は今は奥さんがいないので分からないとのことだったが、表情は「何だか怪しい奴が何てことを言ってる」というような風であまり感触ある返事はもらえなかった。ヴァカンスのための宿で、この時期絵を描くために部屋を借りたいということが理解出来ないのかも知れない。
今日も暑く、汗がしたたる。 やっと探した家の日陰を借用して作業をしていたが、陽が回るにつれ建物の影が移動し、頭に陽射しが直接当たるようになったので空家と思われる一軒家の階段テラスに移動して作業を続行。
ところが夕方になって、その空家と思われていたところの家主の奥さんが買物袋をたくさん手に提げて帰って来た。私が入口の階段に座ってスケッチをしているので玄関から家に入れない。それでわざわざ脇の畑を突っ切って回り道をし、お勝手口から入っている彼女に私は気が付き慌ててしまった。
「どうも済みませんでした」と平謝りし、道具類を片付け始める。
彼女は「いいですよ、どうぞそのまま」とご自身の気持ちを示そうとしていのだるが、外国人の私に伝える方法が見つからずはがゆくしている様子がありありと顔に現れている。しかし私の方もどのようにしていいか分からず、作業を途中で止め挨拶をして帰ってきた。このような時、お互いの心を言葉で思うように表現出来ないのは辛いものがあるなぁ、と思いながら。
ホテルの人は明日火曜にはロドス島へのフェリー便がないことを知っていた。私がその理由で一日滞在延長の申し出は勿論OKだった。本当は明日にロドス島まで行きたかったのだが、もう一日この島にいてもスケッチモチーフは溢れるほどあるし、まあいいかと思う。その代わりサントリーニ島行きを諦めないといけないのかも知れない。日本へのおみやげをその島の陶芸屋で買おうかと思っていたが、これ等はロドス島やアテネでも出来るだろう。
明日このホテルのロビーで絵の展示会が行われそうな雰囲気。玄関脇には簡単な展覧会予告看板が出ている。
ここシミ島を紹介している観光案内パンフレットによると、現在滞在しているホテルはAクラスでこの島では最高レベルの一つだ。本当に居心地が良い。
この島に到着したのは夜8時過ぎだったので、ほとんどその日の行動は出来ず、昨日一日の滞在だけではこの魅力を味わうのには不十分だった。ので、昨夜ラウンジで友人と話しているホテルのオーナーに一日の宿泊延長を申し出ることにした。ところがその友人から代わりに返って来た言葉は意外なものだった。
「It's impossible」不可能だ。
私はその言葉がとても信じられなくキョトンとしてしまった。こんなに部屋が空いているというのに!
彼の説明によると明日、つまり今日が今年のこのホテル営業最終日だと言うのだ。エッ、夏場しか営業しないホテルがあるということは前もって知っていたけど、ここもそうだったのか!観光客が少なくなるこれからの冬場には採算が取れないのだろう。気を付けてみると今宿泊している客は私ともう二組だけだ。部屋数は20ぐらいあるだろうか。仕方ない、他を探そう。
で、もう少し良い価格のホテルでもいいなと思い、どこか良い泊まる場所はないかと行きつけのレストランで尋ねてみた。するとすぐ店のオーナーが良い所を知っているからと従業員に案内するように申し付け、私をオートバイに積んで港奥に位置する部屋を見に行った。オーナーの妹さんが営業している3階建てのレンタル部屋で、彼女が案内してくれた。
価格を訊くと1日40ユーロ、とても大きな部屋だが少し雑然としていて部屋にセンスがあまり感じられない。それに港から少し奥まっているので窓から海が見えないのが寂しい。現在泊まっているホテルと何たる違いなのだろう。私はその時、自分にとって海が重要な要素であることに気が付く。
帰り際、どこかで私の名を呼ぶ声がするのでそちらを振り向くと魚専門レストランで会食中の絵画教室仲間だった。そこで私の絵が見たいと言うので今まで辿って来た島等を説明しながらの楽しい会話。
次に部屋を紹介してくれた店のオーナーには申し訳ないけどと断りの挨拶をして帰って来る。そして現在宿泊している隣りの、つまり絵画教室仲間が泊まっているホテルの受付に行って明日から2日間の宿泊をお願いした。そこでは残念ながら海の見える部屋は絵の仲間に占領され満員になっているということで、結局山側の部屋になってしまった。でも玄関前がすぐ海なので問題はなかった。宿泊料40ユーロ。もし海側の部屋だと50ユーロ。
お昼にホテルの移動を済ませたあと再び昨日行った南側傾斜を登る。そして直射日光が当たらない建物の陰で、しかも描く景色を見るのに障害物のない場所を探しながら移動する。運良く突き出した見晴らしの良い岩の上に、しかも人が住んでいる気配のない建物を見つけ、その脇に椅子を構える。
しばらくして背後から声がした。見ると小さな女の子が道端に立ってこちらを見ている。私も挨拶をする。間もなく近くの自宅から自分のお絵描き道具を持って来て私の脇にしゃがみ込んだ。目の前は崖っぷちである。危ないからと注意するのだが、彼女は足を空中に出しブラブラさせていても平気である。なんて子だ。そんなことも気にせず一心不乱にお絵描きをしている。
そのうち自分の道具に飽きて来たのだろう、私の絵具を使っていいかと訊いてくるので、いいよ、というとガッシュ・チューブから絵具を盛り盛りと取り出すと自分のパレットに移している。大きな筆も使いたがるのでそのままにしていた。が、私の持っている物、すべてに興味を持っているみたいだ。また手持ちのバックの中に何が入っているか見せてくれとせがんで来る。
そうしているうちに気付いたのだが、私がやっている事すべてを自分もやってみたいのだ。ついに彼女は私のスケッチ用椅子も絵具もすべて私から奪ってしまった。(写真。彼女は私が筆を頬に当て考えている癖を真似ているみたいだ) この水彩絵具を自宅に持ち帰っても良いかと私の顔を覗き込んで何度も訊くのでそれだけは駄目だとキツく言うと、どうやら分かってくれたようだ。
突然、後ろから大人の男性が大声を上げた。「○○○○!、そこで何をしてるんだ! 何てことだ! 危ないじゃないか!‥‥‥‥‥‥‥☆☆☆」 仕事から帰って来た父親だった。母親がそれまで家の脇からこちらの方をチラチラ見ていたのに私は気付いていた。
女の子は体を凍らせるようにシャキッと立ち上がると走るように帰って行った。「それは家に持って行っていいよ」と合図した、そのとき彼女が絵塗りしていた私の太軸フェルトペンを嬉しそうに手に握り締めて。
 夜中の3時頃、何か今まで聞いたことのない不気味な低い音が繰り返しするので、窓を開けてみた。すぐ眼前の海上につないでいる船にドンドンと打ち寄せている波の音だった。何せ海辺からホテルまでは道一つ挟んだ巾4m位しかない。私の寝ている部屋は二階なので、まともにその音が当たる。原因が分かり二重窓をしっかりと閉めると、いつの間にか快い眠りに落ちて行った。
朝目覚めて部屋の窓を開けて外を見る。朝焼けの光の中に清々しい景色が広がっていた。ここのホテル客が眼前の海際で朝食を取っている。
この島は本当に美しい。斜面に建っている家々は陽光に照らされキラキラと輝き、時間の推移とともに全体の色彩が段々と変わって行く。
この美しい港をぐるっと一回りし、対面の山の上に登ってみる。
次々に色んな船が目の前を行ったり来たり。近くのロドス島からやって来るフェリー船だろうか、観光客を満載してやって来、ここに数時間停泊している。それ等の様子を上から眺めているとまるでおもちゃ箱を見ているようだ。
特に夕方には今までにも増して全ての家々が紅く美しく輝く。
 隣のホテルの前庭では外国から来た絵画教室の団体だろうか、生徒たちが今日描いた自分たちの絵を持ち寄り、一人の女先生が英語で黒板に向かって説明しながら授業を行っていた。皆社会の一線を退いて余裕の生活を送っている人たちばかりのようだった。私は側で興味深く見学していたが、自分も絵が好きな事を説明し、その仲間に入れてもらった。そして後方の椅子に座って興味深く授業を聴く。先生は建物が水面に投影した様子をどのように描けば良いかを黒板に図面を書きながら丁寧に説明していた。
私はこの絵の団体とシミ島にいる間、ずっと付き合うことになる。
| 2004年10月15日(金) |
コス島 〜 シミ島(泊) |
今日乗船する予定の「マリーナ」は定刻9:50出航なので、朝早起きをしてチケットを買いに行くことを決め、そのことを意識してあまり眠れなかった。
宿泊しているホテルの近くに旅行会社があることを昨日確かめ、9時にドアが開くのを待ってチケット購入の申込みをした。ところが係員はパソコンの前で画面を眺めているだけでなかなかチケットを出してくれない。仕方がないなぁという風に。
 説明によると遅航が出ているというのだ。3何とかいうので30分の遅れかと訊くとそうじゃないという。何度訊いても時刻をはっきり聞き取れないので、係員もそれじゃあと紙に時刻を書いてくれた。 「13:40」 何と4時間近くの遅れ! この大型フェリーボートは昨晩インターネットで調べたところ今日がこの航路初日、通常日とは違って予想のつかないことが起こっているかも知れない。ぐるっとエーゲ海を約3日間かけて長距離航行するからこういうことが起きるかも。それとも怠慢?
目的のシミ島までは二つの島を経て約5時間30分の就航時間。高速ジェットに乗れば直行1時間20分で到着するが、せっかく来たギリシア、二つの途中で寄港して行く「ニシロス島」「ティロス島」の姿をこの目で実際に確かめたいので、あえて時間のかかる大型フェリーを使うのだ。この調子だとシミ島に着くのは7時過ぎ。もうあたりは暗くなっているかも知れない。
フェリーボート「マリーナ」はさらに遅れてやって来た。船上には沢山の頭、若い兵士の制服姿が見えた。隊の移動らしい。待機している大型トラック等の積込みにたっぷりの時間を延々と費やし、出航はさらに遅れた。
船は左右に島々を眺めながらゆっくりとエーゲ海を進む。
先ず昨日ケファロスに行った時、バスの窓から遠くに眺められた山々の切り立った勇姿「ニシロス島」に立ち寄り、次の島に向かう頃には陽光も陰り始めていた。
甲板で私と同じようにあたりを眺めている初老の紳士の存在が気になっていたが、いつの間にかお互いに声を掛け合うようになっていた。長身でジーパンに身を包んだ彼の自己紹介によると彼はドイツ人、世界中を一人であちこち廻っていると言う。アジア、日本にも行ったことがあり、色々と今まで体験した事を話してくれて興味深かった。 彼は住人が200人だという「ティロス島」で降りたが、別れる前に自分のアーチスト名を書いた名刺を私に渡してくれたが、そこには密教的な図柄が描かれていた。別れる時はとても名残惜しかった。
(写真の中央がティロス島に降り立った彼)
◆
シミ島に着いた時刻は8時半、あたりはすでに真っ暗くなっていた。勿論初めてやって来た土地で右も左も分からない。港の両脇は山の傾斜になっているらしく、そこにはオレンジ色の電球光が連なり襷のように何重も山にかかっている。この島は珍しく客引きがいなく、薄暗くて不気味なほどにひっそりとしていた。私は辺りを見回し、先ず港に沿って右方に荷物を転がしながら歩いて行った。
建物の2軒目ぐらいに光々と玄関から照明を外に放っているホテルがあった。中を覗くと一組の男女が広々としたソファーに座って話をしていて、とても高級そうな雰囲気だった。私はまだまだホテルがあるだろうとそこを通り過ぎる。ところがその先はすぐ真暗くなり壊れかかった漁船が数隻転がっているだけで他に何にもなさそうだった。このまま行っても仕方ないとやむなく引き返す。
さっき行き過ぎたホテルはどんなものかと試しに内容を聞いてみることにする。 一泊50ユーロだという返事がかえって来た。私がギリシアに来てから一番高価な料金だった。私は何度か確かめながら日本円に換算してこれから探すのも大変とOKを出し2晩の宿泊を願うことにした。この選択は翌日になってこの島全体の様子が分かるにつれ、偶然にも一番良い方法だったことが分かる。
男性はこのホテルのオーナーで、会話していた女性が率先して私の荷物を一つ持ち2階の部屋まで案内してくれた。部屋は文句無く素晴らしくインテリアも隅々まで気が配られ、グリーンで統一された落ち着きあるもの。私は大きなバスタブの中で広々と手足を伸ばし、ほっと満足げに溜め息をついた。
'04ギリシア旅行マップ
今日はここコス・タウンからバスで一時間ぐらい、島の西南端部にあるケファロスまで行くことにする。やはり島のパンフレットの写真を見てここに行くべきだと思った。
9時10分発のケファロス行きのバスに乗ろうと時計を見ながら10分前に長距離バス停に着くとちゃんと前窓に電光版標示の付いたバスが待っていた。こちらのバスは定刻通り動いている。車内は地元の人と観光客らしきが半々。途中で乗り降りがあり、終点地に降り立った観光客は私を含め3組、7人ぐらいだった。
ケファロスの町は小高い山頂にあってバスはそこまで登り、目指す海岸風景はその少し手前、通り過ぎたところにあった。そこでひとまずあたり全体が見渡せる一番高い所まで登り、周りの様子を探ってから海岸まで引き返すことにした。
バス停に引き返し、側のカフェ・バーで軽食を取る。
さて山を降り、目的地まで歩いて行くには少し距離があった。折り合い良く次のコス・タウンに引き返すバスがやってきた!。運転手にパンフレットの写真を見せ、この景観場所まで行きたい故を言ってその場所まで乗せてもらう。
先ず、海辺沿いに目星にしていた湾の中に浮かぶ一つの島の側まで近づき、それから絵にするのに適した場所を探してあちこち移動する。浜辺には紀元前の遺跡があちこちに散らばっていた。私は段々と背後の山に身を移し景色の様子を見る。岬の端のホテル背後では檻内で飼われているヤギたちに睨まれたり、番犬に吠えられたり。景色がすばらしい所には必ずホテルが建っている。
何箇所廻った末に、少し小高い所に建っている一つのホテルの前庭にとうとう私は特等席ともいえる場所を見つけ、そこに椅子を構えた。 その場所から眺める海側の景色は絶景だった。一番良く眺められるにはこのホテルの位置がベストだった。スケッチを終えやっと帰ろうとする時、丁度散歩から戻って来られたご夫妻に遭遇した。そこでこのホテルに一晩どれくらいで泊まれるのかを尋ねてみた。手頃な値段だった。ご夫妻は早速管理人にご紹介しましょうと私を連れて行こうとするので、今度ここに来た時に是非とも泊まりたい故を話した。実際、その時点でコス・シティに宿を取っていなければおそらく此処に泊まっていただろう。このホテルの環境なら少なくとも一週間ぐらいはヴァカンスを楽しめ、落ち着いて絵も描けるだろうと、しっかりとこのホテルのことを記憶に留めて帰途に就く。
コス・タウン行きのバスは1時間に一本ぐらい。このバス待ち時間に友人への絵はがきを速描きし、後に日本向けに送る。
コスでは海岸通りから一軒中に入ったCクラスホテルに泊まっている。降船のとき客引きも数件あったが、いかにも決まった宿があるかのようにホテルのありそうな雰囲気の場所へ重い荷物を引っ張っては来たのだが、すぐにホテルは見つけられなかった。しかし2巡目でどうやらぶつかり、やや癖のありそうなおばさんがカウンターにいる家族経営のホテルに代金だけを訊いて飛び込む。3階のコーナー部屋だったがまあまあ。窓を開けると道路対面のアパートメントホテル・ベランダで食事をしている客の姿が見える。
こちらのアパートメントと名の付いたホテルは簡単な台所などの設備が付いていて生活できるようになっていて、しかも代金も割安らしい。冷蔵庫がついているのはより良い。この旅行でもホテルにより冷蔵庫が備えられているところとそうでない所があって冷蔵庫のはとても便利なことが分かった。自分はグリーク・サラダが大好きでギリシアに最初に来た時から虜になってしまったが、その材料をマーケットで買って来て冷蔵庫に入れ自分で調理できる。そうするとレストランで注文した時の1/3の値段で好きなだけ食べられる。こうすることは長期旅行者にはとても助かることなのだ。ちなみにこのコスのホテルでは冷蔵庫はついてなく買って来ていた野菜を試しにそのまま置いていたらキュウリ等は2日で駄目になってしまった。
朝ゆっくりと出かける準備をしていたら掃除のおばさんに部屋をノックされ早く出るようにせかされてしまった。一回目に顔をだすとまだ大丈夫ですよと言われ、第二回目にはテレビが付いてるだとか置いてある荷物はどうするのかとか注意されたが、全く自分が続けて宿泊すると言う事を感知してない様子で不愉快であった。ここでは単日宿泊の客が多いのだろうか。
コス・タウンは歩く先々どこでも紀元前の遺跡にぶつかるが、私の見たい物はそう多くはない。今日はカストロ(城壁)と考古学博物館を見た。 カストロはとても大きい。どこから中に入るのかちょっと分りづらかったが西洋医学の父ヒポクラテスゆかりの大きな古いプラタナスがある広場から通じていた。聖ヨハネ騎士団が建てたものにトルコの襲撃から身を守るために何度も手を加えたので堅牢な要塞になっている。
考古学博物館の位置も地図を見て確認出来ないのでインフォメーションで訊く。市民広場の片隅にあることを係員から教えられ訪れる。 建物は広場に申訳なさそうに建っており他人から教えられなくてはなかなか分らないような建物だった。
3ユーロ払って入ると一人の男性がしきりにカメラで作品を撮っているので撮影OKなのかと思い自分もバンバン撮る。側に係員達がずっと見張っているので安心していた。 ところが一番奥に行って作品のとなりに「撮影禁止」の紙が遠慮がちに貼ってあるのを見つけてしまって複雑な思いがした。
ここコスは島全体を上げてとても観光に力を入れているのが町を歩いていて良く分かる。 港やカストロの側から満員の観光客を乗せて名所旧跡廻りをしているおもちゃのような派手な色の観光列車(タイアを履いた)が走り回っている姿をよく見かける。私もこれに乗ってこのコス・シティを一望出来る10km先の「アスクレピオン遺跡」まで行ってみたい気持があったが、明日は西に40km離れた名所ケファレスに行こうと決めていたので、時間的に行く余裕を持ち合わせてなくてとても残念だった。
| 2004年10月12日(火) |
パトモス島 〜 コス島(泊) |
11時頃に部屋を出る。フェリーの出航は1時半でそんなに急ぐことはなし、都会とは違ってこのあたりのホテルの人もそのあたりは十分了解しているとは思ったが、やはりホテルは朝10時にはチェックアウトをするという常識が働いて宿をその頃には出なくてはと急いだ。
下で女主人が待っていて、彼女の叔父が描いたという絵の話から一緒にギリシア全体の地図を見ながら、あちこちの観光地の素晴らしさ等の話で随分と時間を費やした。ギリシア・コーヒーもごちそうになって、やはりこのホテルには気持ちが残って去り難かった。
ポートには一時間ばかり早く着いたのでその側で描いたスケッチが色づけしてなかったので作業。小学校に入ったばかりぐらいの少年が寄って来て熱心に覗くので片言でギリシア語のお勉強をしながら。こちらの子供は本当に人懐っこい。そして素直だ。気持ちがいい。 もう完成かなと思う頃、猛スピードで港にフェリーが入って来たのでそちらを見ると、何と私の乗る目的のフェリーだった。慌ててポートに走る。まあ、乗り換え時間は時刻表で10分に設定されているので心配はなかったが。
パトモス島からコス島まではその間3つの島に乗客の乗り降りをし、2時間40分の航行だった。この高速船は大型船とは異なって殆ど定刻通りの出航・到着だった。このあたりが値段の差となっているのかも知れない。乗船費は3,000円ぐらいだったが、恐らく大型船の倍ぐらいしていると思う。
コス・タウンは思いのほか大きな町で現代的感覚が溢れている。 ホテルの部屋に入って気がついたのだが、ここではこれまでに宿泊して来たような重厚な二重窓の部屋ではなく、今の自分たちが住んでいる家と同じ、窓はガラス一枚である。だから朝、外部の光がカーテンを通して入って来てとてもまぶしく感じた。
テレビも付けてなかなか放送が入って来ないので色々チャンネルを動かしていたら画面から明らかに今までとは違う顔・言葉が飛び出して来た。トルコ語だ! そのあたりのチャンネルは全てトルコの放送。そして反対方向にチャンネルを繰っていたらギリシア語放送になり、それからまた全然聴いた事のない言葉の放送が出て来た。何語だろう。感じからするとおそらく北の方、アルバニアかブルガリア語あたりか。
'04ギリシア旅行マップ
| 2004年10月11日(月) |
パトモス島(5日目) |
パトモス最後の日。今日も再びホラに行き、今までとは違った描き方で少し冒険してみようかと思っていたが、まだこの地で行っていない地域もあり、同じ場所だけではつまらないとホテルとは港を挟んだ向こう反対側に何か良い所はないかと試しに行ってみた。 そちらは観光からは見放された船の修理場とか作業場があって、それを過ぎてずんずん進んで行くと、少し離れた寂しい場所に数軒の家があり、海側にこじんまりとした木桟や石で組まれた船着き場があった。背景の見上げるところには前日に行ったホラに聖ヨハネ修道院が見えているのでそこに構図を決めスケッチすることにした。 目の前の海には数艘の船やボートが浮かんでいるのだが、描いていると困ることに波の満ち引きによってあっという間にそれら船が回転する。今描いたばかりの向きが目を離している間にもう変わっている。だから私もその回転に合わせて船の構図が変わらないようにと身を動かして行く。 ともかくあたりが暗くなるまでそこで何とか頑張れやっと絵らしきものが出来た。
(スケッチの右上に見える建築物がホラに在るヨハネ修道院)
途中でマーケットで買物をし、ホテルに帰ると応接間にいたご主人から声を掛けられた。応接間に掛かっている大きな絵を見せられ、まだその絵はまだ未完成なのでその続きを描いてもらえないかと言うのである。絵を描いていた人はもう亡くなったそうだ。 絵は100号ぐらいあろうか。白黒だけで大間かに描かれ、構図の意図が見られ面白いがはっきり言ってあまり上手な絵とは言いがたい。左下が大きく空いていて明らかに未完成ということが分かる。 しかし私はこういうチャンスなら掴んでもいいなと思った。ホテルのご主人はとても良い方だし、このパトモス島と私との何かの繋がりが出来る。日本に帰ってからゆっくり考えてみようと思った。
| 2004年10月10日(日) |
パトモス島(4日目) |
10時頃タクシーで大聖堂のあるホラに登る。ホテルを出る時、宿のご主人が玄関に立っていて挨拶をする。大柄のとてもやさしそうな人だった。
早速昨日の作業の続きをする。早めに切り上げ、今日はホラのもっと向こうの背面の方へ足を運ぶ。山をぐるっと半周するがその先は変化に乏しい景色なので引き返し、途中で足下に見えた美しい港のほうに足を運ぶことにする。
港までは相当な石ころを積み上げて作った険しい山道を海への方向だけを頼りに下って行く。何とか村らしき所に出られ砂浜に向かう。
ここにも一つのまとまったビーチに沿った村が広がっていた。沖にはヨットも浮かんでいる。人は時たま通るほど。今の季節はのんびりしたもんだ。木陰にゆっくりと腰をおろしてスケッチする。ここはパトモス島では夏の人ごみの混雑を避けた穴場だろう。お互いに気心の知れた二家族だろう、ゆったりと流れる時間にお互いの笑い声が浜辺に交錯していた。
私も2軒あるカフェ・バーの一つに入りその様子を眺めながら時間の流れに身をまかす。

大分遠くまで歩いて来た感覚があったので、帰りには道を歩いているところを通りかかったタクシーを拾う。 運転手は外国人がこんなところをトコトコ歩いているのがよほど不思議に思えたのだろう、いったいどこから来て、何処に行っていたのかと熱心に訊いて来た。 ホテル近くのスカラ港で夕日に照らされた一艘の舟をスケッチ。静かな時間が流れている。 宿に帰ると今日はだいぶ歩いたのでよほど疲れていたのだろう、食事も取らずそのまま睡眠。
| 2004年10月09日(土) |
パトモス島(3日目) |
今日は先ずタクシーを使って聖ヨハネ修道院を見学に行く。もうこの坂を歩いて登るのはそれだけで活動力をそいでしまうから止めることにした。
聖ヨハネ修道院は昨日標示を見たようにちゃんと開いていた。情報誌は開場日を誤ってのせていた。日本に帰ってその情報を「地球の歩き方」に届けようと思う。 聖ヨハネ修道院への入場者はまだまだ次々にあった。皆はやはりヨーロッパ地元の人たち、祈り方も心得たもの。私は側でその様子を眺めるだけだ。
見学後、少し昨日行った修道院背後にある美しい家並みを廻わり(昨日見つけ入ろうかと迷ったカフェテリアでカフェ)その後見つけてあった場所でスカラの町からつながるパトモス島の山々をスケッチ。よく見るととても特徴的な形態をしている。スカラの町も遠景なので家々を描いてゆくのも大変だ。3時頃まで途中休みながら作業を続けたが色をつけている途中で根がつきてしまった。山の色や背景にある島々、そして遠くにあるトルコの山々が霞の中から見る見るうちに変化してゆく。今日はこのくらいで諦めて明日の出発を諦め、滞在を2日間延ばして絵を仕上げる事にしよう。そう決心して引き上げることにした。
下山途中、道路下に山羊が歩いているのを見つけたので写真を撮っていると、一人のおじいさんがそこに一匹の小さい犬を連れやってきて大声で私に挨拶してくれる。様子を見ていると少し引き返し長い竿で何かの木の上を払い始めた。パラパラと 木の実が落ちる音が聞こえた。どこからともなくその実を食べに沢山の山羊たちが集まりだした。おじいさんは私の方に得意そうにポーズをとってくれるので、私も望遠レンズを構えてたくさんの写真を次々に撮影することが出来た。私は深々と頭を下げてそこを立ち去った。
坂道を下っていると途中で○○浜に出る、という標示があった。その方に歩いて行くとスカラの背面にあるひなびた浜辺に出た。夏には観光客が長期滞在するのであろう、それ用の部屋やホテルがあちこちに建っていた。中には本当に立派な施設も見かけられた。だが夏を過ぎた今の季節には客の面影は感じられない。 そこから宿のあるスカラ港まではずっと観光客用の店が続いていて、ウォッチングを楽しみながら歩いて10分とはかからなかった。
ホテルに帰って女主人に宿泊2日延長をお願いした。もちろん喜んでくれた。そして宿泊料全額を支払った。5日間で丁度100ユーロ(13,800円)ということだった。こんな素敵なホテルで何と良心的な宿代だろう。
| 2004年10月08日(金) |
パトモス島(2日目) |
夜中じゅう風が強いらしく窓枠がカタカタと鳴っていたが、朝になってみるととても素晴らしい空が広がっていた。
今日はホラ(修道院の在る山頂に広がる町並み)に行こうと決めていたが、部屋でパソコンを打ったり朝食を取っていたら出かけるのが11時近くになっていた。久しぶりにゆったりした時間を過ごしている。
ホラに行く石組みの坂道は思いのほかきつい。情報誌にも足に自信のない人は車を使った方が良いと書かれていたが本当にそうだ。私も歩くのが好きなほうなので頑張って登って行ったが、とても大変なので途中一休みの口実で一つスケッチ。パトモスは変化に富んだ島とは言えずスケッチには特に向いていない。
聖ヨハネ修道院を見学する気持ちはそんなに強く持っていなかったが、入り口に一応行ってみたら見学時間は1時半までとなっていた。時計を見ると10分ぐらい過ぎていた。また明日早めにくればいいや、今日は様子見にきたのだから。
ホラの家々はその周りに白い面々を揃えて待ってくれていた。その一つ一つが個性を持ち、花を飾り、とても美しかった。一軒いっけんが素晴らしいのでその度立ち止まって私はカメラをバッグから取り出した。 特に登って来た道とは反対側の斜面に居を構える家が素朴さも手伝ってとても良かった。どの家のまっ正面にも奇麗な海が広がっていてどの建物も見晴らしの素晴らしい特等席に居を構えている。本当に羨ましい。こちらの人々は日本人よりも幸福な人生を送っているのではないか。ギシシアの面積は日本の約1/3、人口は約1/10。だから土地の余裕も十分あって競争する必要性もない。皆が人生を楽しんでいる。写真を撮っててそう思った。
ホラの頂上には風車の跡が残っているように風がとても強い。昨日からの風の影響はやはりここには残っていた。私の絵の目的地はこの場所にあったが、風が体にささるようでとても描いていられる状態ではなかった。ので明日ここに来た時の状態でその時どうするかは考えようと思い、今日は一先ず降りることにした。
| 2004年10月07日(木) |
カリムノス島 12:00 〜 パトモス島 13:40(泊) |
ホテル10時出発。港で一昨日仕上がらなかった絵の続き。フェリー発着所の近くだったので船を気にしながらの作業だった。 この島の周辺を廻るのだろう、甲板にいっぱいの乗客を載せた明らかに昔活躍した時代物を復元した観光船が目の前を何台も盛んに出入りしている。
パトモス島行きフェリーの待ち時間に絵葉書をもう一つ。こういうのは短時間で最後までなかなか描ききれない。いつもの絵画教室デッサン・トレーニングの成果がこういう時に問われる。そうだ、風景を見ながらその練習するのもとても良い方法だ。描く対象物は眼前にいくらでもあるからいいチャンスだ。
今日のフェリー船はチケットを購入した時、少しいつもより乗船時間の割に値段が高いなと思って、もしかしたらと予想していたがやはり高速フェリーだった。飛行機のジェットエンジンのようなのが搭載されていて、海水を勢いよく後ろに放出し、その反動を利用して前に進む。乗った感じではこれまでの大型フェリーよりスピードが倍近く速いのではないかと感じたが、この距離で約1時間の差だった。
初めて見るパトモス島は穏やかな表情をしていた。レスヴォス島と同類のなだらか曲線を描いているが島が小さいだけ山の勾配はきつく見えた。
ホテルは明日、聖ヨハネ修道院のあるホラに登るので少しでもそちらに近い場所に歩いて行くと街の喧騒から離れたところに庭園の花が美しく咲いている瀟洒なホテルを見つけた。この数回レンタル・ルームや客引きの宿に泊まっていたので今回のパトモス島では少々出費してでも満足の行くホテルに泊まろうと決めていた。ので降船したとき、やはり数名の客引きから声を掛けられたが全部無視して歩き、5軒目ぐらいで決めた。
宿はレストランも兼ねていたが、今は開いてなく宿泊客も少ないようですぐ部屋に入れてくれた。とても清潔感のある部屋でタブは付いてなかったがあとは完璧だった。シャワーを浴びて出かける用意をしていたが疲れが溜まっていたのだろう、ちょっとベットに横になるとそのまま夕方まで3時間ほど眠りこけてしまった。日本を9/14に出発してから23日目、計算してみると今日が丁度この旅の折り返し点だ。気持ちを新たに満足の行く旅にしよう。
街は島の規模に合わせてそれなりの数それぞれの店が軒を並べている。先ず海岸沿いの端まで歩いて町の表情を見る。そして引き返す途中のスーパーマーケットでギリシア・サラダの材料を買ってくる。インターネット・カフェも見つけたので明日行ってみよう。
'04ギリシア旅行マップ
| 2004年10月06日(水) |
カリムノス島(2日目) |
ここカリムノス島の面積はそんなに大きくはない。昨日行きたいと思った場所までは約6km、タクシーで行くことにする。
目的の場所あたりには沢山のビーチが広がっていて、夏には海水浴客でいっぱいになるだろう予想がついた。バス停の看板も短い距離で各ビーチ前に立っている。メボしい位置でタクシーを止めてもらう。
腹ごしらえをするために一軒のレストランに飛び込む。田舎にある庶民的な雰囲気。メニューに料理の数もそんなに多くはメニューに載っていない。本当にギリシアの家庭料理だ。 女店主と少し話をして私が日本人だと知ると、彼女は遠方までよく来て下さったと食後に自分からの気持ちだと言ってスイカや桃のデザートを皿に盛りサービスして下さった。日本では考えられないこと、本当に心底嬉しかった。
スケッチのあと、もう一つ観光案内パンフレットに載っている写真の場所に行ってみたかった。この島は海岸が切り立っているのが特徴。写真はそのような崖の下にひっそりと立っている真っ白い修道院だった。その場所を訊いてみると帰り道の途中にある。私はそこまで歩いて行くことにした。
目的地 Kantouniまでの距離は地図で想像していたよりは長かった。全く初めての土地をスタコラ歩く。道の両脇にはいかにも観光地らしくレストランや土産物屋があちこちに並ぶ。
Kantouniに着くと修道院があるだろう海に貼り付いた岸壁の岩道を海に落ちないように気をつけながら懸命に進むが、なかなかそれらしい場所には到着しない。と同時にどんどん日が暮れて来た。このまま行くととても無事に引き返す自信が持てなくなってきたので、もう行くのは諦めて引き返すことにした。 (後に見た資料によると、この修道院に近づくには海からのボートによる手段がベストのようだ)
Kantouniの町に帰って来た時、丁度日光が海に沈むところだった。建物の手摺に上り夢中でシャッターを切る。50枚ぐらい撮影した。
そこからホテルまでは地図を見て1時間ぐらいだろうと推測しテクテクと歩くが、やはり大変なので途中でタクシーを拾う。だがこちらのタクシーは同方向に行く客を次々に拾って行く。別客の都合でホテルのある港に着く前にタクシーから降ろされてしまった。 私は方向感覚が良い方だと思っているが、それでも道を尋ねながら現在滞在しているホテルの場所にたどり着くまではやはり大変だった。 この時ばかりはギリシア語を少しでも勉強していて本当に良かったと思った。
| 2004年10月05日(火) |
カリムノス島(1日目) |
ホテルは港から一段上がった通りに面していた。このような場所に位置するホテルは、初めての客が直接やって来て戸を叩くことはありえなく、やはりこうして声をかけて客を引っ張る方法がベストだろう。 車に同乗し、部屋に入ってみると全く問題のない三ツ星ホテルだったので安心し宿泊をお願いした。それまでに溜まった旅の疲れを取ろうとそのままの姿でベッドに潜り込み、お昼までゆっくりと睡眠を取ることにした。
先ず町全体の様子を見るため山手から港の方に歩いて廻る。
この町は昔からの漁師の村がそのまま発達したかのような、少し雑然とした感がある。民家は積み木細工のように土地にくっつくように建ち並び、全体として特徴ある面白い模様を描いている。庶民的でカフェ・バーは少なく数えられる程だ。食事をするには同じような感じの店が一部に集中していて皆おなじみの顔見知りの客ばかりが集まっているように見える。
この島付近は天然スポンジが採れるのだろう、町のほとんどの所で、キオスクのような店までスポンジが売られていて、私もコーラを買ったついでに店のおばあさんに「とてもいいですよ」と売り込まれてしまった。
タウン全体にはのんびりした時間がゆったりと流れ、町のカフェやタベルナ(レストラン)は地元人の社交場になっていてオシャベリする人々でいつも溢れている。これはギリシアでは何処でも見られる光景である。
 町の風景には特にこれというものもなく、半日廻ったら退屈してきた感があったので、夕方食事時レストランの店員に聞いてみた。「ここは何処ですか?」と島の観光パンフレットに載っている中で一番気を引かれる美しい風景の写真を見せながら。 店員はおよその場所を教えてくれた。地図を見るとこの町からそんなに遠くはない。明日はその場所に行ってみることにした。
| 2004年10月04日(月) |
リムノス島 〜 カリムノス島に出発(泊/船舶内) |
10:00 Room出発。家主は不在なので二世帯住宅でつながっているおばあさん宅に挨拶をして出る。
リムノス出航は 12:45。カリムノス到着は翌日の 04:50。乗船時間は実に約16時間。これはこの旅行で先にレスボス島など東エーゲ海の島を訪れるのに玄関口としてサモス島を選んでずっと北進して行き、今度は同じコースを引き返す形でずっと南に位置するドデカニサ諸島に行くからである。ギリシアの島を訪れることを頭の中でイメージしてみてそうしたかったので、北から南に並んだ島を順番に渡って来るということは積み木細工の組み立てでもなし、とてもそういう気分にはなれなかったからだ。秋になりだんだんと気温が下がってくるので、先に北に位置する島々を廻ろうという気持ちがあったこともその理由の一つだ。 長時間なので二人用キャビン(寝室)を取るが、今の時期なので一人専用として利用出来る。費用は交通費を含め約10,000円。
だが次の島への到着が非常に早朝なので、行動をどうしようかと心配していた。
時間稼ぎのため港近くのカフェ・バーで軽食をとり、フェリーポートには12時半ぐらいに着いた。だが周りには乗客らしき人影は全くなし。不安なのでしばらくしてやってきた荷物を積んでポートの端に停まっている軽自動車の窓に声をかけた。 「ロードス島に向かう船はここから出るのですよね」 「そうですよ」答えてくれたのは野菜を積んだ地元のご夫婦らしかった。 それでも定刻近くになると少しずつ乗客らしい顔がボツボツと現れ始めた。 それから首を長くして定刻12:45のフェリー到着を待つが船はなかなかやって来ない。12:50、13:00、13:10……。いったいどうなってるんだろう…。
待つのもくたびれかけた頃、海の遠くからそれらしいものがやっと近づいて来た。もう1時15分…、30分も遅れている!。
フェリー航行遅航の心配は徒労だった。大型船のこの航路は週に数便だが日本でいう生活荷便移動の全てを担っている。日本ではトラックや貨物列車等多くが陸便を支えているが、考えてみるとギリシアではその役を船が担っているのだ。大型フェリー運行の目的は荷物を運ぶのが第一、人間はその次についでに乗せているだけなのだ。各島で荷物満杯の貨車をトラック牽引車で引っ張りだし、港で待機している大型トラックの貨車と入れ替えをする。そこには総監督がいてその作業を書類を見ながら取り仕切っている。大変な作業だ。
今日はこの運行コースの年初日。各島には荷物を運びたい業者がわんさと詰めかけ、見ていても何時それらの入れ替え作業が終了し、フェリーが出港出来るのか予想もつかない。一つ島に横付けするごとに、どんどんと出港時間が予定より遅れて行く。
船は私がサモス島よりたどって来た島々をどんどん南下して行く。エーゲ海のパノラマを左右に眺めながら……。何と雄大な自然! 何と素晴らしい開放感!
だが真夜中走り続けているこの船が目的のカリムノス島に何時に到着するのか全く分からなくなってしまった。運行表には 04:50到着となっているがその時間になっても全くそのような気配はなかった。私は心配でキャビン(寝室)と船の出口あたりを行ったり来たり、最後にはキャビンから荷物を持ち出し、昇降口の側で島への到着を待った。
船が目的のカリムノス島にやっと着いたのは何と6時はとうに過ぎていた。あまりにも早朝に到着するので宿はどうなるのかと心配していた私には遅く到着したことが好都合に思えた。薄明かりになった港からホテルのある街の方へ荷物を転がせていると又も客引きに掴まってしまった。中年の男性だった。ホテルを探すのは大変だと感じていたので、部屋を見てから決めるということで彼の後について行くことにした。
'04ギリシア旅行マップ
| 2004年10月03日(日) |
リムノス島(2日目) |
今日はギリシア語で Kyriaki 日曜日だ。先週はモリヴォスの宿のおじさんとレスヴォス西部をオートバイで遠乗りした思い出があるが、あれからもう一週間経った。時間が過ぎるのは速いものだ。
日曜日のお店は観光客目当てのカフェ・バーとタベルナ(食堂)以外は全て見事に閉まっていてお休みだ。私はこの国のギリシア・サラダが大好きだが、それに入っている材料を時々スーパー・マーケットなどで仕入れ自分で作って食べる。それで今日手持ちのトマトが足りないのに気付いて開いてる果物・野菜やさんを探すがやっている店は一軒も見当たらない。酒類やコカコーラの瓶物を取り扱っている店は開いているのに。仕方ないので今日は物足りない分、スブラギ(串に刺した肉)を買って来て食事に添えた。
昨日、浜辺からカストロを見上げる絵を描いたが、今日は午後から高いカストロに登り、頂上から見て下に広がる海の風景を描く。 登る途中、ここはこんなに立派なカストロがあるのにどうして観光客を引っ張らないだろう、と疑問だったが登ってみてとんでもない事が分かった。カストロの頂上があまりに高くそびえているため登るのに恐怖感を覚えるのである。女性や子供、まして老人が登るなどはとんでもない、考えられもしない。 私も最初カストロの最高部に達した時(そこだけ50cm巾くらいの歩道と低い壁を石とセメントで固めてくれているのだが、そこまでは岩と石ころ道)それでも足がすくんで蟹の横歩きのように壁を押さえて伝い歩きするのがやっとであった。足を滑らしでもしたら命が無くなるのは100%保証である。観光局は事故が起っても、とても責任が持てないであろう。 それでも頂上付近に直径1.5mぐらいの丸い見晴し台スペースを作ってくれていたので、そこに椅子をすえ、風が意外に強いので帽子が飛ばされないよう画用紙がめくれないよう(画面の両側をピンセットで止めているが、吹く風の力で2度も画用紙が破けてしまった)注意しながら、そのうち危険なこともすっかり忘れてスケッチに没頭する。
最初はこんな危ないところには誰も来ないだろうと思っていたが、たまに数組の観光客(勿論、健脚の男性ばかり)が後ろを通り過ぎて「特等席でいいですね」等と声を掛けてくれる。私はとっさの会話の場合、英語よりも先にイタリア語が出てしまうのだが、写真を撮ってあげた2人組の男性が以外にスムースに答えてくれたと思ったら、訊いてみると出身国がイタリアに近いマルタだった。そこでイタリア語で会話する。明日には飛行機でアテネに飛ばなくてはいけない短いヴァカンスをここで楽しんでいるとのことだった。
カストロに登る途中気付いたのだが、今までのこの島の玄関港とはカストロを挟んで反対側にまた別の美しい蒼い海が広がっていた。海に沿うよう長いビーチが連なっている。
そこでカストロから下りて宿に帰る前にそのビーチを探索がてらに歩いてみた。とても洗練されたカフェバー、レストラン、ホテルがずっと軒を並べていた。お役所関係の建物もここに集まっているようだ。情報誌「地球の歩き方」に載っているホテルもここにあった。なぁんだ、町の中心地はこちらに拡がっていたのだ。第一印象で物事を判断してはならないなぁ。一歩入り込まなくては分からないことも多い。
| 2004年10月02日(土) |
レスヴォス島・ミティリニ 〜 リムノス島(泊) |
レスヴォス島を9時に出発、リムノス島まで5時間。アテネのピレウスからやって来た大きな船だ。その船上、書けなかった日の日記を打ち込んだり、正午には食事、その後ちょっとエーゲ海を見ながらウトウトしていたら思いのほか早く着いた。
リムノス島で降りる乗客は意外に少ない。多くは島々から次の最終寄港地カヴァラで本土に足を踏み入れる人がほとんどだ。船のデッキ上には島を眺める沢山の乗客が顔を出している。
島に降り立った時の第一印象はレスヴォス島のミティリニとは全く違うこざっぱりとしたもので、ヒオス島に降りた時に感じたものと似ているなと思った。そのはず面積はレスボス島の約1/3以下といったところか、島の裕福さが違う。
午後2時。ホテルを探すにも余裕を持って探せる適した時間だ。港のまっ正面に大きな目立つホテルが一軒。だが私は決まってそういう所は避けて次の道路に面した所に建つホテルを狙う。しかしこの島には第2通りにホテルらしきものは見当たらない。右側にビーチが見える。その前にないかとそちらに向かう。が、ない。 側で遊んでいる子供に訊く。すると2階で洗濯物を取り込んでいる母親に尋ねる。母親はレンタル・ルームでいいかと私に聞き、いいと返事をすると子供に一軒の名前を言ってそこに連れて行くよう指示する。子供はちょっとはにかみながらも喜んで案内する。ギリシア語が分かるかともいろいろ訊いてくる。ギリシアの子供はとても人懐っこい。町の中にずんずん入って行く。 ここはビーチがあってその手のレンタル・ルームも多いのだろう。最初に行った家は都合がつかず、そこで紹介された第2軒目がOKしてくれた。調子の良いお母さんが準備してくれた。
夏にはビーチ客が長居をするのだろう。ベッドが3つ。ベッドの下にもう一つ。それに台所。充分な広さだった。部屋代は今までで一番安く一晩2.0ユーロ。お母さんはこういう時の手はずには慣れたもの、シーツとタオル一枚持って来てすぐ準備してくれた。だが電気のことはちょっと説明のようなものをしただけで行ってしまったので、私は翌日になってお湯が前晩から出ないので不思議に思い、色々あちこち電源を入れて試してみるまでその出し方が分からなかった。
シャワーのあとすぐに街に出てみる。
港の背景に突き刺すような異様な形をした小高い山。その頂きにはカストロが見え隠れしている。荒々しい山はこちらに押し迫ってくるかのような圧迫感を与えている。
'04ギリシア旅行マップ
| 2004年10月01日(金) |
レスヴォス島・ミティリニ(2日目) |
今日も良い天気だ。このあいだ9月20日にここミティリニに来た時にはうまく描けなかった水辺風景にもう一度挑戦。一度描いたことがあるので、アッここはこういう風になっていたな、とその時に記憶した知覚が作業をしながらよみがえり腕の動きを助けてくれる。こう助けてもらえるのが良い場合と悪く出る場合があるが今日は良い方に出たみたいだ。
今回はなんとか満足したものが描けた。前回は鉛筆画で画面が鉛筆でこすれた汚れが非常に目立ったが今回はフェルトペン、以前のものより画面がずっとスキッリとなりとてもいい感じ。
明日は朝8時に次目的のリムノス島に向け出発。また重い荷物を担いでは嫌なので底にコロの付いた、出来れば少しサイズの大きなバッグが欲しくて買い出しに行く。港に面したメイン道路に大きな鞄屋さんがあるのを見つけていた。
ウィンドウに展示していた少しデザイン性のあるカバンがいいなと思っていたのでそれを見せて欲しいと言うと2階に上がってくれという。階段を上って行くとそこには下の数倍はある面積の部屋に色んなメーカーのものがギッシリと並べられていた。私の目の付けていたものは Samsonite。日本のデパートなんかでも良く見かけるメーカーだが、デザイン・価格に中庸なところがありこれといって意識をしていなかった。でも他の変化をみない形の製品が首をそろえている中にあると断然デザイン性に力をいれていることが分かる。
ドイツ人の女性2人連れも盛んにカートを選んでいたが、なかなかお気に入りのがなく決定まで行かない。私が目を付けていたウィンドウに入っていた種のものもあったが実際に手にしてみると今ひとつ。その脇にやはりSamsonite製だが今まであまり見かけない思い切りの良いデザインのものがあって、手にしてみると以外に使い勝手の良さそう(物の造りはには少し問題があったが気にしなければよい)でそれを購入。私がいつも持ち運んでいるこの間買ったばかりのツーミーの黒いバックパックの布地と材形が似ているのも気に入った。買値は129ユーロ(日本円で19,000円)。私が帰国してまた選んで買ったとしたら前から欲しいと思っていたツーミーの高価な製品を買わないとも限らない。非常に得をしたと思った。今日買ったのと同じ製品を日本で購入したとしたら、恐らく2倍ぐらいの価格はするだろう。
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